1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
Ope:2012/07/12(木) 23:22:46.79 ID:U4bHsDy8
なんだかスレがすぐ終わってるな
今回もまた読めなかった・・・
3 :
473:2012/07/12(木) 23:29:59.72 ID:jcQN7P3C
>998
そりゃ中身先行でなく、表面的な体験や人からどう見られるか先行で、
理想を追求しちゃうからじゃないでしょうか。
やりすぎちゃったんですよ。
気をつけて、自分の意思で、好きなように生きて、責任をとればいいじゃありませんか。
その結果人から見られる印象が変わっても戸惑うことはないかと思います。
気をつけて、自分の意思で生きて、自分で責任をとる。結果を楽しむ。
それができないから人の意見の影響を受けてしまうのですよね。
4 :
安堂:2012/07/12(木) 23:31:15.10 ID:5ZDk0f1x
わたしは、もはや世にはいません。
彼らは世に残りますが、わたしはみもとに参ります。
聖なる父よ、わたしに与えてくださった御名によって彼らを守ってください。
わたしたちのように、彼らも一つとなるためです。
5 :
Ope:2012/07/12(木) 23:33:08.96 ID:U4bHsDy8
>>4 > わたしは、もはや世にはいません。
北斗にやられたか
6 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/07/12(木) 23:33:55.48 ID:X/lxeQC2
991 返信:ろん[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 21:52:22.26 ID:RCpmPQuZ [33/35]
>>990 言うことなんてないよ、おバカさん。。w
>そのたぐいろん害 あらし さん
では、おなくなるに ( ーノー)o/"Ω ポクポクポク…~~│Д
一如の一とは? きかせろ!岩陰の化けだぬきよ。
7 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/07/12(木) 23:38:22.23 ID:X/lxeQC2
992 名前:無しよ[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 22:06:36.33 ID:TD/lVTPm [3/5]
ろんさんってこの方にずっとくっつかれてるんですか?
993 名前:ろん[sage] 投稿日:2012/07/12(木) 22:19:14.29 ID:RCpmPQuZ [34/35]
金魚のフンみたいなもんかな〜。。w
994 名前:神も仏も名無しさん[] 投稿日:2012/07/12(木) 22:21:04.26 ID:+iJUQjG9 [2/2]
どうした? ぽったんwwwエライ気合入っとるな、今日はwww
>そのたぐいろん害 あらし さん
おい! ふんなくてはいきられない、ばかろんよ。
おい!聞かせろよ。柏の樹を。
8 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 23:40:24.26 ID:qLA8frBK
>>3 てゆか、何のけなしにお巡りさんにギクッとされると恐いしw
最後に仕事がお寺に繋がったんだけど、それまでそういうことだとは知らなかったし。
ただ、痛いのと死ぬ系の怖さを耐えてたんで、印象が変わってしまったのはそれであって欲しい。
9 :
神も仏も名無しさん:2012/07/12(木) 23:42:28.32 ID:qLA8frBK
怖いのは避けたいです。
10 :
Ope:2012/07/12(木) 23:42:31.00 ID:U4bHsDy8
>>933 > それに至る道はいろいろあるかと思います。
> それも「追求の果てに」以外にも「道歩いてて」という人も居ますしね。
至るわけではないが
どんなシーンかは関係ないな
話している時、歩いている時、電車に乗っている時、座っている時、休んでいる時
いろいろだわな
不遜な者を諭しても侮られるだけだ。
神に逆らう者を戒めても自分が傷を負うだけだ。
不遜な者を叱るな、彼はあなたを憎むであろう。
知恵ある人を叱れ、彼はあなたを愛するであろう。
12 :
Ope:2012/07/12(木) 23:47:09.85 ID:U4bHsDy8
> 「道歩いてて」という人も居ますしね。
道歩いていたら、重力がなくなってスキップしてしまうな
> 「追求の果てに」
あまり根つめると、エネルギーが大きくなりすぎるけどな
自分以外のものが全部なくなるとは
なにがどうなって、そうなるのか?
普通は自分が最初に消えないか?
それで自分を消せる道に入れるのか?
結果は同じなのか?
文をよく観れば判断もつこうが
その気も起こらぬ
誰か教えてくれないか
14 :
Ope:2012/07/12(木) 23:55:50.98 ID:U4bHsDy8
>>961 > その二人が目覚める前の姿を知っていたので、
> 目覚めたあとは
> 「この間まで人だったけれどもう人ではなくなった」
あぶない宗教に聞こえるのはどうしてだろう
15 :
Ope:2012/07/13(金) 00:00:35.67 ID:U4bHsDy8
>>947 > 真理はどこにある?
天地にある
かなりのオバサンだけどな
17 :
Ope:2012/07/13(金) 00:09:20.16 ID:ePWZwcfv
>>16 > 普通は怖くなることは無いですか?
普通、宗教は変なものばかりだから、怖いに決まっている
いや、気持ち悪いのほうかな
そうか、我おもう故に我ありの発想か…
そりゃあ…逆になるかもしれんなぁ…
19 :
473:2012/07/13(金) 00:16:04.70 ID:zdh6FT5w
ある部分は自分の行いが誰に好かれ誰に嫌われるのか経験則として理解している。
しかし、無意識には他者の批判は無条件に嫌う部分がある。その葛藤。
自分の振る舞いに無自覚であったうちはそれは生き残るために必要な部分だった。
自らの振る舞いに気づき、自らの価値判断に気づいていられるなら、自分で責任が取れるかもしれない。
例の安全装置とおさらばして。
>>13 以下完全に想像。
金剛経に、全体性という思い、全体性という執着という言葉があります。
社会への執着、個という執着、全体性という執着、そして執着がない。
これが順番というのは理にかなってるかも。
2番目から3番目になるとき、そんな感じかもね。
>>17 www
ショック有るけどスッキリしました。
ありがとうございます。
21 :
Ope:2012/07/13(金) 00:16:38.81 ID:ePWZwcfv
>>927 > 悟りは分離の幻想から醒めて私の他には何も無いと気づいている状態でしょうか?
友人は孤独感から求めて作っていたことがわかるのですよね
全てと共にあり孤独感が消えてしまうと、孤独感から人を求めることはなくなります。
22 :
Ope:2012/07/13(金) 00:21:15.17 ID:ePWZwcfv
>>557 > 孤独を好むようになる人もいるかもだな、悟ったら。。
孤独感が希薄になるので、気にしなくなるのかも。
23 :
Ope:2012/07/13(金) 00:23:12.74 ID:ePWZwcfv
>>20 > ショック有るけどスッキリしました。
どこかに入信でもするのですか
>>22 私は個人であると同時に、世界そのものだから
孤独を感じると同時に孤独が全く無いのだ
>>19 あー自分はマダマダですねw
よかったw
勝手に改造された某ライダーの気持ち解るとか思ってたんでw
ゆっくり落ち着きます。
ありがとうございます。
まだ生身だw
26 :
Ope:2012/07/13(金) 00:28:24.77 ID:ePWZwcfv
>>24 > 私は個人であると同時に、世界そのものだから
分裂症なのか?
> 孤独を感じると同時に孤独が全く無いのだ
怖いよ
変な宗教に入っているんじゃないか
>>19 最終的には「執着がない」って事にも執着が無くなるから
執着が有ることにも、執着が無いことにも、別に何にも思わなくなるよ
28 :
Ope:2012/07/13(金) 00:29:21.32 ID:ePWZwcfv
変な宗教というより
宗教は皆変だけど
>>19 全体性の執着が無意識の執着なんだな
そこは解る
それがなくなれば自分が残る?
複雑だな…
>>23 オカルトは興味無いんですけど、今は誇張された表現の無いえんのぎょうしゃの記述があったら見たいです。
オカルトパワーのように扱われてる部分のカラクリ的な物を持ってたんで、落ち着いたら続きを見たいです。
32 :
Ope:2012/07/13(金) 00:40:40.38 ID:ePWZwcfv
>>31 >
>>23 > オカルトは興味無いんですけど、今は誇張された表現の無いえんのぎょうしゃの記述があったら見たいです。
えんのぎょうしゃ・・・
いえんのぎょうしゃ・・・
無いえんのぎょうしゃ・・・
内縁の業者
早く籍入れたら・
> オカルトパワーのように扱われてる部分のカラクリ的な物を持ってたんで、落ち着いたら続きを見たいです。
カラクリ的な物を持っていた・・・
何もってたの?
>>19 やっぱり妙だわ
全体性、無意識の否定では自分は残らない
その考えならば納得ができる
34 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 00:47:08.75 ID:fj4CzJIq
ポったんが、落ち着いたと思ったら、今度はopeか?w
こいつらカエルか?w
大雨が降ったら、ゲコゲコ騒ぎ始めるwwww
まわりが違う=自分が正しいでは
お粗末過ぎるな
>>32 んと、興味があるのが
鳶は高いところに上がると力持ち的な部分で、実際に上がれば40s程度のパレットぶん投げます。
あとは庭掃除から続く塗りものと貼り物の仕事手順と、木の隙間からの枯れ葉の掃き出しから、かき集めの変更が倉庫業に繋がるのと
>>36 中間が書きにくいのですが、庭掃除手順の応用が、プログラミングに当てはめることが出来たので、面白そうかなって。
>>32 >執着が問題じゃないんだよね
>ここが勘違い
つまり、どういうことですか?
39 :
安堂:2012/07/13(金) 01:15:37.53 ID:ZQkk8p7N
わたしたちはキリストのために愚か者となっているが、
あなたがたはキリストを信じて賢い者となっています。
わたしたちは弱いが、あなたがたは強い。
あなたがたは尊敬されているが、わたしたちは侮辱されています。
キリスト教が説くのは隣人愛であり
愚か者、賢いもの、尊敬、侮蔑は存在しないように思う
そういう道も有りか?とは思うが自己愛に返るならば
本末転倒であろう
41 :
安堂:2012/07/13(金) 01:35:22.15 ID:ZQkk8p7N
>>40 隣人愛はキリストが説いたことの1つですね。
自分を愛するように隣人を愛しなさいと・・・
人を裁くなということですからね・・・人を裁けば自らが裁かれるですね・・。
世素という人がパウロはキリスト教を乗っ取った偽物と言ってるのも
あながち間違いではなさそうですね・・・。
42 :
安堂:2012/07/13(金) 01:38:56.61 ID:ZQkk8p7N
自己を見ることができる=妄想の中。
外界ばかりで自己を見ることが生じない=三昧・・・。
上が頭でっかちで自我優勢の状態。
下がその逆。遠離一切顛倒夢想。
>>42 >外界ばかりで自己を見ることが生じない=三昧・・・。
外界も自己も、もともと1つだぞ。
>>42 よくわからんが愛を離れれば
自己愛=隣人愛となり均衡する
しかし、その分愛の力は弱い
愛の力で全てを凌駕できるなら
キリスト教最強かもしれんな
45 :
473:2012/07/13(金) 02:08:16.12 ID:zdh6FT5w
>>33 自分の体や個人的な経験に執着していたのが、宇宙全体への執着になった。
ある意味神になったといえる。
しかし執着の対象が広がっただけでいまだ執着である。
そんな御伽噺。
この御伽噺の意味は、無より、私たちに近いからまだ何とか感じやすいというところか。
46 :
473:2012/07/13(金) 02:11:03.71 ID:zdh6FT5w
一切の希望がなくなると、味気ない現実に直面するように感じる。
しかし、味気ない現実というものこそ、希望があるが故の夢ではないだろうか。
一切の希望を失ったとき、直面するのは現実なのだろうか。
現実というものは、すでにある希望に対立する概念としての絶望という「悪夢」ではないだろうか。
希望を失ったとき、私たちが直面するものが何なのか、私たちは知らない。
>>45 執着から離れれば、自分に返る
自己=有り、他者=有りとなる
全てはイコールで結ばれる
離れない限りはイコールで結ぶのは
至難の業であろう
>>46 現実の中にこそ味がある
寿司を食ってるのに念でカレーを思い浮かべてては
寿司の味などわからぬであろう
49 :
無しよ:2012/07/13(金) 02:42:20.84 ID:a8UGjci6
>1
す…すれたて乙です…って今回は言っちゃいけない回ですの?
50 :
473:2012/07/13(金) 03:36:12.82 ID:zdh6FT5w
>>11 特に1行目がなかなか自分の観点では気づきにくいところです。
しかし、あえて諭そうとしなくても、キリストのために愚か者になった人の言説は、
キリストによって賢い物となった人々からの非難を避けられないでしょう。
非難されないならまだキリストのために愚か者になってないか、人々を傷つけないために加減して述べているかかもしれません。
非難との生き方については別に書き込みました。
51 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 03:47:32.61 ID:nl5WDFuR
このすれまだあったのか
>>934 拡大解釈ですね。なぜ信がいるんでしょう。たとえばあなたの返事。
これはなんらかのあなたの中のものを信じて発した言葉ですよね?
どうですか?まだ信が要る理由が知りたいですか?
まぁ体験について貴方が語ってた事はうろ覚えですからできたらあなた自身で思い出してください。
分析を介さず体験ならいくらでもありますよ。あなた自身もあります。
たとえば貴方が三歳の時おやつを食べて分析しましたか?
スタートと解釈するのは誰でしょう。
誰でもありませんとしか言えないですね。
全ては現象があるだけです。
>>938 はい出ましたね。これがレッテルです。
私はあなたの書き込みを観て二元的ものをみてるなと感じました。
たとえば
>>934。私は疑いの事など一切言ってないです。
なにを信じますか?と聞いてるのです。なのにあなたは疑いが
あるからでしょうかと言ってますね。これが二元的にみてるということです。
あと可能性がないと勝手に決めつけてますね。
無常ということをご存知ですか?
無常なるがゆえに変わることもできるのです。
それと自我にえらく執着してるようだがそんなものありませんよ。
投影の意味がよくわからなかったので調べましたがあなたの言う投影とは心理学で言う投影ですか?
もしそうならそうかもしれないですね。
私が目に付くあなたの書き込みは他ならぬ私自身ですから。
>>936 そうですか坐るしない。
只管打坐ということであればそうだと思います。
473さんにもともかく坐れと一言で片付くかもですね。
彼は知的な人間にありがちな思考が玉座を占めてるようですからね。
ただ坐ってないとき行住坐臥全ても修行ですよね。坐っている時だけが修行ならそれは二元的な始まりになりますよね。
やがてうまく坐れたうまく坐れなかったという風になりませんか。
自己を忘じ切る事など実際あるのでしょうか。
前にも書きましたが、
呼吸に気づいてる 心が漂いはじめる ハッと気づく また呼吸をみる。
全ての行程が修行ではないでしょうか。
私はろんさんや473さんのように難しい事は分かりません。
腹が立ったら思い切り味わいます。
めんどくさ!!!て思ったら思いきり面倒くさがります。
身体に痛みがあればその痛みを意識します。
それでも気が付けば思考や妄想してる事にハッとしますが否定も肯定もしません。
なん万回なん億回であろうが呼吸に戻るのみです。
私は何かになろうとしたりどこかに行こうとするのはやめにしました。
これだけで相当楽になりましたよ。
>>
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1341079100/859 すみません。
ご質問の内容が今ひとつ分かるような分からないような、
ぼんやりした感じです。
私の申し上げた「悟りへの執着」とは、
悟りを求める人なら誰でも経験する状態のことを言っています。
月を指す指を悟りだと思ってみたり、
月自体を悟りだと思ってみたり、
分からないけど何かだと思ってみたり、
「それ」とか「これ」のように認識してみたり、
などなど、その何かを認めようとする動きです。
自称悟り人はもちろん悟っているのですが、
悟っていることに気づいていないで、
悟っていると思いたいのかもしれません。
ただ、本当のところは当人でないと分かりません。
両者とも悟りを求めているという意味では同じモノなのでしょう。
(ご質問の内容を勘違いしていたらすみません。)
>>1 Opeさん、スレ立てありがとうございます。
たびたびすみません。
57 :
473:2012/07/13(金) 09:48:29.56 ID:zdh6FT5w
>>55 要点は2つです。
執着が残っている状態で、あくまでこれまでの経験を背景としてるとはいえ知的な理解で
悟りをわかっているように語るのはいかがなものか。
悟りへのイメージは自我が作るだけで、イメージがること自体がもう執着であるといえないだろうか。
なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶのが悟りという言葉の用法だったかもしれないということです。
悟りのイメージと、ただ言葉でしかない悟りと473は2つの全く用法の違う悟りという言葉を提示しています。
だけど473の説明が悪いのかamaさんはあくまでamaさんの悟りのイメージという意味だけで悟りという言葉を使っていますし、1番目のそれそのものであることと類推の違い
についてもお答えいただいていません。
もう一度休日に読んでいただければ、、。
と、いうのが要点ですが、、。実は今回のamaさんの語りで相当のことが明らかになりました。
全く違う軸でものを見ていますね。amaさんよく言えばぶれないけど、悪く言うと相手の質問の意図が見えてない。
58 :
473:2012/07/13(金) 09:53:28.93 ID:zdh6FT5w
>悟りへの執着
それについては私もそのような意味で述べています。
ただ、何に対しても執着であるということ自体が同じ働きであり、苦しみの元ではないかということであり、
悟りはそれがない状態を暗示しているのではないかということです。
そして悟りに執着するためには悟りにイメージ、希望を持つ必要があり、イメージももう執着ではないかということです。
悟りというイメージを捨てて、ここからはただ気づきがある。独り立ちする。
そういうことを473は述べましたが、amaさんには縁がないかもしれません。
というのも。
59 :
473:2012/07/13(金) 09:58:02.52 ID:zdh6FT5w
>amaさん 57 58続き
>自称悟り人はもちろん悟っているのですが、
悟っていることに気づいていないで、
悟っていると思いたいのかもしれません。
ただ、本当のところは当人でないと分かりません。
amaさんにとって悟りというのは私たちにとってあまねく愛のことなのかもしれません。
もともと全体とひとつなのだというようなイメージの、、。
愛のことを悟りって呼んでたり、もしくは悟りを愛していたり、、、うーん。
だとすれば473は愛を引き離す野暮言ってることになるのです。愛の人に、真の意味で愛を見出していないなら愛を語るなとはいえないのです。
愛はイメージや概念と共に歩む道ですから。
でも、その言葉をその用法ですると周りが変な影響受けることも事実。
全体と離れていないのですとか、愛という言葉を悟りと置き換えれば違和感ないんですけどね。
悟り、という単語を使ってしまうと、前述、前スレのような疑問を持ってしまうのです。
同じ疑問を持ってる人もちらほらいましたよね。
そして、amaさんが使う悟りという用法を別の意味で解釈してしまいます。473はある誤解をしましたし、他の人も誤解。
誤解せずその意図を受け取ってる人は少数でしょう。
同じ道を歩んでいる人じゃないとその言葉でその意図は受け取れないでしょうね。
(中身は473ほど難解な事を言ってないというか、難解さという属性そのものがないのに。)
473の歩むようなアプローチをしてると悟りにamaさんが使ってるような用法を見出すのは無理ですからね。ここまでお話を聞いてやっとです。
amaさんにとっては信じられないような意味で取ってしまう。それも悟りという言葉を当てるからじゃないでしょうか。
助けようとしてそれなら論外だけど、amaさんただいるだけだしねえ。
60 :
473:2012/07/13(金) 10:05:02.80 ID:zdh6FT5w
>>53 信じる。
という概念そのものが信じるー疑うの2元性なのです。
2元性とはそういうことです。
片方にとらわれるのではなく、その2元性全体に目覚め、抜け出す。
それから抜け出す方法は、方法というものはないのですが、その両端に惑わされないでいると
ふと抜け出ていたりするものかもしれません。
自分が何かを信じることで、無常の働きは阻害されるのではないでしょうか。
自分ががんばっているかぎりにおいて、その主体である自分は常にあり続けようとするのではないでしょうか。
61 :
473:2012/07/13(金) 10:20:00.39 ID:zdh6FT5w
>>53 何に信を置けばよいかというご質問への適当な表現がなかったのですが、
こういうことはできると思います。
たくさんの思考に頼っているうちは思考は移ろい、また相対性、2元性でしかない思考の元では、
自身を疑うことと、何かを信じることの間をさ迷っていました。
しかし、疑うことと、信じることが共に消え、自らが信そのものと分かれなくなったのです。
体験に惑わされば、甘美な体験が結局どこにたどり着くか苦い苦い理解があれば。
そして
疑うことと、信じることは様々な形で残っています。
それで473やってます。
473氏へ
>>13 >以下完全に想像。
>金剛経に、全体性という思い、全体性という執着という言葉があります。
>社会への執着、個という執着、全体性という執着、そして執着がない。
>これが順番というのは理にかなってるかも。
>2番目から3番目になるとき、そんな感じかもね。
頂いた空想のつづき
1番目→3番目
2番目→4番目
のように、並列に有るように感じました。
2番目を形作るのは1番目ですが、1番目から3番目への移行は、2番目が強要するような気がします。
式の様なものが2つ入って来たときの環境がセクハラとパワハラで、恐らく今の環境にその時の冤罪を抱えてます。
あるがままの出力を恐れてる?のが自分のなかに有るのですが。
進まなきゃダメなんでしょうね。
漫画ネタで申し訳無いのですが、蒼天航路の天下三分に繋がる劉備敗走と、究極のあるがままの張飛の"リクトウ"が、嘘っぽいですけどよぎってました。ここ見る前に。
あんなのは普通に考えて死んじゃうわけで…
63 :
473:2012/07/13(金) 12:12:34.86 ID:zdh6FT5w
>分析
473は表層意識やそこで認知される言語思考について語りません。
表層意識で認知できない無意識の判断、反応、世界認識についてだけです。
>相当楽になりましたよ。
最初は修行ですよね。
その理由が悟ろうという目的であるより、自分自身に心底うんざりしておりこのパターンから抜け出したい、
というものの方がより適切な理由だとは思います。
最初始めたころ、呼吸にただ気づくというのは大変なことではないでしょうか。
473にとってそれはただただ苦しみでした。
現代人はただ座るということが思考の面からも、感情の面からも困難です。
呼吸を見ることに執着したり、はじめから悟りのビジョンを見たいという欲望があったなら別ですが、
なまじ正しく座ろうとすると現代人が抱えている思考と、傷ついた感情がわきあがってくるので耐えられるものではありません。
耐えられないか、そもそもそこまでいかず、眠くなったり、ただただ退屈かで止まることも多かったと記憶しています。
相当楽になられたのでしたら、それはコツをつかまれたのでしょう。
楽になるものでしたら、もうそれは修行ではなくあなた自身のものになったのでしょう。
それはもう信条ではなく、信そのものではないでしょうか。
ただ、それは困難なコツであるがゆえに、それを表明すれば他の人がそのコツを受け取れるというものではありません。
方法としては473みたいな外堀から埋めるアプローチか、
その楽になった楽という自身の表現をしてそれど伝播させ、そっと呼吸へのきづきをそえておくことではないでしょうか。
楽になった感じそのもの表明するのはいいですけど、楽になった、と宣言してしまうと、自我が、自分の力で自分を楽にできるのだと覚えてしまい、
本来機能していたコツを忘れてしまう危険があります。それを表現するのはそれを成長させるでしょうけど、直接言語化して表明するのは本人にとって危険なのです。
64 :
473:2012/07/13(金) 12:22:54.47 ID:zdh6FT5w
>>62 意図としては最初は右で、それで今私たちは一番左まできちゃったので、右にどうやって戻るんだろうというような空想です。
右から順番に
ない>私は宇宙そのものだ>私は自分の体と経験に執着している>私は様々な価値観にばらばらにされていて自分の反応をコントロールできない
と執着が増えていったという仮説。
執着する対象は広いほうがいい。
狭ければ狭いほど執着の対象が壊れる危険が大きい。
体にこだわらず宇宙に執着してるのなら、心配事は宇宙の消滅だけになる?
執着の対象を広くするというのは、結局順次より狭い執着の帰結を理解して、
執着が良いと思ってる無意識に気づいて、ああそれは苦痛の種だと理解して、
手放されることで、ベースとしてそもそもあるより広い執着があらわになるだけですね。
>>63 >>分析
>473は表層意識やそこで認知される言語思考について語りません。
>表層意識で認知できない無意識の判断、反応、世界認識についてだけです。
これはなにかの冗談ですか?
「表層意識では認知できない無意識の判断、反応、世界認識」について「語る」とは、
どうすればそんなことができるのですか?
語るというのは表層意識の働きですが。
「表層意識が認知できないもの」というけれど、語れるということは、表層意識で認知できてるじゃないですか。
認知せずにどうやって語るのですか?
できる方法は、まあ実はあるんですけど、あなたそれがわかっていて、しかも自在にできるんですか?
>>65 其処は元々自在ですね。
自在性を失うものの1つが利害です。
>>64 純粋に手放すというのはしたこと無かった気がしますね。
収める=留保+知識−無意識の忘却
うーん…
68 :
473:2012/07/13(金) 13:11:52.82 ID:zdh6FT5w
過去ログにいろいろありますが、、。
そういえばついて、は語ってないですね。
無意識の枠内にある自我が、無意識に名前をつける、その名前にその自我のイメージがこめられる。
それは徒労です。
みたいな話をしたり、2元性の両端を見てどっちでもないよといったり、
ついて、というよりそれに目覚める仕掛けの創設ですね。
と、それにいかにとらわれているかの日々の観察日記です。
あらゆる間接的な方法でそれを試めました。
63の元の意味は、言語思考がないからって、非言語思考、感情、執着、欲望の群れ(まあ区別の意味はあるようなないようなですが)
がきっちり反応して分析して体験してるので、それのパターンに気づき、それがまずいものならやめましょうと、そんな話です。
また
無意識の欲望のひとつが表層意識となる。表層意識で言語思考する。表層意識担当の人格はころころ交代する。
表層意識で、無意識の欲望を自覚する。言語思考ではないが、解釈可能。
表層意識で、無意識の痛みを自覚する。何を苦しんでいるのか、何を欲しがっているのか、わからない。
表層意識で複数の無意識の矛盾する欲望を感じ混乱する。
以下、表層意識?意識?が広まるほどに見えてくるものは増えますね。
表層意識が無意識の欲望にのっとられてころころ変わることも減ってゆくし、それを自覚できるようになります。
見えなくても働いているのが、問題なんです。
しかし、ちょっと適当なことをいうと、問題ですね。
>>68 あなたがそれを自己分析においてのみやっているのなら別に問題はありません。
気が済むまでやればいいし、そうするしかやりようがありません。
が、あなたがあなたの自己分析を他者にそのまま適用することについては、
無駄を通り越して害悪ですからやめたほうがいいでしょうね。
他者が自覚していない悪意を言語化して相手に伝えることは、
あなたがそこに悪意を新たに創造して相手に与えることに他なりません。
あなたは世間によって自分にそうしたさまざまな思い込みを植え付けられ、
それが無意識にたまって自分を苦しめていると思っているのかもしれませんが、
あなたもまた、そのようにして他者にいらぬ思い込みを植え付けていることになります。
白旗揚げながら全力で突っ込むに決定。
槍のごとく。
不意討ち騙し討ちじゃ…とセルフなツッコミ有ったけど気にしない!
>>69 悟りと云うものを目指すなら、ヒントとして受け入れるしか無いですよ?
>>70 悟りというのは構造の究極的な理解であって、コンテンツは関係ありません
>>71 ?
コンテンツは構造の一部、又は区画です。
だからヒントね?
>>72 コンテンツにとらわれすぎだと言っているんですよ
>>74 14:30には出かけます
返信するとしたら夜になります
76 :
473:2012/07/13(金) 14:21:20.41 ID:zdh6FT5w
>>73 悪意?
私は人の持つ善意について語っています。
主観の善意が、他者にとっては悪意に。その他者の善意も、別の他者には悪意に。
投影する人はみんないい人ですよ。
アルカポネやスターリンみたいに善い人です。
善意はもたないようにしましょうね。悪意がセットでどこかにありますから。
>>72 >コンテンツにとらわれすぎだと言っているんですよ
舌の根の乾かぬうちに、473に473はそういう人間なんだと思い込ませても仕方ないので、
根本的に話題の軸を変えるしかない。
しかし473があなたに、あなたからみても、多分私から見てもあまりよろしくない影響を与えてしまったのでしょうか。
私たちはわかることができないのだ、コンテンツにとらわれても仕方がないのだということを無意識全体で実感するための
揺さぶりというのが元の意図なんですけど、逆にこれでいろいろ考えさせられてしまうというのはあるかも。
考えさせられてしまうということ事態が、コンテンツにこだわらず包括的な究極の理解に向かう準備ができていないということも
意味しています。そういう時は外部の刺激を利用したほうがいいかもしれません。
473はただそのつど創ってるだけでそういうことを考えているわけではないのです。
>>75 じゃあ先ずは簡単に。
貴方か71に書いてるように、構造出しかないので価値観を単体で持つものでは無いと思います。
主観(善悪)に囚われず、理解のために受け入れなければ、式又は構造の作成は出来ませんよ?
>>76 善意を持たないようにしましょう、ということがわかっているなら
別に言うことはありません。私の出過ぎた意見でした。すみません。
だとしたら、あなたはこの場でなにに対して、あるいは誰に対して「創って」いるんでしょう?
そこがはっきりしないから、場が混乱しているように見えるのですが。
>>77 受け入れていないのは「誰」ですか?
また、あなたはなぜそう思ったのですか?
80 :
473:2012/07/13(金) 14:29:40.19 ID:zdh6FT5w
相手が悪いというより。
彼がよく、473が悪いと評価する価値基準と、それをする本人の必要性ですね。
無意識で働いている、逆に彼が悪く、473が良いという価値基準の葛藤もまたあります。
473がよく相手が悪いといってるわけでもないですし。
善悪はひとつのもので自分か対象がどちらかを受け持つようです。
>>80 彼というのは、ろんさんですか?
彼はあなたを「悪い」と言っていますか?
「わかってない」と言っているのだと思いますが。
前に善悪の文脈があるので誘導尋問みたいになってしまっているかもしれませんが。
「わかってない」というのは、単に見解の相違なので、そこをすり合わせれば良いだけの話で、
自分を守る類の話ではないと思います。
「わかっていない」と言われたことに対して、自分を守る必要性を感じるのだとすれば、
あなたは思考や記憶と自己同一化しているということでしょうか。
すみません、時間が来たので出かけます
84 :
473:2012/07/13(金) 15:14:43.23 ID:zdh6FT5w
>>82 価値観や基準が合ってこそ
わかるーわからないがあり
よいーわるいもある。
価値観、認識、理解があって、それに基づいて良し悪しの観念も派生するのでしょうか。
このへんまで突き詰めても仕方がない気もします。
同じ物事を違う言葉で語るか、
ひとつの物事の思考の面、感情の面を別々に語るか
その程度の違いじゃないでしょうか。
彼、というのはそのように価値観を必要とし、振り回される不特定の人間です。
元のトピックが「悪意」だったのでそれを引っ張ってます。
「良くなれ」は「悪い」ですしね。
85 :
ノスタルジア:2012/07/13(金) 15:23:02.07 ID:kGvjk0Tj
科学に思考が浸食されて、宗教の本来の発展が行き詰まっている。私たちは
本来の宗教を発展させなくてはならない。真宗がその候補の内の一つだ。
真宗の研究をするとき間違っても科学を題材として取り入れてはならない。
科学は科学の世界観、宇宙観があり、緑の宇宙街がある。宗教には宗教の世界観
宇宙観があり、緑の宇宙街がある。マインドに映し出されているのがこの現実
フィールド、見る範囲であるはずなのに、地球をいう科学的概念により、私たちは
全知全能になった気でいて、しかしまた模索しているのです。また逆とでも
言おうか、私たちは須弥山という概念で私たちの住む洲を捉えようとしている。
須弥山という考えは一般的ではないかもしれないが、地球は一般的概念である。
マインドが作り出した妄想が、「目的地」であり、もっと広く言えば、「行動」で
ある。現実世界の静止物にならなくてはいけない。具現化ばかりなのです。
そうではなく、本質の、マインド自体を捉えなければいけないのです。
マインドという概念は静止しているのではないですか?画面に、紙に映る言葉
が動かないように・・・。
86 :
無しよ:2012/07/13(金) 15:27:35.08 ID:a8UGjci6
>>59 >愛はイメージや概念と共に歩む道ですから。
クリシュナムルティー読んだ人の言葉だとは思えないんですが…
『完全なる虚空のなかに愛があります。そして愛とともに破壊と創造があるのです』
byクリシュナムルティー
愛はすべてのイメージと概念を燃やし尽くす
つまりその中で自我が死ぬんだよ
すっげえ苦しいんだよ
まあいいんだけど
87 :
ノスタルジア:2012/07/13(金) 15:28:41.80 ID:kGvjk0Tj
マインドの乱用は良くないことだ。マインドは神聖でなくてはならない。
神聖なマインドの乱用はない。概念そのもの、言葉そのものであるという、
法則があるのだが、知らない、分からない故に、第一のアセンションそして
無上正等覚という悟りには届かないと思う。ハートは意味深く、私たちは
マインドである以上にハートのことが分かったつもりでいると思う。
マインドもハートも心という意味だが、マインドが通常見るのが現実であり、
ハートは真の現実を見るのだ。現実界の静止仏(僕たち)は真の現実では
動く者である。有から無になると言ったら分かりやすいか?意味ってある意味
味覚ですよね。欲じゃないですか意味を知ることも、意味づけも。正見、正思惟
は方便って説があるように、私たちは真実を意味という味覚と言う名の欲から
判断していたのではないかと今書いている瞬間気付きました。
88 :
神も仏も名無しさん:2012/07/13(金) 15:30:37.05 ID:kX6ayz1m
妄念オッス!!
89 :
ノスタルジア:2012/07/13(金) 15:41:18.32 ID:kGvjk0Tj
脳で正思惟して目で正見している。しかしそれらはマインドの乱用でしかない。
二元性に支配されたマインドである。神聖なマインド自体に立ち戻り、静止仏
になるべきだ。マインドはハートに服従している。正思惟の対象がハートで
あります。しかし意味を求めることは欲である。ハートの意味を求めること
から逃れるべきであり、ハートは動く者である。ハートを正思惟出来ない。
動く者は正思惟しない。動く者は正見はする。正見と正思惟が方便な理由は
その二つで乱用するマインドにおいて一セットであるからである。ようは固定
である。とにかくマインドの乱用から神聖なマインド自体に気付き、それが静止仏
でありハートにマインドが服従していることに気付き、ハートは動く者である
と気付くことが順番である。簡単なようでいて、この順番は難しい道のりである。
爆弾的というか、怪物的思想を皆にこのように提示したい。
わかんないしw
91 :
473:2012/07/13(金) 15:48:29.39 ID:zdh6FT5w
>>82 あなたは思考や記憶と自己同一化しているということでしょうか。
むろん、しています。無意識がありそれは自己否認に反応しますし、また善意の人は助かる方法を教えてくれるので、
ときに魅力的なそれに賛成もせず反発もしないというのはやはり微妙な話です。
(ちなみにわかっていないのが悪いなら、わかっているのは良い、そういう意味で良し悪しはすべてのマインドの属性かと思います。)
それはそう生易しいことではありません。無意識があることは自動的にそんなものだと思います。
このスレの最初のほうにテーマとしてあげています。
>78
そしてそのあたりに目的があります。
混乱を露にしても、増やしたりはしていつもりです。
しかし、あなたみたいに話の通じる相手と話している暇はあまりないと感じています。
私でもあなたでもなく、たとえば「ある段階に達した人」がいたとして、
「ある段階に達した人同士」で生活していたらどうなるでしょうか。
基本的に幸せでしょう。
みな自分の苦しみを他人に投げつけて苦しめあったりしないので、自分の中にある苦しみの種を追及する動機がないでしょう。
苦しまないでしょう。目覚めるきっかけがないでしょう。
基本的に自分をえぐるような考察は昔からやってるので前スレから追えばこの狂犬の軌跡が大体見えるんじゃないでしょうか。
それよりさらに真に迫ってる指摘というか473を捕らえた一句ができたらぜひ見せてくださいね。
それはあなた自身の自己理解の副産物だと思いますので美しいものでしょう。
92 :
無しよ:2012/07/13(金) 15:50:57.92 ID:a8UGjci6
>>87 前言撤回だ
ノスさん…すげえ
そうだよね
そう思う
すっごいまとまってて当を得てる
意味論は爆弾的だからね
自我が爆破されちゃう
93 :
473:2012/07/13(金) 15:54:41.22 ID:zdh6FT5w
>>86 愛の道の愛。愛の道は想像と共に歩み自我の存在を気にしない。
悟りを愛しているのならそれは愛の道。悟りにイメージを持つなとは言えない。
なるべくみんなの見えないところでやるべきで、口数が少ないのは知恵。
瞑想の道の愛。想像のない虚空で愛は香る。愛は自らそのものでありそれを想像することはない。
こちらは自我が前提になる。
94 :
ノスタルジア:2012/07/13(金) 16:08:08.77 ID:kGvjk0Tj
>>92 読解力あるんだな〜ありがとうございます(笑)
興味あることをみんな書いているのは同じだなたぶん。
書くのは楽、読むのは苦であればいいのに(汗)
批判してもないのに
批判と捉える者がいる
自意識過剰の病気である
全て他責で自責の念は皆無
相手の立場に立つことが不可能ゆえに
自分の土俵に引きずり込もうとする
できないなら、できないと言え
悟るどころの話じゃなかろ?
まず相手の立場に立てる普通の人間になれ
473よ
善意のアドバイスさえ
深く傷つき
烈火の勢いで激しく怒る
わが国では、それを精神疾患と呼ぶ
473は、ただの病人なんです
それ以上でも以下でもありません
97 :
473:2012/07/13(金) 19:10:00.83 ID:zdh6FT5w
473はなんか言う事は達者だ。
それでいて、無意識で、混乱していて、狂っていて、それを意識している存在だという。
じゃあ、私はいったい何なのかということになる。
だから、自分が無意識で、混乱していて、狂っているという事実と向きあう準備のできていない自我が、
どのように473という影響を処理しようとするかは、
想像に、想像に、想像できてなかっただろ。
知ったかぶり推奨、謙虚厳禁。
>>1 スレ立て乙ー
>>49 そんなことはないです、感謝は常に良いものです。
>>97 > 473はなんか言う事は達者だ。
どちらかというと不自由なほうかと思います。
>>52 >>53 >>54 >>69 のように初見でこれだけ
突っ込める人を達者というのだと思います。
> それでいて、無意識で、混乱していて、狂っていて、
> それを意識している存在だという。
「狂人だからわかっているけど表現できない」ではなくて
素直に「私にはわかりません」でいいんじゃないかな。
>>55 amaさん
まず、amaさん羨ましいです・・・。
どうしたらそんなに飄々と抜けられるのか。
> その何かを認めようとする動きです。
ここをもうちょっと教えて欲しいです。
この動きは一体どういうことでしょうか?
102 :
473:2012/07/13(金) 20:09:01.24 ID:zdh6FT5w
人間の実存と調和していない知識は、人間の真の要求に適合することができないか、
あるいは十分にそれと適合することができない。
そんな知識は、常に、
別のことには無知でひとつのことだけに関した知識であり、
全体に関する知識の欠けた細部についての知識であり、
本質への知識を欠いた形式に関しての知識に過ぎないだろう。
グルジェフ、奇跡を求めて112pより
103 :
473:2012/07/13(金) 20:13:44.95 ID:zdh6FT5w
メッセージがつかめないような無意識の声を聞くためには、自己イメージが邪魔になる。
無意識には無意識そのものの観念があり、目的がある。
それは表層意識には想像もできないようなものであり、表層意識が抑圧しているようなものであり、
だからこそ痛みがあり混乱があっても、何を求めているのかわからない。
あらゆる自己イメージ、宗教的な理想。
こういったものも、それらの無意識より意識に近いところに無意識として存在している。
だから、偽りの自己イメージ、理想、希望、宗教知識そういったものから自由になってゆかないと、
自分がいったいなんであるのかという事実に出会うことができない。
104 :
473:2012/07/13(金) 20:18:31.82 ID:zdh6FT5w
無意識は奴隷根性の集合体なので、信じられないほど赤裸々で情けない依存と欲望の集合体なので、
ちょっとしたプライドもそのメッセージを聞くことを妨げます。
出会うこともできないのでは静まることも、それが幻だと見抜くこともできない。
「何のために」そんなことやってんの?
やってない人より楽したいから?
473は統合失調症という病気であり、狂人ではありません
人よりも依存の度合いが、かなり高いだけです
ですから依存の対象である、ここを抜け出すことはできません
離れると本当に苦痛に襲われてしまうのです
もちろん座禅を組むなど、もってのほかです
自分を失うことを極端に怖れます
救済策は依存をミリメートルづつやめさせ、
依存の進行をこれ以上進ませないということです
>>101 んー…欲しかった訳じゃ無いですからねぇ
失礼なんだけど地底人みたいな印象が(*ノωノ)
4〜5年前に経済紙で見たライン工の脚数を減らして効率アップとか、プログラマーの共通の記述手順を持ちましょうとか…
何年遅れの最先端なんだろう?的な発見楽しいし。
試して流れに沿った時の理解の副産物?も面白いし。
お寺の門は開けっぱなしだから、こっちが良いかなー
雨にも負けて風にも負けて…
おならぐらいでいいっす
>>1 Opeさんスレ立てありがとうございます
m(_ _)m
でわ、扇風機との思い出に因んで一つ、コホン
気がつけば
カラカラとまわる
扇風機
(この後悟り子大爆笑)
13スレ556
>おいらの最近のモットーは、色即是空とかじゃなくて、塵塵三昧よ。。
わかる、これ?
日常の瑣事を離れてどこかに悟りがあるわけじゃ無いのですね
うがい手洗い即悟り・
13スレ567
>>執着が減るのですか?
え?減らないのですか。
減らなくてもいいのですが、それが無いと見出すのが仏教の悟りなので
・執着する自我に実体が無いと見出だすのが仏教の悟りではないのですか?
112 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/07/13(金) 21:44:33.24 ID:6iTJL/OR
>>110 ろんと くりそつ だね、厚くない豆腐の揚げ物、うすっぺらい 理解(りげ)・・障子 |_・) チラリ!
>>111 >・執着する自我に実体が無いと見出だすのが仏教の悟りではないのですか?
実体って、もともと無いって話なんでしょ。
観たことも感じたことも無い「実体」をどうやって、無いと見出したらイイんでしょう?
無いのがあたりまえなのに・・・・・・
114 :
473:2012/07/13(金) 21:54:24.96 ID:zdh6FT5w
>>111 見出さなかった分は、残るし、執着と自我って別名というか、表側と裏側みたいなもの?
それに、これは元の話題のレベルが、悟りの客観的定義のレベル、日常会話のレベルのものだよ。
見出していないから執着が残っているわけで、悟っていないということになる。
けど、悟り子さんの意図が読めない。amaさん悟りといいながら、これ中身は473のいう愛だよねって、
そんなレスをしてるので。
>>106 473が何者と思ってもいいのだけどね。
語られていることに変わりはないし、違う形で同じことを語ってる人も多い。
会話についていけないからって他者評価に偏るのはただの現実逃避だよ。
115 :
473:2012/07/13(金) 21:57:31.59 ID:zdh6FT5w
>>111 あなたがいないとき、不思議な知恵が訪れて、それには頭が上がりません。
>>114 サイコパスとの合併症だな
当然だが、病人の文章は読まないから安心して
>>115 凄い。全部あてはまってるね
・良心の異常な欠如
・他者に対する冷淡さや共感のなさ
・慢性的に平然と嘘をつく
・行動に対する責任が全く取れない
・罪悪感が全く無い
・過大な自尊心で自己中心的
・口達者
>>60←このアンカーはここに書き込まれてることへの全てのレスです。
>>53をよく読んで下さいね。
なぜ私が言ってる二元的の説明をあなたもしれてるのですか?
無常の働きが信に阻害されることはありません。と言うか何ものもそれは不可能です。
自分が頑張ってる限りとおっしゃてますが頑張ってるといつ言いましたか?
本当の事を言うと何も頑張ってません。
ああ、頑張ってますね。頑張って貴方にレスしてる。もう今回でやめにします。
所でお答えになってないですが、
一境性ー三昧ーサマーディを経験されたことはおありですか?
この番号
>>60については以上です。
119 :
473:2012/07/13(金) 22:22:53.83 ID:zdh6FT5w
無意識という概念は、
方法論や、知識、信念や、理想それに伴う体験者と体験すべてというものがどこにも行き着かないということを
明らかにするための方便だ。
無意識とは自己についての事実を指し示している、ような、あくまで概念に過ぎない。
上記の影響を脱しているなら、次はこれが、、。
>>84 何を言っているかわかりません。理解やすり合わせは無意味だということですか?
>彼、というのはそのように価値観を必要とし、振り回される不特定の人間です。
その不特定の人間はどこにいるのですか?
このスレで、それをすることの意味はなんですか?
>>80 >彼がよく、473が悪いと評価する価値基準と、それをする本人の必要性ですね。
>無意識で働いている、逆に彼が悪く、473が良いという価値基準の葛藤もまたあります。
不特定の人間に対して、ここで「彼」という人称代名詞を使うことが妥当だと思いますか?
「彼」と書くことで、上記の不特定の人間であるということが、その文章から相手に伝わると思いますか?
>>91 >(ちなみにわかっていないのが悪いなら、わかっているのは良い、そういう意味で良し悪しはすべてのマインドの属性かと思います。)
すべてのマインドの属性ですか。じゃあ物事がわかっていない子供はみんな悪いんですか?
わかっていないは、単にわかっていないじゃないんですか?
>>91 >私でもあなたでもなく、たとえば「ある段階に達した人」がいたとして、
>「ある段階に達した人同士」で生活していたらどうなるでしょうか。
>基本的に幸せでしょう。
>みな自分の苦しみを他人に投げつけて苦しめあったりしないので、自分の中にある苦しみの種を追及する動機がないでしょう。
>苦しまないでしょう。目覚めるきっかけがないでしょう。
これは完全に余計なお世話ですね。あなたが他人の目覚めるきっかけについて心配する必要がなぜあるのですか?
自分自身が目覚めていないのに。
>基本的に自分をえぐるような考察は昔からやってるので前スレから追えばこの狂犬の軌跡が大体見えるんじゃないでしょうか。
ご自分に酔っておいでですか?
前スレも見ていましたが、あなたが「ご自分をえぐるような考察」がどこにありましたか?
狂気は今のところ、私の目からはあなたにはまったく見あたりません。頑迷さは見て取れます。
122 :
473:2012/07/13(金) 22:38:44.22 ID:zdh6FT5w
>一境性ー三昧ーサマーディを経験されたことはおありですか?
あなたのした経験、あなたが想像する経験の有無についてでしたら、同じ経験をしてはいないでしょう。
究極の悟りという意味でしたら、無意識と執着の影響ないにある状態を、そう表現はしません。
サイコパスの相手なんかよくできるなぁ…
サイコパスがどんなものか観察したいのかな?
