仏教 議論スレッド 63

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919宝珠愚者@(規制代行)
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>>793
そういうことじゃないです・・・。

 マハーカッサパの頭陀行の事例話は、中道から外れた過剰な苦行的練行について示そうとし
て、五体投地の巡礼などを引き合いに出すための一つです。この五体投地の巡礼なる苦行の原
動となっているものが、つまり、過剰な崇拝意識というものなのですよ。諸仏は、人々がそんな生
涯で死んでいくのを歓ばれてなどはいないでしょう。

>さてアッラーやキリストは絶対ではないでしょうか?

 そう見なしてるのは人間(信者の勝手)ですよ。

 私の主張のポイントは、ゴータマ及び完成者(ブッダ)たちというのは、“過剰崇拝や神格化”は
望まれていないという点です。
920宝珠愚者@(規制代行):2013/03/31(日) 16:56:28.91 ID:saSqjhHo
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 神格化についての代表は、やはり、仏の三十二相の手足指縵網相(手足の指の間に水かきの
ようなものがある)などが典型でしょうね。
 如来といった完成者の考えることや行動には無駄や無意味なものはないのです。こんなものが
何に必要なのか?単純に普通の人間とは異なる肉体的特徴を持つという内容でしかない・・・。
 仏という存在は、肉体的には我々と何ら変わらないが、その内的な精神的な部分が全く異なる
ということの理解が重要なことなのです。なのに元々、我々と肉体が違うとか、肉体が妖怪のよう
に変化するといった見方では本末転倒でしょう。

 神格化では、ジャータカのゴータマ前世物語もそう。人間のために自ら火に飛び込むウサギなど
というものは存在しない。そんな動物は過去に出現したことはないし。もちろん現在もいないし、こ
れからも絶対に現れることがない。
 要するに、このウサギはゴータマの前世であるから特別なんだという視点が神格化なのです。ま
だ人間にも成れないレベルの動物などに意識的な善行などできる筈もないのだから(つまり、そん
な動物はいないし、当然、人間に成れる動物もいない)。

 ---諸仏は“過剰崇拝や神格化”は望まれていない---ということを理解できない内は、まだ大人
に成れない人なんだろう、と私は思っています(これは唯物主義者の否定の仕方とは異なる)。
 この二つから、絶対的で盲目的な依存性(追従)と数々の迷信が続けられるのです。