3/3
ブッダの時代にあっては、決して霊魂の有無を論じなかったし、仮に論じたとしても、それは宗
教的実践に何ら役立たない形而上学的論議として斥けられていたものである。保守伝統教学を
もって特色とする部派のアビタンマに至って、ブッダの説いた真の意味の無我説がゆがめられ
たのには、それ相当のわけがあった筈である。つまり、人間性の探求と真実の自己の実現という、
生き生きしたブッダの無我観が、部派仏教になると、アビダンマ教学の得意とした精神現象の分
析と、およびバラモン教神学の有我論との対決という観点から、“我を立てない”無我論へと移っ
ていったのである。シナでは、アナートマンを無我と非我との二つら訳したが、今日、一般に誤っ
て無我を“我がない”ととるならば、むしろ、“我でない”という意味の非我の訳語のほうが、最初
期仏教のアナートマンの原義にふさわしい。(p95)』
(『東洋思想5/早島鏡正著「無我思想の系譜」』東京大学出版会刊)