>>329 >
>>319 >>意識がニルヴァーナ境にありながら救済活動出来ないのですか…
>それはブッダでも不可能
どーして??
>>321 >仏となることは、監督やコーチになることを意味する。
>チームメイトではなくなるのさw
>だから、チームメイトのまま一緒にフィールドでプレイをするために、監督やコーチ就任を辞退するということだよ。
>何で解らないかな・・w
すべて大乗の勝手解釈(聞こえにいい具合に創作した)に過ぎません。
意識がニルヴァーナにありながら、普通に生活をしつつも伝道遊行(救済奉仕)
の生涯を送られたのが史実のゴータマの姿というもの。
一体、普賢行/菩薩行とその意味合いに何が違うというのか?
三昧の境地は、三昧を出たら終わりで日常意識に戻ってしまう。
けれども、完成者は日常生活に置いてもその意識状態を保つことができる。
つまり、意識がニルヴァーナ境のままで救済奉仕の活動ができる。
逆にいえば、ニルヴァーナ意識に到達しているからこそ、そこから大いなる慈愛が発露してくる。