果たしてオウム・Aleph・ひかりは完璧か?238

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382神も仏も名無しさん
>すべては「麻原さんは最終解脱者」を前提にしたお考え
>その様な事は申してませんし、そういう決め付けこそ「100かゼロかの発想」

いやいやいや、社長さんのサティアン隠れごっこ、法廷での1997.4.24発言さえも、失礼ながらまともに見ようとしないのだから、その判断されますよぅ。

>滝本氏は形而上の事柄を図る物差しを初めから持っていない御方、野田氏は持っていたけど無くしてしまわれた御方だと思います。

形而上のことは、現実社会で具現しった場合に、より明確にまともかどうかが分かります。で、現実社会で何をしたのか、よくみられるべき、と。
ご自身は現実社会では違法であり咎を受けるのは当然としているのです。それは、吉本隆明が言った、麻原が正しいことをしたと言ったら裁判所は、社会はどうするのか、という意味を分かっていない、と。
それは、罰することができてもそれは真実罰したことになるのだろうか、つまり「咎を与えた」ことになるのだろうか、という意味合いとなるのです。
まあ、吉本の期待と異なって、社長さんはそんなタマではなかったのですけれどね。吉本は洞察力のない人であり、だからこそ埴谷雄高に「頭がスポンジになったか」と批判されたのです。

私の、思想、宗教などの判断基準は
1−言うことととやることが違っていないか。
2−途中で言うことが変わってこないか。
3−目的のためとして、他の権利をひどく侵害していないか、です。

ではまた。