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頭陀は、いわば苦行に属します。釈尊は、苦行を捨てて中道を歩んだ人でしたから、必ずしも頭陀
行を強要されたわけではありません。人は、それぞれの能力に応じて、相応しい道を歩めばよい。そ
う教えてこられたのが釈尊です。だからこそ、相応の理由があって頭陀の生活が自分には向いてい
るという人には、その生き方を認められたのです。
以前、デーヴァダッタが、比丘たちに頭陀行を徹底してほしいと釈尊に申し出たときのことを思い出
して頂きたいのです(『菩提樹』第23号)。釈尊は、デーヴァダッタにも、同じようにお応えになっていま
したね。インドの伝統的な苦行の道を尊ぶという意味で、デーヴァダッタとマハーカッサパは、同類で
した。そのため、デーヴァダッタの追従者たちとマハーカッサパの追従者たちの間には、いわば近親
憎悪とでもいうような感情があったのではないかと思います。』
参考:
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa25.html