952 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:03:51.42 ID:cuD5dxIN
>>951 いや、そういうことを話そうとするからオレオレになっちゃうんだよ。
テキストに述べられていることに限定せざるえない。
テキストという共に確認できる基準以外で話しても、オレオレのぶつかり合いにしかならないと思う。
>>946 あなたのようなテキスト主義が、
木を見て森を見ず、のような議論を作るのだろうと思う。
全体から部分を論じるには → 自分が作者になる必要がある。
自分の主観性を薄める作業が、論理性と客観性の追求。
>>952 そもそも話しの流れはテキストに沿ってないかもw
ぶつかり合いはあっていいしテキストもあっていいし、
それが世のため人のため私のための精神安定剤であるなら…
今日は
>>951が言いたかっただけなのが本音w
955 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:12:46.66 ID:wLOPZNzX
>>953 いや、彼は(こういう掲示板上での)文字媒体で有益な議論が出来るのは、テキスト準拠まで、という考え方なんだよ。
テキスト以上のことは認めてるが、師と弟子が会って相手の機根とか見つつ慎重にやるものだと思っている。
>>955 雑談は駄目なのか・・・
きびしーな・・・
957 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:27:32.00 ID:cuD5dxIN
>>956 いや、雑談でも、オレオレでもなんでもありなんだけど、
真面目に離したいなら、ここではテキストしかないと思うんです。
ただ、雑談とか、オレオレで、こうあるべきみたいな流れだったので、私見を述べたまで、別にオイラが仕切ってるわけじゃないで、好きにしてください。
958 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 10:28:39.82 ID:UrA2gvS8
テキスト教相判釈はもちろん妄想です。
天台智のおっさんもトンチンカンな分別三昧で恥を晒しよったw
で、それを妄信して、法華経サイコーの日蓮みたいなキチガイも出た。
だって、古代人が「如是我聞」つけて“書いたモン勝ち”なんだもん。
それをこねくり回すのが仏教オタク趣味。
ブッダがなんでテキストを残そうとしなかったのか?
パラドックスなんだよ、「仏教」は。
よーく、『法』を感じてみよう!
959 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:35:15.82 ID:cuD5dxIN
ほれ、こんなふうに
960 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:39:13.73 ID:wLOPZNzX
閻魔さんは、禅籍は使うけど、それに書いてあるような状況、禅籍が実際に用いられる場所に
身を置いたことがない人だと思う。なんというか、無邪気すぎるんだよな。
961 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 10:39:45.06 ID:UrA2gvS8
>>959 ブッダはなーんでテキストを残そうとはしなかったの?
962 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 10:42:54.71 ID:UrA2gvS8
>>961 あんたの勝手な妄想だけど、アタシに『邪気』はないよ。
だって、遊びなんだよ、人生は。
>>957 まぁそれを承知で殴り込みかけたのが実情であって、
本来カラスに指摘された通り物知らぬ俺の出る幕ではない。
でも漢字ばっかり並べて神妙になっても面白くないじゃんw
アホが醜態さらすのも無意味とは思わん。
まぁ場違いが居すぎても迷惑になるし、この辺で…
965 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 10:47:22.55 ID:UrA2gvS8
×
>>961 〇
>>960 あんまりマジにやってると、
ファウストみたいにメフィストにからかわれるぞw
966 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:47:28.59 ID:wLOPZNzX
相手の言葉から端をつまんで自分が言いたい事を表現するために使うから
たまに会話にならないんだよね。一貫性があるとも言えるが。
967 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 10:57:12.47 ID:cuD5dxIN
>>966 そうなんだよね〜
ようするにオレチャンかっこいって言いたいだけ、そんなことしてもしょうがない。
カッコワルいだけ
>>961 法華経の中のブッタはテキストを残させるような指導をしとるね。
>>963 ミイラとりのミイラが“迷惑になるし”とは随分と謙虚なことで。
>>955 >テキスト以上のことは認めてるが、師と弟子が会って相手の機根とか・・・
肝心の師がニセモノかもしれない。本物とニセモノをどうやって判別するの
だろうか。かれの主張にはかれの都合とか下心が隠されていそうだね。
>>966-967 みんな同じようなことをやっているよ。自分がやっているのに、
それで他人を批判したら天に唾するようなものだろう。
971 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:06:56.26 ID:wLOPZNzX
>>970 仏だとか神だとかのお話は昔から批判しあうものらしいぞ。
つか、利用されてきたというべきか。
>>968 言葉は真実でない。その場はそうであっても
実の所はほんの社交辞令w
974 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:18:03.65 ID:cuD5dxIN
テキストに依らないと、こういうことになっちゃうでしょ。
結局、
テキストに実の所はないってことですよw
>>974 どうして極端から極端に走るのかな。
あなたはオレがオレがの主観性を嫌っているように装っているが、
その実、自分の主観性に鈍感な主観主義者なのかもしれない。
977 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:29:27.60 ID:cuD5dxIN
>>975 実の所など、こんな所で話せましょうか?
