>>521 わかります。
>>568 >信仰=妄想、依存、偏見
確かに、
そういう部分を含みますね。
迷信は信仰の中にある・・・。
因みに神智学の道では、信仰心の必要は問われません。
逆に、“尊崇の念”や“献身の想い”は(一定レベル以上からは)進歩の妨げとなります。
この道では、聖典の偏愛をしない(ブラヴァツキーの著作であろうが何教の聖典であろうが)、
聖典読誦の習慣を説かない、尊像などの御祀りをしない、礼拝も説かない・・・。
神智学の歩みはオカルティズムの科学の基づくものなので、
信仰心がなくとも実行したことの結果はそのまま自分に帰ってくるものとして説かれます。