>>68 転生毎に肉体を含めたパーソナリティは異なるに決まっています。
何のおかしな話などしてませんよ。
その記憶がいずれ想起できるようになればすべて氷解するわけです。
在家さんのいう通りでそれらは正しいですから。
『(93)また、心が安定し・・・堅固な不動のものとなると、比丘は過去の生存の境涯を想起する
知(宿住通)に、心を傾け、心を向けます。彼は過去の生存のさまざまな境涯を想起します。すな
わち、ひとつの生涯、二つ、三つ、四つ、五つ、十、二十、三十、四十、五十、百、千、一万の生涯
を想起します。そしてそれは幾多の生成の宇宙期(成劫)、幾多の壊滅の宇宙期(壊劫)、幾多の
生成・壊滅を含む宇宙期を(通して)想起します。「あのときの生存において、自分の名まえはこう
であった。家系はこう、階級はこうで、こんな食物を食べ、こんな幸福や不幸を体験し、これこれの
年齢まで生きた。そして、その世から消え去り、別の世に生まれ変わり、そこでも同じように、自分
はこれこれの名まえ・家系・階級の者で、こんな食物を食べ、これこれの幸福や不幸を体験し、こ
れこれの年齢まで生きた。そしてその世から今のこの世に生まれ変わってきたのだ」というように、
具体的な映像や、具体的な説明を伴って過去の生存の境涯を想起します。