仏教 議論スレッド 46

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576宝珠愚者@(規制代行)
>>572
>仏典中登場する「神」や「悪魔」をあくまで霊的生命体としてでなく
>「人間」としての「隠語」として解釈している点です
>そこがあの方の唯一の欠点です

いや、妥当な正しい解釈でしょう。
(そう見なすのは宮本氏に限らずです)

これは以前に一代にも指摘した通りであって、
素朴実在論による間違いなどというものではなく、
ほぼ明白な確定論といえるでしょう。
念のために以下に再掲しておきます。

仏典でいう「悪魔」とは五蘊と五蘊の性質に対する比喩的象徴(決まり文句)です。
本当に恐ろしい悪魔が眼前に出現してるというわけではありません。
ゴータマは五蘊と五蘊の作用こそが、
自身を真実でないものへと縛り付ける苦悩の根源と見なし、
これを悪魔と呼称しました。
まず、仏典であればこれについて例外はない筈ですので、
このように読んでいけば、経文にある象徴の背後にある真義に迫れるものと思います。
はい、 これがゴータマ自身によって明らかにされた“悪魔”の正体です。
(“魔羅”マーラと表現されたり様々ですが、すべて同様です)
577宝珠愚者@(規制代行) :2012/10/04(木) 18:04:48.90 ID:oeSvaGf5
 『「大徳よ、悪魔、悪魔と仰せられますが、大徳よ、いったい、なにを悪魔と仰せられるのでございますか」
「ラーダよ、色(肉体)は悪魔である。受(感覚)は悪魔である。想(表象)は悪魔である。行(意志)は悪魔
である。識(意識)は悪魔である。
 ラーダよ、そのように観じて、わたしの教えを聞いた聖なる弟子たちは、色を厭い離れ、受を厭い離れ、
想を厭い離れ、行を厭い離れ、識を厭い離れる。厭い離れることによって、貪を離れることができる。貧を
離れることによって、解脱する。」』(増谷文雄著『阿含経典 第一巻』筑摩書房-総説p58転載
/『阿含経典 第二巻』p230-231『相応部経典』23:11)

梵天勧請の逸話についても同様です。
説こうか否かを悩み、そして梵天から説かれるよう奨められる話の内容すべてが
自己の心の葛藤を示したものであって、仏教的(宗教的)な文学表現と見なすべきです。
尚、このことは何も悪魔や神々が存在しないという意味ではありません。

悪魔や神々が存在していることが分っているからと、
つい篤き信仰心から、当然の如く悪魔が神々そのものが顕れたものと思い込みがちになりますが、
冷静に読まれるようお奨めしたい。

是非、皆さんには、
増谷文雄著『阿含経典 第一巻』総説p57-64
を読まれることを強くお奨めします。