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暇人:
それと基本的な事ですが、漢訳されたとはいえ阿含経は
4,5cに梵語かガンダーラ語より翻訳されたのですが
パーリは、スリランカにもたらされた際に1c頃シンハラ語に翻訳され
衰微していた大寺(南伝分別説部の拠点)にブッダゴーサが5c頃に着た時
パーリ語に最翻訳されました。このあと南アジア諸国に伝播するのですが
スリランカでは8c頃に大寺は衰え、一旦消滅します。
12cにビルマからパーリを再輸入して最復活して以後、スリランカでは
大寺が主流となります。
パーリ相応部に対応する雑阿含は「根本有部律」との類似性を根拠に
根本説一切有部のものと推定されているわけですが、5c頃の大陸インドと
5c頃のセイロン島では三十七菩提分法が一般的な修行法だったことがわかります。
また初期大乗経典の維摩経も佛國品第一佛國品第一で「三十七道品是菩薩淨土」
(三十七菩提分法は、菩薩の浄土だ)と肯定していますので4c鳩摩羅什訳でも
三十七菩提分法が大乗によって肯定されていたことがわかります。
つまり4,5c頃ですと三十七菩提分法は、セイロンでも大陸でも上座部系統が
肯定し大陸の初期大乗で一番厳しく部派を批判した維摩経ですら肯定する
修行法だったわけです。
この広く肯定されていて三十七菩提分法を大衆部が否定して別の修行法を
提唱していたとすれば記録に残っていそうなモノですが
私は聞いた事がございません。