ACIM(A Course In Miracles)・奇跡のコース 21
1 :
神も仏も名無しさん :
2012/12/04(火) 00:00:24.77 ID:5lreM646 ACIM(A Course In Miracles)「奇跡のコース/奇跡講座/他」とは、 純粋に非二元論的な霊性(スピリチュアリティ)の教えのひとつで NYのコロンビア大学医学部の助教授だったヘレン・シャックマン博士が 7年間に渡りイエス・キリストから来たとされるインスピレーションを書きとめ 編集・校正し出版された本です。(現在では20の言語で出版されています。) ACIMはテキストとワークブック、教師用マニュアルの3つから成り、 実践を通じて真理の悟りにたどり着く事を目標としています。 *・゜゚・*:.。..。.:*・'邦訳出版について'・*:.。. .。.:*・゜゚・* 『奇跡のコース』第一巻/テキスト(2010/12/4) 『奇跡のコース』第二巻/学習者のためのワークブック、教師のためのマニュアル(2012/12/12) ナチュラル・スピリット社から出版。訳者は、大内博氏(玉川大学元教授)。FIP非公認版 『奇跡講座』中央アート出版社。(2011/12/15) FACIMワープニック博士の監督下、JACIMの加藤三代子氏・澤井美子氏による共訳で邦訳。FIP公認版 個人試訳もサイト、ブログ、メルマガ等で入手可能。
2 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 20:30:23.25 ID:dKTxCJlN
>>998-999 薄いとはいえ実際に愛を覆っているものだろ
皮というのは厚いと確実だけど薄いと不確実になるのかね?
3 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 20:37:01.02 ID:dKTxCJlN
コースの実践をしまくってもなかなか破れない強靭な皮を不確実な代物と言われても説得力ないな
4 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 20:57:40.18 ID:m3eIxFdY
>>2 皮がある、愛を覆っている、厚い、薄い、強靭だという「あなたの思い込み」自体が
不確実だということだ。愛に対する思い込みも同様。
だから「説得力がないな」というあなたの結論に対しては
「そうですか」としか言いようがない。
別にそう思ってはいけないということはないし、実際大したことじゃない。
5 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 21:05:00.37 ID:dKTxCJlN
>>4 実際に圧倒的愛が遮られコースの実践をしても皮が破れない現状は確認済なんだろ?
何の根拠もない思い込みではなく確認済の確実な事実ということだ
都合の悪い事実は「そうですか」でスルーするのですか
6 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 21:10:03.17 ID:dKTxCJlN
まあ、なかなか破れない事を正直に認めちゃうと落ち込んでしまうから皮を不確実な思い込みという事にして安心したいのだね
7 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 21:25:22.03 ID:m3eIxFdY
>>5 自分の書き込みが思い込みで作られているということは
気付いているか?
いや、愛が遮られているとか、コースの実践しても皮が破れないとかが
思い込みではなく事実だとか・・・決めつけ凄いなと思って。
でもまあ、あなたが思い込んでいる愛や皮については正直分からないから
スルーさせてもらうよ。
同じことを繰り返しは、他に見ている人に対してもあまり有益に見えないから。
8 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 21:32:04.47 ID:dKTxCJlN
>>7 ではお前はコースの実践をして既に皮が破れたのだな
今や遮るもののない圧倒的な愛でいる訳だw
ところで宇宙消滅はまだなのかね?
9 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 21:52:55.51 ID:j6XvGDu0
前スレの入院患者だけど、薄皮云々ってのは、まあそう表現するのが俺にとっては精一杯なんだわ コースじゃもっと美しくヴェールと表現してるんで書き足したけどなw 病気になればわかるけど、どれほどの美人が優しくしようとも、猛烈な吐き気や痛みの前には、そんなものは無価値に等しい ただただ、誰か俺の吐き気を早く止めろという意識しかない ここで、常に聖霊のことを思い出すを実践できたのは、日頃のワークのおかげだろう 99%苦しいと思っていても1%冷静な自分がいるような気がした その1%を動かして、ACIMで学んだことを色々思い出していた 看護師たちは金のために患者に優しくしてる可能性は無いかと考えたが、 それって愛を隠すためにエゴが薄皮を被せてる、「金のため」というエゴが使える言い訳を用意してるってことになるんじゃないかと思った 他にもいろいろ考えたけどなんか忘れてしまったわ
>>8 宇宙とはお前が考えているような客観的な存在ではないんだよ。
そのへんも含めて、お前がいくら整合性を持たせようと足掻いても無駄だと言ってるんだ。
お前は何も知らないし何もわからない。これからもずっとな。
それを受け入れるまではお前はそこから一歩も前進はできまい。
>>10 お前の心の中にしかないものではなかろう
多数の人が体験している訳だから
>>11 お前が体験しているその宇宙はお前に付随していて俺には絶対に体験することはできない。
お前の見ている宇宙、お前の体験している宇宙は、100%お前に起因する。
本当の宇宙はひとつだ。 そのひとつの本当の宇宙は、当然、たった一人の人の見ているものだ。 そのたった一人の人に戻ること、目覚めること。 それが「我々」が見ている個々の宇宙の消滅だ。
>>12 >お前が体験しているその宇宙はお前に付随していて俺には絶対に体験することはできない
お前の見ているこのカキコはオイラにも見えてる訳だがw
お前には違う文章が見えるのかなw
>>13 本当の宇宙はどうして個々の宇宙を生んだの?
個々の宇宙論は浅すぎるなぁ 他人の心は存在しない論よりはましだけどw
宇宙とかでかすぎるから今は考えないで良いし、たぶん地球人としての生の中で宇宙を本格的に取り扱うことなんて無いよ 大宇宙連合艦隊の提督に生まれ変わったら、宇宙を許すワークを行う必要があるかもしれないけどさ まあ宇宙のでかさもエゴが色んな小さいこと(エゴは何もかも隠したいのだから大小の違いは無いけどね)を隠すために作り出した偽物のスケールだと思うよ
素直に客観宇宙を認めた方がスッキリする 何か問題でもあるのか?
>>14 全部お前の創作だ。俺が見ているお前の書き込みは俺の創作だ。
そしてそれらは全部幻影に過ぎない。
>>18 お前がそれでスッキリするならお前はそのままでいればいい。
ただしお前は絶対に幸せにはならない。
細木数子かよw
宇宙が客観的に存在しており、お前がその中の一部として生きているとするなら、 お前は絶えず未知のなにものかに取り囲まれ、それらに対して「構えて」生きていかなければならない。 宇宙の中の何かがいずれお前に危害を加えることになる。 お前はそれらとずっと戦い続け、そしていつかは確実に仕留められる。 客観的に存在する宇宙に生きる者には、ハッピーエンドはない。そこに例外はない。 自分の都合のいいことだけを体験しようとして引き寄せの法則なんてものを試しても無駄だ。 そんなものはもともとない。客観的に存在する宇宙の中にはなにひとつ確実なものなんてない。 すべてが虚しく移り変わり、ついさっきまで当たり前のようにあると思っていたものが、 次の瞬間には跡形もなく消え去り、お前はその度に悲嘆に暮れ、自らの無力と不運を呪い、 そしていずれお前自身も哀れにも消え去ることになるのだ。
>>22 >すべてが虚しく移り変わり、ついさっきまで当たり前のようにあると思っていたものが、
>次の瞬間には跡形もなく消え去り、お前はその度に悲嘆に暮れ、自らの無力と不運を呪い、
これまさにお前の人生なのだがw
主観宇宙論でも救われないようだ
>>10 受け入れられない人=あなたが居ると信じているのだね。
25 :
神も仏も名無しさん :2012/12/04(火) 23:10:27.27 ID:/ulTBLSl
>>22 あなたには永遠が何かわかっているのかい?
>>22 何事であれ宇宙の創造主が良かれと思ってやる事だ
酸いも甘いも最後はハッピーエンドで終わるのさ
予定調和
ヨブ記を御覧
何もかも全て時計仕掛け歯車の欠けた未来さえ楽しめるよ どこまでも続く世界(幻影世界)から連れ出せたなら 淡く揺られ空の果てまでたどり着けそう もうひとりの僕がドアをノックし続けている もう怖がらないでいいよ 僕(聖霊)はノックし続けてる
詩人かいカインは
反応せざるを得ないとw宇宙の消滅がそんなに怖かったのかwww
エゴもまた結果。 分離誤信が原因で、罪悪感は結果。 トラウマとトラウマ反応の関係。 エゴの解体は結果で、その原因は赦し。 エゴが「痛いんだよ!」という悲鳴だとすると、 痛みがその原因。 で、誰の痛みも全員に共有されている。 したがってエゴは何も傷つけない、むしろエゴがないと痛みを探せない。 傷を癒すにあたって、傷が実在であるという信念を解体するのがコースの赦し。 と、思った。
圧倒的愛である神の子が分離誤信するのを認めるのかね?
自分は心身症であらゆる病気は心因性であることと、 怪奇現象で物質世界は精神世界を映すCGであること、 神秘体験で現実と呼べるのは一元の愛だけであることがわかった。 引き寄せとか願望物質化とか日常の明晰夢化でこれが普遍的な経験法則である確信に至った。 仕事で障害教育と障害福祉やってて、問題はそれぞれではなくみんなにあること、 大学で異文化コミュニケーションと国際関係やってて、悪は実在ではなく誤解であること、 環境と生態やってて、宇宙ってシンクロしながら輪廻してるってわかって、 歴史と芸術やってて、世界っていうのは共有されたフィクションなんだってわかった。 今はテレパシー的な感受性とか透視のような何かとかエンパシーとかが現れてきてて 過去生とか潜在意識の中のイメージとか元型とかが前面に出て来たのでとりあえずそれ研究していく。 コースに心はそれ自身或いは霊に仕えることを選べるって書いてあるけど、 それ自身に仕えた痕跡を消すのが赦しなら改めて霊に仕える練習が いわゆる創造とかわくわくであってもいいんじゃない?って思っている。 そんな感じ、俺はそんな感じ。
>>23 いや、お前の人生だw
>>24 そうだ、幻影のレベルではな。
>>25 知っている。
>>26 ハッピーエンドで終わるのは、お前ではない。
お前が消えることがハッピーエンドだw
>>27 自己紹介しなくてもいいぞ、馬鹿w
>>32 エゴがそれを認めているのだ。
ところで、お前の空想によれば宇宙は経験のために創られたのだな?
ではどうしてACIMという経験をお前は拒絶しているのだ?w
さあ、経験してみろよ、お前の魂の進化とやらのためにww
神対が衰退してしまった悔しくて悔しくてたまらないその現実をなw
ACIMを否定する人って、 ACIMを実践する過程で、 心の平和を実感できていないのかな? ACIMを学ぶ動機は、 常に心の安らぎの達成だよ。 決して、天国や宇宙を消滅させることや、 ACIMの正しさを証明することでもない。 このことが分からないと、 ACIMを実践することで、逆に心に平和が訪れなくなる。
自分の人生をどうにかできる、引き寄せ系の教えとして扱ってるんじゃないかな 引き寄せも、見ている現実は幻想で、自分の望むままに変えられるみたいな話なかったっけ? コースの場合は、幻想はその通りだけど、望むままに変えようとするのはエゴの野望だって説明で、 神はエゴを知らないから、その野望達成に力を貸すことはない=エゴの願望実現はできない その代わりと言ってはアレだが、聖霊があなたを正しく導くので、エゴに従うより幸せに生きられるよ(ただし形態ではなく心の話)って教えだよね?
そういえば引き寄せって、お金を引き寄せようと思うと、 お金を引き寄せようと思う状況(たとえば経済的損失とか)を引き寄せるらしいね どないせーちゅうねん
>>38 願望を180°ひっくり返す。つまり、「欲する」のではなく「与える」にする。
そうすると与えるのに必要な状況(自分の方が多く持っている状況)が引き寄せられて
与えることが可能になる。
>>39 だからといってホームレスに施しを与えるのは殺す赦しになるんじゃないかな
すでに全ては与えられています。 この世界に価値を見出している間は、 常に損失の不安にとらわれるけど。
>>40 いきなり物質的なものを与えるという所から始めずに、まずは金が掛かりそうに
ない簡単そうなことから始めると良いかも知れない。
例えば安心感を与えるとか喜びを与えるとか精神的な苦しみや不安を取り除くとか。
仮にホームレスに食料などを施すとしてもそれを目的にやると良いと思う。
>>37 神の子は神と同等の力を持ってるなら独力で野望を達成できないの?
>>45 必要なものは全てということです。
天国はすでに与えられています。
なので、
何かを得ようとするのではなく、
不必要なものを捨てていけば良いのです。
ただ、コースは、
すべて心のレベルで行われるので、
物理的に何かを捨てたり、諦めたりというわけではありません。
>>46 神の子だから何もせずとも自動的に天国を体験するという訳ではないのか・・・
自動的に天国を体験させることは神にも無理だったと
必要なものは全て与えられたが不必要なものまで序に与えられた 結果、不必要なものを処分する必要が出た
>>47 毎日毎日大変だなw
今のお前の人生を客観的に眺めてごらん?
みじめだよなぁ?ww
50 :
神も仏も名無しさん :2012/12/05(水) 21:07:29.37 ID:FezHcTIF
51 :
神も仏も名無しさん :2012/12/05(水) 21:15:47.88 ID:FezHcTIF
>>42 なるほど
向こうが金品を求めてくるかもしれないが、
その場合は彼らがエゴに振り回されている(そしてそれは自分のエゴの投影でもある)ことを見抜いて、
本質の部分、愛を求める呼び声そのものに働きかけてやればいいのかもな
>>44 エゴの野望だからだよ
エゴの野望は崩壊を前提にしてる
潮が満ちると膝まで埋まるような砂浜に、膝丈の砂城を建てて立てこもりたい
これがエゴの野望
独力で達成できたかのように見えることがある
ただそれが達成できたと同時に、もう潮はくるぶしまで上がっている
海外のコースネタとか誰か書いたりしないの? 例えば、セトフォードの伝記『Never Forget To Laugh』が、 日本のアマゾンでkindle版が買えるのだが、このスレで読んだ人 いるのかな? 米国のアマゾンでは相当評価が高いのだが、著者がある意味ビルを教師として 崇めているので、身内による礼讃という感じになっていないか気になっている。 (サンプルで読んだ部分に、マスターティーチャーとか書いてあったから)
>>52 どうして神の子はエゴの野望に囚われているの?
56 :
神も仏も名無しさん :2012/12/05(水) 21:41:12.42 ID:FezHcTIF
>>53 その合冊版は持ってるのですが、持ち運ぶにはでかいので
小さいのが無いかなと思いまして。
でもアマゾンで寸法見てみたら厚みはともかく
縦横にはでかいですね……
ハリポタのペーパーバックくらいの縦横のバージョンは
あるのでしょうか?
特定の誰かを称えるのは、Windowsの使い勝手の良さを褒めるのではなくて、ソニーやNECのPCの使い勝手を褒めるようなものだな 我々は端末に過ぎない 師と弟子の関係であれば、どうしても師を特別視しちゃうものだけどね だからACIMは特別な師を見つけよとか言ってないのかもね
>>55 ACIMの学習において、
その質問の答えを求めだしたら、
永遠にエゴからの脱却はできませんよ。
なんのために、
ACIMを学んでいらっしゃいますか?
動機は常に、
心の平和、やすらぎでなければ、
ACIMを学ぶ意味はありませんよ。
日常生活において実践してこそ、ACIMの意義があるのですから。
>>59 そいつは因縁つけて絡んでるだけのニューエイジチンピラで
ACIM学習者ではないからまともに相手にしても意味ないよw
からかって遊ぶ分には面白いけどねw
>>59 神の子は情緒不安定で破滅願望に捕われるのかなあ
神はなんでこんな子を創ったのかな
神の創造ってこんなものなのかな
>>61 考えたければ、
一生、そのことを考え続けたって良いんですよ。
どちらにしても、あなたは永遠の存在なんですから。
>>61 で、お前の今の人生はどうなってるの?
神はなんでお前みたいなダメ人間を創ったのかな?
神の創造ってそんなものなのかな?w
>>59 要するにACIM学習者は教えに疑念を抱くのではなく
とにかく教えられた通りに学び続け信じていればいい
心の平安が第一という訳?
>>64 学習の過程において、
疑念は避けられないものです。
ただ、疑念を抱きつつも、
根気良く実践を続けていくことで、
疑念が徐々に薄らいでいくのです。
他の宗教信者と同様に信仰心から忠誠尽くしてるようだね
>>66 といいますか、
ACIMを学ぶのが楽しくってやめられないんですよ。
ある意味、趣味みたいなものかもしれません。
忠誠ってのはちょっと違う気がするかもな ACIMを捨てる自由は与えられてて、こちらもいつでもそれを行使できるわけだから、 やりたくてやってる、趣味ってのが一番近いね 義務にしちゃうとなんでも辛くなる 義務で2chやれって言われたら、これほど見てるのが辛いネット掲示板は他に無いわw
趣味か、重そうなテーマなのに気軽なんだね、、、 でもチョットそれウソでしょうw 「救いの道」なんだから
救いの道にカジュアルさは不要というのもエゴの判断ってやつじゃね? まじめにやる必要はあるけど、趣味と言えるくらいの気楽さも持ってないと、成果ばかり気にする毎日になりそう 成果は滅多に見えるものじゃなくてふとしたときに現れるものだから
そういう意味ではなく、カジュアル感覚で宗教に救いを求める人はいないでしょう どこか頼りないもの切羽詰まったものを隠すため、ライト感覚出してボカしてる だから
でも俺、怪談から軽いスピリチュアルへ、スピリチュアルからよりディープな、 宇宙人だの世界が幻想だの言ってる怪しい方面へと流れてきたからなあw 困ってたことはいろいろあるけど、それは宗教じゃ根本的には解決できないもので、最後は物理的になんとかするものだと思ってた その感覚は神の使者を知って、ちょっと読み出してからも抜けなかったな(いまも抜けてないかも) 全員が全員、せっぱ詰まって宗教に頼るってわけじゃないだろうから、人それぞれに用意された道があるってことじゃないかな?
>>65 疑念が薄らいでいくというより心の訓練で疑念を抑圧しているような感じだね
疑念に対する回答は得られないままだ
疑念を抑え込む事で達成する偽りの平安でもとにかく平安ならいいのかな
疑念を抱くのはエゴで、エゴも疑念も無いってのがACIMの答えだからな エゴの疑念への回答はない 奇跡のコースを生きる実践書(香咲著のほう)みてたんだが、 エゴが存在しないって部分は学習者もかなりわかりにくいようで、 エゴが○○なのはどうしてですか?→いやエゴは無いんですだから〜〜→???的な問答がいくつかあった ここはACIMを信じて、エゴがないという体験ができるようにならないと理解は難しいかもしれない 無理矢理分かりやすく例えると、自分というのは○○な人、例えばいつも怒らず温厚な性格なのだと思っていたのに、 些細なことで突然豹変したように怒ったとき、「いつも怒らず温厚な自分」なんてものは実は存在していなかったとわかるような感じかな・・・ この例えは誤解を生むだろうか
>>74 あぁーなるほど
ACIMを信じて神の平安しかないと思っていたのに突然罪悪感を感じたりしたら
「神の平安」なんてものは実は存在していなかったとわかるような感じなのね・・・
>>75 あぁーなるほど
神との対話を信じてすべては神の創造だと思っていたのにACIMに遭遇したら
「すべては神」なんてものは実は間違っていたとわかるような感じなのね・・・
疑念を抱いたりACIMの学習をしたりするのは神の子ではないのか? 存在しないエゴが勝手にしていることにするという事は 疑念を抱いたりACIMの学習をしたりする我々は神の子ではないということかね 存在しないエゴが勝手にACIMの学習をして天国に還ろうとしているのかな
>>75 逆に発想したのね ということは実はわかってきてるんじゃないか?
>>77 現状の我々は統合失調症の患者と同じだ
壁から誰かが覗いていて、自分の考えはどこかの誰かに盗み見られていて、テレビでいまの姿が放送中だと思いこんでいる統合失調症の患者だ
いままでの我々の問いは、壁から覗いてる誰かは男なの?女なの?考えを盗んでいるのはどこの組織?カメラはどこにある?と問い、それについての答えを探してきた
いくつかの教えは、壁から覗いてるのは男でも女でもなく宇宙人だと答え、考えを盗まれないようにアルミホイルを巻けと教える
中には、カメラを探すよりBPOに訴えると良いという新しい視点を授けてくれる教えもある(とても画期的な発想なのできっと流行るだろう)
ACIMは、本当は壁から誰も覗いていないし考えは盗まれていないしテレビ放送もされていないと教える
だから、壁に貼り付ける宇宙人避けの護符、頭に巻くアルミホイルの厚み、BPOに送る苦情について答えられない
ACIMの言うことをすぐに信じろと言うのは無理な話で、正気に戻るリハビリが必要になる
リハビリに付き添ってくれるのが聖霊で、患者にはテキストとワークブック(たぶんマニュアルも)渡される
リハビリによって、壁に潜む誰かが実在するのか疑わしくなる
ただ、ときどき壁から音がする
それはネズミの仕業なのだけど、リハビリが十分でないときは、ほらやっぱり誰かいるじゃないかと騒ぎ立ててしまう
そういうとき、またリハビリブックを読み、聖霊にも助けを請い、いや待てネズミの可能性も有り得るぞと冷静になれる
そのうち、壁から誰か見てる問題は解消される
壁からは引き続き音がするかもしれないが、ネズミか家鳴りのせいだろうと気にならなくなる
次は考えを盗まれる問題と、カメラの存在だが、聖霊とコースを信じられるようになっているのなら、解決は容易いだろう
買い込んだ大量のアルミホイルは、ヤフオクで売るようにと聖霊がアドバイスするかもしれない
正気に戻ると全く違った世界が見える
いままでの落ち着かなかった世界から、平穏で安全な世界が見えるようになる
誰も自分を攻撃していなかった世界が見える
>>78 >逆に発想したのね ということは実はわかってきてるんじゃないか?
うん、おかげで神の平安のみがあるとは言えない事が分かったよ
それにしても神は統合失調症になるような子しか創れなかったのかね?
リハビリ不要の子を創るのは難しいのかな
統合失調症ってのは分かりやすくした例えで、本来は統合失調症とは違うものだよ 統質の例えでそのまま説明できるならテキストがあんなに長くなるわけがない 俺が長い説明しても仕方ないんで、関連本読んだほうがいい そっちのほうが遙かによくまとまってる
>>80 何にせよ神の子は平安のみの状態を維持しなかったのだろ?
神の御粗末な創造の所為で心の訓練が必要な事態にあるわけだ
82 :
神も仏も名無しさん :2012/12/06(木) 09:39:19.78 ID:bw06ALB3
>>73 いえ、疑念を無理やり抑え込んでいるわけではないです。
ただ、体験が重なるにつれて、
疑念の声が小さくなっていき、その内、力を失っていくのです。
言葉は真実ではありませんので、
その言葉に囚われている限り、ACIMを学ぶ意味を失ってしまいます。
言葉は、真実の象徴の象徴であり、
2重に真実から遠ざかっているのです。
例えば、真実を月に例えますと、
言葉は、真実の方向を指し示す、指でしかありません。
その指しか見ていなければ、月を見ることはできません。
ACIMは真実の体験を目指すものであります。
>>82 >疑念の声が小さくなっていき、その内、力を失っていくのです。
ACIMの実践をすると明らかな矛盾にも疑念を抱く事すらなくなるのか・・・
そういえばテロを繰り返すアルカイダのような原理主義者も自らの信念に疑念を抱かず平然と事をなしますよね
>ACIMは真実の体験を目指すものであります。
神の子は真実以外の体験をすることがあるのですか?
疑念を抱かなくなるのが正しい道を進んでいる事になるのだろうか 明らかな矛盾を放置したままで
>>81 それは自由意思を剥奪して欲しいって言ってるように聞こえる
自由意思があるから、エゴも聖霊も選べる
無いはずのエゴをあるように見ることもできる
まあそれじゃあいかんからACIMがあるんだけど
君がいままで行ってる書き込みは、神への恨み節であり、神を認めないという挑戦でもあるんだわ
でも実は本気で神に助けを求めてる叫びでもある
それに気付いてるかな
これに気がつくと、「愛しかない」の意味が少しわかると思う
ACIMに出会ったのは何かの縁だと考えて、1回素直に本読んでみたほうがいいよ
>>82 ACIMの指し示す方向が月ではなくブラックホールかもしれないのだが
とにかく行ってみようでは月とはかけ離れた所に到達するかも
>>86 そんなに将来が心配なら弁護士になったほうがいいw
法治国家においては確実な未来が約束されるからw
88 :
神も仏も名無しさん :2012/12/06(木) 10:09:23.59 ID:bw06ALB3
>>83 言葉は、真実を体験させるための、
ただの方便でしかありません。
真実の言葉での表現は、この世界には無数にあります。
たとえば、
神との対話シリーズなどでは、
神は自分自身を知りたくて、制限だらけのこの世界を作ったとします。
この説明でも、
目に見えているこの世界は偽物であり、
目に見えないところに真実の世界があるということは分かります。
ただ、この場合でも、
疑念を抱こうと思ったら、
「完璧な神が、自分を知りたがること自体、完璧ではないのではないか」
との考えを延々繰り返すことができます。
この世界が矛盾した世界なので、
この世界において、矛盾無く、真実を語れる言葉は存在しないのです。
ACIM以外の、どのスピリチュアルな道を選ぼうとも、
疑念を抱きたいと思えば、無数の疑念を抱くことが可能です。
なので、
どの道においても、
体験だけが重視されるのです。
>>85 神はエゴを選択できる自由意思を子に与えたのだな
エゴが選択可能なのも神の御意志なのだな
>自由意思があるから、エゴも聖霊も選べる
>無いはずのエゴをあるように見ることもできる
>まあそれじゃあいかんからACIMがあるんだけど
エゴを選んだらいかんのならやっぱり自由意思などあったらいかんだろ
>>89 神のご意志はわからんよ
それを推測するのはエゴの仕事だ
ただ我々には自由意思があるというのはどうやら事実のようだ
それを誤用したからACIMがある
そういうことだろう
自由意思のおかげで聖霊を選べるのだから、やっぱり自由意思はあったほうがいい
>>88 >「完璧な神が、自分を知りたがること自体、完璧ではないのではないか」
>との考えを延々繰り返すことができます。
完璧な神が自分を知ろうとするのはダメなのか
自分を知らないままの方が良いのかな
>この世界が矛盾した世界なので、
なんで矛盾した世界なの?
>この世界において、矛盾無く、真実を語れる言葉は存在しないのです。
ACIMが語れなかったからって他の思想まで一緒にするなよ
>>90 神の子に自由意思があり神の子は神が創ったなら自由意思は神の創造の結果であるのは明らかだが
故意か過失かは知らんが
94 :
神も仏も名無しさん :2012/12/06(木) 10:23:00.16 ID:bw06ALB3
>>91 >完璧な神が自分を知ろうとするのはダメなのか
自分を知ろうとするということは、
知らない自分がいるということですから、
なんでも知っている神が、自分を知りたいと思うことは、
神は完璧ではないのではないか、
そう疑念を持つことは可能ですよね。
>なんで矛盾した世界なの?
真実とはまったく正反対の、あべこべの世界だからです。
>>93 神が自由意思を持った子を創造したのはその通りだろうけど、それに何の問題があるのかよくわからないんだけど
>>90 エゴを選択可能な自由意思がなければ平安から離れることもなかったんじゃないのか
それでも自由意思があったほうがいいのか?
>>96 ○○がない自由意思って、不自由って言うんじゃないの
あらゆることが可能だけど、りんごだけは食べられませんって、あらゆることが可能ではないってことじゃないの
ある特定のものだけ除外したいというのは、エゴの築く特別な愛の関係でよく見られる
エゴの考え方は、あっちはOK、こっちは駄目の価値判断
価値がない(等価値)なら、どちらを選んでも問題はない
どっちも幻想なら、どっちを選んでも問題はない
>>94 神の無限の創造を以ってしても今まで知らなかった事を新たに創造することは叶わないのか
今まで創ったもの以外は創れないと・・・
完璧な神でもいろいろな制限があるんだね
知らなかったよ
真実とはまったく正反対の、あべこべの世界だからです。
>真実とはまったく正反対の、あべこべの世界だからです。
ACIMの主張こそ真実と相容れないものだからそう見えるのだよ
神の創造した神の子は本当に平安のみを体験しているのですか?それとも地上世界を体験してACIMの学習をする事もあるのですか?
あ、また誤解を招く書き方してしまった 聖霊は実在ね 片方がなくて、片方が実在するのなら、実在するほうをどうやっても選ぶことになる
>>99 最終的に平安を選ぶなら最初から平安のみを体験させとけばいいと思うが
選ぶことに意味があるのか?
平安に相対的な価値を見い出すためとか
「神の創造の結果、エゴを選択する自由が生まれた」という事を信者に認めさせたのは久々の成果だわ エゴも選択肢として常にあるということだね
>>100 >>90 に戻ってしまうが、神のご意志はエゴにまみれたままの我々にはわからん
エゴは、エゴに理解できないものを無理矢理理解しようとしてあらゆる考えを巡らせる
エゴは自分が居ないということも理解できないから、あらゆる理由を付けて否定する
神のみが実在であるのだから、神のご意志をいま理解できなくても、
神を信頼し、ACIMを信じて神の元に帰ればいい
まあACIM信じられないから不安で入ってこれないんだと思うけど、そこは信じて貰うしかない
信じたいからここに居るんだろう
>>101 エゴは「存在しない」という大前提があるので、あなたの思い込みは勘違い
エゴも勘違いみたいなもんだ
エゴがあるという前提だったら、エゴを選択する自由もあるんだけど、無いものはどうやっても選べない
学習者でも同じように、エゴはどうしてあるの?って質問する人がいる
エゴはないっていうのが答え
やっぱ俺の書き込み誤解与えてるかなw
だから本読んだ方がいい
ちゃんとまとめられてるんだから
何度も書くけど、騙されたと思ってやってみたほうがいいよ 俺も最初は半信半疑だったし、神の使者の前に神との対話読んでたくらいだけど、学習するうちに確かな手応え感じてるから 書籍は中古本でいくらか出てるし、Kindleだったら安く買えるんじゃないかな
104 :
神も仏も名無しさん :2012/12/06(木) 11:16:17.53 ID:bw06ALB3
>>98 ACIM以外のスピリチュアルな考え方を素直に受け入れているのでしたら、
ACIMを学ぶ必要は特になさそうですね。
ACIMの教えも、何千もある天国へと至る道のひとつでしかないですし。
>>102 ちゃんと本読んだお前にまとめてもらってかまわんぞ
神の子は存在しないエゴにまみれることは可能なのかね?
神の子は勘違いすることがあるのかね?
神の子に聖霊以外を選択する自由はあるのかね?
>>105 手軽に済ませて曖昧にしないで、考え方を変えて本を読んでみりゃいい
教師でもない、いまだ一学習者の俺より、ちゃんとワーク終えてマニュアルも読んでる人が書いた本のほうが遙かに学びが進むだろう
その3点に答えたとしても、君の解決したい疑問ってそれだけじゃないでしょ
エゴ共にある限りは永遠に尋ね続けて、永遠に本当の救いを先送りにするでしょ
>>106 教師って言っても未だ宇宙消滅果たせないのだからお前と変わらんよ
宇宙の消滅に拘りすぎ 宇宙も無いのだから、消滅してもしなくてもどちらでもいい 消滅しないと大変だ、救われてないと思ってるのは、エゴと共に宇宙を見て実在化させてるから 聖霊と共に宇宙を見ることで、宇宙は聖霊の道具に変わる これは身体にも言えることで、身体もまた聖霊の道具となる これでまた疑問が生まれたと思う そしてACIMに対して誤解があるので、誤解を解くためにもACIM学習を勧めるw ここで質問しまくって反論を見つけても君のためにならんよ
最初からないものは、消滅もなにもないよなあ。 ウルトラマンはいつ消滅するのかみたいな話だ。
>>109 ウルトラマンのテレビ放送はいつ終わるのかみたいな話だよ
>>110 ほんと、ツッコミお上手ですよね〜。
ただ、ほんと、
宇宙の消滅とかにこだわって、
ACIMを否定しちゃうのはもったいないと思いますよ。
実生活に役立っているかどうか、
つまり、
心穏やかに暮らせるようになるかどうかで判断しないと。
でも、
ACIM以外の道を信じていらっしゃるようなので、
ACIMを特に学ぶ必要はないと思います。
宇宙消滅は無理なのですね 安心しました いつ消えるのかと冷や冷やしました
いや、消滅するよ。なぜならお前はいずれ消えるんだから。
>>110 テレビ放送が終わっても居るという思い込みはそのまま残るんじゃないかな。
しかし、最初から居ないと。
>>112 無理というより、
宇宙を消滅させるためにACIMを学ぶわけではないということです。
あくまでも、
この世界の生活に、
ACIMを応用していくのが目的です。
ACIMはとても実際的ですよ。
____ / \ / ─ ─ \ / (●) (●) \ | (__人__) | 宇宙消滅? ないない \ ` ⌒´ ,/ r、 r、 r、 r、 r、 . . ヽヾ 三 |:l1三 |:l1三 |:l1 三 |:l1 三 ./..| \>ヽ |` } |` } |` } |` } / ノ ヘ l ノ`'ソ ノ `'ソ ノ `'ソ ノ `'ソ ノ`'ソ
人間の思考するマインドは、幻想の世界です そこは唯一、神が存在しないところです なぜなら、神は幻想ではないからです レナード・ジェイコブソン
>>117 神の子に思考能力を与えたのは神ではないのかね?
