>>903 >一つの考え方としてはいいだろうが、古代人にそれを当てはめるのは陥穽だ。
説かれたのは“完成者である仏陀”ですよ
(バラモン・ヒンドゥーの成就者もほぼ準ずる完成者と私は見なすが・・・)。
そして、
仏教以外はすべて完成への道ではない(仏教だけが唯一なる真理)
という偏狭的な姿勢に対しては、私からは以下の言葉を遅らせていただく。
『かれらは自己の道を堅くたもって論じているが、ここに他の何人を愚人であると見ることができようぞ。
他の説を、愚かである、不浄の教えであると説くならば、かれはみずから確執をもたらすであろう。』
(Sn.893)
『或る人々が「最上のもの」だと称する教えを、他の人々は「賤劣なもの」であると称する。これらのう
ちで、どれが真実の説であるのか。かれらはすべて自分らこそ真理に達したものであると称しているの
であるが、かれらは自分の教えを完全であると称して、他人の教えを賤劣であるという。かれらはこの
ように互いに異なった執見をいだいて論争し、めいめい自分の仮説を真理であると説く。もしも他人に
非難されているが故に、賤劣なのであるというならば、諸の教えのうちで勝れたものは一つもないこと
になろう。けだし世人はみな自己の説を堅く主張して、他人の教えを劣ったものだと説いているからで
ある。』(Sn.903-905)