>>48 気になりますよね?
まっ、当然のことです・・・。
>なんでわざわざ言わないという選択をするのか?
所詮、指示すことができないものについて説いても
結果的に直知体験できない限りはただ誤解を招くだけだから無用という判断だったのでしょう。
>誤解されないための努力をなぜしないのか?
>よくわからない釈迦だ。
ゴータマ在世の最中、
及び原始教団の時代においては
そのような誤解を招く心配はなかったのだと思われます。
>釈迦が言わなくても、悟った仏弟子がフィードバックして
>(今のうちに後輩に向けて釘刺しておかないとまずいかな、と)補完していても
>よさそうなものだが、それもない。
部派の時代に歪曲が生じて、
それが文字化された頃には、すでに間違った内容になっていたものと思われます。
この頃には、その間違いを確認できるレベルの境地にある者はいなかったと推察します。
以降については、ズーとただ教本の文字の羅列をひたすら有難く護持するだけです。
それが伝統(信仰)なのです。これから外れたものには間違いのレッテルが貼られてきたのです。
数千年だろうと間違ったままこれが続きます。それが宗教の伝統というもの。