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>>307 >諸氏は、この点どう考えますか?
バルド(中陰/中有)についての説明と理解はサロメさんが殆ど正しいと思います。私はサロメさ
んの主張にほぼ全面的に同意します。
確かに、仏教体系の中でこれが明確に出てきたのはかなり後代になってからのことで、それまで
の原始経典には説かれていなかったようです(それがテーラワーダの理解になっている?)。
しかしながら、“六道輪廻のいずれかに転生(再生)するまでの期間”をバルドとする見方ではな
くて(六道そのものが後代の体系化です)、“現象界における生存から次の現象界の生存へと転生
するまでの期間”のことを広義的なバルドと見なすことで話は大きく変わってくるのです。
要するに、ゴータマがバルドを説いたかどうかは不明確であり、残された初期経典には説かれて
ないという見方ではなく、ゴータマが餓鬼となって(餓鬼道に堕ちて)苦しんでいる亡者(の救済)に
ついて説かれた話が、そのまま中有の状態を説いたものとなるということです。
実際、大乗が行っている死者救済の供養と法要は、要するに“次の物質現象界への再誕までの
帰還”のことを意識しているのです。これが転生ということである(六道ではなく)とするならば、すべ
ての理解はより容易となってくるのです。