マインドも神の創造の延長だろう
神がどんなものかわからないあなたや私には何もわからない。 神がどんなものかを知った後にあらためて考えればいい。 もしその時になってもその必要があるのなら。
>>119 マインドも神の創造の延長であることは歴然
お前が認めたくないだけだろ
>>120 ACIMには、
「普遍的な神学は不可能ですが、
普遍的な体験は可能であり、これを目指さなければならない」
とあるのに、
どうして、神学にこだわっちゃうんだろう。
言葉はただのツールであり、ACIMだって、ただのツールですよ。
還暦を越えましたが性欲が消えません。どうしたらいいですか?
>>121 別に信者ではないから神学しようと自由だろ
理解できることを理解するだけだよ
言葉というツールを駆使してACIMの間違いを指摘して何か問題でも?
>>123 間違いを指摘している人(エゴ)が間違っていれば意味はない。
理解できたと思っている人(エゴ)が間違っていればそれは理解したとは言えない。
>>123 ご指摘されているACIMの間違い、矛盾点ですが、
それは、指摘されるまでも無く、
ACIMの中で、はっきりと言及されてますよ。
すでに、
ACIMの中で言及されていることに関して、
指摘していると言われても・・・。
もちろん、自由であり、問題はありませんが・・・。
>>124 では、間違いを指摘している人のどこがどう間違っているのか具体的に指摘してみなさい
さあ遠慮なく
>>125 ではACIMもマインドは神の創造の延長であることを認めているのだな
知らなかったよ
>>126 エゴは実在しないという前提をわかっていないこと。
>>127 いえいえ、
エゴがそういう指摘をしてくるであろうことを認めているのです。
ちなみに、
ACIM自体も、
エゴの枠組みの中で存在していることを認めています。
>>128 実際に選択肢として在るのだが
お前はエゴの選択をしたことがないのかね?
>>129 イエスからはエゴが指摘してくるのが分かるのだね
イエスはどうして存在しないエゴの指摘を気にしているのかな?
>>122 ソープにでも行けば良いんじゃないかな。
>>123 言葉は道標みたいなものでそれそのものではなく指し示すものだ。だからどうやっても
正確にならない。つまり厳密に言えば言葉で表されたものは必ず全て間違いだ。
間違いでない言葉は一つもない。全て幻想だ。
あとはその幻想を何処まで赦せるかだけに掛かっている。
ああ、そうそう。この書き込みも幻想だからね。w
>>131 イエスは、
この世界と天国の架け橋だからですよ。
>>133 神の子がエゴを選択していることをイエスは分かっているのかな?
>>134 もちろんですよ。
だからこそ、ACIMがあるのではないですか。
>>132 正確に指し示していれば正しいと言えるよ
地図は実際の土地でないから間違いだという人はいまいて
間違った情報が書いてあれば別だが
>>135 イエスもエゴは神の子に選択肢として存在するのは認めているという訳ですな
イエスと同意見になったわw
>>136 夢の中の地図が夢の中のパチンコガンダム駅を正確に示していたら、
その夢の中の地図は夢の中においては正しい。
しかし、そんな駅は最初からないのだ。
>>138 神の子に夢を生み出す能力を与えたのは神だろうに
パチンコガンダム駅だって神の創造の延長とは言えないだろうか?
>>137 そうですよ。
でも、実際にはエゴは存在しないんですけどね(笑)。
>>140 イエスも存在を認めているのに何でお前は認めないの?
>>141 実際には存在しないけど、
存在していると思い込んでしまっているという意味です。
エゴが存在しないというのは、
何もACIMに限ったことではなく、仏教でも同じですよ。
仏教では、「諸法無我」と表現されます。
>>139 延長ねえ。直接関わっていないが延長と言えば延長にはなるかな。
まあしかし、あなたの子供が公園に遊びに行って砂場に山を作った場合、その創造について
あなたは全く知らないし全く関わってもいない。このことについては理解出来るよね?
あなたは何も作っていない。
>>130 在る、とは?
在る、ということの意味をもう一度検証してみたらどうだろうか。
神が在る、という時の在ると、 エゴが在る、という時の在るき同じだろうか。 在る、とは何だろうか。 それをわかっていると本当にあなたは断言できるだろうか。
>>142 存在しないものを存在していると思い込む事をエゴを選択しているというのだろ
エゴの選択は実際に可能というわけだね
>>143 ACIMでは神と子は常に一体らしいぞ
>>146 あー。一体。じゃあこう言えばいいかな。
あなたの内臓は食べた物を消化してウンコにしていると思うが、その創造について
あなたは何も知らないし全く関わってもいないよね。w
>>146 エゴの選択は可能です。
可能だからこそ、この世界があるのですから。
しかし、実際には、エゴは存在しないのです。
>>145 日本語でOK?
>>147 自分が飯を食ったからウンコになるのは分かるが
ウンコは飯を食った事と何の関係もない、とは思えんな
>>148 往生際の悪い奴だなw
観念しなさいよ
>>149 観念って、
別に勝ち負けでやっているわけではありませんよ。
>>149 お前はどうしてもらいたいんだ?
助けてもらいたいんだろう?w
攻撃は助けを求める叫びらしいからなww
>>149 少なくとも意識的には何もしてなくて、自動的に胃液が出たり押し出したりして
いるわけで、創造そのものには何も関わっていないよな。何かを食べたとしても
意識的にウンコを作りたくて食ったわけじゃなし。
楽しいから議論してるんだね。知的遊戯みたいな。
宇宙が消滅する過程でも沢山の喜びがあると神の使者に書いてあったね。 赦したことによって人生の台本が変わり、ゲイリーが交通事故とかの悪夢を避けられたというお話。
>>153 やってることは、エゴにACIMを教えるような無意味な問答だけどね
エゴのほうは理解を拒むんだから
>>155 3冊目は出ずに6枚組CD講義になったわけか。
神は日本語が話せるゲイリーを選ばなかったのかな? 完璧な神なら日本語が話せるゲイリーをいますぐ作れるよね? マネしてみたw
>>158 日本にはすでに禅という、
真実を伝える教えがあるからね。
吉田利子訳、エックハルト、ニュー・アース七章より エゴのない状態を将来の目標にして努力することはできない。 そんなことをしても、いつまでたっても目的地に到達せず、目的の状態を「達成」できなくて満たされない思いが募り、内的な葛藤が激しくなるだけだ。 エゴからの解放が将来的な目標である限り、あなたは自分にさらに多くの時間を与えることになるが、さらに多くの時間とはエゴのさらなる肥大を意味している。 時間は五感による認識のために必要な、現実的な目的に不可欠の心の構造ではあるが、しかし自分自身を知るうえでは最大の障害である。 現在の状態や起こっていることは、「いま」がとる形だ。 あなたが心のなかでそれに抵抗している限り、その形、つまり世界は、形を超えたあなた自身、形のない一つの「生命」とあなたを隔てる。 「いま」がとる形に心のなかでイエスと言えば、その形が形のない世界への入口になる。 人生に言い続けてきたノーがイエスに変わるたび、あるがままのこの瞬間を受け入れるたびに、あなたは時間とエゴを解体することができる。
>>160 これ、言葉を変えているんだけど、
>>160 の反対を言っているのではなくて、同じことを言っている。
人生全てにイエスと言いましょう、あるがままのこの瞬間を受け入れましょうを目標にして
努力することはできない。
そんなことをしてもいつまで経っても目的を果たせず、目的の状態を「達成」できなくて
満たされない思いが募り、内的な葛藤が激しくなるだけだ。
人生全てにイエスと言いましょう、あるがままのこの瞬間を受け入れましょうが目標にしている限り、
あなたは自分にさらに多くの時間を与えることになるが、さらに多くの時間とはエゴのさらなる肥大を
意味している。
じゃあ全ての努力を停止するってことかな。
>>162 ニューアースは何年か前に読んだきりなので、詳しく覚えていないが
クリシュナムルティのように、努力や、努力する主体ではなく
「気付き」の方を重要視していたのでは。
ACIMでも、上記の「気付き」のことを、right-mindness(正しい心の状態)
という言葉で表現されている。
>>163 その気付き、right-mindne(正しい心の状態)は努力をやめた瞬間、在るもので体験できるもの
だと思うけど、ほっておくとまた努力する自我が出てくるよね。
努力しない努力をある程度続けないと、正しい心の状態でい続ける(努力なしで、だから目覚めだと
思うけど)までにはならないんじゃないだろうかとも思った。それがあるがままを受け入れる、抵抗
しないことでもあるのかな。と思いました。難しいね。
直接的に努力しないようにするのは難しい(ていうか多分出来ない)ので、努力する必要性が 実は全くないことを見抜いて行くのが良いと思う。努力の必要性は何かを実現したい場合に それに沿った形で発生するものだ。なので実現したいことがなくなると同時に消滅する。
これおもしろい!って思って取り組むと、 努力じゃなくて、やりたいことをやってる状態になる だからその意味ではワクワクしてやるってのは合ってるんだよね 都内全店のケーキ屋の全メニューを制覇するという目標を決めて努力すると苦しいけど 全店のケーキ喰いてえなって思いながらたまの暇みつけて好きな物好きなように喰っていくと いつの間にか努力した感覚無しで目的地についてる 腹の肉もついてる
日本の下層階級は支配されることを大いに好み、 権能をもって望む者には相手が誰であろうと容易に服従する(アーネスト・サトウ 学習が楽しいと感じる信者の深層はこういう事だったりしない?
>>167 ACIMの、具体的にどの部分が権能をもって“下層階級”を支配しているのか、
指摘できるかな? どうぞ。
別にお前みたいに「勝組、負け組、ヘイヘーイ!」言いたい訳じゃないからw 引用文は明治時代の外交官の日記から 現代に置き換えれば「下層階級=中流の一般市民」てところかな
ACIMのどこらへんを「支配される」と取ったのかも教えて欲しい テキスト読んでる限りじゃ呼びかけばかりで支配や強制と取れるようなものは無かった 何を誤解してるのかを明確にして貰えると、人にACIM勧めるときに役立つ
ACIMに限らず、 どのスピリチュアルの道でも、 神への絶対的な服従、絶対的な信頼、 現状ありのままをすべて受け入れるということが、 目指すところなのではないでしょうか。 それに、ACIMは権威ではなく、ただのツールですよ。 ACIMも存在しないというのが、ACIMの立場なのですから。
キリストやアセンデッドマスターてのは権威でしょう 見えない世界の偉大な存在からの言葉を信じ従うことを支配と表現したんだけど 強制とか関係なしにコントロール下にあること
イエスは権威ではありませんよ。 イエスを権威と思い、崇め奉ることは、ACIMを誤解していることの証明です。 畏敬の念は、 神に対してだけ相応しいものです。
>>171 逆に俺個人のスピリチュアルが指し示すのは
「支配されるな」なんだよね
>>174 それはエゴに支配されるなということですか?
それとも、神に支配されるなということですか?
>>169 ほれほれ、どうした?w 逃げるなよ、下層階級w
>>172 >>174 ってことは、全部俺が正しいって感じで生きてる?
あらゆる既存宗教だけじゃなく、あらゆる権威から支配されないで生きろと言いたい?
風呂入ってたゴメンw 「支配されるな」てのはシンクロで感じるものだからエゴではないと思ってる 神がどんなものだか知らないから完全に信用もしていない ただ、時空を超越した何者かがハイグレードのウィットでもって存在を示したりするから驚異 凄い
シンクロってなにそれ?
>>179 全部自分が正しいと思って人を導こうとするのはエゴだよね
ACIMはそれに該当しないの?
>>182 該当しないよ
白を黒という人に、白は白ですと言うだけなので、
それは導きとは違うし、黒と信じたい人には別の道があると示されてる
それじゃ全部私達が正しいと言ってるのと同じ 宗教的なドグマだね
>>184 ACIMは正しい間違ってる論を超えてる
「白が正しい」の背後には、「他の色は正しくない」というジャッジが生きている
ACIMが言うのは、神のみがある(例えの通り言うなら白のみがある)という話で、他の色の存在は無い(ゆえに間違いですらない)
それが真実だと教えている
これは強制的に信じろという話じゃなくて、これが真実ではないと思うなら、無理にACIMやらんでいいよという話も出てる
ACIMは既存宗教やスピリチュアル、拝金主義を脅かす脅威じゃないし、それを目的としていない
ACIMがあっても、キリスト教はその教義を維持できるし、スパゲティモンスター教団は今後もスパゲティを食い続け、小麦粉業界は巨万の富を得る
そんな風に管理しやすい羊みたいな市民が出来上がるんじゃん
ACIMをどういうイメージで捉えてるかわからないけど、 あなたの思ってるような、管理とか支配とかの臭いをかぎ取れるものじゃないよ 脅威ではない物を脅威と感じてるんだろう ACIMより、ミカン剥くときに出る汁のほうがよっぽど脅威だよ 目に染みるし、プラスチック溶かすし
極論として、ACIMは一体何を言いたいのかな。長々とレッスンが続いて、伝えたいこととは何なのだろうか?予想でもイメージでも何でもいいのでヒントを教えて欲しい
>>186 わたしたちはすでに、
エゴによって管理されやすい市民に仕立て上げられているのです。
そこから解放され、自由な存在になるために、ACIMはあるのです。
>>185 神は苦痛など望んでもいないし考えもしないが神が創造した神の子は実際に苦痛を選択しているというのがACIMの特徴
神の意図した通りの結果にならないので神の能力は完全ではないというのがACIM
神は意図した通りに創る能力がないのにどうして子を創るのだろうね?
黒は黒ですと言っているのですが何か問題でも? ACIMer「神の創造である神の子は本当に天国しか体験していないし知っているのは天国だけだ!苦痛?罪悪感?そんな物は知らん!」 ACIMerは黒を白と信じたいのですか?
>>189 ACIMer「存在しないエゴが管理なんかする訳ないですぅ〜」
>>192 存在しないはずのエゴに管理され、苦しめられているから、
ACIMがあるんですよ。
それに、エゴが存在しないという主張は、
ACIMに限ったことではありません。
>>188 世界は幻想で分離は起こっていない
ってことと、あとテキスト序文を合わせると大まかな概念が掴めるかなあ
どっかに中心的考えが明確にかいてあったと思うが、ほとんど一言だった気がする
テキスト読んでる限りじゃ、兄弟に対する働きかけを期待されてるというイメージを持った
あれだけ分厚く長いものを一言で表したとしても、やっぱ全部読んでみないことには全体像は掴めない
ACIMを含めて、 全てのスピリチュアルな道は、 ただのツールでしかありません。 ただの手段であり、 手段を目的と履き違うことで、 議論が生まれ、競争が生まれ、心の平和から遠ざかることになります。
>>190 1行目は惜しいな
苦痛を選択しているかのように見える
存在しないものを選択しているかのように見える
幻肢痛ってやつと同じだ
沸騰したお湯を見せてから水をぶっかけると、熱く感じて火傷するという例があるそうだが、それも同じかな
実際には何も起こってないんだから、やっぱり幻覚なんだよ
2行目以降は自分で考えた結果だね
自分の世界観にACIMを当てはめようとして、ACIMを歪ませるのはよくあることだ
教師を名乗るカルトがやってるのはそういうものだろう
焦って学びたくなったとき、君はそういうものにはまらないように気をつけたほうがいいし、焦らなくていいというACIMの言葉を思い出すように
お湯を見せてから水をかけると火傷して、 お湯を見せてからお湯をかけると火傷した という書き込みをどっかで見たな
いや、水を見せてからお湯かけたんだっけかな?
>>189 神への絶対的な服従とか、悪はない、ジャッジしないとか
ACIMerはますます管理されやすい人達に思える
>>199 同様の主張は、
別にACIMに限ったことではないですよ。
例えば、禅において有名な言葉、
『至道無難、唯嫌揀擇(ゆいけんけんじゃく)』
これは、
『道(神)に至るのは難しいことでは無い。
ただ揀擇(けんじゃく。好き嫌い)を嫌うのみ』という意味です。
好き嫌いを嫌うって矛盾してるから無理
>>201 そう言われるような気がしていました(笑)。
ただ、
ノージャッジ(判断しない、好き嫌いを言わない)ということは、
ACIMに限らず、禅でも、他の教えでも同様ということを指し示したかったからです。
ACIMに関してだけ、
こだわっておられるようでしたので。
ちなみに、 好き嫌いを嫌うという表現は、 ACIM流に言いますと、 「正しい否定の使い方」ということになります。
「正しい否定の使い方」の正しさとは何? その正しさとは何を基準にしてるの?
>>204 もちろん、真実を反映しているということですよ。
自分でやればいいって怒られそうだけど、ひとにACIMを教えるときはこうだよ。 「優しい兄弟よ、ありがとう。あなたのおかげでわたしの霊があります。 夢の中で共に歩み、わたしの栄光を思い出させ、幻想を薙ぎ払って下さり感謝します。 愛しています。恩寵がわたしたちを引き上げひとつにしてくださいます。アーメン」 自我のマスクを被って導いてくれている聖霊のことを兄弟というわけなので、 兄弟のジャッジを自分が修正するんじゃなくて、そういう知覚が起こった自身の心を 愛のパワーに訂正してもらう姿勢。このスレには誘惑が多いけどそれだけ機会が多いんだよ。 言ってもわからないというのはまさにその通りで、問題はそこではないところで起こっているの。 つまり目に見えるコミュニケーション不全はあなた自身の存在論的罪悪感の投影なので、 ACIM敵にはいかなる微少な問題に対しても、「あなた自身が癒されるよう祈る」。 テキストから好きな文を引用してもいいし、WBレッスンでもいいし、自作でもインスピでもいいし、 あるいはホ・オポノポノとか慈悲の瞑想とか、集合的無意識レベルに光を届ける意図があるものならなんでもいいよ。 イエスが間に立って通訳とヒーリングをしてくれているイメージとか、 あるいは一息ついて休むとか、宇宙に委ねるとか、やり方はなんでもいいんだけど、 「自分自身の内面を観て、働きかける」ことをすると、奇跡的に心が通じ合う体験をできるよ(^-^) 書いた方がいい感じがしたから書くけど、読むときも赦しを求めながら読んでくれたら伝わりやすい。
>>205 言葉に操られてるようにしか思えないよ^^;
>>208 それは、ACIMに洗脳され、ACIMの言葉に操られているということですか?
>>209 そうだね、神への絶対服従とか考えるようじゃ盲目的だと思うし
通信障害でツイッターできない。ここは書き込みできたか。
>>211 つまり、
自分の頭で考えることができなくなった哀れな人間、
と、こういうことでしょうか?
>>213 そんな見下してはないけど
考えを方向付けられてるよね
>>214 そう思われてしまうのは、仕方ありません。
ACIMでは、
「わたしたちは、自分にとっての最善の利益を知らない」
ということで、
考えの修正を求められているのですから。
こっちの世界は偽物で、あっちの世界は本物だから あっち側主導でどうぞヨロシクということだね 心の平安と引き換えに
>>216 >こっちの世界は偽物で、あっちの世界は本物だから
>あっち側主導でどうぞヨロシクということだね
そうです。そうです。
その通りでございます。
ただ、
最初のうちは、そうすることで、
犠牲を求められていると思ってしまうかもしれません。
>>207 とても面白そうなサイトですね。
高校生くらいのときに、
こんな難しそうなサイトを見ていたなんて、驚きです。
SMクラブで鞭持ったおねえちゃんにだけ絶対服従するよ私は
>>217 そのために聖霊目線を学びましょうて事?
なんか悪魔に魂売っちゃう話みたいだ
結局のところはACIMを信じられないってのがあなたの結論でしょ?
>>221 いえいえ、逆ですよ。
今が、悪魔に魂を奪われているような状態なので、
その奪われた魂を取り戻すために、
ACIMや、ほかのスピリチュアルな教えがあるんです。
迷った羊よこっちにおいでと 言葉巧みに手招きするのは、どこの宗教も同じだからね
神やキリストへの信仰ありきの世界なんだから宗教でしょう
俺はそんな厳密な気持ちで学習してないよ 近所の兄ちゃんが資格はとっておけっていうから、それ信じて勉強してるってレベル
なるほど面白いなw
>>227 その近所の兄ちゃん(イエス)も宇宙消滅という資格を持っていないのだが
その近所の兄ちゃんを信じてるの?
>>193 存在しないはずのエゴに管理される?
存在すらしないのに管理なんかするわけなかろう
管理した時点で管理する能力を持った存在になっている
管理するためには少なくとも管理能力のある存在でないといけないな
神か神の子がそういう存在を創って管理させたのだろう
>>194 >世界は幻想で分離は起こっていない
神と一体状態で幻想世界を体験しているという事かね?
>>196 >沸騰したお湯を見せてから水をぶっかけると、熱く感じて火傷するという例があるそうだが、それも同じかな
>実際には何も起こってないんだから、やっぱり幻覚なんだよ
神が沸騰したお湯を見せてから水をぶっかけると神の子が心の中で勝手に苦しむのが神の意図した通りの結果という事ですか・・・
神の意図した通りの結果になるので神の能力は完全だというのがACIM
そして神はネチネチ我が子を虐待するサディストというのがACIM
よくわかた
神「こいつ、冷たい水なのに熱いといって泣いてるよ(笑)」
苦痛を選択しているかのように見える、と苦痛を感じているでは意味が違うのか? 苦痛を選択しているかのように見える・・・苦痛を選択していないのだけど苦痛を選択したように見える・・・??? それで、実際に何らかの苦痛を感じるのか?感じないのか?
それでお前はどうしてほしいんだ?w
>>235 あなた、強迫神経症じゃないですか?
疑問が生じると、
それを解決せずにはいられず、
解決するまで、心はざわざわと不安になるのではないですか?
すごく苦しんでいるように感じます。
だからこそ、ACIMを恨んでいるのではないですか?
「こんな矛盾のある本を作りやがって」と。
>>237 信者ではないから矛盾を見つけても別に苦しくないよ
お前が七転八倒しているからそれを他人に投影しているのだよ
「こんな矛盾のある本を作りやがって」と
>>238 仰る通りかと思います。
わたしも過去に、ACIMがなかなか理解できず、
矛盾点を見つけるとそれが気になり、
「こんなの真実じゃない」と何度も放り出してきました。
でも、
それなのに、数週間経つと、
ACIMのことが気になって気になって仕方がなくなり、
ACIMやACIMの解説本を手に取ったりしちゃってたんですよね。
ACIMは、
頭で理解するものではなく、心で理解するものです。
そして、
ACIMを生きるとは、生きるテーマが変わるということなのです。
それまでは、
エゴの欲求に従うことが生きるテーマだったのに、
ACIMを学んでからは、赦しが生きるテーマになるのです。
わたしもあなたと同様、過去には、
他人の過ちを見つけ、それを指摘してあげることが、
優しさだと思ったり、頭の良さだと勘違いしておりました。
しかし、
ACIMを学んでからは、赦しこそが英知だと知り、
それからは、以前よりも、
心穏やかに、楽しく生きられるようになってきたのです。
ACIMの価値を心で実感している人は、
あなたが何を言おうが、
それは、「愛を求める叫び」としてしか思えません。
今回のわたしの書き込みも、
ツッコミ所満載でしょうが・・・
ACIM否定してもACIMは変わってくれないからな 否定しても敵わないから、次は理解できる形に歪めて解釈して安心する ただそれだと心の平和は得られないから、ついに観念してACIMをそのまま学んで実践する
>>239 「本当は何も起こっていない」という大嘘を根拠に赦すのですね
この世で何が起ころうとも「本当は何も起こっていない」とひたすらスルー
2chを見ていても「神聖なる神の子が2chという低俗な掲示板なんぞ見る訳がないw」と2chを見ている事も認めない
この世界の存在を受け入れる事など絶対に嫌なのですね
>>241 ずいぶんと苦しそうだなw
何をしてほしいんだ? 正直に言ってごらん、負け組君w
| \ __ / _ (m) _ピコーン |ミ| / .`´ \ ∧_∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ (・∀・∩< このクソ世界なんぞ体験もしていない事にすれば平和に暮らせるわ (つ 丿 \_____________________________ ⊂_ ノ (_) 学習者
>>241 たぶん、聞いたことがあるかと思いますが、
ACIMで言われる『レベルの混同』です。
ACIMの実践は、
すべて心のレベルで行われることです。
もちろん、
この世界における適切な行動は取りますし、
人生を楽しむために、好きなことはしますよ。
>>244 神の創った神聖なる神の子の心には複数のレベルがあるのかね?
あるレベルでは地上世界を実際に体験しているのかな
>>245 その通りなのですが、
この世界は時空を超えたところから投影されているただの幻想なので、
実際は何も起こっていないのです。
>>243 >>241 ACIM本体に触れず、周辺から聞こえるショッキングな話、
たとえば宇宙が消滅するだの、全部幻想だの、従来のスピリチュアルと全く違うだのって話に惑わされて
過度に恐れて、勝手にイメージ作って、変な疑問ばっかり生まれてる感じがする
248 :
神も仏も名無しさん :2012/12/09(日) 17:35:30.21 ID:eKSGGQsL
>>246 時空を超えたところ(神?天国?)からの投影は実際に起こっているのなら
実際は何も起こっていないとはいえないのでは?
「何も起こっていないのではなく時空を超えたところからの投影が実際に起こっている。」
投影すら起こっていない、という認識は間違いですね。
>>155 仕事や付き合いで忙しかったんで、亀レスになってしまったよ。w情報ありがとう。
ゲイリーさん充実してるね〜。俺も腰痛になりやすいから赦さないとな。w
どう足掻いたところでこれからもACIM関連の本が続々と出版される。 これも実際に起きている現実なんだよな? 悔しいかね? そうだろうそうだろうwww
続々と出版されて新米学習者がここに来ると先輩学習者が「実際に神が幻想を投影している」て主張しているのを見て吃驚するのですね
>>252 それでお前は過去の本になってしまった神との対話と違い、
続々と出版されるACIM関連本を一冊でも読んだことがあるのかな? ん?w
ほう、読んでも理解できなかったのか、それはそれはお気の毒にwww
ニューエイジ本ばかり読んでるから頭が馬鹿になるんだよw
そうそう、世の中悪魔に牛耳られてるんだから 心の平安と魂の救済のために勉強しなくては 続々と出版されるACIMや創価学会、幸福の科学等の本を読んで
>>239 なるほど。分かりやすい。
形のレベル、心理療法としても有効に機能すると思う。
赦しの実践や書物の内容から推測すると常にマインドフルネスの状態になるわけだからね。
普通だったら動揺したり怒りにかられる場面、状況でも赦しにより大いなる存在と繋がれる。
ただ、ACIMに懐疑的な人(自分みたいな)、めげずにやり続ける人じゃないと効果が薄れると思う。
実践が形式的になって空念仏になってしまうかも。
長々と何が言いたいかと言うと、嘘でも本当でも心が癒されるし、本当っぽいねってことね。w
おっと、酒飲みながら書いてたら間違ってしまった。 ACIMに懐疑的な人だと効果が薄れるか、無くなってしまうと思うということね。 しかし、あの分厚さと内容の深遠さは敷居が高いぜ。w
>>254 幸福の科学や創価学会と、アドヴァイタの区別もできない頭の弱い人間だから
悪魔に魂を売ってしまったのだな、かわいそうにw
同じメンバーが同じような話をくり返して存続している場を
効果のある勢いがある場と見るか効果のない留年者どうしのたまり場と見るかはちょっと迷うところ。
>>160 のエゴとの葛藤による長期化が耳に残ります。
吸収するのは赦しとワークだけでいいかな。
>>256 いえ、そんなことはありませんよ。
「最初から信じようとしなくて良い」というのが、
ACIMの立場ですから。
わたしたちが信じようが信じまいが、
真実は真実、揺るぎの無い事実ですから、
信じていなくても、その効力が薄れることはないです。
なので、
最初は無理に信じようとせず、
軽い気持ちで、
「へー、こんな考え方もあるんだー」
くらいで実践するのが良いと思います。
実践し、体験が増えていけば、
自然と、否応もなく、ACIMの魅力にはまっていきますから。
ACIM批判してる人って、0か1かの思考に陥ってるんじゃないかな 一番最初に一番正しい教えを学ばないと全部駄目になるって考え方になってるんじゃないかと推測するんだがどうだろう ACIMやりながらキリスト教や他の教えを学び続けることも出来る 2人の主人に仕えることはできないので、いずれはどちらか選ぶけど、 最初はみんな2人の主人の間を行ったり来たりする ACIMが間違っていたらどうしようと思いながらでも学習はできる 0か1かの思考だと、あらゆる教えを最初だけ触れて渡り歩くジプシーあるいは放浪者になって、いつまでも何も学べないままだ
>>257 いや悪魔に魂売っちゃってるのはお前
>>22 なんか頭に電極ヘッドギア被っていそう
さあ修行するぞ〜!さあ修行するぞ〜!ってねw
悲愴感いっぱいになってどうしちゃったの?と思う
死の宣告を受けて躍り出したというセットフォードなんかも
よっぽど現実が不幸だったんだろうな
それで、長いものに巻かれながらお前は言うんだよ 「狭い門から入れ」ってねw
ACIMスレ名物バカオッサン同士の言い合い
ACIMの校正に携わったケイシー財団はロックフェラーセンターに本部を置くイルミナティの関連団体だ 昔のイエスは「ユダヤの金貸しは天国に行けない」と言い遺していたのに なんで現代のイエスはそのユダヤの金貸しの末裔にサポートされているのでしょう? イエスの言ったことは間違いだったの? それとも懐柔されちゃったの? いや、ユダヤの金貸しの末裔がイエスの名を使って騙ってるんだと思います。
>>263 逮捕直前の尊師がオウム信者に向かって言った言葉としても通じるのだが
自分を預言者なんて特別ぶる人なら。
>>261 >>265 あなたはイルミナティなんてものを信じているのですか?
だったらあなたこそオウム的ですね。
ひょっとしたら元オウムの信者さんなんですか?
どうしてACIMスレがそんなに気になるのですか?
それとあなたの思想的背景といいますか、一体何があなたの言動の支えとなっているのか、それについてもっと詳細に語ってください。 イルミナティとかロックフェラーとか、レプタリアンとか、3.11は人工的に起こされた地震だったとか、そういう世界ですか?
イルミナティとロックフェラーは合体してレプタリアンになり人工的に地震を起こす超能力を手に入れたオウム目オウム科のオカメインコです 好きな言葉は「キノウモカレージャン」
>>266 ACIMを真面目に実践すれば、
教えられなくても、自然に体験できますよ。
わたしにとっては、 ACIMを学ぶことが、 楽しくって楽しくって仕方ないんですけどね。 一生涯遊べるツールです。
公認ワークブック、レッスン350くらいまで来たけど、 あいかわらず怒りやすく怖がりな性格なままだ。 何が駄目なんだろう。
至高体験したとか言ってどや顔する人が多いのは何でですか?
>>276 未だ、エゴまみれだからですよ。
ちなみに、
ACIMは至高体験、神秘体験を目指すものではありません。
至高体験(コースでは啓示)は、本来の自己、神の愛をかいま見る、体験すること。 その体験を話すことについて、どや顔、エゴまみれと捉えるのは、嫉妬の投影をしている のではないですか。
>>275 まあエゴだとしても成果が出ないなら
やる意味なくね?
何というか、自分はすっごく苦しいのに あなたは悟っています、解脱してますよとか言われても じゃあいいかなんて思えないと思う。
>>279 不死というあなたの現実にタマネギの皮むきとたとえていますが、
コースの赦しをするたび、私達には何が起きているかわからないけど、
聖霊が無意識の罪悪感とそれが投影するカルマを切り裂き、時間を崩壊させ、
それは異なる時間の次元、全ての平行宇宙、全ての過去世、全ての未来世に
及ぶとありますね。(P113)
>>279 たとえば君にとっての成果ってなに?どんなものが成果と言える?
成果を求めると言うことは、○○という成果があるはずだという「成果の形」をすでに決めてることになる
それだと、たとえ決めた形以外の成果が肉眼で見えても、それは成果に見えなくなってしまう
ACIMを学習して実践してるなら、君自身の生き方は大きく変わってる
それは成果の一つと言えるんじゃないのかな
まあ現世利益を求めたい気持ちはわかるよ
至高体験の話を、単なる自慢話と取るか、 他の人が出来てるなら自分もそれが出来ると取るか
至高体験、神秘体験のために、 ACIMを学ぶのは誤りです。 ACIMを学ぶ動機は、 常に心の安らぎであって、天国(至高体験)ではありません。
心の安らぎが当面の目標とされていますね。 赦しは地道で大変なときもあるけど、啓示は励ましのような感じに受け取っています。
>>281 そうなんか……しかし効果がわからないなら
やめたくなるのが普通なんじゃないかな。
>>282 恐怖や苦痛がなくなるのが成果だと思う。
以前、田中百合子訳を全て読んで
公認ワークブックも終盤まで来たけど
恐怖も苦痛も昔と変わっていない感じがする。
>>285 そうなんですよね。
ACIM学習者の方が陥りがちな過ちは、
至高体験を期待してしまうところではないかと思います。
そして、
至高体験をすることで、
別の人格を持つ人間に変化し、
一瞬にして、すべての問題は解決するというような、
魔法を夢見てしまうのです。
赦しの実践は一生涯続くものであり、
とても地味で、神秘的なところなんてありません。
だからこそ、
「無限の忍耐力」だけが、
ただちに効果を発揮すると言われるゆえんなのであります。
>>286 自分自身のことを、
肉体を持つ『個』という概念を持ちながらの学習になっていませんか?
