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もし、本当に仏教の無我論が「我はない」というものであったなら、何故、こうもゴータマ在世の
頃にはバラモンから大勢の帰依者が輩出し大歓迎されたというのに、ゴータマ涅槃後において
は、インド仏教は帰依者を失うばかりで殆ど壊滅的に衰退したのか?
高度な宗教哲学が花開く本家インドにおいて、何故、こうも無視され続け相手にされないのか?
セブンは、仏教はゴータマ個人にではなく、その教えにこそ価値があるからといった。ならば何
故、ゴータマ亡き後では仏教は支持者を失うばかりなのか?
これは、本来は「我はない」という教えではなくて、ただ我そのものを説くことはしなかったが、
「それらは我ではない」という非我を説く教えだったからですよ。仏教の無我論は変えられてしまっ
たのだ、とい
うのは近代仏教学におけるほぼ統一的な定説見解なのです。
それを必死に認めたがらずに、ただ駄々を捏ねているのが伝統仏教の信仰者(あなた方)の
姿です。