952 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 13:48:42.06 ID:nQFjiN3p
私【?】は、どこか特定の宗教団体には所属してないけど毎年、年末年始になると
伊勢山皇大神宮 − 神奈川県横浜市西区宮崎町64
成田山横浜別院延命院 − 神奈川県横浜市西区宮崎町30
神社、仏閣、霊場、巡りで、お参りをさせてもらっているけど
天台宗も真言宗もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
天台宗の天海がたずさわっている、とされている
日光東照宮もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
それらの現世利益を願う団体は
ヒンズー教と同じレベルのものと思うべし
すくなくとも釈迦の教えとは違うとおもうべし
955 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 14:24:43.31 ID:nQFjiN3p
私の場合は
バラモン(ヒンドゥー)も
仏教の、南伝も、北伝も、チベット伝も、肯定派で おじゃる
そして今 ↓ この書籍が届いたので
◎ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元(著)大村次郷(著)田辺祥二(著)
◎ダライ・ラマの「中論」講義―第18・24・26章
中論 も勉強しているところで おじゃる
956 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 14:27:50.75 ID:HsJAbUdN
>>948 >お釈迦様も過去のブッダや独覚達を尊敬していたはず。
そんな程度なら『信仰』とは言わない。
“不条理なれど、吾信ず”(埴谷雄高)が信仰だ。
ブッダの本懐命題は“実存苦”の超克。
そのためにブッダがとった手法は典型的な仮説思考による経験主義手法だ。
・アーラーラ仙:識無辺処→無所有処
・ウッダカ仙 :無所有処→非想非非想処
・業論を背景とする流行の苦行主義
いずれも有用性はあっても、智・覚・涅槃に導かないというのが体験的結論。
で、中道の悟りによる『無師独悟』となった。
ここには不条理なれど吾信ずの溶暗迷妄信仰の一片の影もない。
957 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 14:38:59.51 ID:HsJAbUdN
>>950 仏法の本懐は実存苦の根本的克服にある。
苦しみを生み出す執着の原因を取り除く(縁起法)
執着原因:我執→無我
執着しうるもの すべきものは,なにもない(空である)。
執着対象(特に利己的自己)が無意味・無価値・無矛盾・無実体・無相←無分別空であること(中道)を
体得<無相の心三昧(滅尽定)>する⇒涅槃寂静。
無分別の分別で示すなら、執着しうるなにものもない境地に立たせる構成が必要だ。
しかるに、般若心経『三世諸仏〜』以下は無分別の分別としても誤った
比較相対分別矛盾に陥った『無上・大』への執着を生むヒンドゥ的呪文主義であり、
化け狸の尻尾が丸見えとなっている。
このあたりの作者の発想は法華経と大して変わらん。
*『師(ブッダ)は、(われわれのこの)生存と非生存(についての執着)を捨て去る(断ずる)ことを説いた。
それゆえに、「ニルヴァーナは存在に非ず、非存在に非ず」というのが正しい。(中論25-10)←中道
『(およそ)戯論(形而上学的議論)を超越していて不壊なるブッダ(如来)を、いろいろと戯論する人々は、
すべて(その)戯論に害されて、如来(そのもの)を見ることがない。』(同22-15)
958 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 14:55:36.88 ID:ioh/lLwM
>>951>>954 それは、当時における原始教団の出家修行者には
(道品法の修得に専念すべく)禁じたということであって、
これらを読むならば、ただ単純に全面否定されたのではなかったことは瞭然。
使われ方によっては素晴らしいものとなると明確に讃えられています。
ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元 40ページ参照
非想非非想処
想うのでもなく想わないでもない境地
滅尽定(想受滅定)という最高位の禅定の一歩手前の境地であるといわれております
960 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:07:16.84 ID:ioh/lLwM
『究極に達したヴェーダの達人が祭祀のときに或る(世俗の人の)献供を受けるならば、その(世
俗の)人の(祭祀の行為は)効果をもたらす、とわたくしは説く。』(Sn.458)
『マーガよ。三種の条件を具えた完全な祀りを実行するそのような人は、施与を受けるにふさわ
しい人々を喜ばせる。施しの求めに応ずる人が、このように正しく祀りを行うならば、梵天界に生
まれる、と、わたくしは説く。』(Sn.509)
『火への供養は祭祀のうちで最上のものである。サーヴィトリー[讃歌]はヴェーダの詩句のうち
で最上のものである。王は人間のうちでは最上の者である。大洋は、諸河川のうちで最上のもの
である。』(Sn.568)
961 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:09:12.40 ID:ioh/lLwM
悩め苦しむ一般衆生に対し、
“仏典を読めだの悟りを求めよ!”だのと言っても無理。
そのような崇高な世界に対する集中力などはありません。
とてもそういう心境にはなれない。
簡単に言う人は、
本当に人生の苦悩を味わったことがない人ではないか?