コースで使われる、
「あなた」という表現は、
通常意味する、
肉体を持っている個体的存在である「あなた」を指すのではなく、
この世界を投影し、
それを夢見ている心の一部としての「あなた」を指しています。
289 :
神も仏も名無しさん :2012/12/10(月) 18:19:27.68 ID:eWX1YBOU
議論はムダ ACIMに議論は必要ない ・・・と言っちまったら身も蓋もありませんね(笑)
赦しまくっても至高体験できないから終に開き直ったか 体験のみがある〜ぅwとか言っておきながら碌な体験がないとは恐れ入る 理論は滅茶苦茶、実践はボロボロ オワコン
体験している、と思っているのは誰なんだ?w お前にはこの問い掛けの意味すらわかるまい、ホンモノの馬鹿だからなw
何故この世を体験しているのかもさっぱり分からないまま一生を終えるのが学習者の運命 学習者人生最後の言葉「ACIMでは理解できなかったなあ〜はぁ」
>>269-270 病的なほどに覚醒に取り憑かれてる人間を、まるでオウム信者だと言った俺が
何でオウム信者になるんだ?
もし俺がオウム信者だった場合、その言動から目的は何だと考えられる?
詳細に説明してください。←流行りなのか?
いわゆる神秘体験があるんで書いておくけど、あれは毒にも薬にもなりうる 心が訓練されてないうちは毒になるかもしれない 本当のリアリティにおける意識というのは、ゴールなのかもしれないが、 その状態ではない、いわゆる普通の意識の状態で赦しのレッスンを行うほうが大切だと思う 実践と学習を続けていれば黙っていてもそのうちゴールには着く 神秘体験に注目してしまうと、もっと早くと焦って、せっかくの舗装道路から、荒れ地へ迷い込んでしまうかもしれない ACIM学習において神秘体験の有無は問題ない 問題にすると成果があった/なかった論が始まる 俺が体験したあの大変化よりも、いままで赦せなかった相手を赦そうと思う、赦せるようになることのほうが、遙かに神秘的で奇跡的だと俺は思う
それで元オウム信者かも知れない俺の思想的背景はどんなか教えろ?w
>実践と学習を続けていれば黙っていてもそのうちゴールには着く 根拠ある?
腹立が立つぜ!偽キリスト信仰者め!←今の心情
>>296 根拠とするには弱いかもしれないが、
常に平和である、穏やかであるということの状態、意味合いがなんとなくわかってきた
その状態が想像できると言った方が適切かな
完成系のモデルが構築された・・・ってのはちょっと違うか
やっぱ言葉で説明するのは無理だ
ただまだ手強いエゴは残ってるんで、学習と実践はかかせないけど、意識のシフトは以前よりずっとしやすくなった
単に自分がそれを選択しているだけだということが自覚できるようになってきた
その選択にしがみつかない選択をやりやすくなった
これもまた説明難しいな
体験して貰った方がはやい
さらに混乱招くかもしれないけど、考え方が効率的になってきた感じがある
世間一般で言われる効率的とは違う意味合いだけど、効率的になってきてる
これは全部個人的な感覚を言葉に直したものだから、参考にしないでね
なぜこの世を体験しているのか、本の受け売りでわかったつもりになっている馬鹿一匹w そもそも、それが体験ですらないということにさえ気づかずにw
やっぱ効率的ってのは違うな 当てはめられる適切な言葉や表現がない エゴに気付きやすくなったってのはある
要するに学習を続けると宇宙が消滅する気がするという事だな
>>299 では体験するとはどういう事だ?
言ってみろ
>>301 違う
宇宙はどうでもよくなる
宇宙よりも、自分と他者の境が無くなるってほど大げさじゃないけど、膜一枚隔てただけみたいな感じになる
これは常時そうなるわけじゃなくて、大きな壁を感じる相手ももちろんまだいる
ただそういう相手にも接近を試みることで、ちょい厚い膜を隔てた感じになる
さらに近づけるといいんだけどね
接近すらしたくないと思う相手もいる
そこで聖霊に助けを求めるけど、助けを求めたらいけないと叫ぶ自分もいる(彼と分かり合いたくないという叫び)
これがエゴを選んでいる状態だなって自覚はあるけど、やっぱまだなかなかそこから離れられない
いわゆる赦すのがとても難しい人がまだ居る
これからも出会うんだろうと思う
学習初期段階で得られるであろう一番の効用としては、怒る必要性がないことに気がつくってのが大きいかな
次に、被害者になる必要がないことにも徐々に気がつく
これも個人的な効用なのかもしれないけどね
>>290 学習者ですが、分かりやすくて、理論も合っていると思いますよ。
至高体験は実践と必ずしも比例しないのでは?
一人一人注意深く、聖霊の計画によって決められるみたいですし
(先のばす自由もありますが)
ACIMを知る前に体験したことがありますし。
@実在(今この瞬間、プレゼンス)に目覚める Aエゴ(世界)の消滅
偽キリストよ、ついでに
>>306 も去勢しておくれw
>>305 究極は一つの心で体験は起こっていないけど、
分離したと思っている心に幻想の体験はおきる。
ACIMって西洋的「悟り」の追求の形で 日本ってさ「東洋」だけど「西洋」的思考に慣らされていて 思考回路は合理主義つーか西洋人に近いのだけど 感覚は東洋的ってか「東洋」ってのも変かな?ネイティブアメリカンでもいいんだけど 見えないものを感知する感性がまだあるんだよね ヨーガや禅のようなアプローチの方が合う人もいれば ACIMが合う人もいるだろうし ACIM系カルトってのがあるぐらいだから 万人に向く道はないんだろうけど
啓示の体験は実相が元ですか。 大事なのはキリストのビジョンと聖霊の赦しで 聖霊と共に無意識の罪悪感を直視し、手放してもらうことですね。
世界も肉体も幻想だ そこに異論はないんだけど 生まれる前の記憶がちょっとだけある自分としては 肉体を持ってこの世に今あることにも「意味」があると思うんだよね わざわざ大変な思いをしてこの地上に来たのには エゴがある欲がある執着があるそれを今経験している まぁそんなこと言ってるからいつまでも天国に至らないのかもしれないけどw ACIMも一歩間違うと怖いかもって思うよ 色んな考えを柔軟に受け入れる懐の深さがないと
>>303 さま
学習初期段階で得られるであろう一番の効用としては、怒る必要性がないことに気がつくってのが大きいかな
次に、被害者になる必要がないことにも徐々に気がつく
これも個人的な効用なのかもしれないけどね
初めて書き込みする初学者です
ものすごく同意しました!!
簡潔に言ってくださって、ありがとうございます。
私の場合の一番の効用は、2ちゃんに書き込めるようになった事ですね(笑)
アーサも「ネットは気をつけないといけないわね」と言っていたと思います。
「私の書き込みをけなす人がいても、そのことに起こる必要性がない」
これは、たしかに自分も体験しました。
面白いことに私を揶揄する人がいると、逆に私を擁護してくれる人が書き込んでくれるんです。時には狂ったような書き込みをする人が僕にあやまってくれたことさえありました。
学習さんたちに提案の考えなのですが・・
実体と現生の関係と、自分とネットの関係はとてもよく似ているところがあると思われませんか?
きっと、ネット上でかき回す人も実際に会ってみればいい人なんだろうなと思うんです。
ここでの書き込みは初めてです。とても忙しい環境ですのでレスを書けないことがあるかもしれませんがお許しください。
ここを読んでいると、尊敬したくなるような人達が居るので感心しています。
僕と同じ体験をしたらしい、303さんの言葉に感動してつい書きこんでしまいました(笑)
>>292 >何故この世を体験しているのかもさっぱり分からないまま一生を終えるのが学習者の運命
それで良いんですよ。
>何故この世を体験しているのかもさっぱり分からない
これこそが、
エゴが一番恐れている言葉なのです。
わたしたちにはさっぱり分からないので、
だからこそ、聖霊の出番があるのです。
「自分は理解している」
そう思った瞬間、
聖霊を扉の向こうに追いやることになります。
肉体がない状態では「エゴ」なんてない あるのは安らぎと愛だけ なのにわざわざ天国からこの世に降りて来るのはなぜだろう?
>>290 ACIMでは至高体験できないとは言っていませんよ。
至高体験を目的とすることは、
学習の目的を誤ってしまっているということです。
316 :
神も仏も名無しさん :2012/12/11(火) 01:07:22.34 ID:YTOKgKxg
ジ・ウランティア・ブックにはleather(革装)版があるけど ACIMにはないね。
何万冊本を読んでも天国がどんなもんかわからんけどねw
それを何と呼ぼうが「至高体験」でもいいし「ララランド」でもいいけどw
ttp://www.youtube.com/watch?v=BsSWaYITW4g 瞑想することでこの世は幻想だってことがわかるし
天国がどんなもんか体験的にわかるってのはあるよ
いくら真面目にテキストを勉強しても
ある瞬間がそれが来る
それを悟りと呼ぼうが何と呼ぼうが
瞑想中とは限らないしわたしの場合は最初は林道で鳥を眺めているときに経験した
天国を垣間見た瞬間
こういうプチ悟りはコントロール不能だよね
318 :
神も仏も名無しさん :2012/12/11(火) 01:11:29.52 ID:YTOKgKxg
需要はあるような気がするが、エゴを強化しそうなので出すという発想が出ないのか。
革は殺生と関わってくるから、手に取らない人が出てしまう可能性があるとかそういう理由で紙のみなんじゃないかと それか単に低価格で提供するために革じゃないのかも あとはACIMを豪華にしたところで教えがわかりやすくなるわけじゃないし ACIMは崇拝するものじゃなくて読んで実践するためのものだという理由からか
左脳が発達する前の人類は「天国」に居たんだろうな ある時点でエゴ(自我)を経験する道を選んだ
悟りは脳に関係あると?
いや脳は心のモデルって栗田先生って速読教えてるお医者さんが言ってたけど 脳ってのは単にシンボルってか 人間の心の地図ってか まぁ色んな見方ができるけどねw ACIM的に言えば肉体も脳も幻想でしょw
人間が「個」という境界(バウンダリーズ)=自我(だけじゃないんだけど)を 経験するのには「意味」があるんじゃないかと思うのよ だって元々私たちは天国に居て 死んだらまた天国に戻るんだから(すぐには行けないみたいだけどねw)
>>321 脳に関係有り得る
ジルボルトテイラーが悟りに似かよった感覚を体験している
彼女は片方の脳が機能停止したとき、自他(物体)の区別がなくなったという
ただ、悟った者が片方の脳を機能停止しているかどうかはわからない
チベットの修行者に脳波計付けてるTIMEの表紙写真見たことがあるんで、その号に詳しく載ってるかも
悟った者がその脳波を変化させても、悟った者はもう別の世界にいるので、その脳波に意味を見いだすのは我々だけだろうな
脳が全て関係してるかどうか個人的には微妙なところかと思う
俺なんか注意散漫な町歩きのときに神秘体験的な状態になったから
>>322 全部シンボルだと思う
そのシンボルというのは私の心の模様
ソフトクリームが溶けるのは、私の心の何かを映し出している
それが何かはまだわからない
>>317 訂正
いくら真面目にテキストを勉強しても
体験的にわからないんじゃ本当は「知らない」ってことだ
↑の一行が抜けたw
ACIMは西洋的アプローチだよね
理性が納得しないと西洋人は納得した気にならないんだよね
只管打座とか気功でエネジーを感じるとかできにくい体質なんだよねw
日本人はどっちつかずだなw
>>323 意味があるというとおかしなことになるが、
神から逃げることができた(ように見える)という意味はある
それが自我の役割だろう
ただやっぱ幻想だから意味はない、と
>>325 ラジニーシも同じことを言ったらしい
アメリカ人はなんでも、悟りまでもオーガナイズしないと気がすまんのかと
ジョンマンディ「奇跡のコース」を生きる P9にちょっとだけ出てくる
理性を納得させる方にカリキュラムが組まれていても、
感覚的な、理性では言語化できない体験をすることになるというのはおもしろい
幻想だから意味はないかw ララランドwへ行って現実に戻ると 前より一層今体があってここにいることが大事に思えるんだよね 他の人はどーかしらないけど私はそう感じる この世も肉体も消えてしまえとは思わない 死ぬことは怖くなくなるって意味では肉体への執着は薄くなるけど 今生きてることが凄く有り難いというか 意味深いって感じるんだよ
>>308 一つの心が「分離した」と思って幻想の体験が起こるのかな
>>313 聖霊にすれば真実を理解してもらっては出番がなくなって困るということか
無知のままでいて欲しいのだね
>>304 聖霊はただの無意味な幻想に過ぎないので宇宙は即刻消去、という計画は立てないのかね
簡単に天国を体験させたら天国の有難味が感じられないから、とかあるのかな
>>305 お前は体験したことがあるのか?
330 :
286 :2012/12/11(火) 07:21:26.88 ID:tTPh8E9x
>>288 「私は肉体ではない、私は霊である」をかなりやってみたけど
なかなか実感が無い。今までの経験上、自分は肉体だと思える
証拠が結構有るからかも。
>>328 エゴには理解できないということですよ。
その証拠に、
あなたのIDもegoになっているではないですか。
邪霊の仕業だろw
お〜、初めて3Gで書き込めた
>>328 一つの神の子が、神に成り代わって
好き勝手したらどうなるかと一瞬 考えると、
無数の心と宇宙が投影された。
神のいない世界はこんなにも酷い、 とんでもな事をしてしまった! と膨大な罪悪感を無意識に抱えたが神は 戻ってこれるように聖霊を贈ったというACIM版神話があります。
>>334 神の子と神は常に一体で一つの心になっているのではないのかね?
神の子だけ神とは別に勝手に考えられるのなら常に一体で一つの心とは言えまい
神の子の心と神の心がそれぞれ在るということになるが
そもそも常に一体で一つの心なら”神の子”なる概念は不要だと思う
単に「神のみが在る」で良いだろう
わざわざ神の子なる言葉を使う意味が無い
>>328 コースは、聖霊との関係を築くように、
聖霊に尋ね聞くようにといわれています。
>>329 私たちのエゴを選ぶか聖霊を選ぶかの選択の自由です。
>>336 究極は、神のみがあるとされていますね。
なんだか便宜上と見た気がしますが。
>>335 そんな間抜けな神からの使者が果たして使いものになるのか不安w
神が神の子を創造したとテキストで見たことあります。 神のみがあるということとはレベルの違いでしょう。
>>338 それじゃ、神という究極にして唯一の心が錯乱して幻想世界が投影されたというわけじゃな
幻想世界を投影する心は唯一心しかないのならそういうことになる
>>340 ん?心というのは神から見ても他に在るのかね?
>>341 レベルの混同ですね。
またお馴染みの質問に。
>>343 究極的に2つの心が在り
唯一の心のみが在るわけではないのだね
レベルってどういうこと?
議論を見出すものは議論を見出すだろう。 しかし、 首尾一貫性を見出すものは首尾一貫性を見出す。
>>267 しかしオウムの場合は悪く言っていた人を暗殺したりしていたわけで、その辺が全然違うよなあ。
>>268 特別な人ではない筈だがなあ。聖書の中では特別な人ということにされてしまったようだが。
ユダヤ教やキリスト教を成り立たせるためにエゴが捻じ曲げたんじゃないかな。イエスも神格化
されちゃったしなあ。
コースを修了してアセンデッドマスターになった方って今までにどこかに居るんですか? 卒業生を直接見たいです。
オウムの麻原なんてのは 都合の悪い真実から目を背けるために嘘をつきその嘘を覆い隠すためにまた嘘をつき 嘘で嘘を塗り固めて雪だるま式に膨れ上がった 自我インフレーション(肥大化したエゴって奴ね)の見本だからね 堅牢な偽りの牢獄をつくったのよ 自分独りでいるにはデカ過ぎるってんで色んな人を集めちゃったって奴 似たような思考回路や感覚を持った(似た波動の)人間を飲み込んだモンスター級の幻想 それをあたしゃ勝手に妄念体って呼んでるけどね 妄念たってね気のレベルで見るとちゃんと大きさも質量も不明確ながら形もあるんだよw
普通の人間も麻原ほどグルグル巻きではないにしろ (巨大雪だるまではないにしろ) 大なり小なり牢獄をつくってしまって閉じこもっているの その牢獄が全てだと思い込んでいる ああこれはわたしがつくった牢獄なんだと気づく段階から 悟りの道ははじまるんだよね
わたしの信念・わたしの価値観・わたしのものの見方(捉え方)思考の癖みたいなもんとか それに感情がこびりついた世界観を持っている それがわたしの世界わたしの宇宙なの 偽りの宇宙
麻原ってかオウムが持ってる世界観を見ると フツーの人は基地害じみてるって思うけどさ 共感して妄念体を共有しちゃう人以外は 自分の世界観を客観視したらどうなんだろうね? 50歩100歩なのかもしれないよ
>>346 本当の預言者はね。ただ神の御心が為されますように、と一致した人が預言者であるなら。
我も特別意識も、上でいう牢獄、妄想もないのだから。
そういう人を特別ぶっているとみたなら、自分の心の妄想を見つめなきゃいけない。
そういうアイデンティティで自我を保つ人もいるから一概には言えない。
あ、人のことを判断できるという勘違いを聖霊に預けます。
わたしは小さい頃から霊が見えて 人の周りにあるエネルギー体が見えて 周囲の大人から「そんなもんない」「幻だ」って言われて育った 5歳ごろまでは誰でも見えるもんだと思ってたけど 自分だけだとわかったときは辛かったな 誰にもわかってもらえないって ある人の悪意を察知してそれを親に言ったところ 「2度とそんなことは言うな」とキツく叱られた 結局陥れられて泣きを見たわけだけど 親や周囲の大人から信頼を得られたかと言えばそうではなくて 気味悪がられただけだったなw それから黙ることにしたけど知ってても知らんふりを決め込むことに慣れた
肉体も世界も幻想だって言われても だって現に「ほらあるもん」って思えてしまう いくら肉体が幻想だと言われても刃物で刺されれば痛いし 炎で焼かれると考えたらやっぱり怖いよw 霊とかエネルギー体も見える人間にとってはリアルなんだよねw エネルギー体=気のレベルでものを見るという 違う見方を手に入れることで違った角度から現実を見ることができて 今は良かったと思っているけど
あああと ACIMでは瞑想は奨励されてないのかな? 瞑想は気づきを促すけどね 波動が低い時にやると、つまり感情が安定している時ならいいけど 怒り・憤懣の赤黒い渦が器(人格)の内部でわだかまっているとき (蛇のようにぐるぐるにとぐろを巻いてる) とか物凄く不安でイライラしているとき 勿論誰かに敵意があるとか(それが拡大した状態、つまり会社とか組織や国家とか 個人を超えたもの、人類全体にまで拡大することがある)悪意があるときは 地獄の(幽界の底)魍魎や邪悪な気を呼び込んで、人格の内部に入り込まれたりしたら 気が狂うこともあるからやめた方が良いよ 浮遊霊(特に自殺した霊)に入り込まれると鬱になって死にたくなったり 悪意ある霊が入り込むと、本来味方であるはずの人間に対して攻撃的になり 関係を悪化させるとか、自分にとってマイナスになる言動に駆り立てられたりする トラブルや事故に遭いやすい 自律神経がいかれたらちょっと注意が必要だね 人格の深くに入り込まれない限り、気づくだけで自分で追い出せるから
もし自分らしくない思考や言動に気づいたら 「わたしの心から出て行け』と言って念じると良い 自分にとって聖なる場所と感じる神社に行くといいかも
通り魔とか無差別で人を襲ったりするのは 大抵↑のような悪霊とか魔にとり憑かれている
>>357 ACIMでは、悪霊、魔というような、自分の外側にいて
自分に害をなす存在を一切認めていない。
ACIMではそういったものを「エゴ」と呼んでいるが、
それも、自分自身の思考、想念のこと。
ここを強調しておきたい。
個別のエゴは存在していないとはいえ、エゴ=集合意識を
強調すると、自分自身の選択の力が弱まるから。
>>330 怒りなど、不快な感情が生じた際の赦しの実践はどうされてますか?
認めてないっていわれてもね 見える人はいるもんで 太古の昔からシャーマンとかヒーラーとか呼ばれる人は そいうもんを扱ってきた カソリックの「エクソシスト」とかね まぁACIMじゃ肉体も時間も宇宙もエゴが見せてる幻想で そんなものは「ない」って立場だからw 霊とか気(真気も邪気も)やら想念体なんつーものは認めないだろうね 波動の高い世界に行くと悪も魔も悪意もない 本当愛と平和の世界だから ただ低い波動の世界(この物質界より低い場所もある)に行くと 魔も地獄もあるんだよw つか肉体も(脳も)気も霊も「情報」だという捉え方もある そんなもん「ない」って言ったらないとも言えるwww
霊能力有るといろいろ見えて良いように思えるけど情報過多で動きにくくなるってのもあるんだろうな 物理学者もある意味で霊能力者と同じだね 顕微鏡下で起こるミクロな物理現象を見て、なおかつそれがマクロな物理現象と 見事に噛み合っているという芸術を見てしまったら、それが無いなんて言われても信じられないだろうな 彼らにとっては、この世界は神が作ったものだという主張のほうが信じられるんじゃなかろうか
>>361 自分の場合は昔から「怒り」をエネルギー(気)として見るから
それが自分を穢し他人を害するのが嫌でも見えるの
神道の祝詞に
極めて汚きも滞り無ければ 穢とはあらじ 内外の玉垣清く浄しと 申す
ってのがあって怒りも一瞬ならしょうがないってかね
見ない振りして蓋するんじゃなくて
自分の怒りを客観的に観察することでわだかまらないようにしてるよ
それでも時々渦々つくっちゃうけど
早めに自力解体するよ理性でもって
低い感情と思念が結びつくと「想念体」というエネルギー体になる ダスカロスの言うところの「エレメンタル」 これには命ってか波動があって似たものに引き寄せられるって性質がある 邪気がより性質の悪い邪気を呼んで 人を悪意や狂気に駆り立てる感情的になって良いことは何もない
おっと、ちょうどレスがついていた。
>>362 ACIMでは魔とか悪霊を認めていない、というのであって、
他の(多くの)霊的な道では認めているのは知っている。
それを信じている人に対して「そんなものはないよ」と言っているわけではない。
その様に聞こえたのなら、ここはACIMスレということで勘弁してくれ。
ACIMの実践していく上では、自分以外の存在が自分に(良くも悪くも)影響を
及ぼすことができるという考え方は、避けた方がいいのでね。
ダスカロスの言うエレメンタルの概念と先生が言ってたのとは
微妙に違うんだよな
だから捉え方は色々あるんだと思う
物でも出来ごとでも違う角度から見れば違った見方ができる奴で
それはそれ・これはこれって理解がいるんだろうな
>>363 量子力学で(だったかな?w)観察する側の期待や思いによって
量子の反応が変わって来るだったかな?ってのがあるよね
ごめん科学音痴で
つまり自分の思いがが宇宙をつくるってことにもなる
>>366 魔とか悪霊とかにとっては
「いない」ことにしてもらった方が都合がいいんだけどねw
あいつらはこっそり人の心(器)に忍び込んで
見えないところで心の闇のなかで大きくなっていくから
ある程度大きくなるとね本人を凌駕して乗っ取るんだよ
それが悪魔憑きって奴で
心の奥に闇に潜む前に気づいて追い出せばとり憑かれることはないんだけど
>>367 ”つまり自分の思いがが宇宙をつくるってことにもなる”
とあなたが言ったように、魔とか霊はあなたの思い浮かべてるもの。
すべての人々はそれぞれの世界を見ていて、私にとってはあなたが
魔、霊を見たいと思って見ている一人にしか見えない。残酷かもしれないけどね。
かといって私も独自の「現実だ」と信じている世界がある。
”つか肉体も(脳も)気も霊も「情報」だという捉え方もある
そんなもん「ない」って言ったらないとも言えるwww ”
とあなたが言った事を互いに掴めれば、私の世界もあなたの世界も溶けてなくなって幸せになりそうだ。
レプタリアンだっけ?悪い宇宙人による思考盗聴や電波操作も信じている人にとっては現実だからな
霊や魔や邪気なんつーのは私だけが知覚してるもんじゃないってばw わたしがねつ造してもんじゃない 太古のからそれらは私たちの周りにあった 色盲の人は特定の色を識別できない その逆でより細密な情報を認識できる人がいるってだけだよ まぁ肉体やこの地球や宇宙がないんだから霊もないって立場でいいだろうけど 肉体がないっていっても痛みはリアルに感じるでしょ
霊やエネルギー体(エレメンタルでも何でもいいけど)や宇宙に充満する気や 神や精霊(自然霊)も「ない」と思う人たちが増えたから それらは見えなくなった 見えなくなったから無くなったわけじゃないんだけど 何を認識するかしないかの問題だよ 要はものの捉え方でさ 霊や気と違って肉体は見えるし触れるし痛みを感じるから ないといわれても・・・ってなるw
平気で人殺しをするような人たち 彼らの全部じゃないけど多くは現実を見てないの まるでゲームの中にいるような感覚で キリストが十字架の上で叫んだように「彼らは自分が何をしているか知らないのです」ってね 彼らには「現実感」がないの 人を殺す、人の命を奪う、人の尊厳を踏みにじるってことが どういうことなのか知らないってか実感がないから、文字通りわからない だから残虐になれる(脳的に言うと彼らには爬虫類脳の衝動だけがリアルなんだろうなw レプタリアンじゃないけどww感情も理性も働かないし良心の呵責も感じない) まるでゲームのように人を殺す リセットできないのにね
>>344 レベルの違い(JACIMより)リンク貼れませんと忍者に言われました。
第一のレベルは、一なる心と分離した心との間にある違いを呈示する。
第二のレベルは、分離した心の中の、<間違った心の状態>と<正しい心の状態>とを対比させる
第一のレベルにおいては、例えば、この世界も肉体も自我が作り出した幻影であり、分離を象徴するものである。
第二のレベルは、私たちが自らの存在している場所と信じているこの世界をその対象とする。
ここでは、世界や肉体はニュートラルなものであり、存在する二つの目的の内のどちらのためにでも使うことができる。 <間違った心の状態>にある自我にとっては、それらは分離を強化するための道具である。 正しい心にとっては、それらは聖霊の教育手段であり、私たちはそれらを通して聖霊が教える赦しのレッスンを学ぶ。 このレベルにおいては、幻想/幻影とは、自我による誤った知覚のことを指しており、例えば、 <愛を求める声>ではなく攻撃を見る、過ちではなく罪を見る、といった知覚がそれに該当する。
>>371 それらが太古からあるという証明はできてるのかい?
ACIMでは見えなくなる=無くなるという事だよ。
リアルに感じるからといってそれが現実か?
というところにメスを入れていくのがACIMだと思うのだけれど。
ACIMでは、 測定できるエネルギーも、 意識でさえも幻想という立場をとってますね。
378 :
330 :2012/12/12(水) 17:53:43.21 ID:9YcDEmsb
>>361 とりあえず「これを許せることを聖霊に祈る」って心の中で言っている。
許そうとすると怒りが増すと思ったときは言わない事もあるけど
あとで怒りが静まったころに許せることを祈ったりしている。
>378 それでは、赦すことは難しいかもしれません。 わたしたちには、 赦すことはできないのです。 赦すことができるのは聖霊だけです。 わたしたちができるのは、 聖霊が入れる隙間をつくることだけです。 怒りなどの不快な感情が生じた際は、 まずはその原因を明らかにすることが必要です。 その原因とは、 わたしたち自らが望んで、 その状況を投影していることを認めることです。
隙間を作れば、 あとは聖霊が自動的に働いてくれます。
381 :
330 :2012/12/12(水) 18:34:55.76 ID:9YcDEmsb
>>381 もし良かったら、
「マネーゲームから脱出する法」という本も参考にしてみてください。
>>379 天国の何処が嫌で投影を開始したのだろう?
マネゲに聖霊や赦しについて載っていますか。
聖霊というのはスピチュアルでは守護霊とかハイヤーセルフと言われているものだろう
386 :
330 :2012/12/12(水) 20:15:02.92 ID:9YcDEmsb
>>382 あ、それ読んだことあるッス。
でも読んだのだいぶ前だから
どこに置いたか忘れたけど見付けたら読み直してみるよ。
>>385 守護霊はわかりませんが、聖霊はハイヤーセルフと同じらしいです。
>>383 ACIMの説明では、
神の子の心の中に、ほんのわずかな一瞬、
「神から離れて自分勝手にしたらどうだろう」との思いが生じ、
そのことで、罪悪感が生まれ、
その罪悪感から逃れるために、この世界を投影したとありますね。
他のスピ本での説明では、
全知全能で完璧な神が、その状態に飽きて、
制限だらけのこの世界を作ったみたいですね。
>>384 赦しや聖霊という表現は使っていませんが、
心に動揺が生じた際、
その状況を作ったのは自分であること、
そして、
自分本来の姿(神の子である自分)を思い出すというところは、
一緒ですよね。
>>388 別に自分勝手自由気ままに生きても良いと思うが
その事で罪悪感を感じなければ解決だろう
自分の人生は自分が切り開くだけだ
いつまでもニートで父親のスネを齧っている方がおかしいお
>>390 がははは。
確かにその通りなのですが、
わたしたちは、
父なる神を離れて生きることはできないんですね。
不可能なんですよ。
>>389 そうなんですか、読んだことがなかったので。ありがとうございます。
>>392 神に対する見解は、
ACIMと食い違うところがありますが、
実践においては、ほとんど一緒と言ってもよいかと。
わたしは、マネゲから入って、
巡り巡って、ACIMにたどり着きました。
ACIMだけでACIMを理解するのは、
ほとんど至難の業かと思います。
その点、
最近出たばかりの、ジョンマンディさんの本は、
ACIMに限らず、いろいろな人の本や言葉が紹介されていて、
とっても面白く、為になりました。
>>393 私も関連本を読んで少しづつ理解しているところです。
ジョンマンディさんの本も気になります。
>>390 わぁ、お仕事がんばって下さいね^^応援しています。
もし私がそう選ぶならば、この世界を完全に立ち去ることが出来る。 これを可能にするのは死ではなく、世界の目的について心を変えることである。 もし私が、今見ている通りに、世界を価値あるものと信じるならば、 世界は私にとって価値あるものであり続ける。 しかし、もし世界を見ながら、その中に価値をみず、自分のものにしておきたいものや ゴールとして追求したいものを何一つ見なければ、世界が私から去って行く。 それは私が真理に入れ替わる幻想を求めなかったからである。 レッスン226
>>356 いい動画紹介してくれてありがとう!
魂込もったスピーチに感動した
上下も真偽も表裏もない。 優劣も善悪も美醜もない。 忠誠心も全能感も猜疑心もいらない。 差別心も正義感も羞恥心もいらない。 萌えも萎えもせず、 ドヤりもファビョりもせず、 凸りも凹みもしない。
ナチュスピ版の非公認ACIM第二巻買ってきました。 コースのテキストに、まえがきやあとがきは必要ないと思っていたんですが、 読んでみたら大内先生は末期の肝臓癌だったと書かれていました。 名医に巡り会えて、とりあえず今のところ一命は取りとめ小康状態らしいです。 病気が治ることが必ずしもmiracleということにはならないけれど、 大内先生や奥さんのジャネットさんが病気のかわりに安寧を見出せますよう 聖霊に祈りたいと思います。
ACIM関連の本を読んでいるのだけど、 どうも投影というのが、うまく理解できない。 例えば、 わたしの悪口を言っている人がいる。 そして、 わたしは、その人に腹を立てる。 こんな状況のときに、 「その人は、あなたの無意識の心の投影なのよ」 って言われても、ピンとこない。
>>400 > わたしの悪口を言っている人がいる。
これが投影というのは、つまり、本当は外に「悪口を言っている人」は居なくて、
自分の心の中に居て、それが映し出されているということだ。自分の心の中に
居る理由は「自分のことを悪く言う人がいる筈だ」という確信を自分が持って
いるからだ。そのような人が必ず居るだろうと信じ込んで疑わないのでまず
心の中でリアルにそれが作られて(つまりそのような幻想が作られて)、更に投影
されて外に存在するように見えてしまう(なのでこれは「引き寄せ」とも言える。
信じたものは信じた通りに現れてしまう)。
そう信じて疑わなくなってしまった理由は、何らかの罪悪感があるからではないか
と思う。過去に自分が行った(と信じている)何かによって自分は人から非難されて
当然の人間であると信じ込んでしまってはいないか?