>118の訂正 しれてるのですか→されてるのですか ミスりましたごめんなさい。
>>63 >分析についてのレス
すいません難しくて分かりません。
それは人間全体の表層なんちゃらと無意識ですか?それとも貴方のですか?それとも私?それとも誰か?
いずれにしても難しいことしてるんですね。苦しくないですか?
>相当楽になった
そうですね。最初から悟ろうなどと大それたことは思わず。
今の自分に疲れ嫌気がさしてきたからだと思います。
ただ呼吸に気づくの何が苦しいんでしょうか?意識するだけですよ。
下手も上手いも成功も失敗もありません。
最初だから下手でしょうね。
最初は意識し過ぎて呼吸を長くしようと無意識でしてました。
現代人とおっしゃてますが古代人のことよくご存知ですね。
現代と古代の分け目はどの辺りですか?
私もよく古代に想いを馳せたりしますが
何でもお釈迦様の当時は平均年齢が10代だか20代らしいですね。本当なのかどうかは分かりませんが。
それで現代人が抱える思考と傷ついた感情てなんですか?
退屈は退屈ですね。こんなの意味あるかー!て発狂したりね。寝たねたw
困難なコツとは?
何かを目指したりブッダになろうとしたり
涅槃を得ようとするのを辞めたんですよ。
リタイアです。おそらく私の説明が誤解を与えたのですね。ごめんなさい。
やめればいいだけです。何も難しくありません。
マラソン選手がスタートして途中で棄権したようなものです。簡単なことです。
ただ坐ることや今に意識を向ける事は続けてますね無意味に。
勘違いされてると思うので残りの文章へのレスは割愛します。
最後に信についてですが私もあなたも他の人も当然親がいます。赤ちゃんだったころ、幼かったころ父や母を信じていました。そこに疑いなどなかったのですよ。
そして今でも私は信じています。もう死んでますがね。やはり信じています。
125 :
473:2012/07/13(金) 22:48:40.83 ID:zdh6FT5w
>>120 相手という言葉が不適当なので、彼にしたけど、彼も微妙。
あるひと、とあるひと、で表現すればいいけど、手抜きでした。
これについてはおっしゃるとおり。
>91
じゃあ物事がわかっていない子供はみんな悪いんですか?
わかっているということというものはない。だからわかっているという。あるがままに子供は育つ。
ということと、
マインドの作用における価値観で子供を裁くことはまた別次元かと思います。
だから、そういういみなら、「わかってないこども」という言葉は使うけど、「わかってない子供ーわかっている子供」
というマインドの裁きの作用があるとは限らないわけです。
それは全体的な文脈から受ける影響が違いますよね。
>>121 これ、私の都合の話。
126 :
473:2012/07/13(金) 22:55:03.39 ID:zdh6FT5w
しかし、他者の表現を受け取るのは自分を揺さぶるいいきっかけではあるけど、
たくさん受けすぎると他人の混乱の影響を受けてこっちが疲れるというところに来る。
精神が完全に静寂してるんじゃなければみんなそれぞれの混乱と夢があるからね。
十分堪能したらそういったものを全部無視して飛び立つ人もいるかもね。
>>124 あ、あのー…
拡大の解釈と縮小の解釈は、物事の理解に必須ですよ?
妄想だけなら一瞬で月面まで行けます。
このパフオーマンスを使わないのはもったいないですよ?
>>125 良し悪しはすべてのマインドの属性じゃないんですか?
じゃあ、「わかっている/わかっていない」をマインドが裁くときの条件はなんですか?
>これ、私の都合の話。
そこをえぐらないでどうするんですか。
どうして自分の混乱を他人の混乱と混同するんですか。
自分が混乱しているのは、他人の混乱の影響ですか?
そうじゃないでしょう。
自分が混乱しているのは、ただ自分が混乱しているんです。
そこを分けないでどうするんですか。
>>121 貴方の殆どの問題は
>>65の最後の一行です。
宗教とか悟りとか目覚め以前に、弁論者としての欠損です。
自在性が無ければ、主張は出来ますが、議論が成り立ちません。
ので、それ以上である自問自答も出来ませんよ?
>>129 すみませんが、言っていることがわかりません。
私に「自在性がない」ことと、それが「弁論者の欠損」であることを、
もう少し理論立ててわかりやすく説明してください。
>>132 自分自身の参照が10年近く前なんで、参照先探す時間欲しいのだけど…議論の心得で原文は英語だったはず。
とりあえず。
愛(テレとか、公平の類いは、肯定の上での検証の為だよ。
65の自在を行わなかったら、肯定の検証が出来ないでしょ?
>>133 否定の上での検証は、気を付けなくても無意識に行うんだけど、肯定の検証は無意識じゃやらないんだよ。
対外。
>>133 探してください。
65の自在って、どういう意味で使っていますか?
元の文章の意味わかってますか?
まず、その「自在」の意味がずれている可能性があります。
それから、弁論は相手を肯定するための手段ではなく、
自分の考えを主張するための手段なわけですが、
「弁論」と「対話」の意味の違いをわかって使い分けてますか?
136 :
無しよ:2012/07/13(金) 23:31:15.94 ID:a8UGjci6
>>93 そんな風に愛を意味づけされてるとは…
そりゃ、話も通じないわけですね
誰かがなんかの影響を受けることを大変危惧されてますが、なんかあったんですか?
詐欺カルトにだまされたとか、洗脳されて財産投げたとか
でも、影響を受ける人はどのみち影響を受けるもんですよ
私もそうでしたからよくわかりますが
「人に影響されてはダメですよ」
「そうか、じゃあ、私も影響を受けないようにしよう!」
という笑い話になっちゃいますし。
影響されやすい人はその特性を生かせますし、ダメになる経験もまた自分のため、ですよね
>>135 ちがうw
肯定の見解と検証と
否定の見解と検証を
先ずは持つの!
あ、ちがくないのか?
おれ、弁論と議論を間違えてるけど気にします?
>>137 「検証を持つ」という言葉の意味を説明してください。
結論に自在性を持たせるという意味ですか?
>>139 気にします。
その言葉が入れ替わると意味がまったく違いますよ。
リンク先は単純だけど、複雑な場合はスケールのサイズが多様化するのは分かります?
すまほでごめんね?
145 :
無しよ:2012/07/13(金) 23:55:30.51 ID:a8UGjci6
>>98 ニカサ・アアさん
ご丁寧にありがとうございます。遅レスすみません
ものすごい早さでスレが埋まっていきますね
壮観…
>>144 サイズの多様化とは、どの程度のことを言っていますか?
例えば?
>>147 例にあげたリンクはわかりにくいですが、
要は、個人、二者、集団、国、種族、生命・・・
みたいなことですか?
>>148 命は別問題として細分化かな。
集団は思い付く枠の数は自分次第でしょ?
どっちもだけどw
>>149 「命は別問題として細分化」がわかりません。
集団の枠の数は自分で思いつく以外には出てこないでしょうね
>>151 いや、リンク先で問題が別だったらなんだけど
>>152 リンク先で問題が別だったら、細分化???
ますます意味がわかりません。
>>153 自分の思う最大スケールだったから細分化と言ってしまいましたorz
>>生命の重みは皆平等という論理を否定するのは聡明か暗愚か?
>全ての事象が等価ですね。
>>154 あなたの最大スケールが命だということはわかりました。
細分化するということは、命を細かく分けていくということですが、
それは
動物 植物 微生物
ゾウ、サイ、人間・・・(植物その他以下略
というようなことですか?
>>157 「否定する」ということ自体からは、聡明か暗愚かは判断できないでしょう。
ポイントは「なぜ否定するのか?」という理由付けですから。
言ってしまえば、「生命の重みは皆平等」かどうかについては、個々人がどう考えてもいいわけです。
154の答えは、かなりのレベルで人それぞれです。
>>158 そうそう。
恐ろしいほどの細分化が出来るよね?
>>160 ・・・ひょっとして、
「生命の重みは〜」という質問についての答え方は、個々人によって細分化できる
ということが言いたかったわけですか???
>>158 極端な例だけで、想像だけでいいんだけど。
その細分化されたひとつひとつに、想像できる別の価値観での評価。
まだ半分ぐらいしか進んでないねw
>>162 >その細分化されたひとつひとつに、想像できる別の価値観での評価。
「想像できる別の価値観での評価」を、どうするのかが抜けていて、
私になにかを問いかける文章になっていません。
もしくは、「〜評価」がどうなのかを、説明する文章になっていません。
>>163 うすうす気づいていましたが、それはあなたの日本語力の問題ですよw
もうそのつもりで腰を据えて聞きますが、疲れたらまたにしてもいいですよ。
この細分化したひとつひとつは、公平に見れてますか?
だって何処が分からんのかがわからんしw
えと、第三者視点で公平にみれない??
ここですかー
まぁ。
無理。
>>166 そこですべての意見を公平に見るというのは、どういう意味で言っていますか?
「すべての意見があり」という意味ですか?
意見の相違は、個々人の立ち位置の相違でしかないわけですが、
それがわかっているのかという質問でしょうか?
すべての意見がありならば、相手と違う自分の意見を主張することもありなわけです。
議論が平行線になることも大ありなわけです。
議論とは、意見を言う者同士が対等な立場同士であることが前提だと思いますが。
カウンセリングとは違いますよ?
>>167 いえ、あなたの言葉の用法と、文章がちゃんとしてないから、
いちいち確かめないとわからないんですよ。皮肉でも嫌味でもなんでもなく。
?
なんの確認だったか忘れちたゃったの?
>>171 自在性と弁論者としての欠陥の確認じゃないんですか?
×弁論者
○議論する者
ってことでいいんですよね?
>>173 じゃあそのまま、「自在性」と「弁論者としての欠損」の確認でいいんですか?
つか、第三者視点の公平性の確認で躓くとかはあり得ないんだけど
>>175 第三者視点の公平性についてはわかりますが、
私は「議論をしている当事者」でもあるんですよ?
そこの立ち位置をブレさせたら、議論が成り立たないじゃないですか。
もしかして、当事者はamaさんと473さんで、私は第三者だという認識ですか?
>>174 そこまで言ってないし。
ってかこれ確認したら聞こうと思ってたんだけど。
眠くない?
>>177 眠いですよ。
でも、人が何かを伝えようとしているから、ちゃんと聞こうとしているんじゃないですか。
あなたが眠いのなら、ここで終わらせてもいいですよ。
いや、
行きなり話始まったからさ。
第三者視点での公平性○ね?
>>180 いやまてw
なんで「弁論者」が「第三者視点での公平性」に置き換わるんだよ
ちゃんと文章にしてみてくれない?
無限の細分化と、無限の価値観の検証○ね?
続きは明日にしようぜ?(´・ω・`)
1/3かもしれん
って言ったら怒るっしょ?
>>180 >>182 第三者としてなら、そこはおk
ただ、「議論」の当事者としては、そこを無限にしちゃいけないと思ってるよ。
形式的な上でも。「対話」はまた別だよ。
>>183 おk
>>184 別に怒らない。
そこで怒ってたら、ここまでつき合わない。
おやすみー゚+.(・∀・)゚+.゚
おやすみー
189 :
Ope:2012/07/14(土) 01:19:23.54 ID:0546rR5x
>>56 > スレ立てありがとうございます。
>>109 > スレ立てありがとうございます
書くスレがないので、勝手に立ててます。
>>109 > 気がつけば
> カラカラとまわる
> 扇風機
> (この後悟り子大爆笑)
では、家電シリーズ第2弾
電源の切れたTV編で・・・
気がつけば
赤い光になっていた
(この後、笑いが止まらなくなりました)
>>111 > ・執着する自我に実体が無いと見出だすのが仏教の悟りではないのですか?
ご名答。
少しはオレムに煎じて飲ませてやりたい。
>>189 >少しはオレムに煎じて飲ませてやりたい。
自我に実体があろうとなかろうと
そこに存在しているように感じて、
それに振り回されてるってのが問題なんじゃないの?
>>127 拡大の解釈と縮小の解釈とはなんですか?
バカなんで小学生にも分かるように説明お願いします。
もったいないとはなんのことでしょうか?
すいませんがさっぱり言ってることが分かりません。
あなたのIDを抽出してみましたがなにやら難しいこと言ってますね。
あなたは賢そうなのでそれで正解かもしれませんね。
ところでその拡大のなんちゃらで幸せになれましたか?
192 :
安堂:2012/07/14(土) 02:10:30.46 ID:cLvn+SGG
中身無い議論・・・。
スレ潰しか?
>>192 このスレで中身のある議論って何かあったっけ?
194 :
無しよ:2012/07/14(土) 02:19:34.18 ID:KzqtmSWO
ない
195 :
安堂:2012/07/14(土) 02:41:32.73 ID:cLvn+SGG
中身なくてもいいけど、
マトリョーシカみたいだな・・・。
玉葱かよ・・・・。
どこからどこまでが自演か
よくわかりませぬな
197 :
安堂:2012/07/14(土) 03:49:34.57 ID:cLvn+SGG
自演なんかどうでもいい。
勝負ってのはそういうの関係ねえだろ!あほ
自我という石が
泥の斜面を転がると
泥を含んでどんどん大きくなってゆく
最初はちっぽけな石だったのに…
斜面のせいでも泥のせいでもない
我を働かせた自分のせいなのである
我とは単なる自己防衛作用である
との認識が必要ですな
攻めるでもなく守るでもなく
毎日毎時一瞬一瞬が修行ですな
>>197 勝ち負けを意識すると自我が坂道転がっていきますよ
まぁスレ全部が一人の自演だとしても全然かまわん
十二支縁起でいうと行の時点でどうするかに全てかかっている
無明は如何ともし難い
瞑想や座禅の前に呼吸法マスターしたほうがいいよ
呼吸を意識しないと何も始まらんよ
201 :
ろん:2012/07/14(土) 05:29:46.53 ID:jRvQbln5
>>54 僕は隋息観はやらない、呼吸は意識しない。
数息観もやらない、評価もしない。。
けれどやっぱ、内外の境界がなくなるまで坐らんとというのはあるかな。。
三昧、定力、これなくんば、坐禅とは言えんし。。
気づきがうんぬんじゃなくて、自己を忘ずるかということでしょう。。
行住坐臥が修行とも思わない。
行住坐臥は行住坐臥、仕事は仕事、生活は生活、遊びは遊び。。
それこっきりかな。。
僕も瞑想を始めた時は呼吸を意識してた。。
けど意識しなくても変わらんと思ってやめた。。
要は一つになる、ふすまを見たらふすま、思考の時は思考、無の時は無で、自分がどうなってるか観察しないということ。。
観察したら、自分が二つになっちゃうからね、三昧でなくなっちゃうの。。
202 :
ろん:2012/07/14(土) 05:33:47.07 ID:jRvQbln5
修業でも悟りでも自分を囲っていいものにしよう、自分を守ろう、としてしまう人がいる。。
んじゃなくて、自分を手放す、虚空に明け渡す、自分をどうこうするんじゃなくて、自分用なしで座る。。
外ばっかりに参じる・・そういう風に教わった。。
203 :
ろん:2012/07/14(土) 05:39:19.70 ID:jRvQbln5
坐禅して修行して自分がだんだんいいものになっていくというのは妄想。。
自分がだんだんなくなって、外ばっかりになっていく。。
まったくのただ、無心、そういう状態はあるんだ、そうなってることもわからずにね。。
それはそれで結構
>自分がだんだんなくなって、外ばっかりになっていく
そこに呼吸を取り入れた方が手っ取り早いだけの話です
マスターすれば意識もしません
自然に呼吸が整います
206 :
ろん:2012/07/14(土) 07:15:56.73 ID:jRvQbln5
>>54 >自己を忘じ切る事など実際あるのでしょうか。
実際そういう逸話があるでしょう。。
一番有名なのが、竹ぼうきに小石が当たる音を聞いて悟ったという、香厳のものかな。。
その他いくらでもある、風呂入った時、桃の香りを嗅いでとか、提唱中、喫飯中とかいろいろ。。
井上義衍師は、踊りを見に連れて行かれて、見ているうちに、あれれって感じで、忘じたとかいろいろみたいですよ。。
理としては初めから忘じきっている、身心脱落庭とあっても、実際は、自ら証しなければならない、ということでしょう。。
207 :
ろん:2012/07/14(土) 07:18:48.16 ID:jRvQbln5
>>204 呼吸を意識するとか整えるとか、手始めにはいいけど、本来はいらんこと、作り事です。。
言い換えれば初めから整ってるんです、その場その時に応じて。
208 :
ろん:2012/07/14(土) 07:21:41.94 ID:jRvQbln5
身心脱落底の間違いか。。
誰もが自己なんて知らずに、身心を忘じきって生活しているということね。。
209 :
ろん:2012/07/14(土) 07:25:55.93 ID:jRvQbln5
義衍師は坐って休みなさい、と言ってたそうだ。。
僕は心休ませながら、仕事したり、掃除したり、いろいろできないかと企んでいる。。w
>>57 > 執着が残っている状態で、あくまでこれまでの経験を背景としてるとはいえ知的な理解で
> 悟りをわかっているように語るのはいかがなものか。
いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
何かが消えるとか消えないとか、そういうことではないのです。
***
適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
473さんは執着があるとどのような問題があるとお考えなのでしょう?
具体的な例があると助かります。
> 悟りへのイメージは自我が作るだけで、イメージがること自体がもう執着であるといえないだろうか。
おっしゃる通りです。
> なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶのが悟りという言葉の用法だったかもしれないということです。
私は、認めることが出来ないもののことを悟りと呼んでいます。つまり、悟りは無いのですね。
>>210続き
> 悟りのイメージと、ただ言葉でしかない悟りと473は2つの全く用法の違う悟りという言葉を提示しています。
> だけど473の説明が悪いのかamaさんはあくまでamaさんの悟りのイメージという意味だけで悟りという言葉を使っていますし、
いえ、悟りのイメージについてではなく、悟りそのものについてお話してるつもりなのですが・・・。
悟りは無い、だから、そこから得られるものは何も無い・・・。
> 1番目のそれそのものであることと類推の違い
> についてもお答えいただいていません。
すみません、類推という言葉が分かりません。(ネットで調べましたがちんぷんかんぷんでした。)
> もう一度休日に読んでいただければ、、。
前からそうなのですが、473さんの書き込みは、私には半分ほどしか理解できていないのです。
単純に日本語が分からないこともありますし、日本語が分かっても内容が理解でいないこともあります。
もう少し分かりやすく簡潔な表現にすることは出来ないものでしょうか?
勝手言ってすみません。
> 相手の質問の意図が見えてない。
これは、同感です。
おっしゃっていることがよく分からないことがとても多いのです。
212 :
ろん:2012/07/14(土) 08:59:09.78 ID:jRvQbln5
執着の対象にも、執着する自己にも、執着そのものにも実体はない・・ということに気付くか否か。。
気づいても、対象は現れる、執着は生じる、楽しいことではないか。。
夢を否定しようとしたり、越えようとするのではなく、その中で楽しめばいい、遊んでればいいってことじゃなかろうか?
213 :
ろん:2012/07/14(土) 09:01:43.17 ID:jRvQbln5
気づくか否かにかかわらず、われわれは空の中、夢の中で生活している。。
除くべきもないし、付け加えるべきもない。。
>>58 > >悟りへの執着
> それについては私もそのような意味で述べています。
> ただ、何に対しても執着であるということ自体が同じ働きであり、苦しみの元ではないかということであり、
> 悟りはそれがない状態を暗示しているのではないかということです。
執着自体ではなく、執着した自分を認識しあれこれ分析し価値判断すること、
つまり振り返ることが苦しいのではないですか?
「振り返ってはいけない」と聞いたことはありませんでしょうか?
>>100 > > その何かを認めようとする動きです。
>
> ここをもうちょっと教えて欲しいです。
> この動きは一体どういうことでしょうか?
ここで申し上げたのは、悟りたいという心理のことです。
悟る前は、悟りに実態があると思ってそれを求めますよね。
そして何かを見出します。
次にそれをつかみます。
つかめないものをつかむのですね。
言い方を変えると、悟りというものを持ってしまうのです。
もっと言うと、支え、あるいは、足場、といったものを認めて寄り頼む精神の動きです。
>>210 簡単な話だよ たとえばさ、夢を見ているとするでしょ
それで、夢だと気付いてない時は誰かから襲われて怯えて逃げてたとする
でも、「あ、夢だ」と気付いたら、もう怖くなくなって、堂々と立ち向かえて、
好きに振る舞えるようになるよね
貴方は「夢だ」って気付いたんでしょ
なのにまだ怯えたままなのですか って話だよ
217 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 09:31:09.13 ID:3plQTFG1
>>210 別に473を援護するわけでもないのだがww
>いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
一般的に「悟り」という語彙が指示する内容は、「執着の消滅」を含意してきたわけだ。
よって、通常、「私は悟っています。」ということを表明する人間は、
「執着を滅した人」と受け取られるのが普通なわけだ。
それを、「悟っても執着がなくなる訳ではない。」と従来の意味を変更するのであれば、
別の語彙を使用するか、または、その語彙を使用するに際して、
「私は『悟りを・・・・・のような意味で使用しております。』との但し書きを
付加するべきでは?」
でなければ、対話がすれ違ってしまうでしょ?w
語彙の使用は共通認識の上に成立しているわけでしょ?
猫を指して、「私はこれを犬と言っています。」・・・・では、対話の前提が崩れて
しまうわけだww
>適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
そう言う話しじゃないでしょ?ww
(ほんの些細な)「気づき」などに「悟り」という語彙を当てて表現すると、読むほうが「覚者」さんか?と
勘違いするので、そのような誤解を招く表現は一考したら ? ってことだろww
俺は修行と称してあそんでいるんだよ
楽しいんだから理屈なんてどうでいいよ
無理せず楽もせず、急ぎもせず遅れもせず
なかなか過酷な修行だけど、楽しいんだな、これが
>>214 感情が入ってない(抑えてる?)文章だから真っ平らな魅力のない
文章になる。人に読ませない不思議な魔力を持っている。
振り返るのを怖れているか、拒絶した状態だと思う。
だから妄想に逃げる。理屈に逃げる。防御作用が過剰になる。
過去に向き合うのも楽しいのにね
客観的に過去を観れないんだろうね
もちろん尼さんのことじゃないよ
219 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 10:28:09.73 ID:3plQTFG1
もう少し言うとな、
>適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
この表明こそが、amaが捉えてる「悟り」というものを如実に示していると思うぞw
上記の見解は、まさに「世俗的価値観における向上性の肯定」なわけだ。
(俺はこの世俗的価値観を重視するスタンスなわけだから)、
→「人生を豊かなものにする」・・・という方向性に何ら異論を唱えるものではないが、
(少なくとも仏教などにおいて言われる)「悟り」とは方向性が全く違うでしょ?
って、ことさww だから、「静かなる『滅び』」などと言習わせれてきたわけだw
(スピ系のことはよく知らんがw)
スピでは、 「精神を豊かにする」→「人生を豊かにする」・・・・・
こういう側面を捉えて「悟り」と表現しているのかな?
少なくとも、仏教における「悟り」とは、「反社会性の内在を自覚しつつ、世俗的価値観
からの離脱」を宗とするものであるはずだがww
(っと、仏教徒ではない俺が、仏教的「悟り」に言及してしまったが、もし、誤りが
あるのならば、ご指摘よろwww
但し、なんちゃって仏教徒のイチャモンはやめてくれよwwwww)
>適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに
理屈なんてどうでもいい
やれば勝手にそうなる
適度な執着というものは端から見れば、そう見えるだけで
本人にとっえは執着でもなんでもない
>>219 >少なくとも、仏教における「悟り」とは、「反社会性の内在を自覚しつつ、世俗的価値観
>からの離脱」を宗とするものであるはずだがww
仏教にも、いろんな宗派があるけど
こういう言い方してる宗派はなかったと思うけど・・・・・
どの宗派の「悟り」かな?
この「内在」が「自己」を指すなら
「内在」には社会性も無ければ反社会性もないし、
世俗的価値観も無ければ反世俗的価値観も無いよね。
222 :
ろん:2012/07/14(土) 10:55:38.46 ID:jRvQbln5
執着についての面白小話。。
印可を受けてのち、20年間も乞食僧に交じって、ホームレス生活を続けていた大燈国師。。
天皇が会ってみたくなり、金やらいろんなものをエサに見つけ出そうとするが、なかなか現れない。。
そこで、大燈は瓜が好きだ、ということを知った天皇は一計を案じる。。
乞食僧が暮らす河原に瓜をいっぱいに積み上げ、「足なくして来たものには瓜を与える」という口上を述べさせた。
誰も、瓜を貰えない中で、独り進み出て、「手なくして出せ」と述べたものがいた。
それが大燈だったという。。
瓜につられてまんまと見つかってしまったのでした。。w
大燈国師と瓜
http://saranam.exblog.jp/15566535/
>>222 その話って「執着」の話って言うより、「欲」の話って感じしない?
>>216 ごめんなさい、ちょっとよく分からないのですが、
私が夢だと気づいたのは悟りについてでして、
怯えるも怯えないもなく・・・。
(そうじゃなくて?)
225 :
ろん:2012/07/14(土) 11:21:45.22 ID:jRvQbln5
226 :
473:2012/07/14(土) 11:24:50.56 ID:4+selZJm
>211
つもりなだけじゃないのかな。
なになにのようなもの、なになにでないもの(こっちのほうがやりやすいかな)
を、悟りと便宜的に名づける、なら悟りにイメージはないけど、悟りというものがないということが伝わるけど、
悟りはない、というなら否定される悟りのイメージがあるわけで、要は無自覚にイメージをこめてるような表現。
>>214 振り返る?
執着の集合が私でそれは今意識されない領域で機能している。
振り返るのではなく、今自我を構成する、今働いている執着すべてに覚めねば、執着のもたらす厄介ごとは消えない。
振り返ることは、執着を変えようとする執着、自我を変えようとする自我ですね。
表層意識でこの罠にはまらなければ、今自我を構成している種種の執着に目覚めえます。
473がここまでいろいろ述べてきて、
執着を今働いていないものとして、わざわざ過去を思い出すものとしてしか取らないということは、
それがamaさんなんですね。
執着があるのではなく、私が執着なのです。私が執着なのに、自分は執着ではないというのが自我のトリックです。
でなければどこから出てくるのでしょう。
また、私が執着でないのなら執着はもう、いわゆる執着ではなく、わざと執着するふりをしている離れたものということになるでしょう。
もう、それは別の単語を当てねばならないほど別物です。
前回の愛と悟りの考察も情報不足による推理の勇み足。
実際に会えば間違えないけど、この辺は勘違いも正しながら手探りの会話ですね。
>いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
それは、あなたの悟りであり、語られる悟りと対立するね。
ならはっきり既存のものは否定すればいいし、もしくはamaの悟りといえばいいのでは。
217、219にもお答えしてくれると楽しみです。
>>223 欲や執着っていうより
勝手にそうなるって話だな。自然な成り行きだ
228 :
473:2012/07/14(土) 11:27:31.04 ID:4+selZJm
世俗的価値観からの離脱
これは内的自由であって、外的行動は束縛しない。
>>224 amaさん、どうも最近このスレにも新規さんが増えてきたようです。
以前からいる住民はamaさんの悟り内容を、過去のやり取りからある程度理解していますが
新規さんは自分の持つ悟りのイメージからamaさんにいろいろ質問してるようです。
ここで提案なのですが、amaさんの悟りの内容を
改めてみなさんに伝えてはどうでしょうか?
>>227 あなたの行為は、全て自然な成り行きだってこと?
>>224 なんでもいいんですよ
貴方は自我にしろ、執着にしろ、悟りにしろ、夢だと気付いたのでしょう
なら、もう怖れる必要がないじゃないですか わざわざ守らなくていいんだから
貴方も楽しく生きたいですよね
それまでは色んな足場が、形が必要だと思ってた だから、どんなものであれ、
色んな思い込みを持ち抱えて生きてきた でも、それらの何も要らないことがわかった
楽しく過ごそうと思ったら、わざわざ持っておく必要のない思い込みもあるよね
ネガティブでブロックになるようなのとか なら、離れるでしょ
それを、人によっては執着がなくなるとか、煩悩が消えるとかって表現するんだろう
そういう話だよ それで、貴方はそんな風に身軽になっていないんですかってこと
>>225 言葉の違いだから似たようなもんだと思うよ。
でも,昨日からのこのスレの流れで
何となく「執着」と「欲」は違うんだって書いてみたくなったの。
234 :
473:2012/07/14(土) 11:34:58.03 ID:4+selZJm
>amaさん 226続き
473> なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶ
ama>私は、認めることが出来ないもののこと
うーんとね。これはamaさんが悟りそのものであるという話ではなく、
amaさんが悟りのことを思うという話でしかないんです。
これはどこまでも、自分の状態ではなく、対象ですよね。
自分を残したまま
何かあるというイメージに反対する何もないというイメージを、
悟りがあるというイメージの反対のイメージを
沈黙というイメージを
描いていませんか。
amaさんは自分が悟りであることではなく、悟りを見たり感じたりすることに意識がいってるんじゃないですか。
その場合依然、amaさん自身はいつまでも、いわゆる個我です。
>>231 自然な成り行きで他人をナイフで刺さなきゃいけなくなったら、刺すの?
カオスw
おまいら落ち着けw
237 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 11:39:24.47 ID:3plQTFG1
>>221 >どの宗派の「悟り」かな?
宗派?w 仏教全般に通艇する認識だと思うが?
俺が言った「反社会性」というのは、仏教的価値体系における
世俗的価値観からの乖離をさしてのことだがww
労働を善となし、皆の協力の下、社会を向上させようとするような
世俗的価値観とは、そもそも目指す方向性が違うでしょ? ってことだよww
仏教で言うところの「悟り」とは、そのような「世俗的」「社会的」価値体系の
上位に位置するものを目指すのとは、違うでしょ? てえのw
>世俗的価値観も無ければ反世俗的価値観も無いよね。
何でも、そうやって二項相対を否定すれば良い と思ってるのか?www
まず、人の書き込みの趣旨をちゃんと理解せえやww
またその修行でさえも自然な成り行き
240 :
473:2012/07/14(土) 11:43:15.75 ID:4+selZJm
わかる、知る、経験する、理解する、体験する、今在る、ない、
これらの感覚や、またこれらの感覚ではないという感覚の枠内にある反感覚は、
あるがままの自分から自分を引き剥がすものでしかありません。
それに気づけば、わかることがなく、しることがなく、経験することがなく
あるがままにあるという質が現れ始めます。
何もわからないということがわかり、教典は知識のためではなく、知識の働きを破壊するための
仕掛けであることが、「わかります。」
この「わかります」は最初にていじしたわかることとは別のことなので、
「わかります」
とは、
経典を、あるがままの自分から理想の自分に引きはがす働きに気づかせる仕掛けとして
読むようになる。という意味ですね。
知識との同化を失ってゆく様に「わかるようになる」とか名前をつけた私は無自覚で、ちょっと自我の犠牲になってた。
私が執着であるのか、無執着(悟り)であるのか、あるがままのありざまがあるだけです。
>>237 >何でも、そうやって二項相対を否定すれば良い と思ってるのか?www
>まず、人の書き込みの趣旨をちゃんと理解せえやww
それはお互い様だろ!!
「まず、人の書き込みの趣旨をちゃんと理解せえやww」、
同じ言葉をそっくりそのまま返すよ!!
自分の思い込みを他人に押し付けるだけじゃなく、
他人の意見もきちんと聞ける大人になろうね。
242 :
473:2012/07/14(土) 11:51:01.52 ID:4+selZJm
>>241 いや、話それてる。
正直まったく別のことを話してるから、全く話は変わるけどとか、
あたらしいトピックとして提示するのが適当。
243 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 11:51:09.54 ID:3plQTFG1
>>241 wwwwww 人の書き込みに、横レス付けるならちゃんと
その趣旨を理解してからにせえよ って言ってんだよ、カスがwwwww
他人の意見だ?wwww
笑わせるなよ、カスがwww
他人に意見つけるなら、まず、その相手の見解をちゃんと理解した上でやれ、ボケww
244 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 11:54:37.35 ID:3plQTFG1
>>219 を読んで、どこがどうなったら、
>>世俗的価値観も無ければ反世俗的価値観も無いよね。
となるわけだ?wwww
俺が、219で書いてることは、「仏教的悟り」と世俗的価値観の乖離だwww
100回読み直してから、レスせいやwwwww ボケがw
>>242 それてたか?
それて見えてるんなら、根本的な立ち位置が違ってるんだな・・・・
>>240 amaさんは、その恐い部分が純粋に嫌なのだと思いますよ…
247 :
473:2012/07/14(土) 12:07:31.57 ID:4+selZJm
執着の消滅、自我の死。大死。
死という表現で悟りを語る宗教は多い。
キリスト、ヒンドウ、仏教。
しかし、自我は、
自我の死をイメージしていきのこる。
悟りをイメージして生き残る。
自我はないのだとイメージして生き残る。
外部のあらゆることにイメージを投影し生き残る。
特定の観点はどんなものであっても自我を生きながらえさせる。
>>113 > 実体って、もともと無いって話なんでしょ。
> 観たことも感じたことも無い「実体」をどうやって、無いと見出したらイイんでしょう?
> 無いのがあたりまえなのに・・・・・・
無いのが自然な当然な、本当の状態ですが、たぶん、私たちの中で極々少数の例外は
あるかもしれませんが、成長や社会化される過程で、実体を想定する傾向を伸ばされた
ために、「実体をある」と思うほうを当然とすることになったのではないかと思います。
その過程は生きるための一つの適応だったのかもしれませんが、たくさんある方法の
一つでしかなく、「実体がない」ことに気づくのは、その適応以外の選択肢も人間は
取れることの現れに過ぎないのかもしれません。
>>217 なるほどよく分かります。
他にも一般的には、煩悩がなくなるとか、何でも分かるようになるとか、
三大欲求が消えるとか、前世が分かるようになるとか、
何かが見える聞こえるとか、もう一人の自分が現れるとか、
五感を制御できるようになるとか、とかとか・・・、
消えるシリーズや増えるシリーズ、あるいは出来るようになるシリーズがいろいろありますよね。
(ほとんどSFの世界なのですが・・・。)
で、これらが実は違っているかもしれませんよ?
ということなのです。
これらを否定しているわけではなく、
これらのことは悟りとはまた別のことで起こっている可能性がありますし、
あるいは、本来言葉では伝えることが出来ないものを言葉で伝えるわけですから、
それを聞いた人はどうしても勘違いしてしまいます。
釈迦が伝えたかったことを正しく受け取った弟子はとても少なかったとも聞きます。
「執着に苦しまなくなる」というのを、「執着が消える」と受け取った人もいるでしょうし、
「執着があると悟れない」と受け取った人もいるでしょう。
あるいは、私たちがイメージする「執着に苦しまなくなる」ですらないかもしれない。
「執着に苦しまなくなる」と聞いてイメージする内容は十人十色ですよね。
更に申し上げると、一般で言われている内容と実際の禅寺で教えられている内容とは、
かなり違っているということもあるようです。
また、細かく見ていくと仏教の宗派によっても言い分が異なっているみたいです。
一般的なことを信じている方からすると、
「悟りを開いたことがあるけど何か質問ある?」などというせりふは、
かなり衝撃的で刺激的で挑戦的なのかもしれません。
そこであえて言ってみると、
まあいろいろと面白いだろう、ということです。
>>249続き
> >適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
>
> そう言う話しじゃないでしょ?ww
> (ほんの些細な)「気づき」などに「悟り」という語彙を当てて表現すると、読むほうが「覚者」さんか?と
> 勘違いするので、そのような誤解を招く表現は一考したら ? ってことだろww
おっしゃりたいことは分かります。
ただ、悟りと言葉だけが独り歩きするより、
実際の生活において、本当のところどうなんだろう?
と確かめるのは大切なことだと思うのです。
>>210 > 私は、認めることが出来ないもののことを悟りと呼んでいます。つまり、悟りは無いのですね。
amaさんは仕事をしたり、お子さんや奥様とお話されるときはどういう心の状態ですか?
その「認めることが出来ないもの」のない状態で、言語や手足の運動や電話やメールや
資料の読み込みとったことができるのですか?
それともそんな日常的なことのときは「あれもこれも認めてしまっている」状態ですか?
単純なあれかこれかでもないような気もしますが、教えていただければと。
どんなに頑張れば
為るようにしか為らない
を得ることができるもんさ
>>215 お答えありがとうございます。とても役に立ちます。ご指摘の悟りたい心理があります。
例えて言うなら、私は手の中に悟りを掴んでいると思ってます。
その手は握られているから、中はわかりません。
でも、同時にそれが虚空であり、手の中はからっぽです。
それはどんなものにも、悟ったという知見にさえも、無常であり無我であるからです。
それは識ってはいます。が、手を握っているのが私の日常の精神の動きなのです。
でも握っているのが楽しいか、または手を開くのが怖いから、または手の中のものが
逃げてしまうのが怖いから、あるいはその全部で手を開こうとしていないようなもの
です。
書いていて少しスッキリしましたが、この働きは寄り頼む精神が依り場がなくなることを
恐れているのが原因かもしれません。
> もっと言うと、支え、あるいは、足場、といったものを認めて寄り頼む精神の動きです。
amaさんと私の差はこの「寄り頼む精神の動き」のような気がします。
この精神の動きを抑えられるかそうでないかの差は、何でしょうか?
強さとか、成熟の差でしょうか?修行をして精神を鍛えればなんとかなる的なものですか?
悟りなんてものは各々のイメージで全部違う
自由闊達でよろしいw
自分のイメージに向かって突き進んでいけば
大丈夫、為るようにしかならんさw
他人を批判してよろしい、他人を肯定してよろしい
勝手に自分の足場固めをすればよろしい
自分は何をしたいんだ?
押し付けられて従うのか?
>211
> 前からそうなのですが、473さんの書き込みは、
> 私には半分ほどしか理解できていないのです。
半分も理解できるのですか!
居並ぶコテさんや名無しさんの中でもかなりの高率かと思います。
その意味では
>>52>>69さん(同一かと思います)も相当手練ですね。
私はせいぜい2〜3割で、あとは「こんなことかな」でこちらで解釈せざるを
得ない感じです。この解釈が彼にとっては曲解、誤解と見えるのでしょうが、
そもそもの原因は473さんのわかりにくい文章です。
特に473さんはよく「自分だけの定義」を「本人から見ると当然だが、
他人から見るとなぜそれがでてきたかわからない」タイミングで書くので、
わかりにくいです。
もっといえば元々よくわかっていないことを無理して語ろうと、背伸びして
いるから、簡単明瞭に書けない真の原因があるのかとも思うのです。
ただ、このあたりは彼の社会性の低さにも起因することかとは思います。。。
早い話が「お前の言っていることはわからん!」と誰かに頭をポカっとやられた
ことがない、もっというとそういう経験をする場に出ていないからでしょうね。
ポカっとやられていれば、もうちょっと、知らないことを知っているかのように
語る危険性について、慎重であるでしょうから。
どんなに正論で支持されてる文章でも
神の名が一つでも入っていれば「ハイ、パス!」w
彼の文章の凄いとこは内容を確認するまでもなく
パスできるところ。ある意味ありがたい
とどのつまりは、単に合わないってこったw
>>254 イメージは違いますね、たしかに。
ただ、どうもスレの流れ的に2つにグルーピングできそうな気がするのです。
@ 悟りなんてないよ派
どのみち「それ」は掴めないし、掴めないものを掴もうとする精神作用も
止んだ状態だから、「それ」もそれを掴もうとする「精神作用」も収まって
るので悟りも悟りと呼ばれる状態もないよ。
A 悟りはあるよ派
掴めないかもしれないけど「それ」に触れた時点で、精神作用は収まって
いないかもしれないけど、一応語れるから悟りでいいんじゃね?
どっちが偉いとか良いとかではなく、単に流れとして。。。
>>257 じゃあ俺はA番だな
自分の悟りイメージに向かっていれば
気付きなんざ毎日のようにあるよ
そのうち大悟でもするんじゃね?w
まぁ、なるようにしかならんよ
別に楽しいから大悟しなくてもいいしさ
>>234 > その場合依然、amaさん自身はいつまでも、いわゆる個我です。
あなたはまだamaさんを捉えられるところにはいないです。
その断定は避けた方が宜しいでしょうね。
あなたは概念としての悟りしか知りません。
悟りの実態を論ずるには、誰かの悟りをあれこれ話すには、どうしても
あなた自身で「語られることのないもの」に触れることが必要です。
それはいかなる書物やレスを通しても得られず、ただ、あなたを通して
のみ得られるものです。
真に孤独な道程といいますか・・・いかなる教師も師も、その道程には
いません。
260 :
473:2012/07/14(土) 14:17:10.92 ID:4+selZJm
>>250 本当のところを模索している状態なのに、まるでわかったかのように表現してますけど。
結局もとの問いはそのまま残り、答えになってしません。
「悟りというのはーなのです」
などという切り出しは正に一人歩きです。
他の人は一人歩きしてるというのは事実かもしれませんが、「あなたの」一人歩きが議題なわけです。
473や草の人は、まあ、いわゆる誰でもわかる共通の指標ぐらいについて語ってるだけだから。
一休さんの逸話
親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がりこみ、
蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。
その時に帰宅した蓮如上人は「俺の商売道具に何をする」と言って、
ふたりで大笑いしたという。
トップランクに位置する坊さんに相応しい
いいお話だ
>>260 >473や草の人は、まあ、いわゆる誰でもわかる共通の指標ぐらいについて語ってるだけだから。
2人の思い込みがとても似ているとは俺でも思うが、
共通の指標だとはとても思えないね
263 :
473:2012/07/14(土) 14:32:13.51 ID:4+selZJm
>260つづき
>amaさんあてですね。
そもそも、そんなに人によって悟りという言葉から連想する概念が異なると知ってるなら、
悟りという言葉を使わず、別の言葉を使用すべきですよねw
それができないということは実際何も語ることがないのを悟りという言葉あるがままという言葉でごまかしていると取られても仕方がない。
>>201 > 行住坐臥が修行とも思わない。
> 行住坐臥は行住坐臥、仕事は仕事、生活は生活、遊びは遊び。。
> それこっきりかな。。
ここもうちょっと教えて欲しいです。
ろんさんの坐禅(三昧、定力)は、坐っているときだけで、
仕事しているときや世界つしているときや遊んでいる時や
473さんへのレスつけているときは生じていないものです?
それとも三昧のまま、こうしてスレを読んだり、レスを付けて
いるのですか?
>>263 あなたは整理分別できるほど、自身の中で整理できているのでしたっけ?
> それができないということは実際何も語ることがないのを悟りという言葉
> あるがままという言葉でごまかしていると取られても仕方がない。
amaさんには何の誤魔化しもありませんよ。
あなたの認識している領域はamaさんのそれより狭いため、まだ捉えきれて
ないだけです。
266 :
473:2012/07/14(土) 14:58:32.74 ID:4+selZJm
>260つづき
>amaさん
悟りという言葉を使わないのもありですし、あくまで仮定ということで悟りという言葉を使うこともできます。
なのに悟りにあらゆる定義や認識がある中、確信めいてそれを使って、周りの人は戸惑い、対照として自分は安心する。
そういう自我の働きがあると客観的には見える形です。
>>222 面白小話ありがとうございます。
禅僧の方って一本通っている方が多いですね。
ただ、そのサイトの著者さんは、ちょっと残念ですが取り損なってますね。
「不生を知る」の記事で「盤珪永琢の不生の気づき」の取り方が、人生の
生き死で論じられてるあたりがわかりやすそうです。
Wikiの盤珪
おりふしにひょっと、一切事は不生でととのうものを、いままで得知らいで、
さてさて無駄骨を折ったことかなと思い居た
サイトの著者さん
「生きない」ということは、お経に書いてあるけれど、
こうして死の間際に至るまで、そのことには気がつかなかったなぁ。
今までなんと無駄骨を折ってきたことよ。
そこは「生きない」じゃない・・・そこは「生じない」でなくては。不生不滅の
前後と繋がらないですし、「生きない」如きでは求道者が苦行からの回帰
するのは考えにくいですしね。
このサイトの著者さんは他の記事でもあちこち手を伸ばされてますが、
きっと「それ」には触れてないですね。
>>249 「執着に苦しまなくなる」をamaさんはどのようにイメージしてますか?
「寄り頼む精神の動き」が一切ない状態ですか?
「寄り頼む精神の動き」が何もないがゆえに、足場や支えとなるものも
何も生まれないから、執着も生まれないので、苦(dukkha:反応の連鎖
反応)もない、という具合ですか?
悟りではなく、思想の純化だったんですね。
あるがままの獣である悟りから法を編み、社会を作る。
違法の感情の励起を鎮めるために、法に沿わせて思想を流す。
法が脈なら思想は血液かな?
思想の純化から見える悟りは殻に包まれた様に映るかもしれない。
法が導かなかった残りがそこに有るなら、殻の中が地獄です。
270 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 15:45:55.03 ID:3plQTFG1
>>262 >2人の思い込みがとても似ているとは俺でも思うが、
>共通の指標だとはとても思えないね
wwwwww と、「思い込んでる」わけかww
271 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 15:47:35.64 ID:3plQTFG1
>>270 そう思ってるよ!!
一応確認しとくけど、お前ピーマン?
273 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 15:50:59.95 ID:3plQTFG1
>>272 ピーマン?wwww
パーピマンじゃいwww
なんか決めつけ覚者さんばっかだなw
そんなに自分が大事かいなw
出直してきなさい
>>273 >パーピマンじゃいwww
俺の知ってる人はピーマン閣下と呼ばれてたから、どうも人違いのようだね
言うは易く、行うは難しじゃ
行わねば何の体験もできんぞ
頭のてっぺんから足のつま先まで体験してみい
日々修行じゃ
277 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 15:59:34.77 ID:3plQTFG1
ほ〜〜〜〜〜、俺以外に、
「ピーマン閣下」と呼ばれていたやつがいたのか?w
そりゃ、知らなんだww
>>277 >ほ〜〜〜〜〜、俺以外に、
>「ピーマン閣下」と呼ばれていたやつがいたのか?w
なんだ、やっぱりピーマンなんじゃん!!
どうしたの? パーピマンなんてハイカラな名前付けて?
279 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 16:09:48.46 ID:3plQTFG1
>>278 ハイカラ?ww どこが?w
元々が、パーピマンw
それを安堂か観自在が、略してピーマンw
地獄を知らない思想が法を編むことは?
血液が漏れ、新しい血脈を伸ばし赴くままにコロニーを創るなら。
それは、野放しになった獣でしかない…か。
選挙ダメじゃんwwwww
282 :
473:2012/07/14(土) 16:35:42.33 ID:4+selZJm
>>272 >amaさん
つーか、多数決だから。
言葉の用法は、多数決にあわすって話だから、深刻になる必要はない。
例えば、amaさんの言う意味の悟りが多数決の共通認識なら、それが悟りでいいの。
それなら悟りは、かなりどうでもいいので、今までと同じ意味で使わない。
というか、概念とか、自我とか、夢とか、そういう単語と似た意味で使い出すから大丈夫。
だけど、多分多数決だと、草の人の言う意味に安定すると思うけどなあ。
amaさん
>更に申し上げると、一般で言われている内容と実際の禅寺で教えられている内容とは、
>かなり違っているということもあるようです。
これはどういうことでしょうか 釈迦の教えと禅の教えは違うと言いたいのですか
284 :
Ope:2012/07/14(土) 17:27:39.32 ID:0546rR5x
>>253 > 強さとか、成熟の差でしょうか?修行をして精神を鍛えればなんとかなる的なものですか?
