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>>473 >で、「別世界にある」などと言われてはいないわけです。(ここが、貴方の最大の捏造部分ですw)
>一切法はあくまでも一切法なわけです。
>>477 >その論法でいくなら、涅槃が諸法に含まれないなら、
>涅槃という、苦しみからの解脱の法を説くことができないという矛盾が生じると思うよ
>一切は有為で、有為なるものは苦しい、ここで止まってしまう
『誰かがこの「一切」を否定し、これとは別の「一切」を説こう、と主張するとき、
それは結局、言葉だけに終わらざるを得ないだろう。』(サンユッタ・ニカーヤ 33.1.3)
>>525 とあるように、その一切とは“苦をもたらす世界”としての一切皆苦(一切行苦)と同義に他ならない。
これは在家さんの指摘の通りですよ。
どうして、その“苦をもたらす世界”がイコールで涅槃なのか?その「一切に涅槃を含む」など
という馬鹿げた論理を主張するのか?論理矛盾も甚だしい限りですよ。
水野氏は、原始仏教の時代にはなかったけれども、部派が無為法をも加えたのだと述べられてい
るでしょう、ここにハッキリと。
認めたくない気持ちは理解しますが、これ以上、見苦しいと思うますよ。ゴータマは「信仰を捨てろ」
といっている。これは、間違いは素直に認める勇気を持ちなさい、ということです。