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http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/16.html ですから、「一切」というのは現象界のことですよ。
「一切法」とは現象界における性質の解説、及び人はどう在るべきかを問うもので、
つまり、これが仏教の教え(法ダールマ)だということになる。
ただし、これは神通力の範囲を含めての現象界であって、ここがただの唯物論とは異なるところです。
何度もいうように、当時のバラモンたちがサーマディにおいて到達した境地は涅槃ではありません。
自己の輪廻主体としての「ジーヴァ」(魂)、神智学の説く「ソウル」「アートマ」であって、
ウパニシャッドの説く究極の「アートマン」(真我)ではない。
「アートマン」(真我)を見出すには、まずこの「ジーヴァ」(魂)を破壊する必要があります。
自己の破壊であり、自己の完全なる死滅として感じられる最大の恐怖を伴う大試練なのです。
ところが、魂との一体化を図る彼らには大変な神通が発揮でき、凄い神秘体験を得られはしますが、
ここに捉われて執着してしまうと、もう自己破壊できないので、ついにこの先へは進めない。
これがバラモンは輪廻を免れないという意味なのです。
「真我」(アートマン)はこの更に奥に在って、未だ見えてこない最奥の存在です。
六十二見はバラモン聖者たちの自己魂との合一の境地を示したものであり、
アートマンだと勘違いをした境地のことです。
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http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/32.html 別段、否定する何ものもないですよ。
アートマンというのは、更にこれらを超越したものですから。