仏教 議論スレッド 64

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237宝珠愚者@(規制代行)
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 『仏教タントリストたちの精神性が、伝承された『律蔵』の文言どおりの遵守を求める聖聞乗の比丘
や『毘盧遮那現等覚』までのインド初期密教徒たちの精神性とは大きく相違することは明らかであろう。
しかし問題は、多くの金剛乗の論師たちがそれぞれの部派で具足戒を受けた比丘であったことであり、
Vikramasila^ 大僧院の大学匠であった Abhaya^karagupta のような密教僧がこのような「左道」的な儀
礼を躊躇うすることなく宣揚していることである。
 インド後期密教の洗礼をもろに被ったチベット仏教史には、この「声聞の律儀」と「金剛乗の三昧耶」
の二律背反を地で往った人物もいる。それが11c 中葉から12c 初頭に生きた、チベット仏教を代表する
「悪玉」とされるRwa翻訳官 Rdo rjegrags である。彼の言辞とされているものを[羽田野1986b:274]から
引用する。--中略--
 実際に行うための儀礼の指南書がマニュアルである。マニュアルとして説かれている聚輪儀軌が前
提とするのは次の事柄である。つまり、施主の要請に応じて集会の導師である金剛阿闍梨を始めとし
て、ペアになった瑜伽者と瑜伽女、時には僧伽の七衆も参加して特定の日に特定の場所に集まって行
われる集会が仏教徒たちの世界に存在していることである。--略--』
(『高野山大学密教文化研究所紀要』第18号198)
http://www.koyasan-u.ac.jp/mikkyobunka/blog/documents/kiyo18/18_shizuka.pdf

 以上