しかしそれもまた幻想で、そもそもあなたは罪を犯していない。ただそう信じ込んで
しまっているだけだ。
402 :
神も仏も名無しさん :2012/12/16(日) 07:36:54.36 ID:zmr40GSz
>>401 外側には何も無く
全ては
内側でこしらえたものの投影だったのですね
投影された世界
自分が投影した相手
自分が投影した環境
自分が投影した状況
自分が投影した世界
自分が作った世界
了解しました。
>>400 投影だけ採り上げてもよく分からないと思う。
否認→投影でセットだから。
わたしの心の中に怒りがある
↓
私の心の中でその怒りを否認(抑圧)する
↓
外側に投影する
↓
わたしの悪口を言っている人がいる
↓
わたしは、その人に腹を立てる。
こういった流れ。
だから、本当は悪口を言っている人に対して
腹を立てているわけではないということ。
外に投影するときには形が異なるからわかりにくくなる 人をひっぱたくことと、人を殺すことは、同じく他人を傷つける行為だけど、 エゴからしてみればやってることのレベルが違うから、 俺はひっぱたくだけだけど、あいつは殺しまでしているんだから、俺とあいつは全く違う となる
>>403 > 否認→投影でセットだから。
これ目からウロコでした。そうだったのか。
今までそんな風に見たことが無かった。
ありがとう。
>>404 本当は他人は映像に過ぎませんからひっぱたいても傷つかないのですよ
他人には心はありませんから何をしてもOK
>>406 他人は居なくて全て自分なのでその痛みはそのまま自分で感じることになるよ。
もちろん究極的にはその自分も幻想で何も起こってないわけだが、しかし、
幻想を幻想と見抜くまではそれが現実だぞ。
408 :
400 :2012/12/16(日) 11:58:09.44 ID:D1XXJuvk
皆さん、回答ありがとうございます。 しかし、覚えの悪い、このわたくし。 まだ、ピンと来ないのです。決して、嫌がらせではなく。 整理する意味でも、 わたしの理解していることを書かせてください。 神と一体である、神の子であるわたしは、 ほんのわずかな一瞬、「神との分離」という不純な思いを抱いてしまい、 そのために、想像を絶するほどの罪悪感が生じてしまった。 そのあまりの罪悪感に耐え切れなくなった、神の子であるわたしは、 その罪悪感を否認し、外部に責任を転嫁するために(投影)、 宇宙を含めたこの世界と、 そして肉体を持ったわたしと、肉体を持った無数の兄弟を作り上げてしまう(誤創造)。 ここでふと思うのですが、 どうして、神の子であるわたしは、 この世界に、肉体を持ったわたしを主人公として作ってしまったのでしょう。 主人公として存在していなければ、 それこそ、普段映画を観るように、 罪悪感で作られたこの世界を、自分とは無関係に眺めることができたであろうに。 そうすれば、 神の子でわたしは、心安らかにいられたのではないでしょうか。 でも、こんなこと言っても、仕方ないですよね。 実際には、このわたしの肉体は存在していると思い込んでいるのですから。 で、その上で、他者への投影というのが、未だピンと来ず。
>>408 肉体=世界=宇宙
ミクロな視点とマクロな視点の違いのみ。
無数の肉体が存在しているのなら、(1)神からの分離がリアルという
証明が可能になるのと、(2)そこから生じる罪、罪悪感は外側にいくらでも
見つかるから自分は無実になれる。
(1)(2)はエゴの存続のために必要不可欠な要素だが、
そうまでしても、自分自身の罪悪感からは逃れられないというのが
逆に救いでもある。
>>408 疑問に対する答えじゃないけど、あんまり難しく考えないほうがいいよ
見えない世界、なおかつエゴには理解できず言語化も難しい世界のことを考えてもわからないものはわからないから
ACIMテキストが無駄だってわけじゃないよ
ワークだけでやってたらわけわからないところも、テキストとセットなら頭に入ってくることがある
>>409 神からの分離がなくとも罪悪感からは逃れられないのですか?
神との一体状態は罪悪感を生み出す・・・
>>411 それは409の内容に対しての質問?
だとすると、質問の意味が分からない。
別件だとしたら、知らないと答えておく。
>>412 あなた自身が、神からの分離はリアルでない、にも関わらず罪悪感からは逃れられない、と主張しているようですが・・・
本当に神と一体であるなら想像を絶するほどの罪悪感など生まれようがないと思います 神の至福しか知らないはずです
>>414 それはあなたの考えですか
それとも他の宗教の考え方ですか
>>415 誰が考えても同じです
リアルに神と一体というのは神の至福しか知らない状態でございます
>>416 今現在、神と一体なら、今現在感じられるのは至福だけだ
と言いたいわけですね
本当はそうだけど、そうであることをエゴが隠している
神から離れたと信じこみたいためにエゴがある
エゴを捨て去ればすぐに至福と共にあることはできるけれど、エゴは簡単に捨てられる物じゃない
だからACIMやその他の教えによって、エゴを捨てられる(選ばない)ように心を訓練する必要があるのです
ここで注意すべきは、エゴもまた存在しないということです
でも我々はエゴを選んでいる
でもエゴは無い
これに気がつけるようになるには心を訓練しないといけません
こういうのは頭でわかろうとしても難しいばかりか、理解に対しての抵抗すら出てきます
今現在、私が理解してる範疇で、エゴという物を無理にわかりやすくしてみますと、
あなたは道行く人を突然怒鳴りつけることもできますが、それをしません
「怒鳴る」というのをエゴに置き換えてください
怒鳴らないのなら、「怒鳴る」はありません
そもそも普段なら、道行く人を突然怒鳴るという選択肢すら無かったはずです
エゴを選ばなかったら、エゴはありません
普段からエゴを選ばないなら、エゴは存在できません
この例えは自分でも下手くそだと思いますので、学習がんばってくださいw
>>417 >そもそも普段なら、道行く人を突然怒鳴るという選択肢すら無かったはずです
本当に神と一体ならエゴという選択肢は無いはずです
エゴという選択肢がなければエゴを選択できません
エゴを選択することなくただ至福のみです
419 :
400 :2012/12/16(日) 14:01:02.10 ID:D1XXJuvk
>>409 ありがとうございます。
なんか少しずつですが、
自分の理解が足らずに分からない部分が見えてきたような。
無意識の罪悪感と意識できる罪悪感を混同していたのかもしれません。
無意識の罪悪感は果てしなく感じられるほどに巨大で恐ろしく、
そこから逃れるために、神の子であるわたしは、この宇宙の全てを作り出した。
「これでさあ安心」と思いきや、
外部に見るこの世界は、恐怖で溢れているし、
良いこともあることけど、嫌なことも沢山起こるし、
全然、我が家でくつろいでいる気持ちにならない。
それもそのはず、
神の子の心の一部には罪悪感が、まだそのまま、まるごと残っているから。
この、まるごと残っている巨大な無意識の罪悪感を解決することが、
必要なのだけど、一気に解決するのは不可能。
では、どうするか。
この世界を生きていく中で、
小出しに出てきて、意識に上がってくる罪悪感だけに取り組んでいくしかない。
そして、この意識に上がってくる罪悪感を生じさせるのが、
わたしが投影している、肉体を持った他者と肉体を持った自分の関係だということ。
こんな感じの理解で良いのかな?
>>410 そうですね。
ACIMってどんだけ考えても絶対答えがでてこない、分からない部分と、
理解の仕方が間違っていて分からない部分があって、
それを見極めていくのが大切なのかなって思ってます。
420 :
400 :2012/12/16(日) 14:11:34.12 ID:D1XXJuvk
>>405 わたしも同様になるほどと思いました。
否認と投影の関係は、
何度か読んでいるはずなのに、
これまでは腑に落ちていなかったんだろうな〜。
>>419 そうだね。
本来は罪の証明のために作られた肉体と特別な関係を利用して、
罪はないということを学習するのがACIMのユニークな点である。
決して肉体は幻想だからと否定したりしない。
それはテキスト2章4節で説明されている「価値のない否定の形」に当たる。
>>418 例えのせいで誤解与えてますかね
あなたの言うとおりエゴはないんですよ
無いのに選択できているのは、あると思ってるからです
この辺りの部分を考えようとすると、わからない領域を無理にわかろうとすることになります
それは心をエゴのほうへ向けることになります
ACIMの目的は、神と神の子の発生原因やエゴの組成について研究することではなくて、
常に聖霊とともにいられるように心を訓練して幸福になることです
あなたの疑問はACIMをただ読むだけじゃたぶん解決されません
ワークを実践し、テキストを読み、もしかしたら教師になって、
その過程あるいは肉体が死を迎えるとき、神と共に一体となる体験をして、初めてわかる類のものだと思います
ということで学習がんばってくださいw
>>422 エゴの選択ができたら選択肢としてはあるという事ですよね
神と一体でエゴの選択ができるということは神と神の子が一体となってエゴを選択しているようですね
神というのはエゴを選択するように出来ている・・・?
神も至福に飽きることはあるのでしょうか
それともエゴの選択には重要な意味があるのでしょうか
>>423 選択肢としても無いです
エゴは存在しないというのが真実です
あなた(あるいは私たち)は今現在、エゴを選びエゴと共にある状態で、エゴの視点から考えています
ACIMはそれとは対極の場所からもたらされたものです
だから、エゴの考えではACIMは全く理解不能の教えで当然なんです
>>424 現実にエゴの選択が可能ならエゴは選択肢としても無いという主張は明らかに偽りの真実ですよね
エゴが存在するのが真の真実ということになりますが
どうしてこうまで頑なに拒むのでしょう 正直に選択肢として存在することを認めると何か困ったことになるのでしょうか
427 :
400 :2012/12/16(日) 15:14:23.38 ID:D1XXJuvk
>>421 なるほど〜。
罪悪感が生じたために出来上がったこの世界を使って、
罪悪感はないということを学習するのですね。
そして、
肉体は実際には存在しないけれど、否定はしない。
ある意味、
この難解さがACIMの魅力なのかも。
>>425 現実に〜というのはエゴの見る現実です
エゴにとってACIMの見解は全て偽りといえるものなんです
ACIMを信じられないなら、無理に信じる必要はないです
他の教えを探してみれば、フィーリングの合う物があるかもしれませんよ
>>428 ACIMを勧めるアセンデットマスターからも神の子はエゴの選択をしていることが見て取れるのではないのですか
そしてエゴを選択している神の子と一体となっている神からも
>>426 単に見解の相違です
エゴはACIMの言うことを認めたくないというだけです
選択できないのに選択肢があるとは言えません
まあ理解できないのはよくわかります
自分もACIM以外の本読んだり、小さな体験をして、
ようやく最近、エゴは無く選べず最初から存在しないということの意味がわかりかけてきたところなので
いまだに自分が昔行ったエゴ的行為というものを思い出すことがあり、それはいくら無いとか赦すとか言われても、赦すのが非常に難しい
>>430 エゴは無く選べないのであればこの世界も2chもないことになりますが
毎日2chはないと思いながら今日も元気に2chにカキコですか・・・
>>429 私は神でもアセンデットマスターでもないので、彼らが何を見ているかわかりませんが、
無い物をあると思いこんでいることはわかるのかもしれません
精神病などで幻覚幻聴症状に苦しんでいる人を見たことはありますか?
彼らが何を見ている何を聞いているか我々にはわかりませんが、明らかにそこにないはずのものを見て聞いておびえたり怒っているというのはわかります
彼らにかける言葉は「あなたが見て聞いているものは本当は無い」です
>>431 この世界も2chも本当は無いというのがACIMの教えです
それでも元気にカキコできるのは、この世界があると思いこんでいるからです
本当は無いというのが真実です
本当は無いのにどうやっても有るように見えてしょうがないのは不思議なものです
学習初期において、世界は無いという概念を使って「おまえは居ないのだから俺が怒る必要もない」という、
いわゆる殺す赦しに繋がる考え方をしてしまうことがあります(ってかよくやってました)
そこのところ注意してください
433 :
400 :2012/12/16(日) 15:43:51.34 ID:D1XXJuvk
ACIMは心のレベルで行われるものなので、 この世界における具体的な行動は関係ないようだけど、 でも、部屋が散らかっているときに掃除をしないと罪悪感を感じ、 掃除をするとすっきりするから、 掃除も、赦しのひとつだと思ったりしますが、 皆さんはいかがお考えでしょうか。
またいつものやつが悔しくて発狂しているACIM風物詩。 怖いよ〜怖いよ〜宇宙が消滅するなんて怖くてたまらないよ〜 ああこりゃこりゃw
>>433 既に答えが出ているよ。
>でも、部屋が散らかっているときに掃除をしないと罪悪感を感じ、
>掃除をするとすっきりするから、
これは全て心のレベルでの問題。
部屋が汚くても気にしない人、多少散らかっている方が落ち着くという人も
いるからね。
しかし、それであなたの罪悪感が減ると思うなら、それが自分の助けになると
思うのなら、どんどんやったらいい。
赦しは心のレベルで行動とは関係ない=行動してはいけない、ではないから。
水車盗難のニュース、ほんと酷いと思ったが 俺はこの出来事の一部(しかもありのままではない)しか知らないんだよな。 裁くのやめて聖霊に裁いてもらおっと。
439 :
400 :2012/12/16(日) 17:44:58.91 ID:D1XXJuvk
>>436 う〜む・・・
なるほどとも思うのですが、
汚い部屋を見て心がざわつく(動揺する)
↓
掃除という行動にでる
↓
部屋が綺麗になる
↓
綺麗になった部屋を見て心がすっきりする
これって、
心のレベルの問題ということになるのでしょうか。
掃除という行動がとても重要だったような気がしてしまうのですが・・・。
それとも、
部屋の掃除というのは、
無意識の罪悪感の解消とはまた違うのかな。
掃除、特に普段見えない掃除しない場所を すると無意識の罪悪感が浮かび上がってきやすい ような。
まずは机の上、引き出しの中、本棚を整理し不要なものを捨て去る。 PCであれば、お気に入りの中でもう見なくなったサイトを一斉に削除する。 もうやり取りしなくなった人からのメールを削除する。
>>441 どれ一つとして出来ていない人に言われてもなあ・・・
まずお前は自らのグジャギギャの机の上、引き出しの中、本棚を直視することから始めようか
>>442 お前を俺の部屋に招待してやりたいくらいだなw
どれほど機能的かつ審美的に片付いているか。
お前の家にはそもそも机も本棚もないのだろうな、貧乏人w
>>439 それは合っているとも間違っているともいえない。
ACIMは心のレベル内での話だから、例えば、
心の中でエゴを選択している
↓
汚い部屋を見て心がざわつく(動揺する)
↓
心の中で聖霊を選択する
↓ ↓
掃除という行動にでる or 部屋を見ても心がざわつかなくなる
↓
部屋が綺麗になる
↓
綺麗になった部屋を見て心がすっきりする
上記のようなものであれば、「部屋の掃除という行動で 罪悪感が解消された」と言えるかもしれないし、 「何も行動していないけど、罪悪感が解消された」と 言うこともできる。 反対に聖霊の選択がなければ、どんなに部屋を綺麗にしても すっきりはするだろうが、罪悪感は消えない。
否認、投影、知覚の三点でセットだよ。 まず、問題の根本である、 愛の否認、投影、知覚という分離の思考を、 愛の受容、延長、智識という奇跡の体験に立ち帰らせる。 これが祈りのプロセスで、 方法は神への感謝と兄弟への祝福。 また、派生的に生じる、 渇愛の否認、投影、知覚という欠乏の信念を、 渇愛の否定、解体、消滅という恩寵の状態に差し戻す。 これが癒しのプロセスで、 方法は神への信頼と兄弟への赦し。 少しマジレスなので検証と訂正に対してオープンです。
447 :
400 :2012/12/16(日) 21:46:44.50 ID:D1XXJuvk
448 :
400 :2012/12/16(日) 21:51:39.03 ID:D1XXJuvk
>>446 すまん、ちょっと難しいと思った。
否認→投影→間違った知覚→間違った知覚の再解釈→愛の受容→
延長→幸福な夢→実相世界→(God's last step)知識が
祈りのプロセスってことでいいのでは。
癒しのプロセスは、
渇愛の否認→投影→知覚という欠乏の信念を、
渇愛の自覚→その否定→解体(消滅)→愛の自覚という
恩寵の状態に差し戻す。
方法は、神への信頼と兄弟への赦し。
ってことで、どうでしょうか?
霊感商法にホイホイ騙されそうな奴らが増えたなこのスレ
お、お、お、おれはだまされないぞー
>>449 ありがとうございます。何度も読んでます。
自分が書いたバージョンは、
愛からの分離の象徴を聖霊に再解釈してもらうところと、
そうすることで癒された知覚に目覚めていくところと、
愛の欠乏を自覚して聖霊と共に見るところと、
そうすることで真の自己が心の中で復活するところという、
肝心なところがすっかりまるっと見事に抜けてますね。
読み比べながら自己対話してみます。ほんにありがとうございました〜!
そういや振り込め詐欺とかって自分は騙されないと思ってる人も結構騙されてるようだな。 ああいうのはそのままだと損(社会的に損)して金を払うと助かるという捏造ストーリーをいかに信じ 込ませて騙して金払わせるかという問題なんだろうけど、幻想を真実と思い込むという点が同じだな。 騙されて信じ込んでしまうと苦労して助かったと思った時には実は損害が出ていて、見抜いて (あるいは見抜けなかったとしても思い切って)幻想に従って動かなかった場合は助かる。 助かろうとして頑張ると助かったと思った時には死んでいて、死を覚悟すると死んだと思った時には 助かるみたいな感じ。
454 :
400 :2012/12/17(月) 01:30:31.80 ID:ab24loIw
すでにエゴによって騙されてるからね〜。 わたしの好きな至道無難禅師の歌です。 「おのが身にばかさるるをば知らずして、きつねたぬきをおそれぬるかな」
でもエゴは存在しないからエゴに騙されることはあり得ない、と思ってもいるのだろ?
456 :
400 :2012/12/17(月) 09:14:34.26 ID:ab24loIw
「夢」 「是もまた夢、弥勒もまた夢、観音もまた夢、仏云く、正に是のごとき観を作(な)すべし」 沢庵 宗彭
「都合のいい作り事で現実の復讐をしていたのね。虚構に逃げて真実をごまかしていたのね。それは夢じゃない。現実の埋め合わせよ。」 「ここは、LCLの海。生命の源の海の中。ATフィールドを失った、自分の形を失った世界。 どこまでが自分で、どこからが他人なのか分からない曖昧な世界。どこまでも自分で、どこにも自分がいなくなっている静寂な世界。 いいえ、全てがひとつになっているだけ。これがあなたの望んだ世界。そのものよ」 「他人の存在を今一度望めば、再び心の壁が全ての人々の心を引き離すわ。また、他人への恐怖が始まるのよ。 希望なのよ。人は互いに分かり合えるかもしれない。と言う事の。 そして、真実は心の中に。 そして、その新たなイメージがその人の心も形も変えていくわ。 イメージ、想像する力が自分達の未来を時の流れを作り出しているのよ。 だから、見失った自分は自分の力で取り戻すのよ。 自分の言葉を失っても、他人の言葉に取り込まれても。 自らの心で自分自身をイメージできれば誰もが人の形に戻れるわ。」 綾波レイ
>>458 Qは面白くなかったぞ。
一気に幻想から目覚めてしまった。
悟ってしまったよ。
それよりも、引用されている部分は、ひきこもりとまでは
いかなくても、仕事をしていない人のための言葉に思える。
アニメは幻想w
これの哲学って仏教に近いんだよね 仏教って言っても色々あるけど「唯識」とか ヘレンさんがこれを書いた当時ってのは1960年代? その当時って東洋思想_インド哲学とか禅(鈴木大拙あたり)が流行った頃でしょ? 違ったらごめん そういうのに被れたってかハマって色々読んだ人がキリスト教と絡めて書いた って説はないのかね? イエス・キリストが「今までのキリスト教はあまりキリスト的」ではない なのでそれを修正するためにヘレンさんって心理学者にこれを書きとらせたってことだけども 神やキリストを信じたくても、今のキリスト教の有り様(教会の有り様)が気にいらないって人も多い これが生まれる下地はあったんだけど つまりはイエスが降臨して書かせたのは本当か?って疑問がわくよね
ヴェータンダとか仏教とか東洋思想とキリスト教を融合させた 創作物って見方もできるんじゃないかってこと
日本人の感覚の中に 神からの逃避(分離)とか原罪(罪悪感)とかないんだよねw キリスト教の家庭で育った人間ですらないんだから 万物と切り離されてはいないし 西洋人(キリスト教圏やユダヤ教徒)が感じる神に対する恐れと 日本人が神さまに感じる畏れ(畏敬の念)は感覚的に違う思う エックハルトトールのがまだわかりやすいと思う 悟りの概念として
464 :
400 :2012/12/18(火) 06:47:15.30 ID:gLxFrecx
エバは不二一元論ではないですね
466 :
400 :2012/12/18(火) 07:11:46.42 ID:gLxFrecx
>>462 他にシェークスピアとフロイトの要素もあるわよね。
わたしも一時期、
ACIMはヘレンさん、ビルさんの創作と疑ったこともあるし、
今でも全面的に信じているかというとクエスチョンだけど、
でも、ACIMを読んでると、
この本は書くのは人間技じゃないとしか思えない。
467 :
400 :2012/12/18(火) 07:30:08.57 ID:gLxFrecx
468 :
400 :2012/12/18(火) 07:39:38.55 ID:gLxFrecx
>>462 けど、
ACIMと西田幾太郎さんの違いって、
ACIMは日常生活に応用できるってところよね。
というか、
日常生活に応用してこそACIMの意義がある。
そういう意味で、
ACIMって、
あたゆる哲学・思想・宗教の中で、
群を抜いて素晴らしいものだと思うんだ。
ACIMが創作物だとするなら、何のために?っていうのが一番の疑問だな
FIP版第3版Kindle版を買った… ACIM聴講生から一年生へ… ワークブックも一月一日から… 人生を聖霊にお願いする… 聖霊はいるって納得できた… 先生方先輩方兄弟の皆様… ありがとう… やってみる…
西田幾太郎さんって知らなかったわ、読んでみる ACIM自体は単純ってか 神=愛であるとか、聖霊に祈って導いてもらう(聖霊の声を聞く)とか キリストの赦しとか(自分や隣人を)まぁ伝統的キリスト教が核にあって 世界や肉体はそもそも実在しないとか あるのは自我の思い(唯識)だけで悪夢を見てるような状態で 神の子である真の自己は一度も神と分離したことがなく 純粋なまま保たれている(それがわたしたちの本質でキリストと同義である) その真の自己を悟る=悪夢から覚醒するってのは仏教の悟りの概念と同じで 東洋的なやり方だと、禅の瞑想(只管打座)インドのヨーガになるんだろうけど 聖霊の力を借りてってところがキリスト教的ってかw
師匠無しでアドヴァイタ哲学を学ぶってのはちょっと違う?
一口にキリスト教といっても色んな顔があるけど 東方正教アトス静寂主義は禅と似ている ACIMはあくまで自我の思考体系の修正ってか あれやって悟れる人はいるんだろうか?何年やっても同じところグルグル回りそうな 気もするけどねw
世界は醜いことばかり。このような世界が神の創ったものであるはずがないわ。 でも、完璧である神もその神が生み出した神の子もミスをするわけがないでしょ。 そうね・・・そうだわエゴよ。エゴのしわざよ。 そしてそのエゴも実在しないことにすれば問題ないわ。 こうして責任者不在の終わらない幻のエゴとの格闘物語は始まったのでした。
ACIMが正しくないと言ってるわけじゃない 仏教(つっても色々あるがな)にしてもキリスト教(聖書)にしても 普遍的な何かを含んでいる ただこの世界観も数多ある捉え方のひとつに過ぎない
HLC版とSparkly版も買った。 (Original Version)って書いてあった。 あ、by the way、 The Way Of Masteryシリーズも買った。 聖霊はいると思うけど、 イエスっているのかな? お金はこのスレで出会ったお友達にAmazon券もらって買った。 それとは別の、やはりこのスレで出会ったお友達には、 『神の使者』と『ACIMで行こう!』をもらった。 ツイてる♪とか、言いたくなる。
実際ワークをやり遂げてないからわからないけど
意味あんのか?って疑問に思う(真面目にやってんだけど)
テキストも読み込んでいるわけでもないし
日本語の翻訳で読むのと原文で読むのとはやはりちょっと違うだろうし
あれを原文で読める英語力はないし
右脳左脳ってのはひとつの捉え方に過ぎなくて、あんまりそれにこだわりたくはないんだけど
思考を修正するってことは、相変わらず自我の檻の中に居ることに変わりはなくて
左脳で理解しても悟れるもんじゃないしね
何万冊もの経典を読んでも悟れないし、檻の向う側は見えない
だから只管打座とかヨーガとかに行くんだろうけど
右脳の意識にシフトするのに役立つんだろうか?
>>474 そういう風になっちゃったら本末転倒ってか
投影をやめるために聖霊に導いてもらうんでしょww
いくらこの世界が「実在しない」幻だとしても
肉体が幻想だとしても
この世の責任からは逃れられないし体も気づかわなきゃならない
税金払って親なら子供育てて飯も食わなきゃならないし
休まないと体調を崩して具合悪い
どーせ実在しないんだからこの世の下世話なことなんてどーでもいいになったら それこそ本末転倒になりそうだけど そういう人いそうだww
479 :
400 :2012/12/18(火) 12:09:41.16 ID:gLxFrecx
480 :
400 :2012/12/18(火) 12:13:35.03 ID:gLxFrecx
懲りないね〜w
とんでもないことに気づいた!! イエスの言う「世を捨てる」って言うのは、 出家することでも自殺することでもなくて、 心の中にある夢の世界を構成する分離の思考のすべてを聖霊に明け渡すことだった!! まだ自分のこと身体だと思ってたから思いつかなかったwww イエスは時空の宇宙の外にある心に、自我を捨てて世界を終わりにしなさいって言ってるんだw いや、あのね、災害とか政治を赦せなくって鬱になってなぜかなーと考えてたら、 頭の中でぎっちり“日本"という観念を握って執着してる、手と列島の映像が見えたのよ。 ………日本は無い。 あまりにも馴染みすぎて盲点になってたわ〜文明国家文化民族地理歴史ぜんぶ幻影やったわ… 今はマインドマップ使って人格と、年表使って人生を赦してます。 内的な振る舞いのパターンと外的な出来事のパターンが見えちゃうと呆気なく自分は虚構だってわかるよ。 自己攻撃と他者攻撃のシーソーと、被害者と加害者のメリーゴーランドなの、呆気にとられる単純さ。 あなたが自我を作った、あなたが世界を作った、 って、ホントに文字通りガチのマジで言ってたんだな。 いやあ…コース面白い!! ていうかわたしは何も読みとれてなかったんだなぁ…宝の持ち腐れしてたぁ…はぁ… むしろ今日までコースをなんだと思ってたのかそれが謎だよw
484 :
400 :2012/12/18(火) 14:58:13.06 ID:gLxFrecx
>>482 面白い!
イエスのいう「世を捨て、すべてを聖霊に明け渡す」というのは、
至道無難禅師の、
「いきながら死人となりてなりはてて、おもひのままにするわざぞよき」
という歌ともシンクロしますね。
485 :
400 :2012/12/18(火) 15:05:35.23 ID:gLxFrecx
わたしも先ほど、 ふと思ったのですが、 「神」というものは、 すべてのイメージを許さないものなのではないかと。 何故かというと、 コース的には、イメージも知覚であり、知覚も思考も意識も、全て幻想。 幻想を使って、神という真実をイメージしたり、理解することは不可能。 神とは、愛とはと、 イメージを持った時点で、 それは神ではなく、愛でもないのではないのかなって。 違うかな〜。
486 :
神も仏も名無しさん :2012/12/18(火) 18:19:32.87 ID:mpPL8d0E
生長の家の聖典である
「生命の実相」
って
ACIMに似てるらしいけど
どうなんでしょうね
私は別に読んだことありませんが…
>>485 どっかの本に
「全てのイメージを赦しなさい」
って書いてありましたよ
神使だったかな。
487 :
400 :2012/12/18(火) 19:08:24.27 ID:gLxFrecx
>>486 ごめんなさい。ややこしかったですね。
神はすべてのイメージを許さないとは、
人間がするすべてのイメージを超越した存在であるゆえ、
どんなイメージも抱いてはいけない、
ただ感じるだけの存在なのではないかなってことです。
>>403 分かっていたつもりでいてハッとさせられました。そうだよなあ。またエゴの思考にはまっていた。
403書いた者ですが、意外と役立っている方が多いようで光栄のきわみ。 後、JACIMの最新Q&Aにも、関連したことが書かれているから、 読まれるといいかもしれまんせよ。 他者への憎しみは、本当は自分自身への憎しみが否認され、外側に 投影されたものであることに気付かされます。
自分自身を憎まないようにすればいいだけ
投影先が自分か他人かってだけだから、どっちにしろどっちかを解除すればどっちかも解除されるのでは と言うのは簡単で実践は難しい
>>490 自分自身を憎む→世界、身体の発生なのですよ。
既に憎んでいるんです。ニュートラルな状態から始めるのではないのです。
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、自分自身を憎まないようになるために
他者が必要なのです。
聖なる関係が重要なのは、まさにその点です。
>>491 理論的にはその通りで、実際にはコースの理論を知らなくても赦しは可能です。
しかし、他者の中にあるものは自分自身の中にあるということを把握して
いなければ、forgiveness-to-destroyという「破壊するための赦し」
という、赦しに見せかけた攻撃を行ってしまう可能性があります。
「破壊するための赦し」は『祈りの歌』に収録されていて、邦訳は出版されて
いないのですが、ワークブックのレッスン126と134に関連した内容があります。
>>483 綺麗!!(いいなぁ。すごいね!この本棚をKindle化したいw)
今度は日本語公認版ワークブック、くれるって。ありがと(*^ー^*)
英語FIP版ワークブックのiPad用アプリ買ったの。凄くイイ。iPhone用もあった。
バイロンケイティワークが好きで、アプリほしかったけど、アプリあった。
買って、やった。スレ住民を裁いてそれを聖霊(バイロンケイティ)に見せて
赦して(知覚と記憶を訂正して)もらった。実相スレが見え始めた。
>>492 神の子は憎しみを知りません。
「エゴはない。世界、身体はない。」、これが答えです。
世界、身体の発生を認めることはコースの否定です。
496 :
神も仏も名無しさん :2012/12/19(水) 07:32:48.17 ID:IPCHQQYa
ゞ(キ▼ー▼)ゞ よせやい!
>>489 昨日抑圧、否認、ということを思い出しながらどうしてもゆるせないこと、怒り、憎しみを
さらけ出して悶々と見ていた。(タブー視しないで、ある意味で安心して正直になって)
ずっと前のいじめてきたやつにあったらなんて捨て台詞吐こうか、とか家族に聞いてもらったり
自分ってなんて心が狭いんだろう、せせこましいんだろう、とその心の様子を嫌は嫌だけど、
責めないで。
そうしたら出てくるか出てこないかだけでいつも心につっかえていた、ゆるせなさ、憎しみ
が氷解というか角砂糖が解けるようになくなった感じがあった。ふっと軽く甘く。
結構深いところのエゴが解体されたような気がする。自分ではできないんだから確かに聖霊が
やってくれたんだよね。ありがたいです。
悶々と苦しくても憎しみを見る時間というのは無駄ではないんだなあと思った。
それとその解体、最初からなかった、という感覚ももたらされた。
>>495 その通りです。
「世界、身体の発生を認めているのは、コースの否定」
まさに私たちは、無意識にこれを行っているのですよ。
心の奥底に抑圧されているので気がつきませんが。
これがスタート地点なんです。
どうか、私は「エゴはない、世界、身体はない」というのを
「信じていない」ことを認めることから始めて下さい。
>>499 分かりやすくて助かります。
ありがとうございます。
>>461 始めるときよくある疑問のようです。
>>477 テキストは特に最初の4章は読んでおいた
ほうがワークするのに理解しやすいようです。
あ、495さんではないです。
>>475 はい、コースでも数多くの道の一つに過ぎないと言われています。
合う合わないあるでしょうし。
私も読み始めはキリスト教的な言葉が違和感ありました。
ワークブックP192の最後3つの文、太字の部分が『神の意志』だったり『神の意』だけだったりする これ誤植だろうね
皆さんがこういった霊感書籍にハマったきっかけは何ですか?
>>505 俺は死んだら永遠の無になると思っていて
それが怖くてスピリチュアル系の本漁りしています。
唯物論的な本では救われないと思うんですよ。
508 :
神も仏も名無しさん :2012/12/20(木) 19:11:03.65 ID:gyNX6jVY
>>503 私も聖霊とか赦すとか「Jさん」とかなんのこっちゃ的な感じでした。
聖書も読んだことあるませんでした(笑)
>>508 あと贖罪とかも^^ キリスト教で使うのとは
違う意味が付けられていますね。
何らかの不快感を抱くようなこと、心に影を落とすようなことは全て自分の恐怖心の投影 そして全ての恐怖心は一つの罪悪感に根を同じくする 「許し」というのは、「今、心の中に現れた恐怖心の象徴を介して根源の罪悪感を解消するぞ」 という自覚的な意志のこと(その後は聖霊の仕事) ぶっちゃけ「他者」は関係ない 経済的な困窮も病気も自然災害も恐怖心の投影と見抜いて「許す」 実践において「許し」はホ・オポノポノとそっくり 極意は、 「実感できなくてもいい。パソコンのキーボードのDelキーを押すように『これを作り出した記憶を消去する』と心の中で思うだけ」 「許し」の前準備として、心を曇らす不快感に意識を向ける必要がある 「これが現実だから」と当然のことのように抑圧していた不快感にも意識を向けて自覚的になる 「自由の炎で照らす」とプンジャジが言っていたように 光が照らせば、闇は消える ACIMは、「許しをすればこんなにいいことがありますよ」という保証と誘引のためにあんなややこしい大部になってしまっているけれど 実践すべきことは至極シンプル なかなか実感が持てないから「何か間違ってる?」と不安に駆られてやたらと難しい解釈論に嵌っていってしまう すぐに実感できなくてもシンプルなことを続けるだけだよ
見えない敵と戦う 誰か精神病院紹介してあげて
見えない被害者に苛立つ 誰か精神病院紹介してあげて
ここが精神病院です。
516 :
神も仏も名無しさん :2012/12/22(土) 07:50:12.88 ID:yF4qpB0G
>>486 実相哲学と精神分析論とスピリチュアルと何や彼やがゴチャ混ぜになってる
病気の話の割合が多いがこれも意味不明
病気は神が創った実在ではないが、かといって何も無いわけではなくて、
人間が作った不調和なエネルギーとしては在る、ただ実在ではないだけで〜云々
グダグダ振りはそっくり 似てると言われても致し方あるまいて
コースを集中的に学ぼうと思っているんだけど、 どうしても他のスピリチュアル本を読んだりと、 寄り道してしまうことがたびたびある。
>>517 元信徒として、少しフォローしておくか。
生長の家は、基盤がニューソート。
ゆえにキリスト教の解釈はクリスチャン
サイエンスに近く、そこに仏教、スピリチュアル、
精神分析が混ざっているという感じ。
コース自体も、ニューソート寄りの解釈しているグループが
いくつかあるようだから、その人たちから見れば、生長の家と
コースは同じことを言っている、と思うかもしれないね。
自我の抵抗が強い
強すぎて鬱病みたいになってる感じ
>>519 全く問題ないようだ
ワークを忘れても、うまくできなくても、コースに戻ってくればいいらしい
むしろうまくできないからもう一度ちゃんとやらないととか、集中的に学ばないとって思ってるのはエゴのほうだそうな
>>521 は『奇跡のコース』を生きる実践書P108参照
コースを集中的に学ぶ云々は書いてないけど、ワークをうまくできなくても、
次の日にもう一度同じワークをやり直す必要はなく、進んでしまっていいとあった
>>522 ありがとう。
そんなダメな自分を赦すことにします。
ACIMワークを続けてると性欲が収まらなくて困っています
肉や濃厚な西洋料理、油料理食べるの止めれば?
