ラマナ・マハルシ等【不二一元論】アドヴァイタ総合6
1 :
神も仏も名無しさん :
2012/12/23(日) 02:01:41.41 ID:tGmaP0ml インド古典のヴェーダやウパニシャッドから発展した、インド哲学の
アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(純粋不二一元論)の分野について、
難しい言葉の議論でなく、むしろ瞑想や体験など実践的な視点で
結局‘真我探求’って何?とか、本当に‘梵我一如’を会得できるの?
とかを、初心者〜覚者の分け隔てなく、自由に語りあおうという主旨の
「アドヴァイタ関連・雑談その他なんでもOK」の総合スレです。
関連リンクや関連書籍など
>>2-10 あたりをどぞー (自由な追加も歓迎)
前スレ
ラマナ・マハルシ等【不二一元論】アドヴァイタ総合5
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1344268051/
2 :
神も仏も名無しさん :2012/12/23(日) 02:02:23.75 ID:tGmaP0ml
3 :
神も仏も名無しさん :2012/12/23(日) 02:03:51.54 ID:tGmaP0ml
4 :
神も仏も名無しさん :2012/12/23(日) 11:22:17.71 ID:SXTkmXVx
5 :
神も仏も名無しさん :2012/12/31(月) 23:47:15.25 ID:2HJsc865
保守
6 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 01:40:33.35 ID:iUsWyMkU
明けましておめでとうございます。 今年は自分を高めたいと思い、瞑想を始めようと思うのですが、 なにかおすすめのメソッドやそれを紹介した本、実際に試してみての 効果など教えていただけませんでしょうか。 瞑想はメソッドではない、というのも最もですが、なにしろ 日常に追われると自分に帰る時間もなく、、、。 みなさんが実践していることがあったら教えてください。 一日30分でも実践したら、すこしはマシになるのでしょうか。
7 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 07:14:12.71 ID:OUPKNeUy
明けましておめでとうございます。 「あるがままに」は、瞑想についても扱っています。呼吸瞑想(プラーナーヤーマ)、 ジャパ(神の名などを繰り返し唱える)、アートマ・ヴィチャーラ(「私」の探求) などです。これらから、自分の好きなやりかたを選べばいいでしょう。 個人的経験では、30分ずつしても効果はあると思います。しかし、あわてないで、 3か月単位ぐらいで、効果をはかった方がいいと思います。マハルシ曰く、「うまく いかないと思って、努力を放棄しないように」です。30分でも、やってみると色々 きついですよ。やって見てのお楽しみ。
8 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 12:32:04.08 ID:eNImwPcS
>>8 「あるがままに」は読んだことがないのですが、
なんとなく上記のことの、自分なりのプロトタイプ的なことはやってました。
といっても、寝る前に考え事から離れて神に集中したり私を意識したり、
呼吸を感じたり・・・でも、わたしのは多分形だけなんでしょうが。
もっとまじめにやってみます。
「うまく いかないと思って、努力を放棄しないように」という言葉を肝に銘じて。
ありがとうございました。
9 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 12:53:54.67 ID:sfNzdbXn
呼吸の制御と呼吸の観察はいつでもやるといいんじゃないかなあ。 没頭してるとき以外はちょっと時間あるときや思考の合間合間にもできるし。 あと、なるべくいつでも自分の心に生じる想念や感情の変化を冷静に見るようにするとか。 日常そうしてたら、合計一日数時間の実践になるし。 心が落ち着いてきたり、欲求が減ったり、集中力が出てきたり、いろいろすると思うよ。 自分にある固有の心のクセや自分がどういう観念を持っている人間なのかわかってきたり。 自分の外側ではなく、常に自分の内側(内面、自分自身)に目を向けてると、 それだけでけっこうな実践なのではないでしょうか。
10 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 14:31:49.15 ID:kP9KpyRe
>>7 ありがとうございます!
ジャパのようなマントラを唱える瞑想についてすごく初心者な質問ですが答えていただけると幸いです。
・どういう速度で唱えるといいでしょうか?
息を吸ってるあいだに一回、吐いてる間に一回唱えてますが、速すぎますでしょうか?
・声は出したほうがいいですか?心のなかで唱えるといいですか?
あるいは文字を映像として想像したほうがいいでしょうか?
11 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 16:47:34.80 ID:OUPKNeUy
>>10 マハルシはジャパの速度については、詳しく述べていません。自分としては、普通にしゃべる
ぐらいの速度でいいのではないかと思います。速すぎず、遅すぎず。でも、「これでなければ
ならない」ということではないと思います。年明けに聞いた般若心経はすごい速さでした(笑)。
12 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 17:03:06.64 ID:OUPKNeUy
声に出すジャパが上達すると、心の中でするジャパになるという発展の段階がウパデーシャ・サーラムで 述べられていますが、心の中でするジャパ(マナーシカ・ジャパ)をマハルシが声に出してするジャパを 経ずに教えている場面も本の中に見られます。だから、どちらでもいいんだと思いますが、マナーシカの 方が難しいと思います。 文字を映像として想像するのは、ジャパへの集中の妨げになるのではないでしょうか。別個にするのは 良いと思います。
13 :
10 :2013/01/03(木) 17:20:00.24 ID:kP9KpyRe
詳しくありがとうございます!! マントラを心のなかで唱えるだけだと映像系の雑念が浮かんでくるので、どうしようかなと思ってました。
>>9 そうですね。あるチベット仏教の本に、「おっと、という瞬間はとても貴重な瞬間」
と書いてありました。無常を客観する訓練のようです。
そうでなくても、なんというか今、ここに戻るとえもいわれぬ安堵感がありますよね。
今日立ち読みした本にのってた説話に、 道徳上の議論で、 「入り口に入るときは靴を揃えるのがいい」とか、 「靴を(泥棒に罪を犯させないために)持ち歩くのがいい」とかいう議論に対して、 「靴をはいている人も、入り口から入る人もはじめからいない。」と答えた人が最良とされた。 もう一つのってたのは、 どのユメが最良かという議論で、 一人目は「夢の中で、荒野の中あるいていると、神の声がして、果物の場所を教えてくれた」 二人目は「神が導いてくれて、果物の場所にたどり着けた」 三人目は「わたしは何の記憶もない間に、神が体を操って果物のところに運んだ」と。 もちろん三人目が最良とされた。 どっちも、「私」ではなく「神」が私を操り、私はただの道具にすぎない、という注釈があった。 で、これらの説話がのってたのが、なんとイスラム教の説話集なんだよね。 「スーフィズムの物語」っていう、延々見開きで1エピソードくらいが続いている本。 まあスーフィズムもアドヴァイタの影響受けてるんだろうな・・・
16 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 11:15:48.31 ID:ypq6UQ+D
記憶力いいですね。いい話をありがとう。
17 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 13:33:07.35 ID:ZGNxloRy
>15 二元性で悩み葛藤する人間をあえて創造され愛されている 「神、それ」をバカにした考え方だと思います。 思い上がりも甚だしいと
間接的知覚によってのみ神も人間も物語も作られてるわけで。
>>17 二元性で悩み葛藤する人間は神から見ると非常に滑稽で面白く感じるんでしょうね
ただ神のみがある、私たちはいない、っていう、 ちゃんとした話だと思ったけど
21 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:36:03.58 ID:ZGNxloRy
真我と神は別なのでしょうか? 身体と私を同一視している限り、神と私は分離しているのでしょうね。 真我でない「エゴイズムという私」だけ意識している人からは理解できないのでは。
22 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 19:38:17.09 ID:ZGNxloRy
>19 「ある」か「ない」かだけの差異と思いますが。
行為者はいない、選択者はいないっていう表現だと思うけど そういう私は幻である、そういう私がいると思うのは錯覚であると ラメッシの表現と似てるように思う
24 :
15 :2013/01/05(土) 21:19:26.73 ID:iX7GZc/u
自分ではっておきながらなんですが、あの話だけだと 個人的には冷たいなぁと感じなくもないですね。 ラメッシの本を読んだ時もそう思ったように、「自我」が否定されたように感じるからだろうか。 ラメッシやパパジの本にのっていた「行為者はいない」によく似ていたので書いてみました。 しかし、実際は神に全託できたら、冷たさや馬鹿にされた感じより、慈悲や 温かみ、ふるさとに帰ってきたような安心感があるのではないでしょうか。 自我の否定というより、真我への帰着という感覚で。 自分が体験したわけではないので、覚者の言葉からの類察ですが。 ちなみに、この「スーフィーの物語」は80程のエピソードが載っており、 上記の話は神と人との距離が近いゆえに、「冷たさ」を感じますが、 もっと神と人を相対的に対象化した話もあり、それなんか私なんかも「温かさ」を 感じたりします。慈悲がわかりやすいからですかね。
ちなみにパパジの本だと、「自分が知らない(気づかない)うちに 車の運転をして目的地に行っていた、真我が面倒を見てくれた」 みたいなエピソードがありました。 しかし、悩み葛藤する人間をあえて創造され愛されている 「神、それ」をバカにした考え方だとは思わなかったなぁ。
個我は、自ら消えて神自身になるより、神をあれこれ思うことを好むからね そういう性質自体が個我だとも思うし
そうですね。 だれだっけなぁ、「そうやって遊んでるだけなんだからいいですが・・・」と 言った人がインドに。 自分もしばらくは遊んでたいですね。個我の世界に。
そうだねえ だからプンジャジなんかも、何もしてはいけない、ただとどまりなさい、って言うんだろうね 神を考え始めたら、その時点でもう、神は対象になって、 神でないわたしがいる、神でない私という個我の視点、想念になっちゃうからね ラマナも修練の過程では神を思ったり、感じたりすることも認めてるけど、 根源的には、神を思う想念の出所、わたしは誰かを問うことを勧めてるしね
>>27 その言葉を借りれば、私も個我の世界で体験していたいと思うんですよ。
じゃあ、真理を探求したい理由はどこにあるのか?本気で探求したいのか?って思ってしまう。
結局、知識欲や劣等感を充たす暇潰しなのかと。
少しばかり悩んでます。
30 :
神も仏も名無しさん :2013/01/05(土) 22:44:18.61 ID:ZGNxloRy
個我とは何でしょうか? 何のために真理を追及するのでしょうか?サンサーラからの自由?
>>28 そうですね。念仏なんかもそうなのかな。
「となうれば、我も仏もなかりけり 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏」
クリスチャンの黙想も神との彼我を超えた感覚でしょう。
しかし私はしばらくは神と一体ではなく向きあってみたいです。
これも神が自分を体験する為に人を作った、という大拙の言葉から言えば理にかなっていると思う。
>>29 でも、真理を探究したい、というか、プンジャジの本にある
「自由になりたい欲求」というのは、何世も経て、ようやく沸いてくる
貴重な欲求だそうです。これには理屈はないのでは?
一生こういうスレに興味をもたない人もいるし、興味をもつ人もいる。
死ぬほどの目にあって初めて現世以外の世界(それを知らなくとも)に
希求する人もいるので。「虎の口の中」に頭を入れているのでしょうね。
最近は寝る前に神に語りかけるのがマイブームで幸せなひと時です。
理屈理論で遊んでいても自由は体験できないと思うんだが。 神とは何か。自我とは何か。自由とは何か。 議論するのは別にいいけど ラマナもパパジもガンガジも そんなことを言う前に自我を止めて その状態にあるものにゆだねれば答えは出るという 意味合いの言葉を残している。 なぜ彼らと同じ体験ができないのか。 なぜ彼らには理解できて自分には理解できないのか。 それを考えようとするところが出発点になるよ。 ラマナが自我を殺せと言っていたからといって あれは1930年代にインドに来訪した人物に言った言葉だから 21世紀の人が額面どおりに受け取ってはいけない。
33 :
神も仏も名無しさん :2013/01/06(日) 00:47:54.80 ID:OhagQyOB
>31 >しかし私はしばらくは神と一体ではなく向きあってみたいです。 お気持ちは察するがそれでは神と同じ立ち位置に立たれるのではないでしょうか。 神を外部に求めれらるのは簡単そうではなはだ困難な気がします。 >32 >なぜ彼らには理解できて自分には理解できないのか。 >それを考えようとするところが出発点になるよ。 あなたはその答えを見つけましたか? もし見つけられたなら教えてください。 「議論」はしていません。質問だけですが・・・ 「議論」はしていません。
求めるのはそれが自分以外のものだから求めるわけで、 求めてる時点で、それは自分以外(自分の外部のもの)になり、 外部に求めてることになってしまうと言えるのでは 仮に内側に求めるとしても、求めてる以上、それは内側という名の、 自分以外の場所だと思う 本当に自分であるものは求められないし、内であろうと外であろうと、 求められてるならそれは、この自分以外の何か対象にしてしまっているのでは
35 :
池田大作 :2013/01/06(日) 01:10:09.71 ID:iBEUvgsV
創価諸君よ! 田浦本部横須賀桜山支部の偉大なる男子部 高橋裕之氏が1月10日と1月31日の宝くじ 及びグリーンジャンボ宝くじで1等・前後賞が当たるように また女子部と結婚成就と障害者年金1級受給と健康とご長寿と貯金残高10億円と刑事権力から護り抜く 祈りを毎日30分しっかりと高橋裕之氏に題目を送って行こうではありませんか! 特に飯田一家・柏崎まさかつ・徳永一家・宗像一家・尾崎一家・土井一家・尾島一家・横須賀総県創価学会員は喜んで祈るに祈っていこうではありませんか! また女子部は何が起きても疑うことなく高橋裕之氏について行きなさい いいね! 創価学会名誉会長 池田大作
36 :
神も仏も名無しさん :2013/01/06(日) 01:26:34.95 ID:OhagQyOB
>34 何が何やらおっしゃっていることを理解できないですが、・・・ご回答ありがとう。 ただ、顕在化しているこの意識(文字を入力している意識)では、明確に真我を認識できないので、 どうすればよいかお尋ねしているだけですよ。 霊的な異なる相からは、同じ事象でも自ずと異なるように認識できると考えますが、あなたの視点は?
>>36 いえ、回答したわけではないです
自分は
>>31 ではないので返答ではないです
求めは外側(自分以外)にしか求められないのでは、という話をしたまでです
>霊的な異なる相からは、同じ事象でも自ずと異なるように認識できると考えますが、あなたの視点は?
霊的な異なる相というものを自分は知らないので何も答えられずすみません
38 :
神も仏も名無しさん :2013/01/06(日) 02:04:12.77 ID:OhagQyOB
ご丁寧にありがとう
言葉では完全に伝わらないから沈黙なのだろうな 聖書は一字一句が神の言葉と言うが言葉を発明したのが人間だし
遊びなんですよ。神に創造されてこのスレで遊んでます。
41 :
神も仏も名無しさん :2013/01/06(日) 22:24:30.62 ID:gox+hvbe
完全に伝わらないっていうより、何も無いんだから伝えるものも無い。という事では?
>>36 >ただ、顕在化しているこの意識(文字を入力している意識)では、明確に真我を認識できないので、
>どうすればよいかお尋ねしているだけですよ。
真の主体は対象化できない。
かたちや概念ではないがゆえに、かたちや概念を映す。
概念化できないモノは知りえない。
わたし というこの感覚も、映された側のほう。
わたしが真我を求める、認識する、という言葉そのものが矛盾を孕んでる。
amazon.co.jpでSelf Awareness Practice Instructionsに レビュー書をいてくださった方、 ここにも来られていたら、ありがとう。さっき注文した。 今年に入り何冊か本を取り寄せで注文したけど 来るのが週単位で先になりそうなのでちょうどよかった。 比較的最近読み始めたばかりでMaharshiのself-enquiryと Maharajの"dive within"の関係もよくわからなかったので、 self-enquiryに関するMaharghiのお弟子さんとかの話も読めれば 非常に助かります。
>Maharghi Maharshi
45 :
神も仏も名無しさん :2013/01/07(月) 22:37:52.48 ID:XcpSEAsO
>42 「対象化」「概念化」ですか、理解を深めるツールとしては陳腐なような気がします。 時代はポストモダンまで行きましたので、あしからずww南無南無 直観、直感というツールはご存じなのかね。
主客があれば直感、直覚も対象化なのではないででしょうか
夢の中で「私たちはユメの中にいるんだから、ユメのことなどくだらない」と いってみてもしょうがないんじゃないだろうか。 そんなことは、夢から醒めた人が初めて言う資格を持つことであって、 いまだ夢の中で生きてる人の言うことじゃない。 あるグルが、「夢の中では、夢の中でのルールに乗っ取って修行をしなければならない。 そうすれば目覚めも良くなる(笑)」といっていたが・・・ また別の話では、ある僧が身内を失い泣いた時、葬儀の場所で 「なぜなくのです?この世は夢なのではないですか?」と聞かれ、 「そうです。でも、これは最も悲しい夢なのです」と答えたとか。 なんというか、夢の中の登場人物である我々が、賢しらに「これは夢ですよ」と 知ったげな顔で他人の苦しみやコミュニケーションを相対化しようという姿勢には腹が立つことが多い。 夢の中にいる以上、普通に他者への共感とか同情とかって大事じゃないだろうか。
敦盛はダメですかそうですか。 一人でいるときくらいは、そういうこと全部忘れて頭働かせずに 静かにしてる方がいいじゃないかな。
49 :
神も仏も名無しさん :2013/01/08(火) 00:36:38.41 ID:gv2tBlHH
>48 団塊ですか? それだからダメなんだよ団塊はw
>>49 そうだのう。まあ、心騒がせたいうちは、さんざん騒がせるといいよお若いの。
夢だと気づいていることも、夢の中を夢のルールで生きることも、 どちらも同時にあることが大事だと思う 夢のルールで生きなければ肉体はなくなりとっくに死んでるし、 かといって、夢であることを完全に忘れて生きてたら修行にならない でも他人がどちらかの立場から何か言ってきても、それはしょうがない ある立場からはある立場からのことしか言えないのだし 相手がどちらかに偏っていると見て、自分の立場から何か言うのはいいと思うけど、 それを押し付けたら、相手のためにも自分のためにもならないと思う 夢であると言うのも、夢のルールで生きると言うのも
なんだかんだ書いたけど同感です。
夢のルールで夢の中の人たちを大事にし夢の外に思いをはせる。
夢の外に思いをはせるというと、言葉は活動的ですが、ようするに
>>48 みたいにするということですね。
ラマナ・マハルシに関しては周りの人間が悟ってなかったから 逆に有名にしてくれてそれは良かった 周りが悟った人間ばかりだったら 無名なまま誰も知ることなんかなかっただろうからな この世はそのように悪から善が生まれたり流転した世の中なんだろうな ラマナが偉大だとか褒める聖者も日本では無名な人が居たりするしな
あまりにも沈黙して静かすぎたら誰も気付かないよな ラマナみたいな悟り人から見たらそれが偉大なのだとか言ってたけど 世俗人から見たら悟ったアピールしたほうが目立つもんな
それで思うんだけど、日本にも悟った人ってけっこう 多いんじゃないかな?なにしろ近所の禅寺でも毎日毎日 数時間座禅をしている。 誰もが玄有さんや南直裁さんみたいに文章表現力や知識哲学に 恵まれているわけではないだろうし、そうしたものは悟りとは直接 関連もない。 鈴木俊隆の「ゼンマインド・ビギナーズマインド」が欧米でベストセラーですが、 同じくらいの悟境の人って、けっこういるんじゃないかなあ。
有名人=悟っていると考えがちで、ある程度の関連性はあるかもしれないけど、 まったく絶対条件ではないしね。
悟りの入り口を体験した人ならけっこういると思うよ 真面目に修行してる坊さんならだいたいそこは通過してると思うし、 一般人の短期間泊り込みの寺の修行コースでも体験する人はまあまあいるらしい でも、禅定も4段階あるし、アドヴァイタのサマーディも各段階あるように、 より上の段階を通ったり、悟りきった人はかなり少ないんじゃないかと思う みんな最初の段階を悟りと勘違いしたり、そこで満足しちゃったり、 元の俗世の感覚に戻ってしまうと、教える側の僧侶はよく言ってる
捉える訓練をし続けようとするならそれなりの段階もいるんだろうけど、結局は私だけの事だもんなあ。 例えば、大元の存在-意識-至福を定めて、断固として私を不安や恐れに明け渡さないと決めちゃえば それでいいんじゃないかと思うわ。
59 :
神も仏も名無しさん :2013/01/08(火) 23:05:54.45 ID:gv2tBlHH
仏教や禅で救いですかw 低俗だな
62 :
神も仏も名無しさん :2013/01/08(火) 23:58:00.28 ID:gv2tBlHH
ご声援どうも 仲良く悟りごっごしている暇があるのね がラバゴス的でいかがかと
>>62 諸々段取りよく進めてゆけば、余裕はできるんでないか。
確かに君の言うとおり暇はあるし、それほど追われるようには
生活してないな。
こうやって書き込みしてる時点で自己の内面と向き合って無いし けして自我の幻の中から逃れられないもんな でもそういうのはまともなグルのアドバイス無いと気付けないもんだよな 人の意識ってのは外に向かうことが多いからなあ
ラマナ・マハルシとの対話をパラパラ立ち読みしたがなかなかおもしろかった あと2冊、今年中に出るのかな
>>64 そう見えてそう思うのならしかたがないね。
まずは根っこである「私」から、ってのが直接的探求の
始まりだと思ったけど、違ったかな。
>>66 それもラマナは沈黙出来ない相手に仕方ないから言葉を発してただけで
言葉では結局は完全に伝えることは不可能なんだろうよ
そうはいっても勉強をしないとだめなんだ。 なぜかというと自分の体験を理論的に理解しないと 次の世代に悟りを伝えることができないから。 端的に言うと、理屈で説明できないと他者に再現させることができない。 ラマナが悟った後に、聖典を読んでいたのもそのため。 だからトークスに見るように、様々な聖典・ヨーガの疑問にも 適切に答えることができた。 で禅が不立文字、教外別伝、直指人心、見性成仏をうたいながら やたらめったら経典が多いのもそのため。 言いたかないがクリシュナムルティや今のアドヴァイタ系聖者が その後に続く人を作れないのは、それを技術として残すことを していないからだよ。 自分は解った。で、これを解るのに理屈はいらない。 ただ心の作用を止滅させる・何もしないだけでいい。 むしろ勉強は邪魔になるだけだ。 天才が悟ったからといって、世の中のほとんどは同じ方法では悟れない。 だから凡でも悟りを体験できるように原始仏教や禅の技術が生まれたんだよ。
69 :
神も仏も名無しさん :2013/01/10(木) 23:23:01.56 ID:wVJYar6J
>凡でも悟りを体験できるように原始仏教や禅の技術が生まれたんだよ。 妄想乙
至る途上の方法論の整備や確立ってのはあるよね でもそうすると今度は方法論に固執する種類の人も出てくるから、 クリシュナムルティやシンプルタイプのアドヴァイタの覚者の役目もあると思う 道の途上で方法論が必要な人もいれば、方法論を捨てないといけない人もいると思う
71 :
神も仏も名無しさん :2013/01/11(金) 00:09:05.24 ID:aV4jZrMR
↑わけわかめ いまだKかよ かぶれ杉
ラマナの真我探求を一人でやってて 真我を実現できる人間がどれだけいるのか。 そのための準備としてハタ・ヨーガやクンダリーニ・ヨーガがある。 原始仏教を教えた釈迦はさんざんあちこちの仙人について 修行をしたあとに菩提樹の下で悟った。 基本的に師がいない状況で悟れる人は 規格外の天才だけなの。 でそれ以外の人は師についてサマディの雰囲気に浴しながら 理解するための勉強もしなければいけないの。 でその勉強にこだわりすぎると聖典至上主義の だめな人もでてくるわけで。 あとKとラマナやパパジの教えている内容に共通性が見出せないのなら 何一つ理解も体験もできていないよ。 真我の実現ではなくそのきざはしが体験できていれば 彼らが全員師であることもわかる。 全く同じことを、違う言葉で表現しているだけだから。 まあKの本は何を言いたのか解りにくいのは事実だけど。
73 :
神も仏も名無しさん :2013/01/11(金) 00:23:41.28 ID:aV4jZrMR
う〜ん確かに理解しがたい箇所が多いですね。 料理人のおっさんの本が一番わかりやすかったw
ハタヨーガはさておき、クンダリニーは必要ないってKもアドヴァイタでも よく言ってるけどなあ
>>72 >ラマナの真我探求を一人でやってて
>真我を実現できる人間がどれだけいるのか。
真我を実現することの難しさは分からないでもないが
真我は常にここにあり逃げも隠れもしない以上
1人でも真我実現出来るだろう
でも、よくよく考えると「真我実現」というのも不思議な言葉だ
我々は真我以外の何者でもないのだから・・・・
76 :
神も仏も名無しさん :2013/01/11(金) 00:50:13.80 ID:aV4jZrMR
「我々」が真我とイーコールなら沈黙しているさ まだまだだね
>>75 なんとなく同意。
まあ、他人をあてにするかどうかなんて些末なことだと思う。
>>76 >まだまだだね
この「まだまだだね」って言葉がどこから現れるのかに気付ければ良いね
>>79 分かって書いてるんなら、なおさら自分の自我を何とかしなきゃ
なんでも楽しめばいいじゃん
>>68 君は他人に伝える為に勉強してんの?w
そもそも、なぜ伝える必要があるのか分からないんだよね。
ある人になぜ他人を導こうとするのか聞いたら、道を誤っているのを黙って見ていられないと言った。
ある人は、導く以外に生きる目的がないと言った。(他の目的が全て消滅してしまったから)
でも、どうしたって言語では理解できないし誤解を招く。
むしろ弊害の方が多い気がするんだけどな。
言葉でチャッチャッと伝わるのなら 座禅も今生きてるこの世界も必要無いわな 幻想的な夢を見て他人にどう幻想的な世界か伝えるのも難しいのに 悟りなんかとても言葉では伝わらないだろ
そりゃそうとバッハって悟ってたかも知れないよな 音楽の才能あるからその素晴らしい境地をどうにか他人に伝えようと 作曲してたのかってくらい音楽が素晴らしい
自分がごく短い安息体験したときは、人に積極的には教えようとしないけど、 こちらのほうが確実に幸せだから、君らも早くこちらに来ると良いよ的な感じの誘いはするだろうと思った(積極的に誘うわけじゃない) 要請されたら仔細を教える(あのときのことは言語化なんてできないが)けど、要請されなければ教えることはない(やっぱりその必要がないから)って感じだった なんていうか、自己完結してしまう状態だったから、他人との繋がりは特に必要とも思わなかったな 話が変わるがついさっき、自分と身体の分離が一瞬有った 自分はこの身体の行う劇を見ている 身体を動かすのが神なのかなんなのかわからないが、少なくとも自分は操作に関わってはいないようだった 身体がどのようになろうと、何を経験しようと、自分自身にはどうやら関係がなさそうだった でもいま思い返すと、自分は操作に関わることもできるようだが、操作を任せることもできるってのが正しいのか? もう完全に忘れてしまった 最初に書いた安息体験の時は、身体は私と共にあった さっきの体験では、身体は別のところにあった ただ、身体と共にあるときの身体の存在(実在)感を100とすると、さっきは50になってた 存在感が半分になった身体が自分と細い糸で繋がってて、自分からの入力”も”受け付けてる感じ??? やっぱ言葉にするのは難しい
しかしブッダはなぜ悟りを開いた後の人生の全てを説法に捧げたのだろうか。
>>87 見る者と見られる者の二元性があるなら、たぶん何を見て感じても
同じことじゃないかな。
>>87 基本、全てどうでもよくなりますよね
こだわる自分がいないというか
今まで行動してた動機の意味がさっぱりわからないというか
身体と分離したってのは、体外離脱みたいに自分が体の外にありましたか?
それとも自分が身体の中にあるけど、身体とずれてるとか、距離感があるような感じでしたか?
安息感のとき感じる場所や分離したときの感じる場所は頭にありましたか?胸にありましたか?
それ以外でしたか?
>>89 入り口のサマーディはまだ二元性があると思うし、まずはそこからでいいんじゃないかなと思う
何を見て感じても、それを見てる私の源を捉えなさい、ってことだから 見たもの感じたものを精査するってのは直接的探求とはちょっと ずれてるのかな、と思う。
93 :
神も仏も名無しさん :2013/01/12(土) 12:41:30.81 ID:q0FUYUcr
>92 小難しいことばかりおっしゃっているけど、まだわからんの 内省しか方法ないでしょ。
94 :
神も仏も名無しさん :2013/01/12(土) 12:57:00.35 ID:ZpX3Qs/1
92は、その通りだとおもいますけど。小難しくもなく、シンプル。
>>92 そうなんですよね。
直接体験は必要不可欠ですが、捉われることで目的から離れてしまう。
昨日食べたごちそうは既に目の前にない。
でも難しいですね・・・人間ですから。
体験を価値あるものとして手放せない、そんな苦しみを持つ人は多いのではないでしょうか。
話は違いますが、某教団にハマった人が「体験をしてしまった為に本物だと思った」という方がいました。
彼らは本気で人を救おうとしていたと。
体験と教えが結びついた時に、その人の中で確固たるものになってしまうんですね。
程度はあれ、体験があった後こそ正しく導いてくれる人の縁が必要だと思いました。
>>89 >>91 俺の体験はシグナルでしか無いと思う
入り口ってほど大層なものじゃないような気がする
別の世界からのシグナルってわけじゃないんだけど、あえて例えるなら、宇宙人からの短いブザー音と同じ
ブザー音には意味がないので、それの分析にはまりこむと宇宙人には会えなくなる
>>90 対外離脱は経験したことがないけど、対外には出て無くて中から見ている感じ
身体という殻がずいっと自分の前に出てる感じだったような
安息感の時は頭で感じていた
分離のときは胸になるのかな?
身体が前に出ると書いたように、自分は後ろに下がる感じ
一瞬だったから自分の置かれた場所をしっかり把握できてない
>>92 ずれてるというより無意味
話の流れ見てて、自分の体験が何かの話の種になるかということで書いた
でも、分離の体験中では、あらゆる全ては確かに見えてるんだけどその意味を失っていた(安息のときはどうだったか思い出せない)
意味ってのは、いまの意識で持ってる、大切なものとか高価なものとか、そういう意味のことね
あらゆるもの、身体すらも無意味になる
だから全部無意味なんだと思う
自分自身すらも無意味になってたような気がするな
「在る」というだけだから、意味を付加する必要がないんだろうな
直接的探求がある程度きちんとできている人はそうしたらいいと思う でも、実際、そうやっても、真我実現できてない人がほとんどだと思う だとしたら、どうして真我実現できていないか調べたほうがいいのではないでしょうか 見たもの感じたものを精査することで、源を捉えようとしてる自分の正体がわかってくる 自分勝手な個人性をもったまま、直接探求しようとしてても、 その個人性を通して探求してしまっているので、自分がどうしてうまくできてないのかわからない つまり、自分が何がわかってないのかわかってない 自分が何がわかってないのかわからないまま、直接求めようとしている、直接を求めてる 精査より直接探求だと言う人には、精査が面倒だとか、自分は直接探求できるはずだとか、 そういう我を持った人も多いように思う そういう我が自分でわからないまま、直接探求のみと言ってたり、そう思い込んでたりする場合が、 多々あるように思う 直接探求できる人はもちろんそうすればいいけど、まず精査が必要な人がほとんどだと思うよ それにきちんと精査することは、直接探求と同じことだと思う ようするに、我を通して精査したり、我を通して直接探求しようとすることが問題であって、 我を通さず、精査したり、直接探求していけるとき、その区別、違いはなく、 それらは同じことになっているのではないでしょうか
98 :
神も仏も名無しさん :2013/01/12(土) 14:52:13.13 ID:q0FUYUcr
>97 で 何か個別具体的に得ましたか? 何もないのではないので説明が冗長なんでしょ
99 :
神も仏も名無しさん :2013/01/12(土) 14:53:03.60 ID:q0FUYUcr
×何もないのではないので説明が冗長なんでしょ ○何もないので説明が冗長なんでしょ
>>98 個人的にはいろいろありますが、自分が得た内容を語りたいとは思いませんし
冗長かどうかは、相手がそう思ったり思わなかったり判断するだけだと思います
101 :
神も仏も名無しさん :2013/01/12(土) 15:33:53.92 ID:q0FUYUcr
>100 そうであるならば何も語ることはないですよね もし語るならそれはエゴでしかなさそうです
>>101 個人の体験内容を語るのと、探求の仕方を語るのは全く違うのでは?
語る場合語らない場合、どちらもエゴがある場合ない場合があると思いますよ
103 :
神も仏も名無しさん :2013/01/12(土) 16:25:14.79 ID:q0FUYUcr
いずれにせよ他人さまの承認を必要とされるようですね だから軽薄なんです
>>103 そんなにつっかかる必要ないですよ。
他人事なんだから。
何かひっかかるのなら、なぜひっかかるのか内観したらいいと思います。
>>97 体験で得られるものはどこまでいっても我ではないでしょうか。
他の我を見てるのも我ではないでしょうか。
106 :
神も仏も名無しさん :2013/01/12(土) 17:05:00.08 ID:q0FUYUcr
当たり障りのないことばかり話して、相手のご機嫌を伺うだけが 人の役に立つことでしょうか? 世知辛い日本になりましたね
他人の否定ばかりでなく持論をどうぞ。
>>105 そういう意味では、直接探求であっても、
探求を求めて得られるのは、どこまでいっても我ってことになってしまうと思う
結局、どこかで我でなくなる、我との同一視が外れるだけであって、
探求の方法は直接であろうと間接であろうと、実は大した違いはないと思うんだよね
もしくは、その探求方法がその人に適切かどうかの違いであって
>>108 >結局、どこかで我でなくなる、我との同一視が外れるだけであって、
こういう道筋?思考もいらないんじゃないかな。
あらゆる思考想念の元である「私」の源を捉えなさい、ってのが直接的探求だから。
>>109 >あらゆる思考想念の元である「私」の源を捉えなさい、ってのが直接的探求だから。
うん、だから、そういうふうにできる人はそれでいいと思うよ
でも、できてる人はとっくに真我実現できてるか、それなりにうまくいってるだろうし
できてないほとんどの人は源を捉えなさいっていっても、「私」が捉えようとしてしまうと思う
「私」が「私」の源を捉えようとしてうまくいかない人は、
まず「私」や「私」を構成するものを精査するのもいいと思うって話です
結果的にそれで余計な思考想念が静まるから、自然と源に向かって行くと思うし
直接探求にこだわってる人は精査してみたほうがいいし、
精査にこだわってる人は直接探求してみたほうがいいかなとは思う
>>110 探求ったって何かを得られるわけじゃないしね。
できない人とかこだわってる人とか、考えることないし。
見たもの感じたものを精査するというのは、答えを求めて心を彷徨わせ続けることになるんじゃないかな。 彷徨う心を源に留めようとするのが直接的探求だから、その点ものすごくシンプルだよね、ってこと。 思考や想念が起こるたびに沈黙を心がけるだけだから。
>>112 ああ〜そういった意味かもね
なんとなく本読んでたけど他人の解釈聞いたら
そういった意味なんかなと気付かされるな
>>110 観察分析が有効な人もいるだろうね。
結果的に、それを行ってるのは何かという事に気づく。そういう事を言いたいのかな?