誰かと誰かを比較して貴方は至っている、私は至っていないと、いう比較自体が変だが
妄想は面白くて止められない からなのか
弱さが足りないからなのか
わらを掴んでしまうのか
あるいは誤魔化しが止められないからなのか
どれだか誰にもわからん
>>257 B番 悟りは あるない どちらでもない派
285 :
Ope:2012/07/14(土) 17:33:59.53 ID:0546rR5x
>>261 > トップランクに位置する坊さんに相応しい
> いいお話だ
今だったら
見つかったら2人とも破門だな
でも門徒に訴えられて賠償責任になる
昔だったら、殺されてるだろう
286 :
Ope:2012/07/14(土) 17:37:00.20 ID:0546rR5x
>>260 > 本当のところを模索している状態なのに、まるでわかったかのように表現してますけど。
> 結局もとの問いはそのまま残り、答えになってしません。
オレからみると2人とも似たもの同士に見える
>>220 > >適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに
>
> 理屈なんてどうでもいい
> やれば勝手にそうなる
> 適度な執着というものは端から見れば、そう見えるだけで
> 本人にとっえは執着でもなんでもない
まったく同感です。
生活に没頭していないからあれこれ思い煩うのかもしれません。
288 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 17:49:57.53 ID:fb1GeSFG
>>251 ニカサさんはamaさんが男性だと見破られているのですね。
いままで紳士的にフォローしてきたopeさん、もう涙目ですね。
289 :
Ope:2012/07/14(土) 17:59:40.60 ID:0546rR5x
>>190 > 自我に実体があろうとなかろうと
> そこに存在しているように感じて、
> それに振り回されてるってのが問題なんじゃないの?
1つ聞くが、どうして振り回されるの?
290 :
Ope:2012/07/14(土) 18:01:37.90 ID:0546rR5x
amaさんとニカさんが卵ご飯食べれなくなったらどうしよう?
で思い付いたのが↓
それなりなので…
殻の中身は現実なんで、主観を持たなければ只の現象・可能性です。
価値観の無い中にあれば、汚いも綺麗も無いです。
なら、汚れとは?
法=価値観なら、法に沿わない思想を持つことが汚れなんじゃないかと。
汚れは思想を純化させた人でないと解らないかも知れないですね。
292 :
Ope:2012/07/14(土) 18:14:35.76 ID:0546rR5x
>>255 > 半分も理解できるのですか!
> 居並ぶコテさんや名無しさんの中でもかなりの高率かと思います。
何やら、レスの応酬ができる辺りをみると、
ニカサさんamaさん473さんは 通じ合っていると思います
同じ宗派なのか、あるいは同じ本を読んでいて、何か特殊な共通のイメージがあって
それで話ができるのだと思います
私にはさっぱり理解不能ですから
293 :
Ope:2012/07/14(土) 18:15:47.86 ID:0546rR5x
オレムさんとバカ女さんも通じ合っていましたね
あの内容はさっぱりでした
294 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/07/14(土) 18:16:39.87 ID:i+/v06jX
295 :
Ope:2012/07/14(土) 18:23:06.38 ID:0546rR5x
>>229 > ここで提案なのですが、amaさんの悟りの内容を
> 改めてみなさんに伝えてはどうでしょうか?
オレムってすごいな
誰を相手に何を語るのか?
あるいは悟りもどきを悟りだと思っていないだろうか
296 :
Ope:2012/07/14(土) 18:25:00.92 ID:0546rR5x
語れるとしたら
今、扇風機の風を感じます
ぐらいか
297 :
Ope:2012/07/14(土) 18:37:59.84 ID:0546rR5x
>>36 > 鳶は高いところに上がると力持ち的な部分で、実際に上がれば40s程度のパレットぶん投げます。
> あとは庭掃除から続く塗りものと貼り物の仕事手順と、木の隙間からの枯れ葉の掃き出しから、かき集めの変更が倉庫業に繋がるのと
どういう意味なんでしょう?
>>38 > つまり、どういうことですか?
執着に使われることの方が問題です
298 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 18:45:48.22 ID:fb1GeSFG
>>290 amaさんが女性だと思って何度もスレ立てしたり、色々フォローしてきたOpeさん。
気の毒すぎます。みなさんでOpeさんを慰めましょう。
合掌。
299 :
Ope:2012/07/14(土) 18:48:46.57 ID:0546rR5x
>>298 気がつかなかった、Opeって気の毒だったのか。
>>297 どういうことなのかの続きを見たいですw
ここはこんな感じ〜的な説明すれば、殆どの人が出来ます。
子供に餅つき教えるとかは、左手の10センチぐらいの話だったり。
そういうの諸々。
何度か書いてるスケールやスクリーンのサイズ変更は、たぶん庭の境界で、大きく考えたり小さく考えたり
並列したりして、仕事を理解してた名残です。
何故かこの枠は頭のなかでだいじにしてました。
301 :
神も仏も名無しさん:2012/07/14(土) 18:56:03.24 ID:fb1GeSFG
>>299 元気だしてねOpeさん。ネットじゃよくある話ですよ。
私はあなたが大好きです。それでは。
>>300 枠の中は、とても書ききれません。
感覚的な部分もあるし。
塗装は粗そのまま入りますが。
>>284 > B番 悟りは あるない どちらでもない派
それのBは言葉の上では存在するけど、現実のあれかこれかの
選択の前では無力では?
こういってはなんですが、そのBは戯論の類のような・・・。
悪いと言っているのではなくて、視点としては存在するけど、役に
立つか立たないかの観点ではどうなのかな、と。
取り違えてたらごめんなさい。
>>279 パーピマンwが正しいのか、間違えておぼえてたよゴメンね!!
えんえんと、えんえんと
すわじすたーな
パノラマ
1如となり
マクロとは空であり
ミクロとは色である
>>291 > 殻の中身は現実なんで、主観を持たなければ只の現象・可能性です。
> 価値観の無い中にあれば、汚いも綺麗も無いです。
えぇ、その通りですね。
主観を持ってもシュレーディンガーの猫のように観測問題が付きまとう気も
しますが、いまは別の話ですね。
> なら、汚れとは?
> 法=価値観なら、法に沿わない思想を持つことが汚れなんじゃないかと。
それも一つの対処法かと思うのですが、根っこは方便だと思うのです。
真の姿として清浄(綺麗も汚濁も離れていること)と認識しつつも、
教え諭す上で、分けて説明せざるを得ず「法に沿わない思想を持つことが
汚れ」「法に沿う思想が綺麗」となるのかなぁ、と。
でもそれはとりあえず、その場のTPOにあわせてそう言っとく、という類の
方便な気がするのです。
導師:今日は重要なことを話します
弟子:なんでしょう?
導師:重要なことは何もありません
シュレディンガーの猫ひろし、とは、、、
13スレ575
>何が正しいという前提が無い
究極の悟りですね・
まあ「悟りが有る」とゆうのは「ドーナツの穴が有る」と言ってる様なものかもしれません(笑)
>>289 >1つ聞くが、どうして振り回されるの?
「自我」を私だと思って自我の望み通りに生きようとするから。
>>290 >オレが女性だったらどうなるの
結婚してくれ!!
>>293 >オレムさんとバカ女さんも通じ合っていましたね
オレは女性だったら、誰とでも合わせられるのさ。DDだからね!!
>>295 >オレムってすごいな誰を相手に何を語るのか?
俺が語るんじゃないよ、amaさんに語って欲しかったの。
猫ひろしがオリンピックに行けなくても、ネタ的にはオイシイって事か
お笑い芸人だし…
>>309 で、実際のところドーナツの穴って有るの? 無いの?
「穴」をドーナツだと思って穴の望み通りに生きようとするから。
でも、実際のところ、ドーナツも他の様々な縁でできた穴みたいなもんだから、穴とドーナツを差別してはいけないよ
>>306 法に沿ったものを思想
法に沿わないものを言霊としましょうか?
思想が法に対して純化した人じゃないと見分けが付かないんじゃないかなと。
聞こえが良いだけの言葉に注意ですね。
法・思想と同じ次元に有るものは善悪(価値観)の評価を受けてしまいますね。
315 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/07/14(土) 20:50:00.88 ID:i+/v06jX
>>307 ごりこ さん
> 導師:今日は重要なことを話します
弟子:なんでしょう?
導師:重要なことは何もありません 」
導師 って、なに?
>重要なことは何もありません。
と言うことだそうですが、重要でない事は、在るそうですが、それはなんですか? と お尋ねします。。
>>314 昨晩の人ですよね?
とりあえず来ましたが、どうしますか?
>>316 こんばんわー
無限の細分化の続きからなんだけど。
空想の実験ね?
昨日の生命の問題を一枚の紙に見立てて、手で細かく千切ってぶん巻いてみてください。
100m離れて紙撒いたところ見て
貴方の価値観に値する切れ端を判別してください。
どれかわかったの?
>>324 細かく千切ってぶん巻いて100m離れたところから見て
だよ?
>>325 ああ、完全に視覚的な話をしてるのね。
じゃあ、わからないから、次に進んでください
判別出来なかったって事かな?
限定したテーマ内だけど、公平に細分化して、公平にぶんまけば(扱う)、自己は馴染んで消えるよね?
おーい
>>329 自己が馴染んで消えるっていうのは、
その100m先にばらまかれた紙片の中で、自分の回答が他と混ざって全部一緒に見えて
個別性の判断がつかなくなるってことね。
でおk?
>>331 そんなとこ。
100mは本来、都度自由に決められるスケールのことね。
今日はこんだけで、かける範囲で纏めたの書いとく。
ここまでが、多次元と自我消滅のヒントで、
答えは求めないけど、一枚の紙の形にするのに何が困るか、それが何に相当するかを、テキトーに考えてみてくださいな。
>>334 むしろ、自在性と弁論者としての欠損の結論のほう先に書いてください。
まとめはパソコン使いたいから、急ぎで出来なくてごめんね?
>>336 ああ、あとでまとめ書いてくれるのね。
ならそれ読むわ
>>337 じゃ
一応おやすみー゚+.(・∀・)゚+.゚
>>338 できれば。
あと、無理に難しい言葉使おうとしなくていいから。
自分で意味がちゃんとわかっている言葉を使って書いてください。
341 :
473:2012/07/14(土) 22:28:13.18 ID:4+selZJm
>>315 導師とは、自らの潜在性を映し出す鏡。
重要でないことというのは、永遠に後にした執着。
ということは、
私にとって命は重要でないといえず、
お金は重要でないといえず
身体の感覚は重要ではないといえず
家族の生命は重要でないといえず
社会は重要でないといえず
仕事は重要でないといえず
地球環境は重要でないといえず
株価の動向は重要でないといえません。
異性も深刻なことではないですが、ほかの事に深刻なときに逃げる場です。
そういう意味ではどんな些事も自分にとっては重要です。
自分にとって本当に重要ではないといえることなど悟りぐらいです。
342 :
無しよ:2012/07/14(土) 22:40:37.95 ID:KzqtmSWO
悟りがあるかないかなんて
悟ってからわかればいいじゃん
どんなだかわかるから
誰かが悟ってるか悟ってないとか
味見もしないで「このおかずは不味そうだ」とか
とはいえ、言葉にできないものを言葉でしか書き込めない2ちゃんで議論するって
不毛だけど面白いね
落語だよな
つい見ちゃう
こんにゃく問答みたいで
こんなスレ立てるamaさんは勇者ですね
蛮勇に近いけど
そう思ってもやっぱりamaさんは悟ってると思うんだよね
悟った人がこんなスレ立てて、中がしっちゃかめっちゃかでドリフのラストみたいで
ほのぼのします…シュールで
343 :
473:2012/07/14(土) 22:50:32.31 ID:4+selZJm
>>240 amaさんがどういう意味合いで語っているのかが非常に紛らわしかったのですが、
それについてはもう本人が明らかにしてくれたので謎は残っていませんね。
今働いている無意識を一切認知していませんでしたし。
何が何を語ってるか明らかになればどう語るかはもう問題ではない。
掲示板の難しさか。ここまで認識がずれているとは。amaさんにかけた言葉のほとんどは意味がない。
誰か別の人に言ったものだと理解されたし。通じるはずのないことを語りかけていた。
恐怖や執着との直面は凄まじい。それそのものは言葉に収まるほど生易しいものではない。
それに直面しないため、観念に逃避すること、他者を心理的に犠牲にすることは仕方のないこと。
悪いことじゃない。
悪は意識あるものだけが行える。彼には責任があるから。
無意識な存在には悪はない。それはそう起こるしかない存在だから。
世でいわゆる悪といわれる物事はすべて、責任あるものの自覚的な悪ではなく、無意識的な存在の自覚なき善いつもりの起こりにすぎない。
また、自身の自我においても、どんな理想を持っていようと、他者に何を言われようと、意識的であるほかにどうする術もない。
そのように見る存在にとってもう自我は存在しない。
473の無意識は、自我に、自我に無意識な存在に、思考に責任があるのだと
「理解しており」、
相変わらず自我を憎み、自我を愛して、自我に執着している。
このように、あらゆる理解は執着であり、誤解と無知なのである。
それゆえに宗教における理解とは、理解ではないからこそ理解といわれるようなもの。
344 :
473:2012/07/14(土) 22:53:32.70 ID:4+selZJm
>>240 続き
人と会っているとき、2ちゃんをしているときにその思考を使おうと、例え同化していようと特段問題はない。
しかし、目の前にないときにそれについて考えているとすれば、自身で制御不能な執着ということ。
自分の言葉に執着していれば、他者の言葉にも執着する。
私はかたるものであって私自身が言葉でなければ、他者の言葉を聴くものであっても他者の言葉ではない。
これはひとつの執着と解放を示唆する。
しかし、それすら問題そのものではない。
直面したくない問題、感情、苦しみ、それらから逃れるためにこそ、自我はどうでもいいことに次々と関わろうとするもの。
2ちゃんでも他のことでも変わりはない。さもなければこんなものに執着する動機がありえない。
問題の中核はそこではなくここにある。押さえ込んでいる苦しみや悲しみや恐怖に。
たとえ地獄が幻でも、地獄から逃げているうちは地獄は幻ではなく現実的な影響を持つ。
しかしその地獄すら、より根本的な執着と直面したくないがゆえの逃避なのだろう。
体との同化というが、体との同化が何であるか知る人は少ないという。私も会ったことがない。その中にいるのに。
もしそれに直面できたならそれを捨てないではいられないらしい。
深刻にならなければ、もっともっと深刻な問題から逃げていたと気づく、が、それに深刻にならなければ、更に深刻な、、。
深刻さとは自我が生き延びるための必須のもの。
深刻さから逃げないで更なる深刻さに向かい、かつそれに深刻にならなければ、皮はむかれてゆくのか。
345 :
473:2012/07/14(土) 22:56:56.75 ID:4+selZJm
346 :
473:2012/07/14(土) 22:58:51.89 ID:4+selZJm
訂正
>私も会ったことがない。
体との同化という働きにです。
>>345 思想に純化してたら、潜在的に避けるのは致し方無いですね。
思想は其処に向かわせないための教育・システムですから…
>>344 逃げていいこと、逃げるべきな事を間違えた自分にとっては、永遠のテーマなのかもしれないです。
350 :
473:2012/07/14(土) 23:51:27.19 ID:4+selZJm
>>347 瞑想というものにその思考の純化が必ずついて回ります。
目覚めに向かう際に、「瞑想=瞑想という思考」にトータルになる際に、
現実味の在るビジョンを見る、体験をする。
夢との同化、精神との同化。(オカルトチックに言えばメンタル体との同化)
瞑想という思考にトータルになり、そしてこの体験という自我の罠をかわせば目覚めを妨げるものはない。
トータルになった思考が消えれば、そこには初めて知る空白がある。
逆に、ほとんどの人が引っかかるより無意識の暗闇に落ちるポイント。
それゆえに、どの師も、眠りの中、牢獄の中、苦しみの中にいて完全にお前たちは無力なのだという
事実を繰り返し述べ、ここで犠牲にならぬように気遣っています。
目覚めていなくても、無意識の牢獄の中にいると、知識だけでも理解していれば、道の人です。
このスレ的にはそっちが悟りなので、悟りは真理への障害である、というのがこのスレのルールにあった表現かなあ、とか。
無意識でまず出会うのは、自分が未熟であったころバカな振る舞いをして、人から拒絶された苦しみが多いと感じます。
そのときは、それがバカなことだと分からなかったので、その心の傷が、自分を責めることだけが納得の方法であり、生き延びる方法でした。
しかし、今ならそれがバカなことだったと分かる。
自分の責任で選択し、結果を受け入れられる。
だからもう、その心の傷はいらないよ。と。
351 :
473:2012/07/15(日) 00:02:25.12 ID:bCrUnJv3
>>347 ×そこには初めて知る空白がある。
意識がある状態で、思考が消え空白であるのはこれが初めてである。
それまでは空や沈黙についての思考、欲望に過ぎない。
深い眠りの中、無意識で空白ということは、あるらしいから。
352 :
ろん:2012/07/15(日) 00:04:02.25 ID:CEd4fz/p
>>264 酔っぱらってレスして悪いですけど、知りません。。。w
まあ普段の生活で、人とぶつかるとか気になる、ということはなくなった気がしますが、
普段の生活では三昧とか定力とか意識してませんので、ないのかあるのかもわかりません。。
まあ人よりバカになるw(もともとか??w)ということはあっても、なんか修行者らしいことがあるかと言ったらないかもですね。。w
そもそも日常生活で、仏教とか禅とか必要ないんじゃないでしょうか?
何か自己に問題があるときに、その解決法の一つとしてあるのかもしれません。。
レスつけてるときはあると思いますけどね・・すべてはある意味で自己ですから。。
>>473 ちょっと答えづらいかもしれないけど質問させてください。
あなたがこのスレにこんなに書き込む本当の動機は何ですか?
354 :
ろん:2012/07/15(日) 00:06:37.08 ID:jRvQbln5
>>267 盤珪の記事まで読んでないからわからないですが、不生は、ニサカさんの取り方でいいんじゃないでしょうか?
355 :
ろん:2012/07/15(日) 00:13:53.57 ID:CEd4fz/p
不生不滅、この世のすべては生ぜず、滅せず、の空性である。。
あるいは生じたことを知らず、滅したことも知らず。。
生まれたことを知らず、死んだことも知りえず。。
なんか永遠の生命、意識だけが実在という感じかな〜?
>>344 英雄の凱旋。
血塗れた拳
血塗れた剣
満面の笑顔
拍手喝采
357 :
ろん:2012/07/15(日) 00:15:18.08 ID:CEd4fz/p
酔っぱらった寝る〜。。
358 :
473:2012/07/15(日) 00:18:04.98 ID:bCrUnJv3
>>347 350大嘘を書いてしまった。
「瞑想という思考」ではなく「瞑想という欲望、動機」です。
目覚めの前、人は意識があるときは欲望、動機によって表層意識を占有されています。
瞑想に打ち込み、瞑想を欲することで、表層意識がひとつの欲望に純化され、
そのひとつになった欲望が静まるとき、表層意識に空白ができ、目覚めがあります。
思考というものは無意識の執着のことでもあるので、部分的にでも思考をどうこうできるとすれば、
目覚めの後、表層の欲望との同化が片付いてからです。
そのために、表層意識を瞑想というひとつの目的でいっぱいにする。
そしてそれは目覚めと堕落の2つの可能性がある。
>>353 いろいろあって、理由は前スレから全部かいてます。
本当の、というより、いろいろ、良くも悪くもです。
その理由にも変化の兆しはあります。
>>358 >本当の、というより、いろいろ、良くも悪くもです。
本当の、が聞きたいのです。
473さんがもし喋りたく/知りたく
ないのであれば答えなくても構いません。
あ、そうそう。
純化した思想が獣(悟り)を"諭す事を"ふしぎ発見!"しました。
当て字になるけど悟りと諭りの共存はどお?
361 :
473:2012/07/15(日) 00:28:16.00 ID:bCrUnJv3
344 と、創造のきっかけをもらいにです。
他に2つあった目的はもう終わったかな。
それにたいしたことじゃないよ。この書き込みについては。
逃避の対象はいくらでもある。
ここは逃避の対象としてはあんまり甘くない分ましかも。
やりすぎると疲れるけどね。
逃避のときもあれば、そうでないときも有りそうだし、一定はしない。
本当の、というのは、もうここに来る理由と関係ない根本的な理由。
自我と同化してるから、になるかな。
362 :
Ope:2012/07/15(日) 00:30:00.06 ID:e26eSULM
>>301 > ネットじゃよくある話ですよ。
想像していた人と全然違うってことですか?
あなたは、amaさんがどんな人物だと想像しているのでしょう?
良い人物像を描いていたのでしょうか。
私も人物イメージはしています。
コテの人物像は描いています。そうでないと面白くありませんからね。
amaさんは・・・ここでは書けません。
書けない理由も書けません。社会人ですから。
>>350 無力の飲み込みが、難しそうというか、環境に凄い気を遣ってるのが解るというか、感じますね。
自分は犯罪の予見が止めどなく流れてきたので、キツかったですね。
364 :
Ope:2012/07/15(日) 00:35:14.97 ID:e26eSULM
>>303 > そのBは戯論の類のような・・・。
・・・
そうですか。
追い求めると逃す訳がそこにあるからなんですよね。
>>361 なるほど。ちゃんと答えてくれてありがとう。
366 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 00:42:20.43 ID:2ux8n3hN
@
>>249 まず、初めに、
>「執着に苦しまなくなる」というのを、「執着が消える」と受け取った人もいるでしょうし、
>「執着があると悟れない」と受け取った人もいるでしょう。
>あるいは、私たちがイメージする「執着に苦しまなくなる」ですらないかもしれない。
>「執着に苦しまなくなる」と聞いてイメージする内容は十人十色ですよね。
→執着に苦しまなくなる・・・・????
こう言う言い回しが、貴方独自の解釈であり、少なくとも、仏教的な悟りとは異なるものでしょう?
大雑把にいえば、「苦の原因は煩悩です。そして、その煩悩を生じせしめるのが、我執、妄執などの
「執着」です。(だからこそ、苦を滅するために、『我と言えるようなものなど無い』と観ぜよ。
と説かれる訳です。)」
「執着」というのは苦を生み出す『因』なわけで、それを「苦るしまなくなる」は成立しないでしょう?
そして、そこで貴方の言わんとしていることは、(249で書かれていることの要旨は)
「悟りと言っても、各バリエーションがある。」ということですよね?
それはそうでしょうw 俺の知り合いには、「悟れば、空も飛べるし、何万年でも生きれる」と
本気で信じ込んでる奴もいますよww
でも、そういう極端な例を取り上げても意味がないでしょう? 例えばですな、
「ある女子高生が、ボランティア活動を経験して、『私は今まで全く分かっていなかった。
でも、この活動を通じて、はっきりと分かりました。皆んな繋がってるんです。世界は一つなんです。』
と、心境の変化を語ったとしましょうか?」
さて、彼女は「悟った」のでしょうか?w 勿論、彼女の中で心境の変化が起こり、世界観も
変わったのでしょうw しかし、この変化を 『仏教などで言われる』 「悟り」と言ってしまって
よいですか?
ごく一般的に、使用される「宗教的」悟りとして、適切でしょうか? ということなんですよw
367 :
Ope:2012/07/15(日) 00:42:25.55 ID:e26eSULM
>>310 > 「自我」を私だと思って自我の望み通りに生きようとするから。
外れていないけど的を射ていないから、もう1つ聞くけど
どうして「自我」を私だと思うの?
> オレは女性だったら、誰とでも合わせられるのさ。DDだからね!!
オレムは幸せな奴だな
368 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 00:43:13.55 ID:2ux8n3hN
A勿論、「俺は長年の訓練の末に、ついにバッティング技術の奥義を『悟った』ぞ」・・・・という
言い回しもありだが、それは、宗教板で取り上げられる「悟り」ではないでしょう?w
このような宗教板で、 「私は悟っています。何かお聞きしたいことはありますか?」ときたら
通常は、この「悟っている」という意味を 『常人とは異なる心境の人』 『何か分からんが、
とにかく、一般人とは異なる高次の境地に達している人』 あるいは宗教板なので、仏教的な意味の
悟りというものにリンクして考え、『煩悩を滅した人、執着を滅した人』・・・・・
通常はこのように考えるでしょう?
「言葉」は共通認識の上に成立するわけです。
ほんの些細な「気づき」「心境の変化」を経験しただけで、未だ、「執着を残し」「苦を滅していない」
人を『悟った人』とするのは、誤解を生むだけでしょう?
このスレを初見する人は、(本当にいるとは思ってないかもしれないが)心のどこかには
本物の「覚者」さんがいるのか? という思いをわずかながらでも持って覗くのでは?ww
勿論、貴方が自分のことを指して、
「私は、悟っています。 あらゆる煩悩の火を吹き消しました。全てのものに対する執着はありません。
生死を乗り越えました。」
と言うのであれば、「悟っている」と表記も何の問題もないでしょうw
(事実、「2000年に一度」とか言ってる人もいますしwwwww)
後は貴方の言辞が真実であるか?否か?だけでしょうww
369 :
473:2012/07/15(日) 00:51:35.41 ID:bCrUnJv3
>>347 358も勇み足で焦ってました。
まあ、微妙な嘘が混ざってたほうがいいのですけど。
全ての思考が消えることが目覚めなのではなく、意識があるとき、表層意識を必ず占めている思考や欲望に
空白ができることが目覚めといいます。
表層意識のそれが消えることが目覚め。
無意識に直接働きかけられるのは、意識があり、かつ、表層意識が空白である覚醒あってのこと。
無意識は表層意識とたびたび入れ替わるので、間接的なアプローチはいろいろ人生であります。
>>367 >外れていないけど的を射ていないから、もう1つ聞くけど
>どうして「自我」を私だと思うの?
私の中で「私」と呼べるのは「自我」しかいないから。
ところで、Ope的はこの質問に対する的を射た答えって持ってるの?
371 :
473:2012/07/15(日) 00:54:18.11 ID:bCrUnJv3
>>365 本当のというより、
今、ちょっと気分的にさぼり気味な感じだったので、ドキッとしました。
ありがとうです。神様。
372 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 00:54:45.02 ID:X/2EXnlw
ニカサさんは女性なのかなぁ
373 :
Ope:2012/07/15(日) 00:54:51.25 ID:e26eSULM
>>370 > ところで、Ope的はこの質問に対する的を射た答えって持ってるの?
そんなものあるわけないだろ
答が的を得ているかどうかはわかる
374 :
Ope:2012/07/15(日) 00:56:30.43 ID:e26eSULM
訂正
答が的を得ているかどうかはわかるようだ
その答えを見ているときに確かめるから
375 :
Ope:2012/07/15(日) 00:58:40.00 ID:e26eSULM
ちなみに、社会人として書きにくいが、答えると
>>370は的を射ていない
>>375 そう言うだろうと思って、答えをダブルミーニングで書いときました。
473氏!
何となくでいいです。
自分が無心の見当を持ってたとして、方角のようなものを知り得そうですか?
378 :
Ope:2012/07/15(日) 01:11:16.14 ID:e26eSULM
一応社会人として、確かめた答えを書くと
思考を私のものだと思うから
自我の働きによって
> 「自我」を私だと思って
> 「私」と呼べるのは「自我」しかいない
自我は働きだから私ではない
>>377 大晦日に托鉢のお坊さんに貰った紙に書いてあったってだけのことなんですけどw
380 :
Ope:2012/07/15(日) 01:16:41.44 ID:e26eSULM
>>379 無心がわかりましたか
それが方角を示すでしょう
>>378 なるほど、そういう意味だったか・・・
俺の答えはもっと単純、
私の(意識)の中で、(私の事を)「私」と呼べる(呼称する)のは「自我」しかいない
(他のものは私と呼称しない)から。
もうひとつは、
(最終的に)私の中で「私」と呼べる(対象となる)のは「自我」しかいないから。
だね。
383 :
安堂:2012/07/15(日) 01:31:02.51 ID:gIlDJF03
坐禅中・・・・・・・・・
/
(´Д`)/
( つ
(。・ω・) ( ̄。 ̄) (。・_・。 ) (ToT) (⌒∇⌒) (´∇`w) (>_<;) (◎o◎) (−_−)
(Ope ) (オレ ) (ama ) (473 ) (ろん ) ( 馬 ) (安堂 ) (ポッタン) ( 鬼 )
/ ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\ / ⊆∽⊇\
 ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄
384 :
Ope:2012/07/15(日) 01:31:29.87 ID:e26eSULM
>>381 今も昔もずっと変わらずあるもの
>>382 まあ、決まった答はもっていないし
明日になれば変わっているかも知れん
だって、その時に何が確かめられるかは予測できないし
385 :
Ope:2012/07/15(日) 01:34:34.13 ID:e26eSULM
>>381 たぶん知ってるはずです
いつも感じている それ
ずっと意識している それ です
386 :
Ope:2012/07/15(日) 01:37:08.02 ID:e26eSULM
子供の頃からあったもの
大人になっても変わらずあるもの
歳をとらない それ
ある本では心の休憩所と書いてあったと思います
>>386 逆に難しく考えてましたorz
ありがとうございます。
388 :
Ope:2012/07/15(日) 01:59:23.28 ID:e26eSULM
>>368 > 「言葉」は共通認識の上に成立するわけです。
もしも共通の認識があったら言葉など不要です。
言葉では伝えられないものを伝えたというのは、このことです。
※拈華微笑のこと
>>366 > →執着に苦しまなくなる・・・・????
それを、あなたは本当に確かめたのかと聞くより
まず確かめてみることが先決でしょう
389 :
Ope:2012/07/15(日) 02:12:01.59 ID:e26eSULM
>>366 > 俺の知り合いには、「悟れば、空も飛べるし、何万年でも生きれる」と
> 本気で信じ込んでる奴もいますよww
・・・
むかーし、空中浮揚といってペテンにかけた人がいたようですが
(どうみても、脚をばたつかせているだけの映像ですが)
まだそんなもの信じる人がいるのですか?
390 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 03:30:06.39 ID:2ux8n3hN
>>388 は〜〜〜〜〜? なんだって?www
>もしも共通の認識があったら言葉など不要です。
wwwww お前も、人のレスの趣旨をわからんと横レス付けるか?www
「言葉を介さずに」どうやって、コミュをとる?
お前は、テレパスか?www
拈華微笑?wwww
(そもそも、その話し自体が創作だとされてるんだがw・・それを置いておくとしても)
その話における釈迦は摩訶迦葉のことを、その話以前にどのような境地にあるのか
ある程度は了解してるわけだw だからこそ、摩訶迦葉の微笑を了としたわけだww
どこの誰とも分からん、初めてあった奴が微笑したからと言って、釈迦が法脈を継がせるか?ww
そして、このような掲示板で、コミュをとるのに、言語を介さずにどうやってするんだ?
お互い知らんもの同士w 言葉によるしかなかろうが?ww
ならば、当然、お互いが使用する語彙の意味合いには、共通認識が必要であると言ってんだよww
そして、通常の意味合いと異なる使用法をするのであれば、その旨を示し、相手の理解を
得る必要があると言ってんのww
こんな掲示板で、不立文字言ってどうなる?ww
>> →執着に苦しまなくなる・・・・????
>それを、あなたは本当に確かめたのかと聞くより
>まず確かめてみることが先決でしょう
は?w
別に、「 あなたは本当に確かめたのかと聞いて」などいないのだがww
執着が苦を生む因であるのに、それに対して、「苦しまなくなる」というのは
おかしいでしょ? って指摘しているだけなんだがww
391 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 03:32:35.33 ID:2ux8n3hN
>まだそんなもの信じる人がいるのですか?
いるんだよww
勿論、麻原のことを信じてるわけではないがなw
なにやら、インドには、そういうのがおるそうなw
392 :
473:2012/07/15(日) 03:59:55.15 ID:bCrUnJv3
>AMAさん
>もしも共通の認識があったら言葉など不要です。
確かに、共通の「認識」があれば言葉は不要です。
しかし、共通の認識はない。
だから言葉が必要になるのだけど、この場合言葉には共通の概念や客観的に把握可能な共通の特徴が必要。
その結びつきがない場合、言葉は全く機能しない。
共通の認識がないのに、なんとかその認識を伝え合おうとするのが言葉。
だから、言葉の定義については互いに擦り寄る必要がある。
互いに同意できる概念や、客観的特長で、言葉に共通の定義がないなら、
互いに異なる認識を持っている上に、言葉の定義まで違ったら本当にコミュニケーションがとれない。
認識の伝達は不可能になる。
ここは互いの歩み寄りというか、常識に合わせればいい。
別に473はAMAさんのいう悟りが悟りだというルールでこのスレッドを運営してもいいのですけどね。
テンプレで、これこれこういうものが悟りですと明言していれば。
悟りというのはこういうものですという後出し定義は勘弁。
その場合、悟りは真理への障害なので、いかに悟りを避けるのが大切か語ります。
ろんさんへ
もう探すのもめんどくさいのでうろ覚えでレスします。
行住坐臥いつでも意識してる理由は二元的にならないためです。
よく接心に行くのを楽しみにしてそれ以外の仕事や生活をまるで地獄とばかりに
精神病院やリハビリ施設の様に利用する方たちがいますが、間違いとは言いませんが、
やはりこれらのやり方は二元的になるのではないかと言うことなんです。
接心を善としそれ以外の生活を悪とする様なものになるんでは 、ということです。
おっしゃる通り呼吸でなくても車の運転であったり友達とのお喋りもいいし、
洗い物や洗濯掃除でもいいと思います。
要は今ここに集中するだけですから。
自動的にこれらのことをするのではなく
意識を絶やさずにそれらに注意します。
ふと気づくと洗い物しながら明日は何を作ろうとかゴミ出さなきゃとか考えてたりします。
そこで自分を叱るのではなく落ち着いて今してる事に注意を戻します。
おかげで手が滑ったり包丁で指を切ったり運転していて危険な目にあったりしなくなりました。
自己を忘じ切るの意味を誤解してたかもしれませんごめんなさい。
24時間常に忘じることなのかと。
まだ自然のある所に行くのを楽しみしてる自分とゴミ出しになり切れない自分がいるので修行あるのみです。
観察についてはろんさんの見解はよく分かりませんが私の場合、自分が観察してることすら忘れて観察してるようです。
また長くなったのでこの辺で。
>>229 そのものをお伝えすることは出来ませんが、
一言で申し上げると「あるがまま」です。
楽しいときは楽しく、苦しいときは苦しい。
実になんでもないことで、
そっくりそのままのこれ、です。
あまりにもそのまますぎて肩透かしを食らって脱力するかもしれないようなことです。
あまりにも当たり前です。
私が考える以上に当たり前です。
私の思う当たり前など消し飛んでしまうくらいの当たり前なのです。
それを私は「あるがまま」と表現するのが好きです。
あるいは、「あって同時にないもの」とか
「すべてであり同時にすべてでないもの」という表現もいいですね。
このあるがままから出て(振り返って、認識して)、
いいとか悪いとか、優れているとか劣っているなど、
評価・分析・判断・解説するのが迷いであり混乱です。
もちろん、それもあるがままの中に含まれているのですが、
それが見えなくなっているので、
何とかしたい、と思い、人によっては悟りを求めるわけです。
そして、ついには、あるがまますら手放して・・・。
「今」は明らかに人知を超えていますよね。
その中にいるのに認識できないのが「今」ですね。
私たちは認識できないものの中で生きている。
それをつかんであれこれやろうとするのが迷いですよね。
やってもいいのですがしなくてもいい。
長々とすみません。
13スレ575
>何が正しいという前提が無い同士でしたら、沈黙しあうだけでしょうね
釈迦が沈黙のうちに花を差し出し
それを見た弟子が微笑んだとゆうエピソードがありましたね
何故に花は咲くのか
ただ 花は咲く・
>>232 悟ることで私に何か変化があったかというご質問でしょうか?
そうなら、なにも変わらないです。
一方、それそのものになりきっていいのだ、
という理解は、私をとてもシンプルなものにしてくれますね。
その意味では身軽と言っていいかもしれません。
楽しいときは楽しく、苦しいときは苦しい、
焦るときは焦り、戸惑うときは戸惑う、
悩むときは悩み、怒るときは怒る、
冬は寒く、夏は暑いのです。
そして、それは、はじめからそうだったのですね。
>>393 いや、まともに坐っていれば、坐以外の生活も自然と整う。
坐とそれ以外の生活、と言う区別、ギャップは、小さくなっていくでしょう。。
どのような自己の状態、周囲の状況であれ、そのままに肯うことができるようになると思います。
言いかえれば、自他ともに、必要なとき以外は、基本は手放しで、必要な時だけ、バチっとコントロールと言う感じかと思います。
逆に日常の動作の時、それだけに集中して、今を逃さないように、妄想が涌いたら、今に戻ってなんてことをやると、
今とそれ以外と言う、区別、二元対立を自分でつくって、縛ってしまうことだから、止めた方がいいでしょう。。
妄想は自分がつくってるものじゃないし、原因があるから沸いてくる、それさえも法なわけです。。
除こうとしたり、妄想と言うレッテルを貼ることも余計です。。
意識が絶えるなんてこともあり得ないわけですから、日常はつくりごとをせずに、そのままにしていることが動中工夫ではないでしょうか?
逆にそのままを肯えないとか、いじってしまうことが、一つになれない原因であるように思います。
>>307続き
導師:重要なことをはなしなさい
弟子:
導師:
・
>>234 > これはどこまでも、自分の状態ではなく、対象ですよね。
> 自分を残したまま
> 何かあるというイメージに反対する何もないというイメージを、
> 悟りがあるというイメージの反対のイメージを
> 沈黙というイメージを
> 描いていませんか。
いえいえ、違うのです。
申し訳ないです。
そのものをお伝えするのは不可能です。
> amaさんは自分が悟りであることではなく、悟りを見たり感じたりすることに意識がいってるんじゃないですか。
> その場合依然、amaさん自身はいつまでも、いわゆる個我です。
自分が悟りでもありませんし、
悟りを見たり感じたりすることもできません。
そこに意識を向けることもできません。
いや出来ます。
私も含めみなさんやっています。
出来ないことをやっているのです。
意識できないものを意識して創作しているのです。
>>251 言葉足らずですみません。
私たちは、今、という瞬間において認識しているのではなく、
一瞬遅れて物事を認識していますよね。
認識できないというのは、そういうことです。
明らかに今を生きているのですが、今は認識できない。
認識できないけど、明らかに今を生きている。
なぜ、認識できないのに、今を生きているなどと言うのでしょう?
これが、認識できないものを認識するということです。
やってもいいけどやらなくてもいいのです。
メールが届いたとき、認識しないとそれが届いたことが分かりません。
認識するということは、とても必要な場合があるので、この機能がないと生活できません。
でも、人間は精神が認識しなくても、体が勝手に動くこともありますよね。
たとえば、まぶたは、異物の混入を防ぐために条件反射的に閉じますし、
ピアニストの指は指自体が次の動きを覚えていて勝手に動いています。
つまり、認識してもいいししなくてもいい、必要なとき(こと)にだけ認識すればいい、
悟りを認識する必要はない、ということです。
特殊なことを申し上げてはいません。
普段の当たり前のことです。
我の思い、我の身体、我の所有物、
これっぽちも自分のもんなんかないんです。
>>253 私の場合のお話をさせていただきます。
何か困ったときなどに寄り頼む観念がありませんでしょうか?
私の場合はこれが「あるがまま」だったのですが、
確かにそれは寄り頼めるのです。
「あるがままだ」と考えることで、すっきりしてとりあえず解決します。
ただ、それゆえに、この観念を手放すことが難しくなってきます。
どのようにして最後の観念を手放すかは人それぞれでしょうから、
特定のお勧めの方法というのはありません。
いろいろとあがいてみるしかないのかもしれません。
禅では、とにかく座れと指導するみたいです。
あるいは、誰かの一言で・・・、という逸話もありますね。
あともう一歩というところまで来ている人には、そんなことも起こるみたいです。
>>255 > 半分も理解できるのですか!
すみません。
半分というのは言葉のあやで厳密ではないです。
私も2〜3割のことが多いです。
一方、8割程度分かることもありますので、
まあ平均して半分くらいかな?くらいの意味です。
>>400 "あるがまま"に対して不用意なんですね。
宗教的に保護された環境に在る方なのかもしれないですが、一般的な環境で"あるがまま"を受け入れることにリスクが有ることを分かってないような気がしますね。
読んでもらって無いかもしれませんが、リクトウは"あるがまま"の究極で、其処まで行かなくても得てしまう物が有ります。
殴られて無意識下の"あるがまま"で、ベンチプレス15sなんとかの者が、左手1本で刺青背負った者を押さえ込んだりします。
右手が残り構えていた者に意識があり、技を使える状態だったらと思うと恐い話です。
恐らく、貴方の言わんとしている悟りは、同じ環境に住まないと解らないのではないかと思います。
周辺環境に問題がある人に、"あるがまま"を誘導出来ないです。
一見キレイな言葉の裏に潜む問題に気づかないケースも多々有ります。
>>404 最後の2行が発生させる犯罪に、レイプは間違いなく含まれます。
悟りを得る過程に、自身が起こす犯罪の出現を回避する何かが、
寺院や協会には在るのだと思いますが、それは非常に限定された場です。
極端だなw
犯罪を起こしたい欲求があるのか?
おまわりさん呼んだほうがいい?
単なるエゴの損得勘定でも犯罪は止まるぞ。
ヤクザでもやたらめったら人殺ししないだろ。
>>407 あるがままと言うのが、そもそも極端ですからねwwwww
普通は主観が行動を抑制・平均化しますよ゚+.(・∀・)゚+.゚
>>260 > 本当のところを模索している状態なのに、まるでわかったかのように表現してますけど。
> 結局もとの問いはそのまま残り、答えになってしません。
すみません。
もとの問いは、どんな問いだったでしょうか?
>>408 目指すべき「あるがまま」なんてあっちゃあ、あるがままにはならんからなあ。
あるがままを見ようとしても、それは意図された「見ようという行為」でありあるがままとはならない。
あるがままの人はあるがままを知りようがない。
411 :
ろん:2012/07/15(日) 10:18:14.55 ID:CEd4fz/p
問題は悟りなのか惑いなのか、恐らくは惑いなのだろう。。
誤解、誤認、錯覚、と言ったほうがいいのかな、それがなくなることを仮に悟りと言うのだろう。。
人間だけが自己を対象化して意識する、このままではいかんとかおかしいとか、居心地が悪いようなとか、
そこら辺の根源を意識すると、結局もとの自分を対象化して、ないものをあると思ってしまっているところに辿り着くのではないだろうか?
無我だとか空だとか無自性だとか法だとか言ったところで、私があるという感覚、実感、拘りはなかなか消えない。。
これが消えることを、なくなることを、自己を忘じきると、僕は言っているのだけど違うかな?
誰かわかる人がいたら教えてちょ。。
412 :
ろん:2012/07/15(日) 10:21:05.95 ID:CEd4fz/p
そのままでいい、あるがままでいい。
しかし、そのままとかあるがままでいいと確認している自己がいると、何かつくりごと、不自由。。
これがなくなることが悟りなんでないかな〜?
無心と言えば無心、仏教も禅も悟りも迷いも、すべて消えるところ。。
413 :
ろん:2012/07/15(日) 10:23:03.00 ID:CEd4fz/p
今なんてものは認識できないのに、なぜ今にいるとか、いないとか思うのか、確認するのか?
これもなんか中途半端・・今なんてものを忘れたところに、本当の今があるのではないだろうか?
>>410 >あるがままの人はあるがままを知りようがない。
たぶん警察に捕まるので、説教されて気付きますねw
415 :
ろん:2012/07/15(日) 10:28:33.15 ID:CEd4fz/p
百尺竿頭進一歩 十方世界現全身
坐っていると、ものみなと一体であるという気がする、ふすまも自分だし、布団も自己だし、車が風を切ると音も車も運転手も自己であるような。。
秋に虫がなければ、虫が鳴いている空間全体が自分であるような。。
だけど、僕の場合、これは静かにしている時、坐っている時だけなんだな。。
でも、坐っている時の感覚の方が本当で、僕が僕でしかない時の感覚の方がウソなのかもしれない。。
416 :
473:2012/07/15(日) 10:29:49.49 ID:bCrUnJv3
>>amaさん
amaさんがどんな意味で語っているのか、非常に紛らわしいところがありました。
既存の言説と似ていながら、妙に違った印象を喚起するのです。
しかし、それもamaさんが自身の認識や見解を明らかにすることで解消しました。
amaさんがどんな認識で何を語っているのかということが表現されています。
amaさんが何を悟りといっているのか表現されています。
amaさんの軸というものが表現されています。そしてそれは普段の言葉からは見えにくい軸です。
これらを読めば私が想定する意味合いで誤解をすることはそうそうないでしょう。
あくまで、この一連のamaさんの書き込みを読めばの話で、
これまでどおり語るなら、既存の経典と言葉が似ていて意味が違うという紛らわしさで混乱してしまう人もいるでしょうね。
ここを見れば、その真意もわかるのですけど。
というわけで、また同じ疑問を出す人がいたとき、ここに誘導してあげてください。
無意識にある他者の意見の影響をすべて断ち切り、独り立つ人なら他者の真意なんかどうでもいいのですが、
一時的に影響を受けて役に立てようとするなら言葉に含まれる他者の真意の把握は大切。
言葉が魅力的だと、受けるべき影響でなくても、影響を受けたくなってしまうのでそういう意味で危険。
影響を受けないというのも難しくはないが、簡単ではない。
自我は言葉に目がない。自我は言葉を利用する。
417 :
ろん:2012/07/15(日) 10:30:36.49 ID:CEd4fz/p
しかし本当の安心と言ったらこれしかない気がする。。
全体と一つである、という安心感・・他の安心は不安と隣り合わせでさ。。
大安楽の法門。。
>>415 外で仕事して座に還って日記付けるような?
(´・ω・`)善いのでは?
419 :
ろん:2012/07/15(日) 10:32:02.92 ID:CEd4fz/p
473は他人にかまってばかりいないで、自分の心配しろ〜。。
他人が気になって仕方がないは、病気だぞ〜。。
420 :
ろん:2012/07/15(日) 10:32:50.99 ID:CEd4fz/p
>>418 なんで日記が必要なのかわからん。。
終わったことは必要なこと以外、忘れた方がいいのでは。。
421 :
473:2012/07/15(日) 10:32:52.49 ID:bCrUnJv3
>>404 究極の見地としてではなく、誰もがそこから概念として使う場合のあるがまま、
はあるがままという想像であり、それは有用でもあり危険でもある。
3種類の馬の話がありますが、上等な馬は理解し、中等な馬は技法として正しく、もしくは倒錯して想像し、
下等な馬は確実に誤解するので怒鳴りつけるしかコミュニケーションできません。
想像がいけないわけじゃない。
その人の実存と調和した想像力はその人を神のすぐそばまでつれてくるって言いますから。
献身的なハートを持っている人は想像と実存に調和があると経験則で言えます。
献身的なハートを持たない人は想像をどうしても誤用してしまいます。
自己中ってあたりまえのことで、自然なマインドの倒錯ですよねー。あれ、やはり倒錯なの?
