>>336 いいえ、【妄想】です。具体的に指摘していこう。
1教師と生徒、牧師と信徒、成人と未成年という関係は上下関係であり、対等関係ではない。
ヨハネ君は、当初「先生と生徒」という関係ということを説明して、
女生徒の交際申し込みを拒否された。
「上下関係」があるのであれば、話はここで終わっていたが
女生徒の切実な深夜1時の呼び出しがあり、ヨハネ君は緊急性を感じ
教会の車で急遽駆けつけた。
この段階で主導権は女生徒側に移っており、外面的な「教師と生徒、牧師と信徒、成人と未成年」だけで
「上下関係」にあったと看做すのは、【具体的事実】を無視した【妄想】である。
2従って、生徒であり、信徒であり、未成年である女子生徒の自由意志による決定権は制限されており、
責任は、教師であり、牧師であり、成人であるヨハネ氏が全面的に負うのは当然である。
1で論じたように、事実に基づくと主導権は女生徒にあった。
女生徒が自由意思に基づいてせくすを望んだのは明明白白たる事実だ。
これに応えたヨハネ君は、教師としてはプロ意識に欠け、
教師失格の烙印や批判は妥当性があるとはいえ
若い男女の恋愛として見る時、「せくす・妊娠」は若い二人の共同作業であり
二人の責任である。
また最終的に産む産まないを決断するのは女生徒本人と、その保護者である親の意見が
最大に尊重されるべきであって、男性側は選択を女生徒側に強要できない。