仏教議論スレッド51

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240宝珠愚者@(規制代行)
大王さん!
あなたに質問があります。

あなたのその考え方や理解によって、
一体、日常生活での実際はどのようにされているのか、
もし良かったらなら、お答え頂きたいものと思います。

あなたは、>>前スレ808で
>高徳の大勢のバラモンの祈祷合掌の力によっても、“大石は水に浮かず”と
>アッタリマエのことを説いたという経典がありますが、何か?(相応部 42-6)
といい、ゴータマは“人は生前の行為によって死後の行き先が決まる”ので、
死者に対する祈祷(死後、より善処に行けるよう)は無意味だと説いた、と主張しました。
また、ついこの前にも、死者に対する(大乗の)“廻向の祈り”は、
同じ理由(業報の基本原則に反するから)によって無意味だと切り捨てられました。
241宝珠愚者@(規制代行):2012/12/15(土) 04:28:53.51 ID:KB0JNhLN
では、大王あなたは、
日常生活において先祖供養(祖霊供養)は実際、どうされていますか?
ご家庭や実家におけるお仏壇やお墓参りはどうされています?
それとも一切せず、まったく関らずに生活していますか?(そんなことが本当に可能なのか?)
または、ただ外的に周囲の社会的慣習に合わせているだけに過ぎない(心にはない)ということなのですか?
そしてまた、知人友人や社会的関りの中で参列されることになる通夜葬儀、等々において、
あなたは、----無意味だから---故人の死後の安らかなることを祈ることはされないのですか?

一応、確認のために聞きます。
死者に対する祈りや追善供養が無意味とするならば、
何回忌といった年忌法要、東日本大震災の追悼法要、戦没者の追悼法要などもすべて否定するのですね?
精々、効果としては残された側の人々の心の浄化的な意味合い(満足)に過ぎない、と?

---どうぞ宜しく(できれば詳しく)