>>308 >そして私はあなたと違い、この逸脱故に大乗は史実の釈尊より豊かであり優れていると思っています。
>そして大乗の説く釈尊は史実の釈尊ではなく、大乗の釈尊です。
>法華寿量品などは、史実の釈尊にはっきりと死刑宣告を下し、永遠の釈尊という
>大乗流の豊かな釈尊を説いています。
本音、もしくは裏のカラクリが遂にでましたね・・・(苦笑)。
>>309 >>三十七菩提分法
>
>ところが捨ててないですよ
>37を大別すれば「止」と「観」になります。
大雑把ではある程度そうかもしれませんが、
果たして内容的には如何なものでしょうか・・・疑問です。
>とはいえ三十七菩提分法は史実の釈尊が説いた修行法ではなく
>部派仏教がまとめた修行法です。
後の分類や体系化はいいとして、
“三十七菩提分法”と称されている原始教団の実修行の内容のことです。
大衆部がこれを受け継いだとは考え難いことです。
>>312-314 >>312 >阿羅漢になったら輪廻を脱出したはいいが、それ以上の救済は出来なくなってしまう。
>大乗の行者は自分のことを阿羅漢と認識せず、よって「阿羅漢が出た」という自称・他称・報告もありえない。
>
>>313 >というか阿羅漢になるのは菩薩の死なんですよ。そこら辺、彼は全く分かってない。
何故、意識がニルヴァーナ境に留まり続けながら
外界で救済活動(救済という言葉は嫌いですが・・)ができないのです?
涅槃に入らずに救済活動をするのが菩薩だというのは奇麗事であって、
本当は、涅槃に入れるレベルではないからではありませんか?
もちろん、積徳梵行としての奉仕活動の実践そのものを否定しているのではありません。
いつも大乗側の話は奇麗事(耳障りの心地良い話)ばかり・・・。