818 :
神も仏も名無しさん:
ちなみに837の後が『大智度論』に引用されていてとても本質的な話になってる。
『大智度論』で引用されるのは『スッタニパータ』そのものより編集前の第四章で、漢訳『義足経』の原本であるサンスクリット本だと予想されるけど意味はほぼ同じ。
それ以外に相応部、『勝義空性経』『中論』が引用される。
そこでは言い争わない無諍法が説かれていて耳が痛いが、それでもそれは仏教でないということは否定されない。
そして無我なのにどうして経典で「このように私は聞いた」というのかと反問され、それに答えて「私」というのは世間的言い習わしに従っていうとする。
さらに「一切法は空性である」「無我である」ということも、それを見解として持つなら六十二見と変わらないと説き。
最後に「聞く」ということなども何が聞くのかといった還元主義で何らかの基体や実体に還元できず縁起するのであるとし、その根拠として以下が引用される。
業が有り果が有る。業と果を作る者は無い。
この勝義は甚深でこの法はブッダが説かれた。[『勝義空性経』]
空でも断絶せず、相続しても恒常でない。
[業の]罪福も失われない。このようにブッダが説かれる[『中論』17-20]
全く私の所説通りで、君等実体還元論者や神秘家のいうこととは違うでしょ。