>>174 >涅槃が一切の一部だとすると、一切皆苦の一つ、ということになってしまう。
>なので涅槃は一切ではなく、よって一切皆空の一つでもない、真我なのだ。
>というふうに解する必要はあるのかなあ。と、
>他の「矛盾する文言」も見た自分は思う。
結論から云えば、然り。
>神成(テオシス)の教えが
元々は、
人間に内在する神性(キリスト意識)を如何にして具現していくかがイエスの教えであったのですが、
自分がキリスト意識に目覚めていくという考え方は伝統教会によって不敬の烙印を押されました。
こうして、イエスの御心から遠く離れた教会が世界に氾濫していった。
>>216 >まあ、仏教哲学者でないので、この程度の読み方です。
いやー、
ホント大したものだと思います。
なかなか出来ることではありませんよ。
私などは自分の直感だけですから。
(それとも、お不動様にお伺いを立てるべき?)
>>226 >あの箇所は相手に合わせた譬喩でしょう。間違いなく。
そのようですね!
ただし、
梵(梵天)は輪廻を生じさせている側の力の根源であるが故に
始めから梵天が輪廻するも何もないと思います。
梵天勧請を始めとするバラモン教の神々が帰依したり、嘆願されたりというのは、
仏教信奉者側による外道を下位を置くための意図的な神格化でしょうね。