>>359 閻魔大師
そのような不可知論的態度という帰結に至る思想の場合、サンジャヤ・ベーラッティプッタではな
ぜいけないのでしょう? サンジャヤ師は不可知論的態度を「これが縁起と向き合う在り方だ」と
弁明したかもしれませんね。
また、サーリプッタ長老、モッガラーナ長老がなぜ、そのような不可知論的帰結に至っていた態度
であったサンジャヤ師を見限らなければならなかったのか?
それとも大師は沙門果経の存在自体に疑義を提出するとか?
基本的に、釈尊の教えに、「悟ったならば、還俗して、出家をやめて世間に戻って慶安に暮らす」
なんてものは見出せませんね。それは単に仏教とは根から無縁の、中国人的な儒教思想にルーツが
ある価値観でしょうね。
>>381 続き
彼ら二大長老のような方々ですら、釈尊の教えに出会う前には、サンジャヤ・ベーラッティプッタ
を悟った人と勘違いして彼に師事していたように、不可知論的な思考は悟りと勘違いしやすい典型
的な陥穽ではなかろうかと思います。後世に仏教の純粋性が薄れてくれば、サンジャヤ系の影響が
“先祖返り”を起こしてぶり返してきた派閥もあったのかもしれないと思いますよ。特にシルクロ
ードを越えてからは中国人が自分らの肌に合うように好き放題に実態を改変しまくりではないかと。
で、それ(中国人的儒教価値観)が肌に合う人が日本人にも多くいる。