仏教議論スレッド55

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801宝珠愚者@(規制代行)
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>>621-622
セブン、とてもためになる引用投稿をありがとうございました。

>『心性本浄説については、今日までわが国多くの学者によって取り上げられ、
>すでに論じ尽くされているといってよい。---中略---
>原始仏教や上座部系の部派では、そのような常住の心性は考えられず、
>【むしろ現象として生滅変化する心相が清浄であると】説いていると考えられるからである。
> 元来原始仏教では、外教で説くような常住不変の実体を問題とせず、
>経験可能の現象界だけを考察して、これを一切法と呼んだ。
>従ってそこには常住の心性というような考えが入る余地はないのである。

 私もこういうことは、もちろん知っています。しかしながら、これらの指摘については私は同意しません。
仏典の記述はあくまでも“本来は清浄である”といっているわけですから、どう読んでも「元々、これは最
初から清浄である」ということをいっている(原語は読めませんけれど・・・)。
 つまりは、不変的な性質を意味していますから、これは消滅変化する現象界の有為(一切法)ではなくて、
涅槃同様に分類されるべき“無為”だということになります。水野『要語』の解説にもある通り、「清浄」は
涅槃の顕著な特質であり、そして同義語なのですから。(『要語』「涅槃の同義語」p170-171)。
802宝珠愚者@(規制代行):2013/01/30(水) 00:15:38.40 ID:XdcihdYM
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 私は、たとえ仏典といえどもパーフェクト100%の完全無欠の記述であるとはみなしていません。
 『原始仏教や上座部系の部派では、そのような常住の心性は考えられず、【むしろ現象として生滅変化
する心相が清浄であると】説いていると考えられるからである。』
といった具合には綺麗に収まるものではないでしょう。あまり変に拘り過ぎると重要なメッセージの理解に
失敗すると思います。ここは素直に読んで受け止めるべきでしょう。

 『仏教学者の服部正明博士によれば、原始仏典には仏性について「清浄なる心の本性」として説か
れており、この教えは釈尊の教えとして権威を認められていたのですが、上座部が仏説を整理して聖
典を編纂し、学説を体系化していく過程において切り落とされてしまい、説一切有部のアビダルマ仏教
では完全に無視されてしまい、龍樹によって般若心経の空の悟りの基となった「光り輝く心」として原始
経典にある「清浄なる心の本性」がやっと見直されることになったと語っています。』
(角川文庫『仏教の思想』4認識と超越<唯識>)

 私は、“自性清浄心/仏性”というのは大乗が気付いた重要過ぎる仏教の真理だと思います。これにつ
いては“テルマ”だといってもいいでしょう。

 “一切諸法は自性清浄なるが故に我もまた自性清浄なり”(浄三業)