ただ体験は囚われやすい。
素晴らしいものであればあるほど。
>>112 止まってみないと動いてるものが分からないんだね。
思考や想念が出なくなって静かになるだけでいいなら、寝るだけでいいことになっちゃうからなあ。 思考や想念があってもそれを自分と同一視しなくなることが重要じゃないいかなあ。 マハラジは信じられる人は信じる道、信じられない人は自分を調べろって言い方するし。 ラメッシなんかは一日の終わりに自分が何か選択できたかふりかえってみろって言い方する。 そういう風に調べることで、自分の無意識の観念や陥ってる捉われ(同一視)に気づけるってのはあると思う。 静かにすることで同一視がなくなったり気づける人もいるけど、 静かでもぼーっと静かにしてるだけなら寝てるのと変わらないしみんな毎日してるし。
静かにするのはひたすら内観に徹することに等しいのでは。 ぼーっとするんではなく、逆に集中力を必要としませんか?
そういう徹して静かにするってのは、静かにするっていう想念や観念を出してるんじゃないかなあ。 誰が何によって静かにできて集中力を出せてるのかっていう。 それもいいことだと思うけど、静かに徹してしてる間は、徹してしてる分だけ静かじゃないよねえ。
それはもう言葉遊びですねw
寝ているときでも起きているときでも、私は在るって知ってるわけでしょ。 静かに徹するというか、静けさに戻すって感じじゃないかな。 >ラメッシなんかは一日の終わりに自分が何か選択できたかふりかえってみろって言い方する。 一日の終わりにまとめてするか、その都度するかの違いでは。 ちなみにこれ↓、遺されたラマナの言葉 「人が台所のゴミを捨てる時にそれを調べて何々があるのを見る必要が無いように、自己の本性を 知ろうとする者は自分の構成要素の数や特徴を調べたりする必要はない」
捨てる内容を調べる必要はないけど、捨てるものだってことはわからないといけない 身体や心や感覚としての私は全て私でないとわかり捨てていかないと そうしないと、身体や心や感覚の私を私として私は在ると思ってしまう
121 :
神も仏も名無しさん :2013/01/14(月) 06:50:58.10 ID:nf4vnnhj
瞑想で心地よければそれでいいんじゃないの?悟りが得られるかどうかは「運」 なんだから。瞑想は瞑想自体で価値がある。別に究極の状態にならなくとも、 禅の坊さんが言うみたいに無価値じゃない。悟り悟りと追い求めたって達成確立 が上がるわけでもないし、もともと「瞑想は悟りを達成する事のみを目標とすべき、 そうでないものは無意味。」と言うには瞑想というものの結果達成確率は低すぎる。 ここで書き込んでる我々だって悟りを達成せずに死ぬんだから。
マハルシの言葉を聴くとドキッとする。何故ドキッとするかというと、マハルシに比べ 如何にいい加減なことを適当に喋っているかに気が付くからでしょ。 マハルシの境地に近づくには、それなりの自覚を持った発言や行動をしなくてはならない。
>>121 だれだっけな、「悟りはホールインワンみたいなもので、
自分ではどうしようもない運に左右されるものだけど
練習しなければホールインワンはありえない」とか・・・。
だから瞑想は、悟りへの「過程」としても大事だし、
一方で、思考思考で生きている「人間」にとって、「いまここ」に
立ち戻ることは、それ自体が本来性を取り戻すことだと思う。
だから、瞑想それ自体にも多いに価値があるのではないだろうか。
自分は休日は1〜2時間くらい歩くけど、その時だけいまここに戻る。
>>122 まあ人間には失敗がつきもの、それを自覚するのとしないのでは
発言も違ってくるでしょうね。
ブッダも、呼吸瞑想を教える前は、墓場で死体を瞑想することを弟子に教えていて、
その結果厭世的になって自殺する弟子が百人単位で出たとか。
こりゃいかんとかわりに編み出したのがアナパナとのこと。
ブッダでさえ結構失敗したわけだ・・・
>>121 心地よさを求めるのは横道逸れてると思うけどな。
本人がそれを良しとするならいいんじゃないかな。
>>123 宝くじに差し替えても同じだな。
アタリハズレは運だけど、買わなきゃ当たらないw
>>124 そもそも買う必要もねーよww ってのがラマナの境地?なんだろね。
ラマナの書籍を読むにあたっては、wktkしてたり凹んでたりするよりも静かでいる時の方が
腑に落ちることが多いように思う。
静けさを心がけるだけで、彼我について考えることも判断することもいらないし、それをしてる
人がいなくなるまでそうすればいいだけだから。
聖者の見分け方 その1 目がヘヴン状態、または非常に澄んだ目をしている。 これに当てはまらないのは偽聖者といって良い。
>そもそも買う必要もねーよww ってのがラマナの境地?なんだろね。 いや、修行や瞑想はすすめてるだろ
すすめてるか?やりたいならどうぞ、って感じだと思うが。
129 :
神も仏も名無しさん :2013/01/16(水) 05:41:57.32 ID:eYGZ2MvW
修行は薦めざるをえないさ、そりゃぁ。しかし本当の事は言えない。この修行 で目標を達成する確立は万分の一もありません。これが現実だからね。 そうであるならば、瞑想の効果を現実世界の利得や癒しで補強するしかない。 …それしかないんだよ。
話は変わるが、この人の本立ち読みしたら、超能力? 前世?そんなのばっかりだな。このスレの人たちは信じてるの?
そんなの重要視するような箇所あったっけ?
探求するにあたって、超能力とか前世とかは個我をより強固にするだけだよ、って言ってた気がする。 現実と呼んでるそれらもそうなんだろうね。
立ち読みでサラッと読んだらそう読めるかも知れないな 確かに重要視はしてないな
134 :
神も仏も名無しさん :2013/01/16(水) 23:48:54.68 ID:XG+tvDvQ
さらっと立ち読みして理解できるとは凄いとおもお
二十世紀前半のインドの片田舎で会話してる 言行録のまとめだよ。 前世とか超能力とか聞いてくるやつが山ほどいたのはしょうがないわな。 現代日本の感覚とは違うだろう。
最近「仏弟子の告白」読んでるけど、なかなかおもしろい。 昔は悟った人も多かったんだね
空海の時代なんか沈没するような船で危険な旅して 虎に襲われるような森の中を歩いても ラマナみたいな偉大なグルに出会うのは容易では無かったんだぞ 蛇口を捻れば何時でも出る水みたいに 現代社会では砂漠で迷わないとその貴重さに気付けないものなのだろうがな
138 :
神も仏も名無しさん :2013/01/18(金) 08:08:18.58 ID:OG49s5Fb
ただ欲をいえば、当時にお会いしたかった。
何かを頑なに否定する、例えば物欲を否定し忌避するのは、 物欲に実在性を与えることになり、物欲が無い状態(「有る」がなければ「無い」は無い)に執着していることになるよね?
他人のことなら放っておく 自分のことなら下手に考えないで、 自分にまつわるあらゆる属性を忘れる勢いで 静かにしてる。 「私は誰か」を問うたびに、それって実は私を呼び起こしてるだけなんじゃないか そういう気がしてくるな。
141 :
神も仏も名無しさん :2013/01/18(金) 23:03:20.82 ID:AAvT4x/Z
あほらし 大丈夫教くだらね
悟りの状態がその時あるだけで、悟った人はどこにもいないってのが俺の解釈。 もし、普通に平和とか愛を少しでも知ってて、 悟りをなんとなく理解してる人ならば、マハルシに会っただけで悟ると思う。 ただ、その状態が続くのはマハルシと一緒にいるときだけだろうね。 持続したいなら、その後も瞑想なり修業を続ける必要があると。 でも、マハルシは宗教家でないなら無理にそんなことやらなくてもいいよ、ってスタンスじゃないかな?
ああでも、違うか。 瞑想は有りだよね。修業はちょっと違うのかも。 でも、明け渡しは気に入っている。 ぶっちゃけ普通の人の場合、これが一番簡単かつ有効なやり方じゃないかな。 親鸞の他力本願と一緒だね。
明け渡しって、帰依全托のことで、行為をすべて神にささげ、 結果も自分のもとのしては受け取らないんでしょ。 生も死も、良きも悪しきも日常生活のあらゆることを 神にゆだね、起こることを受け容れる。 神中心の生活で、例えば、ここの掲示板に何か書くときも エゴが書こうとしているのか、神が道具とて自分を使い 神の意思を表現しようとしてるのか(神の意に沿うものなのか) 識別し、行動することでしょ。日常生活の些細なことも。
>>144 そういう話と、生活してる中で発生する責任とどう折り合いをつけるの?
自分が事故でも起こしたら、その責任はどこにあるの?
>>145 明け渡しが帰依全托の意味なら、
明け渡しをしている人にしかわからないと思う。
ただ、行為の結果を自分のものとして受け取らないことと
行為に伴う義務や責任を果たさないこととは別だと思うけど。
ごめん。字が違った。帰依全託
>>144 ちょっと違うかな。それはもう辿りついた人の場合で、これから始める人からすると敷居が高すぎる。
そもそも、そういうことができるって、それってすでに悟っちゃってるよね。
明け渡しの最初の一歩は、気に入らないことでも感謝するかんじかな?
頭にくることでも、ただひたすら感謝するんだよね。アホらしいんだけど、これがけっこう効果ある。
ポイントはありがとうございますって、実際口に出すことだね。
ありがとう教は勘弁
結局は「明け渡しとか言っちゃってる私って誰よ」に落ち着いてしまうという…
男子たる者、一発抜けば、 どんな美女が近寄ろうとも、 心乱れぬ悟り人となる。 しばらくの間だけだが、、、
152 :
神も仏も名無しさん :2013/01/19(土) 22:18:19.36 ID:fqLdnV1u
言い得て妙 3分間だけ
賢者モードに突入か。 悟りといえば悟りであるな。 たまには馬鹿話もいいものだ。
>>148 感謝するんじゃなくて、善悪の天秤抜きで出来事を見るのはどう?
出来事は出来事でしかないってことがわかった上で心を見れば、出来事に色を付けたくて騒ぎ立てる何かを発見できるのでは?
でもマジな話、一発抜くときに、体を自分と同一視しないように、じっくり観察しながらやると、 感じつつ、同一視してしまいつつ、観察しつつ、非同一視できつつ、 体がどのように感じてるのか、自分がどのように同一化してしまうのか理解できてきて、 なかなかむずかしいけど、それゆえいい修行になるよ
たまにAV女優のほうに感情移入してる自分に気づくよね
>>151 欲望は自分にあるのではなく、肉体に課せられているだけのもの。
賢者モードになったとき悟った。
さすが賢者 僧や修行者になる人に男が多いのは男には賢者モードがあるせいだったりして
160 :
神も仏も名無しさん :2013/01/20(日) 06:45:13.26 ID:IkGNl47p
傘を持っているお写真はじめてみました。
親鸞で思い出したが、これなんかラメッシにそっくり。 「歎異抄」の13条より。 またある時、親鸞聖人は、 「唯円房は私の言う言葉を信じるか」と仰せられたので、 「信じます」とお答えしましたら、 「では、私の言うことに背かないだろうな」と念を押されたので、 「その通りにします」とお答えしたところ、 「では、人を千人殺してきなさい。そうすれば浄土往生は確定するぞ」と仰せられましたが、 「仰せではございますが、私の器量では、一人でさえも殺すことは到底出来ません」とお答えしましたところ、 「では、どうして親鸞の言葉に従うと言ったか」と仰せになりました。 「これで分かったであろう。何事でも自分の思い通りに出来るのなら、 浄土往生のために人を千人殺せと言われたらその通り殺せるはずだ。 しかし、一人でも殺せないという理由があるから殺すことが出来ないのだ。 自分の心が良いからということではない。殺さないでいたいと思っていても、 百人も千人も殺すこともあるのだ」と言われました。
このことはわたしどもが、自分の心が善いのは 往生のためによいことであり、自分の心が 悪いのは往生のために悪いことであると勝手に 考え、本願の不可思議なはたらきによって お救いいただくということを知らないでいることに ついて、仰せになったのであります。 かつて誤った考えにとらわれた人がいて、 悪を犯したものをお救いくださるという本願で あるからと、わざわざ悪を犯し、それを往生の ための行いとしなくてはならないなどといい、 しだいにそのよくないうわさが聞こえてきました。 そのとき聖人がお手紙に 「 いくら薬があるから といって、好きこのんで毒を飲むものではない」 と お書きになられましたのは、そのような誤った 考えにとらわれているのをやめさせるためなのです。
163 :
神も仏も名無しさん :2013/01/20(日) 15:35:49.01 ID:giSfQvfO
↑まだわからぬか仏教徒! 自己、我には次元いや色々な相があることを知れ 低次元の我ですべてを見るな
164 :
神も仏も名無しさん :2013/01/20(日) 15:57:12.64 ID:lYqbmkpw
>>163 失礼なこと書いちゃだめだよ。親鸞聖人よりあなたは優れた人なの?
いったい何を見てるんだww
166 :
神も仏も名無しさん :2013/01/20(日) 17:46:55.99 ID:giSfQvfO
????
167 :
神も仏も名無しさん :2013/01/20(日) 17:47:28.81 ID:giSfQvfO
マーヤー
168 :
162 :2013/01/20(日) 23:00:37.76 ID:bAWzZM5R
>>163 どうもすみませんw
もとより煩悩具足の凡夫なものでw
でも最低限の社会的マナーも必要かなと思ったりして。
169 :
神も仏も名無しさん :2013/01/20(日) 23:05:16.64 ID:giSfQvfO
真理探究の修行にマナーですか? 臨済さんに聞いてみたら
170 :
神も仏も名無しさん :2013/01/21(月) 00:04:13.12 ID:47PcSp6d
自分の世界と見識によっぱらって、相手の存在を忘れるほどですなぁ。それをマーヤーというのでは?
171 :
神も仏も名無しさん :2013/01/21(月) 00:15:17.14 ID:GuU7rREe
相手の存在とは?私は誰かの探究が重要ですけど何か? それほど認めてほしい自己なら棄てれませんね。 あなたは誰かを探究されること期待します。 無知でおいたわしいことです。
期待はいらないと思うけど
誰が見ても、他人が気になって気になって仕方ないのは君だと思うけどなぁ・・・突っかかりすぎ。 落ち付け。
っていうか素朴な疑問だけど、君は頼まれてもないのに このスレに参加して、積極的に他人にベタベタ関わり、うざがられてるわけじゃない? 他の人が楽しく話してるのに。別にわって入ってくれと頼んだわけじゃないのに。 「認めてほしい自己」、それは君でしょう。どう考えても。 そこらへんの自覚がないのねぇ。無知でおいたわしいことです。 レスはいらないです。っていうか、しないでね。 「私は誰か」だけやっててください。 関わらないでね。くれぐれも「私は誰か」だけやっててください。
まあ、自分は「私は誰か」をやらないとって気負いや執着があるから、 それをしてない(してないように見える)他人を見て反応しちゃうんだろうね 他者がどう見えるかは自分の内面の鏡
176 :
神も仏も名無しさん :2013/01/21(月) 01:06:15.30 ID:GuU7rREe
マッチポンプで猿芝居か 哀れだな 嵐だと思うならスルーすればいいじゃないか
仏教ってわかりにくいよな 良いことを書いてあるんだろうけど 言葉が小難しくて自分の内面を観察しようとか とても思えない 大乗径典で影響受けて真面目に座禅してる僧とか 何気に学歴高い人とか多いからなあ つまりそれくらいわかりにくい
荒らしだなんて思ってないよ それとも、自分は荒らしになってると思ってるのかな 皮肉じゃなく、あなたの望む探求がすすむといいねと思うよ 他人に不満を感じる人は、それだけ自分に葛藤をかかえててたいへんだと思うしね
気負いや執着に見えるものも最初のうちだけだと思うけどな。 まあ、個別固有の外発反応性みたいなもんに振り回されなくなるのも 悪くないよ。
前スレの終わりの方もそうだったけど、偉そう、挑発的な書き込みがあると一斉に反応があるのはおもしろい。 人は、自分の持っているモノにしか反応しないとは、よく言ったものだ。
181 :
神も仏も名無しさん :2013/01/21(月) 08:03:15.21 ID:XuXCv2de
目糞鼻糞
結局全部マーヤってことで、日常生活や仕事にやる気失ったりすることないの? たまにそういう風になるんでなんとかしたいんだけど
183 :
神も仏も名無しさん :2013/01/21(月) 08:45:17.97 ID:rczm1UMu
やる気出るまで待てばいいんじゃない。
一昨日の修道会は、またマーヤだらけの話だった。 参加すればするほどマーヤ塗れになっていく?
>>183 自分のやってきたこと、これからやることが結果的には全部無駄になるってわかってて、やる気なくなったりしないの?
あれだけ好きだったテレビゲームがつまらなくなってしまった
とここまで書いて気づいたけど、ゲームはそもそも生産性がないけど楽しかった
普段の生活も、最終的に悟りに至るまでの暇つぶし程度に楽しんでおけばいいのだろうか
>>185 よくわからん
詳しく頼む
187 :
神も仏も名無しさん :2013/01/21(月) 22:23:07.19 ID:IBmZe6t6
>>186 宗教の教えでは、基本的に、この世の目的には本当の価値がないから、涅槃とか真我を目指す
ということが成り立つんだと思う。でも、世の中のことは、世の中の価値観では価値があるし、
悟っていない限り、何らかに価値や意味を持って生活しているから、頭でマーヤーだと理解し
ても、体験するまではそこらの人と変わらないんじゃないと思う。
やる気が無くなるというより、冷静になるの方が近いような気がする。マハルシの教えでは、
「自分が行う」という行為者の感覚を持たずに、行えという教え。やる気なくすは、カッコよく
いえば「厭離」かもしれないけど、世の中のことに無気力になったなら、その分、宗教的な熱意をも
ってないと本当の「厭離」と言えないと思う。そうじゃないなら、単にプチ鬱かもね。
適当に書きました。
>>186 やる気がないのもマーヤだってわかってくると、
マーヤとしてたのしめるようになると思うよ
あなたも書いてあるけど、ゲームはゲームとしてたのしめるように
現実も現実というゲームとしてたのしめるようになるんじゃないかな
>>187 >マハルシの教えでは、「自分が行う」という行為者の感覚を持たずに、
>行えという教え。
Maharajも「助言(tip)」として次のことをあげてるね。
受身で考えたり話したりする習慣をつける。
「私が○○を見ている。」「私が○○を聞いてる」という
私を中心にした姿勢ではなくて、
「○○が見えている。」「○○が聞こえている」といった
私ではなくて出来事を中心に置いた姿勢を身に着ける。
マーヤってのはもっと意味は大きいぞ マハルシの生きていた時代は俺たちの国は戦争中で 大きな時代の流れに流されて 兵隊になってゴタゴタなカルマの中に 俺たちもへたしたら生きたかも知れないからな それらカルマから自由で無い限り 結局はやる気をもたざるえないわけだよ 今は体痛くないからと言っても何時かは体痛くなるから必死になるだろ
心に生じる、やる気もやる気のなさも、どちらも不変ではなく変化するもので幻ってことでしょ どちらの幻を信じてしまっているかの違いでしかないかと
なんか人生難しくしてるだけのような気が・・・
>>186 全部無駄になるってのは、目的、目標あるいは実現のためには
何らかの努力が必要であるという考え方が導き出した答えでしょ。
心と真我(至福)のたとえで言うと、真我から彷徨いだした心はまたそこへ
戻ろうとして色々な事を考えて試行錯誤するわけよ。
人ってそれぞれに心底うれしくなる手段はさまざまじゃん。
欲しかった人やモノを手に入れたときとか、いやなヤツがいなくなったときとか。
でもラマナは人の本性は至福であると唱えたの。何にもすることなくただ在るだけで
至福だって。
誰でも私が在ることはわかってるでしょ。体型やら性格やらステータスやらがいくら
変わっても在るは在るじゃん。
てことは、真我(至福)から離れている、という心はマーヤで、何かをすれば真我に戻る
ことができる、ってのもマーヤになるわけよ。
194 :
神も仏も名無しさん :2013/01/22(火) 19:45:16.07 ID:62k5euB8
でも、マーヤーは存在していないし、マーヤーは真我なんだよね。
そうね、真我にとどまれば心もへったくれもなくなっちゃうだろうから、 マーヤについて無闇に考えることもなくなるんだろうね。
心というか、意識=マーヤーと言われるのは、 意識とととも時間と空間の概念が発生して現象世界が出現し 自己を肉体と錯覚して肉体に同一化し自他を区別するようになるからでしょ。
>意識とととも時間と空間の概念が発生して現象世界が出現し 意識とともに時間と空間の概念が発生して現象世界が出現し
確かに熟睡してたら一元だとか二元だとかいちいち考えないよな 意識が眠りから覚めて現れたと同時に自他は現れるんだろうな その意識の源ってのが何なのかよくわからないよな どちらも自分なのは間違いないのだが二重人格くらい状態は違うよな
>>196 意識=マーヤ、ってsat-chit-anandaからするとちょっと意味ちがくね?と思ったけど
意識について曖昧なイメージしか抱いてなかった自分に気づいた。
それでそのあとたまたまマハラジの
>私にとってたったひとつ明白なことは、存在するすべて、生きるもの、動くものすべては、意識のなかにその存在をもつということだ。
>そして、私は意識のなかに、そしてその彼方に在る。私は観照者としてはそのなかに在り、実在としてはその彼方に在るのだ。
この言葉を目にしてなんかキたわ。
なんて言うか、普段見慣れてる景色、音、匂いなんかが変わった。どこそこの景色、音、匂いとかを感じようとして感じてたのが
ここで見えている聞いている嗅いでいるみたいな感じに変わった。
それからしばらく散歩して家に帰ってきたら、生まれた時から面倒を見てるワン公に吠えられた。
というわけで
>>196 よどうもありがとう。
来世は座禅に集中できる生活で悟りへの道を真摯に歩みたい と思ったけど、来世になったら、座禅ばっかりやらんで街へ出たいって思うんだろうな そう考えると、いまの自分の状況は前世で望んだものかもしれん なんてことを寝る前に思ったのよ
誰でも夢は見るもんな 心が完全に滅する深い眠りの世界は非現実で 起きてる今の世界のほうが現実だとかは思い込み以外の何ものでない 実は深い眠りの世界ほうが真実に近いかも知れないよな 悟りは人の常識とまったく違うってことだよな
目覚めも夢見も深い眠りも真我にはなんの関わりもないよ。 近いも遠いもない。
それは悟ったらの話で 普通の人間なら深い眠りの中のほうが心は滅するだろうから一元に近く 起きてる時に心や意識がある限りネットしてる対象のテレビや携帯も 自他ある二元の実在に感じられる物なんだから 全て真我だとか言っても仕方無いよなあ
>>202 あなたが完全に眠ってるとき、あなたは部分や全体という二元性を思いつきますか?
二元性は、あなたが目覚めているときだけ存在するのです。
あなたが眠っている間に、人生の目的であるとか人生の目的などない、といった想念は起こってきませんし、
あなたを悩ますことはありません。身体とも同一化されてないし、エゴなしで存在しあらゆる疑念から開放されてます。
マーヤーに対しても世界への執着であり、世界はあなたの睡眠中に存在しましたか?それへの執着がありましたか?
って尋ねてる。質問者は、いいえ、ありませんでした。眠りの中では心はありませんでした。
したがって、世界は心にとって存在しているにすぎません。
マハルシ:あなたが今、現在の状態において意識と呼んでいるものは、脳や心や身体などに依存している意識と関係しています。
しかし、眠りの中ではその意識はそれらのものをもたないで存続してきました。
質問者:しかし私は眠りの意識を知りません!
マハルシ:それに気づいていないのは誰ですか。あなたは「私がある」を認めています。あなたは眠りの中で「私であった」
を認めています。存在の状態というのはあなたの真我です。
>>目覚めも夢見も深い眠りも真我にはなんの関わりもないよ。
これは無いだろ。最新刊のでもP370にもP471にも眠りと目覚めについてのわざわざ表を用いてまで触れられてるし、
それとも「無知なものにとっての夜は賢者にとっての昼である。」とも書かれてあるから、賢者ということなんですかね?
スクリーンのたとえがシンプルでわかりやすいじゃん。
207 :
神も仏も名無しさん :2013/01/24(木) 10:56:33.43 ID:uVSg4B47
そういえば、みなさん、最近出たマハルシの対話の感想はどうですかね。三部に分かれてて、 一部が三千円ぐらいなのかな。そうなら、すごい高いけど。まあ、その価値はあるだろうけど。
208 :
神も仏も名無しさん :2013/01/24(木) 12:08:08.99 ID:z637i9CR
いいたいことはいつでも一緒だが、ヨガナンダと質疑応答してたり面白かったよ
マハルシ以外にも聖書や仏教の本も読むけど 自宅にエホバの勧誘や法事で坊さんに出会っても完全スルーされるね 見た目がそんなに宗教に関心あるようには第一印象で見えないらしいな 同じように俺からいきなりラマナとかに仮に会っても とても悟ってるようには見えないんだろな ラマナの本は良いよ 一気にグワッと来ないけど地道にジワジワ影響受ける 余裕で価値ある一冊
最近は自己の内面とか世間の常識とは大きく違うことばかり考えてるから ラマナの本はそういう人にはきっと助けになるんじゃないかな 奇跡とか外界のこの世の幸不幸を 宗教に求めてる人はそこまでの何かを得れないかも知れないけどな
211 :
神も仏も名無しさん :2013/01/24(木) 18:13:22.88 ID:hU1XKb1n
なるほど〜、感想サンキューです。
ヨガナンダの他に、ヨガジャナインダとヨガカナ?が出てくるよ 後者は名前にクエスチョンマークが入る画期的な聖者だよ
213 :
神も仏も名無しさん :2013/01/24(木) 19:20:22.76 ID:z637i9CR
ラマナ・マハルシに会いにいった有名人って多いよね、スワミ・ラーマも会いに行ってるし ただニームカロリ・ババは近くを通りかかったらラマナが裸足でかけて追いかけてきそうになったから逃げ出したって言ってて笑った
>>207 ちょっと手が出ないのと
日本語の難しい概念を含んだ言葉がどうも苦手なので
Talks with Ramana Maharshiを買いましたが、レビューを読んでると
Talks with Sri Ramana Maharshi(この本の翻訳本ですよね)の方が
格調高い英語で欧米人向けに編集された前者よりもいいというレビューを読んだので
600円足らずと安かった後者のKindle版(スリム版)も補完に買いました。
ほかの本がたまっているのでまだ読んでいないですが、
子供のころに毎日夕方5時になるとマンガ(今で言うアニメ)をテレビでやっていたので、
同じようにマンガや水戸黄門を見るような感じで毎日少しずつ接していければと思っています。
Be As You Are、I Am Thatと並んでバイブルとなる一冊ですね。
先日Pointers from Nisargadatta Maharajを読み終わったところなので
同じ著者(Ramesh)のConsciousness Speaksに今入っています。
Maharaj(関連)続きで、次は読みかけのI Am Thatの残りに入り、
Talksはその次を予定しています。
Be As You AreとPointers from Nisargadatta Maharajは Ramana MaharshiとNisargadatta Maharajの教えの基本を学ぶとともに Talks with Sri Ramana MaharshiとI Am Thatの スタディーガイドになってくれればと思っています。
Pointers from Nisargadatta Maharajもいずれナチュラルスピリット社から邦訳されるだろうか?
みんな瞑想での成長は進んでる? 何か五感や二元の意識が忘却の彼方とかになる心が滅した状態って 熟睡した時しか無いって気はするわ 小乗仏教では半日瞑想してるからそんなのが得意分野なのかも知れないな 結構熟練者は目を開けて瞑想したりするらしいな
瞑想中に背後を人が歩いても 瞑想してる人は気付いてもいない それくらい深い瞑想をする人って インドでは結構居るもんな インドってやっぱ凄いよな
眠ってたって物音で起きたりするのにどういう精神状態なのか疑問ではある。 人といっしょだと瞑想も時間頑張れたり、 長時間=熟達者って思われるから対外的なものも大きいのかな。
「瞬間ヒーリングの秘密」(フランク・キンズロー著)って本、 タイトルはアレだけど中身はこのスレにいる人たちにとっては興味深いことが書かれてるよ。 もちろんタイトル通りヒーリングについて書かれた本だけど それはヒーリング“メソッド”ではなく純粋な気づきのためのプロセスについて その具体的なやり方(誘導CD付)とともに解説されている。
音が聞こえなくなるようなサマーディは、知覚作用がなくなるんじゃなくて、 ある一点に集中してるせいで、他へ知覚が向かわなくなってるんだよ 何かに集中してる人が物音聞こえなくなるのと一緒 読書に夢中になるとテレビの音が気にならなくなったり だから、やっていけばある程度は誰でもできるよ でも仏陀に言わせれば、集中をやめたとたん元の日常感覚に戻るんじゃ、 サマーディなんて何の意味もないってことだし、 そういうのはできるからっていって、根本的には意味ないことだと思う
223 :
神も仏も名無しさん :2013/01/25(金) 21:32:39.96 ID:UqiVG6Zt
マハルシの教えでは、集中状態がナチュラルになるまで修練することが言われる。 それが、真我の状態。だから意味がないとは言えない。悟りへの過程。八正道でも 正定がある。なんか現代的なブッダの教えでは、面倒なことを飛ばして楽に悟ろう としてるような気がする。私見にて御免。
意味ないこととは言ってないよ 根本的には意味ないことって話 悟りの過程では様々なことが意味あることだよね
225 :
神も仏も名無しさん :2013/01/25(金) 22:03:32.94 ID:UqiVG6Zt
根本的に意味があるという話をこちらはしているのです。。。
まあ、何を根本的とするかだよね 仏陀はニ仙人の悟りをこれは自分の求める悟りではないって言ったわけだし でもニ仙人の悟りも悟りの過程ではあるし
>>222 昨日の体験思い出した
眠れなくてギャランドゥ抜いてたんだけど、短時間、俺が完全に消えてた
ギャランドゥ抜いてることにハッ気づいて、いま俺が居なかった!と気がついた
俺を見る俺まで消えたのは初めてだった
228 :
神も仏も名無しさん :2013/01/25(金) 22:47:48.39 ID:UqiVG6Zt
こちらの根本はブッダの悟りでもあるし、真我の実現でもあるんですがね。
>>221 まだ読んでないけど付属CDはなかなか素晴らしかった。
チャプター1はサマタ瞑想、チャプター2はヴィパッサナーだね。
個人的にはサマタ、ヴィパッサナーみたいに分けるのは好みじゃないけど、
>>218 、
>>220 での状態はサマタ瞑想の深い状態だと思う。
チベット仏教だと、逆に「周囲のあらゆるものに気づく」ことが重要で、
瞑想の腹部の動きへの集中は意識の25%、それ以外はすべてに気づく(感情、思考も)
ことが重要視される。
と、トギャム・トゥルンパリンポチェの指導だった。
つかお前らどんだけ本読んでんの? 本読み過ぎると人によって言うこと違うし混乱しないか? 自分の経験だと本捨てるのが一番の混乱を無くす方法だったが。
そう サマタは必要だけど、サマタをいくらやったところで悟りには至らないっての仏教の見方 サマタをやって悟るなら、インドで長年苦行してる行者がほとんど悟ってないとおかしいし
>>230 知識は参考のために読めるだけ読んでるよ
でも知識だけで体験できてないとしょうがないし、
自分に起きた体験がどういうものかを、知識で再確認する感じ
知識がないならないで、自分の体験が何なのか正しくわからないし
>>232 時々そういうことを目にするけど
自分には本で確認するような体験がないんだよなぁ。
内的な変容というか、意識状態の変化とかそういうことなのかな?