アセンションって未だになんなのかわからん アセンションしてもしなくても霊的世界への興味は失わないで欲しいね 全部嘘だ!坊主憎けりゃ袈裟まで嘘だ!ってな状態にならないでほしい
ぷに一元
今年の2月から、コースを始めましたが、 ワークはレッスン145、テキストは550ページという感じ。 ただ神の使者4回、不死3回読んだ。
最近思ったのだけど、 コースのワークって、 365のレッスン、全てが赦しということなんじゃないかって。
>>524 奇跡を求める衝動が肉体に誤知覚されたものと
されますが、神を求めているということでも
あるのでしょう。
532 :
>>524 :2012/12/23(日) 23:40:52.23 ID:69O5wc2s
>>525 そういったものは特に食べません。
適度に運動もしております。
>>531 絶頂には留まれないので虚しさを感じざるを得ません
>>532 性欲の先を見る
性欲は困るものじゃないのに困っているのはなぜか
聖霊と共に見てみては如何か
先より元と言った方がいいか 性欲がある困った大変だ じゃなくて 性欲があるなーなんだろなー って感じで見てみるとよろしいかもしれない
厭離穢土欣求浄土
>>526 スレ違いかもしれませんが自分には有益な情報でした。
ありがとうございます。
訂正します 奇跡を求める衝動が肉体に誤知覚された ↓ 奇跡を求める衝動が肉体の衝動として誤知覚された
@今この瞬間に目覚め、常にそれが起点となる Aエゴによる抵抗が止揚し止滅する この二つの段階を混同している人が多い。 今この瞬間に目覚めてもエゴは相変わらずそのままだ。 しかし今この瞬間に目覚めずしてエゴの解体はできない。 エックハルト・トール等の覚醒者はもっぱら@についてのみ語っている。 ほとんどの人は@のレベルにはないのだからそれでいいのだが、 前者@はスタート地点に過ぎず、本編は後者Aということになる。 本当の意味で引き寄せができるようになるのは@のレベルにある人だけだ。 そしてACIMはこのAについて扱ったプログラムと言える。 @のレベルにない者がAに取り組んでもすべて無駄に終わるだろう。 したがって今の時代、ACIMはまだほとんどの人たちには受け入れられないし、 実践しようとしても挫折する運命にある。 ACIMが評価されるのは、神の使者でも語られているように今から数百年先のことだろう。
>>538 >@のレベルにない者がAに取り組んでもすべて無駄に終わるだろう。
そのような前提条件はどこかに書いてありました?
>>538 はコピペ。
他人の書いた文章を剽窃するのは掲示板であっても著作権侵害で罰せられるんじゃなかったかな?
そういう判例があったよな。
>>538 25世紀の人にとって20世紀の本を評価するのは
我々が戦国時代の巻物を有難がるようなものだぞ
骨董品の領域じゃよ
今この瞬間云々ってACIMに出てきたっけ? 神の使者にすらちょっと出てきただけで、エゴの話ばかりな気がするけど 1と2の段階を踏むのが必要というなら、必ず今この瞬間にあるようにするためのレッスンがワークに組み込まれてると思うんだけど 段階なんか本当は必要ない、いますぐ神と共にあることを選べるんだよ(ただ難しいみたいだからACIM置いておくね)というのがACIMの主張じゃないか?
神の使者によってACIMに導かれた人も沢山いるだろうが、 もしACIMを実践するのなら、神の使者に書いていることは とりあえず忘れて、まずはテキスト、ワークブック、 マニュアルを一通りやってみること。 神の使者は、ニューエイジ全盛期のアメリカ人に対してACIMを 紹介するガイドブックであって、その性質上間口を広げ過ぎて いて、ACIMでは語っていない部分もあるし、一部の概念の 捉え方次第で学習を危うくする可能性もある。 特に翻訳本ではね。原書だとまた印象が違ってくるが。
とはいえアプローチの違いだけど538は間違ってはいないだろう。 エゴに取り組むことで最終的に今この瞬間に在ることに目覚めるか、 今この瞬間に目覚めることでエゴから離れるか。 エゴから離れることはできてもエゴは残るからそれへの取り組みはまた別の作業。 フーマン・エマミも目覚めるだけではダメでマインドが変質(ゼロ化)していかないといけない と恩寵の扉が開くまでの何巻かでキヨタカ氏に語っていたと思う。 今この瞬間は聖霊の視点だから、それがわかっているとエゴに振り回されることはなくなるが 間違うとエゴを強化してしまう(エゴが自分は悟った!と思ってしまう)危険性も。
>>538 今この瞬間に目覚めている時にはエゴは生じていない。
そして今この瞬間には今この瞬間しかない。
それはどうかな? たとえばレナード・ジェイコブソンは、今この瞬間の実在に目覚めることと、 真のマスターの意識を持つこと(人を実在から引き離すあらゆる要素を意識化し処理すること) を明確に区別しているよ。
神の使者じゃ○○だったのにACIMじゃxxのように書いてあるぞ? って思うことはわりとあるな 神の使者は公認訳とか出ないだろうから自分で原書にあたったほうが良さそうだな
>>547 一応言っておくと、神の使者に書いてあることが
コースと照らし合わせて間違っているわけではない。
ただ、一部の概念は、コース自体を実践した上で読まないと
捉え方を間違うんだよ。
解体の鍵は自我への気づき、 逆転の鍵は聖霊への目覚めと思う。 自我の思考システムを赦すことと、 聖霊の思考システムを許すことの二つがあると思う。 世界を観ることと、 実相世界を視ること。
>>544 >間違うとエゴを強化してしまう(エゴが自分は悟った!と思ってしまう)危険性も。
こういう人いっぱいいるよwで教祖様になったりして
「わたしはグルである」ってなるんだよね
神秘体験して別のリアリティをほんのちょっと垣間見たって
「それがどーした」って思えればいいんだけど
急に何か偉くなった気になるんだろうな
ACIMはそういう自我の罠に陥る危険が割と少なめな方法論だとは思うけど
肉体もこの世も幻想ってか そもそも存在しないって立場だから それはある上から(又は中心から_スピリットから)見たらそうなんだけど 下から(私たちが現実と呼ぶものから)見たら 体も物質もあるわけであるものをないとするところから混乱が生じるってか 元々ないんだから死ねばいいのか?(自殺とかw) この現実を核兵器かなんかでぶっ壊せばいいのか?って言ったら違うよね 死ねばスピリット(霊)になるけどw整理されてない(浄化されてない)自我は 肉体がなくても残るんだけどねw
>>551 訂正
それはある上から(又は中心から_スピリットから)見たらそうなんだけど ×
それはある視点
例えるなら上から(又は中心から_スピリットから)見たらそうなんだけど ○
ワーク91にその見えない実在を見ることに関する話が出てくるな 昨日やったところでタイムリーだわ
>>550 今増えてるね、そういうのが。
わたし悟りました、スカイプで共鳴してあなたも悟らせてあげます、
みたいなのが。
実際問題、一時的に目覚めても、しばらくするとマインド(自動思考)が活動してしまうからね。 エゴに気づいている状態は目覚めているわけだから、解体しようと常に観察することも今この瞬間に錨をおろすことに資する。 目覚め(止める)と観察(観る)、つまり止観の瞑想で釈迦は悟りを開いたんだっけ かな?w クリシュナムルティやACIMは観察に重きを置いていて、エックハルトやレナードは止めることに重きを置いている。 とかなんとか書いてみたもののACIMは神の使者しか読んでないから詳しく分からないと(汗)
>>551 そうですね、それがACIMで陥りやすいエゴの罠とされている
「レベルの混同」です。
とりあえずACIMって肉体滅んでも魂が残るっていう宗教だよね
瞑想法にも色々あるけど「内観」をやると 色んな想念が頭をよぎる 「小腹減ったな」とか「ああ洗剤買い忘れた」とか「○○に500円貸してたっけ あいつ返す気あんのか?」とか「会議のあと上司がこっちを見て変な顔したぞ?何かヘマしたかな?」とか 「給湯室でOLがこっち見て笑ったよな」「忘年会の余興どーしよー」とか 色んな考えが湧いてきて、その都度不安になったり、嬉しくなったり 焦りを感じたり色んな感情の波が襲いかかってくる いかに「思い」に振り回されているかわかるよね
世界も、時間も、肉体も天国への目覚めのためには必要な幻想で、 間違った心(エゴ)ではなく、正しい心(聖霊)と共に学び、 心を訓練することとされています。
>>557 違う。
肉体は生まれたことがないので死ぬこともないという教え。
FIP版では魂という言葉はほとんど出てこないけど、用語の説明
としては、spiritと同義であって、永遠の存在としている。
しかし身体が生まれる前に存在していて、身体が死んだ後も
魂は経験を積んでいく、みたいなものではない。
そう思い込んでいる主体こそがエゴ。
「思い」は現実ではない、例えば給湯室でOLが微笑んだ=俺に気があると思い込んで どんどん期待と妄想を膨らませていたら 実際はズボンの前が開いていたからってこともある 上司が変な顔でこっちを見たぞと思いだして不安に陥ったとしても 実際は別段意味はなかったかもしれない、それなのに妄想を膨らませば 「俺はへまをしたかもしれない」「きっとあの発言がマズかったんだ」とか 「それとも別の上司と飲みに行ったのがバレたか?」等々不安が募って胃が痛みだす こともある思い込みってのは怖いなぁと思うよ この想念(の集積)=自我とも言える、自我を自分と思い込んでるから おかしなことになるww 内観を進めれば進めるほど、鍋底にこびりついた汚れが洗剤水で漬け置きすると 浮き上がって来るように、潜在意識から色んなもんが浮き上がって来る 思い出したくない記憶、心に棘が刺さっているな痛みや恥の記憶 実のならかった夢、前世の記憶まで浮き上がってくることもある
自我ってのは、想念の集まりで 日々刻々の思いが積み重なったものであり 人の思いってのは、互いに矛盾した思念が同居していて矛盾していたり 酷く歪んでいたりする、それに伴う様々な感情が渦巻いている これらを整えないことには 魂の思いは見えてこないってところは神道系の先生から教わったことと同じ つまり「奇跡は全ての人にとっての権利だが浄化が不可欠っ」てね
内観をすると「想念が」生まれる瞬間が見える(肉眼で見てるわけじゃない) 想念が生まれる場所を「心」という 心とは何か?心が存在することは万人が認めることだろうと思う 心理学者や哲学者が心とは何かを定義するかもしれない 心の正体がわかると一切無皆空の意味がわかるけど 逆方向なんだよねACIMって長くなるからやめるか
>>560 じゃあ肉体が死ねばすべて万事解決って思うけどそれはACIM的には違うんでしょ?
死のあと、続きがあるという事を示唆していないか?
>>564 肉体が死ねが解決じゃないよ。生まれていない肉体が
死んだ、死んでいないということに何の関係があるのだろう。
むしろ目を向けるべきは、肉体に対する想念、知覚、解釈と
いったもの。それは肉体が死ねば解決という考えも含まれる。
>>562 奇跡に対し自分で準備ができる、準備ができたと
判断してはならない。
ただ、聖霊、イエスに心を寄せなさいといわれています。
567 :
神も仏も名無しさん :2012/12/26(水) 12:05:36.02 ID:y3xqp/KC
阿含宗桐山教祖の逮捕歴 昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕 警視庁西新井署 十二月手形詐欺容疑で逮捕 千葉県松戸署 二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕 警視庁防犯課 二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決 五月入所 十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
私は今、この聖なる瞬間をあなた(聖霊)に捧げます。 あなたがすべてを仕切ってください。 私はあなたに従います。 あなたの方向性が私の平和をもたらすことを信じています。
公認版日本語ワークブック修了記念カキコ。
最後のワークはアセンデットマスター体操でした この体操でアセンデットしました いまあなたの心に直接語りかけています
聖霊に〜助けをもとめると〜 救われる♪ アセンデット体操♪ いや実際聖霊に助けを求めても 助けてもらえていないと感じたけれど。
>>571 聖霊は必ず応えてくれるのですが、私たちの受けとれるかどうかの問題なのです。
日頃聖霊との関係を築く(キリストのビジョンを求める、赦し)
助けを求めたあと、ワークにもありますが瞑想のような静かな状態を保つことでしょうか。
気持ちが大荒れなときは難しいですが。落ち着いてから。
>>570 解脱は早くて何十年後かですよ(笑)
ピラメキーノ
ACIMにつかれたので代わりに毎日瞑想したいですが ACIM式ってあるんですか?
>>543 なるほどです。
神の使者をまずは理解しようとそればかり読んで、
すっかり、テキスト、ワークが疎かになってしまっておりました。
576 :
571 :2012/12/27(木) 13:18:50.95 ID:o6sRtZIh
>>572 宮城に住んでいて東日本大震災のとき
ひたすら聖霊に助けを求めたのですが、
地震はなかなか止まらなかったし
恐怖もなくなりませんでした。
そのときのACIM学習度合いは田中百合子さんの訳を読破って感じでした。
それで
>いや実際聖霊に助けを求めても
>助けてもらえていないと感じたけれど。
と書いたのですが
今公認日本語版ワークブック修了の状態で聖霊に助けをもとめると
自分の心に変化が起きるような感じがします。
レスありがとうございます。
>>576 地震が止まらないから恐怖もなくならないという感じになっていたのでは
この地震すらも私から投影された幻想であるということをふまえた上で、
聖霊と共にあるようにすれば、地震は実際には私を傷つけられないと思い出せたかもしれない
まあそれができるのは相当心の訓練が進んでる人かもしれないが
あの揺れの中で冷静になるのはなかなか難しい
俺自身は、当日は比較的冷静でも、次の日から1ヶ月くらいは恐怖と共に騒ぎっぱなしだった
578 :
571 :2012/12/27(木) 18:24:12.02 ID:o6sRtZIh
>>577 確かに、あの凄くて長い揺れの中で冷静になるのは難しいですよね。
地面とつながっているもの全てが揺れますもんね。
自分はまだ肉体が無くなっても存在していられるという確証が持てないので
肉体の安全には神経質になってしまいがちです。
聖書中のイエスはまったく厳しいお方だよ 弟子が舟の上で嵐に遭ってパニックに陥っている様子を見て 汝ら信仰が薄き者どもよって叱りつけたんだから
>>574 ワークでは、朝と夜好きなだけの時間を神と共に過ごすとか、静かに耳を傾ける
方法ですね。
先々日ワークブックやってて、自分はどうもこの酷い世界がまだ好きで、離れたくないって気づいた こりゃ困っちゃうわ
あの一連の震災で、キリストのビジョンは2011年の漢字「絆」だという気が します。
自分が死んでることに気づかず助けを求める幽霊 すでに神と共にあるのに気づかず助けを求める我々 イエスの目から見ればどっちも同じなんだろうな
芋虫は葉を食む 蝶は蜜を吸う 蝶は芋虫の中にいる 蜜を吸うことは葉を食むことの中にある 今日思いついた言葉
たき木、はひとなる、さらにかへりてたき木となるべきにあらず。 しかあるを、灰はのち、薪はさきと見取すべからず。 しるべし、薪は薪の法位に住して、さきありのちあり。 前後ありといへども、前後際斷せり。 灰は灰の法位にありて、のちありさきあり。
薪は薪 灰は灰 芋虫は葉を食む 蝶は蜜を吸う 前後裁断せり 現成、公案
>>587 過去も現在も未来も、
すべてがこの一瞬にあるということですか?
>>561 おっしゃる通り、自我との同一化をはずし、本来の自己とは異質なものという意識と、
もう少し罪悪感の奥に行くと、神への恐れが出てきますので、聖霊と共に
みていくと罪悪感の投影に向き合いやすいと感じています。
神と共に一つになると、神と自分の境がなくなり、 それは結局独りぼっちで寂しくただ存在することになるんじゃないか?と思って怖くなった でも独りぼっちになることが覚醒なら、覚者が言うのは「こんなのは救いじゃない」になるだろうから、 実際にはやっぱり平安に満たされるのだろうか
>>592 既に神と一つですよ
神として肉体次元を体験しているのです
あなたは肉体次元を体験している神なの
覚醒というのは肉体次元から高次元の神界に移ることなのです
高次元の神界には他の神も大勢いるので孤独にはなりません
それが大霊界すなわち天国です
神というのは天上界の光り輝く存在であってタンスの角に足の小指をぶつけて発狂するような我々なんぞとは全く違う・・・っと思っていたら深刻な分離感を感じて当然だわな | | | | | | | ガンッ!! | | | ,l ヽ | / / | 从/ / | | _.,/ , / lノ |_ //__' , i / (_(_`/- ,_, ノ / ゝ( 丿 っっっっっっっつっっっっはああああいいいいい!!! //////////_---―――――---_\ ///////////////// // // ///:: < _,ノ , 、ヽ、_ ノ ;;;ヽ /////// //// /// ///// /:::: (y○')`ヽ) ( ´(y○') ;;| // ////// // / // //,|::: ⌒ / ヽ⌒ ;| ///// // //// / // |::: |~ ̄ ̄~.| ;;;| //// ////// //// /// :|:: | |||! i: |||! !| | ;;;| ////////// /// ////|:::: | |||| !! !!||| :| | ;;;;;;| /// ///// ///// ////|::::: | |!!||l ll|| !! !!| | ;;;;;;| /// // // // ///// // / ヽ::::: | ! || | ||!!| ;;;;;;//////// ///// /// // ぶっべっらっぽっぷっしっぴっぱっぴっぷっぺっぽっっっっをををおおおおおおをををを!?!?
大霊界なつかしいです(^.^)丹波哲郎。
また馬鹿が暴れ始めたかw 哀れな負け組ニューエイジャーww
598 :
神も仏も名無しさん :2012/12/30(日) 18:13:31.45 ID:0ovAnU3S
前田敦子はキリストを超えた: 〈宗教〉としてのAKB48 (ちくま新書)
>>592 一人ぼっちというのは二人以上存在していることが前提になっている概念だ。
600 :
571 :2012/12/31(月) 10:15:16.25 ID:DOVhpuxy
公認日本語版テキスト編はいつ出るんだろう……。
名前欄消し忘れました。すみません。
>>580 好きなだけの時間を神と共に過ごすとはどういうことですか
>>602 神との一体感を感じつつ瞑想をする、
どれだけの長さにするかは自分で決めるということです。
>>603 神とは一体になれないと思うのがACIMではないですか?
特に私のように、体が私である段階では
>>604 「神のみが在る」がACIMですよ^^
肉体との同一化が常にはずれるのは、長年の練習の末のことだと思いますよ?
執着は薄くなっていくでしょうが。
先生が言ってたな人間は「絶対矛盾の自己同一」って それを聞いた時は何のこっちゃって思ったけど 私たちの本質(核)は、それを何と呼ぼうと(スピリット、魂、神の子、内なるキリスト等々) 絶対的な尊厳があり、創造されたときのまま決して穢れることも 傷つくこともなく光輝いている 時間は存在しないってのが「我在り」の状態 一方肉体にある「私」の方は、日々老いていく体に閉じ込められている意識 (それも幻想っちゃ幻想なんだけど) 過去から未来への時間の流れの中にいて、 この世に生まれた以上は誰もがいずれは死んで朽ちて行く運命で 傷つきやすく、時間に怯え、敵に怯え、常に何かを恐れつつ、 充たされぬ思いを抱えたまま生きている 時に酷く惨めで「尊厳なんてどこにある!」と叫びたくなるような 悲惨な映画を延々と観てるような気分に陥ることもある 勿論つかの間の幸福、愛、美を経験することもあるけど 大事なものはいとも簡単に消えてしまう(奪われる) 決してこの世のものだけで満たされることはなく 満たされたと思ったのもつかの間の夢、全ては泡と消えてしまうって世界に生きてるw わたしという意識の中にこの二つが同居している でもって上記の本質の方に焦点を合わせると すべては肉体も世界もこの世のありとあらゆるものが夢ってことになる
本質の側から見ると、この世のあらゆる経験は苦悩も甘美な官能も何もかもが 一時の夢に過ぎない どんなに長く感じても一瞬でも同じこと、時間は存在しないんだから でもこちら側、つまりは肉体の感覚から生まれた自我の意識から見たら 本質は遥か遠くにあるように感じる 光線の末端から光源を見る感覚っていうか 星の瞬きの光線の末端に行くと、周囲は闇で、周りに誰もいなくて孤独な気がする でも光源から見ると一時のスパーク(閃光)でしかないし 分断しているわけでも何かを失ったわけでもない
自己を肯定というか定義するには、連続する記憶が必要になるよね 連続といっても1秒ずつ記憶してるってのじゃなくて、イベントとイベントをつなぎ合わせて記憶を圧縮されてるので、 不連続だが共通のかみ合わせを持ったスライスされている記憶と言えなくもない 肉体における自分の定義って割と不確定で、不安定なものなのに、どうして自分は生まれてからこれまで自分で在り続けていると言えるんだろうか
分断→分離に訂正 肉体から本質に向う方法論は太古の昔からいっぱいあった ヨーガやカバラやスーフィーや禅でもいいし 宗教には必ずといっていいほど秘教的側面があって 全ては悟りのための方法論で、自分の本質に目覚めるための道で 茶道でも武道でも究極は目ざいしているところは一緒で それを求道って呼んだ 今までの方法をボトムアップ方式と呼ぶならトップダウン方式なのかもね 本質をズバリ言葉で諭すみたいなw 「弓と禅」なんか読むと、本質は理性を超えたものだから体験からしか 得とくできないものとされている 言葉で説明できないから(言葉にしてしまうと矛盾だらけでわけわからなくなるから) 体験させるって色んな方法が編み出されたんだよね でもそれだと道を歩いた人(師)がいないと、脇道(外道邪道)に陥る 師の代わりがホーリースピリットって存在かぁとも思うけど
>>608 過去を記憶する能力があるから
そんでもって過去を未来に投影するから
過去があって今があって未来がある
でもこの能力がなけりゃ、正気を保てないよw
>>610 なるほど
未来ね
良い悪いは別として、自分が必ずこれからも続いていくという確信めいたものがあるわけか
身体の保持には必要な機能だな
分離、記憶を信じると憎しみが生まれる。その中に原因を捜して解決しようとしているとき、聖霊のことなんか全然忘れてる。 思い出せるかにかかってる気がした。
自分の中に、ある波動みたいなものがあるんですが、それは一元性とか空、無を感じさせる。思考もなくエデンの園みたいな。 安心と至福も感じる。それは神と繋がる聖霊でもあるのかな。そことずっと繋がっていられればいいんだけど。
>>607 肉体意識は神である光源から発した光線の末端ということか
神を源とし神と繋がっているのだな
愛なら今何をするか。 はい、ACIMスレで嫌がらせを繰り返して仕返しをします!w
これも愛 あれも愛 それも愛 きっと愛
今日からワークブック始めます(o‘∀‘o)/
>>614 そうそう、その末端のひとつひとつが「わたし」であり「あなた」なんだけど
分離しているって思えるのは単なる錯覚で、元はひとつなのよ
男も女もなけりゃ、肌の色の違いもない、格差も差別もない
誰が優れて誰が劣ってるってのもこの世の価値観だから
だけどこの次元で見ると
恵まれている人もいれば、明日をも知れぬ命で毎日過ごしている人もいる
あらゆる差異(格差)のある世界にいるように感じる
肉体のレベルでは、有限かつ差異のある世界を経験しているってことになる
神が有限かつ差異のある世界を生み出したという事かね
ACIMでは「意味のない世界を見ている」ってことになるんだろうけど 確かにね光源から見れば一瞬の閃光(またたき)に過ぎなくても 自我=分離している(と錯覚している)世界から見ればその一瞬のスパークが 何万年、何億年にも感じるってことなんだろうな
>>619 違うよ分離していると錯覚した自我意識がこの世界をつくったんだよ
神である光源から発した光線の末端である自我意識が錯覚してこの世界をつくったのだろ 神が錯覚する末端を創造して有限かつ差異のある世界を生み出したという事だな
>>622 つまりACIMも神の使者も神である光源から発した光線の末端なのだな?
神がACIMや神の使者を創造して、この世界は実在しないと言っているということを認めるべきという事だな
>>623 神はキチカ゛イも創造します
普通の人がキチカ゛イでない喜びを知るためです
>>624 誰かをキチガイだと認識しているということは、
実はお前自身がキチガイだということ。
お前とお前の認識している世界とは不可分なのだよw
わかるかな? ん?w
>>617 去年の俺がいる
いまレッスン99です
レッスン50でずっと止まってたけど、
レッスンを続けようという意志が必要になると自覚してからは
結構毎日続けられてるわ
レッスン通りにいかなくても、毎日次へ次へと続けるのが大事
627 :
神も仏も名無しさん :2013/01/01(火) 18:29:28.74 ID:S16Fp+Cq
おめでとう。
>>623 世界をどう捉えるか?どう見るか?
モノの見方はひとつじゃない多角的なものの見方ができた方が良いよ
見方を固定化してしまうことの方が怖いよ
固定観念ってのが曲者で盲信(妄念に入り込む)に繋がる
そうそう ACIMばかり読んでないで何か趣味を持つのが大切だな この世も捨てたもんじゃないと思えるようなものを
AKBヲタw お気の毒さまw
OSHOのKindle本タイトルが秀逸な件: <涅槃/最終の悪夢ー人生を信頼する> 「空は無い」なACIMさんに似てるね。 空の感触は平和じゃなくて退屈だから、 涅槃止まりで実相世界に入ってないと 「神は孤独な虚無で永遠にリーラする」 という呪われた古の観念世界の囚人にw 悟りという煩悩覚醒という妄想を赦す… コアトラ読み始めて個人的に好感触です。 ドン・ミゲル ルイス読み始めるの楽しみ。 お屠蘇に純金が溶けててまいうーですた。 断薬に成功しておいしく酒が飲める幸せw
お屠蘇美味しく飲めてよかったですね。そういえば飲んでなかった・・ おもちばっかり食べて。
正月休みこそ断食のいい機会なのに 悟りのための断食は古今の聖賢みなやってるのに
>>634 断食してるんですか?
温泉施設でつきたてのお餅が振る舞われてて
おいしかった(*^▽^*)
636 :
神も仏も名無しさん :2013/01/03(木) 11:48:34.22 ID:umDQu6yE
これからお正月お屠蘇いただきますね ゴクゴクゴク うん、うま〜い おめでとう
明けましておめでとうございます。 ちょうど雲の切れ間から見事ですね!
そういえばお屠蘇飲んだこと無いわ
ある病室に2人の末期ガンの患者が入院していた。 一人は窓側のベッド、もう一人はドア側のベッド。 2人とも寝たきりの状態だったが、窓際のベッドの男は ドア側のベッドの男に窓の外の様子を話してあげていた。 「今日は雲一つない青空だ。」「桜の花がさいたよ。」「ツバメが巣を作ったんだ。」 そんな会話のおかげで死を間近に控えながらも2人は穏やかに過ごしていた。 ある晩、窓際のベッドの男の様態が急変した。自分でナースコールも出来ないようだ。 ドア側の男はナースコールに手を伸ばした。が、ボタンを押す手をとめた。 「もしあいつが死んだら、自分が窓からの景色を直接見れる・・・」 どうせお互い先のない命、少しでも安らかな時をすごしたいと思ったドア側のベッドの男は、 自分は眠っていたということにして、窓側のベッドの男を見殺しにした。 窓側のベッドの男はそのまま死亡した。 晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、 打ちっ放しのコンクリートの壁だった。
自分も外見たいって病院に頼めばよかったじゃん
>>641 オチが、こうだったらよかったのにね。
>晴れて窓側のベッドに移動したドア側のベッドの男が窓の外に見たのは、
>打ちっ放しのコンクリートの壁に、青空や桜の木、ツバメの巣までが
ペンキで描かれたいた光景であった。
これはどうしたことだだとナースに問いただしたところ、これは医者や病院の
スタッフが、ここに入院してくる患者に少しでも慰めになればということで
作ったものらしい。
亡くなった患者も、病院の思いを受けれいて安らからな最期を迎えたに違いない。
墓参りとか初詣とかどう取り扱ったらいいのかね どれも結局は無意味じゃね?って思っちゃって積極的にしてない 初詣まだ行ってないし
墓参りは先祖が喜ぶってパーサがいってましたね。 初詣昨日行っておみくじも聖霊のメッセージと 引きました。小吉。
神社の神様っているの?それとも幻想の中の神様? 先祖が生まれ変わったらお墓参りして喜ぶ? 突き詰めると訳がわからなります。
神社のご利益、ご先祖様のご利益ってのはあると思う いまこうして五体満足で生きてるのがまずご利益で、 それに対する感謝をしたいと思う だが、それはエゴの作ったシステムに対する感謝になる 他の神の子に助けられていると解釈して良いのなら、エゴは関係なくなるのだけど、 どこからどこまでが幻想で、どこからが神の子なのか
>>647 ありがとうございます。JACIMのQ&Aの20に
天使について、幻想ではあるけれど神の愛の象徴とされていました。
感謝して受け入れます。
>>645 墓参りは先祖が喜ぶってパーサが言ってたって、どこからの情報?
少なくとも、日本語版の2冊の中には、それらしき言及は無かったと思ったが。
いや、別にいいんだけど、外国では死んだ兵隊や死んだ家族の悼むということは
あっても、日本的なお盆とか先祖供養というようなものはないと思ったので。
>>646 >>647 ここにいる全ては幻想。神様のシンボルはあっても、神様はいない。
その中では「自分は誰と共に考えているか、見ているか」がのみが重要。
エゴと共にいれば、天照大身神であろうが、罪悪感を深めるものとなる。
聖霊と共にいれば、亡くなった祖父や祖母が罪悪感を癒す救い主となる。
>>649 すみません、先祖では無かったです(汗)
亡くなったとかでした。何処かは見つけられないんですけど、
色々思うところあって。
>>650 そうでした、
ありがとうございます。
>>650 そうか
全部幻想だから、その形に意味はないんだったな
すぐに忘れてしまう
>>641 自分の中にドア側のベッドの男がいるよ。
「奇跡のコース」を生きるという本立ち読みしたけど、ニューエイジ色があるなと思った 使命云々とかフランクルを採用したりと
ニューエイジ色が混じってるからよいとかよくないとかいう判断そのものが 幻想の壁だったりするわけで
>>654 なんだかんだ言って、日本のコース学習者にはニューエイジ色が
入っている方が受け入れられるのではないのか?
これは著者の問題だけでなく、読者の問題でもあるように思える。
それがその人にとって、今のところ受け入れられる最善の形かも
しれないし、ニューエイジ色をばっさり切り捨てるような形は
恐れを増幅するだけかもしれないから。
キリスト教という素地があることが前提の思想?だからなぁ それに心理学やら仏教思想やらニューエージなんかが乗っかってる感じ ヘレンさんによれば「キリストが従来のキリスト教はあまりキリスト的ではないので 修正しに来た」ってことだけど そもそもキリスト教国ではない身近に感じられない(クリスマス以外w) 日本人は欧米の人と感覚が違う分捉え方も微妙に違う気がする 原文=英語で読むのと日本語で読むのもニュアンスが違ってくるし
欧米の文化の根底にはキリスト教(聖書)があると言っても過言ではない 欧米人の思考に微にいり細にわたり影響を与えている 日本人にはキリスト教的な「罪悪感」がピンと来ないことが多いんじゃないかなと思う
個人的には「罪悪感」には2種類あると思うけどね ひとつは魂(スピリットでも真我でも内なるキリストでも何でもいいけどw) が感じる「罪悪感」 実際に人を傷つけたり貶めたりするときに感じる魂の痛み(相手の魂と繋がっているから 感じる(共鳴する)感覚で実際に心(ハート)が痛み苦しむ 「やってはいけない」ことであることがわかる感覚ってかね もう一つは自我がつくりだした偽りの「罪悪感」魂を煙に巻き 真実に蓋をするために存在する心の影ってか闇ってか 自我がつくりだした「罪悪感」の奥底には 個人レベルではなく大勢の人が共有する集合的な無意識に存在する「罪悪感」ってのもあって 前記のキリスト教的な信念(思い込みや固定観念)が絡んで来る それを修正するって意味では確かに役に立つと思うが 下手すりゃこれも他の宗教と同じ運命を辿るかもね つまりエゴによって歪められる方向にw
そんなことより、まずは昼夜逆転生活を何とかするほうが先だろうなw
夜中に書き込む=昼夜逆転って結びつけるのはおかしい 夜勤の休憩中とかいろいろあるだろ
662 :
神も仏も名無しさん :2013/01/10(木) 09:03:09.06 ID:zzzW9tu2
ストーカーuzeeee
ファビョッた?長文連発は時間的余裕がないとできないらしいよw
664 :
神も仏も名無しさん :2013/01/10(木) 09:35:32.66 ID:zzzW9tu2
つか早ええし
個人のブログなどを見るとACIMとその他スピ系の教義、レイキなどの霊的な何か、 等々を併習してやってる人間も少なくないようだ。
そういうスピ系に一切興味が無いACIM学習者はいるだろうか。 私なんかそうだが
スピ系に興味がないのにACIMに興味を持ったって? きっかけは?本屋の棚にも「精神世界」やもろ「オカルト」コーナーに 置かれているし、スピ系の本にACIMについての記述はあるけど それ系以外で紹介されることは稀だろうし この本を知るきっかけは大体スピ系でしょ、キリスト教は異端視しているし
まぁキリスト教ってったって色々だけどね 大きくはカソリックとプロテスタントに分かれる そしてそれぞれ○○派とか亜流も含めると何百何千の流派が存在して イギリスならヘンリー8世の時代にカソリックから分裂して イングランド国教をつくったし ロシアにはロシア正教ってのがあるしで複雑に分派していて色んな側面を持っている ACIMは宗教ではないと謳っているけど早くも流派のようなものができているね 人間の都合ってかそれこそエゴがそうさせるんだろうw
キリスト教に限らないけど 仏教だって世界中に何千何万の流派があるし イスラム教だってそうだな 宗教は神がつくるんじゃない、人間がつくるんだ だからひとつじゃないんだよw
段差が酷い(電車のホーム並)うえに下が荒れてる道を歩く夢を見て行政に文句言ってたけど、 夢うつつだったのですぐに夢だと思い出して、 幻想を相手にするということの意味がちょっとわかった 行政は存在せず、道を造り出したのは自分自身 舗装された上段を落ちないように歩いてもいいし、下に降りてもどちらでもいい どちらの道も同じ場所に続いている どうせ歩くなら上段のほうがいい=幸せを選べってことなのかね 収入重視でちょっときつい仕事しようかと思い悩んでる状態だから、なかなかタイムリーな夢だった
>>659 昔と違って原文が広く知られていますから。
事情が違うかもしれませんよ。
672 :
神も仏も名無しさん :2013/01/11(金) 16:35:53.56 ID:6NnbHBUs
acimに流派があるん?
