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>>602 >釈迦は、苦行にも耐えられず、スジャータの乳粥一杯で、苦行を放棄した。
>止めたくなったら止められるような修行は、修行とはいえない。それは釈迦の
>単なる「お遊び」「趣味」。
ゴータマの実践した苦行というのは、「昔のいかなるサマナ・バラモンのうち、いかに激しい苦痛
を受けた者も、わたしほど最極の苦行を試みた者はなく、未来のいかなるサマナ・バラモンもわた
しほどの苦行をする者はないであろうし、現在のいかなるサマナ・バラモンもわたしほどの激しい
苦行をしている者はないのである。」というほどの凄まじいものです。