過去にはドラッグまでやってるんだけど。
ああ、これは統合失調症のように人格が分裂してるなとか、意識のフォーカスが
強まってるなとか、その程度であって。
人によっては食事や商品、サービスでも事細かに書ける人がいて
そういう人との違いなのかね。内的世界はむしろ言葉による影響が多いので
自分は結局捨てた。
内的な世界が静まり、すべてが私なんだと分かった後 結局小さな自分として生きていくのが悟りだと個人的には思う。
>>230 単純にいろんな本を読んでるとおもしろい。
表面上は違っていても、それは表現する人間(とその文化などの背景)の
違いだと思えるようになった。それに、二人覚者がいて悟境の差から
説く内容が違っていても、それぞれの内容が間違いというわけではないしね。
真理は巨大なものだから一部しか語れず、任意に切り取ったグラデューション
の色合いで語る言葉も違ってくる。
気功だって悟りを目指すものだし、念仏にかける人もいるし、ただ座る人もいるし、
喜捨する人もいる。それでどれが間違っているということもないので、
どの本読んでも楽しい。
いくら本を読んでも直接のものがなければしかたない
>>230 Ramana Maharshi 2冊、Nisargadatta Maharaj 3冊
Ramesh S. Balsekar 1冊で終わりにしたいと思ってる。
Viveka-Chudamaniと、Upanishadsも主要なものは読んだけど、
読み返すかどうかはわからない。
回り道になったけど欲望はある程度達成されると思うので、
残りの部分は別の聖者が残したものだけに没頭したいと思ってる。
>>237 別に悟りを目指してるわけじゃないし、悟り関連の本だけが人生に大事だとも思わない。
正直、あるいみ「そんなジャンルの本」が存在するとも思ってないし、
ヘレンケラーの自伝と差があるとも思ってない。
「嘘」が書いてなければ、それだけで俺には価値がある。
まあこの「嘘」ってのは「フィクション」とは違う意味だけど。
「ヘレン・ケラーはどう教育されたか―サリバン先生の記録」を 昔読んだけどいい内容だった。大石順教先生の本もよかった。
>>234 左脳が動いていながら、つまり自分のいまの超常体験を分析しながら、
なおも世界がスイッチを切り替えたように違って見えたことがあるんで、
単に脳を操作すれば悟れるという簡単なものでもないと思うよ
脳の操作による悟り、左脳を鈍らせてしまうのは、重大な事故を引き起こす可能性がある
そもそも左脳鈍らせたら普通の生活が難しくなるのでは
ふむ、つまり物質側に出張ってきてるってことか>個我
体験が先にある自分からしたら、体験なしにこういった分野に関心示す人が不思議だ。 自分が普通に生活してたら関わらないし、単純に理解できないだろうと思うから。 マハルシの本は正直悟りたくて目を通してる。 でもこうなると悟れないw 自我は上手くできてるよね。
ラメッシの本によると 人間は自分で様々な選択や決断を行っているように思っていても、 現象世界では絶えず入れ替わる全体を構成するひとつの歯車に過ぎず いつどういった選択をしてどのような人生を歩むかは 全体という視点(流れ)からみると、あらかじめ決まっているらしいです。 自分で選択できることは何もなくすべては必然ということのようです。
他力本願。 考えてみりゃ、起こることなんか全て不可抗力。
脳波とか調べてもインドの無名でもヨガの達人は 目の前で風船割ってもまだリラックスしてるらしいからな 風呂でゆっくり浸かってると我々も思考停止するが その状態よりリラックスに自ら持っていくんだろうな 俺たちも実際に熱いとか冷たい風景見ただけで体温が変化するらしいしな
他人は他人だから、あなたはあなたで真我にありなさいと ラマナは言ってるんだし 釈迦も殆ど同じこと言ってるし どうせアドヴァイタ学ぶなら 自己の内面の観察ってのはなるべくやったほうがいいよ 本読んでどうたらってのは心が静まらないし悟りから遠ざかるらしいけどな
ラマナも本読んでも精神の波みたいな気性がおさまらない限り 悟りには近付かないと言ってた気はする どうしても本読むと考えたりするもんな やっぱ知識だけでない実践がいるんじゃないのかな
249 :
神も仏も名無しさん :2013/01/26(土) 06:20:47.85 ID:EHpxc31l
もちろん実践が必要。実践の方が本を読むよりやりがたいから、人気ないだろうね。
本読むのも実践のひとつだしね 本読むのが無駄なら本出す覚者なんていないわけだし 実践してその合間合間に本読めばいいんじゃないかな 遊んでるよりは本読んだほうがいいと思うよ 字面追うだけじゃなく、自分の内面と照らして読めば、 内面の観察や理解にもつながると思う
宗教なんかどれも突き詰めたら理屈じゃないからね キリスト教でもイエスは水の上を歩けとか弟子に言って 溺れたら信仰足りないからだとかやってるし 仏教でもとにかく悟れ悟りこそ最上としか言わないしな そんなことを理屈で考えてたら実践する時間なんか無くなると思う 不可知には不可知で対応するのが正解だわ 自然と一体になるのがヨガだしな 眠たいから眠るって気持ちが理屈じゃないってことだな
>(すべてに共通の現象の世界とは) >物体とエネルギーと物質の世界のことだろうか? >仮に物体と力の共通世界が在るとしても、それは私たちの住む世界ではない。 >私たちの世界は感情と観念の、好感と反感の、価値の尺度の、動機と刺激の、 >概して精神的世界なのだ。 >生物学的には、私たちの必要はわずかばかりだ。 >私たちの問題は異なったレベルのものだ。 昨日マハラジのこの言葉を読んでものすごく腑に落ちたんだけど、もしかしてみんな すでにわかってたの?
つーか、本を読んで悟る運命にある人は悟れると、プンジャジも いってたし、ラメッシも言ってなかったっけ。 別に本で悟ろうとは思ってないけど、読んでて面白いし、ためになるよ。 仏教でも聞慧、思慧、定慧と言って、この三つが悟りの修行とされている。 本や経を読むのは聞慧、思慧でしょう。禅は定慧だと思うけど、白隠、道元も 経は重要視している。 いずれにせよ気負ってすてることはないでしょ。 精神が波立つというなら、まず2ちゃんやめるほうが先ではないの。
254 :
神も仏も名無しさん :2013/01/26(土) 20:58:46.92 ID:JnXhV+4H
2chをやめられないという我々の弱みを突くとは(笑)。
2ちゃんしながら、精神が波立たないようにするのって、いい修行になるよね 2ちゃんやめたところで、日常生活で精神波立ってたら意味ないし
「気づきを得ること」「今この瞬間に在る」ことの意味を体感することと、 エゴが止滅していくプロセスはまったく別のフェーズだ、という意見を最近よく見かける。 レナード・ジェイコブソンも『今この瞬間への旅』という本の中でそのふたつを分けているけど、 伝統的な覚醒者たちも同じようなことを言ってるのかな。 フーマンかアジズも、覚醒しただけではダメで、その後ノーマインドにならないといかん、 と言っていたらしいね。 皆さんはどう思う?
気づきや今この瞬間は、自我が抜けてありのままに知覚できる状態だと思うけど、 でも、気づきや今この瞬間をしているという自分を持つ(同一視する)と、 そういう自我(自我がないと思っている自我)っていうか、そういう状態ってだけだし、 そういう状態への同一視も消えないといけないってことじゃないかな アドヴァイタでも観照から最終的には観照者が消えるって表現があるし 禅でも一枚悟りとかいう表現があるし 自分はそういうふうに解釈してたけど
>>255 2chも日常もパッケージが違うだけで、内容物は同じ
どっちを辞めたら何か変わるものではないと思う
日常と2ch、お互いが自我を強めあっているようなもんだ 来ないほうがいいことは間違いないだろうな
>>256 ラメッシはMindを二つに分けてるよ。
Thinging Mind 過去の出来事をくよくよしたり、過去の出来事を将来に投射するMind
Now、hereから離れてあれこれ考えるMind
Working Mind Now、hereの出来事に対処するために自動的に働くMind
また、MaharshiやMaharajのいるところで彼らの名前を呼ぶと
MaharshiもMaharajも自分が呼ばれたと思ってきっと返事をする
みたいなことも書いてたよ。
思いは誰にでも浮かんできて、思いが浮かぶこと自体はコントロールできないが、
覚者は、思いが浮かんでも、"me"がその思いに関わりを持つ前に
それを切り離せる(浮かびかかった思いが"get cut off"する)とも。
しかし、「日常」ってそんなに悟りと対立的に考えるべきものなんだろうか? ここで言う「日常」って、ようするに日常意識のことなんだけど、 われわれは日常意識の中で恋をしたり失ったりする。それには成長の意味は ないんだろうか。 こんなことを考えたのは、先日のアルジェリアの事件。 ご家族さんの嘆きや、その嘆きの元となる、それ以前の愛情のやりとり(これを 仏教では執着と言うんだろうけど)。 亡くなった男性は、お母さんに「どこでもいいところに旅行に連れて行くから 考えておいて」と言っていたそう。おニ人の望みが叶っていたらどんなにいいだろう。 ラマナの本を読むと、「悲しみを消すには、世界を愛するやり方ではなく、 自分を殺すしかない。そうすれば、愛する人もなくなる」と。 そりゃ、そうよ。植物には感情も無いもんな。 だけど、そういう植物状態になるのが人間のゴール? 上のご家族の生前の愛情のやりとりは、意味のない煩悩の活動に過ぎないのかな。
262 :
260 :2013/01/26(土) 22:58:11.24 ID:HUVLJwDV
>Thinging Mind Thinking Mind ごめん。
今、ヘンリ・ナーウェンというキリスト者の「いま、ここに生きる」という 本を読んでいる。 神はいまここにおられる方、過去や未来ではなく、 祈りとは、「いま、ここ」に関わる修練。と語っている。 確かに、過去や未来の思い煩いを捨てると、むしろいまここへの平穏な気持ちが湧いてくる。
>>261 悲しみや悼む気持ちを遠ざけようとか禁じようとはしてないと思うよ。
ただその源をとらえなさいってだけで。
真我探求が悲しんでる人苦しんでる人の癒しになることだってあるんじゃないかな。
>>261 まあ、すべてに対する解決策ではないんだろう。
つか正直、この道に来る人は頭でっかちの人ばっかりなんだよ。
理屈屋で頭はいいんだろうけどって人ばっかり。
そういう人を惹きつけるように出来てんだろう。
金の欲しい人は儲け話にひきつけられるし、そういう仕組みなんだよ。
>>261 弟子を集めるわけでも自分から来訪者を求めるわけでもない
「植物状態」の人間が存在しない場合、何が変わるの?
悟りがあってもなくても世界はまわるんじゃないの?
悟りがあってもなくても出来事は起こるんじゃないの?
悟りは誰に必要なの?悟りを求めているのは誰なの?
悟りとはそれを目的に目指すものではなく、
「日常意識」の中で、ある条件が整えば、自然にたどり着ける、
現実を理解できる、ものなんじゃないの?
仮に「悟り」というものが存在した場合。
>意味のない煩悩の活動
これはあなたのエゴが発した言葉。
ほかの誰もこんなことは思いつかないと思うよ。
二元論で自他を明確に区別して生きてて
世界を愛するなんてとてもできないことだと思う。
対象がすべて神に見える意識ならまた違うんだろうけど。
人間の世界の常識とは全然違うからな悟りは 子供も大人も変わらないくらい未知の世界だから悟りは 普段見てる日常だって粒子とかになると何ソレレベルだしな 毎日見てる日常もわかってるって思い込みの積み重ねでしか無いんだよな 亡くなった人より我々のほうが救われてる状態と考えて 悲しむのも思い込みでしかない むしろ天国に居てハッピー状態かも知れないじゃないか
だから不可知には不可知で対するのが一番なんだと思う 意識と脳神経の結び付きがどうのこうの考えずに 眠たいから眠るんだって気持ちが一番自然なんだっていうことだな 大体死なない人間なんか居ないだろ?居たらそれこそゾンビだな 死なない人間なんか居ない、そういったレベルの話をしてるのだと思うなラマナは
そう、不可知 生が善くて死が悪いこと、有が善くて無が悪いことと、自分で勝手に前提を決めて、 それ前提で自分の心を使って怒ったり悲しんだりしてるのが人間 本当にそうなのかわからないのに、そうなのかどうか知ろうともせず、 そう決め付けて、それ前提で生きている 根拠もなく自分の心を信じて生きている
檻の中の豚や牛ならどこか連れていかれたら不安で泣くだろうが 我々人間から見たらどうにでもなるから泣くようなことじゃないだろ? 悟りってのは同じように生死を超えてるんだから 悟り人は人間の普通じゃ考えられない返答もしてくるだろうな そりゃ仕方ないよ
いやー、お前らも今はそう超然としてられるけど、理屈で今そう言ってても、 いざという時に「死なない人間はいない、悲しみはこっちの都合」とか いえるかな。同じ場面で同じことがいえるかな。 いや、理屈じゃ解かるけどさw ほんと。そら死後の世界は不可知だよ。 死なない人間はいませんよ。 突然殺害されても、そういうこともある、人の世の常ですよ。 「悲しいことというのはこちらの決め付け」ですよ。 でも、実際の場面でおまえらに同じ姿勢でいることができるかってのw2ちゃんのレスにすら反応してしまうおまえらに。 おまえら口だけちゃうんの。 さあ、反応して。
他人が口だけかどうかも不可知でしょ 証拠を示せばそれによって信じるの?自分の立場が変わるの? 他人がどう言ってるか、それが嘘か本当かどうかじゃなくて、 自分自身がどうかじゃないのかな
金持ちで健康で長生きだったら善だとか この世的な幸せを求めてるなら、別に悟りなんか求めずに 別に経済本や健康本とか唯物的な本を読めばいいだけで 行き着く方向性がスレ違いでもあるぞ 実際に釈迦もラマナも病死してるからな 長生きしたいならこんなスレ見ないで 長寿村にでも移住したほうが賢いと思うぞ
世界1信者多いキリスト教でもイエスは弟子に水の上を歩け 溺れたら信仰が足りないからだとかやってるからな そういった理不尽が受け入れれない奴は ようするに信仰が足りないというわけだよ それは悟りも同じだよ
実際に熱帯地方で野宿で瞑想なんかしてたら 体弱かったら蚊に刺されたりデング熱や肺炎とかな 長生きできる要素なんか無いからな
>>271 悟りじゃないけどそれに近い状態になったときのこと思い返して考えてみると、刺されても我関せずになると思う
いまはその状態じゃないし、刺されてもいないから確証はない
超然としたときは、やはり超然としたままその態度になる
超然としてないときは、いくら超然のフリをしても無理だ
それが答えで、しかしながら、超然となれないときほど、
超然に対してあこがれを持っていなければならないと個人的には思う
あこがれを、心の訓練時間と言い換えてもいいかな
常に真実のほうから見ること
偽物の渦に巻き込まれないようにすること
偽物を真実だと見誤らないことが大切だと思う
そもそも長生きしたいなら無法地帯なんか行かなきゃいいんだよ それを行って死んだから悟りと比較してどう思うとか馬鹿げてるぞ 座禅もやりたく無いならスレも見なけりゃいいだけだろ 骨が変形とかして愚痴られても困るからな 悟るための強制なんか誰もしてないぞ
下手な考え休むに似たり
牢獄から抜け出すために必要なもの⇒ @すでに脱獄に成功し、外の自由な世界にいる先達による誘導 A牢獄全体の見取り図 B脱獄のために必要な七つ道具、あるいは、共に協力し脱獄を目論む囚人仲間
牢獄を作り出していたのは私自身だった って気づくようなものだから、牢獄からの脱出の例えは微妙に違うんでね?
まあ厳密に言えばそうなんだけどね。 で、本を読むということは、牢獄全体の見取り図を知る、という意味では役立つと思う。
ていうかさ、「俺は長生きに興味ない」とでもいいたげだけどさw
長生きに興味あるというのとこのスレにベタベタ出てくるというのは、
まったく等価で、同質だと思うのよ。俺も含めて。現れ方が違うだけ、べったり
ベタベタしてるわけでさ。そんなことせず沈黙して真我に集中してりゃいいのにね。そのレスの数は何?
だいたいね、長生きと健康と金が善だとか極端なこと誰も言ってないのにw
虫歯になったら「健康は善じゃない」とは言わずに歯医者にいくだろうに、長寿村がどうとかw
死の痛みを悼む感情を悟りとの対立概念とか
>>273 なんか完全に思ってる
感じだが、長生きと健康と金に執着する力と同じ斥力で別のもんに執着してるだけじゃん。
悟り>その他もろもろという、二元的見解を語っておられるが、それは本当に
自分の実現した境地の表現なのか、それとも本を読んで身につけた
「概念」を披露してるだけなのか。たぶん後者だよね。後者だとしたら自分の説教相手と同列だよね。
いや、いいんだよ同列で。でも悟りも開いてない俗物が、自分は同列じゃないみたいに語るのはなんか欺瞞っぽいね。
俺はだいたいの見解はうなずけるよ。
>>276 なんかもっともだと
でもね、お前らの不可知論だの信仰だの、吹けば飛ぶようなもんで
知的な理解にすぎないと思うんだ。
どんな情況においても不退転のものとして語ってるかどうか・・・ね。
だってね。今このスレみながら「わたしはだれ」なんてやってないでしょ正直。
今というか、足しても一日3秒くらいでは・・・?
長寿村で長寿の薬のみながら長寿村から出る気配も無い 長寿村の住人が、長寿村製の悟りスレみながら、 「俺は長寿村の住人じゃない」なんておかしいよね。 自己認識的に。 いや、出たいという志は大事だとは思うし、持つべきとは思うけど、 すでに出て村の外からものを語ってるようなのはね。
他人の在り方に不満かなにかあるの?
シャンカラの三段論法 @ブラフマンのみが実在である A世界は非実在である B世界はブラフマンである はそのまま悟りの階梯(@→A→B)だったのだな。
>>282 ラマナとか釈迦の言ってることが納得できないのなら
何故このスレにいるんだ?
そもそもの始まりは
>>261 で
ラマナの言ってることが納得できないとか言い出したのが始まりだろ?
だれもあなたの宗教観なんか興味も無いし
納得いかないならようするに悟りとかそんなもの
興味持つの止めたほうがいいと思っただけだ
288 :
神も仏も名無しさん :2013/01/28(月) 09:58:43.86 ID:DHWMoSjX
マハルシの実際の生活は愛にあふれていた。自我の滅=限りない愛。カクシャはみな べらぼうに優しい。
ラマナや釈迦の言ってることまで納得出来ないなら 時間の無駄だと思うぞ 当然俺たちの言ってることなんか 聞きはしないから議論にもならないしな ハッキリ言って信じられないなら 居なくなってくれたほうがいいよ 誰も悟るのを強制なんかしてないんだからさ
ラマナの言葉に対しても俺たちにも 疑い深いような言葉を投げ掛けてくるが 誰もそこまでして悟りを目指せとか強制してないからな だから長生きしたいなら長寿村に勝手に行けばいいんだよ ラマナも凄いクールだったらしいしな 誰も聞いてほしいとかで説教してない ラマナの周りの人間が聞きたがっただけらしいわ
>>283 「私」が思考と経験の産物なんだって。仮想の。
>>261 で悟りのゴールが植物人間みたいなものと結論付けたなら
もっと素晴らしい人生を選べばいいだけだろ?
長生きして楽しく生きるほうが悟ることより
尊いと考えるならそうすればいいしな
独自の宗教観を語ってもらっても
聞きたくもないしこちらも困るぞ
俺は死なない人間なんか居ないと
釈迦が言ってた真理の話をそのまま語ってるだけだ
それを賛同しなかったら悟り具合がどうとか言ってこられても困る
>>288 肉体もなく、「私」は完全に安全で確立しているのだから、
恐れや怒りなどは消えて、残るのは本質的に持ってるものだけになるよな
それが古今東西の宗教で言われる愛ってやつなんだろうけど、
特定の誰かを愛するような愛とはたぶん違う
294 :
神も仏も名無しさん :2013/01/28(月) 16:55:05.23 ID:vWVBsLMY
>>293 そうでしょうね。その通りだと思います。
どっちみちわかりっこねーよ。あきらめな。
>>261 似たようなこと考えてた。
「魂の成長」を謳いながら「ありのまま」とか「苦を滅する」とか矛盾してるなって。
喜怒哀楽の感情は何の為にあるのかな。
>>271 自分には無理だな。
だって人間だものw
正直、死と真摯に向き合った事のある人でないと難しいと思う。
人間誰でも死ぬ、頭では分かってるようだけど、実はみんな自分が死ぬなんて思ってないんだから。
自分含めて大多数はその程度の覚悟だよ。
>>284 言いたいことは分かるよ。
知識だけ持ち歩いて満足してるってね。
でもそれもその人にとってのプロセスなんだろう。
縁があれば導かれていくよ。
>>296 >「魂の成長」を謳いながら
自分が読んだ中では出てこなかった。
幸福に暮らしていた人でも、道を求める生活に入ると惨めになる
という話は読んだことがあるけど。
読む対象を変えればとらえ方が変わってくるかも。
>「ありのまま」とか「苦を滅する」
どちらもその前提として、書き物や教えをただ理解するだけじゃなくて
これまでの経験を通じての様々なことの認識(/理解。理知を働かせて
考えるんじゃなくて、頭じゃないところですっと真実として入ってくる
理知を超えた実感)が前提になったうえでの、「ありのまま」とか
「苦を滅する」じゃないの?
「ありのまま」についていえば、人間の力では行為の結果はコントロールできない、
人間は地球を舞台にした壮大な芝居の個々の操り人形に過ぎず、自分が何をするか
何を選ぶかは自分が決めているのではなく、実際には地球全体を舞台にした芝居の
役を演じているに過ぎない。覚者についてもこれは同じ。人間の理解を超えたところで
あらゆることが決まっている。といった理解(例ね)。
「苦を滅する」というのも上のこととあいまって、
自分が行為の結果を受け取る行為者ではなく、主体ではなく、
台本どおりに演じさせられる単なる操り人形で、何が起こるにしても
それは自分と思っていたものとは違うところで決まっていて、
実際には自分ではどうにもならない、この世で起こることは神のリーラで、
壮大な芝居で、幻という理解があれば、苦の捉え方も変わってくるんじゃないかな?
錯覚の元は、意識が肉体に同一化して、自他を区別するようになり、
エゴ(想念の束:意識の中身)が行為者として振舞うようになったことにあり、
これと逆の道を辿って「純粋意識」に戻ろうというのが教えや修行の柱なんじゃないの?
ふさわしく無い人間が宗教なんかやっても 犯罪とか起こしたりろくなことにならないからな オーム事件しかりテロ行為しかり 理解出来ないなら無理に信じる必要は無いよ その人間の運命ってのがあるんだよ キリスト教なんか国教になって信者は無茶ばかりやってるしな イエス自体は弟子の選別は使徒のユダでさえ破門したくらい 選びに選びまくってるんだがな 師匠がいくら偉大でも弟子が救われるわけで無いし また救いは個人単位で必ず団体になる必要も無いということだな
>>298 何でそんなに必死なんだ?
悟りを信じてるなら黙ってやりゃいいだろ
他人のことは分からないって言ってる奴じゃないの?
なんかお前悟りがないと困るような感じよ。
何もこのスレの人間が無茶をやるって意味では無いぞ ラマナが言ってたがイエスによって目が治った人間が 悪人になった 治らないほうがその人間のためだったという場合もあるって 話をしてたのだが 変に知識があると悟りたいとか組織で人の上に立ちたいとか新たなエゴが生まれて よくならない場合もあるってこともあるってこともあるんだろうな 理解できないのもまた運命だよ
お前の話いつも分からん イエスだの釈迦だのはなんとかなんだなぁ、すごいなぁ とかばっかで
仕方無いよ、実際誰もかれも理解出来ることじゃないのは 事実なんだからな ラマナの話も何時も最後は真我に在りなさいと不可知な 誰もが共有出来ないような境地の話で締めくくるだろ? 理解できないならそれでもいいと言うことなんだろ ようするにけして無理に理解する必要は無いということだな
一回家から出て誰かに付いた方がいい どう見ても宗教にすがっているだけだから 宗教を理解できる人は上等なんてのはオウムと変わらん 理解できる俺は偉いってだけだもの それとったらクズになっちまうから
しかし本当に理解出来てたら話し合う必要なんか無いだろ? 宗教の本がどれだけあると思ってるんだ 言葉では充分すぎるくらい真理の言葉は満ち足りてるぞ それで理解できないとかハッキリ言って適性が無いというか センスが無いとしか思えないけどな
何を言ってるのか分からんが、上の方で悪態を付いてた人は 本を読んで悟りすましてその言葉を繰り返しても 実際実践は無理じゃないか?って言ってたんじゃないのか? 理解だけでなく実践しないと疑問ってのも出てこんよ。 お前はしないですげーなーって言ってるだけに見えるんだけど。
悟りってのはそんなのでも無いよ 実際に大きく勘違いしてるぞ 大体理解出来ないのは恥でも何でもないよ 世界中で本当に悟ってるなんかは一握りしか居ないんだからな だから聖者の本の話をそのまま書いてくれたほうが 俺としては知識として有り難いし スレの流れとしてもマシだと思うのだがな
>>306 あのさ、そんなに悟りのことが分かってる君に
知識がこれ以上必要なのか?
どうも自分は悟っているみたいなスタンスで言ってること矛盾しまくってんだが。
ラメッシはこう言ってたとかな そんな知らない話を聞けるからこのスレを見てるのだが スレ住人の悟り具合とか俺は正直興味ないんだよ だから本の知識だけでもいいのだがな 知識は充分あるが知らない聖者の話はそりゃ聞きたいよ 本読んでの他人の視点や価値観も違うし貴重に決まってるだろ
まあ、こんな所で本の話が出るのを期待するより本屋行った方が効率的だし、 上の方で「ここの奴らも言葉はそれらしいこと言ってるけど実践無理じゃね?」 ってのも本読んでの他人の視点だと思うが、それは貴重じゃないのか?
俺は英語がわからないからな 外国の本とか読めないんだよ それにインド行った現地の人間の話とか 貴重に決まってるだろ だから知識だけとか流れを変えられたく無いんだよ スレ住人の他人の悟り具合とかどうでもいいだろそんなこと
実践が必要だとかわざわざ指摘されなくても 本にはよく書いてあるからな みんなそれは大量に本を読んでたらわかってるんじゃないのかな わからないなら仕方ない理解力がないそれだけだろ
ラマナは一応「静かにしていることが分かったらそれ以上聖典を読む必要は ない」って言ってるんだが とにかく聖者のお話、インドのお話を知りたいと。 もろに「知識だけ」なんだが自覚ないのか。 用事あるので俺はこのへんで抜ける。
いいんだよ ネットしてる時間なんか多くは悟りには無駄だと自覚してるぞ その無駄な時間が少しでもマシになればそれでいいんだよ そんな多くの何かは求めていない 知識のみで悟ろうとか大それたこと考えてたらそれこそ馬鹿だろ
314 :
神も仏も名無しさん :2013/01/29(火) 10:08:10.57 ID:WesKgJtq
以後、NNxD95rFを「甲」とし、coFNl/Qmを「乙」とします。
「静かにしていることが分かったらそれ以上聖典を読む必要はない」ってのは、 みんな頭ではわかっても実際静かにできてないからね ようするに静かにすることが本当の意味で分かってないんだよね だからまだその程度の人は聖典でも読んだほうがいい 少なくとも静かにできてないときはね
>>298 おまえさんは宗教やるのに相応しい人間か?
どうだろね。。ラマナラマナラマナラマナ釈迦ラマナイエスラマナのエンドレスで、
グルがなんか言ったらなんかやりそうなタイプ。何とは言わないけどね、君が批判してるほうに似てる。
本を読んでの知的な理解なんか誰だってできるよ。 宗教に相応しいかどうかも少しはあるがむしろ読解力の問題だ。 それを鵜呑みにできるか、飲めずにのどにつかえてることを正直に認めるか、 それとも飲み込む前に飲みこんだ気になってるバカかの三者だね。 三番目と二番目じゃ二番目のほうがマシって気がするね。大疑あってのモノダネだしね。
で、
>>298 のいう犯罪、テロとかおかしそうなのは、まさにこの三番目のタイプじゃないの。
歴史を見ても戦争起したりテロやったりの宗教者ってのはまさに本や聖者の言ってることに感銘は受けつつ、
それを自分で実現した人じゃないでしょ。
つまり、感銘受けることはそうした殺人者だってできるってことだよね。
本を読んで知的に理解した感銘、これは読解力とドラマに感動する能力に関わるものであって、
はたして宗教的能力といえるのかな?
さて、わたしはこのスレにもそういう人はいるんじゃないかと思うんだ。
「宗教にふさわしい人間」とその他を分けて、ラマナのいうことに共感できたらそれがなにか1つの
精神ステータスだと思うタイプね。
「私」=「心」はもともとなかった、なら、うるさくても静か。
とにかく本には結構色々書いてあるぞ 特にラマナの本は凄いと思うぞ 釈迦の時代なんかこんなに色々な本なんか無くても 悟ってるんだからな これで理解できない奴はハッキリ言って素質ないよ オーム真理教の本とか読んだらトンでもない奴等も居るからな 素質ない奴は止めたほうがいいんじゃないかと思うわ と言うのは反論読んでも書き込み内容にセンスが感じられないんだよ 何か言い返す気も起きないぞ
そして静かにさせるべき物も静かにするべき者も無かったという。
理解って言うけど、体感のほうが重要じゃね? でも1回向こうの世界に行っちゃうと何も必要としなくなるからなあ 体感した途端に体感すら必要としなくなるw すぐ戻ってくるから、本読んでまた勉強(ってか訓練?)する必要があるんだけどさ 本だけ読んで実践しないのは、釣りの本を見て釣りをしないようなもので、 体感すれば本が何言ってるか(たとえばアタリなど)一発でわかるけど、体感しない限りは想像の領域を出ない 体感は個人的なものだから、共有できないかもしれないけどね あと言語化もなかなか難しい
理解っていうのは頭での論理理解と体感での体験理解とそれぞれあるよね 覚者が理解と言うときは体感としての体験理解を言ってると思う
実践っていっても、 self-enquiry/witnessくらいしか思い浮かばないよ。 関連で、行為者としての意識を薄めていくくらい。 あとは、書いてあったことをのんびり考えることによって 自然な変化を期待するくらい。
>>297 日常は純粋意識に戻る為のツールということかな?
とすると、日常の体験そのものには意味がないと。
でも、日常に本気で没頭する事こそ、生を活かすという事なのじゃないかなぁと思ってみたり。
>>298 運命を謳うなら、魔境に落ちるのもまた運命って事じゃないか。
一体どこまでが不可抗力なのか?
>>320 素質もあるだろうがタイミングってのもある。
ひっくるめてそれが縁なんだろう。
導かれてると感じることはあるな 全部自分で作り上げてるわけだから、 自分が悟りの方向へ行こうとすれば、 そのような世界が作り上げられるのは当たり前か その世界をどう見るかで道が二つに分かれてしまうのだが
「 一会員「 無明がもし無智の原因でありますならば、 では神は何故そんな無明などというものを存在させるのですか? 」 聖ラーマクリシュナ「 あの御方の遊戯(リーラ)だよ。 ――暗闇がなければ光の輝きは感じられない。不幸がなければ幸福はわからない。 悪を知ってこそ、善がわかる。 それからね、ホラ、外皮(かわ)をかぶっているからこそ、 マンゴーの実は大きくなって熟(う)れていくんだよ、実がたべられるようになると、 外皮はとって捨てられるだろう!? マーヤの色かたちをした外皮があればこそ、だんだんとブラフマン(宇宙の大原理) の智識が育ってくるんだよ。だから、明知と無明の二つのマーヤは、 マンゴーの皮のようなものでね、二つとも必要なんだ 」 」
「無明」と「明知」、二つあってこそブラムマンの知識が育ってくる・・・ 「この世の苦しみ」と「それを超えた智慧」、二つあってこそと言い換えるのかな?
330 :
297 :2013/01/30(水) 10:21:46.75 ID:gUY3hKFl
>Sathya Sai Speaks: Discourses by Sri Saqthya Sab Baba Sathya Sai Speaks: Discourses by Sri Sathya Sab Baba
>Sathya Sai Speaks: Discourses by Sri Sathya Sab Baba Sathya Sai Speaks: Discourses by Sri Sathya Sai Baba
333 :
330 :2013/01/30(水) 10:48:10.02 ID:gUY3hKFl
>>330 ブログの管理者とは無関係です。
最近検索していて見つけたブログの記事です。
>>330 別の道とは?
今だってその道を歩んでいるんじゃないの?
