269 :
神も仏も名無しさん:
見性も得られていないのに、知ったかするスレなんだな。
動物園のサル山状態で、もっと旨いエサ(ネタ)を投げろって我執状態かw
よい子の皆さんはこのサル山には入らないようにしましょう。
270 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 13:24:28.93 ID:s03xJbkC
>>269 いやいや、そういう体験は措いてテキストについて話そうというのが主な目的ですよ〜
例えば、釈迦如来は過去荘厳劫以来の佛の系譜から言えば1004人目のブッダなんだよ(現在は賢劫)で数えて四番目
で、一番最初のブッダは華光仏とされているが…このブッダは誰から影響されて悟ったかみたいな話しなんだな…
ちなみに釈迦の次は弥勒仏。それでも残り1995人のブッダ出現が予言されている
274 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 14:59:29.37 ID:s03xJbkC
>>271-272 そりゃ、誤解じゃないか?
釈尊は賢劫の千仏の中で四番目でしょ。
そんで華光仏は賢劫の千仏の中の第一で、一番始めの仏ではない。
じゃ、一番始めの仏は誰か? こう聞きたいわけでしょ。
そりゃ、問いが間違いだは。始めは無い。輪廻と同じ。
十四無記と同じだ。そういう限界、起点の設定こそ妄想というのが仏教。
275 :
カラスの唄 ◆S5WLCcUno2 :2012/09/26(水) 16:36:59.31 ID:h3kwKjcF
>>274 妄想全開なのは実の無い言葉遊びに夢中な
空理空論中論教患者の君らの方だと思うよ。
276 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 17:53:57.48 ID:tKz7oPIs
>>274 要するに、ここは菩提心も見性もない『仏教(テキスト)趣味者』ばかりで、
仏法の現観はありえない方々ばかりなんですね。
やっぱり、動物園の観え猿山じゃんw
いや、そうでもないよ。俺個人は瞑想したもん。
でも、瞑想による悟りは今世では無理と判断した
だから摂論宗的に教えの「薫習」
つまりは経典を読み
来世で瞑想に適合した身体とセンスを獲得しようと必死なんだよ
だいたい普通の人間が今生や来世辺りで悟れるわけない…
唯識仏教でも、中観派でも普通は何億劫も修行して悟るとされる
ミラレパのような密教行者はすでに悟りの下準備が出来ていたと見るべきだろう
279 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 19:41:02.58 ID:s03xJbkC
>>276 いや、そういう自分の体験から語っても、要するにそれを信じるか信じないかになるので、
テキストに基いて話しあおうという場だと思ってます。
少なくとも私の感覚では、ネットで悟ってるとかいう人で真っ当だったのは鬼和尚ぐらいでしたよ。
現実にはどうでもいいことは切り捨てられております。
>>276 このネット電子掲示板上に、《「貴方の」「悟り」(現観)》を表現して(示して、顕現して)御覧なさいな。
できるものならね・・w ( ̄ー ̄)ニヤリ
聖書とか仏典を書いた人が今の世の中を見たら何と思うだろうか?
釈尊は死んだ。
十大弟子も死んだ。
五百羅漢も死んだ。
龍樹も死んだ。
かの大学者も行者さえも死んだ。
誰も死から逃れた者はいなかった。
釈尊の教えは正しかったと思うだろうさ。
284 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 22:16:01.99 ID:tKz7oPIs
>>281 できません。
しかし、敢えて無理やり隔靴掻痒で(無分別の分別で)示唆するなら、
出て来たことばは、『時空際断』でした。
説明無用です。こんなこと自体がナンセンスです。
批判は覚悟しています。
今度は、あなたの番です。
285 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 22:54:43.77 ID:s03xJbkC
>>284 >できません。
え、まだ分かんないの?
彼が言いたかったのは、できないこと要求すんなってこどでしょ。
アナタの番はないは
286 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 22:59:37.24 ID:tKz7oPIs
287 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:04:10.93 ID:s03xJbkC
>>286 アナタはネットで本物の仏教を教えられる、
あるいは教えてもらえると思ってんの?
288 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:09:03.79 ID:tKz7oPIs
>>287 本物の仏教ってなんですか?