研和符弐津久無手流
674 :
神も仏も名無しさん :2013/01/11(金) 17:09:38.73 ID:OjoSBzxV
アミバ流
>>672 日本ですら色んな流派ありそうだ。
ワプニックとゲイリーだって、細かいところをいえば違う。
特に両者の見解が違う部分を重要視すれば、もはや別物だよ。
(例えば、ゲイリーの本では、コースは神が書かせた特別な書物と言っているが、
反対にワプニックは、コースの本自体は特別でもなんでもなく、他と同じ幻想
あるいは魔術に過ぎないと言っている。重要なのはそこに流れている愛であると。)
魔術:自分の外側にある救いのシンボル
あ、ゲイリーの本では「神が書かせた特別な書物」ではないね。 「神の言葉を語った特別な書物」だった。
コースを学ぶということは、恐怖を選択しない、つまり肉体として自分を守るための術を放置して エゴではありえない選択を怖いながらも分からないながらもやってみるということなのか。 生きてることに意味はないというエゴを手離すと。 訓練されてない心は何も成し遂げないということで結局は無意味だからと言って引きこもるのは エゴの思考体系で過ち。この点ではニューエイジとは違わないかなと。
主人公などが怒りながら正しいこと(話の中では)言って 言われた方が改心するってドラマとかでよくあると思うけれど これってACIM的には教育に悪いと思う。
そういうドラマを投影してるって見ればいいんじゃない?
古臭い作品はそうだよね 最近のはエゴの押し付け合いがテーマになってて良悪つかないのが多い
そろそろ公認日本語版テキスト編の発売日が 公開されてもいいころだと思うんだが……。
>>682 今、大内さんが訳されたテキストを読んでいるのですが、
公認版がでたら、どうしようかと思っております。
684 :
神も仏も名無しさん :2013/01/16(水) 18:20:28.34 ID:2otm0VEz
分厚い本だよね
ワプニク先生が正しいかどうかだよね。 ワプニク先生が間違っているのなら 公認版以外の翻訳でもいいかも、と思えるし、 正しいのなら日本語版読むなら公認版にした方がいいと思うし。
世の中には二つのプニプニプニヾ(o゚ω゚o)ノ゙ がある ワプニけるかワプニけないか
687 :
神も仏も名無しさん :2013/01/17(木) 18:21:02.01 ID:LCeXS/L0
僕的には田中訳が一番しっくりきますね
英語の各バージョン含め、自分が読みたいと思った版を読めばいいが、 JACIM版の長所は、FIPの正当性というのを抜きにしても、英語の原書で 読んだ印象を、そのままきちんとした日本語の文章に変換されている所。 これは日本語で学習する上で大きなアドバンテージだと思うね。 (意訳部分は、ワプニックの影響が大きく関わってくると思うが) 自分は原書で学習しているが、大内訳を少し読んだ際、直訳というか 逐語訳という感じで、原書で英語のまま読んだ時の印象と違っていた。
原書で読むのが一番かぁ そりゃそうだろうな英語のスキルが問題だなぁ それに日本生まれ日本育ちだピンと来ないことも多い 文化的なハンデもあるし これ読むと「胡蝶の夢」を思い出すな
690 :
神も仏も名無しさん :2013/01/20(日) 16:01:24.84 ID:43aeOrOO
引き寄せの法則・バシャール・シルバーバーチは邪悪な霊の嘘!罠! シンクロニシティ事故 命運 予言 地獄で検索。
>>690 そのコピペよく見掛けるけど検索させるんじゃなくてURLを書いた方が良いと思うぞ。
わざわざ検索しなきゃ分からないとなると俺なんかは面倒臭くてやらないで終わりだ。
まあ、もう見てないかも知れないが。
極端なんだよなぁww 善か悪か、正しいか間違ってるか、右か左か ってな両極端な思考回路(幼稚な未熟な人の思考回路だけど)の持ち主ってのは 誰か(何か)を崇拝したかと思ったら 何かがキッカケで(自分の価値観と違うことを語ったりすると) 今度は全否定するんだよね崇拝から一転してボロクソに言ったりするw 考えも(やることも)過剰になりがちだから 視野が狭くて思い込みが激しい人がそうなりがち
まさにニューエイジャーの典型だなw
ニューエイジなんて言葉かなり古いよね
そう、事実古いからねw ニューエイジはオールドエイジ。
ニューエイジとはいったい何なの?
シルバーバーチの見当たらないし、 リンク貼れなくなっています。 田中百合子さんのテキスト試訳はオンラインで見れます。 大畑氏の原文精読サイト は原文と訳が同時に読めます。
そういえば、大畑氏のテキスト精読(第1章)がkindleで出ていた。 kindle持っていないから買ってないけど。
>>698 1章原文を書き写していたので、見てみます。ありがとうございます^^
>>698 英語と日本語では言葉の世界が違うから
日本語訳を読んでも正直誤読になりそうってか
ニュアンスが伝わらないんじゃないかと思ってたんだけど
大畑さんの精読の中身はどうだろう?
>>700 そんなに構える必要ないと思う。自分は原書で読んでいるが、
しかし「コースを理解するためには原書でなければならない」とは思わないよ。
それだと英語が読めない人は蚊帳の外になってしまうじゃない。
自分のように、日本語訳があっても原書を読むように導かれる人もいれば、
逆に日本語訳で学ぶよう導かれる人もいるってことで。
今、ワプニック博士の「天国から離れて」を読んでます。 奇跡のコースが良く分かります。本当に奥が深い!
703 :
神も仏も名無しさん :2013/01/29(火) 21:33:19.58 ID:+86VzTvh
>>510 さんさんきゅー!!
超わかりやすかった!!
神の使者はわかりやすかったけど
奇跡のコースはちんぷんかんぷん、
何が言いたいのかさっぱりだったが
腑に落ちた。
再び自分が奇跡のコースを思い出したのは
すごく恐れている歯の治療で
神経を抜きたくないためわざわざ遠くまで
通った歯医者の治療から半年で3本も
削られすぎて痛み出していることだ。
死にたいほどの絶望感を味わっているが
これも恐れを許すための出来事かと思うと
泣き笑いかw人生これの連続かと思うと
また死にたくなるが極めると死にたくは
ならないのだろうか、お花畑な頭になれるなら
早くなりたい。
みんな集まって語り合ったりしているのだろうか、
同志に会ってみたいような会わないほうが無難なような。
歯医者変えたほうがいいよ
何の試験の時間なんだ 何を裁く秤なんだ 何を狙って付き合うんだ 何が船を動かすんだ その船を漕いでゆけ お前の手で漕いでゆけ お前が消えて喜ぶ者に お前のオールをまかせるな 走り出せ 走り出せ 明日を迎えに行こう 君だけの音を聞かせてよ 全部感じてるよ 止めないで 止めないで 今を動かす気持ち どんなに小さなつぼみでも 一つだけのHappiness
自分で船を漕いでいける、自分で目的地まで辿り着ける、 自分が、自分が、自分が、自分が・・・。 その自分が幻影だったことがわかり、オールを手放したときに、純粋な気づきが最初からそこにあったことに「気づく」。
そろそろ公認版テキストの発売日に関する情報欲しいな
ゲイリーさんの3作目はどうなったの?
709 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 02:25:19.25 ID:rX6DRF6Q
>>704 ありがとう〜
歯医者には本当に苦労させられているよ。
虫歯じゃないのに神経抜かれたり、
治療が下手だったり。散々不信になった後に
なんとか探して通ったところが最初よかったのに
なぜか最後の日にあわててきつく削られて
半年後の今痛んできたよ…これで5,6件は
歯医者をかえているけれどもうこれは
自分が恐怖のあまり引き寄せているような気がしてきた。
許すしかないのね…結局。
あと、肉体的な痛みがあると気分も落ち込んで
死にたくなってしまう。そういう人いませんか?
忙しいと考えないけれど、暇になるとダークサイドに
落ちそうになる…みなさんそういう時はどのように
自分の気持ちに対処しているのでしょうか、
よかったら教えてください。
ゲイリーさん自分も待っているけど発売されるのかな〜。
710 :
神も仏も名無しさん :2013/02/01(金) 07:37:49.82 ID:DPWg5nON
>>710 ページ数が510ページから528ページに増えているね。
原書からの翻訳の際に省かれた部分を入れたのか、
それとも単に文字組を変えただけか。
ヘレン・シュチュクマンはちゃんとヘレン・シャックマンに改められているのかどうか。
ブルーハーツの情熱の薔薇の歌詞はなんかすごいね・・・
深く実在に根をおろしていない限り、エゴに注意深くあることはできません。 さもなければ、エゴがエゴを見張っていることになるのです。 それは犬が自分のしっぽを追うようなもので、目覚めることはないでしょう。 レナード・ジェイコブソン 目覚めるのであれば、自分自身の感情との正しい関係を築くことを身につけなくてははなりません。 感情を感じましょう。感情と共にこの瞬間に存在しましょう。 感情が責任を伴った表現をすることを認めましょう。 しかし、感情に織り込まれたストーリーには巻き込まれないことです。 レナード・ジェイコブソン 今この瞬間に存在することはシンプルで瞬時に起こります。 あなたは今だけしか存在することができません。 ところが、根本的に実在を確立するのは、時間をかけて起るプロセスです。 実在から引き出されるあらゆる点を意識に浮上させましょう。 これがあなたをマインドとエゴへの精通へと導きます。 そのときはじめて、あなたは真に解放されるのです。 レナード・ジェイコブソン
コース、というかワークブックの目的は、レナード・ジェイコブソンさんの言う、 深く実在に根をおろすこと、根本的な実在を確立すること(時間をかけて起こるプロセス)なんだろうね。 その前に実在に目覚めていないと、エゴがエゴを見張っているだけになってしまう。 シンプルで瞬時に起きる、今この瞬間に存在すること、がコースを始めるための基準ということだろうか。
>>701 「神」ひとつ単語をとってみても
キリスト教圏に住む(特に西洋人)と日本人じゃ
捉え方ってかイメージが全然違う
それに「分離」
欧米人は個人主義だから「分離」の感覚がリアルだけど
日本人はまだ自然や霊的な世界や(御先祖とか神仏とか)他者と繋がっている
まぁ感覚的なもんだけど
欧米人が日本に来ると肩が凝るっていうけど
繋がっているってこは「気を使う」ってことで
他人の目を気にするとかw日本はそういうエネルギー場が形成されていて
繋がりの感覚がまだまだ濃いんだと思う(まぁ都会は随分希薄にはなってるけど)
西洋的な(キリスト教ってのは西洋文化の基盤だから)分離や 罪悪感の感覚も日本人にはピンと来ないんじゃないかなと思う だからやたら難しく感じるw わたしは幼稚園からプロテスタント系でキリスト教とか聖書とかは 平均的な日本人より身近に感じて生きて来たけど なんだろう?非常に腑に落ちにくいんだよねw
肉体が自分だ、と思っている以上はそれが分離していることを信じている何よりの証拠。 日本的文化土壌に合う合わないとかそういうレベルの話ではない。
>>716 なるほど〜。
でもわたしの場合、
キリスト教徒でもなんでもないのだけれど、
イエスには、とても親近感を感じてます。
コースはイエスの優しさを感じながら読むと、
頭に入ってきやすいように感じます。
私もキリスト教とは殆ど関わりがない日本人だったのだが コースの分離と罪悪感については感覚レベルで納得できるものだった。 普遍的な内容を、キリスト教の言葉を使って説明している だけだから、別に西洋の世界観になじんでいる必要はないと思う。
>>718 日本人ってのは純粋な(つったら変だけど)唯物論者は少ないと思うのね
死んだら西洋人のように死んだら天国にに行くってな
ハッキリしたイメージは持っていなくても、
お彼岸やお盆には御先祖の霊が帰ってくるとか
霊とか魂が身近なんだよね、自分=肉体と思ってる人は少数派だと思うが
>>719 きっとご縁があるんでしょうな
>>720 個人差はあるさw
自分は何度か読んでみても感覚的に入ってこないんだよ
でどこがどうわからないのか自分に訊くんだけどw
だから原書で読んでみたいなと思ってさ
西洋文化ってのはキリスト教とか聖書の価値観が
深く深く根っこを張りめぐらしていて(善くも悪くもってか功罪あるよ)
それを基準にしてるはずだから
仏教的でもあるんだけどねw色んなもんがミックスされた摩訶不思議な
代物つったら語弊があるなw
コースを学んでいると、 世界平和の達成を望みたくなっちゃったりしませんか? でも、 これってエゴの罠なんですよね。 世界を変えるのではなく、 世界に対する知覚を変えるのがコースなのだから。
>>723 そうそう。その類のやつは罠。
多分普通のキリスト教とかでも神に委ねないで自分で何とかしようとしちゃってて、
全然神を信用していないことになっちゃうので駄目だと思う。
>>724 お。マスター気取りさん久しぶりですね。
お元気そうで何よりです。
エゴは、本当に巧妙で、参っちゃいます。
そうエゴも魔も巧妙で狡猾w 何か歪んだ形で日本に広まる悪寒がして これ自体はよくできてるとは思うんだけどw
ゲイリーの3冊目、 神使の所で訳書出してくれないのですかね・・
729 :
神も仏も名無しさん :2013/02/03(日) 13:28:49.82 ID:l27+QpXG
そもそも3冊目はアメリカではもう出てるの?? なんだか調べても言語の壁などでよくわからない… 出版停止とかになってるのかな、 誰か知ってる?
なんだか日本でのACIMブームも去ったようだね
そもそも最初からブームにはなってなかったが?
イワシの頭も信心だから… 心の底から信じ切っているのであれば 偽薬効果で、効能なんて無いはずのアヤシいものでも 効いちゃうのかもしれないね。
ニューエイジのチャネリング本を信じている連中のようにねw
まあ、所詮何が正しいか 人間の頭では解らないワケですお コースの信奉者、日本で何人くらい居るんでしょうね 1万人くらい?
ブームにはなっていたよ。 一時期ACIMと検索すれば勉強会の知らせをよく見た。 何を勉強するのか知らないが。
>>725-726 久しぶり。
ま、巧妙だけど、それをそのまま赦すのがミソかな。
>>733 ま、しかし、ACIMもチャネリングと言えばチャネリングだ。
>エゴは、本当に巧妙で、参っちゃいます。 自己紹介にしか見えないけど…
岡田有希子も今、生きてたら 髪の毛、金髪にして、工藤静香みたいな話し方して 足に梵字の刺青とかしてたのかな・・
739 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 09:10:18.03 ID:NGI9LXYS
人類の歴史は、人殺しの歴史とも言えると思いますが、 実権を握ってる政府が腐っていて、それに対する革命者のとる違法行為は、 エゴではないと思いますか?違法行為だけど、愛の行動でしょうか。 時代によっては法律を犯すことも、愛なのでしょうか。
ゲイリーってブログやってないのかな? ACIM理解する助けになると思うんがなあ
ブログやるぐらいなら本売るでしょ
ACIMを日常でどう適応してるか書いてくれると助かるんだ
ゲイリー、FBやっていたんだ。でも英語読めないよ
744 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 13:23:01.45 ID:144JdFbP
人類の歴史は、Hの歴史とも言えると思いますが、 アダムとイブがぁ〜♪ 林檎を食べてか〜らぁ〜♪ H、H、Hばっかり〜♪ あぁ〜やらしぃ〜ね〜♪ やらしぃ〜ね〜♪
745 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 14:19:45.28 ID:o1zIz+io
翻訳の山川夫妻はおすすめの本でよく神との対話を 出してくるけど、神の使者のほうがすごく納得できた 自分にとってはこの本をいいと思わなかったのかなあと いつも疑問におもってしまう。 余談だがパワーかフォースか、って本で人間のレベルをはかる機械で? 意識が1000が最高で200以下が悪い数値なんだがキリストが語った 話は1000で奇跡のコースは600だそうな。聖書は翻訳によって 750〜500位。そんなに高くないのか??なんてちょっとびっくり。 まだ読んでる最中なんで続けて読まないとよくわからんが…。 他にも色んなコースがあるのかもしれんなあ。自分はコースの 理屈は納得いくのだが実践が身に入らないタイプなので 他の方法も探したほうがいいのかもしれん。
なんでこうもスピリチュアル界の客はアホが多いのでしょうか
それぞれに合わせた道があるから、いきなりパワーか以下略読んでも何か得る人は得るだろうし、 段階的に学ぶ人はコースやコース以外で段階的に学ぶだろうから、示された道を進めばいいのでは
748 :
神も仏も名無しさん :2013/02/05(火) 18:39:43.59 ID:c3kVHvEd
ACIMの活用?毎日毎日ムカつくことを一個一個赦して(聖霊に明け渡して)楽になることかな。
>>744 アダムとイブが林檎を食べてからが、なぜHと関係あるの?
聖霊のメッセージの具体例とかそういうの。あれ、いまいち断定しにくいんだわ
>>742 ACIMの前にw聖書は神の子のお手本を「イエス・キリスト」で示してる
あれこそ神の子のあるべき姿
(ACIMの田中百合子氏訳では兄・イエズスの教えって副題がついとる
田中氏の訳は真面目だけどちょっと堅い気がするな)
イエス・キリストことナザレのイエスは(自分は実在した人物だと思うけど)
救世主と崇められるより、兄として人生の先輩としてお手本を示したかったんだろうなw
ところが、2000年以上たった今もあっちこっちで「キリスト教」とか「聖書」絡みの
紛争が起こってて、イエス兄wも「こんなはずじゃ…」って思ってんじゃね?って思うよ
だから今のキリスト教はあまりキリスト的ではないと
ヘレンさんのところに降りてきて修正したいのかもしれないな
キリストは未だに「再生」に留まって、この世を見てるのかもしれない
マタイ25章40「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、
しかも最も小さい者たちのひとりのしたのは、わたしにしたのです。」
私たちの中の小さきもの(弱きもの)にしたことは
わたし(キリストでありひいては神に)したことだってことは
弱いものを助けなさいと言っているのに
宗教戦争で子供らが残酷に殺されている現状を嘆いているだろうね
善きサマリア人のたとえ、にもあるように異邦人(異教徒)であろうと
隣人を大切にしろと教えているのに
権力闘争の道具にされているからね
イエズス(イエス)って言い方はカソリック的ってか 田中百合子氏はカソリックっぽいな、翻訳の言葉の選び方とかも わたしにゃ師がいて、鬼籍に入られたけどね その方は日本の八百万の神々とお話ができるって人だったw 神道色が強かった(祝詞なんかも使ってたし)けども いずれ宗教などなくなる、人間が勝手に(自分たちの都合のよい形に)ねつ造?wした (((神)))を信じなくても、人々が直接神意を知る日が来ると言っていた その時あらゆる宗教は役目を終えるだろうってね ACIMも「唯一の道ではない」と言ってる 仏教も(禅の悟りも)、ヨーガも、タオイズムも、キリスト教も全ての宗教は たったひとつのところに向っている もちろんACIMもアプローチや表現が違うだけでw
ACIMがユニークだと思うのはって 長文貼り付けウザイだろうからやめるw
師の教えってのがACIMのような(ACIMに限らないけど) ひとつのまとまり(体系)になっていたことに気づいたのは最近で 全ての教えは繋がっていたんだと改めて思ったのね それはまぁ言ったら悟り(覚醒)への道ってかノウハウなんだけど 師の言葉のひとつひとつが深かったんだなと 当時は全く気づかなかったw知恵を受け取るにも器がいる 器がないと(小さいと)こぼれ落ちてしまうんだなと 膨大な知恵をこぼしてしまったことに後悔して それの穴埋めをしようと色々読んでいるんだけど中々埋まらない 大きなピースが欠けてしまってまとまりのないもにになってしまっている ACIMもこれに内包する知恵に気づくには器がなきゃ 取りこぼすかもしれないってか一生ものの作業になるかもねw
>>739 全てエゴであることには変わりはないと思う。だから革命後に誰がどう見てもおかしくなることがある。
ソ連なんかはどう考えてもそうだったし、中国も同じ。革命前にあった問題はなくなったんだろうけどね。
鬼を雇って鬼退治したみたいなもんで、今度はその鬼が統治するようになっってしまい、前よりももっと
深刻な問題が発生すると。
>>744 確かアダムとイブは知恵の木の実を食べるまでは動物と同じで裸のままでも全く恥ずかしいとは
感じなかったんじゃなかったかな。つまり、木の実を食べたために罪ではないものを罪であると
思い込むようになってしまった。
>>745 その本パラパラと立ち読みしたことあるけど、一体何をどうやって測定してんのかね?
>>751 新約聖書(マタイ10:34-)にはこんなことが書いてある。
地上に平和をもたらすために、わたしがきたと思うな。平和ではなく、つるぎを投げ込むためにきたのである。
わたしがきたのは、人をその父と、娘をその母と、嫁をそのしゅうとめと仲たがいさせるためである。
そして家の者が、その人の敵となるであろう。 わたしよりも父または母を愛する者は、わたしにふさわしくない。
わたしよりもむすこや娘を愛する者は、わたしにふさわしくない。 また自分の十字架をとってわたしに従って
こない者はわたしにふさわしくない。 自分の命を得ている者はそれを失い、わたしのために自分の命を
失っている者は、それを得るであろう。
これは要するにエゴによって作られた偽りの平和は破壊して真実に基づいて生きろよってことだと思う。 悪人が居たとして、そいつと付き合えばお前も悪いことをしろということになるだろう。その時に一緒に なって悪いことをすればその悪人とは仲良くなれるだろうが、それは偽りの平和だ。自分はそんなことは しないと言えば争いになり命まで狙われるかも知れないがそちらには真の平和がある。
>>744 は、むかし話題になった統一教会が失楽園の話をセックスネタに絡めていたような
ACIMと何の関連性もない発想だけど
ACIMでは、 この世界については神は何もご存知ではないとのことですが、 その一方で、 この世界における神の計画でのあなたの役割というようなことも書いてあります。 一体全体、どっちなのだろう。
神は子と一体であるからこの世界を体験中の心をも見通せます。
>>756-757 >>758 昔某所で、統一教会(キリスト教系カルト)に洗脳された人たちを何人か見たけど
親御さんやら親族に連れられて来てたな
そうそう、洗脳には聖書のその部分も使われていたようだ
統一教会では親は悪魔(サタン)wだと教えるらしい、悪魔の血族である家系を捨てて
救世主である(原罪を持たない神の子)文○明の血で清めなきゃならないとか
(霊的なことを肉で表現すると気持ち悪いなw)教祖様が祝福した結婚でないと悪魔の契りになる
とかなんとかで有名な「合同結婚式」に繋がるらしい
カルトの典型的な手口ってか宗教の怖いところで、聖書の都合のよい部分を抜き出して悪用する
統一教会ってのはやたら「血(血縁)」「セックス」ってキーワドが出て来る
でもってサタンの血から逃れるためには、壺を売ったり詐欺まがいの行為で
お金を集めて教祖に貢ぐことwそのご褒美が祝福(原罪のない結婚)
ったくどっちがサタンだって思ったけど
こういう怪しい話に騙される人が結構インテリ(高学歴)だったりするのが驚きだったな
762 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 18:20:03.58 ID:NscF0jIQ
どんな凄い親だって いくら可愛い子供だからって 子供が見てる夢の中までは見通せないでしょ〜 子供が見てる夢の中に入っていって助ける親なんていないよ 実際、子供が見てる夢なんて夢であって実在してない訳だしね そっと起こしてやるのが親なんじゃないのかな〜 あくまで私の知ってる人間の親子の話しだけどね。
洗脳ってのは一気には解けないから、根気のいることだったな カルトへ入信する人ってのは、親への恨みとか「わかってくれない」的な 感情が強くて、親との確執(実はどこの家にも、誰にでもあることなんだけどね) をまず解かないと駄目な場合もあって、家族が全員集まって何やらケンカ腰で 感情をぶつけ合ってるのも見たけど、頭でっかちで感情面では幼稚な人が多かった 視野狭窄ってのか、自分の側からしか物事が見えない 甘ったれタイプってかwまぁ親御さんの方も子育てを怠った(失敗した)って面もあるんだけど カルトなんてのは(((自我の妄想)))そのものって感じだよね 真実が見えなくなっている(大なり小なり私たちは誰もがそういう状況にあるんだけど)
ある人の行為に怒りを感じたので、良い機会だからなぜそれに対して怒るのか考えてみたけど、 怒りは元々存在しないのだから無意味だと気がついた 怒りというエゴの取り扱う品物、無い物は捨てて、聖霊の目を通して彼を見てみた すると、彼の行いに内包されたものが見えてきた それは自分自身も持っている、エゴが取り扱う類のものだった それも捨ててみたら、私にも彼にも何もなくなってしまった 愛が見えるんじゃないかと思ったけど、愛は見えない 単に空がある これ赦しになってるの?
>>762 神と子は同一ではなく相手の心の内容が分からないという分離した状態である事になりますが・・・
なんつーか…よくわからんけどw 聖霊(ホーリースピリット)の目を通して見るってとね (聖書やACIMをよく知らん人からしたら「なんやねんそれ?」ってなるなw) 聖霊を叡智(知恵)と言い変えればわかりやすいかもw 自我の偏った(狭小な)見方を離れて、より高い視点を得るってことかね? (人は一方的で固定的な物の見方・捉え方に固執するものだから)
767 :
神も仏も名無しさん :2013/02/06(水) 19:10:51.15 ID:lVTyXIEV
>>765 モチロン心はちゃんと通じあってますよ、昔から親子は一心同体っていうじゃありませんか
すごく小難しいことを並べているんだけど(理論武装?による防衛つーかw) 要するに感情が納得(満足)してないんだなと思ったよ ↑は、カルトに洗脳されている人の共通点 幼児が「〜して欲しい」って言って暴れているように見えた だっこして〜、とかおもちゃ買って〜、とか自分をもっと認めて〜 期待していたのに、与えてもらえなかった恨みってのか あくまで主張は「I want!」 自分の思い(期待)通りに、相手が与えてくれない(認めてくれない)から恨むみたい そういう自分の感情に気づいてないんだなと 小難しい理屈並べても、子供が駄々こねてる姿が透けて見えて滑稽だった 自分の心を「あるがままに見る」ことすら難しいんだよね
ねじくれた思考の裏にあるのは、満たされない感情や欲望だったりするw 本音を防衛するための屁理屈で言いわけを何重にも重ねると わけわかめになって、妄念の迷宮ができる?(表現がうまくないけど)みたいなw
30過ぎてそれだと痛すぎる…大事な何かを育て損なったんだろうな
親は神さま(仏さま)じゃない 聖霊でもないw自分と同じ未熟な人間で それでも精一杯(自分をある意味犠牲にして)育ててくれたんだって思えないんだろうか? って思ったのを思い出した
まあ毒親というものがありましてな・・・
まぁねそういう人も連れて来られてた 我が子を自分の物(所有物)だと思い込んで酷い扱いしてるとか 子供を支配し抑圧することで自我を保ってる親とか 放置(ネグレクト)してる親とか 我が子の愛し方がわからないって人が色々いたけどね でもちょっと離れて見れば「哀れな人間」ってことだよ 親だと思うから腹が立つけど
カルト入信の動機が親への反逆とか復讐ってことが多かったな 親への感情を世間に投影するもんだから 反社会的な行動にも発展するし
秋葉の加藤も毒親の産物だよね。なのに親は何の罰も受けないという・・・
>>759 どっちも正しい。大まかに言えば、
テキスト前半部分〜中盤以降までは、「神が聖霊を遣わした〜」等、
「この世界における神の計画でのあなたの役割」について語っている。
で、テキストの後半になって初めて
「この世界については神は何もご存知ではない」という言い方が出てくる。
親に全く責任がないとは言わないけど 親のせいにするなと それは言いわけ(自己正当化)だよ 酷い親に育てられたとか親がいなくて酷い環境で育った人はたくさんいるよ 人の道を踏み外したのは何でも他人に責任転嫁するからだよ(投影だよねw)
誰か(何か)のせいにすれば楽だよね 自分には責任がないのかと
776の続き: で、ACIMのゴールに到達するには、上の部分と下の部分はどっちも必要。 上の部分だけを強調すると、ニューエイジのように「この世界で何かを「する」ことが重要」と なってしまうし、逆に、下の部分だけを強調して、上の部分を軽視することで、 「神が全く知りもしないこの世界で一人ぼっちの自分」に恐怖を感じたり、また 「この世界で何かを「する」ことは、幻想をリアルにするからダメ」というように、 却って学習の妨げになる可能性もある。 ついでながら、7テキスト1章でも、「テキストの後半部分を学習するには最初の方を注意深く学習しておくことが重要」 というようなことが書かれている。
>>780 正しさ、は目的ではないからなw
お前はこれからも「正しさ」を求め続け、ずっと不幸でいればよかろう。
>>780 そう、どっちも正しい。
しかし念のため、これは神学的に正しいという意味ではない。
ACIMの目的に叶っているという点で正しいということ。
>>779 あ、続きありがとうございます。
な、なるほどです。
そういえば、
ACIMは二つのレベルで書かれているんですよね。
基本的なことを忘れて、混乱しておりました。
神がこの世界を知らないというのに、
どうしてこの世界でわたしのことを助けられるのだろうかって。
全く正反対の二つの世界を説明しているから、ややこしいですね。
ACIMを読む場合は、
天国についての表現か、この世界についての表現か、
意識しながら読まないといけないということでしょうか。
>>781 そうなんですよね。
ACIMを学ぶ動機は常に「心の安らぎ」というのは、
理解しているのですが、
矛盾のある表現に出会うと、「正しさ」を求めて、混乱してしまいます。
まあ気にすんな。 正しさを求め続けていいんだ。 いつかそれに疲れ果ててしまうから。
親に感謝しなきゃいけない教も問題だよね
感謝「しなきゃいけない」んじゃないんだよww 感謝するって実は難しいってかw自我の檻にいると 自分中心にしか考えられなくなって自分の側からしかものを見られない そういう状態で「感謝」しようと思うと 「感謝しなきゃ」って発想になる 正しい認知がなけりゃ心から「ありがとう」とは思えない 感謝しなきゃって「ありがとう教」ってのをオカ板で見たけどw 心にもない「感謝」は「感謝」じゃないw 顔だけ笑顔つくってニヤニヤしながら「ありがとう」といっても 感謝の波動じゃないもんねw
感謝って深い吐息のようなものだと思うよ 心の奥から「ありがとう」って言葉が出ると 清新な(清々しい)エネルギーが入る 例えば親に対してなら、親がどんな思いで生きて来たか 親の苦労に思いが至らなけりゃ感謝の気持ちなんて出て来ないよ 正しい認知(仏教では正見)をするには知恵がいる(知識じゃなくて)
>>783 神を白い髭はやした爺さんだと思うと
「神」ってのは悟りの向う側にあるリアリティっていうか
(ますます意味不明になってしまったw説明下手でごめん)
神とわたしたち人間を繋ぐのが聖霊
聖霊は自我というかわたしたちのことを良く理解しているし
実在についても良く知っている
>>777 人間は本能的に親の真似をしてしまうようなんだよね。猿以上に学習能力が高い。ミラーニューロンが
それを実現しているんじゃないかとは思うが、とにかく人のやってることをコピーして自分に取り込むことを
本能的に無意識にどんどんやってしまう。
そのお陰で言葉を覚えたり沢山のことを学習することも出来るわけだが、しかし、その他のこともどんどん
コピーしちゃうんだよね。だから例えば親が何でもかんでも人のせいにして自分の責任を認めないような人だと、
子供も同じように何でもかんでも人のせいにして自分の責任を認めない人になる。
で、その子供が大人になって子を作り親になると、今度はそれがその子にコピーされる。という具合に
世代を超えて伝播する。もちろん本能的に無意識にやってることなので本人には自覚がない。
仮に自覚があったとしても何でもかんでも人のせいにする状態だから「自分の性格が悪いのは
親のせいだ」という所までしか思考が行き着かない。しかし現実には誰にも責任はない。
誰も悪くないんだ。
なくて当たり前って最初に死んでおけって事かな。
>>766 オープンマインド
全く何物にも染まっていない透明な心
仏教的イメージの空
の境地から見るってのはどうよ?