>>334 バクティ(信愛)の道の方がいいんじゃないかなって
>>325 を読んで感じました。理由は後付になるの書きません。
たしかにバクティのほうが、日常に生きる身としては向いてるかもね。 朝起きたとき、「ああ、これからいろいろな昼間の出来事がよみがえって来る」と 思うと、仕事しながら真我にとどまるとか難しい。 それに、いろいろな聖者がバクティのほうが易業とすすめてるしね。 アドヴァイタでにつまったときにラーマクリシュナ読むとホッとすることがある。
ラマナによれば動物でも悟れるらしいからな 多分才能ってのは悟りにもあって 天才的な人ってのはどの世界にも居るんだよな ラマナも家で寝てただけで悟ったらしいし 仏教でもカラスの鳴き声聞いて悟ったとか 竹のコーンと響く音聞いて悟ったとかの話が 嘘か本当かわからないが 間違いなく悟りの道筋に個人差は大きくあるぞ 才能無かったら自我を肥大させたり精神病が酷くなったり オームみたいな事件起こしたりろくなことにならないから 才能無いなと限界感じたら割り切って世俗に生きるのも一つの道だぞ 外国での小乗の僧に托鉢を与える一般大衆とかもそうだろ
動物でも悟れるなら何があってもほぼ悟れる運命なんだろうな 釈迦とかも天然で殆ど悟ってたんじゃないのかな? ラーマクリシュナも天然で意識失って トランス状態に入ってたりしてたらしいしな まあ才能ってのはあって当たり前だよな 足速い奴も頭良い奴も生まれつきに居るからな
個我(私)は実在じゃないよ、ってだけで充分かと。
どれだけ長くひとつのことを意識し続けてきたか? 悟りのほとんどの場合の才能はこれだろうな いきなり悟ったように見えるだけで
っていうか、悟りは前世の修練、環境は前世の功徳みたいな 話じゃなかったっけ。 山のような功徳を積み上げ、悟りへの渇望とか環境が生まれる。 そして修練についても、無駄じゃない。 おのおのがそれぞれの環境に応じてできることをやればいい。 グナによって選ぶヨーガも違ってくるだろうが。 才能とかなんとか、専門学校じゃないんだから、割り切るとか意味がわからない。 ラマナは悟りについて成長とかいう概念はそぐわないと言っていた。 真我は獲得するものじゃないからね。
344 :
神も仏も名無しさん :2013/01/30(水) 21:45:22.66 ID:mwH2ra8g
うむ、うむ。そんな感じだろうね。
resonanz360というブログにジョーン・トリフソンという人の文章の翻訳があるのだけど、これが実にいい マハルシとか読んでる人なら面白く読めると思う
悟る才能って概念が、悟りとの距離を作っているのかもな つまり、悟るには条件が必要だと思いこんでいると、 その条件探しや、条件を満たす行為を先に持ってきてしまって、 悟りに本当に必要なものに気がつけなくなる 例えるなら、眼鏡をかけながら眼鏡を探す感じか 眼鏡がテーブルに無いことに気がつくが、目が悪いから眼鏡をかけないと 眼鏡を探すことができないと、眼鏡をかけながら諦める
>>345 ほんと、私(個我)は実在じゃなかった、ってのは素晴らしい智慧だな。
つかオーム事件とか見ても才能無いのは駄目だと 思えないとかありえんのだがな 悟ってないのに悟ったと言い張るペテン師も それを真に受ける信者も実際才能無いよ ラマナは真我を実現した視点から話してるだけだろ 俺たちから見たら当然全てが等しいとかあるわけない 個人差や才能はあるに決まってるだろ
ラマナはスズメバチに刺されても はらったりしなかったらしいが 当然そういった高い精神性から話してるに決まってるだろ 金持ちのカーネギーが若い頃苦労したと言うのと 俺たちが苦労したと言うのはまるで重みが違うだろ 才能というのはようするにそういうことだよ
まあ理由づけとか理屈はともかく、悟りへの欲求を止めるのは悪くないよね。
悟れる人は悟れるだろうし、悟れない人は悟れないかもしれない 自分の未来のこと、自分が決めなくていいよ わからないことをわかると思うのは単なるエゴでしょ
>>348 才能じゃなくて、悟りに興味がないとか準備が整ってないだけ
エゴがまだ強く出ていると言うとわかりやすいか
それを個人差というのならその通りだけど、エゴなんて無いわけだから、個人差も有るように見えるけど無いものだよ
>>352 違う違う
ラマナみたいな悟り人から見たら夢の中でも
俺たちから見たらラマナとオームの人間はまるで違う
自他ある存在だし、実在の存在なんだから
個人差はあるに決まってるだろ
お金と石ころが別々に感じられないなら
それは俺たちにとっては姿ある別々の実在なんだよ
ラマナは悟りの見地から高みから話してるだけで 俺たちに=同じなわけ無いだろ? 基本的なことだぞ?これが多数意見とか大丈夫かこのスレは 怖いわお前らが
ラマナとかシャンカラってのは アドヴァイタの中でも純粋一元論者って言うか そういう部分は誤解されやすいっていうか 俺も詳しくは無いがインドでもそんな特別な存在だろ 悟ってない人が全てはブラフマンであるって言うのは筋違いなわけだな
>>355 おっしゃる通り、凡人がいくら考えてもそれは迷妄だよね。
357 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 13:42:31.33 ID:zK/D5uoZ
>ラマナによれば動物でも悟れるらしいからな バカは何でも信じられるんだね
>>345 自分もそこ見てる。
欧米のアドヴァイタ系の覚者の情報がいっぱい。
まだ日本に紹介されていない人がけっこういるんだなと思う。
覚者本人の許可を得て翻訳、ブログアップしてるよね。
訳もていねいでわかりやすいし、いつも更新を楽しみにしてる。
ぶっちゃけ才能無い奴は駄目だな 悟る運命にあるなら 石ころを水に落して広がる波紋を見ただけで全てを理解する 何事もどんな世界にも才能ある人間は居るよ
釈迦も葉で船を作って浮かべてみて その船が川の流れに逆らうのを見て私は悟れると確信したらしいと そんな伝説があるくらいだからな つまりはそういうことだな
>>335 バクティ?wiki見てみたけどよく分からないや。
絶対的帰依なんぞあり得ないんだけどな…もう少し分かりやすい解説ってないですか?
体験的には不二一元論がぴったりなんだけど、人間の生まれてくる目的なんて考えてると、結局は三次元の現象に還るというか。
上手く説明できなくてゴメン。
>>339 自分には全てのものが悟って見えたけど。
じゃあ悟ってないものは何なのかってね。
>>359 独り言ばっか言ってないで対話すればw
悟るタイミングなんか誰にも分からないよ。
1回だけだが、我在りを経験したことがある俺は、才能があって悟れるということなのだろうか
363 :
神も仏も名無しさん :2013/01/31(木) 20:27:43.36 ID:crcmzmY1
あるある、みんな才能あるよ。頑張れ。
つーかさ、ID:mrVtoFQIは不可知論者じゃなかったのw その割には「間違いなく」「決まってるだろ」「〜〜なんだよ」 が多いね。 まあ自称不可知論者なんて、あらかじめもってる自説を補強する為に 場面に応じて「不可知」と「可知」を使い分けてるだけで、しかもそれを自分で気づいてないだけなんだけどね。 不可知論という世界観を徹底させれば、オウムが間違っていたかすら不可知になるしね。 先ごろ「死ぬことが悲しいことかどうか不可知だろ、それは生きてる奴の決め付けだ」 とかのたまわってた奴がいたが、 それいったらオウムにポアされた人は、幸福だったかもしれないね。 って、これこそオウムの言い草だよね。 本当に不可知論者だったら、極力自説を持たなくなると思うんだけどね。 と、↑これも俺の本音かどうかは不可知だから突っ込まないでね。
にしても仏陀だイエスだカーネギーだととても安っぽいな 10代、20代前半ぐらいまでにありがちな精神だと本人分かってないんだろうね 単に自我が上目指してるだけ
>>364 そうだよ、俺は矛盾したことも平気で言うよ
この道を本気で目指すなら矛盾したことなんか当たり前だろ?
それくらい人間の能力を悟りは超えてるのを自覚してほしい
実は小難しい答えなんか俺は期待してない
今現在「私は在る」に気付けた者が悟りに一番近いように出来てるんだよな
否定はしつつも同時に認めてるのが悟りなんだよ
つか、お前らはよ悟れ 町内に一人は悟り人が居て俺は悪ガキでいいからさ こんな俺でもある程度はわかってるんだぜ? 情けないと思わないのか?お前ら 俺がダメだしするとかよっぽどだぞ
矛盾したことを同時に行うのは たとえば意識せず右足を前に出すのがそうだろ? 人体のメカニズムが恐ろしく複雑なのにも関わらず 我々はまるでその複雑さを意識してなく足を前に出す そういったことはよくある日常なんだよ人生には 神の奇跡は我々には計りしれないというわけだな
>この道を本気で目指すなら矛盾したことなんか当たり前だろ? いや。理論を超えた世界なら、矛盾に聴こえる話もある。 なぜならその世界は盾も矛もないから。 だが、君の場合はそれと違って、自我の論理の世界で相反する理論が二つあるだけ。 「道」を理由につごうのいいこというなって。 >実は小難しい答えなんか俺は期待してない オマイが一番頭でっかちだっつーの。 >俺がダメだしするとかよっぽどだぞ いや、ダメだしする権利なんかお前にないよ。
でもさ、キチガイばかりの覚醒スレ見てたら全部投げたしたくなったw もうやれる人がやればいいやって。 ホントにお任せするしかないんだな。
>>368 それのどこが矛盾なわけ。手続き記憶、エピソード記憶、短期記憶、長期記憶ってものが
脳の分担としてあってだな、いや、もう、君にはも
>>368 そういえば不思議だ。
それは自分の意思で足を出してると言えるんだろうか。
周り全ての意識がこちらを向いている。 体験としてこれはどういう事なのか分かる人いる? 分かる人いたら教えてほしい。
だから足を前に出すという行為は非常に思考回路としてはシンプルだろ そのことを意識すらしてなかったりするわけだ しかしその人体メカニズムそのものは 科学で解明出来ないくらい複雑なわけだ 我々が普段そのようなシンプルでありながらも 複雑な行為を同時に行ってるんだから そういった視点では何気ない行為が 矛盾してる行為といえないことも無いわけだな
俺があっちの世界に触れられたんだから、誰でも出来ると思うけどな 俺はラマナ関係の本は持って無くて、ちょっと立ち読みしただけだ だから理論関係はさっぱり 身体固くて座禅もくめねえw マントラってのは唱え続けるやつだってことくらいしかしらんけど、 マントラ唱えなくて触れられたんだから、あれいらんだろうと思うよ むしろ、自分が見たくない自分の中身をただ通り抜けていって真我に触れたほうが、 それらは本当には存在していないってことがわかると思うんだがな まあやり方は人それぞれか 図書カード消費のために対話を買おうかなと思ってるけど高いんだよなあ
じゃ、そのメカニズムを維持してるものは何なの?
>>376 触れられたってのは、どんなことですか?
考えたり感じたりしてる個我としての「私」が架空の存在だったって 気づいたら、それまで「俺の見方」「俺の感性」だったものが浮かび上がる たびに雲散霧消していく、ってか「俺」っていう変数が溶けてくような感じが してるわ。
>>379 あるかもしれない
でも「そういう風になった」だけなので、
それ以上奥を探ろうと思わなかった
思うこともできなかった気がする
持続時間1分だったし
>>380 一言でいえば、世界が自分から剥がれると同時に静寂がやってきて、何もかもが等価値でネガティブな意味を含まない無価値になる体験
そして自分がただ存在しているということがわかる体験
詳しく説明しようと思って長文書いたんだけど、
ただでさえ説明できないことを、悟ってないときに書くと先入観与えて混乱の元になるかもしれんのでやめておく
「私は在る」って言葉だが、表現としては適切だけど、どうしても今の状態で想起する「私は在る」に留まるから、
本当に「私は在る」状態を表現しきれてないと思う
だからってこれ以上、何を書いて表現できるものでもないのだけど
>>382 一応補足
思うこともできなかった気がする
ってのは、思考が可能な状態じゃなかった気がするってことであって、
持続時間が少なすぎて思考できなかったって意味じゃない
ただ持続時間が短いから、自分の状況を観察することはできなかった
そもそも観察しようとも思ってなかった気がする(自然とそのようになっただけだから)
でもそのときの感覚はいま、ある程度まで思い出せるから不思議だ
>>383 そうなんだね。
思考も感情も現れるんだけど、瞬時に何処かへ消え去ってしまう。
継続できない。
記憶しようという意志を働かせるのに一苦労だった気がする。
>>383 >>384 >>373 って分かる?
>>384 今の感覚とあのときの感覚は全然違う
そういう意味での区別はある
でも悟った悟ってないの区別は無いと思う
誰でも俺が触れた世界に触れることができるけど、
それをすると日常生活がおかしくなるみたいな理屈つけて無意識のロックをかけてるんじゃないだろうか
俺だって、あの状態が楽だってわかってるのに瞑想を日常的にやってない
どこかで悩みと苦しみにまみれた今の状態を望んでる気がする
みんな悟りに気がつかないように、その周りに価値があるように見える不要物を積み上げて見えなくしてるのでは
俺の体験が悟りに類するものかどうかはわからん
それは覚者に聞かんとあかん
持続してないんだから悟ってはいないだろうな
>>385 周り全ての意識がこっちに向くってのは人間物体関わらず全部の意識が向いてるってこと?
物が物として確立するというか、私はこういう物です!と主張するように存在感を増すという体験はあるけど、意識がこっちに向く体験はないな
そもそも、俺がそういう変な状態になるときは、自分の部屋で静かにしてるときだけ
>>385 >>373 ってのは行為者という能動性が抜けて完全に受身になった状態のことかな?
自己が静止して全てが向こうからやってくるみたいな
>>385 わかんない。やたらと明瞭?澄んだ眺望?みたいなのはある。
>>386 なるほど。
俺の場合はただ自分の属性をすべてとことん忘れてみようってところから始まって、
意識的にそうすることが多かったのが、最近はなんとなくそうなってる時が出来始めたかな。
でまあ、変数越しに見えてるもの感じてるものは、それはそれでいいや、しょうがないや、って
思うようになった。上の眺望?みたいなもんも変数越しだろうしねw
>>388 そうそう。そういう事なの?
自己が静止してたのか。
だから周りも静止してたんだ。
まるで全ての存在に一斉に挨拶されたような感じだったよ。
良かったら、もう少し解説してもらえるかな?
アレだな。
同じような体験しても、洞察力の有無で理解度が違うんだな。
>>390 同じかはわからないけど、知覚や認識は普段は自分が行っていて行為者になってる。
身体が対象を知覚、認識して、普段ならその反応を心が捉えているし、能動的に捉えようとしている。
普段気づいてないけど、心は無意識に、主体として、対象を知覚しよう、認識しようと、常に働いてるし。
でも、心の能動性が抜け落ちたり止まったりすると、対象と身体の反応だけが残ってる。
身体はただ対象を受け入れるだけで、自分は行為者ではなくただそれに気づいてる状態になってる。
だから、知覚や認識が向こうから来るような感覚になるんじゃないかな。
自我が抜けた(静止した)とも言えるし、行為者という主体を手放したとか、明け渡したとも言えるかも。
そういうのなら、同じ体験かもね。
392 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 08:04:19.79 ID:Z1Ol5SBa
ところで、アルナーチャラに行ったことある人いますか。山をあるいたら、こんな 経験したとかしりたいなあ。
>>377 だからそんな矛盾した行為は日常にはザラにあるんだよ
我々が本質は真我を実現しながらエゴの霧に苦しむような
足を出すのも意識はシンプルでありながら同時に体は複雑な働きもしてる
そんな矛盾したような状態に常にありながら
頭の中では一つの意見しか認めないんだよ
エゴが理解できないと悟りでは無いと
そんなことばかり常に言ってるわけだな
実際は無意識では誰もが真我を実現してるわけだから滑稽だよ
>>377 だからそのメカニズムを維持してる者こそ本当の自分で
誰なのか?と問う者はエゴのある偽りの自分になるわけだな
>>392 別に大した経験なんてない。
はっきり言って日本の山を歩いているのと変わらない。
幻想だ。霊山に行きたければ日本の霊山で修験道でもした方が体系が
整っているだろう。
self-enquiryだけでいいとラマナは言い、 グルを信頼しグルの言葉を疑わず 言われた通りにやったマハラジと違い、 ここは理屈ばかりだな。 グルにでもなったり、本を書く夢でもあるのかな? 概念のない世界に戻るのに概念は必要ないんじゃ?
>>395 メカニズムってのは変数の相互作用のことなんだろうね。何かが維持してるように見えても
絶えず変化してる。意思あるいは意図なんてのも空想の産物なんだろうか。
真我の顕れ=真我の意思 みたいな考えが以前はあったけどwww
だから「本当の自分」「偽りの自分」って想定はしなくなった。エゴなんてのも。
自分っていう概念が俺とは違うかもだけど。
目に見える触れることのできる世界には「個我の私」はいなくて 個我の私が居られるのは精神世界のみで 精神世界そのものはまったく非実在で ってすごくおもしろい。
>足を出すのも意識はシンプルでありながら同時に体は複雑な働きもしてる >そんな矛盾したような状態 それのどこが矛盾なの?矛盾て言葉の意味知ってる? 「意識がシンプルで体が複雑」って、ぜんぜん二律背反してないじゃん。知能的な意味でアホか。
矛盾なんていうのは、まだ概念の世界にいる証拠だよ。 「意識」と「体の動作」を二元的に概念で捉えてるから、比べる必要のない両者を くらべて一方がシンプルなのに一方は複雑!とかことさらに言う。 意識がシンプルなら、動作もシンプルじゃなきゃいけないのか? ちなみに、人間の小脳は、一般的に言う「意識」がなくても活動できるようになってる。 酔っ払っても家に帰れるのは、単にそういう仕組みなだけ。 矛盾でもなんでもなく、筋道だってそういうふうになってるの。 でも、頭でっかちな人は「意識は酔ってるのに体は家に帰れる矛盾!」とか言うんだろうな。
直覚的に捉えれば、矛盾という概念もなく、ただあるがままになる。
>>401 思うのだが何で悟りなんかこんな宗教的なことに興味あるんだ?
親が創価学会か何かで脅迫観念的に悟らないといけないとか
子供の時から刷り込まれて生きてきたのか?
それくらい妙な不自然さを感じるんだけどな
なに言ってんだかわかんないんだけど。
悟るってことに何故執着してるのか 客観的に目的が見えないってことだよ まあ、大なり小なり変わり者は多いよな
>>405 ああ、揚げ足とるなってことねw
スピ系は言葉の揚げ足とりに終始してる感じがあるわ。
>>405 それは君じゃないのw妄想で他者語られてもな。
十分あんたが悟りに執着してる理由も目的もみえないし、客観的に。
聴きたくも知りたくもないし、理由が必要なもんだとも思わないけどね。
悟りって、今世の苦しみを乗り越えたい、から始まると思う。そしてそれは金持ちになりたいだ又はなるべきだとかの価値観、 なんらかの信仰にしがみ付くものでもない。っていう認識から始まる。 それらは教育的なプログラミング条件付けによって定められる。しかし、疑問を感じる。なぜなら宗教そのものが分裂を生み出すからだ。 その信念の過程に疑問を感じる。「あなたは(私が)信じてる○○教か?」「いいえ!」と答えたと同時に 質問を投じたものに取って裁きが入る。「彼は本物を理解してない」「本物を理解しないと救われないよ、異色だよと。」自己欺瞞。 この辺はクリシュナムルティを読めば理解できると思う。
それであれこれスピ系の書籍を持つと納得できる。知性において‥。あるひとつの特別な有志による固定化、概念化された宗教ではなく、 自己の内側にそれがあるのではないか...。神という有神論的なものではなく、内在化した神ではないか? それなら分裂は生み出さないし、混乱葛藤はない。
内在化しか神とは、自己の中に有ってそれは又、他者にとっての内在化した神と一致する。
その時「私は私」、「他者にとっての私」と何ら剥離はなく、それ故、自他の二元性すら生み出さない。
「私は誰か?」知性で質問する、知性はエゴ。エゴはエゴに聞いたってループによるループ それよりはラメッシの「一日を振り返って行為者はいたか?選択できたか?」を、仮に「「‥いや、いなかった」って初めて自覚した瞬間に 根源から「それじゃ...その行為者はだれか?」って言う質問にたどり着く
「私はだれか?」 「自分はだれか?」
自分とはマーヤ
私は在る 私とはマーヤにすぎない これって 前者は裸の私(自分自身を認識できないけど在る状態) 後者は着飾っているほうの私(自分の思考を観察できる状態) ってことだよね?
>>415 そうだよね。ラマナのたとえで言えば前者はスクリーンで後者は映像ってことだよね。
>>401 ,407
仏教系か何かの人なのか?
悟りの解釈がアドヴァイタじゃないよ
創価学会だろうが小乗だろうが
仏教は仏教で専用スレとかあるからそちらでやってほしい
俺は別宗教は別宗教と割り切ってるからな
どんな信仰も他人の自由だからな
アドヴァイタは基本的には神秘主義だからな 奇跡を認めない哲学的な悟りとかはありえないわけだよ そのあたりの根本部分で相容れない者同士が 話なんかしても仕方ないだろ
ガンジス川の水を器に入れて その音を聞いてるだけで祈りの効果があるとかな インドというのはそんなのが常識で当たり前の文化なんだよ もちろんアドヴァイタも例外じゃないぞ それが理解出来ないなら去れよ
まあ、カテゴリー分けも必要だとは思うけど、 アドヴァイタとしては別のカテゴリーのものも何でも、分け隔てなく接していくのも、 いいんじゃないのかなとも思うよ
神秘主義の行き着く先は神秘の全否定ですから。 神秘主義が何かは知らないけど。
ラマナも神秘の全否定なんかしてないぞ 最高の神秘、奇跡、超能力は真我のことであると ちゃんと認めてるぞ ただ奇跡を求めるなら悟りは遠ざかると説明してただけだ
気のせいだろそれ
424 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 15:08:45.83 ID:2umK18no
>421 オマエ何が言いたい 論理が完全に破たんしているんだけど お花畑に住んでいるのか? 「神秘主義が何かは知らないけど。」 「神秘主義の行き着く先は神秘の全否定ですから。」
まあ、ラマナくらい偉大な聖者は仏教にも 無理やり取り入れたい気持ちはわからなくは無いわな 釈迦も元々はヒンズー教の前身のバラモン教の聖者だったのに いつのまにか仏教の開祖にされてるくらいだからな
釈迦はバラモン教をかなり否定してたからな まぁとは言っても仏教にもバラモン教の要素は入ってるんだけど
スピリチュアルなものがそれぞれ独立してるとは思わない。 一応アドヴァイタをベースにしつつ、それぞれ好きなように広げて話すりゃいいと思う。
>>391 詳しい説明ありがとう。良く分かったよ。
430 :
神も仏も名無しさん :2013/02/02(土) 16:41:17.13 ID:2umK18no
>426 ただ布教するための方便だろw 既存宗教であるバラモン教との違いをよく考えてみろよ
>>429 エゴや観念が無くなって、あらわれる状態は、なくなったエゴや観念によると思うよ。
「私」という根源的な観念が無くなれば、同じなんだろうけど、
そこまでいったらもう完全な悟りなんだろうし、
ふつうは、「私」という観念の上に生じてる枝葉的な観念が無くなる程度だと思う。
その人がどんな観念を持っていて、そこからどんな観念が消えたかは人それぞれだと思うし。
だから、生じる体験は共通する同じところもあるけど、違う部分もあるんじゃないかな。
挨拶されたように感じたって書いてあったけど、モノと人を分別する観念が消えたりしたのかもね。
みんな無意識のうちにモノと人は全く違うもので異なるものだという分別をして、
モノには表情や想いがなく挨拶しないとか、人には表情や想いがあり挨拶するみたいな観念を持ってるし、
その観念のせいで、モノに対しては距離を置いて冷静に見るし、
人に対してはそこにあらわれてる表情や想いを読み取ろうとするし、挨拶してくるんじゃないかとかまえてたり。
ふつうはそういう観念によって最初から全く別のアプローチで接してしまっていると思う。
その観念がなくなると、モノにも人にも同じスタンスになって、
存在してるものは存在してるだけでみな挨拶してきている、と思えたり、
人もモノもひとつひとつただそういうものとして、ある意味同じように見えたり、いろいろするかも。
その人のそのときの自我や観念の落ち具合によっていろいろな状態があるんじゃないかなと思うよ
私が在るというだけではまだ不十分に感じるんだよなあ 独立状態を保つのではなくて、私すらも全体に溶け、自他の区別がなくなるのが最終地点にして原初じゃないかと思う ラマナの本に個や他者について書いてあるかな?
つうか普通の生活してたら どうやったらこんなものを信じられるんだ? 晴れた日に散歩していて真我も何もないよなぁ、馬鹿らしいなぁと思う。 悟りを求めるのは病気なんだよ。 過去の自分を見てそう思う。
そう思うならまだその段階じゃないんだよ おれもその段階ではないけど でも本当はふつうの人間感覚こそが病気そのものなんだと思うぞ なんというかね、悟りではないけど普通でないモードに入ったことが 何度かあって、それでそう思うようになった
自分がどうして自分として生まれたのか 隣の山田君じゃなくて、なぜ自分なのかって10歳とかのときに考えたことがあるから たぶんこっちの世界に来るのは必然だったと思うわ いわゆるスピリチュアルは、自分の環境を使って魂を磨くという納得できる答えを提供してくれたけど、 その割にはハードモードな人生を選ぶ理由が非合理的で、問題解決より先延ばししているように思えて、スピリチュアルから離れてしまった 死んで全てわかるのに、生きてる状態で全てわからなくしてる理由がわからん
437 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 06:14:27.66 ID:d5/GwqOL
真我が何か、神が何かとかまるでわからなくても、この道に魅かれる人もいる。 なぜならば、それらは幸福の別名であると言われている。誰もが幸福を目指して いるから、彼らも神や真我を欲していると言える。 また、聖者の人生、言葉に惹かれる人もいる。彼らの存在が我々が未だ知らない 真理の存在をおぼろげでも指示してくれる。 不可思議なものを無批判に信じ込む者ばかりが魅かれるのではない。
438 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 07:38:53.23 ID:3D0fmXbB
目糞鼻糞
439 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 08:07:39.10 ID:d5/GwqOL
皆が幸福を様々な形で目指している。そういう意味では、みんな芽句素花句楚(笑)。
私は在った それは確認した ではあなた達はどこにいるのか? あなた達も居るのか、それともあなた達は居ないのか どちらにしろ、あなた達のように見える身体が操り人形のようなものなら、 私の身体だって同じく操り人形のようなものではないか いったい、誰が何のために操っているのか なんてことを考えました もう一回、私は在る状態にならないと、他人を見てどうなのかってのはわからんから、考えても意味無いかもしれないが
>>440 >考えても意味無いかもしれないが
目覚めてから、覚えていれば、あるいはまだ興味があれば、
そのときに考えればいいんじゃないのかな?
「私は在る」というのがラマナの言うI-thoughtないし
"the feeling of "I""だとすると、the Selfに安住すると
"I"もろとも消えるものなのでは?
>操り人形
概念を超えた世界は、方便ではなく、概念を超え
体験あるいは存在しないとわからないのでは?
>>441 目覚めたら興味なくなるんだろうなあw
で、またいまの私に戻ったら興味が出てくる
戻らないようにしたいんだけどね
戻ってしまうということは根が絶たれてないんだろうね 余計なものが何もない状態に思えても、それでもそこにもまた私を生み出すものがまだあるんだろう 最終的には「私はある」ということも消えるというしね
まあ、みんななんだかんだいって、マーヤーが好きなんだよ。 熱烈に愛しているのかもしれない。 悟りを指向している、これが前世からの功徳といえばかっこいいけど そんなもん他の誰かが会社での出世や好きな女性と家庭をつくるのとおなじ熱意。 悟りへの情熱は別のものへの情熱と違うとよくいうけど、 ほんとに悟りへの情熱なのか、それともアドヴァイタへの情熱なのか。 2ちゃんで議論することへの情熱なのかもしれない。
この世界を捨てられるかっていう問いに本気でYesって答えられない自分がいることには気づいてる Steamで買った20本の積みゲーが真っ先に思い浮かぶw
446 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 16:38:12.00 ID:W0BCGqfi
目先の快楽ばかり追及しているようで気持ち悪いんですけど 品がいい言葉づかいだけど結局自分のことばかりですね 今回の人生は残念ながら○○は無理ですね
マーヤー愛するならラーマ・クリシュナみたいなのが最高だよな 秋葉オタクがアニメキャラ愛するように愛したのが たまたま女神で悟れたわけだからな 仕事でも何でも自分が一番やりたいことやって 充実した人生送れるのは最強だよ ようするに川の流れに逆らわない生き方ってやつだよな
ヒットラーとかも実際ある種の才能はあったんだよな その才能が悪いほうに向かったら悪になるわけで ある意味で人生は人知を超えた運みたいなものはある というのは否定できないよな 運が川の大きな流れといえばそうなのだろうが
この世は夢だから運とか不完全なことで 人生が翻弄されるような事態が起こるのだろうな 寝てる間に見てる夢がいい加減だからその延長なんだろう
人間に、いろいろ出来事が起こるのはなぜだろう。 修行したって、津波がくれば終わりだしね。
>>451 ホント何でだろうね。
一つ言えるのは、死を意識すると生が活きてくるってこと。
>>432 モノと人との観念が消えたというより、存在はただ在りそれでしかなく意識でできている、そう感じただけ。
でも全ての意識は自分に向かっていた。
見るものは見られるものって、こういう事なのかな。
というか、死後の生の連続ってあるのだろうか? 来世でもいいんだけどそういうもの信じてない人いる?解脱までは輪廻はあるというけどね。 インドのカーストの女の子なんか、一日15時間労働で激貧みたいな、 うまれつきどうあがいても修行する時間もないような人もいる。 もしも来世もないんだったら、苦しいだけの人生が死ぬまで続いてぱったり終わりなのかね。 自殺もあってことになるだろうし。 宗教的な修行にしろ、運良く悟りを開くことができたらいいけど、出来なきゃ無駄、ほかのことしてたほうがいい ってことになるしね。たとえば、少しでも享楽的で刹那的な苦しみのない人生をえらぶとか、 他人の苦しみを緩和できるようなとか。 俺は、来世を信じてるから今生の修行も無駄ではないと思ってるけど・・・。 まあ確信のもてるもんでもないからね。とりあえず聖者が、個人が悟りをひらくことが 他者へ利する行為だといってるから、やる気もわくけどね。
>>451 宇宙は人間を中心に回っているわけではないので
考えてもだれも答えは出せないのでは?
地球に何かあれば人類も多くの他の生物も
地球と運命を共にする。
過去や未来に寄り道をせず「今、ここ」
というのが一番確かな寄る辺では?
時間は命とも神とも言われてるしね。
見えるもの感じるもの、もちろん思考や感情についても ただそこで起こってるってだけなんじゃないかなと思うわ。
>>454 現象世界での因果律はラメッシやマハラジは認めているけど、
転生は認めてないよね。
過去世の善行や修行に関して
サイババやラマナの発言にはそれに言及したものが出てくる。
心霊現象に関しては皆さんのご存知な通り、存在する。
>>452 「夜と霧」の中で、死を目前とした収容者の女性が、
さとりを開くようなシーンがあった。
>>427 の答えにもなるかも。
「私をこんなひどい目に遭わしてくれた運命に対して私は感謝していますわ。」
と言葉どおりに彼女は私に言った。
「なぜかと言いますと、以前のブルジョア的生活で私は甘やかされてい
ましたし、本当に真剣に精神的な望みを追っていなかったからですの。」
その最後の日に彼女は全く内面の世界へと向いていた。
「あそこにある樹は一人ぽっち の私のただ一つのお友達ですの。」 と彼女は言い、バラックの窓の外を指した。 外では一本のカスタニエンの樹が丁度花盛りであった。 病人の寝台の所に屈んで外を見るとバラックの病舎の小さな窓を通して丁度二つの蝋燭のような花をつ けた一本の緑の枝を見ることができた。 「この樹とよくお話しますの。」 と彼女は言った。私は一寸まごついて彼女の言葉の意味が判らなかった。彼女は譫妄状 態で幻覚を起こしているだろうか?不思議に思って私は彼女に訊いた。 「樹はあなたに何か返事をしましたか? -しましたって!-では何て樹は言ったのですか?」 彼女は答えた。 「あの樹はこう申しましたの。私はここにいる-私は-ここに-いる。私はいるのだ。永遠のいのちだ。」
>>457 >心霊現象に関しては皆さんのご存知な通り、存在する。
全然知らないwwサーセンwwww
てか、その手のことに煩わされたことはないな。
ラマナいわく真我以外に本当の真実は無いらしいな キリスト教の奇跡に何十億人も振り回されてるし 地震とか天災も同じようなマーヤーらしい 奇跡も地震も本質には神に意思なんかなく 我々に自我というエゴがあるから そのようなマーヤーが生じてるらしいな
まあ、こうコピペしながらも、では悟りを開けないまま 苦痛と恐怖のまま亡くなった数百万の他の人たちの死は、どんな意味かなと 思わなくはない。 来世とかないんだったら、収容所に入った瞬間に自殺ってのもありってことになる。 たしかラーマクリシュナの本では自殺した魂は不幸なところに行くみたいに描いてあったけど・・・ 宗教で自殺が推奨されないのは何故なんだろうね。
>>460 身近なところをあげれば、
お盆で一族が仏壇の前に集まっているところで
ろうそくの炎が激しく揺れるはじめると、
おばあちゃんが「誰か来る」と言って程なく
玄関がガラガラと開く音がして親戚のものが入ってくる。
転生がないってのは真我は不変で変わらないって意味でさ 個我としての転生は認めてると思うよ それぞれの真の主体は真我だから転生はないって意味で、 みんなが思ってる自分という存在は悟って解脱しない限り、 未練や執着に見合った場所に何度も転生を繰りかえすでしょ ラーマクリシュナの魂というのもそういう意味かと
真我以外は実際デタラメらしいぞ だもんで世の中には 殺人鬼がいきなり釈迦と会って救われることもあるし 優れたアインシュタインみたいな科学者の知識が 戦争に使われたりの理不尽がだから起こる だからアドヴァイタってのは不二一元しか認めないって 信仰告白してるんだと思うな
ヒットラーも現代日本なら優れた実業家になってたかも知れないしな そのように同じような才能を発揮してもこの世は マーヤーによって生じたデタラメだからそのような理不尽は起こる ラマナでさえ癌におかされて死んでるからな だからこそ真我以外に真実はないっていうわけだな
聖者はカルマの精算で癌になりやすいってどっかの本に書いてあった気がする 弟子のカルマを肩代わりして癌になるとかって話もあった気がするな 聖者でもなんでもない人が癌になる理由にも触れられてた気がする
しかし我々のような一般人には 癌によって苦しんだ事実しか目に写らないわけだからな やっぱ真我以外は結局は幻でデタラメなんだろなあって気はするよ
いろいろ思うことはあるけど、真我の元では己のみがあるってのが答えで、それで回答終了になるな それ以外のことは、世界をこねくり回すいつも通りの作業 パン生地こねまわしながら、どういう味のパンが出来るか想像するより、さっさと焼いてしまった方が味がわかる ちょっと例えが変か?