ここで論じている「仏教」とやらは、
単なるテキストであるに過ぎず、ニセモノであることを認められるわけですね。
289 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:20:58.68 ID:s03xJbkC
>>288 本物の仏教というのは、聖者である伝統の師から学ぶものですよ。
ここのはテキストについて話すこと、まあ偽物、紛い物ですな。
で、ネットで本物の仏教を学ぼうなんて無理だなんてことは真っ当な人は分かって書き込んでるんだって。
それを彼は言ってるんでしょ。で、説けるってんなら説いて、
説けないって分かったんなら、アナタの書き込みは愚問だって分かったでしょ?
290 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:37:52.73 ID:tKz7oPIs
>>289 本物 ⇔ 偽物 に『分別』している時点で、あなたが偽物(世俗)であることが分かります。
で、『伝承』とやらが単なる物語であることも当然です。
「万世一系の天皇」と同じ程度にね。
で、本物とは鰯の頭を信心するものだけに成立するのです。
仏法ではありません。
わたしは既に
>>284で応えています。
ボールはあなたがたのコートにあります。
>>289 ワシも彼を買い被ってたかも・・w
今のこのレスの流れの意味が解(判)らなかったら、
達磨と慧可の「安心」の逸話も解ってないってことだからね・・。
292 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:40:45.89 ID:NJG1abGi
twitterで、独り言で垂れ流してる分にはいいんだよ。でも、
こういう議論をする場で、立場もいろいろ違う相手と喋るなら、
それだけじゃ駄目なんだよ。俺らは達磨さんと武帝じゃないんだよ。
なんでこんな簡単なことがわからないかな……
293 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:40:50.34 ID:s03xJbkC
>>290 ハイハイ、単なる勝義、無分別主義ね。じゃ、アナタの書いてる言葉は分別じゃないの?
机とか遊びと同じだ。
まあ、好きにしてください。
オイラはもういいは。
294 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:42:33.50 ID:tKz7oPIs
たしかに、わたしは愚かでした(爆笑
撤退します。
295 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:46:15.06 ID:0f4Ui02N
ちと聞くが ID:tKz7oPIs って、
「遊び大王」か?ww
違うだろ?w あいつはこんなに馬鹿だとは思えないがww
296 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:46:47.10 ID:NJG1abGi
彼の中では、達磨さんは仏法を伝えたい相手に会うこともなく、
赤ペン先生でもやっていたことになってるのかなあ。
297 :
神も仏も名無しさん:2012/09/26(水) 23:48:55.89 ID:s03xJbkC
>>295 >>284での用語(術語)の選び方は「遊び=閻魔=摩訶迦葉悪玉論者」そのものかと思ったが・・w
*(摩訶迦葉のせいで上座部が歪んだとは、ワシも感じてるけどね・・w)
299 :
神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 00:03:57.74 ID:6JOFKOHI
>>298 wwwww 確かにww
「時空裁断」は、「遊び・・」の好むフレーズの一つだなwww
>>250>>255-256>>258 話を判りやすくするために、今から質問の形式を摂ります。
一代はどういうつもりで大乗をテルマによる仏説と主張するのか?
1.大乗はゴータマ仏からの時空を超えた感得テルマである。
従って、原始経典のゴータマの教えとは何ら違いなし。
2.大乗はゴータマ仏からの時空を超えた感得テルマである。
従って、大乗は原始経典のゴータマ教示の発展形である。
3.大乗はゴータマではない別存在(複数可)の仏からの感得テルマである。
従って、大乗も仏説(ゴータマの教説同様に)である。原始経典との教えの違いは仏の個性である。
4.以外の理由
因みに、
この私の摂るスタンスというのは、
“ゴータマによる教説以外を仏説とはいわない”というもの。
従って、神智学も仏説ではない(大乗も然り)。
尚且つ、
神智学文献(学徒による研究書ではなく)はゴータマとは異なる別存在の覚者(仏)
によって与えられたとみる。が、大乗経典、及び大乗教理の一部は高次存在の介入
の可能性は認めるものの、そのレベルについてはかなり不確か。
私の大乗批判は、ゴータマの教説ではないという意味と当然、その内容にある。
その理由(内容的批判)については、この後に投稿します。
>>266 >実は神智学側でいう「覚者方からの啓示」という形とも明確に構図を異にすると思うしね。
>もし同じ構図だと言ってしまうなら、大乗の先師達もまた、誰かから・どこかから啓示を受けた、