そういう人は想像は実存と調和せず空想になっちゃう。
瞑想のアプローチが適しているんですね。
瞑想のアプローチは究極的には悟りにイメージを持たないし、イメージを利用する際も
イメージの誤用を避けるように精密に計算された体系だったりします。
>>414 どんだけレイプしたいねんw
異常性欲者かw
>>421 瞑想の予習が経典の勉強で、瞑想で仮想実践ということです?
>>420 喩えです。
違うのかな?
日常サイクルに近い程良いような気がしたのですけど(´・ω・`)
ここのいうあるがままっていうのは
受け取りのほうだわな。
どういう感情が来ようが食っちまうってこと。
そこからどういう行動をとるかは次の
念を継いだ先の話し
>>426 瞑想を知らない自分のズレが有りますねorz
怒る、笑う、泣くなどは我の入る余地なく起こる
我のない法。無我の法。
そいつを有意の法でくつがえそうとすると
怒りたくないから怒らせたあいつを困らせたいとか
妄念がでる。
長文かくひとは念を継がないことからはじめてみては。
脳内世界の住人は死人に等しい
>>411 その「私が在る」という感覚さえ消え去るのが、最後の一歩だと言われていますね。
ただしそれは自力で到達できるものではなく、他力によってそうなるのだとか。
あるがまま、なんてのは自己防衛作用にすぎない
それは、有るものとして受け入れればいい
そこから過剰な感受や脳内ビジョンにより肥大化してしまう
過剰な感受や脳内ビジョンは夢、幻
それは、あるがままとはいえない
あんたの流儀など、わしゃ知らん
あるいは同調したい気持ちは
自己防衛作用にすぎない
そこから、どうするかは個人の性質で変化する
自己防衛作用を発動させる必要のない場所においては
自己防衛作用さえ働かない
431 :
ろん:2012/07/15(日) 11:30:45.54 ID:CEd4fz/p
ま、悟りの他は幻かもしれんね。。
悟りが幻でなくてさ。。
夏は暑い。暑いのは不快である
エアコンという依存により、不快は緩和される
しかし、エアコンがない場所において不快は続く
不快は他のものに転化したりする
夏は暑いのが当たり前じゃ
気休めであり夢、幻には違いない
しかし、耐性というものを少しは
身につけてもいいんじゃないかな?
と思う今日このごろ
433 :
Ope:2012/07/15(日) 12:16:54.04 ID:e26eSULM
>>391 > 勿論、麻原のことを信じてるわけではないがなw
オウムの残党か
カルト集団からに居るから、そうなってしまうのか
あるいはそうなっているから、カルト集団に惹かれるのか
類は友を呼ぶ状態だろうな
>>364 > 追い求めると逃す訳がそこにあるからなんですよね。
追い求めると、追い求めたものを予期・予想し、それ以外のものを拾えることが
少なくなります。そして、本当に必要なことは予期・予想の外にあります。
その意味で解すると、Bは理解できます。
一方で、仏典に出てくるウッダカ・ラーマプッタ仙人の非想非非想処のような
境地(認識作用すら完全に働かない)をも含むような選択肢なら素晴らしいですね。
@は微妙なとこですが「認識作用すら働かない」という認識がちょっと残ってる
かもしれません。それすらを完全に消した選択肢としてのBなら@Aを克服した
選択肢ですね。
ただ、これも仏陀は「否」とされたあたり、仏陀の悟りはどこまで行ってるの
かと…。もっと深堀りすれば、CもDも出てきそうですね。
435 :
Ope:2012/07/15(日) 12:42:06.32 ID:e26eSULM
>>434 > @ 悟りなんてないよ派
> どのみち「それ」は掴めないし
> A 悟りはあるよ派
> 掴めないかもしれないけど「それ」に触れた時点
掴むことも触れることもできないけれども
常にそれと共にあるのだとしたらどうでしょう
だから、求めると逃すのです
気がつくだけです
ずっとあったことを
13スレ597
>じゃ、何が幻想でないの?
幻想を見ているもの
>>428 473氏の殆どは有意の法の雲散で、経典の無い場で"あるがまま"を巻いたら、473の出現は教典上不可避?
教典知らなくて書いてますが。
力学的には"あるがまま"の奔放が純粋になるほど、473が濃くなる?w
>>400 お答えありがとうございます。
分析・論考よりも瞑想・内観向きの回答ですね。
> 私たちは、今、という瞬間において認識しているのではなく、
> 一瞬遅れて物事を認識していますよね。
> 認識できないというのは、そういうことです。
この3行以外はほとんど理解できてないです。
言葉の上、知識の上では理解できますが、それだけです。
例えば、右手で○を書いて、左手で□を描きつづけるようなもので、
頭では理解できても、実際にやってみるといつの間にかごちゃごちゃ
になってしまう感じのものです。
具体的にはこの3行の時点で手が届かないです。
> 認識できないけど、明らかに今を生きている。
> なぜ、認識できないのに、今を生きているなどと言うのでしょう?
> これが、認識できないものを認識するということです。
どう言ったらいいのか言葉に詰まる感じですが、私の網に引っ掛って
こない感じがするのです。
いまの私にはまだ早いレベルのもののでしょうから、もうちょっと
進んだらまた教えてください。
その頃にはこのことは聞くとしても、答え合わせみたいな感じになる
かもしれませんが。
>>438 不確定性原理?
某ネコに尋ねてみます?
>>402 amaさんの場合のお話が一番聞きたかったことのなので、
ありがとうございます。
amaさんでも「あるがまま」を寄り頼む時期があったのですか、安心しました。
また、amaさんの場合でいいので、「あるがまま」を手放せたのは何らかの
修行、練習の成果ですか?
特定の修行法を聞いているのではなく、単純に「慣れ」のような問題なのか
という観点での質問です。
>>439 いえ、観測問題ではなくて、ここでは「観測という行為そのもの」のほうです。
某ネコを見る人からの見え方ではなくて、「見る人」自体と言いましょうか…。
観測問題は、認識できたものが半死半生というもので、amaさんと話している
のは「『今』のあとに認識(観測)がくるよね」という方向なので。
>>441 観測=問で、都度変わっていきませんか?
13スレ327
生命や物質が何かは悟り子にもわかりません
一方では私達は生命以外経験できないのかもしれません
13スレ630
>植物にあって、鉱物にないもの。
睡眠中の人にあって、死体にないもの
♪そうゆう問いでしたか
これは顕微鏡では捉えられない世界かもしれません
「それ」のミクロの働きにもいくつもの層があるのは推察できますが
>>435 > 常にそれと共にあるのだとしたらどうでしょう
常に共にあります。その通りです。悟りといっても別の表現でもいいです。
英語にre-memberという語があります。再び仲間になるで「思い出す」です。
これを悟りと表現しても全く問題ないです。
常に共にあるものと「再び仲間になる」こと、即ち「思い出す」ことですから。
Opeさんと見ているもの(=求めると逃すもの)は一緒だと思いますよ。
>>443 すみません間違いました
>13スレ327]
13スレ627〇
>>411 わからないですが、無常と縁起が織りなすこの世界で、
ある者が全面的に涅槃、ある者が全面的に
迷いということにはならないのではないかと思います。
>>444 >これは顕微鏡では捉えられない世界かもしれません
はい。顕微鏡で捉えられるのは物質だけです。生命も心も精神も捉えられません。
植物の生命は顕微鏡で捉えられませんし、
鉱物に生命がないのも捉えられません。
また睡眠中、生命の伴う身体から霊魂が離れることも、
死後、身体から生命が離れることも顕微鏡では捉えられません。
449 :
ノスタルジア:2012/07/15(日) 16:18:31.12 ID:JkWjcaez
>>120 84における文章の場合、基本は皆さんを「正常」と受け取っています。
皆さんは正常なのです。だからそれを前提にまず理解は意味解釈だから無意味
ですね。すり合わせの場合、具象的な他者が入るのでその場合は他者が入ってくる
のでややこしいんですが、僕が思うに、他者の悟りの度合いが問題となってくる
んです。マインドを乱用している状態か、それとも神聖なマインドを意識して、
なおかつ、ハートに神聖なマインドが服従している状態になっているかどうか
その二つのどちらなのか?それが問題なのです。こうやって書いている僕らは
マインドを乱用して正思惟して書いているんですよね?皆が正常とすればね。
とにかく他者の悟りの度合いがマインド乱用の場合無意味な議論になり、意味を
なさないが、しかし他者の悟りの度合いがハートの場合それは何か神通力の流れが
ハートの悟りの者からマインドを乱用している者に与えられ悟りのエキスとなり
良い対話になるのではなかろうか?自分の中にそのような対話相手や議論相手
がいるのではなかろうか、単に自分と他者の関係の二元性と捉えるのでなしに。
外も内、内も内というスピリチュアル系の思想を元にそもそもレムリア三部作の
内容を素材として自分なりに発展させただけなので・・・。
>>396 >そうなら、なにも変わらないです。
何度も言うように、たとえば貴方がもっと快適に楽しく過ごそうと
思ったら、足を引っ張るような思い込みってあるでしょ
貴方は戸惑ったり、焦ったりもあるがままだとか言ってるけど、
別にそういうことは少ない方が実際は過ごしやすいと思うわけよ
子供の頃から溜め込んできた自分や人生に対するイメージあるよね
それで、それに影響されて、貴方は色んな局面で、そうした条件付けから
来る機械的な反応をしてしまうよね
「こんな状況は苦手だな」とか「こういう人は苦手だな」とか思って、
萎縮して、ぎこちなくなったりするでしょ あれこれ悩んだりさ
でも、普通に考えたら、そんな風におたおたするより、どんな時でも
だいたい楽しく過ごせて、こなせた方がいいじゃん
それなら、「じゃあ、この思い込みは要らないね」って整理すればいいよね
元々、そうやって溜め込んできた思い込みはぜんぶ幻想だって気付いたんでしょ
なのに、なんでそれをしないのかな そういう素朴な疑問ですよ
つづき
ほいで、貴方はたぶん「いえ、それにも手を付けないんです」とか言うんだろう
焦りや戸惑いとかに対してさ
でもさ、ずっと事実は中立だったのに、それに手を付けてきた結果、
抱えてきたものだよね そういう思い込みって それで、そういう反応が
出てしまってるんだよね 焦りとか戸惑いとか
でも、そもそも貴方は事実に対して手を付けないことを覚えたんでしょ
なら、それまで手を付けることで溜め込んできた思い込みももはや無効だよね
本当に事実と一つならね、焦りとか戸惑いとか起こる余地がないでしょ
そっくりそのままで、解決してるとこに最初から入れるんだから
事実とぴったり一緒なら、ただただ落ち着くよね 苦しみようがないよね
そっちの方が明らかに快適だと思うんだよね 貴方はそうしないのですか
452 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 17:10:16.29 ID:2ux8n3hN
>ama
>>366 >>368 だけど、レスがないということは、スルー認定されたと
理解して良いのかな?ww
453 :
神も仏も名無しさん:2012/07/15(日) 17:13:32.62 ID:2ux8n3hN
>>433 違うわいww そいつは、一人で毎日、不動の真言あげてるような
ちっと変わったオカルトバカwwww
>>449 ありがとうございます。
日本語の限界を知りましたw
恐いし(>_<)
455 :
ノスタルジア:2012/07/15(日) 17:42:06.26 ID:JkWjcaez
>>454 僕も自分の文章を見て停滞しているな〜進歩の無い文章だなと思った。
怖いですか〜何が怖いんですか?
それにしてももっとおもしろい文章書けるようになりたい。日本語はもっと
可能性ないと困る。
>>455 ノスは以前に比べて多少読みやすくなったな。
薬はちゃんと飲んでるのか?
457 :
ノスタルジア:2012/07/15(日) 17:48:25.14 ID:JkWjcaez
>>456 ええおかげさまでちゃんと飲んでいます。健康食品のカプセルタイプ
も飲んでます。
そうですか読みやすくなりましたか。
>>411 >無我だとか空だとか無自性だとか法だとか言ったところで、私があるという感覚、実感、拘りはなかなか消えない。。
>これが消えることを、なくなることを、自己を忘じきると、僕は言っているのだけど違うかな?
個人的な意見だけど
「私があるという感覚、実感、拘り」は「自我」だと思うよ。
だから、忘じるのは「自己」じゃなくて「自我」じゃないのかな?
自己は全く自己主張しないよ。
459 :
473:2012/07/15(日) 19:48:06.97 ID:bCrUnJv3
恒常的な執着と、それにともなう恒常的な苦しみから逃れるために、
ひと時の夢を見るって事はだれもがすること。
しかし、その逃避の空想を非常に強固なものに仕立て上げることが瞑想の誤用で可能になる。
そうなると、完全な逃避プログラムが働いているので、その逃避プログラムを破壊するような外界のロジックは、そもそも
そのように認識されない。
外界を脅威だと思うぐらいならその空想はまだ壊れる可能性があり、幸いである。
そして、その空想は、「これは空想ではないのです」と確信できるほど強固な空想なのである。
悟りはイメージではないのです。
と、自己逃避しているイメージそのものがそういう。
当たり前のこと。イメージにとってイメージは真実だから。
だから何を言っているかではなく、何がどういう意味をこめて述べているか。
悟りはイメージではないということばは、
光明を得た人も、目覚めた人も、複数のイメージに翻弄されている人も、強固なイメージに逃避しきってる人も、
各々の意味合いでみな同じことが言える。
それは応答を見ていればおのずと明らかなこと。それを読み取れる人、その独りの認識において。
460 :
473:2012/07/15(日) 20:35:00.50 ID:bCrUnJv3
部分的にでも全体的にでも、私がいないことにおいて、目覚めのおいて、愛において
すでにひとつだ。
認識はわれわれを分断する。
共通認識というのは、認識がないということ。
共通認識というのは共通認識ではない。
>>449 >>84の文章の文章については、私はそれを書いた本人に聞いたのであって、
あなたは書いた本人ではないのだから、本人がどういうつもりかをあなたが知ることはできないでしょう。
「正常」ということについては、正常ってなんでしょうね。
DSM-IVの診断基準に当てはまらない人のことですか?
「正常」であるということが、なんになるのか私にはわかりません。
正思惟できることが正常なのだとしたら、世の中にどのくらい正常な人がいるのか。
たいていの人は、思考と感情が不可分ですし。
「マインドを乱用して正思惟して書いている」という状態がわかりません。
良い対話については、そういうことは起こり得ますし、それを目にすることもままあります。
外も内も実際は同じものではありますが、そういうことは、自分に対してのみ適用すればいい
ことだと思っています。対話でそれを他人に言っても、相手がそのことを理解していない場合は、
なんのことかわからないでしょう。
>>454 まとめ待ってますよ。
日本語の限界を知るには、まだまだあなたの日本語力は低すぎますよw
463 :
ろん:2012/07/15(日) 20:53:41.22 ID:CEd4fz/p
>>458 何を言ってるのかわからん。。
自我とか自己とかおまえ独特の定義で話されてもナー。。
言葉とは、基本辞書にある定義で話さないと、人には通じないよ。。
ふつう自己には自我も含まれる。。
自己と自我と別にあるわけではない。。
別にあるように思っているお前の個人的意見は、あまり意味がないと思う。。
自己を何者かとみなす作用は自我だよな。。
こうしてここに書いているのも自我。。
自己に執着するのもしないの自我。。
すなわち忘じるの目的語が自己であって、主語が自我なのであるから、
自我が自己を忘ずるで正しいのではないか?
もっとも道元禅師の言い方には主語がないけどね。。
仏道を習うとは自己を習うなり、自己を習うとは自己を忘ずるなりと。。
・・というかオレムの個人的意見に興味はないのだが。。w
464 :
ろん:2012/07/15(日) 20:57:16.97 ID:CEd4fz/p
自己は何にも主張しないと言って、2ちゃんねるで何事かを主張している自己がいる。。
その自己を見ている自我ががある、自己主張しないホントの自己を見つけましたってか?
なんかうそ臭い、インチキ臭いやつ。。w
>>463 勝手に書き込んでるだけだから、気にしないで!!
言葉の定義を合わせると言葉では伝えられなくなるし、
正確に伝えようとすると言葉の定義を超えてしまう・・・・
言葉を使わずに伝えられたらイイのにね。
>>464 >自己は何にも主張しないと言って、2ちゃんねるで何事かを主張している自己がいる。。
>その自己を見ている自我ががある、自己主張しないホントの自己を見つけましたってか?
自己が分かれば、そんなに矛盾したこと書いてないと思うけど・・・・・まあ、イイや!!
>>462 ここまでの日本語は解らなくて良いかな…
リリカル的な問題かもしれないけどw
>>464 ろんさん自己批判ありすぎて、なんかろんさんが可哀想だよw
己(心)は体を蔑ろにしてはならぬ
主従関係にない、奴隷などではない
扱い次第では己(心)にそっぽを向くであろう
自分のものだから、どう扱おうが勝手という意識は
捨てた方が良い
体を大事にすれば己(心)の力強い見方となる
470 :
ろん:2012/07/15(日) 22:16:59.68 ID:CEd4fz/p
>>466 ホントはわかるんだけど、敢えて突っ込んでるの。。w
あんたは結局、自己がわかった、見つかったと言って、自分を囲ってしまっている。。
そうなった自分を眺めている・・で、わかったつもりでなんやかんや言いふらすわけだろ。。
それで突っ込まれると、言葉じゃ伝えられないとか、気にするなとか・・まあ、よくいる悟ったさん、困ったさんのうちの一人だろうね。。
悟ったという夢を見ていて、人に教えたがると言う。。。
471 :
ノスタルジア:2012/07/15(日) 22:19:48.13 ID:JkWjcaez
あれっ(汗汗)僕はあなたから返答もらったから返答した気でいたけど、どうも
僕にあなたは返答していませんね。84をぼくの文章の85と間違えてました。
場違いでしたすみません。かまってちゃんになってましたね。実際その向き
もあるが・・・。それにしても僕の日本語力そんなにレベル低いですか・・・
まあ言葉の統一してないことがあるからな。恐いの意味もこれでわかりました。
DSM-IVには、16個の障害(Disorder)の概念が含まれているらしいですね。
僕にはまだ範囲に入ってない分野の知識ですね。だから今すぐに解決方法言った
ところで無駄骨になるな。
>たいていの人は、思考と感情が不可分ですし。
いや〜現実問題をぶつけられるとな〜(汗)僕の気持ちのモチベーションを高めて
錯覚して現実逃避して満足して繋がらせていただけです。簡単でしょう。
思考と感情の不可分ですか〜しかし日常用語でしょう両方とも。ややこしくなる
な〜。素直に受け取らないからですよ。つまり感情と思考の不可分さは無しですよ。
前提の自分の中にある意味を引き出しから出しても純粋に読まないと分かるものも
分からないですよ。僕は単純にみなが思う第一印象をそれこそ467の言うように
リリカルに表現しただけですよ。内も外もどうちゃらこうちゃらはあくまでも
スピリチュアルだから〜僕はそれ以上のことは考えられないです。
472 :
ろん:2012/07/15(日) 22:23:52.80 ID:CEd4fz/p
悟った自分、と言うものがあるうちは、夢を見ている、悟っていない。。
それがわからずにいい気になってるのって、みっともない、恥ずかしいことだと思うがな。。
473 :
ろん:2012/07/15(日) 22:26:12.92 ID:CEd4fz/p
悟りにせよ、仏教にせよ、もともとないもの、余計なものなんだよ。。
それをいつまでも抱えている、担板漢というやつね。。
自分で抱えていることに気が付いていないやつ。。
>>467 おいw
「自在性」と「弁論者としての欠損」をリリシズムで語るなよw
475 :
ノスタルジア:2012/07/15(日) 22:34:02.08 ID:JkWjcaez
また間違えました。462は僕に言ってなかった。(汗)本当に申し訳ない
ちょっと寝ぼけてるのかな〜日本語力がどうちゃらこうちゃらは直接的に
僕には言ってないのか〜完全に恥をかいたな〜。
476 :
473:2012/07/15(日) 22:38:53.71 ID:bCrUnJv3
自我は自分が執着しているそのものと反対の解放を想像する。
体に執着していれば、体に執着していない状態を夢想してしまう。
恐怖と葛藤があれば、あるがままを想像してしまう。
空想癖、現実逃避が強ければ、想像ではない真実を想像してしまう。
それらの想像が、当の想像する主体である自我の元の執着を強化、永続化する。
どんな言葉を使おうと、この束縛から逃れることはできない。
逃れた人が言葉を使うこともあるだろうけど、それは不可知の領域。
どちらかというと、その人がしゃべってる言葉とその人は正反対であることが多い。
その人がより多くしゃべることはその人の持ってないもの、より少なくしゃべることはその人自身のもの。
そういう傾向はある。
>>471 私が日本語力が低いと言ったのは、あなたに対してではありませんよ。
別の人に対してです。
私はあなたには461で初めて返答しました。
以前に返答した人がいたとしたら、それは別人でしょう。
自分のレスや、自分のレスにタイする返答がわからなくなるのなら
2chの専ブラ入れたらどうですか?
あなたが現実問題をぶつけられて(汗)かくように、
私もあなたの内的な独り言をぶつけられても、どうしようもありませんねw
「みなが思う第一印象」と言いますが、「みなが思う」ことなんてよくわかりますね
478 :
ノスタルジア:2012/07/15(日) 22:46:21.98 ID:JkWjcaez
>「みなが思う第一印象」と言いますが、「みなが思う」ことなんてよくわかりますね
いや発展ですよ。例の内は外という。それと今回たまたまですよ、失敗したのは。
あと書くことあったけど忘れたな〜まあいいか。
無いもの追うたってアホらしかろ
有るものだけ追うとればよい
有るものでさえ虚飾まみれである
>>477 あーw
ごめんw気が付かなかった。
てゆうか、あれだけヒントが有って未だ気が付かないの?
元々こっちが頑張る義理が無いのだけど゚+.(・∀・)゚+.゚
473氏
すり抜けた気がしますが、何も在るわけがありません。
刺し違えることを受け入れてるシステムですか?これは??
>>470 >まあ、よくいる悟ったさん、困ったさんのうちの一人だろうね。。
悟ったさんって言う自覚はないけど、実際困ったさんだとは思うよ。
>悟ったという夢を見ていて、人に教えたがると言う。。。
これは
「私は知っているという夢を見ていて、人に教えたがると言う。。。」
って変えるともっと多くの人に当てはまるね。
でも、それが楽しくて皆ここに書き込んでるんじゃないのかなぁ?
>>480 わからないし、気づきませんね。
>元々こっちが頑張る義理が無いのだけど゚+.(・∀・)゚+.゚
いや、人に対してあれだけ大上段に構えて偉そうに言い放ったんだから、
ちゃんと説明すべきなのはあなたですよ。
それとも、ちゃんと説明できないのに、感情的になって勢いで言ってみただけですか?
それならそれで別に良いんですけどね。
伝えることがあるのはあなたのほうで、私はそれに耳を傾けたに過ぎない。
私のほうこそ、本来はそこまでがんばって聞く義理はないんですよ。
実際、あなたに何かを説明させることは面倒くさいことこの上ないし。
それでも、最初に絡んできたのはあなたのほうなんですよ。
483 :
ろん:2012/07/15(日) 23:11:14.83 ID:CEd4fz/p
>>481 皆、あなたとは同じではない。。
あなたは、皆、のことはわかりようがない。。
>>482 あーあ゚+.(・∀・)゚+.゚
473氏
何もない以外は撤回ですorz
>>484 だからちゃんとまとめてくださいね(はぁと
コールドリーディングみたいなもんだなw
無防備だと自分に騙されそうになるぜw
>>485 65 神も仏も名無しさん sage 2012/07/13(金) 12:38:24.75 ID:wIInudzg
>できる方法は、まあ実はあるんですけど、あなたそれがわかっていて、しかも自在にできるんですか?
185 神も仏も名無しさん sage 2012/07/14(土) 01:10:44.95 ID:8WTmTp0K
>>180 >>182 >第三者としてなら、そこはおk
>ただ、「議論」の当事者としては、そこを無限にしちゃいけないと思ってるよ。
>形式的な上でも。「対話」はまた別だよ。
>>428 有意の法
65で論争において自身の見解を変えることが無いことを書き、185で追認してしまってるので。
貴方は聞く耳を持っていなく、理解する気も無いことを自己紹介してます。
ハッキリとその真意を書かなかったのは、貴方の騙し。ただ口喧嘩したいだけ。
君の必殺技、レッテル真剣を食らうまでもないwww
なぜ多次元と自我消滅のヒントを得て、当スレに有意の法が書かれたのに実践してないのかが、その証明。
3日間に及ぶ釣りは、にちゃんの歴史に残るのかな?
バケツだったのが残念だけどw
検索ディベートでネット徘徊してみてくださいな。
>>487 >65で論争において自身の見解を変えることが無いことを書き、
ここがやっぱりわかりませんね。
>できる方法は、まあ実はあるんですけど、あなたそれがわかっていて、しかも自在にできるんですか?
これをどう読んだら、「自身の見解を変えることがないことを書き」になるのか
もうちょっと説明してください。
あと「有意の法」というのがわかりませんね。
というか、「有意の法」などというものは本来ないと思うのですが、
あなたの造語ですか?
>>488 もうちょっと補足。
>できる方法は、まあ実はあるんですけど、あなたそれがわかっていて、しかも自在にできるんですか?
この質問は、相手がその方法を知っていて、しかも自在にできる可能性もあることを認めた上で、
どちらなのかと聞いているわけですが。
490 :
473:2012/07/15(日) 23:36:13.57 ID:bCrUnJv3
びっくりするような話題そらしはずる賢さによるものではない。
ただ、そういう機能が働いているだけである。
意識あり、良心あり、責任がある存在にはそういうことはできない。
やるとすればわざとだが稀である。
ずるがしこさと映るようなものは、逃避のための人格の機能の無意識の発露に過ぎない。(予告)
そんなのと言い争うのが自我による他の自我への執着。というか、逃避。
これがまた手ごわい。
>>488 もう、ギャラリーが解れば自分的には十分です。
悟りを開いた方々に聞いてみて下さい。
ここで。
自分もお勉強したいしー☆
じや゚+.(・∀・)゚+.゚
>>491 ここで終了というのなら、こちらも構いませんよ。
抱えるには抱える理由というものがあるものだ
抱えなければいいというものではない
そう。
有意の法などはあり得ない故に
まるで約に立たない。
>>495 ああ、有意の法はあなたでしたか。
なんかすみません
とりあえずあやまっておきますw
抱えるものも理由なども
追うたところで、わかりはせぬ
だが、追い続けていれば具現化する
具現化して初めて理由がわかる
抱えることにも思惟することにも役割がある
498 :
無しよ:2012/07/16(月) 00:14:10.75 ID:Kfewu0aP
>>476 >自我は自分が執着しているそのものと反対の解放を想像する。
>それらの想像が、当の想像する主体である自我の元の執着を強化、永続化する。
これは当を得てますね
その逆に、執着をそのまま認識したり、執着から解放されたいと願っていることをそのまま認識したり、と
それがそのとき本当に思ってる、自我の「あーでもないこーでもない」を善悪のフィルター無しで見れたなら
それが「あるがまま」ってやつだとおもいます
どう、思います?
具現化なんぞしませんよ。
大法は感知の対象でない、掠りともしない
故に驢馬もとおし馬も透す
約に立たない大いに結構、虚の極み最高の道楽ですな
我らがいくは大道なり。
青い鳥を追い続けた者だけが
目の前の青い鳥に辿りつく
追わぬ者には見つけられぬ
解る者にしか解らぬからいいよw
考えて間違いの方向に行かないように
道の花を見たいなら即見るだけ。
やはりロンたんは頭1つ飛び抜けてるな・・・
503 :
無しよ:2012/07/16(月) 00:35:03.57 ID:Kfewu0aP
目の前の青い鳥=花を見たいなら即見るだけ
こういうの異口同音っていうのかな
花でない季節にこそ花の趣がある。
>>501 >>503 ありがとうございます。
門が開けっ放しなのを忘れてましたw
おやすみなさいorz
美化しすぎ。
507 :
473:2012/07/16(月) 01:19:40.41 ID:p2iaL8bv
苦しんでいるなら、物事は移り変わりうるし、苦しむことをやめうる。
しかし、自我がこれは「苦しみ」だと名前をつけていたら、無意識にでも
「ああいつものこれだ」
と感じていたらそれは固定化してしまう。
そしてそれこそ同化という言葉の指し示すものかもしれない。
苦しんでいることは快楽に向かっているし、
生きていることは死に行くことでもある。
無意識にでも概念化しなければ、束縛というものははじめからないのかもしれない。
508 :
473:2012/07/16(月) 01:25:55.98 ID:p2iaL8bv
つきつめると、あらゆる過去の価値基準で今を認識しないということになる。
そうなるとざっくりと「今」があるといえるけど、他には何もわからない。区別ができない、、。
認識を、表現を、超えてしまう。
わたしはなにもわからない。というKの声明?
そして今と過去というたった一つだけ残っている価値基準も消えるなら、、。
正直、ここで語られた言葉は身に余る。ある意味御伽噺のよう。
道(大法)そのものでなく見るのは花(現象)
大切なのは見られない処であり用を成さないところ
鈍い人のために台無しにする蛇足を加える。
510 :
無しよ:2012/07/16(月) 01:30:18.53 ID:Kfewu0aP
実際、それに「苦しみ」と名付けるのが自我の働きそのものではないでしょうか
自我はそれ以外に働きようがなく
それ故に自我からの解放が苦しみからの解放となる
概念化こそ自我の認識のすべてであり
同化とは、「意識」が「自我」と撞着することでは?
と、
>>507を解釈してみました
511 :
473:2012/07/16(月) 01:31:12.44 ID:p2iaL8bv
瞑想の美しさというのは 自分がどこにいるのか どこへむかっているのか その果てになにがあるのか けっしてわからない ということです
クリシュナムルティ
512 :
473:2012/07/16(月) 01:37:20.75 ID:p2iaL8bv
>>510 おそらく。しかしそれは先に知りえない。
その知識は謙虚な知識ではあるからその次元では有益だと思います。
けど、自我からの解放の機縁となるような歌にはなりそうにない。
実践的瞑想のためのスートラにはそれ特有の作法があります。
先入観を持たせない作用が。
513 :
無しよ:2012/07/16(月) 01:49:45.16 ID:Kfewu0aP
473さんって、ラマナ・マハリシは読みますか?
感応道交とは壁がないこと・・・。
城壁で囲いまくるのはやめよ。473よ!
イスラエルとパレスチナかよwww
515 :
無しよ:2012/07/16(月) 02:11:36.57 ID:Kfewu0aP
>自我からの解放の機縁となるような歌
そこにむかってるんですか?
それはKのように言えば、美しい瞑想にはなりませんね
507の解釈は507の次元です
「473にとっては」この次元は無効、でいいじゃないですか
先入観で語らないのであれば
516 :
473:2012/07/16(月) 02:12:48.28 ID:p2iaL8bv
>>510 だけど、その方向で発展させると、
苦しみというのは、単一の価値観、執着が今を苦しみと判断してるんじゃないってことになるよね。
あらゆる蓄積された、執着、価値観の全てが、
各々今を苦しみ、快楽だと判断している。
要は今どっちと感じるかはどっちの判断が総合で強いかということになる。
苦しみは単色ではなく、あらゆる執着からもたらされた複合だし、さらにはさまざまな幸福や快楽も量的には劣るものの混ざっていると。
うん。いい感じに訳わからなくなるね。
何だ比較の話か・・・
518 :
473:2012/07/16(月) 02:24:02.28 ID:p2iaL8bv
>>510 >それ故に自我からの解放が
510の流れなら
苦しみと快楽と名づける働きからの解放でいいんじゃ。
自我ってワンクッションおかなくても。
後は、その名づける働きの影響ないにあるわけだから、基本的に全体の俯瞰はできない。
できてたら光明を得ている。
だから、瞑想の中で実際に出会う実感を対象としたフレーズで無いと、そういう意味では実践的ではない。
510は510の次元ならそのとおりで有益な表現。
ただ、ちょっと次元が違っているということの指摘。
519 :
473:2012/07/16(月) 02:25:09.28 ID:p2iaL8bv
自分で壁を作っておいて、人のせいにするのかな。
臆病者はそうやってほえる。
>>397 >いや、まともに坐っていれば、坐以外の生活も自然と整う。
坐とそれ以外の生活、と言う区別、ギャップは、小さくなっていくでしょう。。
腑に落ちます。しかし、最初はあれほどの状態を経験してからまた喧騒や混乱に巻き込まれてる
自分に驚いたものですが、結局元の木阿弥ではないかと思ったものですね。
余りのギャップに我ながら空いた口がふさがりませんでした。
難しい言葉を使いますね。 うけがうと読むのですね。初めて知りました。
基本は手放しでというのも釈然としますが 必要なときだけコントロールというのはどういう意味でしょう?
必要なときとはいつかということとコントロールというのは何をコントロールするのか?
これが分かりませんでした。
以下の文も理解できますが
>今を逃さないように、妄想が涌いたら、今に戻ってなんてことをやると、 〜
この辺りの文章なんですが、ニュアンスの問題かもですがこういう感じではないです。
今ここを意識する いつのまにか今と分断されていることに気づく
ー否定も肯定もせずゆるやかにー今に戻る。
です。
実にリラックスしてゆっくりそうしています。リラックスして静かにしていないと心が騒がしいと一つになれないものでして。
恐らくあなたから見て私がどうにかしようとして悟ろうとしてるように見えるのかもしれませんがそうすると、
「坐る」などということもそうなってしまいます。でも、そうではありませんよね。
やはり修行ー坐るーすることによって自己を忘じることができ二元性から離れることを経験します(本来これなんですよね〜)
なにも二元的になる為にそうしてるわけではないですよね(実に陥りやすいですが)
思考や妄想についても色々と書きたいですがやはり誌面の問題でこのあたりにしておきます。
右にも左にも答えなんてありゃしねえよ
認めることで答えは生まれる
否定では左右を行ったり来たりだ
私のことですかな・・・?
よくもまあ斯様な嫌味を言えたものですな。
全世界を敵にまわしてまでつづけるご様子ですな・・・。
あっはっは
対話に時間が流れていない様だ・・・。
まるで台本の読み合わせだな・・・。
問題はあまりに自分の感受に同化しすぎていて
感受の奴隷になってしまっていることなんです。
坐ることも意識することも何もしないままにしていると私は、
私の感受のいいなりです。
だから今を意識するんです。 呼吸を観るということを突き詰めてみると実は今ここにあることにすべて応用がきくんです。
私がどこに行こうが私が病気であろうが元気であろうが怒っていようが笑っていようがなにしていようが誰であろうが常に今ここにあるんです。
無常を意識するたびにこれはまるで息が出たり入ったりしてるようだと感じるのです。
>>524 呼吸を見る・今ここにある・応用がきくとか
絵空事にすぎない・・・。
ウソを吐くな・・・・。
救われない者は私と同じ・・・。
どうにもならない・・・・。
憐れみと羨望が延々と残り悪智慧だけ発達する・・。
こんなところで宗教と関わってる時点で
所詮ポンコツなのさ・・・。
527 :
無しよ:2012/07/16(月) 03:48:26.42 ID:Kfewu0aP
507が実践的な瞑想の話だとは気が付かなかったです
気づきようもないけど
それは473さんの中ではそうかもしれないけどね、わかんないですよ
実践的な瞑想の話をしようと思って書いたわけじゃないです
いいこと書いてあるな〜と思ったので、私の理解で解釈したかったのですが
お前の低次元の解釈なんていらないとか言ってくれたほうがましです
丁寧にけなしてくれたんで腹が立ちましたよ
苦しみと快楽の働きをいうのに、自我が「ワンクッション」って…
自我のほうが苦楽の根本にあるんじゃないんですかね
その認識が違うのはわかったです
名付けたくないのはわかりますが、
ただ来世だけを思おう・・・。
前世ではなく来世を・・・。
それだけが希望だ。
きっと今生より良い世が待っているだろう・・・・・
>>528 >きっと今生より良い世が待っているだろう・・・・・
来世は今世の結果だよ。
来世を作るのは今、だよ。
こんなバカどもを相手にする奴がいないように
我々を相手にする者もいない・・・。
私は生まれながらにはぐれメタルだ・・・。
悟りなど気休め以下の与太話。
酒を喰らった方がましというものだ・・・。
工作員だと糾弾する者が工作員なのかもしれない。
あとのはaqzwesxdrgykl
私は思う、自分が生まれ来るのは間違いであったと・・・
生きることに向かず、ただ死を思う・・・。
死ぬ勇気はこれほどもなく、消え去りたい欲求と惨めさが
努力が通じぬ現実を突きつけられた私の心をえぐるのだ・・・
>>529 何の役にも立たない助言をありがとう・・・
>>531 うん。分かった。
自分甘やかせたいんだね。
過去の責任も取れず、未来も作る意欲すら湧かずグダグダやりたいんだね。
少なくとも、そんな内容書き込まないことぐらいは出来るだろうに。
ヘタレなナルシストだ。
私はここの人たちの対話が重要だとは言わない。
非常に興味深く、内容もあるかもしれない・・・。
しかし、私にはどうでもよい・・・・。そういうものだ。
穀潰しのごときスレ潰しは職業人の方もおられるから致し方ないが
中身も中途半端がすぎて吐き気を催す安番だ・・・。
夢物語の小説家がこぞって集結したか・・・
小説書いて応募すればよいのに・・・。
ああ543854dh564
あなたもその一人だよ。
>>532 私はへたれだが、
ナルシストでもあるぞ。私は一日に何度も鏡を見る・・・・。
すっごいナルシストぶりだ・・・・。
私は自分の容貌に凄まじい気を使う。
悟ろうと努力する者、
そういうものには肥満者はいないのは当たり前。
デブの修行者などは私が最も嫌う俗物だな・・・
>>526 >こんなところで宗教と関わってる時点で
>所詮ポンコツなのさ・・・。
これは、そうだよな。
安藤さんは正直だと思う。
目標がちゃんとしてるから正直になれる。
>>536 目標何ぞないんだが・・・・・・・。
目標あるけど・・・・。
473みたいなのは勘弁だ・・・。
『宗教色』という色に染まりきってるのは最悪。
赤信号を青信号と勘違いして、アクセル全開にしてるようなものだ・・・。
>>537 うん。わかる。
あのまま生きれば大変だと思う。
反面教師で自分も気を付けないと、と思う。
夏の花火は誰かと行きたいな・・・。
彼氏彼女の浴衣の群・・・
一人人混みをかき分ける寂しさよ・・・。
人混みに紛れて、僕の手を握ってくれ。
誰にも知られぬように・・・。
夜空に火花散る・・・
傍から見えぬ触れ合う手のひらの熱き血潮。
所詮は変態安堂か、と云わんでおくれ
我が心、世評を越えたる情事かな・・・。
聖人君子解脱の坊主を粧おうと、
色にかけては嘘八百。
色事皆無の聖職者
インチキ臭の出所ぞ。
おお神よ、仏よ。
わたくしめにも御慈悲を・・・。
ちょっとくらい・・・。
前世の罪が重いのか・・
労苦の矢が抜けませぬ・・・。
明日は。。。
541 :
ろん:2012/07/16(月) 05:32:26.20 ID:gMHptEIe
>>520 だから、今から離れるということも自然な成り行きであって、そうなった場合、意識的に今に戻るということをする必要があるのか?
ということです。
今が意識されるときは、意識に余裕があるときで、何かに没頭、埋没しているときには、今は意識されません。。
これも自然な運動なのだから、無理して今に戻ろうとする必要はなく、そのままにしていればいいのではないかということです。
今から分断された状態を非本来とみなし、そこから今に戻ろうとすることは、作りごと、余計なことなのではないか、ということです。。
今にあることと、今から分断されていることとという二元性がある場合、どうしてもそこに自分をよいものにしようとする欲、自他に対する価値判断が、手放されないままに残るような気がします。
・・コントロールというのは僕の仕事上の必要に過ぎませんから、あまり気にしないでください。。
542 :
ろん:2012/07/16(月) 05:37:32.07 ID:gMHptEIe
今にあることは、そこに落ち着きと明晰さがあって、まあいいことなのですが、
自分が今にあるかないか常に確認しているということは、
そこに自分を運転していいものにしようと目論む自我が存在し続けることになってしまいます。。
それで、結局そうした目論見や、自分を確認し続ける作業がある限り、
自己を忘ずることができなくなってしまうのではないか、ということです。
543 :
ろん:2012/07/16(月) 05:48:10.81 ID:gMHptEIe
楽になりたい、スッキリしたい、混乱は嫌だ、巻き込まれたくない、これは誰しも思うことで、
修行の動機としてはそれでいいのかもしれない。。
でも問題は、混乱があることではなく、混乱を厭い、除こうとする自我にあるのだから、
そこから脱しようとする自我そのものが、無くならない限り、対象と一つになる、外ばっかりになる、という三昧には至りえない。。
自己とは何かということを明らめる、もともとないことを知る、手放す、混乱は混乱のまま、
苦は苦のまま、楽は楽のまま、任せっきり、で、どうこうしようとする自分がない、という感じかなーと思いますが。。
お手上げというか、自分が死ぬことなんでしょうね、彼岸に渡るってことは。。
>>268 > 「執着に苦しまなくなる」をamaさんはどのようにイメージしてますか?
悟った人が 「執着に苦しまなくなる」と言ったのであれば、
執着自体になりきることを言ったのだと思います。
そこから出なければ、ただそれだけがありますよね。
> 「寄り頼む精神の動き」が一切ない状態ですか?
いえ、そんなことはないです。
精神とはそういうものですよね。
私は、自分の健康や時間や物などに寄り頼んでいます。
それらが失われそうになると不安になります。
これは程度問題で、必要以上に寄り頼むとちょっと辛いかもしれませんね。
食べ物は無いと死んでしまいますが、パソコンは無くても死なない、
でもやっぱりあったほうがいい、くらいがちょうどいいのではないでしょうか?
「琵琶の弦は、強く締め過ぎれば切れてしまう、弱く締めれば音色が悪い、弦は中ほどに締めるのが良い」
みたいです。
で、私が申し上げたかったのは、
この 「寄り頼む精神の動き」が悟りというものに対して行われているときに、
悟りを見出せなくなる、ということです。
見出した後で、また、悟りに対する「寄り頼む精神の動き」があっても、
悟りはからっぼなので肩透かしを食らいます。
もちろん、もう一度悟りを創作することもできるのですが、
やってもいいしやらなくてもいいのです。
>>283 > これはどういうことでしょうか 釈迦の教えと禅の教えは違うと言いたいのですか
いえ、一般で言われている内容が釈迦の教えとは違っているようだ、ということを言っています。
>>366 本当に煩悩がある「だけ」で苦しいのですか?
もし、煩悩があるだけで苦しいのであれば、
その仏教の言っていることは正しいですが、
そうでないなら、間違っているということになりますよね。
実際はどうなのでしょう?
実際が大事なのでは?
また、仏教には「煩悩は、煩悩と言う名の仏性である」という人もいます。
「消すなんてとんでもない、殺生してはならないと言われているのに、
煩悩を消すのですか?」のようなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。
では、どの仏教が正しいのか?
などとやりだすと、これはこれでつらいですよね。
ですから、やっぱり、ご自分と向き合われて、
実際のところどうなんだろう?
○○と言われているけど本当は?
と確かめるしかないと思うのです。
一方、苦しみについて申し上げますと、
たとえば、「空腹は最高のスパイス」という言葉があります。
空腹に苦しめば苦しむほど、
ただのおにぎり一個が涙が出るくらいに美味しい・・・、
のような経験は、おありではないでしょうか?
言うまでもないことですが、このときの歓喜は、苦しみが支えています。
苦しみあっての喜びです。
苦しみをなくせば喜びもありません。
もし、悟りが苦しみをなくすことなら、喜びもなくすことになります。
悟りを求める人は機械のように生きたいのでしょうか?
1か0かではなく、ほどほどが良いのではないでしょうか?
>>546の続き
> さて、彼女は「悟った」のでしょうか?w 勿論、彼女の中で心境の変化が起こり、世界観も
> 変わったのでしょうw しかし、この変化を 『仏教などで言われる』 「悟り」と言ってしまって
> よいですか?
なるほど。
分かりやすいご質問をありがとうございます。
あまり頭がよろしくないので、質問内容が分かるとほっとします。
心境や世界観の変化が起これば何でも悟りであると申してはいません。
女子高生がこのとき得た心境や世界観は、こののちまた別の心境や世界観に変わるかもしれません。
このように変化する一つ一つを捉えて云々するものではないのです。
548 :
473:2012/07/16(月) 09:21:45.05 ID:p2iaL8bv
>amaさん
>いえ、一般で言われている内容が釈迦の教えとは違っているようだ、ということを言っています。
それはそうかもしれませんが重要なポイントではありません。
amaのいう悟りと、釈迦のいう悟りは、同じなのですか。違うのですか。
お答え願います。
549 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 09:22:42.38 ID:/U4jnRVM
>>546 いや、だからねw
こっちの言わんとしていることが理解できませんか?
貴方が、「煩悩があっても良い」「執着があっても良い」「苦があっても良い」
・・・・・・それが『悟り』なんです。
と、思っていても、一般に『悟り』という語彙が指示する内容は、そうではないのですよ。
貴方が、そこで言うように「苦があるからこそ楽がある」・・・・・こういうスタンスも
OKなわけです。(俺の知り合いの隠居ってのが、まさにそうwwww)
しかし、そういうのは、(少なくとも仏教などで言われる)『悟り』とは異なるものでしょう?
貴方は、仏教などで語られる「悟りが正しいのか?」と疑問を投げかけていますが、
それはそれで全然OKなわけです。 何も仏教的価値観を受け入れる必要性などこれっぽっちも
ありませんww 唯、「悟り」という語彙を使用して、何事かを語ろうとするのであれば、
その語彙は既に仏教などで、それが指示する意味合いが、一般的に醸成されていますので、
全く違う意味で使用するのであれば、「気づき」「あるがまま」・・などの異なる語彙に
おいて表現する配慮が必要なのでは? と言っているわけです。
先に挙げた、「女子高生の心境変化」までも、「これが悟りである」なんて言い出したら、
『全ての心的変化』が「悟り」となっても良い ということになってしまうでしょ?
・・・・「今朝、起きたら空が青かった。何か清々しい気分になった」
・・・・「今日、友達とケンカした。やっぱり、友達とは仲良くしなくちゃいけないと思った。」
これら全てを「悟り」という語彙で括って表現することが適切であると思いますか?