と思ってしまう・・・。
私自身も経験上、
自己の身体のことや明日の仕事や生活に思い煩い悩む心境においては、
とても崇高な世界には意識を向けることはできませんでした・・・。
その苦境を打開することで、ようやくこうして精神を落ち着けることができる。
加持祈祷は、苦悩者の努力を後押しする有難い神秘力を発揮するものです。
私の場合は一応、法華経の解説書も持っているけど
> 般若心経『三世諸仏〜』以下は無分別の分別としても誤った
> 比較相対分別矛盾に陥った『無上・大』への執着を生むヒンドゥ的呪文主義であり
> 化け狸の尻尾が丸見えとなっている
> このあたりの作者の発想は法華経と大して変わらん
>>957さんの主張するところの思惑は、理解致しました おじゃる
>>958宝珠さん ← 了解致しました おじゃる
963 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:12:55.67 ID:ioh/lLwM
>>957 残念ながらそういった話は、
苦悩に喘ぐ大衆には殆ど役に立たない・・・。
---これが現実。
加持祈祷は心を開かせ、
崇高な世界に導くためのキッカケの一つ。
964 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:24:00.79 ID:ioh/lLwM
>>962 >>958宝珠さん ← 了解致しました おじゃる
(仏教者ならば)道端で倒れている人がいたら手を差し出してあげるでしょう。
苦悩している人のことを祈ることはごく自然なことあり、そして信仰者として当然のこと。
祈祷というのは、宗教者にとっての手助けの一つです。
965 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 15:26:35.69 ID:ioh/lLwM
>>924-925 たまたま書店で手に取ったら、
特集記事が良かったので珍しく購入しました。
『特集=今こそ読みたい ブッダのことば−原始経典の世界』
まだ、読み出したばかりですが、
いつもながら、この方の良識ある見解は爽やか(セブンの先生か?)。
『ブッダの「直説」の魅力−奈良康明』 p66
966 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 15:30:02.04 ID:nQFjiN3p
>>963 宝珠さん
> 加持祈祷は心を開かせ、崇高な世界に導くためのキッカケの一つ
↑ 了解 おじゃる
密教といえば
承狂さんは密教系の先生だと思うけど
承狂さんは、なんで輪廻否定派なのかしら?
承狂さん元気に暮らしているのかしら? おじゃる?
967 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 15:38:12.54 ID:nQFjiN3p
968 :
侵略?イカ娘?:2012/07/31(火) 16:17:34.05 ID:nQFjiN3p
ブッダの人と思想(NHKブックス)中村元 51ページ参照
四如意足(四神足)
神通力の基礎となる力で
意欲、努力、思念、観察へのそれぞれの集中力のことで
それを修めて悟りを開いたというものです
意欲、努力、思念、観察は悟りへの必須の条件でもあります
969 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:18:10.64 ID:ioh/lLwM
>>966 >密教といえば
>承狂さんは密教系の先生だと思うけど
>承狂さんは、なんで輪廻否定派なのかしら?