>と言わねばならなくなる。
神智学的理解では、
弟子の(自己修行によって)準備が整ったときに初めて“内なる魂”から、
或いは、高位の弟子存在や覚者からのインスピレーションが与えられる。
通常、殆どの場合、本人は必ずしも外部の高次存在による介入だとは、
知ることができない。これが霊的“閃き”という。
>>244 >「ゴータマの予言とか透視能力」が立てられるのであれば、
>大乗経典編纂者たちにも「瞑想力」があって、瞑想によって
>500年の時空を飛び越え、釈尊の説法を直接聞法し、大乗経典が成立した
>という話を立てることも可能ではないでしょうか。
架空の想定ならどうにでもできます。
けれども実際、内容が原始経典とはまったく以って異質なのだから、
そういう理屈は通らないでしょう。
>宮元啓一氏は「ブッダが考えたこと―これが最初の仏教だ」で--中略--
>この系譜に袴田憲昭氏などがおられるのではないでしょうか。
確かに、そういう部分がまったく無いとはいいません。
>>245 >しかし初期大乗は法華を出し、三乗成仏という一乗仏教を説きますので
>早い段階でアンチテーゼを脱したといいうると思います。
彼らのアンチテーゼは、上座部の出家集団である比丘比丘尼に対抗する在家信仰の確立であり、
これはそのまま修行(三十七菩提分法の修得)の放棄でもあります。彼らは、“修行せずとも解脱成
仏できる”ことを謳い始めたわけです。それがジャータカからアイディアを貰った“慈悲の実践”として
の菩薩行であって(ジャータカ自体が創作逸話です)、その根本精神は、ただひたすら“仏の本願に
スガレ”というもの(仏は大いなる慈悲を以って一切衆生を救わんとする本願を打ち立てている-とい
う解釈)。この場合の重要ポイントは修行の放棄、禁止であり、自己修行による自力解脱の精神性
は他力本願とは相成れないものとした。こうして、原始経典の説く菩提分法の自己修行と決別した
のです。
>>245 >しかし初期大乗は法華を出し、三乗成仏という一乗仏教を説きますので
>早い段階でアンチテーゼを脱したといいうると思います。
『衆生は仏の教えを受ける場合、どこまでも仏の本願を信じそれに随順するのみであって、自己の
修行に功を認めるような態度によっては絶対に真の仏果は得られない。これは法華経の方便品の
眼目であると同時に、後世中国・日本において唱えられた浄土教信仰の基調でもあった。』
(横超慧日著『法華思想』平楽寺書店)
究極的には、法華経を読誦するだけで勝手にこんな功徳が得られるなどと創作し、更には、「南無
妙法蓮華経」の題目だけで法華経読誦と同等の効果を得るものとしたのです。
もちろん、そういうことは有得えません。
『この法華経を受持し、若しくは読み、若しくは誦し、若しくは解説し、若しくは書写せば、この人は
当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳、八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、 八百の身の功
徳、千二百の意の功徳を得べし。 この功徳をもって六根を荘厳して皆、清浄ならしめん。』
(『妙法蓮華経法師功徳品』第十九)
305 :
神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 07:02:33.97 ID:mpxpN2Mc
306 :
神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 07:10:02.77 ID:mpxpN2Mc
>>298 オイラも似てると思ったけど、善意で他人と思いたい。
本人なら、自演みたいなもんでしょ。もう絡むなよ。
≫304
南無妙法阿含経がほざいてんじゃねえよ…( ̄∀ ̄)
308 :
暇人:2012/09/27(木) 07:44:31.17 ID:cJxK9Mh1
>>302 『サンユッタ・ニカーヤ』20.7.4-5について「釈尊の予言」と主張された。
私は【文献学的発想】に基づき後代の挿入説を提示した。
するとあなたはあくまで>「ゴータマの予言とか透視能力」に固執された。
これは【信仰的発想】なので、同じ【信仰的発想】である
大乗編纂者による「瞑想力」を立てました。
しかしながら、あなたは拒絶された。
ということはつまり、ご自分の信仰のみの正当性を主張され
他人の信仰は否定する立場であるということになります。
>>303 阿含にはほんの一例ほど在家で悟った例がありますが、例外中の例外で
あくまで出家した比丘だけに悟りは可能ですよね。
私は史的釈尊もそう考えていたと思います。在家は悟りではなく昇天を目指すモノ
なのです。この意味で大乗は釈尊からの逸脱であることに同意します。
そして私はあなたと違い、この逸脱故に大乗は史実の釈尊より豊かであり優れていると思っています。
そして大乗の説く釈尊は史実の釈尊ではなく、大乗の釈尊です。
法華寿量品などは、史実の釈尊にはっきりと死刑宣告を下し、永遠の釈尊という
大乗流の豊かな釈尊を説いています。
309 :
暇人:2012/09/27(木) 08:08:42.38 ID:cJxK9Mh1
>上座部の出家集団である比丘比丘尼
文脈からは上座部系だけでなく、大衆部系を含めた部派全体なのでは?