少なくともオイラは、無理
だからね、本音の出所はブッタではなく・・・オレ、オレなわけよね結局。
>>977 そりゃオイラも同じで底にあるのは、
辛く厳しい物語かもしれん。
それをオブラートに包んでの苦かもしれんw
980 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:35:07.32 ID:cuD5dxIN
>>979 そうでなく実の所を話せるのは、聖者が信のある弟子と対面してでないと無理でしょうという意味ですよ
弟子「仏法のぎりぎり肝要の処を伺いたい」
↓
師はすかさず「かーっ」
こうですね
>>980 言葉上では話せるが実際の胸の内は己以外わからない。
また意識もしなければ、それが何かもわからない。
他人の過去を全て透視できるなら話は別w
そいいうのを、“馴れ合い”っていうんだよね。
宗教ってもいうし。
984 :
暇人:2012/10/08(月) 11:44:15.60 ID:l1X4ElHU
登山して頂上に至った時の【感動】を知りたければ
自分の足で登るしかないというのはあるだろうとは思う。
ヘリコプターで頂上に降り立ち、風景の美しさは味わえても
こつこつと自分の足で登った時の感動を味わえないだろうしね。
>>984 そう、
大乗とか小乗とかの乗り物で登山しても感動は薄れるかもよ。
「おまえ、ここまで歩いて来たんね!」
なんて言う奴には分からんだろうしな。
986 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 11:55:11.94 ID:cuD5dxIN
>>981 仏教的には実の所を聖者から伝承され自ら体得している聖者以外、実の所はわからないから
>>982 凡人の胸の内は妄想だというのが仏教の一貫した立場だと思いますよ
987 :
暇人:2012/10/08(月) 11:58:55.28 ID:l1X4ElHU
>>985 聖道門というのは北伝であれ南伝であれ、自分の足で登山しようという
人たちのモノで
私が親近感を持つ浄土門は、ちゃっかりとさ大船に乗って
らくらく対岸に渡るというズル。
聖道門のような感動はないんだが頂上の景色は味わえる。
>>986 典型的な「教師の握り拳はある」派ですね
988 :
神も仏も名無しさん:2012/10/08(月) 12:09:39.06 ID:cuD5dxIN
釈迦が自分の教えを文字に残さなかったのは、文字に出来ないってのもある
だろうし、それにとらわれちゃうってのもあるだろうけど、人が人に伝える
ってことを信じてたんじゃないかなって思ってます。
だから、対面じゃなくて文字だけのコンナところでも(w)伝えたいことを
伝えたいままに(ほんとに伝えたいことはテキストじゃなくてテキストに
出会えた時の感動や思いだとおもう)伝えればわしみたいな不勉強な者に
だって仏教は届くんだと思います。
>>987 ずいぶんとよろしい豪華船なのだろうか?w
これなら、中洲とやらの譬えであるかとも思うが、仏法テキストもいらんって事だな。
舵は他人まかせろってところか。
さて、船を降りてからが問題だな。
その浄土には太陽が沈まないだろうから、何を観に登るんじゃろか?
つか、このような議論ではなさそうだったな。失礼
991 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 12:29:40.64 ID:UrA2gvS8
>>986 >仏教的には実の所を聖者から伝承され自ら体得している聖者以外、実の所はわからないから
テキストによれば、ブッダはこう言っている。
『わたくしは内外の隔てなしに(ことごとく)理法を説いた。
完き人の教えには、何ものかを弟子に隠すような教師の握り拳は、存在しない。』
(大パリニッバーナ経2-25 中村 元 訳 岩波文庫p62)
<わたくしは“内外の隔てなしに”(ことごとく)理法を説いた。>
だが、戯論の消滅なるが故にブッダはなにも説いていない。当然だ。
ところが、「仏教」は分派闘争の歴史でもあった。
な〜んでかな?
ブッダはな〜んでテキストを残そうとはしなかったのか?
その聖者さんが実の所をわかっているとすれば、聖者ではない。
まあ、反応は想定内なんだけど・・・w
>>986 仏教的には正自覚者は、釈尊ただ一人ってことか
当然といえば当然だがそういうところは、神が作ったヴェーダ経典は随覚者つまり
正当な伝統に乗っている聖者から教わらないと意味が無いとするバラモン教と同じだな。
ただ、大乗は正自覚者である仏陀に成ることを目指す宗教でもあるから
正自覚者は、釈尊ただ一人っていうのは少し違うか
993 :
暇人:2012/10/08(月) 12:34:06.01 ID:l1X4ElHU
>>988 一致してない仏教もあるよ。
例えば「海一味」という考え方。
凡夫も聖者も五逆の罪人や法謗の咎人でも
大川、小川、いろんな川の水が海に入れば同じ味になるように
悟りに入ればいっしょだ。
ところで「梵網経」、
1.凡夫は戒律を実践する釈尊を尊敬するが、それは卑近な事柄だ
2.外道の62見を紹介し、如来はもっと凄い事を知っているから偉い
という二部構成には、なっているが、
仏教の戒律実践を称賛する凡夫より外道の62見が優れているという構成に
なってないのではないか。
994 :
暇人:2012/10/08(月) 12:37:50.78 ID:l1X4ElHU
>>990 そう至りつくせりの豪華船なので、
「そんな虫のよい話があるわけない」と疑いの目で見られて
たやすく対岸に着けるのに、滅多なことで信じて貰えないという意味で
【難信】でもある。
995 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 12:39:56.97 ID:UrA2gvS8
>>990 >浄土
浄土ってのは、まあ、つり餌ですなあw
996 :
暇人:2012/10/08(月) 12:42:02.00 ID:l1X4ElHU
>>995 そう。釣り餌。
これをギョーカイ用語に換言すると【方便】となる。
真実に至るための手立てと解釈されている。
な〜んだな、
俺が釣られたみたいだw
998 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 12:48:36.35 ID:UrA2gvS8
>>996 で、浄土で釣って、回向を信じさせて、一丁上り。
業報輪廻転生論への攻撃だが、反撃はどーなった?
こっちは高みの見物なんだけどw
999 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 12:55:34.32 ID:UrA2gvS8
回向と縁起の直接現実は両立せんやろ?
どーでっか?
1000 :
大滝秀治:2012/10/08(月) 12:56:18.82 ID:UrA2gvS8
親鸞!出て恋!!
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