1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/09/16(日) 21:38:52.15 ID:brVfWxHw
『中論』17-20は対論者の説というのは、どうも誤読の可能性が高い。
『中論』17-19までは不失法を説く部派の説で、17-20から龍樹菩薩の説でしょう。
青目註とほとんど同じ『無畏』『仏護註』はもちろん、『般若灯論』も『明句論』も。
恐らく学者は仮設と空性の関係を理解してないのと、『明句論』対17-20の最後に対論者の詩句が挿入されているのに惑わされていると思う。
もうちょっと検討したら『スッタニパータ』『大智度論』とともに公開するよ〜
3 :
神も仏も名無しさん:2012/09/16(日) 21:45:26.17 ID:aX3AOW3N
「明らかに間違っているものを指摘してるだけ」という意識で叩いている時、
ひとは自分のことを「偏狭」とは思わないものなんだな、と宝珠氏に教えられた。
「白か黒かをはっきりさせているだけ」という認識なわけだ。
「偏狭」という語には「不当」というニュアンスがあるが、正当という自覚なら
せいぜい「厳格」ではあっても「不当」ではない。
かれは鏡を見たほうがいいと思うんだよなあ。
自分の考えを相対化・俯瞰した上でじゃないとあまり意味ないと思うけど。