>>204 >単純な話、輪廻も認められない人もいる。まして感得など認める人は少数です。
>それを認める少数の一人が石飛先生で、
(その殆ど多くの)文献学者個人が、
内心で輪廻や感得といったものを信じていなかろうが、
そんなことはどうでもいいこと。
当時、どう信じられていたか?どう語られていたか?
それがどのような書かれてあるか?が、明確にできればそれでいい。
その記述そのものの内容を研究者当人が信じようが信じまいがなど関係がない。
寧ろ、何か特定の宗教的感情の元で処理される方こそ色眼鏡の悪影響がでるから辞めて頂きたい。
>アナタが挙げた文はどちらかといえば部派を指す面が多いと思います。
>その文は大乗を指すのではなく、空性から経典を読めず実体化、本質化、
>あるいは固定化する人を指しているでしょう。
ここで、「外道」とハッキリいってるでしょ!
弟子の説いたものだが“外道に由来するもの”といっている。
大乗の掲げる思想やら崇拝対象(諸仏諸菩薩・・・)がどこから(アイディアを)持ってきたものか?
それらすべては、バラモン・ヒンドゥーやイラン文化、ゾロアスター教etc.・・・などの外道や外教からですよ。
これらを全部、テルマ感得にしたがるのでしょうけれど・・・。
“文芸人によって創られ、詩文調であり、文辞麗しい”とは、もろ法華経そのものをイメージできるもの。
これこそ初期大乗であり、永期に渡って大乗の頂点に君臨してきた法華経そのものでしょう。