追記:
ゴータマが苦痛に負けたことがないことは、ここにも示されている。
『わたしには信念があり、努力があり、また知慧がある。このように専心しているわたしくしに、汝
はどうして生命をたもつことを尋ねるのか?(はげみから起る)この風は、河水の流れも涸らすであろ
う。ひたすら専心しているわが身の血がどうして涸渇しないであろうか。(身体の)血が涸れたならば、
胆汁も痰も涸れるであろう。肉が落ちると、心はますます澄んでくる。わが念いと智慧と統一した心
とはますます安立するに至る。わたしはこのように安住し、最大の苦痛をうけているのであるから、
わが心は諸々の欲望にひかれることがない。見よ、心身の清らかなことを。』(Sn.432-435)
ゴータマが苦行を放棄したのは、苦行によっては解脱に至らないことを悟ったからですよ。逃げ出し
たわけではありませんからね。その辺を誤解無きよう。