南伝派を指されているのであれば、上座部そのものではなく
上座部系の地方部派の分別説部です。
それと上座部の比丘尼は、あくまで在家ですよ。12c比丘尼サンガが滅び
それ以来、外形が比丘尼でも扱いは在家となつています。
出家としての比丘尼サンガが現在も継続しているのは大乗の中国・台湾の
比丘尼サンガだけです。上座部系統法蔵部の四分律を用いておらるそうです
>三十七菩提分法
ところが捨ててないですよ
37を大別すれば「止」と「観」になります。
四正勤・五力・七覚支が「止」。四念処・四如意足・五根・八正道が「観」です。
天台智は止観を説きました。止観を極めて摩訶止観を知るし
四種三昧という瞑想法に至りました。
この四種三昧を理の一念三千として、日蓮は事の一念三千として
「唱題」を明らかにされたわけですので、
三十七菩提分法による修行法が「唱題」に至ったともいえます。
また道元などは三十七菩提分法それ自体を説いております。
とはいえ三十七菩提分法は史実の釈尊が説いた修行法ではなく
部派仏教がまとめた修行法です。
ゴータマ教説の主眼はあくまでも自己修行であって、“わたしにすがったところで決して成仏するこ
とはできない”、何故なら彼らは修行しないからだ、と看破したのです。
かくして小乗経典と謗って、アーガマ(原始経典)を放棄した大乗から完成者(阿羅漢)が輩出しな
いのは当然のことなのです。
『比丘たちよ、だが、もし、比丘にして修習するに精進することがなかったならば、<わが心取著す
るところなくして、もろもろの煩悩より解脱してあれ>と望むといえども、その心は、取著するところな
く、もろもろの煩悩より解脱してあることはできないであろう。
それは何故であろうか。それは修習しないからであるといわねばならない。では、なにを修習しな
いのであるか。四つの熱心なる観想(四念処)を修習せず、四つの正しき精進(四正勤)を修習せず、
四つの意志力の修練(四如意足)を修習せず、五つの能力の修練(五根)を修習せず、五つの能力
の実現(五力)を修習せず、七つの観察(七覚支)を修習せず、また、八つの正しい実践(八正道)を
修習しないからである。』(『雑阿含経』10.8応説/『相応部経典』22.101手斧の柄)
ところでキミ、例えばマハー・ヴァッガを読んで阿羅漢になれましたか?実践して滅尽定に入ったと…
312 :
神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 11:00:15.65 ID:tFh4Y7tr
宝珠愚者がスルーしてる部分があからさま過ぎて頭を抱えた。
>>310 阿羅漢になったら輪廻を脱出したはいいが、それ以上の救済は出来なくなってしまう。
だから大乗の行者は菩薩に留まり最終的には仏陀になることを目指す。
仏陀は仏国土に座し、輪廻脱出後も救済できるとされるためだ。
自分には阿羅漢と聖者の境地の違いなんてわからんが、仮に同質のものであろうと、
大乗の行者は自分のことを阿羅漢と認識せず、よって「阿羅漢が出た」という自称・他称・報告もありえない。
313 :
神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 11:16:56.49 ID:mpxpN2Mc
>>312 というか阿羅漢になるのは菩薩の死なんですよ。そこら辺、彼は全く分かってない。
親鸞上人は「七地沈空の難」と言っております。
菩薩の第七地で、滅に入って涅槃し、普賢行を行わないという意味です。
『入中論自註』でも同じようなことを説いていて、それは『華厳経』や『金剛頂経』と全く同じです。
大乗の捉え方が、変な近代日本の大乗を薄めたような理解だから仕方ないと思いますが。
普賢行は世界宗教史上、もっとも崇高な理念だ
315 :
神も仏も名無しさん:2012/09/27(木) 16:16:00.67 ID:pMi7se1X