十十十 カトリック+237十十十

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882神も仏も名無しさん
>>876
洗礼とは、その団体(群れ)に加わり、その団体をとおしてキリスト者として生きることだから
カトリック教会で洗礼を受けると、新約聖書のヨハネが説明しているように、ペトロを牧者とした群れ、
つまり、ペトロやパウロなどの12弟子たちが属しているカトリック教会という群れに加わったということだ。
その群れの頭はキリストであり、キリストの母であるマリアや新約聖書に出てくる登場人物、そして歴代の教皇、
及びアウグスチヌスや聖クララなどの諸聖人が皆連なり、天国からその群れが21世紀の今日まで続いているわけだよ。
君は、カトリックで洗礼を受けたことによって、この群れに加わることができたのさ。
だから新約聖書に示されている救いを、実際に教会で受けているよね。→秘跡

しかし、プロテスタントは教皇を認めない団体(群れ)だから、ヨハネが聖書で説明している上記の
「ペトロを牧者とした群れ=カトリック教会」とは明らかに異なる。だからプロテスタントでの洗礼とは、
そのプロテスタントの○○○教会という団体(群れ)に属し、キリスト者として生きることだ。
よってカトリック教会の群れと、プロテスタントの教会の群れとは、別々の群れだよ。
要するに、プロテスタントの団体は、キリストをかしらとしたカトリック教会とは、あきらかに異なった団体であり、、
19世紀以降創始された新興宗教までが、伝統宗教の「プロテスタント」を名乗っているから、その群れは何百にものぼる。
883神も仏も名無しさん:2012/11/23(金) 01:28:06.56 ID:LKxT6IsO
そしてプロテスタントでの洗礼は、カトリック教会に属することを意味しないから、当然新約聖書に示されている救いを、
実際にカトリック教会で受けることはできないから、プロテスタントで洗礼を受けた者は自力で救われるために努力を要する。
プロテスタントを称する新興宗教の聖霊派の教会の洗礼などは、天国につながる=真に救われるには確実性がないという
ことで、新約聖書がまことの教会であると保証しているカトリック教会に加わる方法、カトリック教会で再洗礼になったわけだろうね。
>>879は望みの洗礼と言われていて本人の希望が前提であり、洗礼とは入門の秘跡だから属する教会に届けなれば意味がない。

なおキリスト教を隠れ蓑にした宗教団体やカルト等などでの洗礼は、言うまでもなく洗礼として効力がない=無効。
(本人は洗礼を受けているつもりでも、それは洗礼ではないから、洗礼を受けていない状態に等しい。)