>>463 感傷的な感じ?ならあるわ。
>>464 システム的に個我の転生があるかどうか、っていう物語を膨らませる
のは確かに楽しいな。
実際は考えること自体が幻なんだろうよ 生物の歴史でも人間みたいに記憶とか思考とかしてる期間は短いしな 病気になるから善とか悪とか人にとっては一大事だが 奇跡的に病気治っても神の意思とか そんな深いテーマは人が感じてるほどにはないってことだな 俺たちも悟らない限りプランクトンみたいなもんだからな
>>470 感傷でなく実際の出来事。
そこに書いたのは日常に近いもので体験者も少なくないと思う。
一人でも集団でも。
>>472 蝋燭が変な風に燃えるとか、一気に燃えてすぐになくなるとか、炎が真横に燃え上がるとか、怪談でたまに聞くわ
あと線香の煙とか線香の臭いや生前の香り(香水?)がするってのも
生臭い臭いがするのは危ない霊らしい
俺はそういうの全く経験がないんだが、逆に経験していたら、
見えない幻に興味を抱いてしまって、真我探求のほうにはいかなかった可能性がある
いわゆる霊能力とかスピリチュアルで言われてることと、アドヴァイタで言われてることはかなり食い違いがあるから
>472 そういうのはあるんだよな。でも解らない人は分からない。 アホは数学が解らんが、解る人からすると何故解らんのかわからん。それと同じことか もしれん。 知り合いの社長はそういう類のアフォなんだが、営業のセンスは抜群で対抗見積を チラッと見ただけで、記憶していたりする。
>>455 やっぱり意味付けが欲しいんだよ。
なぜだろうね。
>>458 >>427 も自分だったw
リンク先にあった「私が私で在る事を無条件で楽しむ」という一文。
この先に創造というものがあり、その為に生きている。
って、自分の中で繋がった気がしたんだ。
前におかしくなった時のシチュエーション思い出してた。
ある時、個の自分でいることがたまらなく嬉しくなって、自分の存在そのものが世界に溶け込んだ感覚があった。
ずっと、宇宙で自分だけが異邦人のように感じてたから、世界の一部になれたってのがただもう幸せで。
幸せ過ぎて「これ以上何もいらん」と全部手放してしまった。
ここからおかしくなった。
これって、私が私で在る事を受け入れたってこと。
個を抱きしめる事は同時に手放す事でもあるんだなと。
>>458 死と向き合うって、壮絶な生のエネルギーが必要そうだ。
人間みんな死ぬって頭じゃ分かってるつもりだけど、なぜか自分だけは死なないとも思ってるw
自分も何度も身近な人の死に立ち会ってはいるけど「死ぬ」ってピンと来ないんだよね。
唯一死を感じたのは、東北の震災だな。
真我が宇宙だとしたら広大な宇宙から見たら 小さな人間の運命もプランクトンも似た小さな存在だからな 仮に人間より高等な生物が宇宙のどこかに居て地球攻めてきたとして 高等な生物が人間を食料にしたとしてだ 運良く人間の食料檻から奇跡的に逃げられても そこに神の意思だとか特別に選ばれたとか考えるなら 馬鹿げてるからな そもそもそこまで救われて特別なら 最初から人間なわけじゃないじゃんと だもんで人間もプランクトンも 宇宙という真我から見たらそんなに変わらないわけだな エゴがあるから勝手に特別だとか思ってるだけ
>>477 けっきょくは、その感覚を求めて、その代替物として現世的利益を求めるんだろうね。
プンジャジの本に、「王座につけば全てを手に入れられるのに、人は王座への
途中の歓待に気を取られ、なかなか王座に向かおうとしない」という趣向のことが書いてあった。
宮澤賢治のこの詩を前にも引用したような気がするけど・・・。
この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて じぶんとひとと万象といつしよに
至上福祉にいたらうとする それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
そしてどこまでもその方向では 決して求め得られないその恋愛の本質的な部分を
むりにもごまかし求め得ようとする この傾向を性慾といふ
>>479 ちょっと考えすぎなような気がする。
>>480 いや考えすぎじゃないよ
キリスト教社会では地球を中心に宇宙は回ってるとか
真面目に信じていたが
科学が発達して人間は広大な宇宙から見たら
小さな存在だと気付いてるからな
多少なりとも真我を知ってる者から見たら人間もプランクトンも
そんなには違わないと感じるのは真実だよ
霊的なことはスレ違いだし、アドヴァイタとは関係のない気がするけど、 閑話休題ということで書くと、 やはり俺の知り合いでも霊が見えるひとが三人いた。 ひとりは、子供の頃からガンガン見えてたけど、大人になってもう見えない。 でも額の中心で感じることはできると。 あと、オーラは今でもよく見える。はっきりと。 本人は、だれでもなんども霊は見てるはず、と言ってた。 ただ、そういうのは、人間の感覚の有限性を語っているだけであって、 世界は人間の認知力では確認できないものが多いということを示しているに過ぎない。 コウモリが超音波で対象を認識してるのと同じだね。デンパと同じで、 人間の認識を超えた世界が、今いる世界と重なっているということでしょう。 だから、まあ、体質的にそういうものが見える、感じるというのと、 宗教的な悟りとは関係がない気がする。修行の過程でそういうのが認知できるパラダイムが 身につくこともあるだろうし、修行によって即物的、唯物的な価値観が揺らいできたら、 そうしたものが身近になるんだろうね。死を意識した場所ではシンクロニシティーも多い。 個人的には、別にそれに特別の価値を置かなければ、忌避する話題でもないと思う。 さりとて、深くのめりこむ話題でもない。
>>481 じゃあその調子でずっと頭使うといいですよ。
人間もプランクトンも地球という非常に有限な状態でしか生きられない 器の小さい状態であることには変わりないよ 真我というのは対して非常に大きい
というか、あなたのレス読んででてくる「デタラメ」「理不尽」が、 別にふつうにデタラメとも理不尽ともおもわないんだよなぁ・・・。 アインシュタインの発明を優れていると思うのも、そもそもあなたの定義だし、 それが戦争に使われているのを理不尽だと思うのもあなたの定義でしょ。 板切れを、農作業に使ったら正当、武器に使ったら理不尽、なんて いちいち考えないでしょ。ただの板切れですよ。 もともと俺は、別にプランクトンも人間も本質的に違ってるとか思ったことはないからなぁ。 単に立場の関係で人間に利する生き方してるわけであるけれども。 それが本質的に違っているみたいな発想自体、あなたの定義でしょ。
>>482 幽霊見える奴ってセコくないか?
あいつらはセコいよ
確かに特殊な能力はあるのだろうが
あいつらの生き様は認めることはないな
俺も大なり小なり霊と関わってきたから本当にそう感じるわ
あいつらの見て見ないふりは半端ないよな
殺されて成仏できないとかの霊は可哀相だったな 何であんなに理不尽なんだろうな だからこそ生きてる今学べる真我こそ最高の成仏なんだと俺は思うよ 理解されないしスルーされても俺はそう訴えるしそう思うな
>>480 何かを求めて止まない、その根本にあるのはやっぱり分離感かねぇ。
ここで真理を求める動機が色々書かれてたの見て、何を綺麗ごと言ってんだよwと思ったけど、どんな理由であれ突き詰めれば同じ「恐れ」なのかもしんない。
>>485 それは知らないだけだよ
この世界はそんな信じられない理不尽さでカルマになる
本当に自由なのは真我だけだな
>>479 どれも宇宙の歯車の一つに過ぎないんだね。各々が創造性を持った。
でもさ、せめて役割ぐらいは把握したいよw
スマホだといちいちID変わっちゃうの?
>>490 役割なんかないよ
真我を実現すればいきなり救われる
世界の本質にはそんなキチンとした法則なんかない
夜寝ていた間に見る夢なんかにキチンとした法則なんかあるわけないだろ? この世界もその延長だよ、真我以外に真実は無いよ
>>488 >ガラスは対象物を反映できない。ただガラス板が不透明な裏地をつけることによってのみ
>対象物を反映することができる。
>同じように、純粋意識は対象物を含むことも、映し出すこともない。
>ただ心という限られた鏡面においてのみ世界を映し出す。
心が映し出してるのは、様々な多くの人々・物事によってさんざんに塗り重ねられた落書きなんだろうと思った。
だからその動機ってのも単なる落書きの反映であって、もともと「私」の定義なんて見える範囲だけ切り取られた
落書きの一部に過ぎないんだろうな。
>>487 この話の続きだが霊が成仏できないのは自分で勝手に
悪い夢の主役と決め付けてるから成仏できないのは
間違いないのだろうが
それは生きてる我々も身体を自分と思い込むのと
同じなんだろうが
しかしショックなのは我々も死んだら悟れるとか見解が
楽観的な人間がスレにも多いと思うが
霊は人間みたいに思考や記憶をつかさどる脳が無いわけで
その状態で我々より更に悪い状態で死にきれないのに加えて
その霊が出る場所を心霊スポットとか世間では冷やかし半分なのも
酷い話だなあと思ったな
成仏できるように般若心経くらい唱えてあげるのが人間だとは思うよ
まあ俺もその場所は怖いというのは若干あるけどな
霊は女でレイプされ殺されて成仏できないってのがなんとまた
人間の常識から考えたら本当に理不尽だわな
何であんなことが起こるのだろうか?
真我達成の重要性というものを実に考えさせられてしまう出来事だった
あの辺りを大きく工事して変えてしまえば
きっかけ無くなって完全に成仏できるのだろうかな?
わけ分からんわ、仮に生きてても精神病なんだろうが
それが霊なんだから尚更わからん
摩訶不思議なことは世の中あるよな
アドヴァイタでは全て幻で終わるのだが
幻によって自分で自分を殺してるってやつだよな
成仏してその先で良くなるとかの概念もよくわからないしな やはり真我達成以外に救いの確信なんかないよな 生きてる今に救われるほうが実感しやすいだろうからなあ 霊の話とか好きなのが多いからわかる人スレに居るのかとしたわけだが
人間もプランクトンも宇宙から見たら 同じくゴミのような小さい存在だが それでも今の状況は割と救われてるんだよな 身体あるから考えを整理できたり 景色見て癒されたりできるからな 我々より下には動物とか成仏してない霊とか居るからな 身体ある今ってのは痛みはあるが そんなに悪いことばかりじゃないんだよな
499 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 18:26:34.41 ID:xipzViR+
ばかか
ぶっちゃけ今の状況はカルマ的にマシなほうだな 現世は救われてると言ってもまあ言い過ぎじゃないかも知れない 宇宙から見たら我々はゴミみたいなものだが下には下がいっぱい居るよ
プランクトンと人間は同じと言ってた人が、 上とか下とかゴミとかマシとかこだわってますなぁ。 宇宙から見たら上も下もなくゴミもマシもないんだよ。
そうだよ宇宙と等しい真我だけが真実だよ 我々の世界は通り魔に刺されても相手憎むなら悪になる そのようなとんでもないデタラメだから困る
真我体験だけはあまり口にしないほうがいいかもよ 霊とかの話もあまりしないほうがいいのは そんな話は悟りから遠ざかる
勝手に書き込んでしまった オカルトな話は悟りから遠ざかるらしいのは なんとなくわかる マーヤーはマーヤーでも科学的に まったくわかってないような話だから無理ないな 真我体験や奇跡も似たようなもんかもな
流れと関係ないけど、和平氏にはなんかもう愛想尽きた…。 数年間通ったけど結局何も変わらなかった。 勉強会や修道会にはもう二度と行くことはないと思う。 相性ってのがあるんだろうけど、自分の先生を見つけ出すというのは それだけで一生かけた大仕事なのかもしれないね。
>>412 訂正
ですから、ラマナ・マハルシは、真我の覚醒は最も簡単なことだと言っているのです。
それから彼は、たくさん修行しなければならない、とも言っています。何を修行するのでしょうか?
自分自身に、「私とは誰か?」を問うことです。私が言いたいのは、「私とは誰か?」とい問いは、
この分析のサーダナから生じるということです。
あなたが来る日も来る日も、繰り返し、何ごとも「自分の」行為ではないという核心に戻るなら、
そのとき、その質問がただわきおこります。「あなた」、エゴが、その質問をするのではありません。
質問は、自分の存在の深みからやってきます――――――もし「私」がおこなう行為が何もないとすれば、
この「自分」とは誰だろうか?そのようにラマナ・マハルシの質問は、理論が実践になり、行為が「自分の」
行為ではないとあなたが気づくときにだけわき起こるのです。
見るものは見られるものっていうのは、程度もあると思うけど、 あるがままとか、純粋知覚もたしかに見るものは見られるものと言えるけど、 ちゃんとした意味では主客が完全になくなる状態なんじゃないのかね 見ているという状態があるときは、まだ途中の段階だと思うんだけど
真我だけが絶対実在であるは 人間の常識と違いすぎるから困る 真我にあり気付かなく意識しなければ 車を運転して轢き逃げしても罪にならないが 轢き逃げされた相手が憎み恨むなら罪になるのが 霊の世界だからな 神は地震を起こしても真我にあるから何の罪もないもんな 天災を恨むほうが悪で罪なわけだ、悟ってないほうが悪い 悟ってなかったら虫けらだから早く悟ろう
まあ、完全な悟りまでは人間じゃ辛いだろな とりあえず客体と主体はあっても この世から脱出できたらそれでいいや 浅い悟りでも神と融合して爪の垢だとしてもだ 惨めな人間よりは遥かにマシだな
俺は真我の凄いところは 人間の五感ではありえない生命力だと思うのだがな しかしアートマンがグルだというのも事実なんだよな まったく別々に感じられるのだが 等しい存在という無分別だけはまるでわからん たぶん一生わからないと思うからブラフマンはやっぱり凄いよ 人間の比ではない 宇宙の神秘だな
ラマナって全てが真我であるとか言った割には アルナーチャラから一生出なかったよな 俺も聖書からは神々しい気を感じるが ラマナの本からはそんな気は正直感じない 全ては無分別ってのは事実ではあるが ラマナみたいな聖者ですら気の流れってのは 正直あったんだろな
>>506 どこで自分の師だ!と判断できるもんなんでしょうか。
何か結果を出せた時?
師を求めることは外に求める事だと思いこんで避けてたわ。
>>508 見るものは見られるものについて、もう少し具体的に説明してください。
もちろん経験に依るものです。
人間の価値観なら宇宙くらい大きいのは非常に凄いだが 悟り人から言わせたら原子より小さいのも充分凄いらしいな まるでわからん、無分別は遠いわ
>>504 霊の話してるのって君一人だけだよw
>>495 2chでも希にだけど、そんなガラスを感じさせる人がいるんだよね。
至って普通の会話なんだけど、その人の心に何も映り込んでないような感じを受ける。
その人自身が瞑想そのもののような。
518 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 23:06:10.02 ID:Ug3nXYGo
書物もしっかり読み込んでいないバカ野郎とが集っているスレはここでつか????
>>514 経験に拠るものだと、自分と対象のどっちがどっちだかわからなくなるよね
目で対象は見えてるけど、実感はどっちが自分なのかわからない
目で見えてるからあれが対象で、見ている目のあるこっちが自分なのかと推測できるだけ
実感はさっぱりわからない
でも、意識の上ではそうだけど、目で対象は見えてるから物理的には主客が残ってるし、
経験したのは程度
視点が自分の肉体上にあるしね
ただ、覚者の話なんかだと、視覚も対象の視点になったり、自分が存在してる場所も
対象側になるみたいな話を聞くから、そこまでならないと、まだ過程に過ぎないんだろうなって話です
>>517 それでも霊みたいなオカルト話はある程度は避けて通れないだろ?
そんなのがまるでわからないのに
悟ったとか無分別はありえないと思うのだが
>>519 witnessedもwitness(目撃者)もいなくて
witnessingしか存在しないとか言う人もいるね。
>>521 >witnessed
目撃されるもの(the witnessed):対象物
個我から対象を見る【 】 わたし→【(こわい)→おばけ】 見るものは見られるもの (わたし)←こわい→(おばけ) わたし→ (こわい)→ おばけ ↑ ↑ ↑ いない ヴァーサナ いない ↓ ↓ ↓ (わたし)←こわい→(おばけ) ↓ ↓ ↓ ( 真我 )
お化けの話もわからない奴等が悟るとか絶対無いっての 算数がわからないのに高等数学が理解できるとか絶対ない あえてラマナみたいに知ってて語らないとかならわかる
まあいいんじゃないの? サクッと悟って救われたとか仲良しゴッコやってれば? 実は中身はスカスカだから内心はビビってるのだろうが 面倒だから何も言わないだけだ
何と戦っているのやら。
嘘はどうやってもばれるからな この道をまがりなりにも選んだなら 多くは語らなくてもいいから事実だけを語ってほしいわ 他人に認められるのが悟りと勘違いしてるなら困るな 理解が足りず、わかってないでやってるなら仕方ないのだが それは天然だからな
>>517 見るとかわかるとかってのは、無造作に書き殴られた落書きの中から、何かそれっぽいものを
見出すような、壁のシミをあえて人の顔だと認識するような感じなのかな、と思った。
>>528 あくまで自分の感覚の話しただけだよ。
そんな事言ってたら何も書けんわ。
でもガラスみたいになりたいなぁ。
>>529 幽霊の正体見たり枯尾花、ってことだよ。
スレ的には蛇とロープかな。
嘘は絶対わかるからな いくら知ったかしても 1足す1は3とか一回口にしただけで コイツはアホじゃないか?と解ってたら誰でも疑うだろ? そのようにたった一言のことでもボロが出るってわけだな 本の知識だけでは書いてない わからないことは世の中には非常に多くあるぞ
なるほど。 被害妄想と自我肥大はセットというわけか。
例えば
>>463 の人とかな
同じ体験をした者でしかわからないリアリティってのが
短いたったあれだけの文章でも現れるわけだよ
似たようなことを書いてもやっぱ嘘はバレるんだよな
あなたとわたしが違う世界に住んでるわけじゃないからさ
そんなのは本の知識では学べないってわけだよ
>>536 会話するならアンカーつければ?
ずっと誰と話してんの?
>>536 言いたいことは分かるけど、それがどうしたの?
わからないならいいけどさ 自分が救われたいからこんなことに興味持ってるんだよな? それなら最低限のモラルくらい守ろうぜ まあ、わからないなら仕方ないんだけどな
>>539 書き込みが、そうやっていちいち独り善がりなんだよね。
霊の存在を誰も否定はしてないよね。 ただ、このスレでそんな話されても誰も聞きたくないと思うわ。
>>539 でも霊には興味ない。
あ、経験はあるから信じてるよ?
でも別スレでどうぞ。
いい加減空気読みましょ。
悟りは特別な状態だと思ってる気がする あれは、在るものに対して気がついたってだけであって、スーパーマンになるようなものじゃない 夢の中で夢であることに気がついても、スーパーマンにはならない ただ世界がそれまでとは違って見える
少し黙ったらいいんじゃない?
545 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 13:46:45.21 ID:zG0yf2gM
このスレはガイキチの巣窟ですね
546 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 14:04:44.17 ID:zG0yf2gM
ねぇねぇ、スレから出てけって言われて
今どんな気持ち?
∩___∩ ∩___∩
♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶|
/ (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 今、どんな気持ち?
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ソ トントン ソ トントン
このスレでAAって珍しいな
でもそういう煽りはいらんよ
たとえ御利益信仰でも、まともな教えの宗教(生き方の教え)を 経由していれば、けもの霊の霊障と言わないまでも、 匿名掲示板とはいえ、潜在意識や魂への影響、運気を考え、 ひかえるべきことはひかえると思うんだが。
550 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 15:07:52.79 ID:zG0yf2gM
またキチか
>>550 言霊的にも悪いよ。
自分はあなたがこれ以上悪化しないように仕方なく書いたが。
>>546 でっちでもいいよ
釈迦でさえ一緒に真理を
かなりのレベルまで探求してた仲間と
いったんは決別したくらいだからな
俺たちは別に仲良しクラブじゃないんだからさ
ただペテン師率って実際高いよな
2ちゃんスレでもそうだし
インドのそれなりの有名人でも居るしな
2ちゃんはだからいいわ、スレ見なかったら関係無いからな
正直リアルではまったく関わりたくないね
何でそこに釈迦とかインドの有名人とか出すかな。 少しズレてんだよね。
>>549 そういうのとも違うだろ
何でもない一言でも知ってなきゃ
ここで語るわけがないって一言があるんだよ
ペテン師にはそれが何なのか違いがわからないってわけさ
でもいいんじゃないか?
スレ的には騙す側と騙される側の
主体も客体も無いのがゴールらしいから
それはそれで真理の言葉ではある
そりゃ誰でも東大でたら将来は約束されるとか
極端なことは言えるからな
それはそれで正しいよ
>>554 なんか勘違いしてない?
上からの流れで書いたからアンカつけなかったけど。
だから誰にでも等しく死は訪れる そういった極端なこと言ってるなら正しいよ 勘違いも何もない オームの浅原だろうがラマナだろうが等しくブラフマンである
生とは救いを求める物語で、その物語には霊とか神秘とかそういった
サブストーリーが不可欠で、サブストーリーには落とし穴イベントがあって、
ここのスレで目にする言葉は落とし穴のフラグだから注意しなさい、っていう
主張ですか
>>556 の言いたいことは?
それか、「おまえら落とし穴に嵌ってんよバカが」ってことでしょうか?
>>534 >そんな事言ってたら何も書けんわ。
これの意味がわからなかったから。
議論はいいと思うけど、そこに相手への尊重と愛情があるかどうかは大事だと思う 自分の意見を言いたいだけなら、それは単なる個我だし、 自分と異なる意見を持つ相手にも真我を見ようとしながら話すならそれは探求の道
560 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 17:22:15.86 ID:zG0yf2gM
↑(翻訳)自分は偉いが他人はみんなバカ
>>557 まあ極端な話でラマナとオームの浅原を
家族や他人を明らかに区別してるのに
全てはブラフマンであるとか言ってたらおかしいだろ?
ってことだな
悟ってないのにそういう嘘はやめいってことだよ
>>560 俺が訳した英文みたいでなんかワロタわ
よくわかんねから、とりあえず単語から推測してこんな感じだろって訳すんだけど
真逆の意味になってたりする
意識が高められる、あるいは神に触れるその瞬間のためにエネルギーはムダに使うべきではないそうだ そのときにエネルギーが消耗していては、チャンスを逃してしまうことになる
エネルギーを蓄えるためには何を喰えば良いんでしょうか 肉は要りますか?餅はどうですか?おしえてください
>>561 なるほどね。
前にどこぞのブログで、全て等価値というなら、目の前で溺れるワンコと自分の子供どちらかしか助けられない場合、ワンコという選択肢はあるのか?と書いてあったの思い出した。
それは子供になるだろうな でも実際にそのときになってみないとわからんね 自分が死んでも両方助けようとするか、あるいは自分が死にそうだから両方助けないってことも有り得るわけだ 仮定を持ち出して色々考えるのは、なんというか思考が仕掛ける罠のような感じがする
>>561 働く意識のスイッチをOFFにしちゃったら違いもへったくれもないよね、
ってことかと。熟睡中の事は何も覚えてないし。
起きてる最中はスイッチOFFにすることはできないけど、ONかOFFかは
わかるんじゃないかな。
全て等価値というなら、溺れてるウンコと溺れてる子供は等価値になるけど、子供を助けるよな それはたぶん、ウンコは溺れる運命にあったんだと思う
>>561 どれを指して言ってるかは分からないが、悪意のある嘘じゃなくて、その人の現時点での認識なんだよ。
プロセスの途中なんだ。
無知だと言うなら、分かる君が教えあげたらいい。
知恵はある方から無い方へ流れるべきだ。
570 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 19:53:49.70 ID:zG0yf2gM
臭っさ〜
571 :
神も仏も名無しさん :2013/02/07(木) 23:03:54.18 ID:ErTC27Ed
>569 >知恵はある方から無い方へ流れるべきだ。 何が「べきだ」だ断定するなハゲ
世俗諦と勝義諦をごっちゃにしてるレスが多いなと思う。 こういう「概念」を知ってるだけで、混乱を避けるツールになると思うんだけど・・・。 前に出てた長寿村の話もそうだけど、もう悟ったような顔で長寿に興味ないとか いう奴だって、虫歯になればあわてて歯医者に行くわけで。 悟りづらすんなら虫歯の激痛もありがたく受け入れてろと。
世俗諦勝義諦以前に、他人のことは基本ほっといていいと思うけど 意見の交流はいいけど、相手が自分と同じ意見になるまで言い続けるほどこだわる必要ないでしょ
>>572 どのレスがそうなのか教えてちょうだいな。IDでもいいよ。
肉体が本当は無いのなら、目をつぶると何も見えなくなるのはなぜなんでしょう? 肉体を無い物として見る人は、目を開けているときも閉じているときも、同じものが見える(いわゆる完全な透視)のでしょうか?
>>564 食べ物に関しては、たとえば下の本に出てるよ。
プラサード 第2版 - 食物に関する御言葉集
http://www.amazon.co.jp/dp/4916138007/ 下は、質問に答える形でね。
>The whole body is a food bundle.
>The type of food you eat, that kind of thoughts will come to your mind.
(肉体は食物の袋で、食べ物が心に影響を及ぼす)
>Meat is all right for those who concentrate on the body and
>want to have strength, but for spiritual aspirants it is not good.
>If you are keen on spiritual life, eating meat is not worthwhile;
>but if you are keen on worldly life, it is all right.
(世俗的な生活と肉体に重きを置いて力を求める人は肉を食べても問題ないが、
霊性の道を歩む人には肉は不適切)
CONVERSATIONS WITH SATHYA SAI BABA P.19
http://www.amazon.com/dp/0960095853/ 神はあらゆる生き物の中に存在し、
動物が人間の食べ物として生まれてくるわけでない点と、
殺されるときの痛みや苦しみについての話も上の後に続いている。
神との合一とか簡単に言うけど 信者が多いキリスト教やイスラムやユダヤ教なんかとは相容れない デリケートな問題なんだよ 神の意思を人間に伝える預言者なんか旧約聖書や歴史の上でも稀少だし 仏教でも完全に悟ったブッダとか名乗る人はあまり居ないぞ インドでも下手に私は神だとかそんなことばかり言ってたら 住む地域によったら宗教間での争いが起きそうなんだが だから安易に真我を実現したとか言うのはカルトな要素を多少含んでるよ イスラム教とかから見たら本当に神だと名乗るなら イエスみたいに生き返ってみせて神の証を見せろってそうなるわけさ
>>576 目からX線が出てないからじゃね?もしくは脳が認識できないだけとか。
>>578 「真我実現したとか言ってる奴らカルトくせえ」
↓
>>578 「あいつらいくら言っても聞かねえ。もっと教えなきゃ」
↓
>>578 「あいつらには言っても無駄。最早黙らせるべきか」
↓
>>578 「あいつらには死しか救済はありえない」
↓
カルト完成
>>579 その目もX線も脳も無く、心が全てを見るのなら、
どうして目をつぶると何も見えなくなるのか
心が見ているはずなのに、なぜ心が見ているはずの肉体に、
心自身が引っ張られてしまうのか不思議に思ったんです
582 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 19:15:01.84 ID:3sZNDrBy
話は変わるが、 死後の世界(霊の世界)ってあると思う? 不に一元論スレで聞いたら「そんなものはない。キリッ」 と言われそうだが 幻としての現象世界があるように、幻としての霊の世界みたいのが 会ってもおかしくない気がしてきた。この頃。
>>581 実在とは現れもしなければ消えることもない
非実在と現れ消えてゆく
ということで心も非実在
>>582 >幻としての現象世界があるように、幻としての霊の世界みたいのが
そういうことだと思うよ
仏教なんかもそういうスタンスじゃない?
実際は無我だけど、自分のようなものが仮にあると思えてそれが輪廻する
仏陀ははっきり言わないけど、梵天とか神々の世界もそういう輪廻としてあるらしいし
でもあると思うのは錯覚であっておかしいんだろうね
>>583 非実在とは存在しないもので見ることができないもの
真に見るというのは、実在する目で実在するものを見ること
目を開けていても閉じていても、非実在の心や目で、非実在の全てを見ようとしても、何も見えないし、見ようとする意味もない
あるいは、非実在の心や目で、非実在の全てが見えたとしても、それらは存在していないから、何も見えて(見て)いないのと同じ
という理解でいいんでしょうか?
>>585 実在(真我)を探求する上で、非実在をいくら追いかけても限がないよ、
なぜなら実在は対象にはできないから、ってことかと。
非実在だからって、見えるものは見えるし、触れるものは触れるよw
>>586 真我探求においては、自分の疑問はそもそも無意味だったということですね
こういうのはよく陥る罠だって自覚はあるけど、陥ってるときは指摘がないと気づかないもんですねえ・・・
どうもありがとうございました
>>580 実際オーム真理教とかそうだったじゃないか
学歴の高いエリートが土の中に部屋を作って
何日か瞑想してハイこの世での
最高の悟りの順位に達しましたとか
そんな変な選民意識あるから何やっても許されるとか
考えて事件になると思うのだがな
このスレでもインドの数多い出家者の中でも
尊敬されてる高僧ラマナ・マハルシの本を読んで
似たようなこと言って悟った気になったり充分カルト臭い要素ある
ラマナ・マハルシは一か月くらい飯も水も飲まず瞑想して 周囲の人間が口から食事や水を押し込まなかったら 死んでたかもくらいの深い瞑想するヨガの達人だからな ギネス級のびっくり人間だよ
何やっても許されると思う場合は、この世にまだ未練が残ってるってことになるんじゃない? 夢の中で透明人間になっても、夢だと気づいていたら女湯覗きに行かず、 こんなアホな夢見てるよりドラクエ進めようって思うんじゃないのかな 優れた師の存在があると助けになるけど、自分自身で注意深くなることでも、変な道に逸れるのは避けられると思う 罠にはまりこんでる俺が言っても説得力皆無だけどw
正直なになに教とかこだわるのは、はしごにこだわるようなもんで、 大事なのははしごの上。 あるいは移動手段にこだわるようなもの。 車の車種にこだわったり、いや飛行機だ、電車だと争うようなもの。 それも大事といえば大事だが、たどりつくなら徒歩でもいい。徒歩とは無宗教みたいなもの。
>>588 フィジカルエリートでもないし、高学歴でもないし、お金持ちでもないし、顔がいいわけでもないし、
スタイルがいいわけでもないし、何かに打ち込んでるわけでもないし、人気があるってわけでもないし、
異性にモテるでもないし、バレンタインにチョコレート貰えそうもないし、悟ったわけでもないし…
つまるところあなたはアンチエリートってことですかい?
( ゚д゚) 全部俺のことだ!!
594 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 07:33:26.27 ID:ygdCjB4W
>589 そういうのはかなり信奉者の創作が混じっていると思う シルディ・サイババとかニーム・カロリとか、インド特有の現象
595 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 07:55:24.57 ID:I50mitZD
映画の中のライオンは実在するや否や?という議論とおんなじ。答えは出ない。 「実在しない」とも言えるし「人の造りし幻影として存在する」とも言える。 む・い・み。話題の中心は瞑想のハウツーであるべき。我々は覚者じゃないから、 日常のあれやこれやも大切かも。
596 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 12:38:39.61 ID:EsqGVv5v
このスレとは全然関係ないが、UFOってどうやら壮大なデマらしいね。 ある人に「UFOはどこから来ているのか?」と訊かれて、サイババは 「人間の心の中から来るのだ」と答えたそうだが、意味深だと思ったわ。 サイババは評価が分かれる人物だが、ダライラマはサイババをけっこう 高く評価してるようだ(奇跡云々ではなく、その教えについて)
597 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 12:59:52.36 ID:3H7ZR2at
このスレでUFOはおつだね マハルシ先生もUFO並の奇天烈ごとかwww でもUFO飛んでいてくれるとなんだか未知の夢みたいで嬉しく思いますよ。 矢追さんのわざとらしい演出もさることながらバカらしくて自然と笑えるてくるし それを真剣に信じ切っている方々の表情を眺めるだけでまたまた爆笑ものですしね やっぱりど時代にもアホウな大衆がいることが笑いの対象として必要悪と思うのです
死んだらガッカリされるんだろうな、あの世でも ここと一緒かw
599 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 14:47:02.17 ID:ygdCjB4W
念のためですが、 シルディ・サイ・ババとサティヤ・サイ・ババは別人です
サイババは宇宙人はいないって断言してるからな 知的生命体は地球にしかいないと まあ、俺はサイババは特に信用してないから気にしてないけど UFOが心理現象だってのは元々ユングが言ってたんだよな
>>594 でもインドの修行者は半端じゃ無いからな
ヒマラヤの極寒の中で裸でいたり年中手あげてたり
そういった修行者たちがシルディサイババやラマナに
教え知りたいから会いにいってその上で有名なんだから
やっぱり会った人間しかわからないヨガの達人だとわかる
身のこなしや態度はあるんじゃないのかな
602 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 16:49:36.34 ID:I50mitZD
>>596 サイババの評価はともかく、それはそういう意味なのか?現代先進国の神秘家
たちはUFO、宇宙人を、「宇宙のスピリチュアルな存在」と解釈してるんだよ。
すなわち、昔からの霊能者が見る神仏や精霊などの看板が掛け変わっただけ。
その意味で「心の中から」じゃないの?
UFOも宇宙人も、家族や友人知人も、心の中から来ているんじゃないの?
605 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 17:05:46.36 ID:I50mitZD
彼らはそうは見ていない。不二一元論を現象世界の分別の話に適用しても無駄。 「あなたどこのご出身?」って聞かれて「心の中から来ました」と答える馬鹿 はいない。
>>604 そういう対象へのイメージ・想念の束を心と見做してる。
>>603 歴史とか重さがまるで違うだろ
インドの修行者は釈迦の頃から居たし
一般人でも普通にヨガやってるからな
鼻から水入れたり剣飲み込んだりは
オームの奴等にはできないだろ?
そういった誰でも出来るヨガが出来なかったら
口だけでたいしたことないなとかになるんじゃないか?
