仏教 議論スレッド 63

このエントリーをはてなブックマークに追加
752宝珠愚者@(規制代行)
1/2
 『こういった頭陀の生活実践は、本来の出家修行者としては当然の習慣でしたが、教団が発展する
につれて、比丘たちは僧院に定住するようになり、寄進された綺麗な僧衣をまとったり、招かれて信
者の家で食事の供養を受けることも、ごく普通となっていきます。ですが、カッサパは、そういった新し
い変化を好まず、出家修行者本来の頭陀行をかたくなに守り続けていたのです。
 そんなカッサパに、ある時、釈尊は、こう声をおかけになりました。「カッサパよ、そなたも年老いたこ
とだから、そのような粗末な糞掃衣を身にまとっていては重いだろう。そなたはもうそんな衣を着ない
でもよい。供養の食事に招待されたら受ければよいし、なるだけ、私の傍にいるがよい」と。ですが、
カッサパは、その釈尊の勧めを断って、頭陀の行を続けたいと応えます。
 「カッサパよ、では、そなたは、どういうつもりで頭陀の行をやっているのかね」との釈尊の問いかけ
に、カッサパは、こう応えます。「大徳よ、ひとつには、このような生き方が私には楽しいのです。また
今ひとつには、私がこのような生き方をすることで、いささかでも、後の人々に教えるところがあれば、
うれしいと思いまして」と。そこで、釈尊は、「よいかな、カッサパよ、では、そなたの思うままにするが
よかろう」と、カッサパの頭陀行を許されたのでした。
753宝珠愚者@(規制代行):2013/03/30(土) 21:52:44.66 ID:CKHV+me5
2/2
 頭陀は、いわば苦行に属します。釈尊は、苦行を捨てて中道を歩んだ人でしたから、必ずしも頭陀
行を強要されたわけではありません。人は、それぞれの能力に応じて、相応しい道を歩めばよい。そ
う教えてこられたのが釈尊です。だからこそ、相応の理由があって頭陀の生活が自分には向いてい
るという人には、その生き方を認められたのです。
 以前、デーヴァダッタが、比丘たちに頭陀行を徹底してほしいと釈尊に申し出たときのことを思い出
して頂きたいのです(『菩提樹』第23号)。釈尊は、デーヴァダッタにも、同じようにお応えになっていま
したね。インドの伝統的な苦行の道を尊ぶという意味で、デーヴァダッタとマハーカッサパは、同類で
した。そのため、デーヴァダッタの追従者たちとマハーカッサパの追従者たちの間には、いわば近親
憎悪とでもいうような感情があったのではないかと思います。』

 参考:http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa25.html