550 :
473:2012/07/16(月) 09:36:47.82 ID:p2iaL8bv
思いが体験をつくり、その体験に沿って人は言動する。
そうして人は真理から離れてゆく。
その思いの強烈さによって体験も強烈となり、相対的に他の人から見れば奇妙な言動が
見られることもあるが、問題の根本はそれではなく、それは特殊な悪化の事例に過ぎない。
私たちは自分を何かだと思う大小の積み重ねで、私たちは体験をしてそれを自明の事実だと取り違え、
さらにそれを強化する思いが生まれ、真実から離れてゆく。
私はどのようにそれをやっているだろうか。ここには豊富な鏡がある。
551 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 09:43:01.97 ID:/U4jnRVM
さらに補足すると
>また、仏教には「煩悩は、煩悩と言う名の仏性である」という人もいます。
>「消すなんてとんでもない、殺生してはならないと言われているのに、
>煩悩を消すのですか?」のようなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。
これは、発言者およびその対話者が、どのような状況においてなされた発言であるか
を把握しなければ何とも言えません。対機説法で逆説的に何事かを伝えたかったのかも
しれませんしw
唯、一般的にそのような方向性は無いと思いますよ。
俺が言ってる「仏教」というのは、最大公約数的な意味で用いています。
それぞれの宗派の教義の違いを精査することが目的ではありませんので。
極端に偏位した例を取り上げても、意味がないでしょう?
ちと忙しいので、レスは後ほどw
>>438 いえ、たいしたことは言っていません。
表現が大げさになてしまって混乱させてしまっているのかもしれません。
もう少し、表現を変えて書いておきます。
更に混乱したらすみません。
お返事は不要です。
「今」というものはつかむことが出来ないです。
「今だ」と思った瞬間にもう過去です。
一生懸命に「今」を認識しようとしても、
認識したとたんに「今」は過去になってしまいます。
私は「今」に追いつくことが出来ないのです。
「今」は、常に私の前にいるのです。
にもかかわらず、私は、今を生きていると考えるのです。
それは空想です。
頭の中で、そのように考えるのです。
頭の中だけで起こっていることです。
実際には「今を生きている」認識はないです。
でも、今を生きています。
我を忘れて何かに没頭しているとき、
つまり、それになりきっているとき、
「私はこれをしている」とは考えないですよね。
煩悩一色になっているとき、
なにも分からないのです。
分かるのは、「今」から出て振り返ったときだけです。
「今を生きていた」と考えることが出来るのも、
「今」から出て振り返ったときだけです。
554 :
473:2012/07/16(月) 10:40:08.56 ID:p2iaL8bv
いまあるのか。
いまないのか。
今目覚めるのか
今無意識に眠りに落ちるか
今人間であるのか
今機械に落ちるのか
神はいまある
動物は今ある
人間とはこれらの中間のことを言う。
問題は自己防御作用にある
どこに防御する必要性があるってんだ
自分に対して防御してどうする
ここの善良な市民に対してさえ防御してどうするってんだ
無明であるから防御する
それが何かを認めないから防御する
自己防御作用の無い場所においては
包容力という形で具現化する
それを目安にすればよい
俺は対極にいたわw
念仏修行するときにね、何万回も唱えるそうですが、、
数珠の玉を一つ一つ手で確認しながら数を数えるそうですよ。
数珠の一つに一念だけ込めてね。
我々の念というのもそのように恒常でもなく断絶でもないものではないでしょうか。
557 :
ろん:2012/07/16(月) 10:57:27.51 ID:gMHptEIe
>>549 「一般に悟りと言う語彙が支持する内容」というが、あなたの知っている一般が、
必ずしも、仏教一般ではないよ。。
大乗仏教を学んだものなら、必ずしも、煩悩が否定されるものではないことを知っている。。
勝曼経、維摩経、密教(理趣経)を経て、今の大乗仏教があるんだからね。。
真言宗然り、禅宗然り、浄土真宗然り、日蓮宗然り。。
もうちっと勉強してから、仏教一般を言ったほうがいいんじゃないか。。
>>476 > 空想癖、現実逃避が強ければ、想像ではない真実を想像してしまう。
↑については「想像ではない真実を想像してしまう」の原因が「空想癖、現実逃避が
強ければ」は原因の一つとはなるでしょうが、全てではないですね。
もうちょっと広い捉え方をすると「認識作用」そのものが原因といってもいいかも
しれません。(もっと広く捉えられる可能性があるかもしれませんが)
> それらの想像が、当の想像する主体である自我の元の執着を強化、永続化する。
> どんな言葉を使おうと、この束縛から逃れることはできない。
> 逃れた人が言葉を使うこともあるだろうけど、それは不可知の領域。
473さんはときどきいいところまで来ているときがありますが、↑もそれですね。
ただ、ご自身で書いていることが、何を記しているのか本当には理解していないのが
あと一歩なところです(これは長文を書く傾向にある473さんが、ご自身のレス
>>476 で指摘していますね)。
言葉は概念です。概念を使う限り、束縛から逃げれませんし、それは表現できない
ため、(聞く人にとって)不可知の領域なのもその通りです。
ただ、同じ境地の人にとり共感できるという意味でなら可知です。
それで気が休まるなら、そうすればよい
やばいw皆が迷える子羊に見えてきたw
そうなんだよねえ。
俺も読んでて、最大公約数的な仏教ってなんだろう?と思ってた。
それこそ雲を掴むような話だなと。
仏教の分化って、幻の悟りゲーの攻略本をいろんな人が書いているんだけど、
攻略本の攻略本みたいな感じになってたり、
攻略本書いてるうちに、微妙に違うゲームになってたりしてるイメージw
>>440 修行練習ではないです。
でも、日々の生活を修行練習というなら、修行練習といえるのでしょう。
> 特定の修行法を聞いているのではなく、単純に「慣れ」のような問題なのか
> という観点での質問です。
いえ、慣れではないです。
ただ、繰り返し、ではあるかもしれません。
何度も同じことを自分に問い、
何度も同じことを繰り返すうちに・・・。
ただ、このようなことは、人それぞれでしょうから、
あまり、ご参考にはならないかもしれません。
仏教を一括するなら他宗教との比較においてでしょう。
一言で言うなら「無我」、これは、示すことも解くことも至難をきわめますね。
見えないもの、聴こえないということをを示せというのだから。
雲をつかむといわれても仕方ないでしょうね。
他の宗派は我を高めて「神に上り詰める」という、
そういう「我という実体を認める」、有我なんですよ。
ヒンズー経由の思想を持った人物と齟齬がああるのはそういうところでしょうね。
563 :
473:2012/07/16(月) 11:18:00.05 ID:p2iaL8bv
大乗仏教を学んだものなら=それは真実かもしれないが、少なくとも一般的ではない。
>>507-508 あなたの中から、その考察が出て来たのはとても良いです。
特に
>>508の考察はとても良い。6行とも全て良い。
私のことをどう評価されてもいいのですが、あなたが迷い
ながらも、「今」へ辿り着くことを願っています。
仏陀は悟りを開いて輪廻から解脱されたと言われてますね
輪廻を思考のループ
執着をその原因
悟り解脱はその精神の動き全体に気づくことによりそのループから出ること
と考えるとスッキリされる方もいらっしゃるかもしれません・
みんな安心を得たいだけなんだよね
安心を得るのに武器や防具はいらぬ
仏典や聖書を武器や防具と勘違い
しちゃうんだろうね
>>450 > 貴方は戸惑ったり、焦ったりもあるがままだとか言ってるけど、
> 別にそういうことは少ない方が実際は過ごしやすいと思うわけよ
確かにのんびりがいいなあと思うことは多々あるのですが、
ず〜っとのんびりしていると刺激が欲しくなったりしますよね。
程度問題ではないでしょうか?
私の知り合いに、会社を定年退職してしばらくして後、また戻ってきた人がいまして、
その人に何故戻ってきたのか聞くと、「家にいると怒ることがないから」とのことでした。
怒りたかったみたいです。
> それなら、「じゃあ、この思い込みは要らないね」って整理すればいいよね
無用な思い込みに気づいて手放すことはあります。
気づいていないこともあるでしょう。
あまり、このことにはこだわりません。
気づくときは気づく、
気づかないときは気づかない、です。
> 元々、そうやって溜め込んできた思い込みはぜんぶ幻想だって気付いたんでしょ
> なのに、なんでそれをしないのかな そういう素朴な疑問ですよ
記憶喪失にでもならない限り、それは無理だと思うのですが・・・。
過去にしみこんだ条件付けは、なかなか根強いですよね。
そういったものに、あまりがっつり取り込むことはしません。
表に出てきたときにそれになりきるだけです。
569 :
473:2012/07/16(月) 11:28:03.38 ID:p2iaL8bv
人はどんなとっぴなことでも考えうるし、体験しうる。
それはここにあるさまざまな質の書き込みを見れば証されること。
自分自身がどんな思い込みをしているのか、それは想像を絶することである。
ここにあるとてつもないバリエーションの書き込みを見れば、自分の思い込みは
こんなものだろうと予測する愚かしさも身にしみよう。
それゆえに、それを失う課程において、悟りと出会うことにおいても逆に
既存の思い込みから悟りがどのように体験されてゆくのか、
既存の思い込みを失ってゆく際、真実はどのような形で明らかになってゆくのか、
想像などできるものではない。
真理はひとつでも、その障害は人それぞれなんだろうなと。
>>561 観光パンフレットみたいな回答ありがとうございます。
方向性だけ尋ねたかったので十分です。
> いえ、慣れではないです。
> ただ、繰り返し、ではあるかもしれません。
> 何度も同じことを自分に問い、
> 何度も同じことを繰り返すうちに・・・。
そんなものですか。未体験ゾーンですがやってみます。
> ただ、このようなことは、人それぞれでしょうから、
> あまり、ご参考にはならないかもしれません。
いえいえ、サンプルの絶対数が少ないので、助かります。
そして、これも人それぞれの縁に応じてなのでしょうね。
571 :
473:2012/07/16(月) 11:29:32.47 ID:p2iaL8bv
宗教に興味を持ってる人の公約数としての悟りとはどういうものか。
という話だから、この世界では仏教というのは、、、という話になると
それは別の話になる。
>>452 >
>>366 >>368 だけど、レスがないということは、スルー認定されたと
> 理解して良いのかな?ww
いえ、違うのですが、このペースが限界です。
順番にお答えするしかないので、気長にお待ちください。
あらゆる宗教において究極的なのは
道元の言う尽十方真実身体のようなもんなんだけど、
ヒンズーのいう所の小我、に留まるところが最大の障害でしょうね。
ちょっと武器を捨てる修行にいってまいります
斬っちゃいけなかったんだな
>>548 分かりません。
釈迦のことはあまり詳しくないのです。
ただ、釈迦の見出したものと、私の見出したものが、もし同じなら、
釈迦は、本当はこれが伝えたかったのでは?という推測はよくやります。
576 :
ろん:2012/07/16(月) 12:15:46.88 ID:gMHptEIe
釈迦なんてどうでもいいがな。。
今の自己、が主体でなくっちゃ何にもならん。。
>541
そうですか。そう思われますか。
すると坐るということも二元的になってしまいますね。
>今が意識されるときは、意識に余裕があるときで、何かに没頭、埋没しているときには、今は意識されません。。
どうもこの当たりに解釈の差を感じます。
何かに没頭 埋没してるときがまさに今を意識してます。
意識という言葉が勘違いを生んでるんでしょうか。
まさに今に集中し没頭しています、そこに思考の余地はないほどに。こういい直せばいいでしょうか。
私の今を意識するというのはそういうことです。
>今から分断された状態を非本来とみなし、そこから今に戻ろうとすることは、作りごと、余計なことなのではないか、ということです。。
同じことを言いますがやはり坐るということも二元性を生み出してますね。この理屈でいくと。
>今にあることと、今から分断されていることとという二元性がある場合、どうしてもそこに自分をよいものにしようとする欲、自他に対する価値判断が、手放されないままに残るような気がします。
まったく同意します。二元的になっているときは自分ー自己ー自我ー私ーいかようにも表現は問いませんが、
おっしゃるとおりになってしまいます。この自己ー私が全ての苦しみを生み出す元となっていますよね。
だからこそ坐る、三昧に入る、今を意識する(これからは集中する、または没頭するに言い換えます)やがて三昧は色あせる 無常をみる
私たちは感受の奴隷です。だからといって抑圧したり逃避しません。どっぷり浸かります。そしてそこに集中します。
痛みからの逃避であったり怒りであったり混乱であったり。
私は上のamaさんの書き込みをみて実にその通りだなぁと感じました。
端的にいうとおっしゃるとおりだとただ感受との同化となります。これはおそらく言葉による誤解が生まれていると思いますが。
>>549 > こっちの言わんとしていることが理解できませんか?
すみません、理解できているつもりなのですが、
理解できていないのかもしれません。
> 貴方は、仏教などで語られる「悟りが正しいのか?」と疑問を投げかけていますが、
> それはそれで全然OKなわけです。
その意味では、一般的に醸成されている仏教に対してその真偽を問う行為が私の「悟ったことあるけど・・・」宣言なのです。
すると、「執着があるのにおかしいじゃないか?」ということになり、話も盛り上がりますよね。
なるほど確かに配慮はあったほうがいいと思います。
ためしにしばらく「悟り」という言葉を使うのをやめてみますか・・・。
>>525 ウソではありませんよ。
本当のことです。
安堂さんなにか嫌悪の感受が立ち上がりましたか?
あなたがスッキリするならいくらでもぶつけて頂いて構いませんよ。
やがてその感受は必ず去ります。
もし本当に宗教や悟りに嫌気がさしたなら
一回距離を置くなどして無理しないことです。
上で嘆かれてますがあなたという存在を抜きにこの世は成り立ちません。
何かあれば話くらいは聞けますよ。
>>568 貴方がそれでバランス取れて、満足してるんなら、それでいいけどさ、
それじゃあやっぱ悟りを知的に理解してるだけなんだな、って思っちゃうよ
幻想だって気付いた思い込みから、
いくらでも自由自在ってことじゃないんでしょ
あくまで悟りっていうガイドブックを片手に生きてるというか、
今そのもの、悟りそのものが歩いてる、喋ってる、生きてるとかじゃないよね
ぶち抜いてるとは言えないね 今そのものには何の束縛もないんだから
>>575 貴方は確かに知的には理解してるとは思うよ でも、釈迦はそんなんじゃないと思うよ
釈迦は教えとか理解とかじゃなくて、そのものだろうから
581 :
ろん:2012/07/16(月) 12:27:24.75 ID:gMHptEIe
>>577 ではなくて、坐ること、坐らないこと、今にあること、
感情思考に飲み込まれて、我を失うこと、逆に、落ち着いて、
環境に左右されないことなど、いろんな状態、様子があると思いますが、
これらはすべて仏法からすると、すべて実体のない空です、無我です、言い換えると法そのものです。
それがわかった時、二元性は仮のもので、全ての状態が、縁起によって生じる現象にすぎないことがわかります。
一方をとって一方を捨てるとか除くという方向性ではないわけです。。
もちろん、修行という意味では、そういう二元性を仮に使うことはあっても、
法としては、二元性はありません。。
坐禅は単に坐禅であり、三昧は単に三昧であり、三昧でないときは単に三昧でないというだけです。
どのような状態であろうと、善悪是非の判断をしたり、手を付けたりしようがないということです。
582 :
ろん:2012/07/16(月) 12:31:13.75 ID:gMHptEIe
>>577 >まったく同意します。二元的になっているときは自分ー自己ー自我ー私ーいかようにも表現は問いませんが、
おっしゃるとおりになってしまいます。この自己ー私が全ての苦しみを生み出す元となっていますよね。
だからこそ坐る、三昧に入る、今を意識する(これからは集中する、または没頭するに言い換えます)やがて三昧は色あせる 無常をみる
私たちは感受の奴隷です。だからといって抑圧したり逃避しません。どっぷり浸かります。そしてそこに集中します。
痛みからの逃避であったり怒りであったり混乱であったり。
いえ、違います。。
感受は感受作用のみがあり、それに対する奴隷になるとか同化するとか、しないとか、そういったものがよけいということです。。
指を切って痛いときは痛いのみであり、痛いに同化してはならないとか、浸りきろうとか、そういう作りごとが余計、ということです。
583 :
ろん:2012/07/16(月) 12:33:11.42 ID:gMHptEIe
全てが法であるというとき、そこに人の認識の入り込む余地はありません。。
指が切れて痛い時、それをどうこうしようとしてもどうにもなりません。。
だから、混乱は混乱のまま、玲瓏は玲瓏のまま、その時々の状態に手を付けることはできないし、手を付けることは余計だということです。
584 :
Ope:2012/07/16(月) 12:35:27.43 ID:JbJAIzrM
一般的な悟りはどうこうとか
釈迦はどういっているとか
まったくどうでもいいではないか
自分の考えは正しいということをいうために
釈迦はこうだ、あなたは違う だから私の言う事が正しいのだ
と書く
何をやっているのだろう
585 :
ろん:2012/07/16(月) 12:38:43.98 ID:gMHptEIe
今にある状態も、今にない状態も、縁起によって仮にそういう状態が生じているだけですから、
どっちがいいというわけではありません。。
今にあるなら、今にあるというだけ、ないならないというだけ。。
それを観察して、今にある内を見ている必要はない、今にあろうとすることは、自分を手放さずに、運転していることになります。
自分は一つしかないのに、運転手と車との二分裂が生じてしまいます。。
ではなく、自分が一つにならなければ、自己を忘ずるということもあり得ないということです。
>>amaさん
全然違うかもしれませんが、ちょっとまとめてみました。
勝手な憶測も入っているので、適当に推敲いただければ。
【1.方法論的なもの】
今から出て振り返ったときだけ、「寄り頼む精神」も「認識」も出てくるから、
今に軸足を置いておけば、どのみち、「寄り頼む精神」も「認識」も働かない
から、苦(反応の連鎖)もスルーできる。
【2.やってみること】
その「今」は繰り返しで軸足を置ける。
【3.やってみた結果の日常】
メールとか読むときは、「今」から出て「認識」のほうに入って、認識を使って
作業する。普段は「今」モードで苦(悟りという認識も含む)をスルー。
>>584 そんなことをコメントすることで、貴方はどうしたいのですか
「こんな風に気付ける自分はマシだ」ということですか
つまりそれもまた、自分の方がより価値がある、というゲームですよね
貴方も結局、生きのびたいんですよね
588 :
473:2012/07/16(月) 12:44:25.54 ID:p2iaL8bv
>>578 スレッド名このまま、テンプレで578についての内容を追加。
そんな感じでもいいですし、そういう意図でしたら今までのようなニュアンスでは悟りという言葉を使わないのが
紛らわしくなくてみんなに優しいと思います。
589 :
473:2012/07/16(月) 12:45:46.17 ID:p2iaL8bv
ただね、ようやく578のレスが来たというのが遅すぎるんですよ。
>その意味では、一般的に醸成されている仏教に対してその真偽を問う行為が私の「悟ったことあるけど・・・」宣言なのです。
無自覚に自分の悟りと釈迦の悟りを混同して、それが同一であるかのような表現を散々してきて、それを複数の人が何回も突っ込んで、
それをはぐらかし続けて、
ようやくそれが無茶だと分かったようですが、例によって自分が行ってきた言動と話題展開をなかったことにしていますね。
そうとれるような表現はついぞ今まで一回もなかったんですけどね。
「そうだったんですよ」といって、過去の言動を自分の記憶から抹殺。
前スレでそれをやってた人を一回見た記憶がある。
「そうだったんですよ」
は自我の構造はそのまま残ってパッケージが変わるだけ。
不注意、無自覚の痛感だけが、自我を揺さぶる。それに自覚し、それに目覚めうる。
諸法無我がわかってるかどうかで見解が分れている気がするんだけど、どうだろう。
>>543 まったくそうですよね。
今をどうにかしとうしたりこれからどうにかしようとするとその人は生きてますね。
>自己とは何かということを明らめる、もともとないことを知る、手放す、混乱は混乱のまま、
苦は苦のまま、楽は楽のまま、任せっきり、で、どうこうしようとする自分がない、という感じかなーと思いますが。。
本当にそうですよね。苦から逃れることはできない。私たちは自分の心地良いものを一生懸命求め、嫌なことから逃避したりうちのめそうとしたり、
退屈すれば何かで埋めようとする これに膨大なエネルギーを割いてやがて疲れ果ててしまう。
次の日目覚めたら「前向きにならないと」と、自分を叱咤激励する。
自己に始まり 自己を主張し自己を守り自他と戦い自己に傷つけられ膨大な時間をすごします。
私はこれをリタイアして楽になりましたと以前書きました。
日々、坐り 車を運転したり料理をしたり掃除をしたりゲームをしたりその時々の今の自分に集中します。
昨日は川でおぼれそうになってどうしたものかと思ったのですが、
そうだ、川べりによりつつ泳げば大丈夫だなと分かり、ゆっくり泳いで岸について助かりました。
一緒にいた彼女は冷や冷やしてたようでしたが。流れの速い川は危険ですね。良い経験をしました。
592 :
Ope:2012/07/16(月) 12:50:23.59 ID:JbJAIzrM
593 :
Ope:2012/07/16(月) 13:01:49.16 ID:JbJAIzrM
>>546 > 空腹に苦しめば苦しむほど、
> ただのおにぎり一個が涙が出るくらいに美味しい・・・、
> のような経験は、おありではないでしょうか?
・・・ありません
amaさんは戦争体験者なのですか?
空腹が苦しみに変わるほど食べなかった経験がないもので・・・
> もし、悟りが苦しみをなくすことなら、喜びもなくすことになります。
本当ですか?
594 :
ろん:2012/07/16(月) 13:05:27.85 ID:gMHptEIe
>>591 だから悟りとは、人のためとか、自分のためじゃないんです。。
法のためにある。。
だから、人にはわからない。。
仏のみ知る。。
595 :
Ope:2012/07/16(月) 13:08:09.37 ID:JbJAIzrM
>>535 > ナルシストでもあるぞ。私は一日に何度も鏡を見る・・・・。
ナルシストだから苦しいのではないか
> 悟ろうと努力する者、
> そういうものには肥満者はいないのは当たり前。
> デブの修行者などは私が最も嫌う俗物だな・・・
デブは嫌いか?
痩せていると、デブは逞しく見えたりすrが・・・
596 :
ろん:2012/07/16(月) 13:09:30.66 ID:gMHptEIe
デブが大好きな女、男もいるよなー。。
デブに癒しを感じるやつもいるかもだ。。
597 :
Ope:2012/07/16(月) 13:12:43.75 ID:JbJAIzrM
>>445 > Opeさんと見ているもの(=求めると逃すもの)は一緒だと思いますよ。
そうですか
追い求めているようにみえましたので
598 :
Ope:2012/07/16(月) 13:23:44.71 ID:JbJAIzrM
>>587 >
>>584 > そんなことをコメントすることで、貴方はどうしたいのですか
>>580 > 貴方は確かに知的には理解してるとは思うよ でも、釈迦はそんなんじゃないと思うよ
> 釈迦は教えとか理解とかじゃなくて、そのものだろうから
あなたの考えを書くにあたって、どうして釈迦も同じ意見だと付け加える必要があるのだろう?
> 貴方も結局、生きのびたいんですよね
貴方は死にたいのですか
599 :
Ope:2012/07/16(月) 13:29:36.05 ID:JbJAIzrM
>>596 デブが嫌いな理由は、たぶん
自分が太っていて、太っていることを嫌っているか
努力して、食べたい欲求を抑えないと太ってしまうほど飢えているから、太っていることが羨ましい半面憎らしい
だろう
>>581-583 >>585 ざっと一気に読ませてもらいましたがおそらく同じことを指してるのではないでしょうか?
指を切って痛いときは痛いの例がありましたが、同化してはならないとはいってません。 同化するのです。
そして痛みを和らげるために逃避したり戦ったりします。
そうではなくて痛いは痛いなので この痛みに集中します。
ここまでの書き込みを見る限りろんさんに「そうじゃない ちがう」という気持ちが伝わってきましたが、これはどういったことでしょうか?
私が間違っていてろんさんのいうことが正しいということなのでしょうか?
私はろんさんのように仏法もさほど詳しくありませんし難しいことは分かりません。
ただ今をあるがままにするだけです。そこに手をつけない。いや、最初は手をつけますね。 しかしやがて手をつけている自分はいなくなります。
これが坐るということであり観るということです。
他力という言葉を聴いたとき、なるほど同じことを指してるなと、感じました。
念仏を一心に唱えると聴いたときも なるほどと思いました。
車の運転と一つであったのがいつのまにか思考してる、気づいて運転に戻る又は、熟練の溶接工がいたとして技は研ぎ澄まされてる。
そんな彼らでも仕事中は思考や妄想などにより今と分断されたりするでしょうが気づけば仕事に舞い戻るのではないでしょうか。
う
これは作り事でしょうか余計でしょうか。私はそうはおもいません。すべてがあるがままです。
私はそういうことを言っています。
601 :
ろん:2012/07/16(月) 13:36:25.93 ID:gMHptEIe
>>600 いや、ではなくて、あるがままとか、私はこうだ、というのもあってはならないということです。。
自分のために利用する瞑想テクニックとか、何かしらの理解があって、
それらを使うということではなく、それらを手放す、それらを持っている自分をも手放す、ということです。。
602 :
ろん:2012/07/16(月) 13:39:31.85 ID:gMHptEIe
もっといえば、自分はこう思うとか、こうしている、こうではないか、これで正しいのではないかとか、
そういうものではないのです。。
自分がこうであると、自分が見えてしまう、ことがおかしいのです。。
見えるだけならいいかもですが、いいのではないかとか、まずいのではないかとか、判断が出てくることがおかしいんです。。
自分を観察しないことが、道だと思ってください。。
観察ー観測ー観る
これは確かに行為であり最初はあるがままではありません。
ただ熟練するに従ってその行為はなくなります。
タイの修行僧は落ち葉掃除をしていてわずか数秒で三昧に入ると耳にしたことがありますが正にこれです。
そこに落ち葉掃除をしてる人はいません。ただ掃除があるだけです。
掃除があるだけは、他人から見たもんでしょう。
本人からすれば落ち葉があるだけ。それが動いてる様子を見るだけ
じゃないんでしょうか。
605 :
ろん:2012/07/16(月) 13:54:25.59 ID:gMHptEIe
>>603 熟練とか、修練ではありません。。
修練でどうにかなるものなら、誰もが悟れることでしょう。。
そうならないのは、そもそも仏道は、修練ではないからです。。
修練してどうにかなろうとする自分、を手放せるか否かというだけなのです。。
どうやら私にはろんさんの言うことがわからないようです、すいません。
607 :
473:2012/07/16(月) 13:57:53.94 ID:p2iaL8bv
無意識であれば問題に乗っ取られ、怒りに乗っ取られる。
しかし、意識的であれば問題には乗っ取られず怒りもわいてこない。
怒りが実か幻かということではなく、これは意識の問題である。
同じく、完全な覚醒が無我であるなら、不完全な覚醒が自我なのでしょう。
608 :
473:2012/07/16(月) 14:00:16.11 ID:p2iaL8bv
>>606 なんでそれらがだめなのかという説明がないことに気づきませんか?
それらがだめであることを実感して理解して捨て去るというのが仏陀の教えです。
自分自身で見出す手助けをしてくれるのです。
彼は、仏法という概念を持っており、それに即してあらゆる概念を否定しています。
最初に仏法という体系や概念の犠牲になっています。
>>607 怒りの時、のっとられるのは自意識の観念から一歩もでないからですよ。
周りがみえてないから。有我のときです。
>>604 いえそれが掃除があるだけなんです。
一切はあるだけなんです。
>>608 そうですか。仏法は分かりません。
説明はされてるようですが私が分からないようです。
概念はそれぞれがお持ちなんでしょうね。
それについては理解しています。
そしてそれは共通してる部分もあれば食い違ってる所もあるでしょうね。
ただどれが共通してどれが共通しないかは私には分かりません。
もしかしたらほとんど共通してないのかもです。
>>610 自分の動作すら意識の必要がない。
だから、掃除がないといったのです。
>>352 > そもそも日常生活で、仏教とか禅とか必要ないんじゃないでしょうか?
> 何か自己に問題があるときに、その解決法の一つとしてあるのかもしれません。。
それならば、サラリーマンが仕事帰りに飲み屋で一杯ひっかけるのと同じです。
なぜならば、どちらも我からのしばしの逃避、麻酔を行い、一時の慰めを得るに
過ぎないからです。
それを求める人にはビールの一杯で良く、仏教も禅も必要ないでしょうね。
ただ、あなたも毒矢の例えはご存知でしょう?
まさに日常生活での生滅の繰り返し(=苦)を滅するのが、仏陀や仏教の目的です。
禅は修したことがないのでわかりませんが、仏教の禅は一時的に我から逃避したり、
麻痺させるためのものではないはずです。
613 :
ろん:2012/07/16(月) 14:18:29.95 ID:gMHptEIe
>>606 有我ではなく無我というだけです。
これこれという考えを持つことは有我である、何にもなくなったのが無我である、ということです。
>>606 473さんの以下の解説はちょっと注意です。
>>608 > 彼は、仏法という概念を持っており、それに即してあらゆる概念を否定しています。
> 最初に仏法という体系や概念の犠牲になっています。
ろんさんの説明は中間部分をスッ飛ばしているけど、レスのやり取りでろんさんが
描こうとしている着地点はブレてないです。
否定と473さんが捉えてしまうのは、まだ、その中間部分が見えないからのせいで、
ろんさんが仏法という体系や概念の犠牲になっているわけではないです。
身体の中に自分という何がしらかはもとから生まれていません。
どういうものだと示そうがそれは想いで作り上げた虚像でしかないんです。
この虚像が身体と結びついたもの=五蘊を我とするところから無明がはじまります。
616 :
473:2012/07/16(月) 14:34:29.45 ID:p2iaL8bv
>>610 >これこれという考えを持つことは有我である、何にもなくなったのが無我である、ということです。
という考えを持つ、というのが想像が2重であるということです。
それに目覚めているのか、元の想像に加えてこのような2重の夢を見ているのか、
それはその人が教条的に繰り返すか、本人の理解、苦い経験から話しているか、それで明らかになります。
また、元の想像にあわせ2重の夢を持っている他の人はそれに共鳴し、2重の夢に向かわない人は違和感を感じるでしょう。
この辺は多数決ではなく、あなた個人の責任です。
>>611,613,614
分かりました。ありがとうございます。
13スレ636
>古いものには人は執着してしまい、その働きは失われる。
どんな教えであろうと、使い方次第。
そして捨てるという事までが教え
♪そんな気もします
釈迦をはじめ覚者達の言葉に囚われ過ぎるのも無用な苦しみの元かもしれませんね
仏教用語は便利だからつかってる。
自分が発明したなどと己に慢心しないために。
なんであろうと、仏の家に帰すだけ。
自分の取り分なんてひとつもないです。
「貴方は思考ではない」
「貴方は思考だ」
「貴方は存在しない」
「貴方しか存在しない」
まったく別の言葉が一人の導師の口から出ても悟り子は驚きません
その人の理解や自我のタイプに応じていろいろ言うでしょう
釈迦が無字を通したのもわかる気がします
622 :
ノスタルジア:2012/07/16(月) 15:05:09.97 ID:Ey1M+Llr
「マインドの乱用」から「ハートはが服従しているのが神聖なマインド」という
そのような状態になった時の「ハート」と「神聖なマインド」のそれぞれの
顕現は前者は「動く者」であり後者は「静止仏」であると言ったが、「動く者」
とは何か?「静止仏」とは何か?僕という人間の戯論という悪意につきあって
もらいたい。スピリチュアルではハートと神聖なマインドが連動して繋がって
働くと、とてもすごい力が発揮されるらしい。ある意味、「動く者」は念仏者と
しての、此の世に一生涯にわたって生きる、謙虚などうしようもない姿勢であり
それが片割れである。「静止仏」は精神フィールドと物質フィールドの間にある、
狭間にある、片割れである。私は悟りについて、覚りについてそれを主として、
方向性を合わせて書いているのだ。
623 :
ノスタルジア:2012/07/16(月) 15:12:03.71 ID:Ey1M+Llr
物質フィールドから精神フィールドの何らかの転換がとりあえずのところ
アセンションであり、それは連結していく列車のような、次元観を持つ直線型
の昇華方法である。僕が思うにそれは原始的解釈である。アセンションという
昔からある概念と、昇天という大昔からある概念は、二つを比べて雲泥の差と
言わずに、それに比べ発展的解釈が、イエスの昇天にはあるのだろう。
物質フィールドと精神フィールド以外にも別種の概念の多種の「フィールド」
があり、その二つの概念の間に、狭間にあるということは、多種の、その二つも
含めた概念全部の間ということになります。さっき言った、片割れ+片割れ で
例えば、南無弥陀仏、南無妙法蓮華経、南無大師遍照金剛がある。その、間、狭間の
方程式というものがその人の個性であり、宗教と数学の一体化を僕は気付きました。
動く者としては僕の理論ではみなは念仏者でしかなく、念仏者になってもらう。
しかし色合いは静止仏はそれこそ無数のバリエーションがあるのである。
以上僕という人間の戯論という悪意につきあってもらってありがとう。(笑)
624 :
Ope:2012/07/16(月) 15:18:43.02 ID:JbJAIzrM
>>621 > 釈迦が無字を通したのもわかる気がします
そもそも、文字はなかったようです。
>>623 ヒマなら教学について語ってくれんかね?お坊さん。
相依性:「AならばB」 「BならばA」についてどう想う?
「肉体があればこそ精神作用がある」「精神作用があればこそ肉体が認識され、肉体があるとされる」
卵とヒヨコはどっちが先だい?
卵とニワトリのマチガイ
627 :
Ope:2012/07/16(月) 15:30:43.92 ID:JbJAIzrM
>>608 > なんでそれらがだめなのかという説明がないことに気づきませんか?
読んでみたが、詳しく説明しているが・・・
わからないところは、質問するといい
> それらがだめであることを実感して理解して捨て去るというのが仏陀の教えです。
聞いたこと無いが
仏陀のなんと言う教えなんだ?
628 :
ノスタルジア:2012/07/16(月) 15:50:41.16 ID:Ey1M+Llr
>>625 A 物質が精神を追い求めるという、精神が物質であるように・・・
B 卵が鶏を追い求めるという、鶏が卵であるように・・・
AではわからないだろうがBにおける生命の神秘は私たちを昇華させる可能性
が内に秘めていることが分かる。相依性は実は上昇する仏仏想念だったのだ。
それは事実だ。なぜならお釈迦様はみんなも承知の通り仏だからね。なんとか
622と623をけがされずにすんだかな・・・。恐かった〜。
自然災害の原因を教えて下さい。
、
630 :
ノスタルジア:2012/07/16(月) 15:59:52.15 ID:Ey1M+Llr
>>628 だって相依性が分からずしてどうして複雑が分かるって話だな。
Bが分からないなら生命にベールが何者かが掛けているというニュアンスは
分からないかな。それが分からないと何を探求するのだろう。
とにかくこれは一つの入り口だろうな。
>>628 二つに分けないか・・まあ不可ではないでしょう。
孵らない卵(ハードボイルド)の仏教も悪くないでしょう?
632 :
Ope:2012/07/16(月) 16:26:19.55 ID:JbJAIzrM
>>625 > 卵とヒヨコはどっちが先だい?
卵が先
633 :
Ope:2012/07/16(月) 16:28:09.26 ID:JbJAIzrM
>>626 > 卵とニワトリのマチガイ
質問があいまいだから、どちらでもとれるが
その卵から生まれた鶏なら卵が先
その鶏から生まれた卵なら鶏が先
634 :
Ope:2012/07/16(月) 16:29:25.01 ID:JbJAIzrM
>>626 > 卵とニワトリのマチガイ
遺伝子の話をしているなら、卵が先
>>629 > 自然災害の原因を教えて下さい。
板違い
635 :
ノスタルジア:2012/07/16(月) 16:29:44.84 ID:Ey1M+Llr
>>631 というか孵らない卵って僕たちの食べてる卵じゃないですか!
僕たちが生命にベールを掛けているのですね。釈迦の娑婆だけど
悪意で悪用しているのが僕たちであり、ハードボイルドの仏教は
まずいですよ、おいしくない、現実としても末法の世なんですね。
だから622と623は在っても今はないとしときましょう。僕の夢という
ことにしときましょう。戒以前にたくさんのいい作法がないからだな。
636 :
Ope:2012/07/16(月) 16:33:12.90 ID:JbJAIzrM
>>626 その鶏が♂の場合、鶏が先
♀の場合も鶏が先
同時期に生まれたとしたら卵は腐って無くなっている
>>635 まあ、孵らない卵という私の言葉は忘れて自分でよく考えてみると
面白いですよ。
末法の世の中か、
人々の求める基準がが高くなってきたという意味では末法かもしれませんね。
>>635 作法ね、こりゃ失礼した。
無量劫の昔に成仏した仏に敬意を表します。
>>636 マジレス、どうも。あんたこそ本当のハードボイルドだな。
クソ真面目なところ、素質ある人だとかんじます。
それでは。
639 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 18:22:39.88 ID:/U4jnRVM
>>557 は〜〜〜〜〜〜〜?
>真言宗然り、禅宗然り、浄土真宗然り、日蓮宗然り。。
なるほどwww
真言宗、禅宗、浄土宗、日蓮宗では、
「執着ありありです。煩悩も残りまくってます。でも、私は悟ってます。」・・・・・
これを認めるわけだ?ww
何やら、経典に詳しそうなこと言ってるんで、どの経典のどの部分にそんなことが
書かれているのか挙げてみてくれんか?ww
まさか、ポったんがよく言うように、「知ったか」こいてんじゃねえだろうな?wwww
640 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 18:24:48.79 ID:/U4jnRVM
>>592 >オウム教を続ける訳が何かあるのか?
一体、俺の書き込みのどこをどう読んだら、「オウム教を続ける」なんてことになるわけだ?www
641 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 18:41:55.82 ID:/U4jnRVM
>>578 >その意味では、一般的に醸成されている仏教に対してその真偽を問う行為が私の「悟ったことあるけど・・・」宣言なのです。
>すると、「執着があるのにおかしいじゃないか?」ということになり、話も盛り上がりますよね。
面白いなww 今までそう言う返しをしてきた奴はいなかったなww
大概のやつが、仏教で言うところの悟りの「伝統的価値」「ブランド的価値」に固執して
自己の体験をその根拠として、自己の境地を語ったものだがwww
なるほどww 仏教的悟りに対しての、「アンチ」の表明かww
それはそれで、実に面白いと思うなww
amaの至った境地というのが、どのようなものであるかは分からんが、
それを仏教的悟りの下位に規定して、「まだまだ」なんて言う気は全くないわけよ、俺はwww
唯、「悟っています。」という表記を使用するのは無用な混乱を招く可能性が高いので、
そこらに配慮してはどうか? というわけさww
amaの至った境地というものが、どんなもので、そしてこれからどのように変わっていくのかは
今後の書き込みを見て、(俺なりに)判断させてもらうわwww
悟った人がwwwなんて使うのかね?
643 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 19:24:17.01 ID:/U4jnRVM
>>642 >悟った人がwwwなんて使うのかね?
え?wwww もしかして、オレのこと?
ならば、とんだ勘違いww
俺は、ま〜〜〜〜〜〜〜たく悟っておりませんがww
今まで、それらしいこと言った記憶も全くなしww
>>624 サンスクリット語さんをお忘れでは・・・。
神が法を与えるもうたwwwwww
おじさんにも分かりやすくてイイ感じw
wの数でLv決めてくれると、各々分かりやすくてイイかも。
646 :
473:2012/07/16(月) 20:02:13.05 ID:p2iaL8bv
仕事がストレスで、瞑想によってそれがすっきりしないかなあとは思ってる。
未知への決断が迫られるのでとてつもないストレスである。
だけど、これ、決して仕事への執着ではなく、
無意識のさまざまなことへの執着が、真理とも、社会とも折り合いを悪くしているだけ。
無意識の執着は、社会からの条件付けだったり、個人的な執着が社会と折り合いが悪かったり、
そういうものがカオスを示しているものだから。
結局問題を作ってしまうのは自分。
どんな自分にとってありふれた、社会や、対人関係のわずらわしさも、無意識の執着が私の
知らないところで作った抵抗。
それゆえに、問題を解決することを望む時点でその問題を作る自我の働きの中にすでに囚われている。
ただ、うまくいってほしいと無自覚に思い続けること事態は当たり前なので、そちらにも目覚めていないと、というだけかもしれない。
647 :
473:2012/07/16(月) 20:04:47.40 ID:p2iaL8bv
>ama
>>641 でもさ、散々追求して、
それでこちらがそれが悟りなら仏教の悟りを否定してくださいって散々アドバイスして、
ようやくそれを言ったわけですよね。
まるで、はじめからそのつもりだったみたいですけどw
明日採用の結果がー。
超働きたいのにー。
649 :
Ope:2012/07/16(月) 21:41:11.36 ID:JbJAIzrM
>>644 > サンスクリット語さんをお忘れでは・・・。
口語としてはあったのだろう
確かアショーカ王の時代に口伝をパーリ語で書き留めた
ということだったと思うが・・・
>>640 > 一体、俺の書き込みのどこをどう読んだら、「オウム教を続ける」なんてことになるわけだ?www
この書き込み
爆弾娘、菊地直子容疑者の発言に似ているから。
↓
> 俺の知り合いには、「悟れば、空も飛べるし、何万年でも生きれる」と本気で信じ込んでる奴もいますよww
> 勿論、麻原のことを信じてるわけではないがなw
650 :
473:2012/07/16(月) 21:41:40.83 ID:p2iaL8bv
そもそも何が問題かということが分からない。
何かがしたくても、何かができなくても、
それはその人の無意識の集大成として現れるので、単に何が問題で何が原因と見定められるものではない。
さりげなくでも、これが問題だとこれができないのが問題だと思ってしまったら、
それを構成する複雑な精神の構造を抑圧してしまう恐れがある。
やりたいし、やりたくないし、べつのことをやりたいし、べつのことがいやなんだから。
>>641>>647 傍から見れば、amaさんが否定してもamaさんは仏教の悟りは得ているように
見えます。
ただ、仏教といっても大乗から上座部まであるわけで、察するに「認識する
自己」の形成作用すら止める域まできていることから、大乗なら無所有処か
非想非非想処あたりだろうし、上座部であれば一来果、あるいは不還果あたり
かと思います。
ただ、言葉をかえてご本人が何度も説明している通り、これも一つの定義で
しかなく、
> また、仏教には「煩悩は、煩悩と言う名の仏性である」という人もいます。
> 「消すなんてとんでもない、殺生してはならないと言われているのに、
> 煩悩を消すのですか?」のようなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。
> では、どの仏教が正しいのか?
> などとやりだすと、これはこれでつらいですよね。
とのように、「どの仏教が正しいのか?」言い換えれば「どの悟りの
定義が正しいのか?」になりかねず、言葉と言葉がスレ違うだけの不毛な
議論になりかねません。
第一、お二人とも悟り悟りといってますが、その定義はいかに?
もし、戯論をふっかけて楽しんでるだけなら、amaさんが沈黙を以って答えと
されるのも止む無しと思います。
特に473さんは
>>52 >>53 >>54 >>69で論駁されているように、無駄を通り
越して害悪を撒き散らすような論を展開してはダメです。
652 :
Ope:2012/07/16(月) 21:47:50.04 ID:JbJAIzrM
>>648 > 超働きたいのにー。
結果って通知日が決まってるの?
オレの時は、次の段階に進んだら通知があって、勧めなかったら通知がなくて
しかも通知日は決まっていなかったので、1ヶ月しても連絡こなかったらダメだったんだな
という感じだったけど
まあ、通知があるかどうか、帰るまでにだいたいわかるけど。
>>652 うん。決まってました。
上京して、仕事の話が初めて通じた会社なんで、養子になりたいぐらい働きたいです!
654 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 21:57:11.64 ID:/U4jnRVM
>>649 wwww
>この書き込み
>爆弾娘、菊地直子容疑者の発言に似ているから。
↓
>> 俺の知り合いには、「悟れば、空も飛べるし、何万年でも生きれる」と本気で信じ込んでる奴もいますよww
>> 勿論、麻原のことを信じてるわけではないがなw
上記引用の、→
>勿論、麻原のことを信じてるわけではないがなw
の主語は、勿論、「俺の知り合い」なw
そして、麻原に言及したのは、お前が前のレスで「空中浮遊」のことを言っていたからw
そいつは、オウムでもなんでもないw 唯、覚者になれば、空でも飛べると信じてるだけだよww
>>650 仕事の拘りポイントって難しいですよね。
人付き合い、拘り、お断り能力。
正解がないのがー…
656 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 22:02:30.36 ID:/U4jnRVM
>>651 では、こちらから聞き直そうw
部派から大乗諸派において、
→「未だ、物事に対して執着があり、煩悩の火を吹き消すことがない」者を
「覚者認定」しているところを挙げてください。
>>649 サンスクリット語はリグ=ヴェーダ(最古部は紀元前1500年頃)で
既に文字として使われてますから、仏陀の時代・環境で残すための
文字はありました。が、無字を通されたのです。
# ここは、阿難尊者あたりに、「なぜ文字に残さないのですか?」
# などと聞いておいて欲しかった。
また、パーリ聖典が文字化されたのはアショーカ王の時代から
さらに先二百年余り先の西暦紀元一世紀頃のスリランカです。
アショーカ王時代の第三結集ではまだ口伝ですね。
658 :
Ope:2012/07/16(月) 22:20:48.27 ID:JbJAIzrM
>>646 > 仕事がストレスで、瞑想によってそれがすっきりしないかなあとは思ってる。
> 未知への決断が迫られるのでとてつもないストレスである。
まあ、仕事は落ち着いてできるところがいいよね
659 :
Ope:2012/07/16(月) 22:28:01.12 ID:JbJAIzrM
>>657 そうですか。口語だけでなく文字がありましたか。
> # ここは、阿難尊者あたりに、「なぜ文字に残さないのですか?」
> # などと聞いておいて欲しかった。
書いた文字で伝えることは無意味だということはわかりますが
どうして口伝だったのでしょうね
文字で伝えるのも口伝も同じように思えますがね
>>656 悟りとて段階があります。
煩悩の火を少しでも消した形跡があり、それが自分のそれと比べて
共感できるものを覚者と認定してます。
1回だけ消えた人もいれば、もう薪となるようなものさえない状態の
人も居ます。それが悟りの段階です。
駆け出しの覚者も、もう凡夫ではないから覚者として認めてしまって
います。
ただ、こういったことは
>>257のグルーピングのような便宜上の分けです。
あなたはどういうグルーピングですか?
大乗の用語であるなら阿耨多羅三藐三菩提(無上正等正覚)を
覚えた者のみを覚者としますか?