瞑想中にドッキリで爆音だしたり後のリアクションひとつで
ヨガの技術の熟練度はバレそうだがな
暗闇からガサガサと音がしただけで 虎でもいるのかと心配して呼吸乱れただけでも ああ、こいつのヨガの技術はたいしたことないなとかは そりゃあるじゃないか?ヨガ大国インドなんだからな
609 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 18:39:43.51 ID:ygdCjB4W
ここは Yoga の定義が必要なところかもしれない
インドで空中浮遊が出来るとかいってたら 見たいって奴の数が日本人の比じゃないと思うから ペテンで貫くのは厳しいんじゃないのかな 簡単なヨガとか見せてくださいとか当たり前に言ってくるだろ そこで顔にビニールかけて少酸素状態の呼吸法とかくらいは 簡単にできないと見物人は納得しないだろ
サイババの本でも嘘か本当か真偽は知らないが 信者に試されて食事に毒盛られたとかな すぐ吐き出したらしいが インド人は天然でそんな奇跡信じてるから 浅原みたいに空中浮遊出来るとか言ってたら 何だかんだ試されるのは間違いないだろな
>>607 さすがヨガのエリートは言うことが違うな
奇跡にレベルを見いだしてると勘違いの元になると思う あえてレベルを見いだすなら、嫌いなやつのことを本当に許せるようになり、 さらには好きになれることこそ極めて大きな奇跡
>>612 全然お前わけわかってないだろ
日本でヨガ得意だと言うのと
インドでヨガ得意と言うのはまるで意味違うわ
仮に知識だけだとしても本当に詳しくないと本場で通じるわけがない
日本だったら誤魔化せたとしてもな
>>615 NPB最高の打者は阿部だろうが。角中とは格が違うわ。
みたいな話がしたいの?それともヨガの話がしたいの?
あなた自身に悟りが訪れるその時までは、他人の悟りは全てインチキ?
聖者以外はあなたも含めてすべて同じインチキだということ?
>>616 つか科学的にも瞑想中のヨガマスターの脳波を調べたりして
瞑想やヨガの効果は認めてるんだよ
まったく詳しくない野次馬が何となくで語るな
おまえら、どっちが「わかってる」人物かくらべっこしてるのかwwww で、どんだけ差があるって言うの。ニッポンジン2ちゃんユーザーのキミタチに。
>>618 だから脳波が普通と違うくらいだから
当然瞑想中に張り手とかしてもすぐには起きないよ
別に悟ったとかでない
無名ヨガマスターでもインドにはゴロゴロそんな人いるんだから
下手に空中浮遊とか日本みたいにヨガ知らない国じゃないから
最低限のヨガ技術無いとそんな大きなこと言えないって言ってんの
別に虎の威なんか借りてない 禅寺でも瞑想が浅い奴は一目みてわかるから 渇入れてるだろ? こんな2ちゃんで悟ったとかオームみたいなのとは インドでヨガ技術を認められるのはわけ違うと言いたかっただけだ
ヨガはしらんが禅では「瞑想に夢中になって周囲に気づかない」のはむしろアウトでは? 観の瞑想だから。
>>613 ババのブローチ?ひっくり返して裏見せたあたりから
アムリタ出なくなってるんだけど。
まあトリックだろうね。
625 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 03:14:31.79 ID:1rQKzLcQ
何の問答だ?マハリシはヨーガにはあまり関心ないみたいだよね。弟子が クンダリーニどうのこうの言ってもはぐらかすだけ。むしろ彼の思想は禅と似ている。
>>622 こんな2ちゃんでインドのヨギを引き合いに出してるところをみると、
あなたはインドのヨガ技術に精通しているわけでも、ましてやヨギでも
ないようだな。
あなたにとっては悟り=高度なヨガ技術ってことなのか?
627 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 04:24:30.68 ID:fUIn/O8J
人に優しくあること、それと悟りや不二一元と何も変わらないです。
>>627 悟り=高度なヨガ技術に決まってるだろ?
何言ってんだ?
世俗の生活しながら精神は三昧状態とか究極のヨガ技術だろ
>>625 どう考えてもヨガマスターじゃないか?
座禅したまま数時間ピクリとも
動かないのがヨガに関心ない普通とは知らなかったな
シルディサイババの日本の信奉者には碌な奴がいないな。 女性の信奉者たちに次々に手を出す女たらしの無責任元レーサーとか、 最近はネットビジネスに血道をあげている自称瞑想指導者とか、 自らマヘーシュワラ・マハーリシと名乗る、池袋のスーパーメタボの犯罪者とかw
瞑想ってほどじゃないんだけど、ちょっとした心の探究してて、 勉強不足なうちは悟ってはいけないって考えがあることに気がついた こういう細かいけど強力なブレーキを見つけ出し、一個一個外していくことで、 自分が悟ることに自分で許可を出せるのかもしれんな
632 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 13:25:43.89 ID:PXg+x+nV
ここはオウム信者出没スレだな 森達也でも呼べば
>>629 別にヨガで探求やっててもいいけど、いちいちまわりくどくね?
直接探求の方がいいと思うよ^^
あるがままににはこんな感じで書いてあった。
>>629 公認のヨガマスターみたいだけどw
>>633 何言ってんだ?
ラマナ・マハルシは伝統的なアートマンブラフマンのヨガの教えだぞ
独特なことなんかさほど語ってない
それに病気の際でも医者が驚くほど
痛みをコントロール出来てたヨガマスターぶりなんだがな
直接探求ももちろんヨガだ
火の上を歩いたり寝転がったりはヨガだが 病気で痛みに対して無関心なのも当然ヨガだな 病気に対して無関心のほうが 火の上歩くより、むしろヨガマスターぶりは上だろ
>>635 んまあ、ラマナとアサハラを並べて論じる理由も意図もよくわからんけど、
アサハラの取り巻きとID:ocjzGb4Wはよく似てると思うよ。
直接探求は単に意識の源を探れってだけだから。
>>636 全然わかって無いな
ラマナ自体が完全に悟る前に
意識を失う深い瞑想状態に入ってるのにな
あなたの言ってることは目的地に着くのに
どこでもドア使えばいいじゃんとか言ってるのと一緒
ありえないってわけさ
直接探求ってのは深い瞑想で
エゴを完全に捨て去るとかそういう神意識みたいな意味だからな
ラマナと全然レベルが違うからピンときてないだけなんだよ
638 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 19:42:54.69 ID:x1NnYSbI
『あるがままに』 第13章 ヨーガ ここにラマナのヨガに関する発言が、 わかりやすく整理されて収められている
まあ直接探求とかを勝手な自己解釈して ハイ、悟りましたとかやってるカルトな奴等が 他人を浅原の取り巻きとか言って攻撃するのが 世の常なんだがな そんなのに限って我々は選ばれた人間だとか言い出して テロ行為したりするんだから危ないわな
>>640 あなた本当に全然わかってないのね
ラマナは聖典によればプラフラーダカルマのみで
生きてる状態なの
俺たちはその状態になる前に瞑想とか必須な
まったく悟ってないマーヤありまくりな状態なわけ
世俗の生活しながら意識は三昧にあるとは
完全に悟った状態で俺たちはその限りじゃないんだよ
悟りのレベルが個々違うと言うのはラマナ自体も指摘してたしな
>>641 誰にとっての思考だそれwwどこで起こってるんだwwww?
みたいなこと あるがままに に書いてあったよ?
643 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 20:16:46.95 ID:PXg+x+nV
でも誰でも≪うんこさん≫はするのよね 断食しても≪うんこさん≫とこんにちはだよねwww
>>642 ラマナってそういうところあるんだよ
釈迦が無記で通すのと同じ理由で
意識の源を探って真我を実現しなさいみたいなことを
いって話を終わらすのさ
本当はその後の沈黙のほうが言葉より深い答えなのさ
>>644 そうだね。ただ在りなさいってだけだもんね。
646 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 21:19:16.51 ID:PXg+x+nV
ID:ocjzGb4W ID:ZDoWfEnN 彼らのオナニー姿を想像して彼らの語りを読むと爆笑してしまうのはおかしいですか?
>>646 その二人が美少女かもしれないからオナニー姿想像で爆笑はできない
648 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 21:25:00.84 ID:x1NnYSbI
>あなた本当に全然わかってないのね 女じゃん
ラマナすごい厨も直接探求厨もどっちもそういう観念のとりこだな いかに中道が大事かわかる 偏りはどんなことであろうとも単なるエゴの捉われ
どっちがどうだのままだとうるさいまま探求進めることになる 全部かなぐり捨てて、一度とにかく静かになるってのは大事だと思う 人それぞれにあったやり方は様々あるけど、静かにしてるってのは誰にでも共通な基本的テクニックになるんじゃないかな
651 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 21:38:58.71 ID:PXg+x+nV
なるほど尊師はそのようにおっしゃるのですか
>>649 厨でも厨でなくてもどっちみち一緒だわな。
ま、観念探しは観念探しが得意なあなたにまかせとくわ。
「・・・もう一つの重要なポイントは、年とともに理解が深まるにつれて、 ポール・ブラントンの言葉の選び方が、ますます厳密になったということである。 彼はより良い、より明晰なものの言い方、つまり紋切り型のうますぎる答えを 打破し、より中核的な意味を、より少ない努力で読者が掴むことを、容易に させる表現を絶えず探し求めた」 ・・・ラマナやマハラジの日本語版の翻訳者も、見習って欲しいわw
ラマナ崇拝でキレてる人も、アンチでキレてる人も、 はたから見ればキレてるから同じ。
655 :
神も仏も名無しさん :2013/02/11(月) 15:13:16.77 ID:Ims++OC/
>654 かしこバカの傍観者が何を偉そうに言っているのか アレフの子飼いか
インドって人口が日本の十倍くらい居るからな インド以外のヒマラヤ付近の仏教徒も零下で裸で居たりな ラマナもスズメバチ軍団に刺されても痛みに動じないヨガマスターだったが 厨とか言うがインド人自体のヨガレベルが凄いのは事実だ 日本でもこんな寒空で裸で居るだけで充分凄いわ
通勤途中の通学路で見かけるある小学生は、この寒空にもかかわらずいつもTシャツ1枚に短パン姿で登校しています。 他の生徒は皆ジャケットやセーターを着て登校していますが、ややマッチョな感じのその子はいつも元気で楽しそうです。 冬になると寒いといい、夏になれば暑いという我々は本当に幸せなのでしょうか。
日本でもダンボールハウスに住んでる人達は 猫とか小動物可愛がったり 住人同士の輪を大切にしたり 真冬に川に入ったりしてたが 厳しい状況で生活してないと見えてこないものもあるんだろうな そういうのがヨガの原形とも言えるよな
厳しい生活しなくても、裕福な生活してても、見ようと思えば見えるし、見ようとしなければ見えてこない ホームレスにならなければ、大金持ちにならなければ、五体満足で、四肢欠損で、重力下、無重力・・・ どこにどう生まれようとも見ようと思えば見える 条件はないということに気がつかないと、何度でも条件を変えて輪廻をやり直すことになると思う 我々は何千回も輪廻を巡り、なおも悟っていないからここにいるわけだ
660 :
神も仏も名無しさん :2013/02/11(月) 18:52:54.55 ID:Rgwo2ZGH
>>654 で、お前はどこから見てるわけ?
かしこバカの傍観者が何を偉そうに言っているのか
アレフの子飼いか
普通の人から見たら俺らみんな頭おかしいんだから 頭おかしい同士でどのくらい頭がおかしいかの争いしても仕方ないだろ 収入地位名誉に関わらず、不可視の領域を信じてるやつは肩を並べて頭がおかしい
不可視じゃなくて不可知か
じわじわ滲んできた思考やイメージに気づいて再び静けさに戻る時の、 なんだかスッと身体ごと透明になるような感じが面白くて、そんなことに 浸ってちゃいけないんだろうけど、結構いいよね。 思考やイメージでその感覚の体験を再現できないってところがまたww
664 :
神も仏も名無しさん :2013/02/11(月) 19:23:24.58 ID:Ims++OC/
オイラやっぱり頭がおかしかったのかw
>>663 なんだこのIDはww
ENd lF nCq なんのコマンドだよwww
ラマナは60年以上前に亡くなった人。インドから一度も出ることはなかった。 生まれたのは1879年。ナチスドイツのヒトラー総統より10歳も年上。 現代の日本に生きる現代の日本人がラマナの教えをそのまま実践できるだろうか。 和平先生とはどうも相性がよくなく、結局離れてしまったけど、 和平先生がいつも言われていたこのことは確かにその通りだと思う。 今の日本人には今の日本の環境で生きている今の日本人に合ったスタイルが必要だ。 ラマナやアドヴァイタ系の本が今簡単に入手できる時代になっているが、 このことがかえって我々を迷わせ、遠回りさせてはいないだろうか。 今のこの時代に相応しい道とはなんだろう? それはこれさえやれば悟れます、というような、 精神世界ビジネスとしての瞑想伝授やなんとかディクシャの類いではないはずだ。 しかし本当の教えは言葉や観念ではない不立文字としての何かとして すでにこの牢獄から抜け出した先達からの「感染」以外にはないのだと思う。 だからやはり、自分に合った師を探すことがほとんどすべてと言えるのではないか。
自分に合った師を探そうという時点で、探求が自分自身に向かってないよね 自分は自分で何とかするものではなく、他人が何とかしてくれるものだと思ってる そういう方向性で、はたして自分の問題が解決するかな 自分に合う師なんてあらわれるかな 探求を他人まかせな「私」に相応な師ならあらわれるかもしれないけど
>>667 それはそうなんだけど、じゃあ現実問題として自分で探究できますか?
ってことなんだよね。無理でしょ、ほとんどの人たちにとって。
だからやっぱり補助車てしての師は必要なんだよ、最初の段階ではね。
冷たい水を朝っぱらから被ったり 大乗の修行僧がやってたが やっぱそういうことを無欲にやるってのは 実際にやってみないと それによって心が強くなるとかの効果も そういうのは見えてこない世界ってのはあるだろうな
>>668 まあ、師探しは自分にやれること全部やってからでいいんじゃない?
呼吸法でもヨガでも菜食でもヴィパッサナーでも座禅でも教典の熟読でも禁欲でも、
それらがいいかどうかは別にして、自分だけでやれることはいっぱいあるしさ
そういうの全部やった、まるでなにも変わらなかったし自分でできることはもう何もない
っていうなら、師がどうのと思っても仕方ないかもね
>>668 o-o、
('A`) メガネメガネ
ノ ノ)_
真冬にダンボールハウスで暮らすのがヨガの原型なら、
さっさとやりゃいいのに。憶測で言ってるんじゃないだろ?
あったかいところでヨガマスター何回連呼してんの。
いまやんなよ。一分で実行できるじゃん。さあやれ!おら!
できない?じゃあ言うなよ。
>>655 うるせー!バーカ!w偉そうにしたつもりはないが
偉そうに見えたってことはおまえよりは偉いってことなのかもしれないですね。
知らないですが。
ダンボールハウスの方々とかかわったことがあるが、 縄張り争いが酷かった。 しかも利害関係なく、これは俺の水道だ!みたいな。 猫とか小動物可愛がったり住人同士の輪を大切にしたりしてる 高収入の方々も、ダンボールハウスの人たちに比べて割合として少ないとは いえないんじゃないだろうかね。
675 :
神も仏も名無しさん :2013/02/11(月) 23:26:36.62 ID:Ims++OC/
↑前世のカルマで苦労しているだけだろw 苦労自慢の昭和人
そんなセリフはダンボールハウスの人が偉いみたいなこと 言ってる奴に言ってやれよ。 俺はそんなこと一言も言ってないからな。
まあ偉くないとも言わないけど。 外的な環境が人間そのものの尺度になるとは思わないからな。
678 :
神も仏も名無しさん :2013/02/11(月) 23:33:09.50 ID:Rgwo2ZGH
>>674 だから、なんなの?
かしこバカの傍観者が何を偉そうに言っているのか
アレフの子飼いか
>>677 相変わらず痛々しくて見てられません。
自分のレスを読み返して内省してみることをお勧めします。
では。
まあ悟りとか求めちゃう自我って結局幼いんだよね
自我を在ると?
>>673 自分からダンボールハウスみたいな生活をするのと
仕方なしにやるのは大きく異なるぞ
そういった我欲を神に差し出すみたいな生き方を
尊いとするのがインドのヨガ文化だからな
我欲を捨てたいならボランティアでも何でもよいはずだ
イエスによれば宣教で殉職すれば最高に天に富を積めるらしい
そんな生き方を送れば悟りには間違いなく近付くだろうな
例えば日本に初めてキリスト教に宣教にきたザビエルとか ガチで王族の出らしいが、そんな裕福な生活を捨て 異国に宣教を繰り返した末に殉教したらしい だがカトリックの記録によれば 遺体が死後も腐敗しなかったらしいから この世の富でなく霊によって救われたということだろうな
684 :
神も仏も名無しさん :2013/02/12(火) 06:47:27.93 ID:4PNyYxZ1
ハタヨーガは、エクササイズとして素晴らしい しかし宗教的ヨーガの実態は、日本の葬式仏教・観光仏教と同じで、 大半は人から敬意や生活の資を労せずして得る手段だ
そうだね 悟りさえすればどんな生き方すれば良いとか 宗教の違いヨガの種類や議論とかと無縁にこの世で救われる そういった真理を世の人間全員が理解すれば 争いなんか起きないだろうね
687 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 00:39:03.01 ID:gbmfgBf3
>遺体が死後も腐敗しなかったらしいから これはなんだろう。 ヨガナンダもそうだったらしいし、チベット仏教でもそういわれてるな。 ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟では、ゾシマ長老が腐敗したが、 それでもあの方はすばらしい、みたいだったが。 いま宗教心理学の本で著名なスコット・ペックの「愛と心理療法」を読んでる。 アドヴァイタみたいな一足飛びモデルではなくて、成長型のモデルだね。
688 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 00:40:18.98 ID:gbmfgBf3
クリシュナムルティの本を読むと、身もふたもないのでときどき 暗澹とした気持ちになるが、あれけっこう大乗起信論からの引用が多いみたいだね。 なんか、ちょっとうさんくさいイメージがあるんだ・・・
いくらなんでも植物から人類まで進化するよりは 町内に一人はラマナみたいな悟り人が居る 世の中になるほうがはやいだろうから 遅かれ速かれ人は最高の真理である悟りに気付くだろうな 悟りを知ることで世界は実に完全だったことに気付くから その精神性の高さこそ真の人類の進化だな
690 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 08:11:14.86 ID:A6Ke4wC/
死体は腐るのが自然法爾だ 腐らないのは、嘘か奇術か妖怪変化のたぐい
>>685 すべてが完璧なのがわからないのか?か
やっぱ悟れる者は言うことが違うな
そういう世の中に速く人類は進化しないといけないな
まったくもって名言だな
692 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 13:44:20.83 ID:A6Ke4wC/
悟れる者≧悟れる者の言葉を理解する者>>>>>理解できない下賤の者ども
まあ、悟れる者以外は下賤の者って言うのはそうだろうね 宗教思想では悟ってないと何回も輪廻したり 地獄に落ちたりするそんな思想なんだからな インドにはだからカースト制度とか差別も実際ある そんな思想が嫌ならスレ見なきゃいいのに
>悟れる者≧悟れる者の言葉を理解する者
これはどうかな。
どのレベルで理解してるかによるんじゃないの?
このスレのほとんどの人は、君わかってないなあ、のスタンスじゃん。
てことは、「俺わかってる」の人たちであって、レベル的には悟ってる人と同じ?
>>692 さんなんかはほんと「わかってらっしゃる」のね。
悟ってないものはすなわち、悟っていないもので 悟っているものは、悟っているものではない 悟っていないものは悟っていないが、悟っているものは悟っているかどうかなんて考えてない(その状態にあるがまま) だと思うんだけどどうだろう 悟っていないもの、つまり我々から見た場合は、悟っているかどうかの差違が見えるけど、 悟っているものから見たら、その差異はどうでもいいもの、合ってもなくても同じものとして見えるのでは だからって悟っていないものに、君は悟っているとは言わず、あるがままの状態、悟っていない状態だと言うことを伝えると思う
悟っている者にあなたは悟っていますか?と質問した場合、悟っていると答えるかもしれないが、 それは差違についての状態ではなくて、そのようにある状態についての説明をしているに過ぎない
存在様式が違うということかな。
まあ差別を感じるようならお互いがマーヤーの中なんだよ だから言ってるじゃないか? >685悟れる者がすべて完璧なのがわからないのか?って だからみんな悟りに気付かないといけないなって思ったんだよな
ラマナも真我にありなさい=悟りなさいみたいなこと よく言ってるもんな あらゆる問題解決は悟ることで実現するみたいだな
俺はもちろん悟ってないから常にマーヤーの中で生きる 下賤な者だからな、悟ってないのは実に惨めなんだな
悟りとかはひとまず置いても、 下賎とかいきなり何を言い出すのとか。そんな価値観いきなり持ち出すのは不自然だし。 そんな上下の価値観なくても生きていけるし。
702 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 22:29:51.94 ID:p0bbNnSN
どいつもこいつも死んだら 速攻腐りそうな奴らだね ああくさっw
おまえの日常のイライラをここでぶつけんなよ。 おまえに関わりもちたくないし、もってもらいたくもない。 読みたくなきゃ読むな。っていうか、おまえが死ね。
>>701 下賤って言うのはマーヤの中にあるって意味で深い意味は無いよ
価値観について誤解されがちだと思うのが、捨てるというとき物理的に捨てる必要があると思われてることだ それは逆効果で、物理的に捨てないといけないと思ってるのは、対象物に価値を付加していることの裏返しになる 価値を付加していなければ、捨てることも持ち続けることも同義 コンビニで1膳多く貰った割り箸は、持つも良し捨てるも良し たいていの場合は便利に使うが、捨てても良し
>>695 >我々から見た場合は、悟っているかどうかの差違が見える
見えないよ
>>696 >悟っていると答えるかもしれない
答えないだろ
>>705 >コンビニで1膳多く貰った割り箸は、持つも良し捨てるも良し
受け取るなよ
>>705 それと同じことなのかわからないけど、
マーヤをわるいことで止めないといけないみたいに思ってる人いるけど、
マーヤも真我の現れ方でしかないし、マーヤはマーヤとしてたのしむくらいが、
適切な接し方だと思うんだよね
マーヤの何が問題かって、それに囚われてることが問題であって、
マーヤはいけないってのも、そういうカタチで囚われてるだけだし
知識はいくらでも集められる時代にいるな いくら集めてもキリがないと気付いても続ける そしてそのわずかな時間でも実践に向けなかったことを死に際に、死後に後悔することになる 「議論好きな人間に付き合うのはよしなさい」聖者はよくそういう やるべきことを知りながら議論に夢中になるのは全くのムダだと知っている人間が集まるのがココ 努力しないんだから、何も知らずに死んだほうがきっと後悔もわずかで済んでよかったよな
坐禅とかしてますか
712 :
神も仏も名無しさん :2013/02/14(木) 16:08:02.06 ID:qx5C+TH1
実践って何だろう? 一部のヨーガ(ハタ、クンダリーニ)はとても実践的だけど、 ラマナは否定的だったと思う 何が契機になるかは誰にも分からないのでは 議論だって大いに触発・啓発のきっかけになると思う
>>711 腰悪くしそうだから椅子に座るか寝禅してる
たまに寝てる
バスに乗ってるとか、風呂入ってるとか、単純作業してるときも座禅と同じような状態になってると思う
アイデアの浮かびやすい場所は三つあるいは四つのBと言われる
バス ベッド あとなんか忘れたけど、そういうぼけーっとしてるときも何か降りてきやすい状態になってるんじゃなかろうか
>>709 バクティの方の話だけど
エゴを明け渡して神の道具として神に仕えている修行者は
この世に肉体があるうちはマーヤーが守ってくれるという話。
>>712 ラマナのself-enquiryも実践だし、
ラメッシの本に出てくるwitness(※)も実践では?
※浮かびそうになった思いや浮かんだ思いに
追加の概念化(価値判断、比較、自己弁解等々)をせずに意識の光を当てること。
望ましい、望ましくないといった感情も起こさず、
受け容れもせず、拒絶もしない超然とした態度。
自分ではコントロールできない浮かんでくる思いを力ずくで抑えようとせず、
かといってその痕跡も残さない。
>>715 あとマハラジが薦めていたという受身の姿勢。
自分を主体にした知覚ではなく対象物を主体にした知覚。
「私が見ている」「私が考えている」「私は悲しい」ではなく
「〜が見えてる(動いている)」「考えが浮かんでいる」「悲しみがある」
といった感じの行為者から距離を置いた姿勢。
ヴィパッサナー瞑想?
>>717 >ヴィパッサナー瞑想?
ごめん、今チラッと調べたけど、知識がないよ。
witnessの方は、
見つめるのではなくて、(価値判断等ぜず、浮かんできた話に加わらず)
気づく(意識を向ける)ことによって、自然とお引取り願うことだと思います。
それを繰り返すうちに、徐々に浮かんでくる思いの頻度が減ったり
(価値判断等しないため心に印象付けない=痕跡を残さないため?)、
気づくタイミングが早まり、浮かびかけるとほぼ同時に自然と振り払うことが
できるようになるそうです。
>>717 マハラジの方は、不二一元論でdoer(行為者)が存在しないということで、
主に初心者にそうした姿勢を薦めたのではないかと思い。
ます。
>>718 >振り払う
書かれていた通りに言うと
「(浮かんできた思いが)drop offする(落ちて離れていく)」
>>710 スレにラマナの言葉をそのまま書いてたりするけど
マーヤが立ち消えるとか全て真我のみとか
難しい数式見てもピンとこないのと同じで
それらが理解できないのがマーヤであり
そこから議論が起こるんだろうな
それでも
>>685 の二ーム・カロリ・ババの
「すべてが完璧なのがわからないのか?」は
久々にヒットした言葉だな
ラマナの言葉を読んでも理解出来てないから
議論が起こるのは事実だと思う
どうやれば理解できるかはラマナいわく真我を実現しなさい
ようするに悟りなさい、悟ればわかるということらしい
723 :
神も仏も名無しさん :2013/02/15(金) 08:01:08.38 ID:maSPdEWZ
二ーム・カロリ・ババの演じた奇跡は事実なんだろうか? 世界でインドだけ別の物理法則が働いているのだろうか?
二ーム・カロリ・ババはラマナほど悟ってないとは思うけど ラマナは天上人すぎて言ってる意味がよくわからないからなあ 似たようにスピチュアルとかの本が世の中で反響あるのは 視点が一般人と近いからだろうな ラマナの教えは内面を観察するのに特化した霊的には上級者向きだからな
そりゃ映画エヴァンゲリオンを見て悟る奴も居るかも知れんよ 何がどうなって悟るとかセオリーあるなら 完全な神がこんな世界を作るわけがないからな
ラマナみたいな人はチベットの僧にも居るらしいな ある日いきなり人格が変わって 私は世を救いにきた菩薩だとか言って家出してしまうらしい サイババもそんなのだったらしいな 何もかも規格外に普通と違うからよくわからん話だがな 話す内容に共感できないのは無理ないって思うわ
>>724 一流のアスリートや芸術家が、すなわち最高のインストラクターか
というと、そうではなくて、教えるのはまた違う才能だと思う。
エックハルト・トールはラマナより低いとくさすレスが前にあったけど、
それはニジンスキーと、一流の講師と比較するようなものだと思う。
海外のミュージシャンだって、歌唱トレーニングやダンスは専門の先生について
教わってるしね。
729 :
神も仏も名無しさん :2013/02/15(金) 16:08:03.93 ID:maSPdEWZ
インド近現代マスターの悟り度番付表試案 横綱 ラマナ・マハリシ 大関 シュリ・ラーマクリシュナ 関脇 ニーム・カロリ・ババ 小結 アナンダ・マイ・マー 小結 パラマハンサ・ヨガナンダ 前一 和尚ラジニーシ 前二 ジッドゥ・クリシュナムルティ
730 :
718 :2013/02/15(金) 18:03:00.75 ID:loRS+PCJ
>>727 ありがとうございます。
勉強になりました。
731 :
神も仏も名無しさん :2013/02/15(金) 19:48:44.73 ID:iYy+z3of
エックハルト・トールはエゴを殺せと言うけれど エゴをつくり出して、それを維持しているのは源泉なのです。 この現象世界の映画を演じるために。 ソースは、ラメッシ。
>>732 The Power of Nowの方は米アマゾンのレビュー数で
すごい本だと思い込んで読んだけど、
次に読んだNew Earthの方は女性の役割だかなんだかや
中島みゆきの歌のHALFじゃないけどそんなことも出てきて
なんだかなって感じだった。
中島みゆき…HALF…。 ぐぐってしまった…。 …………_| ̄|○ ガクッ
>>735 まさかw、曲も聴いたの?
心直しに、せめてものお詫び。
最近たまに考えるんだけど、
もし自分が生まれていなかったら
人間関係や種々の葛藤に悩む必要はないし、
周りの姿を見ていても話し声を聞いていても
それはそれでまわりも世の中も回っていく(存在していないんだから、当然)。
そう考えると、自分の心(の中身)の類は、
元から自分が存在していなかったら(どうなんだろう)と思うと
気持ちが楽になるよ。無くて構わないもので悩んでるといった感じで。
>>733 ペインボディうんぬんは妙に韓国の行動原理を納得させられるものがあったけどな
>>737 それは50年くらい前にトーチェ先生が同じようなことを。
Emmet Foxもアメリカがどうのこうの書かなきゃ読んだんだけど。
>>729 やっぱり横綱はサティア・サイババじゃないのかな?
そのボランティア精神は宗教とか関係なく世界中が認めてるくらいだからな
シルディ・サイババもインドではラマナ以上に有名らしいし
741 :
神も仏も名無しさん :2013/02/16(土) 05:06:34.99 ID:e55C5r99
>734 除外候補?
>>740 神の化身で別格。
対話の資料を読めば読むほど桁外れに別格。
743 :
神も仏も名無しさん :2013/02/16(土) 08:49:32.21 ID:AjaCJauy
一方、マハルシは神そのもの言われたりしている。ジニャーニと神は同一である。
釈迦、イエス、マホメット、老子、シャンカラ、 シャーンティディーヴァ、フランチェスコ、法然、聖テレジア、 パドマサンバヴァも参加させると・・・?
しかし、悟れるものそれ以外は下賎な者とか発言が出るスレで よく言うよw 君達下賎じゃなかったの? いや、今なら信じられる。確かに下賎なことやってるよな。
じゃあついでに、グルジェフ、シュタイナー、道元も
イレスギタナー・ショッペーナ同志も
二元性に捉われないっていう不二一元のスレで、 覚者の格付けしてるってのもすごいなあ… 論理的具体的に比較するとかなら意味もあるだろうけど…
夢を見てるときは自分の存在を確認できないけど、一般人の言う「自分」が自分自身を認識できてないだけで、真我は真我としてあるの?
