仏教 議論スレッド 44

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908宝珠愚者@(規制代行)
>>875
>んーなこたあ、ない。

であれば、いいんですけれどねぇ・・・。

けれども、
実際には“クリシュナムルティがあれば万事OK!”かというと、
そうはならないものと私は見ています。
では、ゴータマとクリシュナムルティの教え方の決定的な違いはどこなのか?

ゴータマの教えの場合には、
歩みにおける進歩の段階が説かれ、修得すべきものの体系がしっかりあるということ。
仏教学的な意味での体系化は遙か後代によるものでしょうが、
当時の原始教団においても(部派の教義ではない)原初の状態としての「四向四果(八輩)」と、
及び、実質上の「三十七菩提分法(道品法)」の体系があったものと推測されます。
これらがあることによって、出家はもちろんのこと、在家には在家なりの進歩が得られた。

しかしながら、
クリシュナムルティの場合にはこれらの“段階と体系”がスッポリとないのです。
尚且つ、“段階と体系”を持つこと自体に対しても否定的です。
私が危惧するのはこの部分なのです。

私が、クリシュナムルティは“目からウロコ落とし”の位置付けだとしているのはそういうこと。
ここに気付けないと、彼の絶対信奉者となる・・・。