→上座部の用語ではそれは仏陀、あるいは阿羅漢ですが。
661 :
Ope:2012/07/16(月) 22:43:53.77 ID:JbJAIzrM
>>654 わかった。そういうことにしておこう。
> そいつは、オウムでもなんでもないw
オウムでなくアレフだ のオチじゃないだろうな
> 唯、覚者になれば、空でも飛べると信じてるだけだよww
一般的な成人でそんな知り合いはいない。
変な宗教に入っているか、まだ成人になっていない子供か
662 :
ろん:2012/07/16(月) 22:46:26.37 ID:gMHptEIe
>>612 仕事帰りに一杯ひっかけるのは、我からの逃避なのだろうか?
仏教の目的は苦を滅することなのだろうか?
ビールを一杯ひっかけるのと、坐るのと何が違うのだろうか?
663 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 22:47:03.86 ID:/U4jnRVM
>>660 ちょっと待とうやw
煩悩の火を「少しでも消した形跡があれば」「覚者」????
すなわち、いわゆる『修行完成者』というわけかい?
通常、「覚者」とは、「するべきことを全てなした人」と形容されるように
仏陀、あるいは、大乗でいう如来でしょう?
修行を始めたばかりのペーペーを指して「覚者」であると、言ってるところって
どこですか?
664 :
ろん:2012/07/16(月) 22:48:08.99 ID:gMHptEIe
>>639 理趣経は短いから読んでみれば。。
ネット上にもあると思うけど。。
空海が煩悩即菩提と言ったのは有名・・曹洞宗の原田雪渓師も繰り返し、煩悩即菩提と言ってますけどね〜。。
665 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 22:50:19.06 ID:/U4jnRVM
>>661 >オウムでなくアレフだ のオチじゃないだろうな
違うわいww
>一般的な成人でそんな知り合いはいない。
勿論、リアルでの知り合いじゃあねえぞw
他スレの知り合いだ。 ガチで信じ込んでるぞw
>変な宗教に入っているか、まだ成人になっていない子供か
神智学の信徒だww
666 :
Ope:2012/07/16(月) 22:53:12.33 ID:JbJAIzrM
>>653 仕事の話が通じたのなら、大丈夫じゃないですか。
667 :
ろん:2012/07/16(月) 22:55:20.69 ID:gMHptEIe
>>649 >爆弾娘、菊地直子容疑者の発言に似ているから。
すごい決めつけだ。www
669 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 22:59:40.94 ID:/U4jnRVM
>>664 wwwwww 煩悩即菩提 だ?ww
煩悩=悟り とでも言うつもりか?www
もう一度、はっきり聞くぞ
『執着があって良し。 煩悩が残っていて良し。 』
これで、「覚者」と認定しているわけだな? お前が挙げた、諸宗の教義ではww
670 :
Ope:2012/07/16(月) 23:00:41.02 ID:JbJAIzrM
>>667 彼はレスに乗って来るので面白いからね。
>>659 当時の文化的なこともあったでしょうが、書物だと口伝より精度も保存性も
落ちるからという現実的な問題があったのかと思います。
実際に口伝中心の上座部が仏教初期の経律を延々と伝えているのに対し、
文字の文化の中国は経律が散逸し、三蔵法師のように何度かインドに人を
遣らねばならない事態に陥りました。
日本の仏教も遣隋使や遣唐使で中国に仏僧を派遣しなければなかなかった
のも、国内の経律・伝承が混乱し、どれがどれやらだったからだと思います。
持ち運ぶ点では、書物のほうが伝播性は高いですが、誤訳や誤記や
散逸のリスクを考えると、中身が中身なので口伝を選ばざるを得なかった
のかと推察します。
以上、勝手な憶測でした。史実と違う点があったらごめんなさい。
672 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 23:02:26.20 ID:/U4jnRVM
>>670 wwww 「彼」とは、オレのことか?ww
面白がってくれるとは、嬉しいなwww
674 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 23:05:26.71 ID:/U4jnRVM
675 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 23:19:11.72 ID:/U4jnRVM
>>673 それは、パーリ仏典では、かけだしのペーペー修行者でも
「覚者」と呼んでいた。・・・・こういう意味でいいんだな?
いいなら、レスよろw
パーリに詳しい奴がいるんで確認してくるんでw
俺が勘違いしてた可能性があるんで。
んとね?
悟りを開いたのなら、何らかの法を立てるのに興味を持つと思うんだけど。
皆が仲良く話し合える法を。
宗教の基本がそうだし。
幼稚園やるにも仲良くできる決まりごと創るでしょ?
悟りを開いたなら、愉しく興味をもってテンプレルール創ると思うんだけど、あれじゃダーティハリーだよ。
達してはないと思う。
>>663 > 煩悩の火を「少しでも消した形跡があれば」「覚者」????
> すなわち、いわゆる『修行完成者』というわけかい?
いいえ、
>>660でもいいましたが悟りには段階があります。
修行完成者を意味する阿羅漢果と最初の悟りの段階(預流果)は
違います。
> 通常、「覚者」とは、「するべきことを全てなした人」と形容されるように
> 仏陀、あるいは、大乗でいう如来でしょう?
通常ではありません。単に「あなたに教えられた仏教の通常」です。
そして、あなたは「するべきことを全てなす」という感覚がどういうことか
わかりますか?最初の預流果でもその感覚は生じます。
自分は永く転生を繰り返してきたが、いま真実に触れた
まだ何度か繰り返すだろうが、もう輪廻の中に長く留まることはない
との感覚です。でも仏陀とも阿羅漢とも呼びません。
まだ、一切の形成作用を収められるところにはいないからです。
> 修行を始めたばかりのペーペーを指して「覚者」であると、言ってるところって
> どこですか?
ちなみ修行を始めたばかりのペーペーではないです。
覚者としてはペーペーですが。でも預流果以上は覚者でいいのです。
それは仏陀の教えであり、パーリ聖典にそうあるからです。
678 :
ろん:2012/07/16(月) 23:25:09.79 ID:gMHptEIe
>>669 煩悩=悟り、で何か問題か?
空海と原田雪渓師が言ってるのは確か、理趣経にあるのも確かだよ。。
悟りとは光である・・・。
長い間真っ暗な洞穴に居た者が、
いきなり太陽の下に出たとき、
目が慣れていないため非常に眩しく閃光でも浴びたかのようになるのと
同じ光・・・。
仏の後ろから照らされる背光とはこのことである・・・。
>>675 > パーリに詳しい奴がいるんで確認してくるんでw
確認されるときは沙門果経(または四沙門果)における悟りに
ついて話されると良いでしょう。
また、パーリでなくてもアーガマ(阿含経)でも四沙門果は
階梯として説かれているようです。
681 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 23:39:21.40 ID:/U4jnRVM
>>678 >煩悩=悟り、で何か問題か?
wwwwww なら、煩悩を消したらいかんわけだww
悟りを消してしまうことになるからなwwww
ん??? なら、二カサの言うことも変だなww
確か、わずかでも煩悩を消したものが覚者とか・・・・wwww
682 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 23:45:44.17 ID:/U4jnRVM
>>680 心配なくwww
パーリを原語で読めるやつだw
パーリ全般に通じている(と思う)ww
683 :
ろん:2012/07/16(月) 23:48:56.99 ID:gMHptEIe
>>681 >なら、煩悩を消したらいかんわけだ
そういうこと。
684 :
神も仏も名無しさん:2012/07/16(月) 23:55:49.40 ID:/U4jnRVM
>>683 >そういうこと。
なるほどwww
お前の仏教では、「物事に執着しまくり・・・OK」「煩悩・・・・消したらダメよ。
煩悩まみれが最上さw」・・・・んで、それらによって引き起こされる「苦」・・・
「心ゆくまで苦しんでください」www
いったい、どこの国の仏教だよwwww
>>676 悟りは気づきなので実は人格とは関係ないのです・・・。
それと宗教は仲良し来よしでもないです。
仏陀も法を説くときは獅子のように話されたということから
獅子吼という表現すらあります。
また、仏陀はヒンドゥー教に向かって
生まれによって賎しい人になるのではない
生まれによってバラモンになるのではない
行いによって賎しい人にもなり
行いによってバラモンにもなる
とカースト全否定です。徹底抗戦です。
当時のカースト全否定は、社会規範の全否定ぐらいの
インパクトです。現代日本で例えると、オウム信者である
ことのカミングアウトぐらいのインパクトです。
それでも敢然と理不尽な差別に立ち向かったのが仏陀です。
彼の悟りが何であるかは正直わからないです。
でも、こうした彼の行いが、功徳となり、仏滅の2500年前から
今日までその法統をそっと守っているのでしょうね。
ちなみにナザレのイエスも、エルサレム神殿で商売していた
商人達を追っ払ってたりします。
昔からお行儀の良い大人しい聖者など居ないようです。
684のキャラがおもしろすぎるwww
687 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 00:04:30.82 ID:7AsP/Wcr
>>686 あれ? 安堂ww そんなに面白い?www
>>685 枠のぶつかり合いと、枠のなかが一緒なの?
雑多な例でもルネサンス(思想の氾濫)から次の制定迄の過渡期はそんなもんでしょ。
689 :
ろん:2012/07/17(火) 00:10:24.65 ID:tSQopUa6
>>684 そう、煩悩や苦が問題の本質ではないということだな。。
ならば、問題の本質は何であろうか?
>>539 >夏の花火は誰かと行きたいな・・・。
>>540 >色事皆無の聖職者
>インチキ臭の出所ぞ。
安堂さんは本当に正直だなぁ。
相手が早く見つかるといいね。
縁のある人と出会えばトントンびょうしだと思うよ。
691 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 00:14:20.99 ID:7AsP/Wcr
>>689 は??? 苦が問題ではないww
今度は四諦否定かいねwww
お前、なんか新興宗教でも立ち上げるつもりか?www
>>662 >ビールを一杯ひっかけるのと、坐るのと何が違うのだろうか?
現実(今)から逃避するのと、現実(今)を見つめる違いだろうね。
693 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 00:18:02.87 ID:7AsP/Wcr
>>689 ロン、お前もしかして、「立川流」とかの信者じゃねえだろうな?www
694 :
ろん:2012/07/17(火) 00:20:06.44 ID:tSQopUa6
>>691 >今度は四諦否定かいね
その通り。。
般若心経の通り、無苦集滅道。
大乗はたいていそうだがな。。
696 :
ろん:2012/07/17(火) 00:20:58.69 ID:tSQopUa6
無無明 無無明尽
このとおり、なんでわからんのかね〜。。
>>685 立ち上げ少数でも、その法ならみんなで仲良くやれそうだから付いていくわけで。
憲法だって、日本人から見たら事情が複雑だけど、キリスト教圏の人から見たら"お隣と仲良く過ごす方法"がメインだよ?
698 :
ろん:2012/07/17(火) 00:23:21.54 ID:tSQopUa6
>>692 ビール飲むのがなぜ現実逃避なのだろう?
ビール会社に訴えられるぞ。。w
>>693 ロン先生はせったん派や雪渓派だから超難解。
せったんの弟子十人以上いたらしいが、誰一人解脱できなかったそうだ・・・。(町野氏談)
で、アメリカは人種と宗教が雑多だから、思想に頼らず憲法重視になったの。
701 :
ろん:2012/07/17(火) 00:25:44.30 ID:tSQopUa6
>>699 いや、何人か仕上がってる人いたべよ。。
>>698 >ビール飲むのがなぜ現実逃避なのだろう?
ビール飲んで座ることと飲まないで座ることを体験すれば分かるでしょ?
703 :
ろん:2012/07/17(火) 00:29:15.19 ID:tSQopUa6
>>702 雪渓師は、酒飲んで坐るくらいがちょうどいいって言ってたらしいよ。。w
人づてに聞いた話だけど。。
なんとなくわかる話だけどね。。w
704 :
ろん:2012/07/17(火) 00:30:16.81 ID:tSQopUa6
酒=現実逃避って、ここにいる人たちの現実ってそんなにつらいんだろうか?
おいらだけのん気すぎるんかな〜。。
>>703 それは坐る人のレベルによるね。
でもそういうのは嫌いじゃないw
706 :
ろん:2012/07/17(火) 00:32:40.71 ID:tSQopUa6
>>699 何にも難解じゃねーよ。。
二つに見る自我が問題、煩悩や苦を取り扱うのが問題というだけなのさ。。
>>703 マジかw
酔禅???戒律なんかどうでもいいのか・・・・
そういえばせったんも酔っぱらいながら書き込んでたな・・・。
酒と女と歌を愛さぬものは、生涯愚者である。 マルティン・ルター
708 :
473:2012/07/17(火) 00:37:41.24 ID:tn4UdB/G
>>691 あくまで問題としているのは宗教に興味があるマジョリティーの悟りの認識なのだから、
特殊な人間の屁理屈に付き合っても仕方がないかもしれませんよ。
でも、ねえ。
むしろこうやって悟りを捻じ曲げて現実肯定、自己逃避の道具とするのがむしろ多数派なのかもしれませんね。
段階的な悟りは、あくまで段階に組み込まれてるから意味があるわけで、
ここが最後というamaは段階とかそういうものじゃない。
既存の仏教の段階で進歩することはありえない。
それに、宗教は覚醒−意識ー無意識が軸なので、amaさんは私が認識する限りの宗教とは全くかかわりはないし、
いかなる段階ともかかわりがない。
段階というのは、最後まで到達しうる基本的な方向性と自己認識があってのもので、それがない場合根本的にあさっての方向で
どこにも行き着かない。
>苦は問題ではない
単なる話題そらし。そらしてることを自覚できないような意識のレベル。
苦をなくそうとするなら、苦を問題にしちゃいけない。要は覚醒の欠如なのだから。
だけど、元の話題は苦が問題だということじゃなく、苦がないのが悟りってのが共通認識じゃないのってことだった。
共通語の模索がいつのまにか宗教の実践に切り替わってる。それを大真面目に言ってる。
709 :
473:2012/07/17(火) 00:39:56.02 ID:tn4UdB/G
どんな話も、他人を混乱させ、そしてそれによって自分の混乱から逃避するような
用法で使ったとしたら、それは迷惑だし、ブッダも他者を混乱させるなと戒めていた
そのタブーに該当する。
どんな話もタイミング次第で、効果は180度変わる。
>ビールを一杯ひっかけるのと、2chに長文書き込むのと何が違うのだろうか?
同じです。自己陶酔していればいいよね。
一時だけだけど。
>>706 う〜〜〜〜ん。難しいね・・・。
やっぱオレがアホだからわからんのか・・・・・・・
712 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 00:40:57.97 ID:7AsP/Wcr
>>694 wwwwww 今度は、無苦集滅道かよwww
典型的な「心経バカ」だなwww
それは、空観に達したもの、すなわち仏の視座からの物言いだろうがwww
全てが空であるから、四諦も無い・・・・・これが言えるのは、仏陀のみだろうが?ww
お前は解脱者か?ww
現実に生きてる凡夫は、苦があるのw だから、四諦が説かれ、八正道が説かれたんだろうがww
アホかww
>>662 > 仏教の目的は苦を滅することなのだろうか?
仏陀の仏教はそうです。初転法輪の理由がそれですから。
715 :
473:2012/07/17(火) 00:51:04.44 ID:tn4UdB/G
>amaさん
>ほとんどのコテ
>>713 709続き。
相手はわからないのだが、自分は分かっているという安心感に逃避せずにいられないものを抱えている。
だから、どんなに無理やり話題をそらしても、そう自分で信じられる流れを作ろうとする。
無理やり他者が知らなかったり、何らかの咎があるということにする。
共にそれは人間の弱さとして目覚めていこうというような方向は皆無。
ただただ、他人を利用しての逃避。
716 :
ろん:2012/07/17(火) 00:51:33.12 ID:tSQopUa6
>>712 苦があって何が問題なんだろうか?
苦楽のままにあれば、それが解脱だろう・・ジタバタするから輪廻となるだけ。。
誰もが一瞬一瞬生き切り、死に切っている、十分解脱しているではないか。。
717 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 00:51:34.29 ID:7AsP/Wcr
「禅とは100万に一人の天才が歩む道である。残りのものは必ずどこかで
分かったような気になり道を踏み外す。」・・・・・
ある著名人の言だが、ロンを見てると
「まさに至言」と思えるなwwww
718 :
473:2012/07/17(火) 00:54:16.39 ID:tn4UdB/G
>>706 理解もしないで、そう思い込むのは簡単だろうけど、
それをものにするのは簡単ではないでしょう。
>>708 > それに、宗教は覚醒−意識ー無意識が軸なので
この定義がわからないです。
どうして宗教は覚醒−意識ー無意識が軸なのですか?
覚醒−意識はどう繋がるのですか?
意識ー無意識はどう繋がるのですか?
あなたは他人を混乱させることで自分の混乱から逃避
してませんか?
>>709
720 :
ろん:2012/07/17(火) 00:57:05.31 ID:tSQopUa6
>>714 ふーん、苦を滅するだけって下らんね、せこいね。。
721 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 00:58:14.21 ID:7AsP/Wcr
>>716 ほ〜〜〜〜〜〜〜、すごいねwww
お前は苦がないんだ?w
殆どの人にとっては、苦が問題なんだよww
だからこそ、その苦を滅する法を釈迦は説いたわけww
苦楽を完全に等価に観て、一切を平等に観る視点があれば、そりゃ仏陀でしょう?ww
もしかして、「ロン如来さま」でしたか?www
>>715 んなこたどーでもいいし、くだらない長文はいちいち読まない。
意味があって指摘してるが無視するのは人の勝手。それに対してどうこうはおもわないよ。
ようは、外界からの刺激をゴミにするか宝にするかは自分次第。全て473次第なわけ。
受身はかっこ悪いね。全てに能動的になれ。
723 :
ろん:2012/07/17(火) 00:59:28.37 ID:tSQopUa6
>>717 自分はどうなんだろう?
お前は大乗仏教も何にも知らんし、まともに修行しているようにも思えんが。。
お前は道を踏み外していないんか?
ただ草生やして、チャチャ入れてるだけだろう、いままでずっと。。
724 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:01:12.46 ID:7AsP/Wcr
>ふーん、苦を滅するだけって下らんね、せこいね。。
苦を滅するだけではいかんと?w
もしかして、お前、「請願」とか立てちゃってるの?www
ロン菩薩さま だったのか?wwww
725 :
473:2012/07/17(火) 01:01:39.59 ID:tn4UdB/G
>717
そうそう、だから禅はお勧めしない。
それが役立つころにはもうほとんど何も必要がない。
>719
ブッダ、人間、動物
ohsoのたとえ話を参照して下さい。
無意識なら苦しみはない 動物 酒
意識があるから苦しみがある 生死の自覚、時間
意識を超えても苦しみはない ブッダ
苦しみというのはその意識によってありもすればなかったりもする。
だからどの意識に対して苦しみを語るのかで語り方は変わるのではないでしょうか。
726 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:03:40.59 ID:7AsP/Wcr
>>723 >お前は道を踏み外していないんか?
wwwwww 道を踏み外すも何も、まだ、歩き始めてもいませんがwwwww
>ただ草生やして、チャチャ入れてるだけだろう、いままでずっと。。
え〜〜〜〜〜と、「勘違いバカ」をおちょくって遊んでると前にも言ったけど、
それじゃあいけない?wwwww
>>720 えぇ、それだけです。非常にシンプルです。
なにも複雑なことはありません。
法句経に曰く
戦場で百万人の敵に勝つよりも、
ただ一人の自己に克つ者、
彼こそ、実に最上の勝利者である
これが仏陀の教えです。教師の握拳はありません。
せこいと評されましたが、ろんさんは戦場で百万人の
敵と戦うのがお望みですか?
728 :
ろん:2012/07/17(火) 01:05:25.95 ID:tSQopUa6
>>726 お前自身悟ってもいない、明らめてもいない、学んでもいない、わかってもいない。。
一番の勘違いはお前だと思うが。。
729 :
473:2012/07/17(火) 01:08:34.83 ID:tn4UdB/G
そうかね。
現実感覚の優れた人は、悟りは分からないが、勘違いバカは見極められる。
また、自分の自我に散々だまされてきてそれに気づいた人も、悟りは知らなくても、他人がそれに引っかかっていることは分かる。
ろんさんや他のコテが、悟っていないとは言わない。
ただ単に、自分のよく知ってる状態がそこにあるだけ。
>>725 解説するよ☆
>無意識なら苦しみはない 動物 酒
動物には魂はあるが自我がない。意識はあるが、人と同じ昼の意識ではなく夢の意識状態。。従って苦しみは生じるが自分に関する苦しみではない。
酒は自我の働きを弱め、人を動物の意識状態にする。
>意識があるから苦しみがある 生死の自覚、時間
これは人のこと。そのまま。
>意識を超えても苦しみはない ブッダ
自我を超越した「ある」を生きている。苦しみはあるが、その傍観者であることができる。
731 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:09:38.44 ID:7AsP/Wcr
>>728 え〜〜〜〜〜と、今まで、俺が悟りについて、何か分かってるようなこと
言ったことある?ww あるなら、そのレス挙げてみww
俺は始めから、「な〜〜〜にも達していません」・・・・と言ってるんだけどww
それで、どうやったら「勘違い」できるの?
732 :
Ope:2012/07/17(火) 01:13:05.25 ID:EGo1z5iw
>>729 > 現実感覚の優れた人は、悟りは分からないが、勘違いバカは見極められる。
473がまともなこと書いてる
確認するけど、勘違いバカって自分のこと、それとも他人のこと?
733 :
Ope:2012/07/17(火) 01:14:31.32 ID:EGo1z5iw
>>731 amaさんに長文で質問してなかったっけ?
>>730の続き
ようは、苦しみについてクリティカルなのは意識ではないんだなぁ。
なんでも意識っていうのは、何でも悟りって言うのと同じだよ。
意識がある、では動物も人もブッダも一緒だから。
意識の差異がどの要素により、変動するか、そのポイントがキモだと思うなぁ。
まったく別物だから。
単語は一緒でも。
735 :
ろん:2012/07/17(火) 01:16:05.30 ID:tSQopUa6
>>727 いや、ただ苦が滅するのは悟りの結果だと思うんですよ。。
苦や煩悩がどうのという前に、法を学ぶ、自心を明らめる、自己を明らめる。。
でなくば、経典の文句に踊らされて、誤解に誤解を重ねるじゃなかろうか?
禅宗は、道元禅師の書いたものや、他の祖禄も参考にしますが、何かこれだというものを掴んでいたらいけないわけです。。
それが自我であり、障害になりますから・・現実こっきり、で他に何にもなくならなければいけない。。
仏教も要らんわけです。。
736 :
473:2012/07/17(火) 01:17:09.48 ID:tn4UdB/G
>>732 特定はないかな。トピックに乗っただけだし。
要点は、悟りの有無についての話題じゃなく、
現実感覚の次元(草の人)
自我のトリックの次元(473)
で話してるんだからそれに対して悟りの有無の次元で答えるのはちょっと話しつながらないってだけですね。
別のこととして悟りの有無について話す分には別ですけど。
737 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:17:53.58 ID:7AsP/Wcr
>>732 してたぞw あれの趣旨は、一般的に言われる「悟り」の意味と
貴方が使用する「悟り」の意味は異なってるようなので、読む方に混乱を
引き起こす可能性があります。 よって、そのあたりを配慮しては?
というものだったがw
それが何か?ww
738 :
Ope:2012/07/17(火) 01:20:50.13 ID:EGo1z5iw
>>704 訳あって酒飲まないけど
タバコと同じように、無くても気にならないものかな
>>729 473さんはまだ、騙され足りないです。
いままで習ってきたこと、覚えてきたこと全部ウソ
という最大の騙されに気づく日が来ます。
ろんさんや他のコテさんから見て、あなたの状態は
かつて自分が通った道です。
740 :
Ope:2012/07/17(火) 01:22:17.82 ID:EGo1z5iw
>>699 ふーん
あの激太りのおじいさん頑張ってたんだな
741 :
473:2012/07/17(火) 01:25:04.72 ID:tn4UdB/G
>>735 苦、煩悩が自己だという現実があるから、その現実においてそれを明らめようとすればすべて取り違える。
段階的に誤解を重ねていって身軽になるしかない実情がある。
偽りを失わずに真実に触れようとしても、それは無理じゃなかろうか。
そのやり方でうまくいくなら苦労はない。
うまくいくならもううまくいってる。
だめだってことは今は苦と煩悩が邪魔して直接それを明らめるということは不可能ということさ。
なにかこれだというものをつかんだらいけない。
という理由を自分自身の苦しみを通じて実感していなければ手放せるものじゃない。
これに、本人の根拠がないのさ。
742 :
ろん:2012/07/17(火) 01:29:43.49 ID:tSQopUa6
>>738 タバコは、止めるのにちと苦労しますが、酒はずっと飲まなくても平気ですよ。。
743 :
Ope:2012/07/17(火) 01:30:16.72 ID:EGo1z5iw
744 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:33:45.69 ID:7AsP/Wcr
しっかし、ロンも情けないねw
普段は、分かったような顔して、 「悟りとは・・・・」なんて
やってるくせして、 ちょっと突っついたら
>>723 >>728 みたいに
「ムッキ〜〜〜〜〜」ってなって言い返してくるww
こんなんでよく、「悟りとは・・・・・」なんて語れるよなwwwww
745 :
Ope:2012/07/17(火) 01:36:59.28 ID:EGo1z5iw
>>736 そうですか
現実感覚の中で、自分という勘違いバカを見極めたのかと思いました。
悟りの話ですがね
746 :
473:2012/07/17(火) 01:38:14.66 ID:tn4UdB/G
むしろ
そんな人だからこそ、語れるんだろうね。
本当に悟った人か、そういう人じゃないとそういう風に悟りは語れない。
膨大な中間層の人はそんなことしない。
747 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:39:28.84 ID:7AsP/Wcr
>>742 >ちゃんと歩き始めてるじゃないの
トンデモない〜〜〜wwww
「さて、歩き始めてみようか」 って、スタートラインに立ってみたら
そこから見えるわけよ、「落とし穴に嵌って、分った、分った、コンコン」と
ないているキツネたちがwwww
んなの見たら、一片にやる気なくしちゃうだろ?ww
ということで、今はまだ、コーヒー飲みながら、キツネ見物してますwwww
748 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 01:40:27.76 ID:7AsP/Wcr
742→743
>>735 禅の方らしいレスですね、ありがとうございます。
いまの私からは
>>735について何も差し引きできるものを
見いだせないという意味で、向き合い方としては、それで
宜しいかと思います。
もっと進んだ方なら警策を飛ばす点があるかもですが。
>> 仏教も要らんわけです。。
四諦の否定のあたりから、殺仏殺祖に通じるものを
感じていましたが、禅の方ならではの表現ですね。
他宗でもトップランクなら、それこそ
>>261の蓮如上人の
ようになるのでしょうね。
# 禅だの他宗だのの用語(決めつけ)は言葉のあやと
# いうことでご容赦を。
どのガイドブックがよく書けてるか評論してないで、実際に山に登ってみなさいってこったなw
山に登りもしないで、頂上に行ってないんじゃ意味ないじゃんとか言ってる人よりも、
五合目だろうと登ってる人のほうが見える景色も違うだろ
「尊師よ、アートマン、即ち、真実の自我、
つまり、真我なるものは、存在するのですか。
それとも、真我なるものは、存在しないですか。」
「行者よ、有るとも言え、無いとも言える。
無我を観じられないと、真我を感じられない。
これは、確めるべきであり、語るべきではない。」
「有るとも言えて、無いとも言えるような、
真我なるものを、どうして説くのでしょうか。
尊師よ、解かない法が、良いのではないですか。」
「チッタよ、その問いに、答えるためには、
この頼み事に、応えてもらわないとならない。
さあ、ここまで、最高の美女を連れて来なさい。」
「尊師よ、その美女の名前を教えて下さい。」
「チッタよ、名は知らないが、最高の美女だ。」
「では、無理です、誰が最高か確められません。」
「チッタよ、まさしく、これと同じである。
名が付けられるのは、命を確めるためであり、
実に、概念を説くのは、概念を解くためである。」
「真我を説くのは、真我を解くためであり、
真我に囚われて、真我を論じるためではない。
越えるべきものに、囚われるのは、転倒である。」
>>586 苦はなりきるだけです。
(はじめからなりきっているのです。)
なりきれなければなりきれない、それだけです。
もちろんスルーするならスルーするでOKです。
普段の私たちがやっているなんでもない当たり前のことを
解説しただけですので、やってみるも何もないのです。
ただ、余計なことをしているなら、しなくていい、
ただそれだけのことです。
>>393さんとろんさんとのやり取りの中で話されている内容が分かりやすいかもしれません。
>>593 戦争は体験していませんが、
私にとって空腹はとても辛いものです。
(胃腸が弱いのです。)
> > もし、悟りが苦しみをなくすことなら、喜びもなくすことになります。
> 本当ですか?
片方だけでは成立しないですよね。
>>754 自信に未来永劫降りかかる悪評・怨みに覚悟を持ってたで有ろう、トウタク(変換出ねぇ)が聖人に見えますね。
>>63 今スレをもう一度読み返してます。
言語化されないものを語ってるのですね。
研究熱心なお方なんですね。
この言語化しないという事を奇しくも私も日々感じてます。
例えになるんですが言語や概念などは、
地図のようなものではないかと時々思考することがあります。
かなりの日本に住む人たちは地図上の日本列島を想像できるかと思います。
しかしあれは三次元的なものを二次元化したものですよね。
本当の日本列島の姿は恐らく我々には俯瞰する事は叶わない。
せいぜいGoogleearthのミニチュア化されたものを見るくらいでしょう。
しかし我々は日本列島を知ってると思ってます。確かに知ってるのですがやはり知っていないとも言えます。
なので概念言語なしに体験する観ると言うのが私の修行です。
恐らく、ーと言ってもほとんど理解できませんでしたがーろんさんの言う、
なにごとも手を付ける事なく自己を忘じ切ると言うことが全てを表してるのだと思います。
私はろんさんと話していて自己が自己である時、禅は禅。という言葉を思い出しました。
758 :
473:2012/07/17(火) 09:51:51.80 ID:tn4UdB/G
>>754 ただ、それだけだと、やはりamaさんの悟り観が見えてこない。
言葉の上では一般的な内容は似てるのに、217−249の内容は一般的ではないので、
217と249の内容と、前後を補完して、悟りというものそのものにどんなビジョンがあるか示さないと
やはりそれだけでは誤解の元と思います。217−249だけでもある程度つかめますけど。
テンプレは1レスにまとめなくてもいいので、3投稿位で基本的な枠組みを提示するのはいいかもしれません。
249の内容を見たら473は悟りより苦しみの消滅のほうに興味が行きますから。
となると、つまり、興味の方向がぜんぜん違ってるのです。
それが分からないで対話するのは、互いに時間の無駄でしょう。
分かってやるならまだしもね。
草の人や473の提示した執着の消滅、苦しみの消滅というもの以外に悟りを見出しているのだから、
この部分は明確に否定しておいて欲しいのです。これを目指している人がそうと知らずamaさんと対話しても仕方がない。
それこそ悟りという言葉を使わない方が誤解が少ないとは思うのですけどね。
>>755 苦しみだけなくすことはできない。
苦しみと喜びはひとつの現象だから。
かといって喜びを捨てようとしても捨てられるものじゃない。
苦しみー喜びという次元にとどまることで、とんでもないものを見失っているらしい。
それに、私たちは死んでしまう。苦しみも喜びも死に集約されるなら何故こうも生存に苦闘するのか。
759 :
473:2012/07/17(火) 09:57:49.58 ID:tn4UdB/G
> 執着が残っている状態で、あくまでこれまでの経験を背景としてるとはいえ知的な理解で
> 悟りをわかっているように語るのはいかがなものか。
いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
何かが消えるとか消えないとか、そういうことではないのです。
***
適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
473さんは執着があるとどのような問題があるとお考えなのでしょう?
具体的な例があると助かります。
> 悟りへのイメージは自我が作るだけで、イメージがること自体がもう執着であるといえないだろうか。
おっしゃる通りです。
> なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶのが悟りという言葉の用法だったかもしれないということです。
私は、認めることが出来ないもののことを悟りと呼んでいます。つまり、悟りは無いのですね。
執着の消滅などを否定しているわけではなく、
これらのことは悟りとはまた別のことで起こっている可能性がありますし、
あるいは、本来言葉では伝えることが出来ないものを言葉で伝えるわけですから、
それを聞いた人はどうしても勘違いしてしまいます。 釈迦が伝えたかったことを正しく受け取った弟子はとても少なかったとも聞きます。
「執着に苦しまなくなる」というのを、「執着が消える」と受け取った人もいるでしょうし、
「執着があると悟れない」と受け取った人もいるでしょう。 あるいは、私たちがイメージする「執着に苦しまなくなる」ですらないかもしれない。
「執着に苦しまなくなる」と聞いてイメージする内容は十人十色ですよね。
更に申し上げると、一般で言われている内容と実際の禅寺で教えられている内容とは、
かなり違っているということもあるようです。
また、細かく見ていくと仏教の宗派によっても言い分が異なっているみたいです。
一般的なことを信じている方からすると、 「悟りを開いたことがあるけど何か質問ある?」などというせりふは、
かなり衝撃的で刺激的で挑戦的なのかもしれません。
760 :
473:2012/07/17(火) 10:05:41.58 ID:tn4UdB/G
759はテンプレの草案にどうかと思いましたが、
「執着に苦しまなくなる」というのを
というのはamaさんの造語です。
すでにここがおかしい。ブッダの言葉と自分の意見を混同している。
苦しまなくなるのは、元の仏陀の言葉から必然的に類推される副産物。
執着は存在しないと見抜くことが悟りというのだからそりゃ見抜いてしまえば苦しみようがない。
体はなく、感覚はなく、思考はなく、認識者はない。
それが真実なのだ。
それがあると思うのは、それがあると思いこむこと、執着のゆえんである。
というようなことが般若心径で述べられています。
だから、執着があってもなくてもとかそういう問題じゃなくほぼイコールなんです。
この内容を受けてきちんと否定して759を改定していただければ。
執着に苦しむかどうかではなく、執着は自ら作り出した幻であり、事実としては存在しないという声明なのです。
これを支持してという話ではなく、これを受けてamaさんは表現して下さい。
「執着は存在しないと見出す」
「執着は幻であると見出す」
「執着のない境地に安住する」
一言で言うとこんな感じかな。
761 :
473:2012/07/17(火) 10:10:40.47 ID:tn4UdB/G
後は簡単な言葉で、苦しみの消滅した境地。なんて表現も普通にあったかと。
悟りは、そこには苦しみはないとはいえる。後は語りえぬ。と。
これらを受けて、ご自身のヴィジョンを表明ください。
762 :
473:2012/07/17(火) 10:28:54.69 ID:tn4UdB/G
amaのいう悟りは仏教で言うような「苦しみの消滅した境地」「執着は存在しないと見出す」 といわれるものではなく、
「執着に苦しまなくなる」というものです。
> 執着が残っている状態で、あくまでこれまでの経験を背景としてるとはいえ知的な理解で
> 悟りをわかっているように語るのはいかがなものか。
いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
何かが消えるとか消えないとか、そういうことではないのです。
***
適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
> 悟りへのイメージは自我が作るだけで、イメージがること自体がもう執着であるといえないだろうか。
おっしゃる通りです。
> なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶのが悟りという言葉の用法だったかもしれないということです。
私は、認めることが出来ないもののことを悟りと呼んでいます。つまり、悟りは無いのですね。
それと執着があることは矛盾しません。
こんな感じでもいいかもしれません。もちろん、amaさんのお好きなように改修してください。
悟りは認識を超えても、執着は認識でありイメージそのものなんですよね。
それを両立したままなのがamaさんのヴィジョンなのでしょうね。
763 :
473:2012/07/17(火) 10:38:42.59 ID:tn4UdB/G
>>757 言葉では捕らえきれない、言葉にとってはものすごく複雑であるはずの世界や、生死を、
単一の言葉のイメージで表そうとすることは、世界を殺し己を殺すことになりがちです。
単一なる表現は、イメージを超えた人がそれが伝わりそうな人に伝えるための、感受性がある同士における媒体であり、
それが思想や、体験として認識されるとはなただ危険です。
それはあらゆる認識、思想から解放されることを示唆している言葉に感じます。
その言葉は理解してはいけない言葉、、、。
ことばでないということを感じるための媒体。
だからそういう準備ができていない限りにおいては、あるがままである複雑なマインド、無意識に覚めてゆけばよく、
使う媒体も複雑な論理でよいように思います。
単一の媒体を現状で利用しようとしても、あるがままの自分自身の抑圧であり、より深い夢見に落ちる危険を感じます。
思い出したのが、oshoの言葉ではなく、行間を読め。言葉と言葉の間の沈黙を感じるのだと。
>>585 >>583 >>581-582 あえてぶつけてみますがこれとろんさんがなさってる坐る、酒を呑む、陰謀論を嗜む、ー473 馬 パーピマン(敬称略)ーと、スレで論争をする
ことはどう違うのでしょうか?
まず、最初に「坐ろう」「呑もう」「陰謀論について調べよう」「スレに書き込みをしよう」とされてないですか?これは余計にならず、法であって
私がしている今を意識する 呼吸を観るは余計になる、法ではないとおっしゃってると思いますが、違いを教えてください。
例えるなら仏陀の悟りは十牛図で言うところの八図
amaさんの悟りは十図でしょう
これは十図が八図より上とかamaさんが仏陀より上とかじゃなくただの違いですね
ようは仕事もして家庭もあるamaさんと一日瞑想三昧の仏陀の境涯の違いでしょうね・
悟り子の私見では人間はただ執着を無くすためだけに生まれるのではなく
愛や執着や憧れや失望や自意識や愚かさや賢さ
努力や勝利や敗北や怒りや憎しみ許し等様々な生を体験して遊ぶために生まれて来てますね
私を体験的に知りたいのでしょうね・
>>765 amaさんの悟りと仏陀の悟りはどうも違うものみたいだから
十牛図で比較すること自体、おかしくないですか?
768 :
473:2012/07/17(火) 13:01:28.71 ID:tn4UdB/G
>>765 10図は8図を経ているのだから8図の内容を否定はしない。
ブッダとどちらが上ということはないが、amaさんの悟りは2図からの逃避か、
大穴で4図からの堕落に映る。
ちなみに2図でも凄い。禅というのは大体が、、、。
ありふれているのが、1番目の段階で狂信に走ること。
2枚目の段階で、自分なりに利用して逃避する。
自分自身への激しい問いかけがない限り3枚目にすら向かえない。
自らのすべての夢を犠牲にする勇気がなければ一瞬ですら夢から出ることはできない。
リアリティーのかけらすら感受することはできず、幻想に逃避するのみ。
出たとしてそこにとどまるのはそれまでより困難な道だ。
4枚目で瞬間的に目覚めてから、新たに自我の犠牲になり、それまで蓄積した知識とその意味付けを捨て、
それから新たに知識の犠牲になるというのはあるので、案外4枚目以降の人も無意識の牢獄を無視するかもしれない。
無意識から逃げてる人も表層意識の努力でここまでこれる?
ようでいて、先に進むにはそれまでのものが邪魔になりすぎて、ここが終着駅になる。
段階としてだから意味があるのに、ここが最後ではね。
一枚目に真剣になること。
ごくわずかでも過程を飛ばそうとしたらむしろより無意識の暗い闇に落ちる。
禅はより直接的な道であるがゆえに危険です。
これだけのヒントであらゆる倒錯の危険性を回避するのはほぼ不可能。
潜在的にもう目覚めている人か、直接連れてゆける師がいるか。そうでもないと。
語改製造機みたいな何か。
769 :
473:2012/07/17(火) 13:02:35.53 ID:tn4UdB/G
>>757 いかにして、はない次元なのですよね。
概念を通さずみる方法はないのではないでしょうか。無意識的に何とかしようとしがちな我々です。
概念を通してみているということそのものを人生で痛感して、途方にくれて、
いかにしてが止むとき、、。
770 :
473:2012/07/17(火) 13:15:11.56 ID:tn4UdB/G
>>766 それは自身の執着に覚醒した人の歌う歌でもあるし、執着による自身の苦しみから逃げるための自己肯定でもあるだろう。
歌い手が誰か、前後の関係はどうかでこめられた意味は変わる。
が、私は事実がどうであっても真実として前者の意味合いで受け取る。
771 :
473:2012/07/17(火) 13:45:01.46 ID:tn4UdB/G
>>768続き
釣られて間違えた。
3枚目の牛を見出す条件ではなく、そこでの体験にだまされないで牛そのものを捕まえる
ための障害についてだった。
いくらなんでもそこまで条件厳しくない。
厳しくないからこそ危うい。
>悟り子さんへ
実際言わんとすることはなんとなく分かるよ。
何がために述べたったのかも。
でもあくまで地雷は踏まないようにね。
772 :
473:2012/07/17(火) 13:57:01.09 ID:tn4UdB/G
>>764 より気づきが増す、瞑想の技法を使用する。
いつか技法が気づきの邪魔になるというぐらい気づきが成長するからそのとき捨てる。
概念上の存在である法より、自身の目覚めが大切では。前者は空想、後者は事実ですから。
また日常の選択肢においても、より気づけること、より自然体でいられる本章と調和した環境、よりエゴが揺さぶられる試練
それらに向くように気づいていることぐらいはできそうです。
実際、選択はできても、現れてくる選択肢の選定そのものにおいて私たちは無力ですから。
一時無用な欲望から逃れても10時間後いつもの2倍犠牲になってる。
これは自分自身が死なない限り変わりようがなく、本当に目覚めているほかない。
欲望の犠牲になっているさまを。
瞑想技法と、日常の行為は別でしょうし、
その日常の行動もより無意識の欲望に左右されたものから全体性、本性に沿ったものまで
質の違ったものではないでしょうか。
773 :
473:2012/07/17(火) 15:02:18.77 ID:tn4UdB/G
呼吸を意識するのは自我だし、呼吸になっているというのも単なる集中による体験にしかすぎないかもしれない。
絶えず呼吸を意識することで、いつしか呼吸になっているかもしれない、さらには呼吸が自分を乗っ取りつつも覚めているかもしれない。
呼吸のうちに私は消え去り、そして全体性を見出すかもしれない。
語られることは呼吸を意識しなさい。自我と呼吸における2元性ですが、そこからはじまりこれはどこまでも深く入りえるのではないでしょうか。
体験に基づかない、憶測ばかりを延々と書かれても(*´・ω・)(・ω・`*)ネー
夢に霧中なんでそ
あほくさ
しゆーしょく!
きっまっりました!!
禅の呼吸は、文字を書くときに意識の時間を合わせると、ミスを減らせるのと似てます?
777 :
ろん:2012/07/17(火) 16:23:05.33 ID:tSQopUa6
>>764 全てが法である、法でないものはないから、どうこうすべきものは何もないということです。。
意識的な呼吸を見るなどの行も法ですが、それによって、いい状態とわるい状態が別れるなら、
それによって、全てが法、そのまま、から背いてしまうということです。
全て平等にみるなら、何かを避けたり、何かに向かおうとするのはおかしい、ということです。。
778 :
473:2012/07/17(火) 17:52:57.60 ID:tn4UdB/G
771続き。
大きな勘違いをしていた。
3枚目は、自分自身に、あらゆる概念に、体験に絶望することで真実を感じ始める用意が整い始めたということを意味している。
努力のくだりは、努力してくつろいで、その空白において真実と出会うというひとつの手法に過ぎない。
十牛は2枚目までは宗教の概念。いまだ自分自身ではない概念をわずかに利用するところがありますが、
2枚目から3枚目に移行する時点で、事実である自分自身という真実への障壁に向かっています。
そして捕まえるというのは、それに目覚めており、心にそそのかされてそれを見失っていないということ。
捕まえるという表現に罠がある。これは弟子を引っ掛けようとしているところがある。
前進ではなく、後退、どこにも行かないのです。そう思い込むのではなく、本当に。
受け売りの概念、蓄積した認識パターンを捨て、リアリティーに向かう。
>777
出来たらさきに質問にお答えいただけたら幸いなのですがあなたがなさってることは余計にならないのですか?
と言うか、恐らくー確認してませんがー全ての生きとし生けるものものが
自らなにかをなそうとするときそれは余計なのですか?
まずあなた自身のされてる事であなたの言われる余計なのかどうかお答えください。
>いい状態とわるい状態が別れるなら、
それによって、全てが法、そのまま、から背いてしまうということです。
全て平等にみるなら、何かを避けたり、何かに向かおうとするのはおかしい、ということです。。
私も最初からそう言ってます。
坐るときとそれ以外を分けてしまうことは二元的になることになる(いい状態 悪い状態)
ここで一つ意見があります。私と言いましたがこれはあくまで対話上必要な主語であってどうもこのスレでは私だとかあなたということが
忌避されてるかのような印象を受けますがそれこそがそのままに手をつけてることにならないでしょうか。
だから「私やあなたや彼」などの主客の人称代名詞を使用します。読みやすさも全然違ってくると思います。
もちろんこの私やあなたなどの主客も本当はないもので幻のようなものだ、全ては一つだということも理解してるつもりですが
そうしますと会話が成り立たないので敢えてつかってるんです。
話はそれましたが正直いいますと以前あなたがここのスレか他スレか忘れましたが
「今日はうまく坐れた」というような書き込みをしてることを目にしたことがあります。
おそらく三昧に至り、長い時間そこに留まっておられたのでしょう。
しかし、坐ることにうまくもわるくもないのです。またこうもいっておられたと記憶しています。
「だから世法と仏法はちがうのだ」と。
次の書き込みで私のお師の言葉を書いてみます。
780 :
イジメ問題:2012/07/17(火) 18:08:13.96 ID:WuSubyvr
「いじめ防止法で子供たちを守る!!」
アメリカには、いじめた側を、罰する法律が存在します。
昔、アメリカで、銃乱射事件があいついでおこりました。
学生が、学校でイジメをうけて、
逆上して、銃を発砲したのが、銃乱射事件の原因です。
アメリカ政府は、いじめっこを罰する法律を
制定して、子供たちを守っているのです。
今では、法律のおかげで、アメリカの学校のイジメは、減少しています。
日本も、アメリカの優れた制度を導入して、子供たちを
守らなければ、なりません。
いじめっこを罰する法案を、どうか日本に導入してください。
心から、お願いします。
>>777 以下はお師の言葉の引用です。
修行はただ坐るということだけと思うのは大きなーしかし非常に多いー間違いです。
もし坐ることで落ち着くのならば、確実に心を静められる場所を持っていることは素晴らしいことです。
しかし、
そのこととそれ以外の人生との間に、坐る方が重要でそれ以外は重要でないと思ってしまうような分裂は生じさせない方がいいでしょう。
私たちの修行は二元論的であってはなりません。
仏法は世法であり世法は仏法です。心をこめて生きるためには、
その瞬間あなたの人生に何が起こってこようともそこにしっかり気をつけて在るということ抜きにはできません。
心をこめるということの最も有名な例のひとつで、拈華微笑という禅の物語があります。
あるときブッダは多くの瞑想者たちの前に姿を現して花を掲げました。
ブッダは偉大なる師として知られていましたし、深い教えを持っていると思われていましたので、ヨーギ全員がそんなしぐさでブッダは何を言おうとしているのだろうかと迷ってしまいました。
しかし、マハーカッサパはその花を体験しながら、考えに邪魔されることなく、ただ微笑みました。そのときブッダは微笑み返します。
これが注目すべき偉大なる教えの伝達でした。なぜならば、この修行僧はそこにあったものにしっかりと気づいていたからです。
中国の禅師たちは、私たちの存在がおろそかになっているとき、すわなち、
いま生起していることから思考によって分離してしまっているときのことを指して、命を殺していると言いました。
ときには仏教徒の不殺生戒がそのような意味に解釈される場合もあります。
人生の一瞬一瞬をしっかりといきていないとき、しっかりと体験していないとき、私たちはその瞬間を殺してしまっているのです。
しっかりと気をつけているとき、私たちは人生に命を与えているのです。
道元は調理当番に教えを示したとき、この点に関して明確に意識していました。
しぼんだ菜っ葉の汁を作るときにも、とびきりのクリームスープを作るときと同様の注意を払います。
そして、もし仕事を邪魔されるようなことがあれば、それがたとえ文殊菩薩であっても、台所から追い出します。目の前にあるものに集中しているのです。
>>776 おめでとうございます。どうか気負うことなく自然体で臨んでください。
本当におめでとうございます。
>禅の呼吸は、文字を書くときに意識の時間を合わせると、ミスを減らせるのと似てます?
