仏教 議論スレッド 63

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656宝珠愚者@(規制代行)
>>6>>9>>11>>13>>15>>17>>19>>33
>釈迦は生前自分の仏像は作っていませんでしたが、釈迦入滅後数百年もたってから
>仏像を作り、拝む習慣ができたのです。釈迦が最も嫌がったことだと思います。
>ブッタは生前「私を拝んでもなにも益は無い」と説いていました。
>プッタは、自分の仏像作られ拝まれつのは嫌だったでしょう。
>ブッタの心情を考えれば宗教的には、偶像崇拝は事実上禁止でしょう。
>ブッダ(如来)を尊び崇める事とは、花や音楽をささげたりする事ではなく、法を知りそれを
>実践することと言っているのである。
>そのことから推測するに、「仏像を拝むのは釈迦の教えに反する」と思います

あなたの言われることは概ね同意できるものとして理解しますが、
正確には、ゴータマが望まれていないこととは、“過剰崇拝(過剰な礼拝行為)と神格化”でしょう。
仏像制作と礼拝対象の禁止というよりも、これらは過剰崇拝に繋がり易くなるアイテムだからということ。
まっ、そういう指摘と忠告がこのスレでされるようになっただけでも、私は非常に嬉しく思いました。
たぶん、仏像礼拝も含めて警告をされたのは、あなたが初めてではないかと思います。

マハーカッサパの過剰な頭陀行に対してゴータマが窘められたという事実からしても、
ましてや、一生涯を礼拝としての全身を投げ打つ五体投地で
巡礼の旅を過ごして死んでいく彼らチベット・ネパールの人々を、
諸仏たちは“できれば辞めて欲しい”と見なしていることは、
まず間違いがないことと思う。