>>749 アドヴァイタの解釈だとそうだろうね
真我は不変でいつでもある
熟睡している間は体や脳の知覚が止まり自分や○○という対象を認識できない
夢見ているときは夢見
真我は変わらずいつでもある、らしい
仏教は無我論だから少し解釈違うだろうけど
そりゃ純粋な意味での格付けは意味無いし不可能だよ どこかの山に籠ってたら誰も知らないし おまけに喋らなかったら何もわからない 単純に功績やら支持者の数を反映してのランク付けでしょ
いや、ランク付けしようっていう行為にエゴがあるのかなってさ ランク付けることに何を求めてるのかなあっていう 無意味に単なる遊びでしてるだけってならいいんだけどね クラスで誰が一番かわいい女子かみたいな遊びならね たのしいしね
754 :
神も仏も名無しさん :2013/02/16(土) 16:25:59.93 ID:e55C5r99
盲目的な信仰は、正しい手段ではないと思う 大乗仏教の一派には、検主問という修行法がある
それとシルディサイババは単なる仙人レベルの人でしょう。 奇術っぽいことをいろいろやったみたいたげどその程度の人ということで。 伝記で伝えられているような奇跡を本当にやってのけたのなら、 どうして病気で死んだのか、去る時もオールドヘラカンババやラーマリンガスワミみたいに、 まばゆい光を放ちながら肉体ごと虚空に消え去った、みたいのだったらまだ説得力あるけど。 ラーマクリシュナやラマナみたいに癌に冒されてもそれを受け入れ 痛みに苦しみながらも抵抗することなく死んでいった、というほうがまだいいと思う。 あのクリシュナムルティでさえ、晩年癌で闘病しているときに、 自分は過去によほど酷いことをしてしまったのだろうか、と弱気になっていたというから 有名な人だから、というのはあまり当てにならないと思う。 本当の本物は決して表には出てこないのかもしれない。
>>749 ちなみに真我の意識なんてものはないよ。真我は意識の源ではあるけれども。
おまえは誰なのWwwwwwwwwwwwwwwwww
失礼、
>>755 さんにね。
癌で死のうがハリツケで死のうが食中毒で死のうがだからなに。
まだいいとか。
肉体と心への同一視が完全になくなることが真我実現だとすれば、 その人の肉体や心がどんな低俗な行為を取ってようが、 その人の意識は同一視せずそれを眺めてるだけで、真我実現されてるのかもしれないし、 結局他人にはその人の境地はわからないよね 今肉体や心に起きていることは単に過去のカルマの結果だとも言えるし 他人からどんなにすばらしく見えても本人には同一視が残ってるという逆のパターンもあるだろうし
うん、肉体がどういう最期を遂げようとそんなの関係ないだろうね。 要するにランク付けなんて我々にはできないし意味はないと言ってるの。 人の文章を表面的になぞるんじゃなくて真意を理解するようにつとめてくれ、坊や。
>>759 そういう脳内メシア像を押しつけられたら
悟った人も迷惑だよな
善人でもよそ見したら自動車で事故起こすことはあるからな
たとえ事故起こしても善人は善人に違いないのだから
神は善であるから地震なんか起こすわけないとか
願望を押しつけても実際起こるんだから仕方ないよな
>>759 >>760 >>762 余計なこと考えちゃそれなりに答えを出そうとすることをやめれ、ってことだろな。
考えても考えなくてもどっちみち変わらねーよww
ってラマナが言ってたような気がしないでもない。
764 :
神も仏も名無しさん :2013/02/16(土) 19:07:02.84 ID:xu5fVIL0
そうだけど、つまらないことで納得いかないことがあるよ 例えば菜食続けているのに痔が悪化して激痛が走ったときとか
765 :
神も仏も名無しさん :2013/02/16(土) 19:32:50.97 ID:jgPz6Pky
ラーマクリシュナの奥さんホーリーマザーはいいよ
>>765 ラーマクリシュナってオネエっぽいってかゲイみたいなんだけど。
そもそもアドヴァイタの聖典ギータで クリシュナは事件解決に戦争を提案して そういった世俗の物事に動じない 不動の境地を説いてるんだからな 生をもたらして死をもたらすのは 共に神の意思なんだから 死だけ見て善である神がそんなことするわけがないとか 願望を押しつけられても神も悟り人も困るってわけだよな 真我実現ってのはママゴトじゃないから 言ってることは重たい
いっちゃあ何だがオウムのポアしそうにもつながりかねないな
面倒くせえから解脱したいんだけど、 強制的に霊の世界行かされたり、輪廻させられたり、 別の星や宇宙に転生させられたりすんのかなw
>>769 あらゆる面でエスカレートすることを止めるだけだよ。夢も希望もない。
オウムでポアって意味がよく詳しく知らないのだが オウムの浅原でも真我を実現してたら救われるよ 悟るとカルマの影響は受けないらしい この世の行為と関係ない 悟るとは内面の意識の問題だからな まあとは言っても大体が長い生まれ変わりとか善行が 積み重なって悟るわけだから善人の場合が多いのだろう 俺は悟ってないから詳しくは知らないがそうらしいな
まあ一歩間違えたら危うい危険思想な要素は持ってるが 戦争とかでも人間の心理として洗脳して上司に命令されたら 誰でもたいした良心の呵責なしにミサイルのボタンを押すらしいからな そういったどうしようもない悪カルマの救済措置と思えばいいんじゃないかな どんな善人でも運転中に意識失ったら大事故に繋がるし 生きてたら個人の意思ではどうしようもないこともあるさ
773 :
神も仏も名無しさん :2013/02/17(日) 07:11:14.21 ID:nka9+DQj
悟ったらカルマの影響を受けないっていうのは例えば地獄に行ってもラマナ状態なだけで カルマの影響ってもんは絶対だから外面的には出ると思うよ。
それはそうかも知れないな 麻酔してたら痛くないだけで 肉体は世にあって身体は罰を受けるみたいな感じなのかな よくわからないけどそんなのかも知れないな まあ悟ってないから何とも言えない不可知な話だ だからラマナって悟りなさいそんな迷いが消えるから みたいなことしか言わないもんな
775 :
神も仏も名無しさん :2013/02/17(日) 08:48:32.37 ID:zkhuMJ5R
>765 サーラダー・デヴィの肖像写真からは神秘的な香気が漂う 彼女は夫へのバクティだけで神秘に到達したらしい
ここで話題にしているラマナ・マハルシとは、「私は誰か」のあのラマナ・マハルシですか?
>>776 「私は誰か」は一般的過ぎるのであれですが、そうだと思います。
>>773 ラマナも、上の方か前スレで「リンガム」の話が出てたので
なにかの病気で亡くなったんでしょ。
マハラジも、自らがタバコを商っていたことと関連づけて、
家の近くに化学工場できたことか、病気について触れてたと思ったけど。
晩年は病気の影響で体がきつくて、1日30分くらいに集まりへの出席を制限したんでしょ。
サイババが帰依者のカルマを肩代わりして深刻な病気になった話もある。
まあ、この世にある限り相対的な影響、縁や因果は受けるわけだが、 その相対的な存在としての神はあるのだろうか? ここでいう神はブラフマンのことではなく、 人の運命に介入し、見守り、成長を促す存在、保護し、時には試練を与え導く存在。 仏教でいう幾多の菩薩、天。神道や道教における神、西洋的に言えばスピリッツ、守護天使のこと。 ラマナ・マハリシは人の想像ではなく、外的な存在としての神、つまり「角の生えたウサギ」のような 完全な想像ではなく、人から独立した、人と同じ程度の現実性を持った神はおられるといっていた。 シュタイナーの言葉に、「人は神に祈るとき、ほとんどは実は天使に祈っている」といっていたが、 それは、われわれが真我に祈らず、神社や菩薩に祈る行為を言っているのではないだろうか。 正直、凡人の自分にとっては、一足飛びに真我といわれるより、他者である菩薩や守護天使に導きをお願いするほうがピンと来るのだが…
>現代のキリスト教徒は神と人間を考えても、その間の位階に位置する霊的な存在者たちのことを考えない場合が多いが、 >それは間違いだとシュタイナーは云う。一方、高橋巖も、現代西洋のオカルティストたちも、民族や文化によって神々の名前は異なるが、 >それらが実際は同一の存在を別の名前で認識しているに過ぎない場合が多いと考えている。 >霊学的にヒエラルキーの問題を明らかにするシュタイナーには、現代のキリスト教徒の抱える重大な錯誤を指摘しなければ >ならないという強い使命感が感じられる。すなわち、キリスト存在とアンゲロイ(天使)を同一視してしまっているというのである。 ↑ここでいう、「神」や「キリスト存在」が、要するにヒンズーでいうブラフマン、アートマン、イシューワラで、 その中間的な「霊的な存在」と区別されている。 >「彼らはキリストに祈るつもりで、実は自分の個人的な守護天使に祈りを捧げてしまっている」。 ↑クリスチャンでも数週間の黙想修行をしたりするらしいから、それなんかは「真我に祈る」行為に近いんだろう。 禅なども同様で。 しかし、一般人にとって手を合わせて祈るのは、個人的な守護天使への祈りなのかな。
上のほうのレスで、「神は人間に都合よく幸運を授けたりはしない」というのがあったが、それはブラフマンやアートマン的なもので、 善悪併せのむ、というか善悪や幸不幸を超越した完全需要の境地のことで、、、、 悟りを開くまで、つまりに現生の中に生きている間は、こうした守護天使的な存在との絶え間ない交流があるのかな。 もちろんその守護的存在が、人が考える今生に限定された現世的な意味での幸福だけを常に与えるとは限らないわけだが、、、、。 そして、仏教徒が菩薩に祈ったりするように、我々凡人がそうしたはるかに高い人格的存在に導かれていて、観音経にあるように 祈りをささげることは、無駄ではない推奨されるべき行為なのだろうか。 アドヴァイタでは、なんかそれすら迷妄と否定的に切り捨てられそうだが・・・
何でこんなに真理とは世間の常識と違うのだろうかな これだけ人が居て向こう側を知らずに一生終わると言うのがな しかもそうゆう人はラーマクリシュナいわく 非常に上手に世俗を生きてるらしいな ラーマクリシュナは向こう側知ってるからそんな生き方無理だとか言ってたな
>>781 ありがとうございます、読んでみます。
おそらく、どちらも真実なんでしょうが・・・しかし自分にはサイババのほうがあってそうですね。
悟りを知らない人間が多数派と言うのがキツいわな 本当のこと言ってもガリレオみたいに 場合によっては相手にされないわけだからな それ考えたらインド人ってすげぇ 知らない境地を認めるんだから頭が柔軟だよな
>>785 場合によってはというより、口にしたら変人ね、狂人扱いして相手にしてくれないでしょう。
それが宗教ってもんでしょ。 神を見たことがない人間が大多数。
788 :
神も仏も名無しさん :2013/02/18(月) 08:18:56.00 ID:s6+G9uTx
最近思ったことだけど私は誰かより自分は誰かのほうがやりやすい
自分探しって言葉はあっても私探しとはあまり言わないし、 「私」ってなじみのない人には実感薄い言葉だよね
>>785 輪姦して鉄パイプ突っ込むインド人すげえな
さすがに未開人だけのことはある
>>785 つかお前普通の人たちと話た方がいいよ
本の話とすげえなしかないから
本の世界に住んでるじゃん
792 :
神も仏も名無しさん :2013/02/18(月) 11:43:17.69 ID:6WKVQmnl
インドは 99.99%以上インチキだから
793 :
神も仏も名無しさん :2013/02/18(月) 14:43:00.88 ID:s6+G9uTx
>>789 自分もそう思った
自分は誰?ならしっかり胸の所に意識が行くけど私は誰だとそれが弱いと思う
私は誰? 自分は誰? 俺は誰? 僕は誰? あたしは誰? 主体は誰? 行為者は誰? 存在者は誰? 個我は誰? 真我は誰? 神は誰? いろいろやってみたらいいと思う
いやーしかし真理とは非常に難解で理解しがたく 人の常識とは大きく異なるから困る 不二一元の無相の境地とは何故かくも近くて遠いものなのだろうかな
人の常識は真理という広大さから見たら 海の表層に漂う波やら泡つぶみたいなもんだからな そういった波やら泡つぶの一つ一つがエゴで 時間と共にいずれ消えてなくなる小ささなんだからスゴいw スゴいものはスゴい、生きててスゴいと感じないなら知らないだけだな 広大な宇宙ですら真理から見たら一部分の視点でしかないくらいだからまったくスゴい話だわ
ピラミッドの時代には星の位置で何かを決めてたらしいが まさかただの小さな光の星が あんなに広大な宇宙の遥か遠くにあるとは 予想できなかっただろうが 似たように現代人も真理というものを舐めてるから インチキとか本の話とか薄っぺらい価値観でしか 世の中を判断できないのであろうな
真理というのは古代での星の光みたいだな あんなに小さくて米つぶみたいな光が地球より大きいんだからな 古代にそんなこと言ってたら気狂い扱いされるが事実は事実だからな
>>791 俺は浅原悟くんをNGIDにぶっこんでる。
昨日、人生に介入する聖霊の存在はあるのかと書いたが、 その後、寝る前に読んだ本が偶然そんな内容だった。 作者が過去の人生で何回も交通事故の被害者、或いは加害者になりそうだったが、 数センチ手前で止まったとか、自力以外の要素によって救われたと。 人生には「恩寵」があるのではないかという章だった。 で、その本を閉じて自分が寝る前に、もしそういう聖霊がいるのなら、いるという証を 明日中に見せて欲しい、と頼んでみた。 朝起きて新聞を読むと、交通事故の記事。バスが転落して44人中死者0、 重傷者が2人、というニュース。 もちろん事故自体が不幸なわけだが、考えようによってはすごい生還率だな、と なんとなく考えた。だがまあそのときは昨夜の祈りを覚えていたから、 それにちなんだこちら側の主観、こじつけだな、と認識した。
で今日は出勤日で、自分は自転車で通勤しているので、 道を行きながら、こうして事故もなく 通勤しているのは、みな何かに守られてるということもあるのかなと思った。 もちろん悪くもないのに不幸な事故にあう人もいるが・・・ そして、日中働きながら、もう事故のこともゆうべの祈りのことも忘れていた。 すると、午後の仕事先の人が、膝の痛みの持病がある、といわれた。 理由は、20年前軽自動車の事故で、車が大破するほとんど死ぬほどの大事故 にあったが、額と膝を縫うだけで済んだのだと。 昨日のテーマから「交通事故」の話を、いまここで話を聞くことになった。 おたがいに関連性はないのに、「事故にあったのに無事」という昨夜の 本の内容と同内容の話を聞けたのは、なにか答えを与えられたと思うのもいいかなと感じた。
803 :
神も仏も名無しさん :2013/02/18(月) 20:24:41.75 ID:6WKVQmnl
それは良いことに気がつかれました
夢と言えば昨夜は夢の中で、所謂「内側」ってやつを意識してたわ。 夢が意識に現れてるのに気付いたとき、ああこれは「外側」か、みたいな こと思って、そのまま夢から意識を外したような、そんな感じだった。
>>795 >不二一元の無相の境地とは何故かくも近くて遠いものなのだろうかな
悟りの境地が高くてすごくてとお前が思い込んだ上に
それになろうとしてるからだよ
まあ自我の敗北は決定している
それに辿り着くことはない
806 :
神も仏も名無しさん :2013/02/18(月) 22:52:55.04 ID:rW9eUy5i
真我探求とバクティ(明け渡し)どちらも一緒のところに行き着くそうですが、ここにいる皆さんは やっぱり真我探求のが好みですか? 自分はラーマクリシュナの本を読むまでラマナマハルシの本はまったく意味が分かりませんでした。 ここ最近やっと私は誰かという問いの重要性がにわかにわかってきました。 皆さんはどのくらいまで進んでいるのですか? 質問ばかりですみませんが、よろしく御願いします。
807 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 01:22:36.60 ID:6gJVWCdc
今は真我探求です 昔は無意識にバクティ的でした けど対象は神じゃなく友人達でした バクティすると無意識に真我探求の行動が起きます 観想と真我探求を自然と行うようになってました 結果的に両方してました 結果をいうとバクティは途中で挫折しました けど挫折すらもその時は気づきませんでしたけど結果的に特殊な成長を促します バクティをすれば真我探求が続き 真我探求を進めればバクティが続きます 昔と違い今は意図的に真我探求をしているのでそれが進めば今度は意図的にバクティが始まるんでは?と思ってますけど 結果言うとどのくらい進んだかを知っているのは神以外いないでしょうし 私は知りませんw
808 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 01:45:02.40 ID:6gJVWCdc
読み直したら結果って言葉が多くなってました 使い勝手が良いいんです
真我探求を「私は誰か」という意味で使ってるのかもしれないけど、 バクティも真我探求の中のひとつなんじゃないの? 真我とは不二であるということだし、バクティも自分を明け渡し、 自他無き不二になっていくことだから、同じだと思うけど 方法論としてはそれぞれ少し違うけど、真我探求していけば、 エゴや個我を放棄して、自分を明け渡していくことにもなると思う 今の自分の性格と合う真我探求のやり方をまずしていけばいいんじゃないのかね やっていくうちに他のやり方と重なってきたり同じになっていったりするだろうし ハタヨガだって何だって真我探求のひとつだと思うし
生きるのが宗教みたいなものだからな この時期は寒いけどこの寒さが生きるということだから 進み具合は神のみぞ知るってのは良い答えだと思う 悟りの神秘は古代人にとっての星みたいなもんで 小さく感じるならおそらくマーヤだもんな
811 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 08:10:37.09 ID:6gJVWCdc
おはようございます そうですね 自分のやりやすい方でいいんでしょうね
チンピラに絡まれてもニコリと人懐こく笑えるくらい 感情がコントロール出来てラーマクリシュナレベルだろうな ラマナマハルシに関してはチンピラを他者と感じてないレベル おそらくそのくらい普通と違うだろうから バクティが易い道かと言われたらそう易くないだろうな
アッシジのフランチェスコもバリバリ殺しあいしてた 敵対勢力のイスラム圏に 単独数人で話し合いに行って敵の偉い立場の者と 仲良しになって帰ってきたらしいからな 聖人や聖者とかそのくらい普通じゃないから有名なんだよ ラマナの言うバクティの道は易いとか それはラマナから見てで我々にはまったく易くないからな
フランチェスコもバクティだからな キリスト教ってのは大きく部類わけしたらバクティだと思うな
815 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 09:35:10.98 ID:v3jAfWzz
皆さんありがとうございます。 とても勉強になります。 807さん やっぱり真我探求とバクティは表裏一体みたいなものなのですね。 どちらか一方が進めば必然的にもう一方の理解も深まっていると、 互いに絡みあっていくことがでsきるのですね。 809さん わかりやすい説明感謝いたします。 なんか今はバクティのほうに心が強く惹かれるのですが、 たまに真我探求もやっているという交互にやっている感じで、 どちらか一方に集中した方がいいと思ったのですが、結局一緒に重なっていく なら心配ないですね、今はバクティ中心で突き進もうと思います。
チンピラに絡まれて怖いなあとか嫌だなあとか感じるなら それがエゴだからな ラマナはそれを神に差し出せとか簡単に言うが それが簡単に感じるなら空の星が小さく感じるようなマーヤだよ そんなに簡単に悟れるなら 仏教もキリストも悟った人ばかりじゃないとおかしいだろ そういった現実の重さを無視して本の知識だけで 話すこと自体が全てはひとつと見れてないってことだからな
>>806 あるがままに の第5章が腑に落ちるようになりました。
感受性の質にこだわる意識、物事の印象を留めておくために思考する意識、
そういった意識の積み上げを以て、それが「私」であるとしてきた自分。
「私は誰か」と言う問いは上記の目的意識を止め、意識の源に留意すること
だと思います。自分にとってはとても役に立つツールでした。
818 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 12:31:20.23 ID:R7cIyDv9
814さん フランチェスコも偉大な聖者ですよね大好きです。 フランチェスコのキリストに対する愛を見習いたいです。 なかなか神にすべてを差し出すのはむずかしいですね。 817さん なるほどちょっとむずかしいです。 私は誰かと自分に質問することで、すべての思考のもとになってる 私を消し去り意識の源にとどまりそこが真我ってことですよね。
『ラマナ・マハルシとの対話 第2巻』(ナチュラルスピリット)、2月26日刊行
>>818 そうだよ、なかなか難しい
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の
何十億人がバクティの道みたいなもんだけど
ラマナマハルシいわくそれが易い道にも関わらず
悟ったなんかあまり聞かないからな
ラマナマハルシ自身が十代で一銭も持たず家出した後に
世界的な聖者になったからラマナの易いがまるで普通じゃない
若くて簡単に悟るのは何回も生まれ変わってんだよ 信じられないかも知れないけどな そうとしか思えないよな ラマナも世を救うために現れた神の化身なんだよ
その何回も命がけの修行を積み重ねてのもんだろう オレらはたぶん命がけではなかったんだろうな 今生の真理に興味を持っただけの生き方からして
>>818 我々の住んでる世界は意識の世界で、物質の世界ではない
みたいなマハラジの言葉でものすごく合点がいきました。
あとは意識の中で起きていること、「私」のパズルがポロポロ
外れていった感じです。
透明なものの上に、少しの隙間も余さず色を塗り重ねる作業に
精を出す様を自我と呼ぶのかなと思いました。
>>819 ペース早いな
すでに全部訳し終えて、校正してる最中なのかな?
第一巻が近くの書店で売り切れてたのはびっくりした
天国とか生まれ変わりとか嘘みたいだけどな 世俗が混乱した時にたまに地上に降りてくるんだよ 正しい真理を説きに神の化身がな イエスだって何世代にも渡る祈りで世に現れたわけで いきなり現れたわけじゃないからな
826 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 21:23:13.43 ID:FfaSf1wo
823さん 親切なご説明ありがとうございます。 なるほどーちょっと何回も文章を読まないと理解ができませんでした。 まだもうちょっと自分は真我探求が必要な気がします。 ずっと私の源に留まり続けて、それが自然となされる状態が真我の実現ですよね? 825さん そうですね私は生まれ変わりは信じてます。 キリストも仏陀もラーマクリシュナもラマナマハルシも 神の化身だと信じてます。 ラマナなんて修行とかなしで解脱ですから、ほんと偉大だと思います。
探している者こそが、探しているものである。 どうりで見つからないはずである。「私」が「私」を探していたのである。 自分の目で、自分の目玉を見ようと悪戦苦闘していたのである。 これが「私」だ、これが「真我」だ、といえるようなものではなかったのである。 ・・・・・という感想に至ったんだがw
829 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 22:05:32.19 ID:5eOPj9JK
「これが私である」ではなく、「私はある」である。 感想から、体験へと進まねばならない。
妙好人なんかろくに字もかけないのに悟ってるのがすごい。 禅の鈴木大拙が「真宗入門」を書いてるが、すごい衝撃を受けた。 これとヨブ記は、神(真我)と人(エゴ)の、主客転換の最高のサンプル。
831 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 22:52:35.53 ID:8xaejH5y
思い込みも妄想もここまでくれば狂人だ
832 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 22:53:32.32 ID:gEx/PcyL
<<827 さん ごめんあんまり書き込んだことなかったから、 こんな初歩的なことすらできなかったよ。 今調べてやってみた。
833 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 22:56:34.67 ID:gEx/PcyL
ノープロブレム!
835 :
神も仏も名無しさん :2013/02/19(火) 23:11:44.34 ID:8xaejH5y
アンカー全角の癖は治らんのか 白山道
836 :
神も仏も名無しさん :2013/02/20(水) 01:18:46.60 ID:gIVhocIk
思い込みと妄想がすげぇ〜w
837 :
神も仏も名無しさん :2013/02/20(水) 06:45:17.81 ID:RMNR58F1
>830 「真宗入門」はとてつもなく偉大な本です。 インドの覚者は往相のみで、 輪廻を断ち切り二度と生まれないことが最終目標 鈴木大拙は往相+還相で、 何度でも彼岸から此岸に戻ってくる そこが子供と大人ほど違うと思う
アルナーチャラの辺りもラマナが生まれでてくるまでに 何世代もの人々の祈りが行われてきた聖なる土地なんだろうな
『ラマナ・マハルシとの対話 第2巻』、すでに紀伊國屋新宿本店に並んでた。 もちろん、即行で購入、残りはあと2冊のみ。 結構売れてるみたいだね。 時代は変わったもんだ。
840 :
神も仏も名無しさん :2013/02/20(水) 18:15:57.57 ID:RMNR58F1
子供向けの本だから、読者はたくさんいる
841 :
神も仏も名無しさん :2013/02/20(水) 19:06:13.02 ID:pLFuL/jB
え、もう出てるのか。ちょっと、貸してほしい。
842 :
神も仏も名無しさん :2013/02/21(木) 02:00:25.36 ID:X1jqylRu
ヨガナンダは謎の男。
アドヴァイタには大乗仏教みたいな他者救済の思想はないの? 成道後の釈迦も、スタイル的には大乗なこと言ってたが。
844 :
神も仏も名無しさん :2013/02/21(木) 05:35:40.89 ID:2mfIfmml
マハルシは、他者を助けるぞ〜的な物言いはしませんね。釈迦と同じく「誓願自浄心」かも。
真我を実現すれば全てが完璧なのがわかるから 他者を救う必要なんかない 既に救われてるから 救われてないと思い込む自我のマーヤーから 目覚めさせるのがアドヴァイタ だからラマナは真我を実現しなさいと説く
846 :
神も仏も名無しさん :2013/02/21(木) 07:45:53.11 ID:8wDyiqCA
孔子はカルマ・ヨーガの達人だ
847 :
神も仏も名無しさん :2013/02/21(木) 11:18:38.07 ID:WCSa7r0a
私は外の世界と自分との接点は胸の奥にあると思う。 五感はアンテナのようなものなのかなと。 ところで、歴史上の覚者には実質的に山を下りた人はいるのか。 実社会で我々と同じように生活しながら真理を説く。 そうではなくて、山を下りても信者に囲まれて真理を説くことを専業にするのならば、 山の上にいるのと変わりはない。 そして、そういう状況でならば真理を生きるのは難しくはないのではなかろうか。
>>847 五感でも六感でも七感でも、そういう感覚に引きずられることを自我と呼ぶのかもしれないね。
真理が何を指してるのかわかんないけど、真我から離れて何かを認識することはできないって
ことだろうから、何がどういう振る舞いをしたところで、それに煩わされることもないんだろう。
環境や状況によっていくらでもコロコロ変わっちゃうものを非実在と言ってるんだと思うよ。
人の感受性とか考え方とか行動様式とかも。
だからきっと目覚めってのは非実在に惑わされないことなんじゃないかなと。
ま、惑わされてても惑わされてなくても、真我からは離れようがないんだろうけどw
>>848 私が今読んでいる翻訳書でマハルシは「自己(=ここでいう「真我」)」を「深い眠りの状態」と表現しています。
そこで単純な疑問なんですが、深い眠りの状態で目覚めるってどういうことなのかなと。
>>847 >私は外の世界と自分との接点は胸の奥にあると思う。
>五感はアンテナのようなものなのかなと。
続きなんですが、マハルシのいうように心が驚異的なものならば、
もしかしたら個々人の心が世界を作っているのかもしれない。
五感はそれを確認するためのアンテナかもしれないなと。
そして、その心の奥に心とは両立しない「真我」なるものが隠れているのかなと思ったりもします。
起きてるとき、寝て夢を見てるとき、熟睡、 それら自分の状態に限らずいつでも変わらずあるのが真我 真我が深い眠りの状態というより、 深い眠りで肉体や心が動いてないとき、 対象を認識する自分がなく、自分と呼べる対象の認識がないときでも、 変わらずあるものが真我
>>849 >私が今読んでいる翻訳書でマハルシは「自己(=ここでいう「真我」)」を「深い眠りの状態」と表現しています。
失礼しました。誤解していたようです。
真我の存在を否定しませんが、自我なくして真我を認識できるものなのでしょうか。
また、自我は真我を認識できるものなのでしょうか。
私は自我と真我は両立しないものではないかと思っています。
もし両立しないならば、なにが真我を認識するのでしょうか。
>>852 そのへんをちゃんと説明できるのはもう覚者ぐらいで、
このスレには本の引用で説明するか、せいぜい断片的にわかる人くらいじゃないかなあ
いれば説明してくれるかもしれないけど
認識されるものが認識するものだとか、認識する主体が主体でありながら自分ではないとか、
ただ神だけがあるとか、いろんな表現されてるとは思う
真我実現は、個人性の消滅とか、体や心との同一化が全てなくなることとか、いうし
それがどういう状態なのかは、本を読みこんで自分で実践して分かっていくしかないと思うよ
>>853 そうなんですよね。私はもうずっとこの疑問を抱えていて、これから脱せずにいます。
あえていうなら、「自我というものは本当に自分だろうか」と考えたりもします。
個々人の胸の中に集合無意識の断片を感じ取る部分があって、
その感じ取っている断片を「自分」だと錯覚しているのかもしれないなと。
ラマナいわく そういった迷いを断ち切るには真我にありなさいって言うね 軽く悟るだけでも霊的感受性が鋭くなって 今まで見えなかった物事がキチン見えてくると言うことじゃないのかな? 自分の目で確かめるくらい物事に確信持てることってないもんな
それを考えていても、覚者が消えると言った物は消えるし、消えないと言った物は消えないってことで、考えるのは余興にすぎないとおもう
>>854 そして、自己観察をしていて気づくのですが自己観察とは「自分を見ている自分」という状態で、
見られている自分が自我で、見ている自分は自我とは別のものではないか。
この「見ている自分」が自我を通りぬけて真我に気づくことが「目覚めた」ということなのかなと。
こんなことでも考えなければ、どうにも私の中で筋が通りません。
長々と失礼しました。
>>856 は
>>854 に対してのレスね
どれほど考えても、すでに結果が出ていて、それは考えた時間に応じて切り替わる結果ではないので、考えるよりは結果を求めた方がいい
>>854 >>857 言えることは、見ている自分が、見ている自分と見られている対象を分けているよね
分けているから見れている、見れていると思える、見れている自分があると思える
見ている自分、自分と対象を分けている自分を見てみるのがいいんじゃないかなあ
あるいは、見ている自分ではなく、見られてる自分に徹するとかね
自分がただ見られてる自分のとき、いったい誰が自分を見ているのか、とかね
そうするうちに、少しはわかっていったよ
真我を自ら実現するのが一番だよ ラマナがそんな風に言うのはもっともな意見だよ 自分の目で悟って確かめるくらい確信持てることなんかない 釈迦いわく自己こそ自己の主なんだよな ラマナもようするに同じようなこと言ってる
>>848 >真理が何を指してるのかわかんないけど、真我から離れて何かを認識することはできないって
>ことだろうから、・・・
>ま、惑わされてても惑わされてなくても、真我からは離れようがないんだろうけどw
支離滅裂な哀れな人の感想文
真我を語っても真我が分んないままで
こういう人は負け犬のままで人生終りかけてる
862 :
神も仏も名無しさん :2013/02/21(木) 18:26:24.01 ID:2mfIfmml
>>852 真我が、「私は在る」という意識であるから、真我自身が真我であると体験している。
自我が消えると、真我となる。自我が真我を認識するのではない。
本当のことを言ったとしても 在るか無いかの水掛け論になるのは見えてるからなあ 大体テレビ番組でもグッダグダな結末だし 釈迦も悟るための方法は教授するが そういった不可知な世界の在る無いは 一貫して無記で通したからなあ そんな議論する暇があるなら 悟るための努力をしなさいみたいな感じ だったんじゃないのかな
864 :
神も仏も名無しさん :2013/02/21(木) 19:07:45.77 ID:kEyLLY9N
>>852 真我を実現したらその中で自我は消え去って真我だけがのこるんでしょたぶん。
認識する者もされる者もなくただ真我(意識)だけがのこるんじゃないでしょうか。
>>852 見る意識・聞く意識・触れる意識・考える意識・思う意識、様々な器官の働きによって
意識を区別してしまうからね。もちろん対象という区別もね。
意識がないと私と対象は成り立たないし、で、意識が働くにもその源があるわけで。
てことは移り変わるもの全てには悉く意識が働いてるんだろうし、形の違うものでも
源をたどっていけば同じなんじゃねーの?みたいなことだと思うよ。
で、どこをどうたどればわかりやすいか、ってことで今ここに在る「私」から行った方が
簡単だよね、ってのが直接探求なのではないかと。
>>861 >真我を語っても真我が分んないままで
>こういう人は負け犬のままで人生終りかけてる
あなたの真理をわざわざ教えてくれでどうもありがとうw
ちょっと吹いたわww
>>865 あいかわず何言ってんのかわかんない日本語だし
へたな感想文
>あなたの真理をわざわざ教えてくれでどうもありがとうw
真理なんて教えてませんよ
真我に逃避するあなた女々しいですな
真我を探求する者なら、勝ち負けとか成功失敗の概念は真っ先に捨ててしまった方が良い ああいうのは時間軸上の「ある一点」、極わずかな期間の状態に対する評価でしかなく、なおかつ、それが永遠に持続するように思わせる概念だから ダスカロスは、名声とは罠なのだと言った あの言葉はそのままの意味でも捉えられるし、もっと深く読むこともできる 悟りに至ると名声名誉権威などまやかしの概念は消え去る まやかしは、その通りまやかしでしかない まやかしを大切にする者は、まやかしと共に迷い続ける
今日、新装版の「神の使者」を買ってきた。 ラマナとの対話Aも昨日買ったし、本代も結構馬鹿にならないね。 ところでやはり我々凡人には「私は誰か」を敷居が高すぎる。 そこでACIMやQE、バイロン・ケイティの方法みたいな、 具体的な手順・プロセス・ワークが必要になるんだと思う。
ビックバンから宇宙がはじまり、その爆発から生まれたエネルギーがDNAとなり生命とその進化がはじまった 偶然DNAが誕生し、生命はその偶然できたDNAからはじまっている 科学はこんな感じかな そんなわけあるかあぁ〜ぁい!と思うわな ビックバンが起こる以前の宇宙がまだ形として存在する以前の無限の無が生命そのものでなければ、DNAが進化し始めるわけがない となると我々の生命は、その無限の生命そのものだということになる 生きている大宇宙そのものの生命が吾ということになる
めんどくせぇ〜 なんというか、ただの思考遊戯なら、しないほうがいい気がする。 それと同一化するだけだからね。
872 :
神も仏も名無しさん :2013/02/22(金) 19:07:01.56 ID:fsnO6lQm
しょうこうの修行のがよかった
>>845 >他者を救う必要なんかない
>既に救われてるから
人間が苦しむのが、自我にとらわれているからだとすると、
そのとらわれから解き放つのが「他者救済」にならないか。仏教の他者救済もそれだろ。
>救われてないと思い込む自我のマーヤーから
>目覚めさせるのがアドヴァイタ
ブッダの布教活動もそのためでしょ。
ただブッダの場合は、他の道を行く五人の沙門から始まり王族から庶民まで、
直接赴いて、すごい労力と50年以上もの膨大な時間をかけて何カ国もの遠大な距離を、
戒律や修行法を編み出して指導した。それも死ぬまで。「他者を救う必要なんかない」とは言わずに。
ラマナも他者に乞われるまま説いたが、生涯同じ土地で座して語ったところから、
積極性が会社経営とホームレスくらい違う。
別にどっちが上とか言うつもりはないが、この差が単なる個性の差なのか、それとも境地の違いなのかは
関心がある。
874 :
神も仏も名無しさん :2013/02/22(金) 20:55:41.99 ID:TAjYgr5q
シャンカラも歩き回って教えを説いたみたいですね。聖者が王としての役割 をはたしたり、商売したりすることもあるみたい。 それぞれの環境で必要な役割を果たしてるだけでしょうね。境地に違いはなく、 見た目がことなるだけじゃないかな。
そうかもな。 王族、商人、おしゃべり、寡黙、それぞれの個性があるのかもね。 ブッダのような論理的な哲学者もいれば、 ひっそりと無学な一般市民もいるということだろうか。
救いの定義が大乗との比較なら アドヴァイタの救いはどちらかと言えば 小乗みたいな自らの悟りを優先する出家宗教だろうね 大乗みたいな信じるだけで涅槃に行けるとか そんな救いはアドヴァイタには無いよ 他者を救う必要が無いと言うより そもそも大乗みたいな救いは期待してもアドヴァイタにはないと思う
877 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 01:22:08.21 ID:Dq42PmB1
ラマナ・マハルシ 「世界のことは世界に任せなさい。」 ヴィヴェーカーナンダ 「世界はあなたの救いなど必要としていない。」 なんかのcm曲 「世界を変えさせておくれよ」
878 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 01:58:05.06 ID:/Vl7NY3R
>大乗みたいな信じるだけで涅槃に行けるとか そんな教えあったっけ?
>>875 >>ひっそりと無学な一般市民もいるということだろうか。
それってキミ自身てことだよ(爆笑!