履歴書かなにかでしょうかw 実にそのとおりだと思います。
今にしっかり集中してるからこそミスらないのでしょう。
意識の時間を合わせるという表現がいまいちつかめないですがw
一文字ひともじ心を込めて書くというのならばそうです。
呼吸を観るというのは今に気づく 今に集中する、の基本です。
字を書いているときは字を書くことに。自転車に乗っているときは運転に、仕事をしているときは仕事に、ゴミだしにでもです。私たちは好きなこと興味のあること大事と思っていることにはそうします。
サッカーのW杯には釘付けですがゴミ出しする時の階段を歩く音ーこれはかくいう私もですがーには気づいてません。
呼吸を観るということは「今に集中する」ことの基本になります。
なに呼吸を観てたら家族に話しかけられた? 話をきいてあげてくださいw
>>776 おめでとうございます
(*^▽^)/。,…☆∴♪
小ネタを一つ
格闘家の須藤元気さんは一瞬でシータ波だかデルタ波だかが出せるそうです
やはり格闘家の集中力は並外れているのでしょうね
正に油断無く目覚めているのですね
13スレ663
>六祖:一度に一頭の鹿しか射止めることしかできないなら、名人とは言えん。鹿野群れごと射止めることが出来なくてどうする?
>さて、どういうことでしょうか?
☆鹿を射止めようとする心を射止めよ、みたいな感じでしょうか?
13スレ665
>分かりませんが、減らせる必要を感じないもので・・・
節子それ...じゃなくて
amaさん、それは執着じゃなくて愛着とか好みとか欲求の可能性があります
>>782 >>783 ありがとうございます゚+.(・∀・)゚+.゚
集中のしかたって、すげーミステリアスだと思うんですよ。
100マス計算なんか読み・計算・記入の並列を集中ですし。
一方で息止めてじっくり1つしか出来ない集中が必要な事もあるし。
たぶん鹿狩りの話は罠を含めた囲い混みとか、段取りとか、群れの何処をどう射って思い通りに誘導するかを、果てしなく考えるのかな??
兵法?
787 :
473:2012/07/17(火) 19:40:19.15 ID:tn4UdB/G
お前は体の苦しみから逃れたい、生死の苦しみから解放されたいというが、
そもそも体という観念や死という観念でおまえ自身がそれを作っているならどうする。
無自覚な執着に目覚めるための仕掛けとして、無という否定の方便があり、法という肯定の方便がある。
どちらも、今見ている現実、そして今見ている理想や宗教観も、全て真実とはまるで違うかもしれないと、
心を揺さぶり目覚めさせようとしている。
既存の無自覚な執着の破壊によってのみ真実はあらわになる。法や無というのは、それは今は法や無を理解できないということの理解であり、
いま自分がしている体という、感覚という、生死という理解は確たるものではないのではないかという問いかけ。
それでしかなく、別にそういったものがあるわけではない。
執着そのものに目覚めつつある人のための言葉で、さもなければ無意識に、法や無という言葉から新しい概念をつくりそれに逃避するだけのこと。
おお、彼は自分が何をしているのか分からない。
かくして苦しみを抑圧し、他者に投影し、その知識を押し付けることで自分を保つようになる。
473にとっても、宗教の言葉は使い方を間違えればそれまでである。
13スレ666
>悟りに求めていらっしゃるものがありますよね
平安 至福 生の充実感 不用な葛藤や軋轢、恐怖心からの自由
たおやかさ 聡明さ
夏休みの朝のラジオ体操の感じ
...いろいろあるでしょうね
13スレ668
>俺も初めてサイババ見た時は「こりゃダメだ」って思っちゃったよ。
だって、アフロなんだもん
☆釈迦のお団子ヘアーもリアルで見たらかなりのインパクトでしょうね
実際の釈迦は床屋に行かずに長髪だった可能性もありますが
果てしない問と、その手順の前に立てる事だけでも難しそうですね。
立てた時に何を感じるかで、自身への収まり方も違うだろうし。
振り回されましたが(´・ω・`)
仕事も変わんないっすー。
レスが遅れてごめんなさい解釈に時間がかかりました。
それでも見当ちがいのことを言うかもしれません。お許しください。
>>763 >>769 >>772 それも殺すですか。
私はそういう単一の言葉やイメージが実際とはズレのある妄想世界を作り出すのではないかと思います。
各自がそれぞれの概念に従って織り成す世界観は微妙なズレや溝を作り出す。
それは過去の体験によって(数字の世界)苦渋を味わいました。
失明するほどの病にかかったり胃も悪くなりましたし、様々な病気にもなりました。 無意識に覚めるとはどういう意味なんでしょうか?これについては分かりません。
概念を通してみないというより言葉にせずにみるようにしています。
ここにTVのリモコンがありますがそういう言葉では思わずに、
このラップに巻かれた我が家独特の傾斜や擦り切れたあとのある長方形のものを言葉を介さずに観ています。
子どものときはいつもそうだった気がします。いつの頃からか、
「これは自分の知ってるなにかではないか」という見方をしていました。
>>772については
>>781をレスとさせてもらいます。
自我と呼吸の二元性とおっしゃってますが二元性とはいったいどういう意味ですか?
私の言う二元的とはちがうかもしれないとふと思いました。
難しいことは分かりませんが私がすることは、今に心を込めて集中するだけです。
>無意識に覚めるとはどういう意味なんでしょうか?これについては分かりません。
これを育てるのが、丁寧に与えられた問です。
上の理解がないことは、貴方が潜在的に師をどう思っているか・師が貴方をどう扱っているかを示しています。
もうちょっと気を付けたほうが良いですよ?
>>791 あと、此処には貴方が必要としているヒントが数多く有りますが、貴方は何を目的にこのスレへ来ているのでしょう?
795 :
473:2012/07/17(火) 21:33:04.28 ID:tn4UdB/G
基本的に論理というものは無力である。
一切の希望は無意味であるという仕掛けを作ったはいい。
それが不発なら問題外だけど、例え発動しても、再び覚醒が失われると、
マインドは
「一切の希望がなければうまくいくんだな」という感じで働き始める。
マインドは論理を破壊してでもとにかく生き延びる。
そのうまくいくんだな、が希望なんですけど。
覚醒は、宗教的理想という希望も、希望しなければうまくいくんだなも、同じくマインドとして認識するだろう。
しかし、マインドにとっては言葉は絶対であり、それが以前希望であっても、これは希望ではないと名づければ
物事が変わったと錯覚する。
もし、一切の希望がなかったら、ひとつ確実なのは、時間がないということ。
刻々と流れる生と死と調和しているということ。
そうでないということは、、、。
796 :
ろん:2012/07/17(火) 21:37:17.74 ID:tSQopUa6
>>779 >自らなにかをなそうとするときそれは余計なのですか?
いえ、全てが余計ではありません。
ただ、間違った理解に基づく修行は余計だといっています。
>私も最初からそう言ってます。
今から分離しらら今に戻る、呼吸を意識する、ということをやっておられるなら、
まだ、理解されていないと思います。
>「今日はうまく坐れた」というような書き込みをしてることを目にしたことがあります。
そうは言ってないでしょう。。
今日はちゃんと坐ったから、今日は上出来だった、と冗談めかして言っただけです。。
禅はドSだ
禅の道を行くやつはドMだ
798 :
ろん:2012/07/17(火) 21:46:56.63 ID:tSQopUa6
>>781 >その瞬間あなたの人生に何が起こってこようともそこにしっかり気をつけて在るということ抜きにはできません。
これは違います。今の在り方に是非善悪する、二元論的な見方です。。
仏法は、因果ー無自性ー平等が根本です。
因果の結果としてある今の状態には、手の付けようがありません。
是非善悪しようがありません。。
今にあろうが、なかろうが、そのまま、以外ありえないのです。
さらには、自分に手を付けるとか、自分を観察してどうなっているか判断するのは、
自己を忘じていく、という方向性からは逆ですね。。
>中国の禅師たちは、私たちの存在がおろそかになっているとき、すわなち、
いま生起していることから思考によって分離してしまっているときのことを指して、命を殺していると言いました。
中国のどの禅師がどこでそう言っているのでしょうか?
そのようなことを言っている禅師がいたなら、法がわかっていない人でしょう。
799 :
ろん:2012/07/17(火) 21:53:16.99 ID:tSQopUa6
例えば、掃除をしながら、これから買い物に行こうか、テレビを見ようかなどと考えたり、昨日の飲み会は楽しかったな〜などと思い出したりする。。
こういう過去、未来に関する、思考は自分が作っているのではなく、ただ、原因があって生じているだけですね。。
これを排除することはできないし、する必要もないわけです。
排除しようとしたら殺生ですね、自分に手を付けていることになる。
証道歌の有名な句に、妄を除かず、真を求めず、とあります。
はじめから、何か除くべきものや、求めるべきものなどないのです。
800 :
473:2012/07/17(火) 22:27:09.80 ID:tn4UdB/G
実情はそのようにいえば悟ることができるとマインドは企んでいたり、
悟り以外の全てを相変わらず欲している無自覚なありきたりの欲望が作り出す無意識な生のパターンの肯定でしかない。
原因がなく生じる思考などないし、それを思考という。
瞬間瞬間に生きていたら直感がある。その時思考と世界は分離しない。(に近い状態の経験ぐらいならあるのですが)
悟りを求めないことではなく、なにものをか求めているか求めていないかがあるだけのこと。
それに気づくためには敏感でいなくては、目覚めていなくてはならない。
無意識だから、眠りこけているからそういう種種のものがある。
それを消そうとすることは更なる眠りを引き起こす。
それゆえに覚めているほかない。ただ覚めていること。
物事に巻き込まれて意識を失い無意識になる様。
覚醒において生と、今と調和していたのが、不調和である意識に落ちる様。
それにただ気づき、目覚めよ。
ただ気づき、ただ覚めることは最初はできない。
それゆえに、それが邪魔になるまで、意識し、気づいていられるような方便が必要になる。
避けるべきものは無意識だ。無意識を攻めるのも無意識なので責める事も避けるべきだ。
覚醒の欠如が、そして無意識が全ての問題を作り出す。
なれば覚醒があり、きづきがあれば問題は初めから存在しようがないではないか。
801 :
473:2012/07/17(火) 22:41:27.58 ID:tn4UdB/G
無意識から観察へ
観察から意識へ
意識から気づきへ
きづきから覚醒へ
気づきに気づくということ、大いなる一体性へ。
気づきに気づくことで、観察者と観察されるものの分断は消滅してゆく。
観察を否定して無意識に落ちてしまってはいけない。
観察を意識する。
意識が分断と感じるならそれに気づく。
そして気づきに気づくこと、不可知の覚醒の一瞥。
そして
要はそれは、一切加減というものをせず、好み嫌い、愛し憎み、欲し、怯えているということに、それを生き、表現していることに
単に無自覚であるだけということだから。
無自覚に自分が法に適わないといっていることをものすごく強烈にやっている。
が、無自覚だから、、。
自覚していれば行い得ない。それはあくまでこういったものが無自覚ゆえに心にそそのかされて夢を見て欲してしまうようなことだから。
802 :
473:2012/07/17(火) 22:45:38.71 ID:tn4UdB/G
人は自分のペースでやってゆくべきだ。
要はそれは=観察を否定して無意識に落ちてしまってはいけない。
人に強要してもいい結果は生まない。
相手が本当に欲するものを与えて、そして愛と意識で包み込めば、相手はその欲していたものがむいみでったと自力で気づくこともできるだろう。
それはその人の内なる知恵がそこに導くだろう。他者がそのお膳立てを全てすることは不可能だ。
故にほっておく事こそ慈悲だというのかもしれない。
それにしても創作意欲の沸く書き込みが多いのでそれはそれ。
803 :
473:2012/07/17(火) 22:47:07.16 ID:tn4UdB/G
801補足 要はそれは=観察を否定して無意識に落ちること。
人は自分のペースでやってゆくべきだ。
人に強要してもいい結果は生まない。
相手が本当に欲するものを与えて、そして愛と意識で包み込めば、相手はその欲していたものが無意味であったと自力で気づくこともできるだろう。
それはその人の内なる知恵がそこに導くだろう。他者がそのお膳立てを全てすることは不可能だ。
故にほっておく事こそ慈悲だというのかもしれない。
それにしても創作意欲の沸く書き込みが多いのでそれはそれでありがたくいただきます。
>>793 もう少し簡単に言ってください。難しくて分かりません。
>>794 また私が必要とするヒントをなぜあなたがご存知なのでしょうか?
もしかして悟りを開いていらっしゃるのですか?
目的というほどでもありません。悟りについて興味を引くものは目に入ります。そしてここにたどり着きました。
そしてここにいることで悟りが開ける等とも思ってません。
805 :
神も仏も名無しさん:2012/07/17(火) 22:59:37.99 ID:7AsP/Wcr
>二カサ
確認終了w
やはり、「煩悩を少し消した形跡のある者(執着、煩悩を残した者)」に対して
『覚者』との呼称を使用する例はパーリおいて無しとのこと。
(ちなみに、もう一人詳しいのがいるんで、それにも確認したら、いわゆる
伝統仏教において無し とのこと。) 以後、反論をあげるなら、
その著作からの引用を頼む。その際、必ず「どこからの引用か」「著作者(訳者)名」を
付記してくれ。
808 :
473:2012/07/17(火) 23:20:01.00 ID:tn4UdB/G
>amaさん これでいかがですか。2つに分けてもいいですし、共通語作成の動機でもあるので特に問題なければこの分かりやすい表現などいかがでしょう。
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?15
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
※amaが申し上げる「悟り」は、
一般的に言われている「悟り」とは違うかもしれませんし、
仏教で言われている「悟り」とも違うかもしれません。
ご承知おきください。
***
amaのいう悟りは仏教で言うような「苦しみの消滅した境地」「執着は存在しないと見出す」 といわれるものではなく、
「執着に苦しまなくなる」というものです。
> 執着が残っている状態で、あくまでこれまでの経験を背景としてるとはいえ知的な理解で
> 悟りをわかっているように語るのはいかがなものか。
いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
何かが消えるとか消えないとか、そういうことではないのです。
***
適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
> 悟りへのイメージは自我が作るだけで、イメージがること自体がもう執着であるといえないだろうか。
おっしゃる通りです。
> なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶのが悟りという言葉の用法だったかもしれないということです。
私は、認めることが出来ないもののことを悟りと呼んでいます。つまり、悟りは無いのですね。
それと執着があることは矛盾しません。
>>804 大体、473氏とろんさん氏の対応で、自分がイッパイイッパイなのが自分で解らんかね?
悟ってるんじゃなくて、ボロつついてるだけw
810 :
473:2012/07/17(火) 23:26:25.43 ID:tn4UdB/G
>>804 無意識の2つの意味
無意識ー意識、気づき、目覚め
自分の行動を意識していない、呼吸を意識していない。
無意識ー表層意識
自分の知らないところで活動している、過去の価値判断や執着や行動パターンのこと。
前者の意味で無意識だから、後者の意味での無意識がたまり、私たちは不自由になる。
何かをしているとき乗っ取られてしまい自覚がなくなるし、なんでこんなことに怯え、こんなことに怒り、こんなものを欲するか分からない。
私たちは私たちをコントロールできない。牢獄の中だ。
というのも前者の意味で無意識だったからだ。
という前提が無いと、はじめから自由だと思っていると、不自由な人が自由だと思い込む不思議なたびになってしまいます。
どんなときもただ呼吸に気づいている。結構じゃないですか。
どんなときも自分の行いや気分や思考に気づいているというのが一般的ですが、呼吸に気づけるのなら同じことですから。
>>795 > もし、一切の希望がなかったら、ひとつ確実なのは、時間がないということ。
473さんはときどき近いところまで来るのですが、すぐどこか行ってしまいます。
そう、時間は無いのです。
ただ、あるように見えるだけで、それが全的に理解できたとき、
あなたに目覚めは訪れます。あるいは目覚めが訪れたとき、理解できます。
いまは、
>>795のように「一切の希望がなかったら」などと余計なものが
くっついてますが、そのうち「ひとつ確実なのは、時間がないということ」とだけ
言い切れるようになることを願ってます。
>>811 一切の希望が無かったら自由ですよ。
欲も無いし、内在的な取引も無い。
それだけで寧言(あてじ?)も入らない。
無敵ですよ。
>>796 どれが余計でどれが余計ではないのでしょうか?
例えばあなたも坐るそうですが身体が勝手に坐るのですか?
なんの意思もなく坐るのでしょうか?
それとも意思があって坐る これは法だ
そのままのありようだとおっしゃるのなら
私が自分の意思でもって今を観る修行をするのが余計であなたの坐る修行が余計ではない理由はなんなのでしょうか。
たとえば接心というものがありますね。
3ヶ月・・・長い人になると何年もされてる方がおられますよね。
あの方たちは余計なことをなさってるのでしょうか?
一番短いものでも丸一日以上坐ることや作務をして修行されてますよね。
また日がな年がら年中修行をする彼らと
日々の生活にも修行を持ち込む私との違いはなんでしょうか?
あなたのおっしゃる、今と分断されて思考するのもそのまま法と、いうことは理解できます。
そのときそのとき私ー自己ー自我は様々に姿を変えていきます。
それをどうこうしよう、変えようとしてるのではありません。ただ観てるのです。
ただそのままどうなっていくのかを見つめているだけです。
私にはどうしても違いが理解できずあなたのおっしゃりように矛盾を感じます。どうかお教えいただきたい。
もし説明することができないという代物でしたら無理にはいいです。
人類が未だに科学でも解き明かせていないような代物をこのスレでは
扱っているのですからあなたが説明できなくても当然だと思います。
>>813 >ただ観てるのです。
これだけでID:OTmlXLPさんが正しいのが分かる。
悟りへの興味は人を上から目線にする作用でもあるのだろうか。
比較してID:OTmlXLPさんは自分の経験を丁寧に言葉にしていて、とても謙虚だ。他の人よりも成熟してるのに。
大津の中2いじめ自殺、ホンマむかっ腹立つわ
畜生道に落ちた人間を一体どう見たらいいんだ?
人間として見るのがアホなのか?
実体の有る無しなんざどうでもいい
畜生として受け入れればいいだけなのか?
>>813 俺も同じ事をずっと思ってる・・・。
すべてが法なら是非善悪も手をつけることも法だろがって。
ロン先生はパラドクスを延々としゃべり続けておられるだけの様な気がする・・・。
>>798 どうしてここまで食い違うのでしょうね。
これもそのままのありようなんでしょうね。
私たちはほっておくと二元的なものの考え方、概念に凝り固まってしまいます。
それはいくつも原因があるでしょうが結局は
自分の感受の奴隷になってしまっているからそうなるのです。
私たちのほとんどは重要な会議には注意を注ぎますが、
卑近な友達や恋人、家族の言うことには振り向きもしません。
最新の映画やサッカーや野球には熱中しますが、
近所でなく小鳥や木々のさえずりには耳を傾けません。
自分のしたいこと楽しいことを追いかけ自分の嫌なことや不快な事柄から逃げようとします。
そしてそれが日々、年月の積み重ねにより慣習になり、当たり前になり、
極まれば成功や失敗、勝ち負けでしか考えなかったり
ありかなしか数字がとれるのかとれないのか、効率なのか非効率なのか自なのか他なのかで
物事を決め付けてしまいがちです。
今のありように手のつけようがないからこそ今を見つめるのです。
だからこそ修行を生活にも持ち込み、二元的な生活から一つの生活になるのです。
自己を忘じる 悟りに向かうことには逆方向に見えますが、
やがて自己はなくなり観るだけが残ります(法ーダルマ)
瞑想する人はいない瞑想があるだけです。
掃除する人はいない掃除があるだけです。
おっしゃる通り、強いて解脱を起こすことはできないでしょう。
予断になりますがー恐らくですがーお互い悟りー涅槃を得てないからあれこれ言うのでしょう。
あなたはあなたの師匠から教わったことを信じておっしゃってるのであろうし、
私も私のお師を信じ修行をしています。ですから分からないもの同士が互いに間違ってると言い合うのは
ありのままではないのかもしれないし、ありのままかもしれません。それはお互いに分からないことでしょう。
ですからこれでこのトピックはやめにします。
理由はめんどくさくなってきたからです。
私はこのめんどくさいという気持ちを見つめる修行をします。
>>813 >人類が未だに科学でも解き明かせていないような代物
悟り信者が科学を受け入れられないだけなんじゃないの?
自分が悟ったと思うならfMRIとか受けて凡人とどう違うのか明らかにすれば、
便所の落書きよりマシな人類貢献ができると思うんだけどなあw
それに生きるのが苦しいなら、悟りに向かうより精神科か心理療法に向かった方が
よほど楽になる可能性は高いだろうに
やっぱり特別な人になりたいんだろうな、こういうスレの人ってw
否定するのは簡単だ
しかし否定して困るのは結局、自分である
しょうがないから汚物として受け入れてやることにした
>>820 あんたの腹に糞が溜まってるのと同じだろw
822 :
473:2012/07/18(水) 01:08:10.15 ID:PYLHncw7
座禅はなにもしないことを示唆する。
だから、その姿勢がつらい、体の固い人にとって、目的がなく座禅が起こることはありえない。
くつろいだ楽な姿勢に自然に人は向かう。
もしそれがつらい姿勢であるなら、すでに目的が、成果への欲があることを意味する。
体を大切にするという理由でハタヨーガを初期の段階で導入するというのはお勧めですね。
そうであれば座禅はくつろぎの姿勢でしょうから。
椅子を利用した、マイトリアーサナをお勧めします。
>>819 苦しいつーのは、やっぱ無いわ
食べ過ぎて苦しいというのはあるw
受け入れる器を作らんといかんぜよ
ドッカ?だっけか、繰り返し(輪廻)が正しいようだね
>>805 煩悩を少し消した形跡のある者(執着、煩悩を残した者)を預流果として、もう一度聞いて
みてください。
預流果は四向四果とも四沙門果ともいいますが、それらを具体的に解説した経典となると
そういえばどれでしょう…上座部で伝統的に言われていることなので、
パーリ聖典の○○部の○○品とまでは意識したことないです。すいません。
# 沙門果経を読み直したら六師外道の話しでしたので、違いました。こちらもすいません。
> ちなみに、もう一人詳しいのがいるんで、それにも確認したら、いわゆる伝統仏教に
> おいて無しとのこと。
ここでいう伝統仏教は大乗を指すのかと思いますが、大乗仏教は菩薩乗と菩薩五十二位が
売り物ですから、相対する四沙門果は通常、黙殺されます。
そのため、ある意味、無いのは当然ですし、乗っているとしても声聞乗として蔑視されてたりします。
まあ、ああだこうだと云うのも馬鹿らしいか・・・。
人は皆、ただの糞ぶくろに過ぎんのだからな・・・。
>>806 本当ですか。 教えてください。
>>807 ちょっとびっくりしましたね。 就職おめでとうといった人と同一人物と知ったときは。
恐らく私の中であなたのキャラクターを勝手に作り上げていたのだと思います。
もし笑いがほしければそのようなリアクションができるのでいってくださいw
>>809 分かりません。 私自身のことも知りえてない上に人のことは分かりません。
会話上、予断や推測はつき物ですがやはりそれらが自己の妄想世界を作り出してしまうのでーろんさんにそれは余計と突っ込まれそうですがーしないように気をつけています。
少なくとも自分自身数字の世界で生きてるときは世の中灰色に見えました。今は空はこんなにも青く、山々はこんなにも緑で太陽は目を開けていられないほどまぶしく感じます。
今日の夕方は信じられないくらい美しい夕焼けのグラデーションでした。
坐った後だったので余計そう見えたかもしれません。
普段坐るとき目を瞑っていますので。
>>828 仏教でいう苦のこと
苦しいなんてのは通常おこらん
器次第で飲み込める
>>810 説明ありがとうございます。
しかも私に関する事柄を交えてしていただいてるのでしょうか?ありがとうございます。
ただどんなときにも呼吸を観ているかというと、そうではありません。
知らぬ間に忘れていたり思考していたりします。
また、たとえになりますが今日ネギを切ったんですが包丁を持っていますので
慎重に一つ一つ均等になるように切りました。
このとき、呼吸は背景になって意識していません。恐らくですが歯医者さんであったり外科手術であったり、
芸術家であったり、繊細な動作を要求されるような方々であればそのことに集中することが
私の言う、今を観る修行と同じではないかと思います。
乗っ取られるというのは私のいう同化でしょうか? 怒りに同化し我を失ったり、恐怖と同化したり、とてつもなく欲しがったり。
これらのことを以前は思い出していくらでも語ることができましたがそれはやはり概念でしかなかったと気づきました。
まさに怒ってるその最中、まさに恐れてるその最中にそれに気づいて居られるというのがなかなかできませんが失敗だ うまくいなかったと叱ることなく余裕があれば呼吸を観ます。
一昨日くらい溺れそうになったまさにその時はできました。
しかし成功も失敗もありません。日々今に集中する。それのみです。
>>829 普通はだれでもなにかしら苦しいんじゃないの?
ストレスに対する柔軟性が高ければ対処できるというのはその通りだと思うよ
仏教徒じゃなくてもw
832 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 01:31:54.79 ID:2PAx32cw
>>824 >ここでいう伝統仏教は大乗を指すのかと思いますが、・・・・・以下
いや、別に大乗オンリーってやつじゃないぞw
専門はチベット、中観派だと思うが、最古層文献から通じているはずだw
パーリは少し苦手と言ってたが、サンスクリット、チベット、漢訳、英語等の
各種文献、論書に通じてるはずだw
>>831 君は幻を見ている
俺は仏教徒ではない
だれでもなにかしら苦しいなんてない
ここのスレ住人で苦しいやつなんておらんやろ
834 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 01:34:25.20 ID:2PAx32cw
>>824 >煩悩を少し消した形跡のある者(執着、煩悩を残した者)を預流果として、もう一度聞いて
>みてください。
リクエストがあったんで、再度、確認中w
そろそろ苦(dukkha)の説明もテンプレに書いておいたほうがいいような
気がするのです。。。
>>819 苦しい人は先にその苦しいことを解決してもいいですね。
それはその通りだと思います。
ただ、このスレに寄ってくる人達はそういった精神的な「苦しい」ではなくて、
AさんがBさん何か言った。
BさんはAさんに言われたことに反応してAさんに言った。
AさんはBさんに言われたことに反応してBさんに言った。
BさんはAさんに言われたことに反応して・・・
というような繰り返し(これが仏教の苦(dukkha)の本来の意味)に対して
もういいや
と飽きたり、諦めたりした人が集まっているスレだと思うのです。
>>833 >だれでもなにかしら苦しいなんてない
>ここのスレ住人で苦しいやつなんておらんやろ
ホンマでっかという言葉が頭の中で鳴り響く
く、苦しい
>>836 俺のほうが幻を見ていたようだなw
苦しいも輪廻だからなぁ
軽度のものなら納得するだけで消えるが
病気とかなら難しいよなぁ…
>>832 そこまでとなると東大の印度哲学科っぽい気がしますが、ここは勝手な憶測です。
>>835 なるほど
苦の定義があるわけですね
それを待ちましょう
>>814 ありがとうございます。ただ成熟などしていません。
自分の思ったとおり感じたとおりに実際は過ごしています。
今に集中する 自己を忘じ切れているわけではないです。
時間にしたらそれは実にわずかな時間です。
今日も坐りましたが三昧には至りませんでした。
心が騒がしかったせいで静まらなかったからかもです。
それは分かりませんが良いも悪いもないですしおそらく意味もありません。意味がなくて結構なんです。
何か変ですが意味もないことに心を込めます。
そうすることで私は二元性から離れることができます。
473さんやろんさんのご指摘のとおり、
概念を作らないという概念であったり、
今に戻ろうとすることは余計だということを言われてハッとしました。
何か重要なことを教わった気がします。
>>816の安堂さんにも同じレスをしますが、
ろんさんはきっとなにかを伝えようとがんばってくださったと思います。
ろんさんが正しいのかもしれないし私が正しいのかもしれない。
しかしそれは分からないですし正しい正しくないはやはり二元的になってしまいます。
おかしなことを書きますが彼の書き込みは私の一部なのです。
私の書き込みも彼の一部なのです。そしてそれを目にする私たちの一部なんです。
ほこりをかぶった逸話ですが、
ある男がある老人と会い、話してる内に老人が地球は四角いと思っていることが分かったそうです。
しかし、その老人にいくら説明しても地球が丸いということが分かってくれなかったそうです。
最後に老人は「恐らくあんたは賢いから正しいのじゃろう。わしはバカだから分からんがな。それであんたはそれを知って幸せになれたかね?」
と、言われました。男は二の句を継げなかったそうです。
私はこの逸話が大好きです。
今日は疲れましたのでレスはこの辺りで終わりにします。
>>837 私、気になりますっ、程度のやつだからそんなに重いやつじゃないよw
842 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 01:53:45.44 ID:2PAx32cw
>>838 さあ?w お互いリアルには干渉しないんでねww
唯、二人とも、その知識はすごいんで、俺としてはよく利用させてもらってるww
俺は、パーリもサンスクリットも読めないんで、原点の語彙の語法などの確認には
大変、便利だww
また、こちらが知りたい論題の関連論文の提示なども、大変、役に立つww
>>808 以下の部分は外したほうがいいです。
仏教で言うような「苦しみの消滅した境地」「執着は存在しないと見出す」
といわれるものではなく、
広義の仏教は多様な表現を許しているため、
「苦しみの消滅した境地」「執着は存在しないと見出す」のを悟りとしない仏教
があっても不思議ではなく、現に私が知っている真宗の一派は
「苦しみは苦しみのままに、障りとならない」
という状態を等正覚(実質上の悟り)としていたりします。
厄介なことに一向宗の名前の如く、本気で他宗を認めてくれません。
なので、「仏教とは・・・」系の文言はテンプレ外のほうが無難です。
> 仏教で言われている「悟り」とも違うかもしれません。
これはamaさんの素直な心境でしょうから、そのままでもいいですが。
>>840 まあ正しいとか正しさはないのかもしれんですね・・・。
平気で動物をぶっ殺してその肉を喰らっている我々人間が
偉そうなこと言ってもね・・・・。
>と、言われました。男は二の句を継げなかったそうです。
その男は爺さんがあまりにとぼけたこと言ったんであきれて物も言えなかったんだろうな
そこは、関係ないがなって突っ込まなきゃw
>>840 肯定と否定の二元なら、どっちも飲み込んでしまえばいい
肯定と否定のライン上にある限り、最適解から遠のく
二元を含めた何でも有りの自由な発想が解を導くよ
自分にとっての最適解を見つけていけばいい
>>846 あんた、ずいぶん難しい言葉を知ってるな
で、それを知って幸せになれたかねw
地球が丸いか四角いか、なんて
「知らぬが仏」に相当する事案ではないと思われる・・・。
849 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 02:25:35.14 ID:2PAx32cw
>>843 > 「苦しみは苦しみのままに、障りとならない」
こういう言辞をストレートに、そのまま受け取らない方がいいぞw
そういうのを鵜呑みにすると、「煩悩即菩提なんだから、煩悩ばんざ〜〜い」
で、立川流みたいなのにどっぷり浸かるとwww
特に浄土門はわからんww その根底が『信』だということは、分かるが、
その『信』がいい加減なものだったら、 たちまち、
→「南無阿弥陀仏と唱えるだけで、極楽往生。煩悩OK,誰でも出来る、
皆のお助け宗教」 になっちまうww
>>847 正直、楽になったよ
幸せというのは臭くて嫌いだが、
ほのかに嬉しい感じのラインに乗れた気がするよ
未来へと続くラインだねw
>「南無阿弥陀仏と唱えるだけで、極楽往生。煩悩OK,誰でも出来る、
>皆のお助け宗教」 になっちまうww
法然の弟子にそういう連中が仰山あらわれて、
結局は戒律をつくることになったとさ・・・・。
>>850 なんだ、関係ないがなって突っ込んでくれよぉ
せっかく前振りしたのにw
>未来へと続くラインだねw
詩人かよw
今日はきてよかった
悪を飲み込めずに困ってた
このスレ自体が悟りだなw
854 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 02:40:00.08 ID:2PAx32cw
>>851 あれ? 今日の安堂おかしいぞww まともなこと言ってるwwww
>>827 景色がキレイで良かったね(´・ω・`)
おれも仕事決まって良かったよ(´・ω・`)
いちおう、今スレは読み通して…
「悟りとは、無我の境地」って覚えときな?ね?
でも、あんま長々と書いたりしたらダメだぞ?
雉も泣かずば撃たれまい。だ。
おやすみ(´・ω・`)
857 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 02:54:58.97 ID:Z6QMAiFN
「天上天下唯我独尊」
それが悟りです。
>>854 俺はまともなのか狂人なのか・・・・。
まあ、悟りを求める者は特定の宗教宗派に肩入れしないのは原則なのだろな。
幅広く知ってても、偏重しない。
もちろん宗教は芸術や文化に影響が大変あるのでそのあたりは押さえておきたい。
国宝や世界遺産なんかは大抵は宗教関係だからな・・・。
>>857 ラーメン屋かw
860 :
ろん:2012/07/18(水) 03:43:43.71 ID:bVMrRSmb
>>813 単に自分を見たり、今の自分を変えようとするのが、余計、それをすると自己を忘ずることができなくなる、というだけです。
無我、忘我、今の自己、そのままです。。
「いじめ」という言葉が軽すぎて、まあこの程度だろうみたいに思ってたら、
やってることが「ヤクザ」と一緒じゃねえか。
日本は銃刀法によって武器所持の規制が厳しいせいか
学校に大学警察などの警察がいない。
学校警察を常駐させるべきだな・・・。
863 :
ろん:2012/07/18(水) 04:00:05.07 ID:bVMrRSmb
>>816 法だけど、自己を忘ずるという方向性があるんだから、手を付けたら、滞る。。
>>817 今というのは見ることができません。。
見ることができるのは、全て過去です。。
自己を見て、あれこれ判断してしまうのは、仏法から見て不合理です。。
自己のみでなく、すべての事象において、是非善悪するのは不合理です。
師匠が言ったからではなく、諸法無我という法が理解されたならば、ありえないことです。
864 :
ろん:2012/07/18(水) 04:09:34.91 ID:bVMrRSmb
>>843 無我というのは、釈迦の仏教にあったのだろうけど、縁起―無自性ー空というのは、龍樹以前にはなかった教え。。
だから、苦も、執着も妄想も、相手にしない、取捨しない、というのは、大乗仏教のもので、
初期仏教にはなかったのかもしれません。。
だから、大乗では苦がなくなった境地とか、妄想の死滅を目指さなくなったのでしょう。。
妄想あろうがなかろうが同じだから、手を付けないでおけと。。
で、実際の無我、自我を忘ずるになったら、悟りだよと。。
そういうことだと思う。。
だから、在家でも修することができる。。
ここに大乗仏教が成立する。。
やっぱ大事なことだから、言っておこう
「手を付けない」とか「そのままでいい」とか「煩悩即菩提」とかって
表現に合うとね、「ああ、そうだ、煩悩のままでいいんだ」って
どうしても受け取ってしまうと思う
実際、そう受け取ってもいいとは思う それで本人が安心できるんならね
でも、これは方便として言ってる側面も当然、あるんだよ
ここで人気な雪渓さんも、一見、そんな風なことを言ってるように見える
でも、あくまでやっぱ方便として言ってると思うよ
つまりね、「手を付けない」とか「そのまま」とかってのは、別に
その煩悩を執着を保存しましょう、残しましょうとか、実際はそういう
キャンペーンを打ちたいんじゃない
つまり、時間を消すための導きなんだってこと 事実と距離を作らない
そうすることで、時間が無くなる 今だけになる そして、今そのものの中には
何も存在できない そのものだけになる そうして執着も煩悩も消えるってこと
そんな風に、今とどんどん仲良くなる 馴染む 今だけになる それが修行であり悟り
>>784 鹿は、私が認識しているありとあらゆることかもしれませんね。
私が認識している一つ一つを一つ一つではなく群れごと全部全体をまるっと見出しなさい、
そうすれば、部分部分は認められなくなって、全体が現れる・・・、
のような意味でしょうか・・・。
(違っていたらすみません。)
人生上昇塾お気楽ちゃんねるの安達さんの放送を今聞いて思ったんですが
自我ってとっても頑固者でちっとやそっとでは納得しない。
自分の目は直接見られないようにいくら探しても無駄だといくら力説しても
頑固者の超自我ちゃんは絶対にそれを認めない、私のような超観念的人間は特に。
だって過去がああだ、親がああだ、環境がああだ…云々。
だから、頑固なシミには予洗が必要、自我ちゃんの言い分を聞いてあげて、それが最もな言い分であると
しかし、もしあなたが違う環境で育っていたら、今と同じ外見であってもあなたは違っていたのではありませんか?
と、問いかける作業から始めなければ自我はそのままとか手を付けないとか言ったって一歩も引かないし聞かない。
だって苦しいんだから…。
心の観察はそういう人にとっての予洗作業のようなものだと思うのです。
本洗いに入る前の下準備的な、人によってはすぐ納得して本洗いに入れる場合もあれば、頑固なシミである場合もある。
とにかく、自我が納得しないのは下準備を無視してしまうからだと思いますね…。
869 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 08:32:44.52 ID:Z6QMAiFN
>>858 ラーメン屋ではありません。コンビニオーナーです。
「唯我独尊」というと‘世の中で自分ほどえらいものはいない’
という意味で理解されるかもしれませんが、
お釈迦様のいう「唯我独尊」とは、この世の中で、みんなそれぞれ
にお互い自分というのは、かけがえのない尊い存在であり、
かけがいのない尊い命であるということです。
‘みんなちがって、みんないい’お互いにみんなそれぞれ尊い存
在です。お互いの違いを認め理解し合うことが大切です。
おはよすー
>>859 その地方の市政に関わったもの、警察、教育機関、これら付属団体(対立含む)の、権威・権限・職の削除を徹底sして、官僚の出向で再構築。
ぐらいしないと駄目だろね。
官僚もあれだけど、即時使える人員考えるとなー…
871 :
473:2012/07/18(水) 09:36:50.94 ID:PYLHncw7
>>866 808の仏教で言うような「苦しみの消滅した境地」「執着は存在しないと見出す」
仏教で言うような、という部分に文句を言う人もいましたが、無論重要ではありません。
他のも悟りというかもしれませんが、これを悟りといわない宗派はないし、仏教で言うような
という部分は抜かしても結構です。
要はこれではなくこうだ、という核が提示されているということです。
カッコ内の内容を、段階としてでない生のままの悟りという言葉から連想する人は多いので。
>>818 >>819 私の言う科学とは汎く世間が利用できるものです。
もし本当に悟りというものが苦を滅することができるのならば、
これほど人々に役に立つものはないのではないでしょうか。
また精神科や心理療法でも解決できない症例はいくつもあると聞いております。
実際、私の母親も最後まで治りませんでした。
それにfMRIも脳波を観ることはできても具体的には一体どういったものか掴めてないのではないでしょうか。
必要ならば禅の修行僧の脳波を研究したサイトがあったので、言ってください。リンク貼りますので。
>>822 おっしゃるとおりですね。 そのままでいいのなら坐ること自体もはや不自然です。
やはり自分の意思で坐ることがどうしても必要になってきます。
あと姿勢についてですが自分が楽な姿勢が一番良いかと思われます。
結跏趺坐は確かに背筋が伸びて座禅に向いてますが、どうしても足が痛いなら無理することないと思います。
実際やり過ぎれば白隠老師のように身体を悪くなさるでしょう。
>>844 また動物だけでなく野菜などの植物も同様に生きてますし、
もっと言えば目に見えない細菌や虫なども我々は気づかずに殺してます。
みなが本当に平等であればこれらの命も平等です。
手を洗うだけで不殺生戒にひっかかります。
先日夜、犬の散歩しているときにセミの幼虫がコンクリートの上にひっくり返って弱っていました。
私は見かねて近くにあった桜の木に手でつかんでつれて行き、つかまれ!と、叱咤してようやく摑まりました。
しばらく時間を置いてそこを通りかかると、脱皮の最中でした。
小刻みにプルプルしながら必死に脱皮しようとしてました。
感動と共に私は余計なことをしたのかと考えましたが、
やはり命は尊いものなのでほっておくことはできませんでした。
あとわずか10日ほどもない命 心行くまで鳴けと思いましたね。
873 :
473:2012/07/18(水) 09:44:58.92 ID:PYLHncw7
>871はamaさん宛です。
808は
いわゆる「執着の消滅した境地」「苦しみは存在しないと見出す」 といわれるような悟り
に改定案出しておきます。
執着と、苦しみ、逆のほうがいいですね。
論点はこれに対してどのようなビジョンがあるかということです。
874 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 09:52:55.70 ID:2PAx32cw
>おっしゃるとおりですね。 そのままでいいのなら坐ること自体もはや不自然です。
wwwwここは、無事禅大好き、自然外道ばんざ〜〜〜い、みんなで一緒に煩悩まみれ、
ついでに陰謀論でもやれば完璧さ ていう人が多いからwww
>>845 >>848 そうではありません。
彼は地球が丸いことを知っていることによって幸せになれたとは言えなかったのです。
果たして知らなかったとしてこの老人はここで幸せに暮らしてると言うのに
これ以上教える必要があるのだろうかと。
この逸話は概念に囚われているということについての話です。
>>840 すいません難しくて分かりません。要は思ったとおりにせよということでしょうか?
>>849 パーピマン氏 私には他力の意味がわかる気がします。
南無阿弥陀仏は今に心を込めて集中すると同じことのような気がします。
>>856 分かりそうな気がします。 ただ概念的に分かっても私の修行は終わりません。
無我を体感してもおそらく次の瞬間に注意していると思います。
それと長文に関しては謝るしかないです。見苦しくてごめんなさい。
規制されてるのか私ははこのままブラウザから書き込みができません。
なので、一度ここに書いてコピペしてメールに送って、
iPhoneのメールで受けてコピペしてアプリから書き込みしてるという
自分の勝手な都合で長文になってしまいました。
鋭意努力しますがあなたが納得される形には収まらないかもしれないですごめんなさい。
876 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 10:17:45.05 ID:2PAx32cw
>二カサ
再度、確認終了w
やはり、却下だ。 「一部の煩悩を消した形跡がある者・・・・(しかし、未だ
多くの執着、煩悩を有するもの)を指して『覚者』という呼称を用いて指示することは
ない。 とのことだ。 俺もそこそこ、(和訳)論文なら読んできたが、
そのような使われ方をした例は記憶にないww
御宅の言うような者を指しての表記は、(何らかの気づきがあったとしても)
「修行者」または「道のひと」・・・などであり、『覚者』と呼称するのは
それこそ誤解を生む表記だと思うぞw
>>845 >>848 そうではありません。
彼は地球が丸いことを知っていることによって幸せになれたとは言えなかったのです。
果たして知らなかったとしてこの老人はここで幸せに暮らしてると言うのに
これ以上教える必要があるのだろうかと。
この逸話は概念に囚われているということについての話です。
>>840 すいません難しくて分かりません。要は思ったとおりにせよということでしょうか?
>>849 パーピマン氏 私には他力の意味がわかる気がします。
南無阿弥陀仏は今に心を込めて集中すると同じことのような気がします。
>>856 分かりそうな気がします。 ただ概念的に分かっても私の修行は終わりません。
無我を体感してもおそらく次の瞬間に注意していると思います。
それと長文に関しては謝るしかないです。見苦しくてごめんなさい。
規制されてるのか私ははこのままブラウザから書き込みができません。
なので、一度ここに書いてコピペしてメールに送って、
iPhoneのメールで受けてコピペしてアプリから書き込みしてるという
自分の勝手な都合で長文になってしまいました。
鋭意努力しますがあなたが納得される形には収まらないかもしれないですごめんなさい。
>>860 そうですか。教えて頂いてありがとうございます。
>>863 あなたとやりあうつもりはもうありませんがここだけは言わせてもらいます。
これはamaさんもおっしゃってましたが今を見ることができないというのは
科学の話でしょうか?
今、目にしてる太陽の光は約7秒前の光だとかそういうものですね。
私はそうは想っていません。それは科学の話であなたが概念的に知っているだけのことです。
なぜなら私たちが感じれるものは常に今だけだからです。
よく過去現在未来という言い方をしますがいつだって常にあるのは「今」です。
そしてこの「今」は無常に変わり続けていきます。まったくよどむことなくあり続け変わり続けていくのが「今」です。
人間が痛みを感じるのに本当ならば脳にまで達するのに0,1秒かかるのに
「時間のつぶれ現象」が起きてその瞬間に感じることができる。
この謎を未だ科学は解き明かせていないという茂木先生の
本を読んだことがありますが「ほう」と思いましたがそれだけです。
私はメカニズムは分かりませんが体感でそれを知っていました。
いつだって「今」しか感じることができず過去や未来は頭の中にあるということを。
以下の文に関しては昨日も言いましたが、そうですかあなたがそう思ってるのならそうなんでしょうねとしか言えません。ごめんなさい。
ひょっとするとこれはこうこれはこうだと分けて考えたり観たりするのがそもそもの間違いなのかもしれませんね。
全ては一つで完全なのですから。
すいません間違えて同じ投稿を送信してしまいました。
みなさんごめんなさい。
879 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 10:25:17.18 ID:2PAx32cw
>>875 >パーピマン氏 私には他力の意味がわかる気がします。
>南無阿弥陀仏は今に心を込めて集中すると同じことのような気がします。
そうか?w オレにはわからんなw
実際、それほど念仏を実践した経験はないしw
まあ、外からみて、「念仏を一心に唱えることで、自己を放下する」・・・・
よって三昧に至る。 のか? ってなことも思うが、 本質はそのような
技術的なことではなく、根底にある徹底した『信』ではないか? と推測している。
法然に対しての親鸞の言 のようなww
(って言うか、俺はここではもう、すっかり「パーピマン」かい?ww
まあ、いいんだがww)
じゃあ、まあ試しに1日6万回念仏唱えてみるといいよ
881 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 10:31:51.90 ID:2PAx32cw
>>880 ほ〜〜、御宅はやってるんだ。
それで、どんな感じ?
