>>902 >超常的存在が教義を改竄したりすることはない、という意味でしたら、
>それもまた信仰です。
それと、もう一つは、
「覚者(仏陀、如来、一切智者)ならば100%絶対に間違うわけがない」
という見方そのものは辞めるということも必要かと。
神智学情報においては、最初からそういう位置付けをしています。
覚者方御自身が、「わたしは絶対に間違わないなどとはいわない」と明言されていますから。
しかし、仏教徒というのは基本、一代に代表される姿勢として仏の“絶対視”というものがある。
そして、仏典記述の絶対視がこれに続くと・・・。これがそもそも間違い。
覚者方の絶対性とは、
我々の観点から見た場合のゴールという位置付けによる便宜上のものであって、
しかし、相対的には完全無欠の完成などというものは有得ないから。
絶対万能などというものは停止静止を意味する。そこには進歩がない。
進歩しているものにいずれ追いつかれてしまう・・・。
けれども、本当は停止というものはなく、あらゆるものが永遠に進化を続けているということ。
覚者方とて然り。