神と共に見るってのでもいいかもしれないが、
裁きの神のイメージがあるとそれに引っ張られるかもしれない
>>794 聞くまでもないことだ。
どちらも正しくない。
だがそれでいいんだよ。
猫はかわいいので撫でるけど、本当はいないけど、でも可愛いから撫でるのでそれでいい ってのと同じことだな
普遍的な神学は不可能とのこと。
前々からの疑問でしたが。。 先祖供養を行うと心身ともに一時的に楽になるのですが、しない日が続くと心身ともに辛いです。 そもそも先祖を崇拝する=自分は肉体であると信じており、先祖供養という概念に対して疑問を感じています。 日本は特に先祖に対する尊崇の概念は浸透しているので、その風土とその国の持つ精神界の中では先祖供養は作用すると思っています。 ○○家というラベル、血が繋がってるから=先祖だからというだけで崇めるのはどうなのかなと疑問に思います。 先祖供養とコースの概念は交わるのでしょうか? 考えがまとまってなくて変な文でスミマセン。
>>795 この世界については神は何もご存知ではない・・・という訳ではないのですね。
安心しました。
全ては神なのならば誰かを裁くってことは 神を裁くってことになるけれど 裁く者も神なのだから神の裁きということにもなると思う。
>>801 そもそも神は裁かない
エゴは裁く
東京砂漠
東京は砂漠ではない
裁くのならば神ではない
というのがACIMの主張
東京の夏は砂漠だと思う
神とわたしたちは一体で、 そこから離れることなんてあり得ないんだけど、 その一体の心のほんの一部が、 どうしたことか神から離れたという夢を見始めちゃって、 この世界を投影しちゃった。 でも、夢は夢に過ぎず、実在しないから、 その実在しないものが、神との一体感を攻撃することなんて、不可能。 という感じでOK?
正解も間違いもないから自分が納得すれば何でもOK
>>805 そうなのかな〜。
やっぱり正しい理解というのは必要なような気がします。
じゃないと、
ワークブックの神の言葉の効力が減退してしまうような。
807 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 07:29:09.10 ID:TrLAyhUA
それで復活した人、神の息を吹きかけられた人はどのくらいいるんですか
808 :
神も仏も名無しさん :2013/02/08(金) 18:33:51.72 ID:ui3FIPG3
まさかそんな人は一人もいないんじゃないでしょうか それにそういうのあまり気にしなくていいんですよ コースは活用してナンボの本だし 試してみて自分には効果なしなら他を探せばいいんですから
>>804 一部が勝手に神から離れたという夢を見始めちゃうなんて神と純粋完全な一体ではないという事になるじゃん
おんなじ質問が延々とループするのがこのスレ特徴だな。 過去ログを全部読んでから書き込むように。
>>809 アドヴァイタで言うところの私は在るという体験をすると、ACIMの言う、
あなたは神から一度も離れていないということの意味がなんとなくわかるようになる
私は真我(と言って良いのだろうか?)であることに気づいた(発見した)
私は一瞬たりとも真我から離れたことがない
喧騒の中に戻ってきてしまった、つまり真我から離れてしまったように感じているいまも、真我はまだそこに有り続けることがわかっている
喧騒から真我へ戻ったとき、私はただ全てを誤解していただけだったことに気がついた
真我から喧騒へ戻っても、真我は確かにあって、あれこそリアリティだったことを覚えている
ただ、真我の目で見た幻を、幻だとは感じずにリアリティを持って体験している
また真我へ戻れば、全てが幻で、リアルなものは私=真我そのものしかないことを思い出すだろう
真我を神と置き換えると、ACIMの言うことが理解しやすいのでは(神=真我と断定するのではなく、あくまで言葉の置き換え)
アドヴァイタのほうは興味持って調べ始めてからまだ日が浅いので、自分が経験したものが真我かどうか自信は持てないけどね
喧騒の中に戻ってきたのならあなたは真我ではないということですよ 真我が喧騒の中に戻ったりしませんから
>>806 正しい理解、というかワークブックをやる上で最も重要なのは
世界があるないよりも、「想念はその源を離れない」ということ。
これが核となる部分。
・想念はその源を離れないがゆえに「世界はない」(レベル1)
・想念はその源を離れないがゆえに、自我の思考体系と聖霊の思考体系を
どちからを選ぶことで、体験する世界(知覚)は全く変わる。(レベル2)
まずはこれだけを覚えていれば、ワークブックを活用できるよ。
>>812 どうしてそんなことが君にわかる? 根拠をどうぞ。
>>812 あなたは真我ではないという指摘はなかなかおもしろいw
私は神をも超えた超存在ということか
>>810 ここ本と違ってノイズ多いし全部読むのも効率的じゃない。
2chは対話するのに優れてんだから別に質問応答形式でいいでしょ
円錐を見ている人に、これは丸ですか?三角ですか?と聞くような質疑応答になりそうだけどな 扇形ですって返されてスレが荒れる とんがりコーンですと返されてスレが止まる
>>815 そうそれそれ
実は神というのは君の一部分に過ぎんのよ
エゴもだ
言うなれば神とエゴという仲の悪い双子の兄弟の親だな
それぞれ君の生み出したものだわ
そういえばエゴ無かったよ 恐怖を抱いていたことがあったけど、無くなってしまって一体あれはなんだったのかという感じ その場において無いものは、最初から無かった ACIMがエゴは最初から最後までまるっと無いって言ってるのはこういうことかと今ではなんとなくわかる
最初から無かったのなら恐怖を抱くことなどなかったでしょうに・・・
そこが不思議なところですねw ただあのときのリアリティは確実なものであるという確証があるから、 最初から無かったものにおびえている今がおかしいのだと自覚がある 自覚があるからおびえないかと言えばそういうわけじゃないけど、 自覚がある分、おびえも少なくすぐにそこから逃れることが出来る その意味では、ACIMの理論というのは「生きやすさ」も両立させるようにしてるのかなと感じる
>>818 だから、なんで君にそんなことがわかるんだよ。根拠をどうぞ。
エックハルト・トールの「さとりは〜」と「ニュー・アース」、中村元先生の仏教学を学び、 教えを忠実に(仕事や私生活で実行)守っているだけで、「神の平安」と形のレベルの豊さがもたらされたよ。 ただ、ネガティブ性、苦をもたらす条件付け(鎖)からはだいぶ解放されたが、ポジティブな幻想や幸せなストーリー (エゴの罠)に耽溺して実在から外れてしまうときがある。 そういう時はケアレスミスを犯したり、仕事のクオリティが著しく下がってしまうw やはり如何なる時も今に在るように努めなければと痛感した。 長々と暑苦しい自分語りしてしまったけれど、もしACIMでなかなか楽にならない、世界観になじめない、という人がいたら、 一度エックハルトの「さとりを〜」や中村元先生の仏教学を学び実践してみることをお勧めするよ。 心理学を何年も学んでる身だから分かるけど、エクササイズやセラピーはエビデンス(根拠)のあることばかりだしね。 八正道(仏教)や目覚めた人の3つのモード等(ニュー・アースより)形のレベルの行動指針もある。 直観だがACIMやアドヴァイタ等の不二一元論の教えの実践の前の土台としても良いと思う。 (仏教やエックハルトの教えでもめげずに止観をすれば、アセンド出来る気もするが) 長々とすまない。読んでくれた人ありがとうw
瞑想するとしばらく失語症みたくなることがあるな いかに自分の頭が煩いかわかる 気持ちのよい晴れやかな気分がどんなものか 子供の頃って(小学生になる前)こんな感じだったなと思う 空の青さや雲の形の変化や花の色すべてが鮮明に見える
清新な感覚がつかの間だけど戻って来る
826 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 03:56:10.20 ID:/3EDRxJB
ニューアースはエゴの理解や解体の教科書みたいな感じで役立ってくれますよね。
827 :
神も仏も名無しさん :2013/02/09(土) 06:55:19.26 ID:VvB1LWtd
ニューアース文庫版でないかなあ
ニューアースは泡立ちがいいから経済的だよね
俺たちにアースはない!
アースごいねそりゃ
グーグルアースはすごいよ
何しろ自衛隊の艦船の位置まで特定できるそうだからねw
そういや、ここで政治の話はあんまりないね。 リアルでは避けた方がいい話題として政治野球宗教が あるが、ここでは政治的な事柄に対しての忌憚ない意見交換も ありじゃないかな。 どっちが正しいとかではなくて、赦しの機会として使えるから。 ちなみに私は政権が自民党に戻ってよかったと思っている。
>>833 良い悪いの判断は、幻想を現実にしてしまいますよ。
政治って、どうにかしようとしてもどうにもならないものの筆頭な気がするw
政治の世界ねぇw例えばさ 中国なら中国、アメリカならアメリカ、日本なら日本 それぞれの国が統一した「意志」や「価値観」や「方向性」等々を持ち合わせている わけじゃないんだよねw 一つの国家の中で様々な「思惑」が渦巻いていて、それぞれの勢力図は日々刻々変化している ある種の「思想(傾向)」や「価値観」が優勢になったかと思えば 何かの拍子にぐるっとひっくり返ったりw、まるで猫の目のように変化する 国家なんて幻想ちゃ幻想なんだけどねw 個人にも言えることで、誰々さんという人間がいて、肉体は同じに見えても 細胞は確か7年?で入れ替わる(間違ってたらごめん) 細胞は日々新陳代謝しているから、7年前とは別人になってるとも言える 心の中だって日々刻々変化する、考え方や感じ方 20歳頃の私と、30歳になった私、60歳になった私では全然違う考え方や価値観を持って いるかもしれない 自我=私という思いは幻想だと言える
そんでもって個々人の思いは、互いに影響し合っている(共鳴しあっている) だからレッスン19「私の思いの影響を受けるのは、私だけではありません」とか 一人一人(の思い)がこの現実(ACIM的には幻想の世界)の株主だってこと
自我と対極にあるスピリット(それを何と呼ぼうと)は って長くなるから改めて書く かも
>>839 レッスン19に望むうえで「他人に心はない」という思念を握りしめていたら進まないよ。レッスン全てに言えるが昨日までやった事を一切忘れるべき。
「他人に心はある」と思ってる自分を受け入れる事からはじめる。
>>833 それは形而上学的には正しいが、自分の意見を持たない、表明しないという
立場に固執することは非常に危険だよ。それよりも、自分にはある種の性向や
好みがあることを隠さずに認めた方がいい。その上でそれを深刻に取らない方がいい。
それが赦すということ。
842 :
841 :2013/02/10(日) 08:15:21.68 ID:gtrJ9zN8
>>835 形而上学的には、分離という思考の投影であるから、
分裂と対立と野合が延々と続くだけともいえる。
どこかからスーパースターが登場して、全ての問題を
あっという間に解決するなんていうことはないだろう。
だが、そうはいっても、自分自身の境遇を政治の責任に
せずに、自分自身のすべきことをする。
そしてその上で自分とは考えの持ち主がいても、その人に
反対しない。
色んな面で、分離の信念を癒す機会となり得るよ。
間違えた。 連続で間違えてしまった。 >>そしてその上で自分とは考えの持ち主がいても、その人に 「違う考えの持ち主」ですわ。
845 :
神も仏も名無しさん :2013/02/10(日) 11:07:16.53 ID:lNM4aG/4
これってどんな意味でしたっけ? 「「神のものは神に、カエサルのものはカエサルに」」
>>841 さんに同意。
政治に対して自分がどう感じたか、何をしたいと思っているか、を俯瞰するのがACIMでの政治に関する談義かと。
そこで単に「良い悪いの決めつけは幻想を作り出す」とワークのどこかから切り取ってきたような事を言うのは自分の感覚を見る事から逃げているように思える。
「思想(宗教含む)」や「信念」や「価値観」等々と呼ばれるものは どこから生まれるのか? それは人々の「心」から生じる じゃ「心」とは何だろうか?心は何から生まれるのか? 本来「心」ってのは私(自我の「私」ではないwってのがミソね)が 「使うもの」なんだよね ところが「心」ってか「想念」に翻弄されているのが大抵の人間の姿 (もちろん私自身も含めて) 自分らの想念が生んだ「思想・信念・信条・価値・それらに伴う感情」 そして肉体から生まれる欲 そういうものに振り回されているうちは心は千々に乱れる 内在する相反する価値や信念(信条)が葛藤を起こすから まんまそれが現実の世界(外界)に反映せれている だから世界を変えるには個々人の心を変えるしかないのかもしれない
悟りとは変幻自在な「心」を超えたところにあるw ってかまた長くなるからやめるけど
>>846 起こっている幻想にどのような立場を取ろうとも、
幻想は幻想に過ぎず、幻想に序列はありません。
起こっていることは幻想 なぜなら心という幻想が生み出したものであるから その通りなのよwでもねだからどーしろと? ACIMならホーリースピリットに委ねろと書いてあるよね 真実(光)を見せてくれてと頼むことによって ACIMが誤りだとは言わないけどなんつーかある種の「危険」を孕んでいるとしたら その辺りなような気がするw さっきの政治の話で言えば、現実に他国から脅かされているときに 「聖霊に委ねる」だけでいいのか?w 強盗が刃物持って目の前に現れたら、逃げるなり戦うなりしなきゃならないしw これは幻想だから肉体も自我も幻想だから刺されて財布奪われてもいいのか? 幻想に序列はない それも確かにそうだけど、 自我が魂(それをスピリットでも、真我でも、内なる神(キリスト)、仏性 ブラフマン(アートマン?)単に光、等々何と呼ぼうと)に近いところにあれば この世は調和がとれた天国wに近い場所になると思うよ 自我の欲に振り回され、感情を制御できず、妄念に囚われ操られているうちは 魂の思いは見えてこないしね 心とは何か?心から生まれる想念とは何か? 想念が生み出すのは、価値や思想や信念で、その価値や思想信条や信念から生じるのが 制度だったりシステムだったり法律なわけだから 心というものをどう捉えるかで全て変わってくるね 高い視点、広い視野を持つにもまず、自分の心からはじめないと 自分の心に翻弄され想念の渦に溺れているうちは無理な話
>>850 幻想だからといって、
何も対処しないというわけではないですからね。
幻想を幻想と知りつつ対処するのと、
幻想を現実と思い込み対処するのとでは、
まったく正反対の結果になるということなのではないでしょうか。
従来の宗教なり特に秘教とか呼ばれるものは 肉体や心の制御することで、魂へ(悟りへ)至る道だった 仏教なら座禅を組むとか、ヨーガの行も(ヨーガには沢山種類があるんだけど) 西洋にもそういう技術があるし、イスラム教ならスーフィーとか色々ある 肉体をもった自我という次元から→魂へと至る道は色々用意されている 悟りを啓けば(これにも段階があると思うんだよね) 若しくは心を超えたリアリティを垣間見れば、この世は幻想だと実感できる ACIMがユニークだなと思うのは 悟りの向う側(心を超えたリアリティ)から、こちら側を見る視点で書かれていること トップダウンってか?(違うかな?ww) 若しかしたら肉体&心という「リアリティ」から向うより早いのかもしれないけど この地球という、または物質界という幻想の世界の「リアリティ」はとても重要な場所でさ 肉体という「リアル」も、本質とは何かを悟るための完璧な舞台装置 (わたしの日本語力が至らないので伝わり難いと思うけど) 肉体やこの世界がどーでもいい、どうせ幻想だkらって発想になると 非常に危ないなとは思うな
>>851 そうだから想念に飲み込まれるなと書いたつもりなんだけどね
想念なんてものは変わりやすいお天気より不安定なものだから
台風が巻き起こってもそれに飲み込まれず
距離を置いて眺める余裕が必要だよね
距離を置かなければ全体を俯瞰することはできないから
>>851 幻想に対して幻想だからと何もしないというのは、
幻想を現実化させた上でそれを見て見ぬふりしてるというケースも有り得るから、かなりややこしいね
だからこそ、その場で聖霊に聞くってのが一番なんだろう
究極的には幻想は存在しないという立場に常に身を置くことで、
たとえ問題が進行中で、とても酷くなっているように見えても、
それに巻き込まれないでかなり冷静に対処できるようにはなる
これは神から離れてまで入れ込まないといけない問題か?という疑問が常に先行して、
相手を殴らなければいけないように思える場面でもぐっとこらえることができる
殴らないと解決できない問題など無いとすぐに思い出す
聖霊(ホリースピリット)っていうと 日本人は特にピンと来ないわけよw 何か変な宗教に聞こえてしまう? それって何?天使?なの妖精なの?神さまとは違うのってなる
守護霊なのとかねww 全ての道は悟りへの道で 「それ」に至る道なんだよね 武道でも茶道でも書道でも、求道という言葉がある 「それ」は心を超えたものであり言葉を超えたものである 「それ」を何と呼ぶかは文化によって違う ホーリースピリットも「それ」なんだけどねww
>>852 本当にどうでもいいのなら、どちらでもいいという選択肢の消滅も同時に起きると思う
どちらでもいいという状態においてもなお、常識が自然である(ことが多い)のだから、非常識という不自然に行くことはない
ただ、神の視点からの常識(この視点では非常識は存在しない)は、この世の常識と必ずしも合致しないので、たまには非常識に見える行動を取るだろうね
明らかに非のある相手を赦すという、ものすごい非常識な行為をすでに我々は何度か行っているわけだし
赦しってのはカルマと関係がある カルマってのは…ってスレチになるかな 聖なる科学―真理の科学的解説って本があって レビューには >「ヒンズー教とキリスト教の教えが、根本的に一致していることを究明するため、 >著者がババジ(聖者の名)から指示を受けて書いた本 ってある 全ての真理はひとつで、それは思考を言葉を超えたところにある それを目指す方法論ってかアプローチ法が色々あるのは 私たちの持っている知識なり経験なりが一人一人違うから ACIMってのはある意味画期的だとは思う(危険が少ないように感じる あくまで個人的な感覚だけど) 日本人の文化的素地とは合わないかもなとも思うな
もう亡くなられたけど、私の霊的な師は八百万の神々とお話ができる方でw って書くと何かスピリチュアルな(または電波なw)感じがするけど 確かに宗教家と呼んで良い方だったのだけど 反面、物凄くリアリストだったなと思い返せば 「おまえさんは地に足がついておらん」とよく叱られたもんだ 人間とは何か?魂とは何か?心とは何か?心をどう捉えるか?等々 霊的なことを教えるのが主なお役目だったんだろうけど よろず相談に応えておられたし、エクソシストw的なこともなされてた 現実に困った人に現実的な対応をされていた 間違っても アセンションのポールシフトの惑星二ビルが等々言わなかったしw 「あなたは素晴らしい光の戦士ですね」「波動が高くていらっしゃる」 などと互いを称賛しあったり (「某スピリチュアルな集会で実際に見た光景w気持ち悪かったww) 「あなたの前世は偉大な王です」なんて言わなかった スピリチュアルにありがちなナルシズムってか自我の肥大(インフレーション)を 憂いておられたな
>>854 分かりやすい説明ありがとうございます。
幻想に対して、
「どうせ幻想なんだから」という思いは、
明らかにエゴを源とした想念ですよね。
>>845 ググれば色んな解釈が出てくるけど、
私は単純に「税金払え」という意味で取っている。
つまり「世俗の生活を軽く見ずに、きちんと自らの義務を果たしなさい」
という感じに捉えている。
JACIMがなかなか更新されないけど、 そろそろ、公式版の発表かな。
ゲイリーの3冊目。 今年の10月8日に原書が発売されるらしい? (ネタ元は、アメリカアマゾンのレビュー)
865 :
神も仏も名無しさん :2013/02/12(火) 02:34:11.14 ID:IO6IezWb
晩年、BBCのジョン・フリーマンとのインタビューの中で、「貴方は今、神を信じますか?」と問われ、ユングはこう答えました。 「今ですか?・・・お答えしにくいですね、私は知っているのです。私には信じる必要がありません。私は知っているのですから」 そういう日が来る
我々は探求をやめてはならない。 そして、我々のすべての探求は、最終的にはじめにいた場所に戻り、 その場所をはじめて確認することである。 『トマス・スターンズ・エリオット。イギリスの詩人、劇作家、文芸批評家。』
宗教には一般向けの教えとは別に、秘教的側面がある 自我の想念((心))の向う側、つまりは霊性の扉を開くと この世という幻想を超えた世界(ACIM的には実在の世界) に足を踏み入れることになる(上位のチャクラが開く段階) ところが師(マスター)がいないととても危険で 禅で言うところの魔境(自我インフレーション)に陥ったり ある種の特殊能力が身につくので、それを悪用する誘惑に駆られたり (自我の欲のためにそれを使えば仏教的?な言い方をすると邪道外道に堕ちる つまりは人の道を外れる危険性もありえる) 例えば透視能力が身に憑いてw女の子のスカートの中を覗けるとしたら? 衝動を抑えることができるだろうか?ww(あくまで例え) ある一定レベルの人格の完成を見ぬうちは 霊性の道の扉は開かない仕組みになっている たまたま開いてしまう例もあるけど、下手すりゃ精神が破たんすることもあるし そうならなくても苦悩の種でしかない(実際そういう人を見た)
「弟子に準備ができたとき師現る」 自分は師と出会って、霊性の扉の入り口ぐらいまでは垣間見たが 準備が整わず結局脱落…(破門されたわけじゃないけど人格が未熟なため それ以上進むことは叶わなかった) ヨーガ(一般に知られる体操みたいのはハタヨーガと呼ばれるもので ヨーガには沢山種類がある、ぐぐってみw) ヨーガにしろ、西洋のヨーガと呼ばれるカバラにしろ 仏教の密教にしろ「師」の存在が不可欠と言われるのは 危険がいっぱいだからだ もしも道を誤れば、せっかく何回もの転生を重ねて積み重ねたものが 著しく後退するか、酷いとパーになることすらあるから(魔道に堕ちたりしたら…) 現代で「師」に出会える確立がどんだけあるか? インドの山奥ならw聖者に出会えるかもしれないがw そこで聖霊(ホーリースピリット)の登場、道を整備してくれる存在 一般的に道を求めるもの(求道者)には数々の困難が待ち受ける 潜在化していた問題が浮き上がってくるから (それをきれいに掃き清め浄化する必要があるから) 自我の想念を超えた超意識と言ったらいいか?それを体現するために 師から弟子に伝えられる口外無用の秘伝の法なんてのがあったりする まぁ現代的ではないよなw 現代人は理性が納得しないと疑念だらけで集中できなくなる ACIMはその点合理的ちゃ合理的だ (西洋的価値の基盤であるキリスト教という基盤を利用して点でも)
キリスト教と一口に言っても色んな側面があって カソリックとかプロテスタントとかロシア正教とか そういうをひっくるめて、一般的にイメージされるのは「西欧キリスト教」と呼ばれる 一方「東方キリスト教」というのは禅やヨーガに近く 直接神を体験することを指向する、秘教的な流派があった (ロストクリスチャニティって本参照) 悟りを体験して神との合一を果たすって意味で、ACIMも目指すところは同じ 自我ではなくスピリットの目でものを見るには 自我の思考体系を整理(浄化)しなきゃならない ACIMがすんなり腑に落ちるなら、秘教的な行法を行わなくても 悟れるかもしれないな(悟りの入り口ぐらいまで←個人的見解です)
テキストを毎日やれるコツを知りたい
>>867 いまは匿名での誹謗中傷が出来て、それで人を自殺させることすら出来るから、
PC使ってる全員が呪術的エネルギーを使える状況下にあるようなものだよね
>>870 習慣化する
嫌でも開いて1ページは見る
これは試験勉強などにも使える
あと、嫌だと思ったときすかさず瞑想とかして、エゴの大騒ぎから離れる
この一ページが幸せに繋がると思ってやるのもありかもしれないが、
利益よりも真実を求めようとしたほうがいい
872 :
神も仏も名無しさん :2013/02/12(火) 18:58:55.22 ID:CgR2fwPs
コースを毎日やりたいのだが これが何に役に立つのかわからないので 意味があるのか心配になってくる… パワーかフォースかでコースの数値が600 なのが本当だと仮定すると日本人の平均が620(だっけ?) なら、逆にコースのほうが低いとかあるのかな…w でも、コースをやっている人は数値が低いものと 関わっても数値が下がらない、とかあったっけ。 すごいのはわかるのになぜか具体的にどうめざすのか わからなくてもやもやする。神は外にいないで 自分の中にいる、それと対話する、と認識するのが一番日本人には わかりやすいようなきがするなあ。
ゲイリーの3冊目。本当に10月8日みたい。 yahooのduグループに、ゲイリー本人が書き込んでいた。 一部引用する。 >Hey guys. A couple of you have beaten me at posting the announcement about the release date for Love Has Forgotten No One. That's because I was busy doing the same thing at Twitter and Facebook. But if you subscribe to my e-news you've already seen the announcement. The date is October 8. You'll see the forgiveness opportunities that led to the book's delay. It's not my fault. I'm a victim of God (LOL).
>>871 >いまは匿名での誹謗中傷が出来て、それで人を自殺させることすら出来るから
そりゃ呪術とは言わないw昔だってそれこそ誹謗中傷や村八分で人を自殺に追い込んだ
術つーか力ってのは正しく使わないと外道(邪道・魔道)に堕ちるんだよww
正しく使うとは神仏のお仕事のために使う、つまりは奉仕のために使う
キリストの癒しの力(お釈迦様の敬称のひとつに医王ってのがあったな)とか
魔や邪気を払ったり、まぁ色々
天候や自然現象を操ったり、奇跡と呼べる現象とか
物理の法則を超えた現象を起こすことも可能とされる
ただし、己が欲望のために使えば重罪になる
霊的に発達すればするほど責任も重くなる
>パワーかフォースかでコースの数値が600
何それ?ゲームみたいだな
呪術ってか法術てのは、心を使う技術(アート)のひとつなんだけど まぁACIMは関係ないねw 全ての道は思考や論理や物理法則を超えた(((何か)))に行きつく それを「神」とか「仏性」とか「絶対無限の存在」等々と呼んだ 武士道でも武道(騎士道)でも弓道でも茶道でも書道でも芸事でも ビジネスだって道になる 人の道であり心の道であり魂の道は、究極はどれも同じところを目指している 道を究めると悟りの境地に立つんだよw その道を歩みながら人格を磨き、品格を身につける、人格高潔でなければ 霊性の扉は開かない
『パワーか、フオースか』はアーテンかパーサがやんわりと否定していたね。 筋反射テストで出てくるそういう数値は意味がないと。
宗教こそそうあるべきなんだけどね宗教者は人々の規範となるべき… けど実際はエゴ(権力欲や金欲や色欲や自己顕示欲つかナルシズムを満たすための) 道具になってしまっている(ことも多い)けどね
>>870 原書と翻訳本どちらを読んでいるのか分からないが、
コツとしては、コースに魅力を感じること。
赦すことで、心の安らぎを得られたとか、そういう体験が
あれば、もっと深く学びたいという意欲も出てくるだろう。
後、テキストは初めて読む人には何が言いたいのか分かり
辛い文章が続くのだが、基本は「同じ内容を言葉を変えて伝える」
形を取っている。なので基本部分をワプニックの本などで
勉強しておくと、全く形の違う矛盾したように見える所も、
同じことを別の言い方で言っているだけだと気づく。
クラシック音楽になじみのある方は、テキストのことを
「ACIMの主題による31の変奏曲」と表現してもいいと思う。
>>877 駄文ついでに…ごめん荒らして
宗教者は高い道徳的規範を求めらるんだけど
内実が伴わないと、自分の中の未熟な自我とか獣性が抑圧される
よく聖職者が不道徳を行いスキャンダルになる
(法王後退で騒がれている聖職者による児童に対する性的虐待とか)
あれはね自己認識の問題ってか
あるがままの自分を認めるんじゃなくて、「こうあらねば」ってイメージに
自分を当てはめようとしてプレッシャーをかけるってか背伸びして
自分の陰(影)の部分を抑圧し閉じ込めると、意識の目の届かないところで
モンスターのように育つんだよw
認めたくない自分の一面を闇に閉じ込めてしまう、そこに魔が巣食うw
まぁオカ板でする話だけどさ
自分に嘘をつかない(といって獣性を暴走させていいってことじゃない)ってことが大事で
等身大のあるがままの自分を認め受け入れ
罪の思い(性欲やら他人への攻撃やら誤った思いや行為)を認め赦すってことで
闇にもぐらせるのを防ぐ
ACIMはよくできた方法論だよな 文化的な異質感から日本人にはピンと来ないところも多いとは思うけど
>>879 そうやって実相以外について考えることが分離につながるんじゃないか?
いかにも理解しているように実相以外を語ることは、わざわざ幻想に力を
与えてることになるのでは?
実相を理解することはできないw なぜならそれは思考をあらゆる概念を超えているからw 体現するしかない(それが悟りと呼ばれる体験だ) わたしがだらだら長々書いたのはACIMを理解するための考察ってかねw 参考にゃならんかもしれんけど
JACIMの訳語の中でrealityを実相と訳すのは、あまり好きじゃない。 プラトンの、appearance(現れ)とreality(実相)の対比なら分かるのだが illusionとrealityの対比は、幻想と現実でいいような気がするのだが・。 現実という訳語が使えない箇所があるのかな?
ただリアリティ「現実」とか「現実的」ってと 霊的なものとは真逆のこの世の現実って感じになってしまう 言葉ってのは記号だから 英語と日本語の言葉の世界は違うし その言葉が喚起するイメージが違うから翻訳って難しい
考察ついでに 禅ってのは心を無にして、その向う側を体現しようとする 密教とかカバラとかは、あえて心を(幻想を)利用して心の本質を探る 心を理解することで心を超える方向性ってのかな? あたしゃ前世は密教系の坊さんだったから何となく記憶が残っているw
禅には(一部には)「仏殺祖殺」って考え方がある 有名な「仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺」せって奴 あらゆる幻想を否定する ACIMも態度としてはそれに近い?のかなwでも聖霊とか光を見るとかって書いてあるから そうでもないかww
>>882 実相は知らなくても魔やモンスターのことは知ってるんだw
自分ではない何かが見えるときには総じて幻想なんだろ?
知らないとは書いてない理解できないと書いた 人知をはるかに超えるものを人間のちっぽけな頭で理解などできようはずがない 肉体があるうちは特に限界があるよ
神は定義できなし完璧に理解できない そういうことを超えているんだよw 無心というか悟りの境地(の片鱗を)知る良書がある 弓と禅って本 論理主義者の外人が書いているので現代人にわかりやすい
>>888 肉体がなくなった後も存在できると思ってんでしょ?
自分自身がいるかどうか理解できないの?
ACIM的に言うとw 肉体も自我もそもそも無いのw幻想なの わたしたちは神の子で一度も神の元を離れたことはなく 肉体もこの物質世界も神の子が観た夢(悪夢)だと言っているww まぁ捉え方だけどさ
大抵の人は肉体そしてそれから派生する自我を自分だと思っている それは間違いだよって話ww
肉体も自我も時間もこの世界でのできごとも そもそも無かったって つかACIMを少しでも読んだ?
自我を自分だと思ってるにしても、そこにそう思う主体はあるわけだ。 でだ、エゴやら魔やらモンスターやらを語ることにどんな意味が?
だからアプローチの違いだってば何度も書いているんだけど つまり実在側から見ればエゴも肉体も時間も世界も魔もないんだよ (モンスターってw) だけど肉体&自我から実在に向うときは自我の罠ってか抵抗に遭う 自我は消えたくないんだよw 従来の方法は後者のアプローチが多かったんだよ
自我は消えたくないって誰が言ってんだww
弥勒はゴータマ・シッダッタ(悟りを開いたのちは仏陀、釈迦牟尼仏現在仏)の 次にブッダとなることが約束された菩薩(修行者)で、 シッダッタの入滅後56億7千万年後の未来に姿を現れて、 多くの人々を救済するとされる。(wikiより) 気の長い話だ〜だけど実在のレベルではそもそも時間がない 56億7千万年も一瞬も変わらないんだよw
>>897 ACIMを全く知らないのになぜこのスレに・・・?
興味あるなら最初から読めよ
そこから説明すんのかよ!
せめて「奇跡講座入門―講話とQ&A 」とか読んでから来い
実在と非実在、非実在を幻想と言ってるわけじゃん。 で、自分が在ることはだれも否定できないでしょ。 非実在が非実在であることを理解するのは何?
幻想を幻想と言うのは、それを前提としてワークを進めろってことじゃない? 自らの本性は実在であるという自覚がないまま進めても、ACIMは単なるファンタジー 小説にしかならないし、その先にあるのは二次創作の同人物語だけなんじゃないか と思ってね。
ゲイリー3冊目の訳書が出るのは、まだまだ先のようだ・・ 処で、ここの皆さんは、神使は買い換えるんですか。
>>879 凄い腑に落ちます。
赦しってエゴを暴き出すことでもあると思うんだけど、理解が浅いと抑圧してしまいそう、っていうか自分も
そうしてしまって結局エゴが噴き出して暴れ狂って出てきたけど。
>>901 自分があるってのは、大きく本当にざっくり分けて二種類あると思う
いま日常で暮らしてるときの自分(もしかしたら死によって存在が消えるのではと密かに信じている)と、
本当に在ると実感できてる(自分という存在は消せないし否定できないことを発見する)ときの自分(I AM THATの状態)
ただ、後者にあっても分離が持続しているとしたら、ACIMの言う実在とは違うものだろう
ところで聖霊を選び続ける、というのとエゴの総てをさらけ出し暴き出す、というのはどう両立するのでしょう? 聖霊に頼めばいいのです。 という裏に大量のエゴが存在している。選んでも選んでもエゴが顔を出してくるのは、当然ではないか。出し切ってやらないと 成仏しないのではないか?
>>883 同感!
日常的な言葉で、
本当の真実を説明するのが、
ACIMの真骨頂のような気がする。
908 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 10:48:03.09 ID:ivwj5dyS
>>876 そうなの??!!
知らなかった〜〜本を読んでいたけど
気づかなかったよ、どこらへんに書いてあった??
それならなんか一安心だな…
現実社会ではコースなどの話をする機会がないので
ここにいるみんなとも会って色々話してみたいなあ。
みんなはそういう集まりに行ったことある?