ちなみに何時間くらいかかる?
開いたら閉じる事はできるのかね?
キャベツの芯まで美味しくするのは母ちゃんむりぽだわ! 川´・ω・`川
>>872 あんた頭堅すぎて磁気もはね返しちゃうだろうなw
(一応説明しとくけどこれ冗談だから、頭堅くても磁気通るから心配しないでね)
>>877 ご丁寧に解説ありがとうございます
なあるほど、そういうことだったのですか、これでぼくも悟ることができそうです
885 :
473:2012/07/18(水) 13:01:50.00 ID:PYLHncw7
>>865 そもそものこの煩悩に手をつけない、さらには自己を忘ずる、というのは
ある人々に特定に送られた方便ではないでしょうか。
というのも、普通人は、次々煩悩に乗っ取られ、無自覚にそれが当然だと思い、そのように世界を見て、そのとおりの行動をしているからです。
この場合、「あなたは煩悩でしかない」というのが事実で、無意識に落ちないでいつも気づいてある訓練(わざとこの言葉を使っています)をして、気づきがこなれてくるまで、
煩悩に手をつけるかどうかという選択する権利すら持っていないからです。
(煩悩をなくそうとする都合のいい煩悩ならもてますが)
また、自己を忘ずるなら、自己を持っていなければならない。
つぎつぎ外界に反応して、各思考や執着に乗っ取られる人間はそもそも自己を持っていない。
価値観や、思考の、反応の群れでしかない。
不変の中核、覚醒という中核があってこそ、始めて自己はまとまったカオスを呈するのであり、
それまでは自己ではなく表層の欲望や思考と、それだけにやっと気づく意識でしかない。
どうやって持ってもいないものを忘れるのか。
自己を持っていない人にとって、その人にとって自己とは表層意識とその思考、欲望でしかなく、
そこから無意識に落ちてしまっても仕方ないし、そのなけなしの意識を忘じても、
無意識の影響を受けた体験が表層意識で起きるだけ。
本当に単なる体験であり、無意識の静寂にはなんらかかわりがなく、深く進まない。
観念ではなく、自身の体験で努力のむなしさを知るまで、もしくは努力から多くのものを勝ち取ったが、
もう努力も勝ち取ったものもこれまではありがたかったがもう重荷と感じるとき、努力は自然に捨てられる。
それは自他に言い聞かす信条ではない。
「あなたは煩悩の群れだ」「あなたは自己など持っていない」
それが人間の行動や言動を紐解く鍵であり、当然、高度な方便は適用できない。
正しく誤解する他ないでしょう。
886 :
473:2012/07/18(水) 13:18:34.74 ID:PYLHncw7
独りあり、出会いがあり、別れがある。
わけではない人生を通ってきたから、幼いころからの友人への心理的投資と、その幻滅に
苦み続けている。
そのパターンは生きていて、人や、物事に無自覚に心理的投資をしてしまう。
そしてその関係が環境の変化で壊れることを盲目に恐れる。
887 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 13:19:17.31 ID:/nqVvTp4
今日凄い夢を見て悟ったんだ。
自分がカラスになってたんだけど、カラスは自我があるよ。自分が何者か分かってる。
で、カラスの頭でひらめいたんだけど、自我というのは毎日の積み重ねで形成される。
すなわち生きてる時間が長ければ自我が形成されるんだ。
それがどのくらいの時間かは分からないけれど、すべての生物に自我がある可能性がある。
なーんか、つまらん長文ばっかになってきたなー
読む気にもならんわー
そんな、自分を取り繕ってどーしたいんだろねw
,----、-、
/ ____ \|
ヽc´ _、ヽ, ヽ
ミ, ,_..ノ`ミ y━・~~~ まだまだ酔い足りないんだろ
>>886 ガキの頃のから利害がらみかよw
そりゃ損もするし苦にもなるわな
なんたって投資はハイリスク・ハイリターンだからなw
ちょっと読んで観たけど、自分ばっかりw
ちったー座って無心になったらどーだ?
アタマばっか使ってないでさ〜
892 :
473:2012/07/18(水) 14:48:16.62 ID:PYLHncw7
885の内容と似た話が見つかりました。
文庫版の6祖壇経の37つ目に神会の入門の逸話がありました。
「師は座禅をなさって見られますか、見られませんか」
六祖は3度打つと
「お前は痛いか痛くないか」
「痛くもありますし、痛くもありません」
「私も見もし、見もしない」
「それはどういうことでしょうか。」
「己の咎を見て、他人の咎や好悪を見ないということだ」
「お前が痛くないのなら木や石と同じことだし、痛いのならすぐ恨めしく思い凡人と変わらない」
「坊やのいう見る見ないは相対の見方に過ぎぬし、痛い痛くないは生滅の見方に過ぎない。自己の本性すら看てとっていないのに、
よくも人をからかいにやってきたものだ。」
要点は、同じ言葉も当人の次元によって理解が全く違うということ。
「師の言葉の真似事をして」、まだ使いこなせない言葉を使っても、それは師にはお見通しであるということ。
石や木と変わらぬ、とは意識の欠如、無意識であるということをそのまま示している。昔は無意識という言葉がないのでさまざまなメタファーを使っていたようです。
その要点が伝わったのか、ここで神会は師に跪く。
弟子の態度が変わったので、師は普段なら反発を受けてしまうような表現を使って踏み込むことができる。
「お前は自身の心も見失っているのに、人に見ているか見ていないかなど聞く。」
「私が見ているということは私自身が知っているのだ。お前の代わりに見失ったりするものか。
またお前が見るのなら、私の代わりに見失ったりしないだろう。」
見もし、見もしない。といった師だが、同じ意味をこめて、見ているということを私自身が知っていると表現している。
それは誇示ではなく、弟子にも自らそうありなさいと働きかけている。自らを伝達している。
前半で弟子がそれを受容できる状況が作られている。
まーだ、わからんのかw
そんなクソばっか垂らしてんじゃねーってんだ
そのクソが周りに影響して、また戻ってくんだ
クソまみれだ
因果応報だ
はよ気づけよ
895 :
473:2012/07/18(水) 14:57:56.88 ID:PYLHncw7
「本心を見失って、自分の心が見えないくせに、私に見るか見ないか尋ねている」
知識や他人に関心を持ちすぎて、自分自身の心がみえなくなっている。
自分自身に覚めていない。
覚醒が本心であり、無心が本心であり、覚醒あってこそ自分の心も見える。
自分の心を見失っている状態では、究極へ向かう方便のほとんどは機能しようがありません。
あまりクローズアップされないが、禅にもきちんと段階があるようです。
きちんとその弟子の実体にあわせたパラダイムに誘導しているようです。
896 :
ろん:2012/07/18(水) 15:01:45.09 ID:bVMrRSmb
>>878 感覚情報、五感は今を感じることができるかもしれませんが、
認識は、過去しかわからないでしょう。。
車を運転していて、子供が飛び出してきた場合、見ると同時にブレーキを踏める人はいません。。
子供だと認識するまでに、例コンマ何秒かかかるわけです。。
だから、何かわかるものは過去だけです。。
今のことは何もわかりません。。
認識が生じる以前が今です。。
それで、認識とは人間の中にある観念、概念との照合なのですね。。
人間の認識の外にある世界が、真の実在なのかもしれません。
しかし、その実在は人間にはわからないのです。。
実在であるかどうかも確かめようがありません。。
今から離れて、なんかすごい自分自身がいるはずって思いが、自分自身だとは思い及ばんのだろーな〜w
まあ、アタマでっかちで、思考に隙間なく埋め尽くされてるから、気づかんのだろう
しかも、その思考が消える事を無意識に恐れている
なぜかって?
それを、自分だと思いが思い込んでいるからだよ
一見良さそげな物を見るとにょろにょろが生える。
にょろにょろの思い付きで、新しいにょろにょろが生える
にょろにょろ同士の話で、新しいにょろにょろが生える。
ムーミン谷はにょろにょろで埋め尽くされる。
大地に日は差さず、真実の芽は何も伸びず、谷は枯れる。
貴方が考えてますか?
にょろにょろの思いつきですか?
にょろにょろ見つけたら早めに食べよう。
捨てたらダメです。
おいしいよ?
「貴方」がにょろにょろなんじゃないの?
もしくは、思いつきが、「貴方」だったりw
まあ、思いつきが、思いつきについて語っていることには、間違いないw
そうだったら、美味しく食べられたいですね!
なに味にしてもらうか決めとかないと…
「貴方」が、「貴方以外すべて」に食べられたら、どうなる〜?
美味しくいただいてもらいましょ〜w
>>879 私も念仏はありませんが幼少のころ創価学会の法華経を朝晩唱えさせられてました。
また、虚空蔵求聞持法もあこがれて日がなやってた時期があります。
なんでも三百億万回唱えれば虚空蔵菩薩のごとき記憶力を
手に入れることができると聞いてー今、思えばどういう単位なのでしょうねw−
一心に唱えると気が遠のいてなにをいってるのかも分からなくなります。
思えばあれが最初の三昧だったかもしれません。
信とは信心のことでしょうか? それはいかなる宗教宗派でも必須な事と思われます。
現在流行ってる占いなども
無意識に大衆は宗教を求めてるからだと聞いたことがあります(へ〜というレベルですが)
>>884 いえ、笑いのリアクションもとれますがと聞いたところ返事がなかったので
それは求めてないのだなと思いましてまじめに返してます。
そうですか私はまだ悟ることができそうにありません。
>>887 犬と一緒に暮らしてますが自我がありますよ。ご飯や散歩をねだりますし、
行けそうになかったらキュンキュン鳴いてすねますよ。
思い通りにしようという気がなかったらこのような反応はしないかと思われます。
>>892 >>895 難しいですね。私にはとんと分からん話でした。
私自身が思ってる己すら分からぬのに人のことが分かるものかということと同じでしょうか?
そうですね。みんな他人に興味持ちすぎというより自分自身に興味がないなぁと感じます。
ブッダの悟り、フロイドやカントの クリシュナムルティの・・・と。
自分自身を旅することには興味があまりないように見えます。
909 :
473:2012/07/18(水) 17:23:40.22 ID:PYLHncw7
886続き
物事は変化する。
人間関係も、この体も、社会構造も、星も。
しかし、ある形であってほしいと執着し、ある形であってほしいと希望してしまう。
必然的に苦しむことになる。
変化と戦わず、それを受け入れれば、自らが、自らの見るものが全て変化するということを受け入れ
そのリズムとともに歩めば、不変のものを見出すとシヴァはいいます。
112の技法のひとつ
「ここにあるこの領域は、変化、変化、また変化だ。
変化を通じて変化を枯渇させる」
変化も方便であり、そもそも変化と感じるのも、執着と希望ゆえなのかもしれません。
しかし執着と希望に囚われた人のための技法ですから。
>>896 どうやらあなたは私との問答を楽しみにされてるのですねw
でも互いが自己を強めることにならなければいいですが・・。
なにやら最初の2行は難しいことのようですね。
私がいってるのは「今」ですよ。あなたもほらこの文字を読んでる
「今」を感じてらっしゃるでしょう? これです。難しいことはいいです。
こういったケースの事故には経験があります。
仕事の契約で急いでいて物陰から自転車で子どもが飛び出してきて
ブレーキが間に合わず子どもをひいてしまいました。
このとき、私は「今」と分断されていて頭の中は契約のことで占領されていました。
「運転しているときは運転に集中する」ということをしていれば
このような事故は起こらなかったかもしれませんがそれは分かりません。
警察にも「あっと気づいたときもう間に合いませんでした」と私は説明していました。
やはり「今」に気づいてなかったようです。
あなたがおっしゃるのは自動車学校で習う「空走距離」のことと思いますがそれも概念です。
頭で分かってるだけです。
体感はそうではありません。 私たちにはいつでも「今」しかありません。
過去 未来は頭のなかに「前にあった これからある」ものです。
私も苫米地さんの本を読んで「本当のリアルの今を体験することはできない」という
認知科学についての話を読んだことがあります。
それが正しいのかもしれませんがそれはただの知識です。頭の中で概念が一つできあがるだけで
この概念は今後影響を与えてきます(今ここにある事実より頭の中にある概念を優先させるように)
頭でそうなんだと分かってるだけです。
あなたがいま肌に感じてる風のそよぎは「今」感じてるのです。
その認識の起動は一瞬前だったとしても。
そしてこの今と共にあり続けることができる人間はいないでしょうし、
自己をとりまくすべての今に気づいてるものなどいないかと思います。
そういえば歴史上に一人いましたね。一切智者と言われた方が。
「悟ったものは感受の生起と消滅をありのままに見る。
それらを味わうこと、それらが生み出す危険、それらからの解放をありのままに見ることによって、
すべての執着から解放されて自由になっている」
アホばっかw
ろんさんあなたは北斎の「富嶽三十六景」をご覧になったことはあるでしょうか。
私はこの絵を何度も見てましたがなんとも思いませんでした
ー悲しいことに私は芸術的センスも欠けているかもしれませんー
しかし、ある日驚愕しました。
よくよく考えればこの北斎の生きた時代に写真などというものは存在しなかったのです。
なのに彼は波が崩れる瞬間を見事に生き生きと描いています。
たとえ描いた時がその記憶だよりだとしても、彼は正に、
「今」を観たのではないかと思うのです。
そして私はそこで初めて北斎の富嶽三十六景を観たと感じました。
それまで観てなかったのです。
私がそれまで観ていたのは北斎の絵ではなく私の頭の中にある
「絵画」という概念でした。
914 :
ろん:2012/07/18(水) 18:21:33.69 ID:bVMrRSmb
>>910 今というのも観念だということに気付かないのでしょうか?
風のそよぎは、そういった感覚があるだけで、あなたが今と名付け、今と思い込んでいるだけなのです。。
過去と現在が観念であるように、今も観念です。。
過去と現在の間にあると、あなたが思っているだけのものです。。
今に気付くなどというのはただの技法です。
で、気づかれたものは全て過去のもです。。
本当に今に気付ける人はいません。。
気づいた時はすでに過去になっていますから。。
915 :
ろん:2012/07/18(水) 18:23:00.44 ID:bVMrRSmb
>>912 それは単にあなたが夢中になっている今という観念を当てはめているだけですよ。。
916 :
ろん:2012/07/18(水) 18:29:04.42 ID:bVMrRSmb
技法を教わって、これだと思い、のめりこむ、人に教えようとする。。
どうにかなるように思う。
いや、どうにもならんですよ、新しい観念と、新しいオモチャを手にしたようなものでしょう。。
917 :
473:2012/07/18(水) 18:29:43.61 ID:PYLHncw7
盲目の少女が、あの人の服の色はきれい、あの人はかっこ悪いなどという。
「どうしてわかるの?」
「お姉ちゃんが言っていたから。」
知識によって判った気になるのはかくの如しである。
執着があるということは、その執着が自分を幸福に導くと思っているということである。
それが苦の元だと話に聞いていても、それが残っているのなら、それが幸福をもたらすのだというのが本音である。
そして、苦しみや不幸が何によってもたらされるか分からないというのが本音である。
覚醒において、ある執着と苦しみの関係が明らかになる。
その時その人は自身の理解でそれを捨て去る。
六祖は、直接真理を明らめることを説き、かつ、偽りを全て消し去らねば真実を認知することは不可能だとも説いた。
両方を説いて、信条を作らせないようにしたのはoshoと同じ。
>>913 カレー味なら、にょろにょろは、背骨からドカーンと行って、ドラゴンに変身するかもよ〜
知や学ではわからんぞよ
技法は、肉体に対し行ふもの
心に対し行っても
霧にパンチをうってるようなもんだわよ〜んw
920 :
ろん:2012/07/18(水) 18:49:53.90 ID:bVMrRSmb
>>914 ×過去と現在が観念であるように
○過去と未来が観念であるように
ある日大師は、集まった人たちに、次の内容の説法をした。
「坐禅は心を著しません。清浄も不動も現れません。心が現れると言うなら、その心は妄であり、幻のようだと知ります。
だから心が現れることはありません。清浄が現れると言うなら、人の性は本来清浄ですが、妄念によって蓋が真如を覆います。
妄想が無ければ性はおのずと清浄です。心に清浄を著そうとすれば、反対に偽りの清浄が現れます。
現れるのは妄です。清浄には形はありませんが、淨を形にすることを工夫と言います。これを見ようとすると本性を見る障害になり、却って淨に縛られます」。
「みなさん。不動の修行をしている人は、すべての人を見る時、他人の是非・善悪・煩悩を見ません。
これが『自性の不動』です。みなさん。愚かな人は、体は不動でも、口を開けば他人の是非・長短・好悪について語るので、修めるべき道から外れます。
心が現れ清浄が現れれば、正しい修行の障害になります」。
六祖壇経
>>921 不動で在ることから清浄を思うのですか?
導師:私には執着は無い
弟子:でも師匠ゴルフ好きですよね
週一回打ちっぱなしに行くし月一回はラウンド回るし、この前68を出してプロ転向考えるとか言ってました
あれは執着では無いのですか?
導師:諸法無我だから問題無い(キリッ)
13スレ672
>地涌きの菩薩みたいに地面から出現できますか?
空中に浮かぶ多宝塔を呼び出せますか?
☆できません
あとそれは何かの隠喩かもしれません
釈迦がマーヤ(幻)から生まれてすぐに七歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったみたいな感じの
13スレ686
>彼らはその当時の思い込みと逆のことを言うし、自分の教えが協議になり始めたらそれを破壊する。
☆そんな気もします
今の世に釈迦がいたら釈迦の教理化された悟りの概念を破壊して教条主義者達に怒られるとかありそうです
13スレ688
>他者を助けようとする事はあらゆる種類の他者の夢を、他者という思い、人間という思いを持ち続け、それに左右されている事かもしれない
♪葛藤→逃避(抑圧)→投影→軋轢→葛藤強化、とかのスパイラルはありそうですね
13スレ695
>認識と認識者の超克>=恐怖は存在し得ない
こういうのは実際に超克してなくても論理的に類推できるじゃないですか
♪「それ」そのものであるとき「それ」も無い(「それ」を知る者がいない)みたいなことかもしれませんね・
>>928 知らない、に落ち着けないのは何故ですか?
>>922 自分で自分を証するのは虚しい行為です。
そういう自分を脳内で作り上げているというだけです。
>>930 ありがとうございます。
厳しいっすね…
>>876 本当に預流や四向四果で調べられたのですか?
預流、一来、不還、阿羅漢は倶舎論にも出てきますし、
中でも預流は有身見・戒禁取・疑の三結から解き放たれた状態と
いうのはそれほどマイナーな話しではないはずです。
また、この状態は仏陀の初転法輪でコンダンニャが速やかに
達した果であり、仏陀から
「悟った、悟った、コンダンニャが悟った」
と喜ばれた最初の悟りです。
これを覚者と呼ばずなんと呼ぶのでしょうか?
逆に調べた人はコンダンニャの最初の悟りを何と呼んでますか?
ただ、細部は違うかも知れませんし、コンダンニャの最初の悟りを
預流と解釈するのは上座部の伝統かもしれませんが、
四果は誰も成れないような絵に書いた餅ではなくて、生きた階梯と
して受け継がれていますよ。
>>932 悟ったと、悟りを開いたが等価じゃ無いですよね?それだと。
そのイコールだと、第一問正解!ぐらいのことだから、価値的にどうなんだろ?
同じようなスレ乱立になっても不思議じゃない。
934 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 22:18:11.61 ID:2PAx32cw
>>932 あのねw 初転法輪でコンダンニャが預流果に達した・・・・ということまで
否定してるのではないのw
要は、預流果のものを「覚者」と呼称するのが一般的であるか? ということ。
>これを覚者と呼ばずなんと呼ぶのでしょうか?
普通に「修行の第一段階に達した人」位の表現でいいでしょ?
それで、不満なら「無常、無我を了解した人」という表記では?
少なくとも、そういう段階の人を「覚者」という語彙で表記するのは
一般的ではないでしょ? と言ってるわけw
>>865 煩悩即菩提って要は統一だよね。
・・・と書いていて、不二とか色即是空の方向性で話そうかと思い
何かネタないかとWikiの菩提を調べてて吹いた。
煩悩(迷い)と菩提(悟り)は「而二不二(ににふに)」といって、
二つであってしかも二つではないと説く。
先達に先越されてたね。ににふにって猫みたいでかわいい。
だいたい言わんとすることって、ほぼすべて言い尽くされてると
思う今日この頃なのです。
>>934 > 要は、預流果のものを「覚者」と呼称するのが一般的であるか?
> 少なくとも、そういう段階の人を「覚者」という語彙で表記するのは
> 一般的ではないでしょ? と言ってるわけw
その設問だと、その一般的は母集団の性質に依るのではないでしょうか。
例えば上座部ならば、預流果は十分に覚者ですし、実際に初期仏教に
おける僧団に属するための資格は預流果以上だったと伝えれています。
逆に世間一般をいうのであれば、大乗の定義が優勢なため、仏陀のみを
覚者として良いでしょうが、それは人気No.1はAKB48というのと同じ程度の
一般です。
そんな一般でいいのなら、覚者は仏陀だけでしょうけど、このスレはそんな
一般の場でしたでしょうか?
937 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 22:47:38.31 ID:2PAx32cw
>逆に世間一般をいうのであれば、大乗の定義が優勢なため、仏陀のみを
>覚者として良いでしょうが、それは人気No.1はAKB48というのと同じ程度の
>一般です。
この「仏陀」とは、ゴータマのことではなくて、「解脱者」「成道者」という意味
だよな?
であるならば、まさに「覚者」=「仏陀」でしょう?
>・・・・ それは人気No.1はAKB48というのと同じ程度の
>一般です。
意味不明w
> そんな一般でいいのなら、覚者は仏陀だけでしょうけど、このスレはそんな
>一般の場でしたでしょうか?
仮に上座部で、預流果のものを「覚者」と呼称するのが一般てであったとして
(これは今、確認中) その上座部基準を一般的とするのは、おかしいでしょ?w
>>933 > そのイコールだと、第一問正解!ぐらいのことだから、価値的にどうなんだろ?
えぇ、まさしくそのノリですね。第一問正解程度だと思います。
また、価値についても、少なくとも供養されるほどの価値はないです。
その価値が出てくるのは、阿羅漢です。
阿羅漢なら応供と意訳されるように「供養を受けるにふさわしい人」らしいので。
>>937 覚者は仏陀のみとすること自体、大乗の宣伝による"一般的"ですから。
そこでいう一般はメディアによって繰り返された結果の"一般的"である
人気No.1のアイドルグループの構造と同じですよね。
> その上座部基準を一般的とするのは、おかしいでしょ?w
どんな一般的でも合意は得られないですし、上座部基準を一般と申した
覚えはないです。
逆にあなたはどんな基準を一般的としますか?
菩薩五十二位ですか?
菩薩五十二位であれ、なんであれ、それはこのスレや世間一般で普遍に
一般といえるほどに"一般的"ですか?
また確認を頼んでいる方に、その方が持っている一般的な覚者の定義も
ついでに聞かれてはいかがですか?
>>874 > ここは、無事禅大好き、自然外道ばんざ〜〜〜い、みんなで一緒に煩悩まみれ、
無事禅まで着いている人って、そこまで言えるほどいっぱいいましたっけ?
941 :
神も仏も名無しさん:2012/07/18(水) 23:07:56.94 ID:2PAx32cw
>>939 それが「ブッダ」ということであるなら、
そして、滅後の体系化を踏まえてのことであるなら、
(一代も言うように)「法(おしえ)を示すその人」に他ならない。
よって、今劫に於いては釈迦牟尼以外にはありえない。
覚者(ブッダ)とは釈尊只一人であり、他は阿羅漢である、と。
故に、 >→「少しでも煩悩を・・・・・・と呼称することが――― ということはありえない。
また、歴史的推移を遡り、当時の現実的様相を推測し、また術語の初期語義に視線を投げるなら、
律蔵大品にある「世に6人の阿羅漢」「7人、11人、61人の阿羅漢」といった記述も、
それぞれ「覚者(ブッダ)」であると見るべきでもあり、
中村元が「一時期の仏教は舎利弗に代表されていた」と考察するように、
且つ、「ブッダ(覚者)」が一般的普通名詞であることを踏まえれば、
>「最終解脱者」「修行完成者」「涅槃に達したもの」 であり、 >『解脱した者』・・・・という意味合い
であり、(釈尊)只一人と限るものではないにしても、
それでも、
>→「少しでも煩悩を消した形跡がある者」・・・・(もちろん、執着、煩悩残しまくりの者だがw)
>これらも「覚者」と呼称することが―――
ということはありえない。
少なくとも、かなりの初期であっても、それらはまだ途上の者であって、覚者とは呼ばれないであろう。
明らかに「目覚め切っていない」のだから・・・。
ここでの「目覚め」は、単に「気付く」ということだけでなく、
「行の成就」(定型表現を借りれば「良家の子が、出家し求めるところの目的である梵行の完成」)「不退転の境地」「不足無き、無上正覚の顕現」を意味する筈だから。
上記がその解説です。
知識自慢はもう飽きた…Yo
>>856 > 「悟りとは、無我の境地」って覚えときな?ね?
違うよ、真我だよ、不壊不滅の、否定しがたい、永遠の、どうにもならない
吾(われ)の認識、、、それこそ悟りだよ!
と、いっても別に間違いじゃないと思うのです。
そして、親鸞上人などはどちらかというとこっち方面な気がするのです。
>>944 あーゆー人には簡単な一択で良いです。
迷わせてレス倍数増えしたら、ニカさん責任とってくださいw
>>941 率直に言ってあなたというフィルターを通さず、そのままコピペされたほうが
わかりやすかったです。特に言葉の定義のあたりですれ違ってましたね。
調べている方の定義
覚者:目覚めきった人=仏陀=ゴータマ仏
→ 目覚め切った人のみを「覚者」と定義
阿羅漢は目覚め切ってるので仏陀ではないけど覚者としても良い
私の定義
覚者:目覚めた人=ゴータマ仏、阿羅漢、不還、一来、預流
→ ちょっとでも目覚めれば目覚めた人なので「覚者」と定義
この前提で話していて、では「覚者」といった場合の一般的な定義ですが、
覚者=目覚め切った人
のような透徹した定義で阿羅漢の付帯条件も理解するような"一般"なら
調べている方の定義でしょうが、一般的にいう「目覚め」の定義はそこまで
透徹しているものではないでしょう。
そして、そこまで透徹していない緩やかさが付きまとう"一般"ならば、
覚者=目覚めた人
ですから、私の定義のほうが語義的にも論理的にもより一般的なのでは?
少なくとも、狭義の定義では調べている方の定義でしょうが、広義の定義
(一般的な定義)でいうならば私の定義で特に問題はないですよね?
>>946 > あーゆー人には簡単な一択で良いです。
機に応じてですね。
意図を解さず気分を害してしまったようならごめんなさい。
949 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 00:38:08.93 ID:y0U1J2cD
>>947 いや、だからねえええww
論点わかってますか?ww
「覚者」という語彙が一般的に指示するものは何か?
「ほんの些細な気づきを体験しただけで、未だ、執着、煩悩を残しまくってる
人を覚者と呼称するのが、仏教において一般的であるのか?」・・・・・こういうことでしょ?
そして、貴方は、「執着、煩悩を残している、未だ修行途上のものを『覚者』と呼称している
例を提示できないでしょう?」
『貴方が』、そのようなものを覚者であると規定しても、『それは貴方にとってはそうであるかもしれないが』
一般的用法ではないでしょ? って言ってるわけ。
理解できますか?w
こんな頭つかって思考してたら
悟りから遠ざかるばかりだ・・・・。
>>948 いっすよー。
覚者=教頭先生位だとイメージにあうのだけど。
952 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 00:48:56.93 ID:y0U1J2cD
貴方が、「たとえ執着や煩悩が残りまくっていても、とにかく何かの気づきがあって、少しでも煩悩を
消した 形跡があれば、覚者なんです。」・・・と定義しても、
「貴方にとってはそうかもしれないが、一般的には「覚者」という語彙の意味する
ところは違いますよ。」・・・こちらとしては。こういうしかないですなw
よく言われる表現で言うと
「お前の中ではそうなんだろう・・・・」 これで終了ですよww
>>949 あなたもあなたが頼んでいる人も、その人の観点でしか語れて
一般を語れていないのにお気づきですか?
一般的用法とは何ですか?多数派のことですか?以下の様な
街頭アンケートで示されるものですか?
<一般人への街頭アンケート>
以下のもので覚者と思うものに○をつけよ【複数回答可】
釈迦、イエス・キリスト、ソクラテス、孔子
モーゼ、ムハンマド、マハーヴィーラ、
舎利佛、阿難、三蔵法師、龍樹、
空海、最澄、日蓮、親鸞、道元、白隠、一休、
パスカル、ニーチェ、ヘーゲル、カント、
池田大作、大川隆法、麻原彰晃、文鮮明
あなたやあなたのご友人がいう仏陀(時々阿羅漢)以外にも容易に
○がつくのが想像できませんか?
それも、日本と外国では違った結果になるでしょうし、日本でも街や
地方で異なるでしょう。一般が母集団に依るとはそういうことです。
あなたは「一般」をどう定義して問いかけられていますか?
>>914 >>915 >本当に今に気付ける人はいません。。
ではお聞きします。一体どうやってそのことに気づきましたか?
誰も知りえないことをどうやって知ったのでしょう。
本ですか?検索ですか?それとも雪渓老師からお聞きになりましたか?
誰も体験することのない「今」ならばあなたも体験されてませんよね?
私が間違ってるのかもしれませんが
そういうあなたの頭の中にあるようなものを指して「観念」と呼ぶのではないでしょうか。
譲ってあなたの言うとおりだとしましょう。
私は「今と名づけた観念に心を込めて集中する修行」をしています。
これで良いでしょうか。
難しいことは知りません。というかほとんどなにも知りえたことがありません。
私ができるのは今を見つめることだけです。
そして、教えようなどともしてません。自分が実践してる修行を説明してるだけです。
955 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 01:00:15.26 ID:y0U1J2cD
>>953 今度は「一般」という語彙の意味を拡散させて、自己防衛ですか?ww
貴方は、自分を預流果といってましたが、恥ずかしくないですか?w
俺が、言う「一般的」とは、今までこの「覚者」という語彙がどのような意味合いで
使用されてきたのか? ということですよ。
この語彙自体が、仏教用語なわけだから、仏教においてどのような意味合いで
使用されてきたか と言ってもいいわけです。
そして、広く仏教一般に、この「覚者」と言う語は、
→「単なる些細な気づきを体験しただけで、執着、煩悩を残しまくってる修行途上の
者を指して使用されていることはない。」 わけですww
956 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 01:12:50.81 ID:y0U1J2cD
ちと、疑問に思ったのだが、もしかして、このスレの住人の多くも、
この「覚者」という語彙に対して、二カサが言うような、
「たとえ執着や煩悩が残りまくっていても、とにかく何かの気づきがあって、少しでも煩悩を
消した 形跡があれば、覚者なんです。」・・・・・・このような理解なわけかい?
おそらく何度か、この語を使用した経験があるとは思うが
そういう意味合いで使用していたのか?ww
自称覚者が多いから、俺の中では覚者=偽物って理解。
958 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 01:17:39.51 ID:y0U1J2cD
>自称覚者が多いから、俺の中では覚者=偽物って理解。
wwwwwwww 面白いレスが出来るようになったじゃないか、オレムww
959 :
473:2012/07/19(木) 01:20:16.21 ID:NzqTN5/o
>amaさん
amaさん自身が別に段階における悟りを自称してるわけじゃありませんしね。二サカは何やってるんでしょうね。
単に悟りといってるので、その場合基本的に最上位のものとしか受け取り用がないんですけどね。
大体、仏教における最上位の悟りを否定してるamaさんが、その中の段階である悟りを名乗るわけもないですし。
そして、結構多くの人が、それは執着を維持してるだけじゃないのみたいな突込みをしてましたね。
955のような意味で、仏教で、また悟りを目指す近代宗教において(OSHO,グルジェフ、クリシュナムルティ、ラーマクリシュナ、マハラジ)
において悟りとは前述のとおりの概念なので、それに対するはっきりとした声明がテンプレに無いと、人は惑わされてしまう。
amaさんがその天プレを否定した場合、()内は473補足、それ以外はamaさんの言葉、ということで、補助テンプレとしての補足を有志にお願いし、
また議論がこじれたり質問が出たときの参考として有志が提示できるよう作っておくだけのことです。
960 :
473:2012/07/19(木) 01:26:01.05 ID:NzqTN5/o
>956
そういう詐術をする団体や人々がないわけじゃないけど、近代宗教の代表的な
(OSHO,グルジェフ、クリシュナムルティ、ラーマクリシュナ、マハラジ)
に触れている、この時代に悟りを本気で開こうという連中はそれを覚醒者とは言わない。
そういう真摯な人々が口のうまい連中に惑わされるのを見るのは忍びない。
そういうのを覚醒者といいたい連中は騙されたいわけだから好きに騙されていればいい。
それを邪魔するのも違うかな。
>955
いや、彼はもともとそういう人でしょ。つつきがいもない。
もし、amaさんもそういう人だったらはじめから相手にされてない。
962 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/07/19(木) 03:34:46.95 ID:dieeZkAp
覚者でも人力車でもいーけどさぁ
0か1かで議論したってラチあかんで
例えば、賢者の定義と変わらん様な気がする
どうなったら賢者?
まあ、そうやって表面だけでごちゃごちゃやってるのは、精神の精妙さに全く気づいてないって発表してるだけに過ぎんよ
まあ、覚者であるなら、それぐらいはわからんとダメなんじゃないかな
964 :
ろん:2012/07/19(木) 07:31:26.95 ID:lrvUdFUt
>>954 >ではお聞きします。一体どうやってそのことに気づきましたか?
誰も知りえないことをどうやって知ったのでしょう。
今までさんざん説明したように、普通に現象を観察すれば、誰でもわかることでしょう。。
何か起こった時、気づくのはつねに事後でしかあり得ません。。
誰でもわかることを、誰も知りえないと言うののがわからん。。
>本ですか?検索ですか?それとも雪渓老師からお聞きになりましたか?
雪渓師だけでなく、他の人も言っています。
今に集中する修行が、明確に間違いだと言っている人は、町野久義さん。
彼は、合理的になぜ間違いか説明してますよ。。
ブログがあるので、読んでみてください。
僕も以前に何度も説明しているのに、なぜわからないのだろう?
カルト脳なんでしょうか?
というか、頭で知った人と、体験した人が議論したって、何処まで行っても平行線だろうね
だって、知識では悟れんからね
それは、歴史が証明してる
仏教議論スレなんかは、もうただの知識自慢の自己満ちゃんしかおらんしw
あんなガチガチになったら、ほとけんからほどほどにねw
まあ、悟るとかどーでもいいんだろうけどw
966 :
ろん:2012/07/19(木) 07:43:05.15 ID:lrvUdFUt
>>954 >>私は「今と名づけた観念に心を込めて集中する修行」をしています。
これで良いでしょうか。
難しいことは知りません。というかほとんどなにも知りえたことがありません。
私ができるのは今を見つめることだけです。
なぜ、そこまで思い込むのだろうか?
>そして、教えようなどともしてません。自分が実践してる修行を説明してるだけです。
ある程度、勉強してる人なら、今ここにいる修行なんてのは誰も知ってますよ。。
いろんなところで言われていることですから。。
悟った宣言して今ここ塾だなんだとか。。w
その修行の有効性は否定しませんが、それしかないと言っている人、それを強く勧めている人は、ほとんどわかってない人だと思ってください。。
禅の場合は、即今と言うのがわかるのは、途中の景色です。
通過点に過ぎません。。今にいようとするのではなく、結果として自然とそうなる、という時節があるというだけです。
テンプレですが、
「悟り」という言葉を使わずに表現してみました。
皆さんのご意見をお聞かせください。
〜テンプレ〜
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?15
このスレの主はamaです。
ご質問は、できるだけ日常の言葉を使っていただけると助かります。
*前スレ
悟りを開いたことあるけど何か質問ある?14
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/psy/1342102892/ ≪ご注意≫
amaが申し上げる「悟り」は、
一般的に言われている「悟り」とは違うかもしれませんし、
仏教で言われている「悟り」とも違うかもしれませんので、
誤解を避けるために「ほげ(hoge)」という言葉を使いたいと思います。
以下、ほげの解説です。
ほげを見出しても、何かが無くなったり出現したりはしません。(執着しかり煩悩しかり)
無くなる現れる、増える減る、などは二元です。
こうなるああなるも、ならないことに支えられていますから、やっぱりこれも二元です。
ほげは、そのような次元のものではありません。
もちろん、ほげることで精神に何らかの変化が起こることもあるでしょう。
ただそれは、どこまでも、もともとあるものが変化するだけであって、
無かったものが現れれたり、あったものが消滅したりすることではないのです。
たしかに、何かが強くなったり弱くなったりすることはあるかもしれません。
でもそれは副産物であり、おまけのようなものです。
ほげ自体(一元)と、ほげったことで起こること(二元)とは、まったく別の次元のことです。
二元的な変化をほげと申し上げているわけではないということです。
また、ほげった結果起こることは、人それぞれであり、決まってこうなるというものでもありません。
一方、ほげを見出していない人が、ほげった人の表面に現れた何らかの変化を見て、
「ほげるとこうなるのか」のように誤解してしまうのは当然のことでもありますから、
文献などにそれが書き残されることもあるでしょうし、口頭で語り継がれることもあるでしょう。
ほげを見出していない人がほげを分かろうとするとき、
一番頻繁に起こることが表面に出たものだけを見てほげを判断することでしょう。
そのようにして、一般的なほげ(悟り)の解釈や、仏教の一部の宗派でのほげ(悟り)の解釈が生まれ、
現在も引き継がれているのでしょう。
さて、このようなわけで、私の申し上げる「ほげ」は、
貴方の中では、別の単語かもしれません。
くれぐれも誤解の無いようにお願いいたします。
>>968 煩悩が二元のものでしょ
一元の中には何もないよ
貴方がいないことが一元なのに、その一元を使って
いつまでも自分自身を保護し続けてるのが貴方のパターンだよ
一の中に何もないって、どゆこと?
わけわからんw
どんな手段を使っても、直接自分の目を見ることは不可能。
鏡で見たときにはすでに過去、探し物は常に過去…。
実は見ている外側もすでに過去。
973 :
473:2012/07/19(木) 08:49:59.05 ID:NzqTN5/o
amaさんが述べている内容のガイドライン。
(内はコテ473)他はamaさんの言葉。
amaのいう悟りは仏教で言うような(「体などへの執着の消滅した境地」「苦しみは存在しないと見出す」 といわれるものではなく、)
「執着に苦しまなくなる」というものです。
(> 執着が残っている状態で、あくまでこれまでの経験を背景としてるとはいえ知的な理解で
> 悟りをわかっているように語るのはいかがなものか。 )
いえ、ですから悟っても執着が消えたりはしないと申し上げています。
何かが消えるとか消えないとか、そういうことではないのです。
***
適度な執着は人生をとてもバラエティ豊かでダイナミックなものにしてくれるのに、それを消すなんてもったいなくないですか?
(> 悟りへのイメージは自我が作るだけで、イメージがること自体がもう執着であるといえないだろうか。 )
おっしゃる通りです。
(> なんでもない、何も求めず、何も名づけない状態。それを悟りとただ呼ぶのが悟りという言葉の用法だったかもしれないということです。 )
私は、認めることが出来ないもののことを悟りと呼んでいます。つまり、悟りは無いのですね。
(それと執着があることは矛盾しません。amaに悟りは存在しませんが、執着は存在します。)
974 :
473:2012/07/19(木) 08:51:08.03 ID:NzqTN5/o
>>968 その表現はいわゆる悟りと混同してしまうので却下です。
あなたはあなたの好きなようにしていいのですけど、他者が混乱するという問題がそれだと発生するので、そういう意味でかなりひどいものです。
自衛策として上記のamaさんへの質疑応答を貼り付ける必要を感じます。
973を968に追加して張る分には問題ありません。私がはってもいいですが、やましいことがないならamaさん自身で補足として張ってください。
>>all
969の方もいってるとおり、それはやはり非常に紛らわしいだけなので、有志に、テンプレ、また、誰かの質問があったとき
これをどなたか張っていただけますでしょうか。
amaさん自身この前言を完全に撤回するなら話も別かもしれませんが、
ある種の本音が出てますので、皆さんの疑いを完全に解くまではこれがあったほうがいいかもしれません。
ほぼamaさんの言葉で構成されてますので何かあったら張っておいてください。
例えば両親のうちどちらかの性行為の事実を確認すると我々は不浄を感じ嫌悪するだろう。
しかし、鮭の産卵を見てもそこに精神的な不浄は感じない。衛生的な嫌悪などは別にしてね。
我々は人に生まれ、育った故に、その本能や社会の価値観を受けて、浄、不浄の価値観が育ってきている。
一元とは、自分であることを忘れ、人であることを忘れることだ。
それにより自分という色眼鏡により分かれたように見える二元(浄、不浄)が自分が落ちるにしたがって消える。
色眼鏡が無いのではなく、それを通して見るものがいないのだ。
これが一元の世界であるが、我々が人として生まれたのは事実であり、蛙の習性による価値観が生まれるといこともなく
木石のように思考なしで生活するというのも実際問題として無理だろう。
人は人以外に生まれてないのだから、他人が嫌悪するような不浄(人としての)をあえて示すのは無益な行為であり、
自らも人として余慶な不浄の罪悪観にさいなまれることとなる。
故に人としてその上に行われている法を軽視したりはしない。
前者を無分別智とよび、後者を分別智とよぶ。
自分が落ちても、なお目を通して見ている者がいる。
その者を直接見ることは出来ないけれど…。
誰が見ているのか?と言葉に置き換えた瞬間、それは直ちに枝別れして見失う。
>>975 全ての事に「何で?」と問うのに是非があったら、是非に対してまた「何で?」
一見して会わせ鏡の様に見える。
悪魔も住んでるかもしれない。
食べ方知らないと、にょろが一気に増えますねwww
不動さんは、会わせ鏡の中に置いても何も映さないのかな?
なんか、メチャクチャカッコいいんですけどw
>>964 町野久義さんですね。分かりました。ありがとうございます。
今みた所たくさんブログ書かれてるようなので読める所まで読んでからにします。
>>980 訂正
読める所まで読んでから「レス」します。
>>967 スレタイは「ほげを開いたことあるけど何か質問ある? 」じゃなきゃ意味ないだろ
悟りじゃないんだから
>>982 それじゃ悟りを求めるご新規さんは来なくなるかもね。
>>983 悟りじゃないんだから無用な混乱はなくなるでしょ
お賽銭箱なのだろうか?
ゴキブリホイホイなのだろうか?
オーディションじゃないだろうか?
>>986 あー…
途中を水着とか芝居じゃなくて、サスケとかたけし城にしたら、オーディションになりましたwww
988 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:34:57.97 ID:y0U1J2cD
>>968いや〜〜〜〜、初めはギャグかと思ってったら、マジだったんだなwww
ただ、「ほげ」は、どうかね?ww
「放下」からの、引用だろうか?w
「ほげ」では、その表記から類推させるものが弱いので、一つの提案だが、
「醒得」(名詞)・・・・「醒」を得ること
(醒悟という表記では、悟りのいみの仏教用語になってしまうのでww)
「醒める」(動詞)・・・無明の眠りから醒める
これなら、「悟り」を連想させつつ、いわゆる仏教的悟りとの差異も了解させられるんじゃ
ないのかな?w
ダメ?wwww
989 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:41:55.60 ID:y0U1J2cD
ちなみに、amaの境地に達した人を、「醒得者」と言うwww
あかんかね?www
>>987 いやいやそんな楽しいもんじゃなくてさ、
境地自慢の人たちが悟りデビュー目指して必死なんだよw
991 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:44:24.54 ID:/2W475CA
amaの境地は悟りではない、
迷いなのか?煩悩なのか?
>>988 「ほげ」の語感がなんか好きだw
「醒得」の読みを(ほげ)にしてくれwwwww
993 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:47:33.12 ID:/2W475CA
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
自らの中にある本性を観なさい。
方方に散る心をその中心に集めなさい。
行深くして、妙知恵を得て彼岸に至る道を得る時。
994 :
473:2012/07/19(木) 11:47:49.72 ID:NzqTN5/o
>>968 「そのようにして、一般的なほげ(悟り)の解釈や、仏教の一部の宗派でのほげ(悟り)の解釈が生まれ、
現在も引き継がれているのでしょう。
さて、このようなわけで、私の申し上げるほげは
貴方の中では、別の単語かもしれません。くれぐれも誤解の無いようにお願いいたします。 」
ほげ(悟り)www
あのね。(悟り)は、いりません。
必要なのはほげの中身。
「ほげ自体(一元)」の説明が皆無で、それは悟りが指し示す真髄だと匂わせているだけ。自分の言葉で全く説明していない。
外側は変わらないが、中身か、彼方において違うのだと。その違いの具体的な内容について語ればいいじゃないですか。
についての解説が一切なく、これこそ悟りの真髄であるかのように匂わすのは、要はこれが悟りといっているようなもの。
自分の言葉でほげについてきちんと説明できるなら、これが悟りの指し示した本来のものかもしれないなどと匂わせる必要はないんです。
それに、一般的な悟り「執着の消滅」をはっきり否定してたでしょ。
その否定は明文化しないとおかしい。
結局973がamaさんの発言じゃないですか。
悟りはないし、外側に変化は与えない。
で、それはamaさんと何の関係もなくamaさん自身は単に執着なんじゃないですか。
酔得は?
一番自分に酔った人が勝ちとか
ま、誰得だけどw
996 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:49:31.02 ID:/2W475CA
照見五蘊皆空 度一切苦厄
心眼の光であらゆるものを照らせば、すべて空となり、
一切の邪気・陰気は消え失せ、すべての苦しみや災いから解き放たれる。
>>990 今をアトラクション中にしてみました(´・ω・`)
998 :
473:2012/07/19(木) 11:50:12.21 ID:NzqTN5/o
>>988 まて、ほげの中身の解説はほとんどなく、これこそ悟りの指し示すものだと匂わせてるだけだぞ。
悟り=ほげ
と前文で書き
最後に
ほげ(=悟り)
と書いている。
もうどんだけw
もうちょいシンプルにはならんのですか?
1000 :
神も仏も名無しさん:2012/07/19(木) 11:51:25.69 ID:/2W475CA
舎利子 色不異空 空不異色
仏陀の残した教えの形骸の中に、真理を見出す賢き者よ、
道をえれば、形あるこの身もあらゆる物も、すべて空と別ではない。
色即是空 空即是色
この身は空と一体となり、形あるすべのものが空であり、
すべのものに空が宿っている。
1001 :
1001:
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。