そして、このそれぞれを以下とすると明確になる。
1.日常での「私」、普通の「自己」(仏教の仮和合存在)
2.「魂」、「識」(阿頼耶識/これも五蘊の一部)
3.「真我」(輪廻しない究極の本質自己)
仏教では1.と2.は、
その次元での存在は肯定して説かれている。
3.については無記です(存在しないとして否定されたという意見あり)。
そして今、話題として取り上げられているのは、
3.「真我」、ウパニシャッドの説く究極のアートマン存在についてですね。
また、議論において誤解されて困るポイントとしては、
「魂」は輪廻主体として仏教では認められているという点です。
ただし、これは恒常存在ではなく、当然、輪廻の終わりにおいて消滅する。
(輪廻終焉において仏教は「涅槃」を説き、ウパニシャッドは「真我」としての恒常アートマンを説く)
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