>>549 その通りですね。
ある者が一頭の巨象の脚を触れては、
「象とは○○だ。これ以外は認めないぞ!」という具合で頑迷に主張する姿と同様です。
>>552 >意識の消滅が涅槃かも。
自我(エゴ)意識、低我(低級我)の消滅。
自己意識の完全なる死の体験/魂(ソウル)の消滅を以って完成に至る、と。
神智学的には、イエスの十字架/磔刑死(自己の磔死)やゴータマの苦行によって“象徴”される。
>>546 >寂滅・寂静なる境地が可能であり、
寂滅するのは煩悩(汚れた意識)です。
煩悩を消散した後に本来の清浄な自己意識が立ち現れる。
これが“自性清浄心”です。
本来、最初から自性清浄なのが本当の自己(如来蔵思想へと発展)。
つまり、アートマン性質の一つです。
『この心は清浄である。しかし、これは本来的なものではない煩悩によって汚染されている。
…教えを聞かない凡夫たちは如実にこれを知らない。それゆえ、凡夫は心を実修していないと私は説く。
…教えを聞いた尊い弟子はこれを如実に知っている。それゆえ、教えを聞いた尊い弟子は心を実修した
と私は説く。』(増支部/AN. I, p.10, ll. 11-18. cf. ibid. p.10, ll. 5-8)