仏教 議論スレッド 45

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34神も仏も名無しさん
>>16
そりゃ、その訳に問題ありでしょ。そんなことも知らないで、主張するなよ。
仮設、世俗として輪廻がないというのは、明らかに邪見だと、正にマッジマ・ニカーヤ(中部経典)でも説かれてるぜ。

十/十四無記の真っ当な解釈は二つだ。「人間」を人我を仮設せず、不転移を説くとする解釈。どうもこちらの可能性が高いと思う。その意味は以下。
http://www28.atwiki.jp/buddha/pages/28.html
単純に言うなら、仮設の人は輪廻するが、勝義では人などない。これが不生不滅の縁起。
この場合の不生不滅というのは、仮設として生滅はあるが、勝義では生滅などなく、不生不滅であるという意味で、恒常不変という意味ではない。
これが『中論』の八不で、『中論』の25章は生滅や人という仮説の戯論を寂滅へ導くために説かれるわけ。

もう一つは、「人間」と訳される言葉の原語は「如来」であり、解脱・涅槃された方の死後を問うのは無駄だという意味。

なんで、長部経典の『梵網経』がだめで、中部経典ならいいのか分からないけど。

その十/十四無記は、正に『梵網経』の六十二見の簡略版だぜ。そして、六十二見、十/十四無記という戯論を寂滅へ導くのが八不に他ならない。

これは恐らく説明しても理解できないから省くけど、上の説明も理解できないんじゃないか? そんなどうしようもない解釈を採ってるとなると。