>>339 >三十七菩提分法が大乗によって肯定されていたことがわかります。--中略--
>この広く肯定されていて三十七菩提分法を大衆部が否定して別の修行法を
>提唱していたとすれば記録に残っていそうなモノですが
>私は聞いた事がございません。
では、
ここに訂正して“否定した/破棄した”という極論は辞めておくことにします。
しかしながら、決別の意図は在家信仰者の扱いにあったわけですから、
在家にも可能なレベル内容をということで菩提分法そのままに取り込むことは辞めた、と。
(菩提分法の)エッセンスは持ってきた。そこから大乗的なアレンジで修行(六波羅蜜)が構築されていった・・・。