実際参加したほうがいいのかしなくていいのか
考えるなあ。
>>905 師は人間は「絶対矛盾の自己同一」って言ってたな
それを聞いたときは「何のこっちゃ?」って思ったけど
肉体がある次元では、地球とともに時を刻み、
必ず終わる(死ぬ)ことを約束されている
有限かつ諸行無常の世界に生きている、善と悪、光と闇、生と死等々対立を内包する
2元論の世界ね
ACIMで言う「実在」のレベルでは、時間は存在しない=永遠の世界、
無限である(完全無欠の完全自己充足の世界)一元論の世界
実在のレベルを完璧に言語化して説明することなんて無理
直感的洞察力によって理解をする必要がある
この二つを同時に生きているのが人間w
>>909 訂正
永遠の世界× → 永遠の今○
肉体を持ってこの世にあると、肉体(と自我)こそが自分だと思い込む
頭ぶつければ痛いし、腹は減るし、動けば疲れるし、山で熊に出会ったら怖いし
例え「夢」でも(醒めてしまえば、ああなんだ夢だったんだ)
この次元がリアルだと感じる
何度も繰り返されている議論かもしれないけど、 ACIMは、キリスト教の修正を目的としているから、 ACIMを学ぶ前提として、キリスト教の知識が必要だと思う。 キリスト教の世界観を知らずにACIMを学ぼうとしても、 挫折の可能性が高くなるように思う。
どうせこの世の全ては、肉体も自我(想念も) 外界も(学校も会社も厄介な人間関係も)幻想だって言ってもね この幻想を使って学ぶしかない、この世は魂の学校だw 例えば禅のような方向性は、 あらゆる幻想を否定し幻想から目覚めること(無の境地って奴ね) を指向した、それによって仏性=実在を体現する そうは行っても目の前に色々問題があるよ…悟りどころじゃない 病であったり、飢饉であったり、人間関係のもつれによる恨みつらみ…様々 そういった、この世の(現実の)問題を解決する方法論として生まれたのが 仏教なら密教と呼ばれる、心の技法=法術とか法力って奴ねw それがヒーリングだったり、悪魔(憑きもの)祓いであったり 日照りが続いていたら雨乞いとかw人の心や現象を操る術を使う方向性ってのがあるんだよ だけどこういった術ってのは、諸刃の剣で悪事にも使えるわけ そいういった行法も道で、正しく使えば正道、誤って使えば邪道外道(邪法外法)になる 方便として心を使うって方向性もある
>>911 キリスト教を学ぶと言っても
キリスト教圏の人が熱心に学問として学んでいるわけじゃない
教会で牧師(神父)さんの説教を聞くぐらいでさw
聖書を勉強してる人はごく一握りで(聖職者になるなら別だけど)
なんつーか感覚的なものつーか、無意識のレベルに浸透しているって言うか
西洋文化圏の良心はキリスト教であることは間違いないけどね
欧米人の倫理観や法律の精神の根幹に流れているのも「キリスト教」
>>913 うん。特に専門的に学ぶ必要はないとは思うんだけど、
多少のキリスト教の知識がないと、ACIMの本質的な理解は難しいと思うんだ。
日本人として、ACIMを勉強しようとするなら、
最低限、
『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) 』(橋爪 大三郎 , 大澤 真幸)
くらいの知識は持っていたほうが良いと思う。
キリスト教は、
しょっぱなから、神がこの世界を創造したという、創世記から始まり、
神が人を裁いたり、殺したりという「怒りの神」という側面も見せたりするから、
だからこそ、
ACIMでは、
「神はこの世界については何もしらない」ということが繰り返されているのだと思う。
キリスト教徒じゃない人は、
「神への恐れ」というのはあまりピンとこないから、
ほかのスピリチュアルな本に書かれているように、
「無限の存在であるわたしたちが、
ゲームをするために有限の状況を作りだした」
という神話でも、十分、天国を体験できるのだと思う。
簡単に言っちゃうと、 ACIMは、キリスト教の知識を前提とした上での、 天国へと至る道を指し示す本だから、 ACIMを理解しようとするとき、 「今、伝わっているキリスト教は間違っているから、 キリスト教を勉強する必要はない」という姿勢では、 ACIMを正確に理解することは、困難だということ。
人の「感性」って色々だから(前世の経験なんかも影響してると思う個人的にはw) ACIMがなんかすぐピンとくる日本人もいると思うけどね 確かに異文化だから大体の日本人はとっつき難いと思う 旧約聖書と新約聖書では神の性格が全く違う 旧約の神は恐ろしいw怒りと復讐の神 でも新約の神は「愛」と「赦し」と「救い」の神 世界とは心(想念)でできているw(オカルトっぽいけどね) だからこの世界が残酷で無慈悲で救いようがない思えば(信じれば)実際にそうなる (ACIMで投影とういう概念がでてくる、投影とはフロイト心理学の考え方だけど ヘレンさんは論理的思考を有する心理学者で、ヘレンさんがチャネラー?として選ばれたのには意味がある) この世界がまたは神が(父なる神、仏性、宇宙なんでもいいけど) 慈悲深く愛に満ちて天国のようだと思えば実際そうなる だから世界を変えたかったら心を変えるしかない
918 :
神も仏も名無しさん :2013/02/13(水) 14:02:51.02 ID:ixuMrkFb
ってそろそろ自分でもウザイから消えますw
ACIMって、 キリスト教の世界観の修正とエゴの世界の修正という、 ふたつの修正があるから、ややこしいんだな〜ということが分かって、 ちょっとスッキリしたような気がします。
>>919 このことが分かっていないと、
ACIMの本質的理解はできないし、
いたずらに、ほかのスピリチュアルな本と対立することになってしまう。
ゲイリーさんも、この罠に陥ってしまっているような気もします。
他のスピリチュアルと一線を画していなければACIMの存在意義はなきに等しいのでは? というか実はそれが言いたいことなのかな?
キリスト教的世界観に慣れていないとやはり理解しにくい。 宗教マニアではなく宗教学者がACIMを多方向から分析した書籍が出れば嬉しい
>>921 他のってのが、幻想を相手にするスピリチュアルのことを指してるのなら、
ACIMはそのようなものではない
幻想を相手にしないスピリチュアルのことを指しているのなら、
ACIM自身が数ある道の一つと言ってる
ってことで、どっちに転んでも存在意義はあるのでは
>>921 ACIMも他のスピリチュアルも、
エゴの解体というのがその目的だけれど、
ACIMの場合は、
その他に、キリスト教世界観の修正という目的もある。
だから、
キリスト教世界観を知らない人がACIMを学ぼうとしても、
それは混乱を免れないと思い、
日本のACIM学習者のほとんどの方は、
エゴの解体の過程における混乱のほかに、
この混乱も体験することになり、
結局、ACIMを投げ出してしまう可能性が高くなるんじゃないかな。
キリスト教における神の概念によって、 いたずらに、神を恐れている人が多いから、 イエスは一生懸命、その神の概念に対して、修正を施そうとしている。 これを理解しないと、 ACIMの本質的な理解は不可能なんじゃないかな。
いままで持っていた世界観を手放さない限りは混乱する 手放せば混乱しないけど、そう簡単にできるものではない ACIMの言ってることが本当かどうかわからないうちは、 自分の持っていた世界観、アイデンティティを手放すことは、一種の賭けになる でも、2人の主人に仕えることは出来ないので、必ずいつかはどちらかから離れなければならない
>>926 >いままで持っていた世界観を手放さない限りは混乱する
そうなんです。
でも、日本人の場合は、キリスト教的世界観を、
最初から持っていない人がほとんど。
それなのに、
ACIMでは、キリスト教的世界観を手放すための表現が多いから、
ただでさえ難解なACIMが、余計に???という感じになってしまう。
>>905 I am だけが実在で、あとの様々は非実在 それだけ自覚してれば
分離の感覚はたんなる感覚になるんだろう。
分離エゴ前提で積み重ねる言葉と知識はACIMとは逆のベクトルでしょう。
魔やモンスターが活躍することもないしエゴが噴出することもない。
>>923 (1)幻想を相手にするスピリチュアリティとして次のような事例が挙げられる。
・様々なヒーリング手法や心理療法、ボディワーク、占星術、神智学運動、マイトレーヤ運動、
ヒンドゥー教のプージャやホーマ、カバラ、魔術、シャーマニズム、オカルト陰謀論、
ニューエイジ、自己啓発セミナー、引き寄せの法則etc.
それと一見、幻想を終わらせる手法のように見えて実はそうでないものもある。
・ヨガ、仙道、チベット仏教等の修行系
チャクラやクンダリニー、小周天や大周天等、これらも人を幻想の世界に留め置く巧妙なトリック。
(2)幻想を相手にしないスピリチュアリズムは以前にも書いたように二つのステップがある。
@実在(プレゼンス)に目覚める
A実在(プレゼンス)の状態から我々を幻想の世界に引き戻そうとする諸要素を意識化し洗い出す
ACIMや脱マネゲはAのステップに該当するものだろう。
@の段階にない人がAをやろうとしても多分うまくいかないだろう。
実在を知らないのに、どうして実在でないものに対処することができるだろうか。
卵の殻それ自身が、卵を割って卵料理をつくることができるだろうか。
キリスト教的世界観云々より重要なのはこちらのほうだろう。
>>929 順序が逆ですよ。
ACIMは、解体とは救済(実在に目覚める)であると述べています。
エゴの解体を通して、実在に目覚めるのです。
>>930 二つの自己を抱えたままコースを学ぶことに意味があるというなら、
幻想を実在とみなしてることになるんじゃ?
実在の自覚なくしてコースの何を理解できるのか。
ま、あまり細かく考え過ぎない方が良いと思うよ。というのは、分析して分類 することになるからで、あれは良いがこれはダメみたいな思考になって来て 分離幻想が維持発展してしまうから。 これに気付かずに行き過ぎると「これをやっている自分は正しい人間だがやって いない大多数は間違った人間」みたいな思考になってしまい、いつの間にか選民 思想そのものになり、更に進むと異教徒は人間じゃないので死んで良いとか滅ぼす べきとかになる。 何処か途中でそのおかしさに気付けばなんとかなるだろうけどね。
>>931 コースにおける『目覚め』とは、
完全にエゴを解体することで、訪れることです。
それまでは、
実在(聖霊)の力を借りて、
エゴを解体していくので、
エゴが少しでも残っている状態は、目覚めではありません。
眠っている状態でも、
実在に助けてもらうことはできます。
このことに関して、
コースは妥協も譲歩もないと思っております。
>『ふしぎなキリスト教 (講談社現代新書) 』(橋爪 大三郎 , 大澤 真幸) 尼を見ると内容に誤りがあるという指摘が ポツポツ出てるね、どうなんだろ
>>933 非実在と非実在と見通すことができるなら、多いも少ないもないんじゃないか?
>>935 エゴの解体は、
タマネギの皮むきにたとえられるから、
やっぱり、多い少ないはあると思いますよ。
・ カルマヨガ…無私の奉仕精神で善行に励む、「行動のヨガ」 ・ ジニャーナヨガ…「知識のヨガ」とも呼ばれる哲学的なヨガ ・ タントラヨガ…「瞑想」「禁欲主義」「祭儀」を中心としたヨガ ・ バクティヨガ…神に献身的に帰依し信仰する「信愛のヨガ」 ・ ハタヨガ…ポーズと呼吸を中心としたスタイル。最もポピュラーなヨガ ・ マントラヨガ…マントラを唱えて精神を集中させ、身体調和へと導くヨガ ・ ラージャヨガ…精神世界にこだわった上級者向けヨガ。 (某所よりコピペ) ヨーガは賢明だ、人には向き不向きがある、その人に合った道が選べるように 色んな方法を編み出した 愛と奉仕、知性、神への献身、意志と集中力等々あらゆる「徳」を通じて 神へと近づく(あらゆる徳目をバランスよく育てる、その為に転生を繰り返す) ACIMが唯一の道ではない(ACIMのテキストにもそう書いてある) 現代人はまず頭ってか理性ってか理屈で納得しないと駄目なんだそうだw 「まずやってみろ、やればわかる」形式では、あらゆる疑念が心に湧きあがって 先に進めなくなる、只管打座(ただ座れ)的な体験を通して悟りを開く道は 現代人向きではないのかもしれない 先生もそれに気づいて、まず講義と言う形で納得させる形式をとることにした とおっしゃってたなw
ACIMは論理を重視する現代人(特に西洋人)向きにつくってある 万人に合うかってと?それにあまりにこだわり過ぎて 視野を狭くする可能性もあるよな、いや何でもそうなんだけど 前にイスラエル人から聞いた話じゃ、ユダヤ教というのは宗派によるけれど 細かい決まりがたくさんあるんだそうだ、 例えば「安息日」ってのがあるんだけど(聖書で神さまが安息日には休むようにと書いてある) 安息日にはエレベーターのスイッチすら押せないとか、 電気のスイッチのオンオフするのもタブーだとかw笑い話か?ってな決まりもあるらしい あまりに囚われ過ぎると変な宗教化する可能性もあるなと思ってw
論理だけでは決して悟れないよ 直感的洞察がなければ、自我の想念を超えることはできない
>>937 玉ねぎのたとえは、
いろいろなスピリチュアルなマスターがよく使うたとえかと思うのですが。
ゲイリーさんしかり、エックハルトトールさんしかり。
>>940 一貫性のある理解は、
ACIMの学習の場合は、とても大切にされていますよね。
理解と体験は、手を取り合って一緒に進むと、
ACIMには書いてありますし。
実際、わたしの場合も、
理解が深まれば深まるほど、心のやすらぎの度合いは増えていっています。
>>941 いや対象がどうとかそういうことじゃなくて。
理解する者は理解を越えてるってか?
自分が在ることを自分がわかんないって
どういうことよ。
>>940 >論理だけでは決して悟れないよ
>直感的洞察がなければ、自我の想念を超えることはできない
在るってことに必要なものがあるという想念を抱いているのは誰か
いつの間にか、ずいぶんと盛況ですな。 ACIMはキリスト教の修正も目的としている。 それはその通りでしょう。特にテキスト前半では 聖書からの直接の引用があって、それに対して 従来とは異なる解釈を提示しているから。 ただ、敢えて言えば、「神への恐れ」は、キリスト教世界観を 学んでいる、いないとは関係ないよ。 全世界の中でキリスト教になじみのある者にしか、この恐れは 存在していないというなら、キリスト教を学ぶ必要あるかもしれない。 しかし、そうではない。 万人の心の中にある、理解不能なほど凄まじい恐れを「神への恐れ」と 名付けているだけであるから。 キリスト教になじみがあろうが、この恐れを知らなければ、コースの 言っている内容を「悪いことをしたら、神に罰せられる」レベルでしか 分からないのじゃないか?
新装版・神の使者 amazonに2/14発売と書いてあったので横浜〜新宿〜渋谷と書店巡りしてきたけど全滅。 どこにも売ってなかった。出版元のホームページを見たら2/19発売予定と。 購入予定のみなさんはご注意を。
947 :
神も仏も名無しさん :2013/02/14(木) 18:00:27.46 ID:MPUt8lKP
>>945 >「神への恐れ」は、キリスト教世界観を
学んでいる、いないとは関係ないよ。
そういう解釈もできるかと思います。
ただ、
コースにおけるイエスが言及する「神への恐れ」というのは、
明らかに、キリスト教世界観を前提として、述べられていると感じます。
そういう意味で、
コースをしっかりと理解するためには、キリスト教の知識は必要と思います。
>>930 おそらく、ACIMで言う救済とは、実在の覚醒のことではないだろう。
解体をいくら繰り返しても、それは実在の目ざめとは結びつかない。
なぜかというと覚醒は解体=ゼロ化という因に対する果ではないから。
それは因果を超えたところにもともとずっと在るものだから。
エゴにいくら対処してそのゼロ化を目指してもエゴがそれをやっている限り
ゼロ「化」することはあっても決してゼロにはならない。
だから最後の一押しは、エゴではない何かがそれを起こす、
もっと厳密に言うとそれは単にそれ自身の自性としてただ「起こる」と言ったほうがいいと思う。
それが「起こった」「起こる」「起こりつつある」、
その時に初めて本当の意味での解体=ゼロ化に着手できる。
だから順番は、実在への目ざめが先で、解体は後。
もちろん覚醒と解体は関係ないのだから、解体=ゼロ化の努力をすることはできる。
しかしその過程では多大な困難と試練が引き起こされる。
その試練にほとんどの人は耐えきれずに頓挫してしまうよ。
ACIMでも脱マネゲでも不可解な事件、トラブルが頻繁に起きるようになる、
ということはよく報告されてるよな。
それはエゴが解体を志向しつつ、同じエゴがそれに強力に抵抗するからだよ。
従って実在に立脚した世界理解、にまず焦点を当てたほうがいい。
そうすればその後の道は、決して平坦とは言わないまでも繰り返し襲ってくる試練、
のようなパターンではなくなる。
そして仮に試練が繰り返して襲来しようとそれはもはや試練ではなくなっている。
まず先生を探すことが先決だ。
なぜかというと覚醒が「起こる」のは師との同調・共鳴以外にはないから。
自力では無理なんだよ。
先生を探さなくてもいいように「ホーリースピット」なんだと思うw いや実際、霊的な師は人間ではないかもしれない 先生の先生は少なくとも肉体をもった先生ではなかった 悟りにも段階があるって話を聞いた つまり先には先があるってことで、悟れば何でもわかるわけじゃないw 実在のレベルを頭で理解することはできないが 体現(リアライズ)することはできる 自我は解体されるものではなく、自我とは何か理解することで 自我がつくりだす妄念に巻き込まれなくなるってこと 自我の思考体系→スピリットの思考体系に切り替える 内観ってやり方もあるんだけどこれは師がいないと難しい 「心鏡の行」ってのを教えて頂いた 等身大の自分をありのままに客観的に観察する 非難も批判も自画自賛もせいずに思い(思考や感情)を眺めるってやり方 自我のつくりだした幻想に巻き込まれなくなる
自我とは何か知ることで自我を暴走させないってかね それが入り口でもっと深く行くと 心とは何か?ってところまで行く、心の奥深くにダイビングすると 潜在意識の世界が見えて来る、そして宇宙の深遠に辿りつくかもしれないw いやオカルトだけどね、師がいないとできないが
ホーリースピリットが何か? 探る必要はないんだと思う、それは叡智であり愛だと思えばいい つい天使か?守護霊か?ハイアーセルフか?何て考えてしまいそうだけど 何か形のイメージを持たない方がいいいかもね
>>930 辺りからの
エゴの解体、玉ねぎの皮むきについて
エゴの解体というのは、エゴに対する信念の解体のこと。
玉ねぎの皮むきというのは、エゴという巨大な塊があって、
赦しによって少しずつ削っていくというイメージを連想させるが、
実際は自分自身がエゴをどれだけ信じなくなるか、ということ。
そのための鍵となるのは実在の自覚ではなく心の安らぎなのだが、
ACIMではない他の道では、やり方が異なって当たり前。
アドヴァイタや覚醒系のやり方をACIMに持ち込まない方がいい。
自我を解体とか破棄するんじゃなくて 自我の思考体系→スピリットの思考体系に切り替える 自我ではなくスピリットの目で見ることをするってことだよ つかACIM読んだ?
スピリットとはACIMでいう肉体(自我)ではなく 神の子である自分のことね 日本人がもつキリスト教のイメージと西洋人のそれとは違うんだよね だから「父なる神」とか「キリスト」とか「聖霊」とか「神の子」なんて 用語が出て来るとアレルギー反応を起こすw変な宗教みたいな感じってか 異質感がする、なじみがないからだと思うけど 西洋人は子供の頃からなじんでいるから、批判的な感情を持つ人も多いんだけど 彼らの思考から(感覚から)キリスト教的な価値観を外せない 無意識の領域に浸透しているから 日本人は例えば「救い」って用語も何か仏教的イメージで捉えてしまうってか? 「悟り」とか無我の境地って言った方が何となくわかる感じがするんだと思うよ
>>953 ええと、念のため説明しておくが、
>自我の思考体系→スピリットの思考体系に切り替える0
>自我ではなくスピリットの目で見ることをするってことだよ
それが「自我を信じなくなる」ということの結果だよ。
その後スピリットの思考体系に切り替わる。
「エゴを信じない」=「聖霊を信じる」ことだよ。
これがone or the otherおよびchoose againの意味だ。
実在への目覚め、つまり本当の心の安らぎ、あるいは心の影響を受けないその地点、 そこから世界を見ること、つまり聖霊の目で世界を再定義する、ということ。 目覚めていない人が聖霊の視点で世界を再定義することはできない。 今どういうわけか、特に日本で実在への目覚めが連鎖反応的に起きている。 そしてもうすぐ公認版の日本語ACIMテキストが刊行されようとしている。 これらのことも現象としてはエゴからの視点とも言えるが、 その夢の中でのシンボリックな我々への問いかけを見逃さないほうがいい。 実在へ目覚めた者たちに対して、次のステップとして、このコースが用意されつつある。 それとコースに関心を持っているということは、わかりやすく言えば縁があるということ。 だからキリスト教的世界観云々は気にする必要はない。 ただ、今、たった今この時点でやるべきことをやっていればそれでいい。 今やる必要のないこと、できないことはやらなくていい。 ここにいる人たちにとってコースは必修だが、それをいつ始めるかは各自で決めることができる。 目覚めた人からコースに着手するとよい。
日本人には「分離」の感覚もピンとこない 西洋人のように個人主義じゃないし 神仏や霊や自然や他人と無意識のレベルで繋がっている感覚がある (日本人は他人の目や神仏の目を気にするんだよねw) 感覚的な違いが大きいよな 神のイメージも違うから神から分離した(失楽園からはじまる) 「罪悪感」もないwだって分離してないから この辺の感覚的な違いがあるし 肉体や私たちが見る世界は存在しないと言われても… またオカ話だけど東洋人って腹(丹田)で生きてる(第2のチャクラ) 土に養ってもらったせいで(農業)大地に足がしっかりついてる でも西洋人のチャクラってハートが強いんだよね キリスト教が愛の宗教ってのもあるよな、日本人より土地に執着がない 狩猟民族だからね ACIMはよくできてると思うけど、何か腑に落ちないってかピンと来ないのは なぜだろと疑問に思うが、明確な説明ができなかったんだけど 頭ではなんとなく理解できるけど、感覚的にしっくりこないw
>>952 心の安らぎが目的なら、ワークなんてせずにぐっすりたっぷり眠ればいいじゃん?
地に足がついてるってことは肉体の意識が強くてね 命に対する現実感覚ありありなのw クリミナルマインドってアメリカの人気テレビ番組があるんだけど (勿論娯楽だから誇張してあるんだけど) 向うのシリアルキラーの本なんか読んでても 命とか生きてるって感覚が薄いってか凄く観念的なんだよね 頭の中の妄想が暴走しているって感じ ハートが開いていればいいけど、そうでないと妄念が暴走しまくり 日本じゃあまり起こらないことだ
日本人ってのはいい意味で地に足がついてて現実感覚があり アバターに出て来る異星人じゃないけど大地(自然)と繋がっているし 他の命とも繋がっている、切り離されてはいない(分離)してない ハートのチャクラは西洋人よりは強くはないんだけど (向こうはチャリティーとかボランティアが盛んだ) 西洋人よりはバランスは良いんだよ
西洋人は個人主義、土地に執着のない狩猟民族というのも乱暴だと思うがなw 特にイギリス。
962 :
神も仏も名無しさん :2013/02/14(木) 21:02:34.26 ID:ToTChU7z
ACIMはアメリカで生まれた
香咲弥須子さんがかつてそうしたように、 聖霊に対して、私を指導してくれる肉体を持った先生を遣わせてください、 と祈ってみるといいよ。 香咲さんも先生との出会いによってその後コースを実践できるようになった。
>>958 前提として、自分は分離していないという感覚があるなら
そりゃACIMは無用だよ。その部分に、そしてあなたの師匠が
教えてくれたという全てに対して疑問を差し挟むことはできるか?
そこが分岐点であり、ACIMのスタート地点だと思う。
学習者の皆さんは腑に堕ちてるのか? 私の場合別の方法論をインストールwしてしまったので 余計違和感があるってか 分離→罪悪感の感覚はなくても 自我がつくりだす幻想(妄念)これは誰にでもある 自我の檻から抜け出すために座禅組んだり色々するのだから
>>965 別にACIMだけが道でないからね。
知覚の修正をする必要のない道の方が多いような
気もするが、そんなに詳しくないから語るのはやめる。
ちなみにACIMの分離→罪悪感というのは、分離をしたことに
対する罪悪感ではなく(エゴはそう説明するが)、本当は
分離状態を守るための、防衛としての罪悪感。
で、その罪悪感はどこにあるかといえば、本当は内にあるのだが、
投影されて、それが今現在のこの世界であって、日本人から見れば、
中国や北朝鮮が色々と罪悪感を表に出してくれているではありませんか。
>分離状態を守るための、防衛としての罪悪感。 自我は消えたくない自我の防衛ってやつね だから自我は牢獄になる 釈然としないのは…肉体は生まれなかったし存在しない あとはこんな世界は神の被造物ではなく自我の幻想だってところ 確かに理解できるんだけど 肉体があってこの大地wに生きている実感がないと 人間狂ってくるんだよねw今若い人にそういう人増えている 多分ゲームとか漫画とかの影響なんだろうけど カルト教も現実離れした漫画のような世界観を構築して それを信者間で共有している その想念の場(妄念)を離れて見ると実に下らないんだけどw 一旦その妄念に飲み込まれるとその世界観という色眼鏡で世間を見るようになる アメリカのシリアルキラーの犯罪を扱った(FBI捜査官のプロファイル)なんかを読むと 現実感がない観念的な犯罪なんだよね リアルに男女のもつれで憎たらしくなってっていうならわかるんだけど 完全に別世界に逝ってる感じ 多分私たちも↑のうな狂気を共有しているんだろうけど 己が心からわき上がる想念の海に溺れていることに気づいてないのだから
想念ってのはイメージだけどオウム貝のように何重にも巻き巻きしている これが重なればなるほど闇(病み)が深くなるんだよね 心が暗く現実感がなくなってくる、
気のレベルで見ると狂気のパターンにもいくつかあるんだけど 病院のお世話になるほどじゃなくても ↑のようなパターンが増えている 例えばお百姓さんのように耕して種を巻いて稲を育てて(水の管理など) 実った稲を刈り取ってという仕事をしていると 日々の「今」の積み重ねが収穫と言う結果を生むので 現実感覚が失われ難いんだけど 今やっていることに気持ちを入れるか入れないか?上の空でやったら 駄目なんだけど
肉体も世界も幻想だというと誤解が生じるというか ああだめだ何かうまく言えないww
オウム貝じゃなくてアンモナイトだったw どーでもいいけどスレ汚しスマソ
一応レスしておこうか。
>>972 あなたの心の中にあったのだけど、
ルパンが盗んでいきました。
979 :
神も仏も名無しさん :2013/02/16(土) 00:22:22.85 ID:haVaFHAk
罪悪感や恐怖はどこから来たのかというと 神から離れることを決めた時に 神から分離してしまった!!という恐怖が (実際は離れてないんだけど) 心のトラウマやショックとなって 罪悪感や恐怖になっているらしい。 離れるときは泣き叫ぶ赤子のような状態なのだと。 赤ちゃんの時にお母さんから離されるような恐怖なのかも。 ちなみに…今日読んだゆるすことって本に1度や2度ではなく 許し続けることって書いてあって絶えず忘れないように 許し続けるのがコツなのかもしれん、と思った。
テキスト31章セッション8、2,3に「試練とはあなたが学ぶことに失敗したレッスンが再び 提示される。」と書かれてるけど、現実から逃げても試練が再びやってきて、選択しなおせ ざるを得ないということか。クズクズ問題を先延ばししても逃げきれず向かいあえという意味か。 ニューエイジぽいな。
>>979 赤ちゃんが母親から離れようとする心境が分からない
神の子が神から離れようとする心境が分からない
自分は生まれる前の記憶がちょっとだけあるw 神の国だか天国だか知らないけどそこにいた 自分でこの世に生まれることを決めて何か「神さま」的なもwと 約束をしたのを覚えている 皆自分の意志で生まれて来たんだと思うよ 無理やり連れて来られたんじゃないそれだけは確信している
現実は学び(レッスン)のための場で なぜ人間として生きることを選んだのかはわからないけどね ACIMは合う合わないはありそうだけどw 現代人向けであり古典的でもある素晴らしい方法論だと思うが 現実感覚を無くして観念的になり過ぎるとちょっと問題あるかもと 個人的には思っている 自我ではないスピリット(魂又は神の子)として生きる人が増えれば この地上も平和になる(てか今危機的状況だから波動の底上げが必要なんだろう)
ワーク137まできたけど、このへんのワークの指示は曖昧なことがあって戸惑う 主題概念に10分を捧げろってのは瞑想しながら主題概念に関連することを色々考えればいいの?
>>983 またゲームをやりたくなって始めてしまったってのと同じだと思う。
確かに色々とゲーム内でのことを学ばないとゲーム内で点は取れない。
しかし幾ら学んでもこのゲームの中でしか通用しない。
夢の中で学んだことは夢の中でしか意味を持たないのと同じで、夢が終われば全ては無価値になり消滅する。
でもねエルム街の悪夢じゃないけどw こんな現実(ACIMで言えば夢幻)嫌だから醒めろと強く思っても 中々醒めるもんじゃないし、どんなに嫌でもこの現実からはじめなきゃならない 魂の成長はゲームで点取るのとは違うw↑にも出て来たけど 波動にスコア(点数)とか(ゲーム脳って奴?…) 不平不満は神への攻撃だというレッスンがあったけど本当にそうだ 子供ってのは「万能感」があるんだよね、何でもできると思う (凄く若い時ってそうだよね、まぁ現実を知らないってのもあるけど) 禅病の一種で魔境ってあるんだけど ちらっとリアリティを垣間見て(神秘体験をして)「俺は悟った」「俺は神だ」って なってしまう奴カルト教祖とかに多いんだけど 子供ってのは魂(スピリット)の記憶が残っている 実相(完全無欠・自己充足)の感覚が 先生のところには霊障とかで発狂した人なんかが連れて来られたんだけど 「自分は神だ」とか「世界は自分にひれ伏すべきだ」的なことを喚いてた人が何人かいた 天上天下唯我独尊!の感覚ってかww 確かに実在のレベルでは(魂のレベルでは)そうなんだけど
>>986 訂正
子供は実相(完全無欠・自己充足)の感覚を記憶として持っている
だけどこの世この次元では、「縁起」と言って仏教用語なんだけど
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7 説明するの難しいので調べて欲しい
「お陰さま」の感覚というのかな?
自然や他の生き物や他の人や祖霊やら…によって今生きていられるっていうか
自分一人で生きてるわけじゃないって感覚
そうこれが言いたかった!w先に書いた「現実感覚」のこと
自分が中心(唯我独尊)なんだけど
その視点しか持ってないと危険なんだわ
どうせ自分が見た夢 自分自身も(肉体も)、他人も、この現実と呼ばれる世界も 全てが夢、幻想であるって 確かに中心(実相)から世界を見ればそうなんだけど この世の視点を忘れると、地に足がつかなくなり病んで行く危険はないだろうか?
いや…高速で何度か読んだだけなので 私の理解が至らないのかもしれないが(だれか詳しい人教えて欲しい) 現代病って言うか、若い人(中年でもいるけどね) 頭が漫画ってかゲームってか現実離れしている人が多い 脳内で過ごす時間が長くて、現実に生きてないからかもしれない 昔なら何でも手作り手作業してたものを 腹が減ったらv弁当やコンビニ行けばいいし、外食も色々ある でも昔は飯を食うためには、畑を耕して…からはじまって 脱穀して米を研いで炊いて、口入るまで何行程も必要だった 着実に今やっていることをしないと飢えるわけだw 現実感覚を欠いた犯罪、観念的な犯罪、カルトに嵌る人も現実感覚がないってか 基本的な感性が欠けているか狂ってるんだよな
大丈夫。既に病んでいるから、その内容がどう変わろうが同じこと。 夢を見ている最中はそれが夢とは気づけないのと同様に、狂っている最中は狂っているとは気づけない。気づいたのならそこでその狂気は終わっている。
違和感の正体は↑だった
>>990 現実感覚とか「お陰さまで…有り難い」という感覚がないと
頭でっかちがおかしな人間ができあがる(気のレベルで見ると物凄く奇妙なんだけど)
宇宙人グレイ見たいな人類がマジで生まれるかもねw
原発の放射能と中国の汚染物質も手伝って(悪い冗談だけどww)
妄想エスカレーションスレはここですか?
幻想のスレにようこそ
>>980 そこ、学習者によって解釈が分かれるところ。
私はシンプルに、ここでいうレッスンとは「赦し」のことであって、
例えば、神や聖霊に割り当てられた具体的な行動のようなものでは
ないと見ている。
つまり「自分の中のあるもの(赦せないもの)を赦さない
うちは、必然的にそれが外側に投影されてしまう」のだから、
「現実から逃げても試練が再びやって来る」という表現でも
あながち間違いじゃない。
赦せないものを赦すなんてできるわけないじゃん。 ただエゴをあるがままにほっとくしかできないよ。
>>996 理屈はその通りだな。
でも赦せないものを赦せないことに気づいたら
赦せちゃったよ。
998 :
神も仏も名無しさん :2013/02/16(土) 20:06:33.23 ID:XkAdHOEH
ああ、それはあるかも。うんうん。
赦しは、幻想に対して使われる概念であり、真実は赦すことが出来ない(赦す必要がない)という話がワークに載ってる 後半についてはちょっとニュアンス違うかもしれないので、ワークの130から138のどれかを参照されたし いまざっと探してみたけどみつからメンゴ
1000 :
せんこ ◆ALDuc1GHMs :2013/02/16(土) 22:46:18.30 ID:DDumAuny
1000
1001 :
1001 :
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