>>878 俺もよく知らないけど大乗仏教が爆発的に広まったのは
クシャン人などの貿易商人とシルクロードが関係あるらしく
大乗の教えを受け入れ信じるだけで悟れて涅槃行きなどの甘い噂も
大乗が広まる要素だったらしい
すでにみんな涅槃にいると考えるんだから、むしろ大乗的じゃないかな。
882 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 13:01:13.29 ID:h+rLV83I
真我を実現することが人類にできる最大の奉仕になるんじゃなったっけ。
883 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 13:21:59.26 ID:/Vl7NY3R
>>875 横からだけど、無学なというのは浄土宗の信者とか、中世の庶民の信仰者とか、
文字も知らない低カーストの信仰者の中にも悟りを開く人はいるということでは。
本だけやって悟れたら、学者はみんな悟れる。
シャカやシャンカラは、悟りを言語化、体系化した人であって、すべての覚者がそうではあるまい。
無学なのが悟りへのさまたげになると思っていたら、それは君の間違いだよ。
「今みんな夢の中にいる」ことに、理屈では気づいていても、 体感として目覚めるまでには修行がいるでしょう。 「君はすでに涅槃にいる」「衆生はすでに悟っている」といわれて、本当に涅槃にいる人がこのスレに何人いるのか。 世俗の物事にラマナと同じように感じ、対処して、輪廻の苦しみも持ってない人いる? 世事のあれこれに苦悩せず、このスレをみる必要もなく、ただ平安の中で座ってだけいられますか? だとしたらその人は、その人の言うとおり救いは必要ないと思うが、「救い」の定義を「目覚める」ことだとすると、まだまだみんな救われてないんではないの。 大乗でも「草木山川 悉皆成仏」とか言って、「すべてのものはすでに悟りの中にいる」という思想 があるけど、それを体感する=目覚める=救われるまでは、煩悩に汚染されているという立場。 煩悩に汚染されながら、「俺はもう救われてるんだから、救われる必要はない」なんてのは、強がりではないかな。 誰かが言っていたとおり、煩悩がある以上悟りというのは、難しいものだよ。「皆すでに涅槃にいる」の一言で 解決するようなものではないと思うな。
>>「今みんな夢の中にいる」ことに、理屈では気づいていても、 常識的に生きる人はそんなアホなことに気付いてないしそもそも認めない 自分の現実や人生を直視できないようなみじめな人が夢の中にいるんだよとか 本当の自分は真我なんだからといって逃げ込むんですな けっきょくは手前勝手な妄想設定への逃避でしょ
まあ、そういうのはあるよ 救われたい理由が逃避によるものでも 大地の力に逆らわない生き方をするなら救われる 個人の実力では無い巨大な力の流れに 乗った者勝ちな運みたいなのはあるね 逆にそれくらい人間なんか小さな存在であるとも言える 大別するなら人間に生まれた時点で大きな流れの前では そんなに個々に差がないってことなのだろう
887 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 17:13:32.15 ID:6bm6vJS0
自分の現実や人生がを直視するのがそんなに大変なことかな。なにも隠れてないし。 その上での話でしょ。
>>887 そりゃ境遇によるでしょうよ。
不登校引きこもり職歴なしで数十年なんてきたら直視は相当難しいと思う。
889 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 18:08:29.86 ID:6bm6vJS0
>>888 別にそれはそれで自覚せざるを得ないでしょう。直視しないってどういうことなのかな。
そうじゃない、そうじゃない、なんて思いこむのかな。それこそ難しいと思うけどね。
「登校引きこもり職歴なしで数十年」のものがラマナの教えを実践しても何の問題もなく、素晴らしいこと
だと思うけどな。
>>889 ではなく、その状況なり苦しみをなんとかするために
悟りを求めたりってことなんじゃないかな。
苦しみは頭の中にあるもんで、
現実逃避とか思考停止と言われるように
それを考えなかったり、他のものに熱中することで頭に浮かばないようにすると。
つか、書いてて思ったが宗教ってのは常識的な観点からしたら
現実逃避であり思考停止なのは本当なので間違っていないな。
891 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 18:20:55.13 ID:6bm6vJS0
>>890 苦しみを解決するために宗教があるから、何の問題もないでしょう。仏教は
堂々と、「苦からの解脱」を説いてる。お釈迦様を「現実逃避者」と呼ぶ
人が、あなたのいう現実的な世間から「現実的な人」と言われるか試してみた
らいいでしょうね。
>>891 出家者、放棄者というのだから同じ意味だろう。
世間の観点からはそう見えて何の問題もないと思うが。
ある定規で計ったらこうなったってだけの話だ。
なんで突っかかってんの?
人間の道徳には善と悪があるが 霊的世界には罪人しかこの世には居ないからな 歩くだけで虫は踏むし、息を吸うだけで虫を吸い込む だから理不尽なようでも税金を納めない引きこもりも 悟りを開くならこの世では引きこもりでも霊的世界では救われる 人から見たら引きこもりでも虫から見たら悟るのは善なんだろうね
宇宙全体のバランスと一体になるのが悟りだからな 公共事業で自然を壊すのに反対したら人からは嫌われるが 霊の世界では正しかったりするんだよ ガッチリ厚生年金貰ったはいいが 生まれ変わって自然破壊した罰に パレスチナのラクダに生まれ変わったら困るだろw
>>890 「宗教ってのは」て一くくりにして「現実逃避であり思考停止なのは本当なので間違っていないな。」
とか呆れますぅ
オームでヨガってるアホばかりが宗教てことにはなりませんですな
歳がいもない昭和のオサーン
896 :
神も仏も名無しさん :2013/02/23(土) 19:27:23.35 ID:BzPrsLYE
>>892 出家者をだれも、「現実逃避者」といわない。世間の観点でなく、あなたの偏狭な観点。
偏狭な観点でえらそうに語るから、「つっかかられてる」んじゃない(笑)?
ところで、なんでこのスレにいるのかな?いやがらせ?
現実逃避の宗教も確かにあるけど、アドヴァイタがそれと同じだと思ってるのなら、勉強不足だし、 この教えを誤用してしまう危険があるので、もうちょい勉強してから実践するなり、人に話すなり、人と話をするなりしたほうがいい
文章読解力のない奴ばかりなのか? 世間の物差しでそう測られても当然だし何の間違いもないといってるんだが。
あーあと言い忘れた。
>>895 そこともう一点、文頭の「ではなく」は間違った(同じようなことを彼も結果言っ
ていた)と思ったが面倒なんで書かなかった。誤解が生じたなら申し訳ないな。
宗教でも現実の問題解決に重点を置くものもあるし、凶悪犯罪者などは思考停止に
よって問題解決にもなるしね。
>>898 大元の書き込みを見ないで流れだけ見てレスしてしまった
どうもすいませんでした
>>896 「つっかかられてる」て
そのオサーン、他スレでは邪悪な書き込みあらしまくり
そうとううっぷんたまってんでしょ
それでもサウジアラビアだかの金持ちは 凄いゆったりしてたけどな お喋りでない仲間数人とゆったりと食事してたな そうゆうゆったりとした時間や意識が悟りに近いんだけどね 別に引きこもりに限定しなくても良いと思うが
>>896 あなたの言う「現実」という言葉を、「世の実相」ととるか「俗事」ととるかで
意味が180度変わる。前者はあるがままの世界で、後者は世間八法。
後者からの逃避は厭離といわれる。
言葉の解釈の違いであって、
>>892 さんは後者で捉えている。
だから、どっちもまちがっていない。
引きこもりにしろ、会社人にしろ、世間八法の尺度で生きている以上、 大差はない。というか、本質的に同じ。 どっちも、俗世間の価値観にしたがって、世間を恐れて引きこもったり、社会に参加してるわけですよ。 救道者が出家したり、奉仕活動してるわけじゃないからね。。 このスレで社会的成功や、他人の目を気にしたりしてない人いますか? 気にならないなら世間八法から逃れているわけで。 そうじゃないなら、引きこもりや堀江モンと多かれ少なかれ同じだわな。
それと、
>>901 俺には、おまえだけ、くだらない、
ただはやしたてるだけの取るに足らないカスにしか見えないんだがな。
呆れたあらしまくりの誠意の欠片もないやつはおまえじゃないのか?
愉快感を得たいだけの、誠実さのかけらもない。
もうくるなよ。二度と。カスが。失せろ。
>>905 昭和の負け犬オサーン
うっせーよ
あんた死ねば
908 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 03:44:42.34 ID:J/PtyTpW
>884 >「今みんな夢の中にいる」ことに、理屈では気づいていても、 >体感として目覚めるまでには修行がいるでしょう。 厳しい言葉だ「体感」 改めて気づかされました 知りも知らないことをさぞ理解したように思い込んでいることにきづかされました ありがとう
真我においては主体・客体の区別がないのだとしたら、 それはすなわち「無」を意味するのではないでしょうか。 私は、意識と自我が和解することで自我が無の世界に帰り、 最終的に意識が無を直接に体験すること、これが真我の実現かもしれないと思います。
910 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 07:03:51.50 ID:PBvgzDXN
>>903 そんな高尚な意味で捉えてないのは書いてる内容見れば明らか。文脈で
判断しないとなんとでもいえる。「現実」は一般人が言う意味の「現実」
以外でとらえてない。
>つか、書いてて思ったが宗教ってのは常識的な観点からしたら
現実逃避であり思考停止なのは本当なので間違っていないな。
この現実を「世の実相」の意味で使ってると思う?885の内容からみて浅薄さのかたまり。
911 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 09:35:30.79 ID:B33e0xLy
無はただそこにあるだけ
私は「無」というものに対する見方について疑問を持っています。 つまり、「無」は存在の立場からの片寄った見方ではないのか。 「無」は、本当は我々が想像するようなものではないのではなかろうか。 逆に「無」の世界から存在の世界を見たならば、どのように見えるだろうか。 このようなことを考えます。
一般人だろうと引きこもりだろうと イライラ落ち着かないのは嫌がられるだろ? 悟りというのは世俗と関係ない内面の意識の問題だからな イライラしてない内面の意識を手にいれるのに 世間の目を何故気にする必要があるんだ? サウジアラビアの金持ちみたいにのんびりしてたらいいんだよ
それに誰でも毎日寝てるじゃないか? その間に心が消滅した悟りに近い意識を誰でも知ってる 起きてる間に似たようにのんびりした意識を持てばよいだけで 世間の目なんか関係ない内面の意識の問題だ のんびりすればいいんだよ、イライラするな
>>904 同意だな。居場所が違うだけで同じだよ。
イライラしてるなら悟りからは遠い にも関わらず宗教的な知識が豊富なら 私は悟りに近いのだと思い込むのがマーヤー イライラして知識だけある見た目だけの出家者なら 仕事して休憩の合間にのんびりした世俗人のほうがマシだ
イライラしてるなら内面の感情をコントロールする ヨガの技術がまったく未熟だというわけだな にも関わらず知識だけ豊富ならヨガの技術もマスターだと 人は思い込むがそんなものはマーヤーだよ その程度の感情のコントロールできる人は ヨガなんか知らない一般人にも普通に居るから それだけ悟りは遠い存在だと言うことだな
918 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 11:23:24.95 ID:B33e0xLy
イライラ
イライラするのはしかたがない。だが、 イライラはただの現象だから、現象としてとらえればいい。 ようするに、巻き込まれて同一化しないこと。ラマナもマハラジも本読むとけっこうイライラしている。 ブッダもイエスも結構怒っている。 感情は、空に雨が降るようなものでしょう。 諸行無常で、天気は変わる。でも空は不変で、ありのままにある。 あと、マーヤーの使い方はちがうのではないか? この世で同一化したもの、自分だと思い込むこと、その対象との同一化が迷妄であるということ。 単に、理論や概念の誤謬をマーヤーというのではないと思うが。もとから完全な理論や概念はない。 理論も概念も、空に浮かんだ雲や雨みたいなもので。 空に浮かんだ雲、雨、天気を本質だと思うことがマーヤー。 本質は空。
ようするに、認識できる全てがマーヤー。 ID:LmFGAqQDの言うことは概ね同意だが、「ある境地」も、それと同一化したらマーヤーだと思う。 チベット仏教のグルのセリフ 「境地でさえ、無常なのです」 境地ですら移り変わり過ぎ去っていく、固定して つかんだまま放さないでいられるわけじゃないと思ったら、 それをつかんでいると思い込んでいた「主体(エゴ)」なんてものはないんだと思った。
さっきコーンを盛大にこぼして、こぼれるコーンに腹が立ったけど、 これはコーンをこぼしたというだけであり、これについて様々に考える意味はないと すぐにニュートラルに立ち戻ることができた こういう怒りのときはアドヴァイタとか学んでいてよかった 以前の俺なら癇癪おこしてコーン遠投大会が開かれるところだった
922 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 13:44:44.63 ID:J/PtyTpW
無=力(E=mc2)だと気付けないのかな? このインターネットによる情報革新時代に もっと各方面の知識を見ればいいのにねw アルツお年寄り、若ボケにはムリポ
923 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 13:53:09.55 ID:B33e0xLy
無は無さ
その力って物理的な力、つまり力学として表すことができる作用のこと? もしくはそれ以外? それ以外の力ってどんなもの?
925 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 14:07:44.93 ID:PBvgzDXN
真我でないものの非同一化=真我への同一化ともいえる 境地への執着とか言う人は、執着する主体が存在しない境地を理解できないんだろうな。 ある人がいて、その人がいる境地があって、、、どんな内容を話してようと、主体がいる のが前提になってる。 イライラとか内面に波がないのが聖者。仕方なく怒るふりすることはあっても怒りの感情はない。 無欲と表される境地に、怒りの存在する余地はない。さういう境地でありたい(なりたいでなく)。
926 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 14:12:04.54 ID:PBvgzDXN
だいたいイライラするために必要な主体がいない。目がなければ見えない。
927 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 14:17:06.93 ID:PBvgzDXN
よく、内面には欲や怒りはあるけど同一化しなければいい、みたいな生ぬるいこと 言う人いるけど、ブッダなんか「毒の根である欲や怒りを根こそぎにしろ」とか言 うからなあ。まあ、そこは置いといて自分の解釈をしたくなるんだろうな。これこそが マーヤーの仕業かな(笑)。
>>925-927 くっだらない相変わらず意味不明な日本語
オサーン チョーセンへ帰って死んでしまえばいいよ
真我なんてあるはずないじゃない あるのは顕在意識としての自分と潜在意識だけ 真我あるなら証拠だしなさいよ 脳内妄想すればなんだってあることになるでしょ 本当の自分とかもう一人の自分とかさ ぜーんぶ逃避先として妄想された自分なわけ ヘンなインド人の迷信に振り回されるヘンなオジサン
瞑想中に光をイメージすると光そのものが雑念を静めてくれるそうだ CS2「解明・宇宙の仕組み」はその光をイメージするのに便利かも知れない 自分が姿形ではなかったんだという実感が呼び起こされる人もいると思う
テーラワーダの受け売りはノーサンキュー。
「真我」という訳語が誤解のもとなのかな。 これは「本当の自分」という意味でしょう。 「真我」の本来の意味には個としての自分というものは含まれないんだろうな。
934 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 20:47:58.06 ID:J/PtyTpW
>933 当たり前のことをさぞ発見したかのように言うなヴォケ
>>934 これをはっきりさせておかないと、真我に対する批判が混乱する。
といっても、真我やそれを求める人たちを批判することでなにをしたいのか自体がよくわからんが。
ちなみに私はマハルシにを信奉するものではないが、私が真我探求に関心があるのは、 この世界に数ある疑問のなかで「私とはなにか」という疑問がもっとも本質的・根本的な疑問だと思うからだ。 私にとっては、これ以外の疑問は瑣末なものにすぎない。 「私とはなにか」、この謎を解くことほどこの世界に刺激的なことはない。
937 :
神も仏も名無しさん :2013/02/24(日) 21:24:04.29 ID:J/PtyTpW
>936 気負ってガンバレヤ あ〜こりゃこりゃwww
>>「私とはなにか」 あぶくだよ あぶく 湖底にできたあぶくが湖底をはなれて ポヨヨーンと水面へのぼってく あぶくは一時確かに存在しますよ でも水面にたどりつくとパチンと消える 空気が空気にもどっただけ あぶくに「真あぶく」があるとでも言いたいわけ? 消えるもんに真何とかなんてあるわけないつの インド土人の迷信なんてアッホくさー
だからテーラワーダの受け売りはノーサンキューだと言ってるだろうが
訳語の話が出たんで聞きたいんだけど、今出てる対話シリーズってのは正確な訳のものなの? 原文が何語かわからないんだけど、原文で使われてるニュアンスまでしっかりと訳したものなのかとちょっと気になって
訳が正確かどうかは本人(ラマナ)にしかわからないじゃないですかね 本になったあとラマナが目を通したり、訳されたあと訳文をラマナが目を通した本って どれだっけ どっちみち日本訳は、訳の訳で正確かどうかなんてなんとも言えないかと
世間八法ってハイキングのしおり的な感じなのかな。 歩くと疲れます 歩くと喉が渇きます 歩くとお腹が減ります レベルの。 行く前は何これふざけんなこんなはずないだろみたいな感じなんだろうけど、 行った後はあーあるあるwくらいなノリになるんだろうね。 そこから展開させる知識というよりも、収斂していくための智慧なんだろう。 チラ裏ですまんけども。
>>942 毎回昭和苦労人の独り言なんだからリアルチラ裏に書けばいいよ
くだらないアンタのツブヤキは無意味だし臭い
まるで道端に転がっている犬の糞を見た気分ですぅ
945 :
神も仏も名無しさん :2013/02/25(月) 00:58:40.28 ID:0N9g5eYA
>943 禿同 >942 人間のクズだね
947 :
神も仏も名無しさん :2013/02/25(月) 12:11:50.38 ID:QRvCvnSl
>>940 元々、シュリ・ラマナの母語はタミル語なんだけど、talksはタミル語で記録された
わけではなく、英語で通訳の人が記録したものらしい。タミル語版もあるみたいだけど、
それは、その英語の記録をタミル語に翻訳したものみたい。
英語の日本語訳はかなり正確だと思われるけど、シュリ・ラマナがチェックしたわけでない
から、元々の英語の記録がばっちり正確なシュリ・ラマナの言葉ではない。そこんとこ
前提にして、あとは訳文の好みの問題。SELFにしても、「真我」、「自己」、「本
当の自分」とかいろいろな訳が当てられるからね。
948 :
神も仏も名無しさん :2013/02/25(月) 12:19:46.52 ID:QRvCvnSl
あとここで、汚い言葉を書き込んでる人は、それ相応の悪い結果が来ると思うから気をつけた方がいいと思いますよ。 「まだ悪の報いが熟しない間は、悪人でも幸運に会うことがある。しかし悪の報いが熟したときには、悪人は災いに会う。」 「その報いは私には来ないであろう」と思って、悪を軽んずるな。水が一滴ずつ滴り落ちるならば、水瓶でも満たされるのである。 愚かな者は、水を少しずつでも集めるように悪を積むならば、やがては災いに満たされる。」(ダンマパダ、仏陀)
このスレの住人2M4qe/xB 95 :神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 23:41:47.61 ID:2M4qe/xB 議論だってwwwwwwwwwwwwwww ぎゃははははははは! 古代のゴミが議論してるつもりだとさ!
このスレの住人2M4qe/xB 105 :神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 23:57:57.73 ID:2M4qe/xB クソバカコンビのグノーシスめが。 生き方で実証しろ、低能め。 貧乏は辛いな、雑種のワン太郎くんは真夜中にお散歩。 こんなところに書き込みしている時間があるなら、とっとと散歩に池や、グズめがwwwwwwwwwwwwww 職を持たない息子はどうした? 徘徊老人めがwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
951 :
神も仏も名無しさん :2013/02/25(月) 19:21:34.34 ID:Oq2/qw/j
>くだらないアンタのツブヤキは無意味だし臭い まるで道端に転がっている犬の糞を見た気分ですぅ(by Wqy+nEjh) 人の書き込みより、自分の程度の低い、口汚い書き込みを反省すべきじゃないの?
このスレの住人 まさにキチガイ 他にもたーくさんレス落してます 99 :神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 23:51:51.32 ID:2M4qe/xB 俺はキリスト教も支持しないが、自スレも立てずやたらに喧嘩をふっかけるような ヨハンネスの姿勢は糾弾するねwwwwwwwwwwwww 貧乏だから●も買えないのはわかった。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww 古代のゴミの立場に固執するグノ氏を信奉するのも理解できる。独り立ちできないアフォだからだ。 で、本家本元のグノはここで議論しているつもりだと。バカじゃねーの? どこまでバカなんだよ、死ねよ、お前ら。wwwwwwwwwwwwwwwww
>>944 NGIDいいね。道に落ちているクソが一掃された感じだ。
今後も使おう。
大切なのは自己の内面の観察だ 蓮の葉が水を弾くように ヨガを極める者はこの世の罪に汚されない
自己の内面の観察は 仏教ともキリスト教ともアドヴァイタとも 喧嘩しない不変の真理だよ 汝の敵を仮に愛せるならヨガマスターだし 会社勤めする上でもそれくらい人格者なら 嫌われないから良いことづくめだよ
956 :
神も仏も名無しさん :2013/02/25(月) 23:16:38.17 ID:jqnycbYH
エゴがどれだけ騒いでも、真我は常に沈黙しています。
>>591 ID:2M4qe/xB まさにキチガイの本音
59 :神も仏も名無しさん:2013/02/08(金) 22:09:17.50 ID:2M4qe/xB
悔恨ばかりが目立つヨハンネスの書きこみ。哀れだぜ。悔いの多い人生。焦点が定まらず
アッチウロウロコッチウロウロ。だから誰にも相手にされないのだ。
オマエは仏教徒にもキリスト教徒にもグノーシスにもなれないただのチンピラ。
死ねよ、誰も止めないぜ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>591 と
>>957 読みくらべたらー
この二重神格性にあ然!
このジジは自分のことを他人に見立てる性癖がありますねー
>>957 (他スレ>59)ヨハンネス某に現実の自分を投影して攻撃性を現す
>>591 虚構された真我へ現実から逃避することで偽りの安心感に浸る
インド土人の真我迷信てスバラシー
959 :
神も仏も名無しさん :2013/02/26(火) 12:09:17.65 ID:GcHj8WyF
ズル剥け赤ちんこ
>>619 ID:tuCM62xx
(他スレ カキコ時刻に注目してね)
147 :神も仏も名無しさん[sage]:2013/02/09(土) 03:10:47.77 ID:tuCM62xx
>>145 サロメといいコンビだな。wwwwwwwwww
ヨハンネスという磯巾着も仲間に入れてやれよ。
愚脳死す同士仲良くやれよ、ぎゃはは
148 :神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 06:54:22.56 ID:tuCM62xx しかし、ヨハンネスの姿勢はアフォ丸出しだったな。 グノ氏へのあの信奉ぶりは異常だった。それこそ妄信だね。批判力のかけらもない。 「仲間」になりたかったんだろうけれどね。 でもってバッサリ切られて退散とは哀れな爺さんだ。 バカは死ななきゃ直らないってな。 「バカなの?死ぬの?」と オマエが自分にまず問え。 それが叡智である。 無知の知 ぐらい理解しろよ。できる子ぶってるカス爺さんよ。ぎゃはは!!
>>619 >>960-961 誰もいなーい深夜時間に一人連続カキコでぎゃはは!! だって
このスレ住人のこのジジ まさに精神病なのねキチガイてやつ
147 :神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 03:10:47.77 ID:tuCM62xx
148 :神も仏も名無しさん:2013/02/09(土) 06:54:22.56 ID:tuCM62xx
「コピペ→ID改変」 みたいな・・・?
グノーシスはそれでも聖書に出てるくらいだから かなり昔からあったのは事実なんだろうが やっぱユダヤ人の信仰深さは神殿を守るために ローマと戦ったくらいだから イエスもそんな信心深さを見て知ってたから エルサレムで宣教したんだよ
律法を厳格に守るユダヤ教の土台があってこそ 初めてイエスの完成された律法が生きると思うのだけど まあアドヴァイタと違う他宗教だからよく知らないが イエスの教えどおりに敵を愛せるなら アドヴァイタでもヨガマスターだな
聖墳墓教会のある辺りではユダヤ教徒のほうが クリスチャンより多いらしいが そりゃ未だにイエスの父を祭る神殿守るために全滅した 嘆きの壁とかに祈るユダヤ教徒に対して 敵側のローマの国教にあっさりなったキリスト教なんかに 義理人情は感じないもんな イエスが現れたのが代々の聖地エルサレムの信仰だってのにな そういった筋が通ってないのは駄目だよな イエスがユダヤ教のメシアになってたら一番良かったんだけどなあ
自我の消滅は悟りの結果であって目標ではないと思うよ。 自我を消滅させるための修行は成功しないと思う。 自己観察における「見ている自分(意識)」と「見られている自分(自我)」とが和解することによって、 意識と自我が和合し共に無の世界に帰るのではないか。 だから、目標は意識と自我との和合だと思う。 自我の消滅はその結果ではなかろうか。
>>968 訂正させてもらう。
正確に書けば、目標は意識と自我との「和解」だと思う。
意識も自我も自分の一部だ。
意識は悟りを求め、自我は悟りに抵抗する。
だからといって、自我だけが消えるということには無理があるのではないか。
悟りの結果においては、自我も意識も共に消えるということになるのではなかろうか。
まあイエスをメシアと信じて集まった民衆に 敵を愛せとか空気読まずにイエスが言ったのは 民衆はドン引きだっただろうから キリスト意識ってのはそれだけ普通と違うということだろうな ラマナもそうだが普通の一般人と違い過ぎ 敵を愛せとか悟った人は軽く言うがヨガマスターの言葉は本当に無茶だよな
>>970 そうなんですよ。
覚者の感覚(?)は常人とはかけ離れている。
だから、シンパに囲まれて世間と一線を画した環境で真理を説く覚者は意外と楽なのではないか。
この点、イエスという人は世間に対して積極的だった。
我々も仮に悟ったとしても、世間からはバカ扱いされる可能性大ではないでしょうか。
972 :
神も仏も名無しさん :2013/02/26(火) 23:01:41.49 ID:yumdBfWP
>958 (他スレ>59)本人だが大外れだな バカ野郎間違えるなよ サロメみたいな偏執狂を引き合いに出しやがって覚えてやがれ
>>969 自我=ラジオから聞こえる音声みたいなたとえがあるがままにに書いてあったよ。
私の考えや私の感性のように、私の〜って言う時の内容は悉くコピペ、ってことかも。
たとえば世間で一般的にありがちな下世話な話でたとえれば、 「汝の敵を愛せ」というのは、「自分の女房を寝取った間男を愛せ」というに等しいでしょう。 で、覚者ならそれができてしまうわけでしょう。 イエスが間男を愛したら「やはりイエスだ」と感心されるのかどうかわかりませんが、 我々がイエスと同じことをしても「バカじゃねえの?」となるわけです。
>>971 まあ、まったく違う意識なのは確かだよ
地球と土星くらい住む世界が違う話をするから
バカと言うか都会と土人の外国の人間くらい別世界な話だよね
>>973 私は自我は究極的には個人的なものではないのではないかと思っています。
簡単に表現すれば、「地球上に存在する、過去において存在した全生命の全記憶・全体験」とでもいうべきものではないかと。
我々個人は、心の根っこの部分でこれにとながっていて、我々が外界で体験するものごとにこれが反応している。
しかし、我々はこの反応を自分の反応だと思い込んでいるのではなかろうか。
こう思っています。
ちなみにイエスの時代の敵はえげつないからな ライオンに食べられるのが見せ物だったらしいから 現代なら通り魔でナイフでメッタ刺しにするレイプ魔を 殺され犯された女側にレイプ魔を愛せとか言うに等しいから無茶だよ そんなことがあって当時イエス信者は一気に減ったらしいのも当然と言える ヨガマスターの道はなかなか険しい
ACIM読んでると、愛せってのは結構深い意味があることに気づく その深い意味を詳しく説明したのがACIMだが、口伝するには長すぎるし、 シンプルに、兄弟のように愛せとしてもその意味するところはほとんど変わらんからそのように伝えたんだろう
>>977 現世での加害者は前世で被害者だったという関係性もあるから、一概に誰が敵とは言えない
敵と味方の関係性を崩さなければ、その関係性を入れ替えながらいつまでも輪廻が続いてしまう
愛せ、赦せというのは、関係性を断ち切る強力な剣だよ
980 :
神も仏も名無しさん :2013/02/26(火) 23:28:33.64 ID:WwitgIaK
こういう下らない思索を止める為にアドヴァイタがあるんだから
>>979 そうなんだよ、動物は病気で死んでも撲殺でも
知能ないから理不尽ってことを知らないんだよな
知能や知識があることで自我が増長することもあるって
ことなんだろうかな、イエスの説くことはそのレベルだよ
自分語りで申し訳ないのですが、 意識と自我との和解を試みることでかなり気持ちが楽になった(精神的苦痛が軽減した)のですが、 それでもよくよく自分の内面を見てみると、心の根のところに苦痛がある。 そして、この苦痛の部分が外界に反応している。 この正体がなにかは分からないが、たぶん自分が直視するのを猛烈に嫌がっている自分の過去の体験か、 上述の個人的ではない自我か、その両者かのどれかではないかと思っています。
>>976 うん、ラジオを分解しても部品があるだけで中の人とかいない、って意味ね。
で、様々な雑音を拾ってるだけでラジオ局なんかなくて、いかにも意味ありげな
雑音の組み合わせを自我って言うんじゃないかなと思う。
ま、考えすぎてもロマンティックな方向へ展開しちゃうから、意識へ意識を向けられる
ことができるみたいならそれだけでいいのかも。
死んでみないとわからんことが多いから困っちゃうね 死後の世界すらもマーヤーなら、もう何もわからんね
>>984 真相が分からんから我々は辛いんですよ。
真我というものが本当にあるのかすら分からない。
そんななかでの暗中模索。
手探りで真理を探し求める状態。
でも、それがあるのかどうかすら確信が持てない。
我々はそういう状況なんです。
986 :
神も仏も名無しさん :2013/02/27(水) 13:13:02.58 ID:RTUB5egD
>>真我というものが本当にあるのかすら分からない。 ありません。妄想の産物です。
>>972 972 :神も仏も名無しさん:2013/02/26(火) 23:01:41.49 ID:yumdBfWP
>958
(他スレ>59)本人だが大外れだな
バカ野郎間違えるなよ
サロメみたいな偏執狂を引き合いに出しやがって覚えてやがれ
事実上の自白ね
つか、なんでここのスレ読んでるの? え ふしぎー
>>サロメみたいな偏執狂を引き合いに出しやがって覚えてやがれ 覚えてやがれ 覚えてやがれ おーコワ ヨハンネス某をチンピラ呼ばわりしてたけど、あんたが(ry
ヨハンネス=ID:RTUB5egD ヨハンネスは本当にバカ こんなところまで遠征してる妄想の虜 自我から開放されよ!
∩___∩ ∩___∩ ♪ | ノ ⌒ ⌒ヽハッ __ _,, -ー ,, ハッ / ⌒ ⌒ 丶| / (●) (●) ハッ (/ "つ`..,: ハッ (●) (●) 丶 今、どんな気持ち? | ( _●_) ミ :/ ヨハンネス :::::i:. ミ (_●_ ) | ねぇ、どんな気持ち? ___ 彡 |∪| ミ :i ─::!,, ミ、 |∪| 、彡____ ヽ___ ヽノ、`\ ヽ.....::::::::: ::::ij(_::● / ヽノ ___/ / /ヽ < r " .r ミノ~. 〉 /\ 丶 / /  ̄ :|::| ::::| :::i ゚。  ̄♪ \ 丶 / / ♪ :|::| ::::| :::|: \ 丶 (_ ⌒丶... :` | ::::| :::|_: /⌒_) | /ヽ }. :.,' ::( :::} } ヘ / し )). ::i `.-‐" J´(( ソ トントン
真我とか悟るってのが個人の体験だからな 仮に死んで生き返ったとか大事も 生き返って病院行っても今は生きてる事実しかないから 死んだことあるって事実が その人の体験でしかないことになってしまう だから自分の内面を観察して個々が悟って体験するしかないんだよな よくある人生そういうのは
犬死一番
人間に生まれるってのが 因果の果実を食いつぶしてる状態らしいからな 生態系の頂点でここまでの自然破壊は 同じ頂点でも熊はやらないからな 知識があるなら内面の観察を繰り返して悟らないといけないな
994 :
神も仏も名無しさん :2013/02/27(水) 17:03:59.53 ID:+nnCug2w
>>985 自分は真我についてはもう考えないようにした
そのせいで考えて余計混乱し苦悩してるのに気付いたから
変な期待するのもやめた
そうならないとフラストレーション溜まるから
自己探求を単にリラックスした状態に到達する方法と割り切ったんだな
外界に答えを探すから混乱するのかもな 例えば悪夢も良い夢見てる人も 他人から見たら同じように寝てるように見えるだけだしな 内面の観察をして意識や感情がコントロール出来たら おそらく初めて見えてくる内面の世界ってのがあるんだよ
誰でも意識の源では悟ってるらしいから 内面の観察ってのは必須なんだよな その基本を忘れて外界に答えを求めるのは本末転倒だよな
>>997 そういう風に見えるだけだよ
実際に俺はガキの頃から自分の世界に入る天才だった
俺はみんなにラマナの真理をわかって欲しいだけなんだ
あまりにも人に生まれてここまで来て
何もわからない無駄だったってのが見るに忍びないんだよな
999 :
神も仏も名無しさん :2013/02/27(水) 18:37:21.17 ID:xmKVRGxH
私は誰か?
1000 :
神も仏も名無しさん :2013/02/27(水) 18:38:10.41 ID:xmKVRGxH
私はどこから来たのか? ラマナ・マハルシ
1001 :
1001 :
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