>>709 一代がされていることは、
大乗視点という色眼鏡による仏典(原始経典)読みであり、
大乗がテーラワーダより勝れることを主張しつつ、結果的には、
原始仏教の本来のゴータマの姿を霧の中へと覆い隠して蔑ろにするものです。
へぇー、
中論が登場までは当時の弟子達は理解できなかった。
それまでは間違った解釈をしていた、と?
もう、そこまで云われてしまってはテーラワーダも立場無しかと・・・(苦笑)。
>>475 まったくその通りだと思います。
>>446 「デカルト」そんなの知らんよ、私は♪
「我思う、ゆえに我あり」よりも
「我在るがゆえに、我思う」が本当は正しいかと・・・(笑)