単純に唯物主義者だからでしょうね!
基本的にいって、唯物主義者というのは自分自身が直接、
超常体験をしない限りにおいてはこれを認めることはできません。
信じられないのです。
こういう人というのは一代のいうように、
「現代常識でもそのまま分る部分だけしか仏教を読んでいません」から。
唯物主義者ではなくて、
現代自然科学の範疇を超えた超常なものを認める人の中で
輪廻転生を否定する人を私は見たことはありません。
輪廻転生を否定する人というのは、まず絶対的にただの唯物主義者です。
そういう人には、
神秘な自己体験の経験が起こらない限りは何を話しても無理です。
(できれば、客観的な現象を伴っていればよりベスト)
970 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:27:54.89 ID:ioh/lLwM
補足:
この私が「唯物論」と呼ぶ場合は、
単純にこういう意味合いで使用しています。
『世界の理解については、原子論と呼ばれる立場がよく知られている。これは原子などの物質的
な構成要素とその要素間の相互作用によって森羅万象が説明できるとする考え方で、場合によっ
ては、森羅万象がそのような構成要素のみから成っているとする考え方である。非物質的な存在を
想定し、時にそのような存在が物質や物理現象に影響を与えるとする二元論や、物質の実在につ
いて否定したり、物質的な現象を観念の領域に付随するものとする観念論の立場と対立する。』
(『唯物論』wikipedia)
「唯物主義者」とは、
この唯物論を絶対的に正しいものとしている人のことをこの私はそう呼称しています。
971 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:38:24.35 ID:ioh/lLwM
>>952-953 >天台宗も真言宗もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
>日光東照宮もオカルト団体なのかしら? おじゃる?
こういう人にとっては、
現代自然科学では認められていない超自然力を認め、
肯定する宗教というのはすべてオカルト団体扱いであって、
カルトなどといって馬鹿にするのです(「カルト」というのは本当は意味が違うのですが)。
いずれ恥じることになるのはその人です。
ゴータマ仏陀を謗る行為を続ける人も同様、
いずれ後悔で自責の念に駆られることになる。
なんだかな
味噌も糞もいっしょというかんじ
密教はそれはそれで救われてればそれでいいんじゃない?
ただ釈迦の初期仏教とは明確に違うということは
どんなおばかさんでも理解できる
ヒンズー教でも救われる人は救われる
だが釈迦の教えとは違うという事実だけは覆らない
守るべきものは守らないといけない
974 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:49:07.77 ID:ioh/lLwM
>>972 ですから、
「密教」という呼称なんだからそれでいいでしょう。
仏教の看板を掲げてもいいかは確かに微妙・・・。
しかし、三法印(四法印)を教えとして学び理解しているのならば、
辛うじてこれも仏教の潮流の一つとして認めざる得ないでしょう。
あくまでも本流から外れた“派”として。
975 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 17:50:11.69 ID:HsJAbUdN
>>968 >神通力の基礎となる力
あのね、「その他の伝承」って諸雑説の括りであって、こんなオカルト話をいう奴もいるという
スタンスなんだよね、中村元さんは。
インド人の苦行主義はオカルト神通力大好き獲得信仰が動機(業論カルマ落とし信仰も)だけど、
苦行を捨てて、中道坐禅(心の平安)に至りついたってことは、
ブッダの仮説試行体験検証の結果、「神通力信仰」も「業論カルマ落とし信仰」も捨てたということもできる。
ところが、仏典編纂したインド人は生来のオカルト話大好きだから(その他イロイロある)、オカルトを書き入れたいって衝動は判るが、
ブッダの苦行主義放棄の意義が掴めていないというしかない。
当時インドが社会構造的歴史的転換点にあったことの把握が大切だが・・
で、中村博士は、仏法にはドグマがない(⇒
>>693)という重要な叙述(p52〜)へと入ってゆく。
976 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:52:29.62 ID:ioh/lLwM
>>973 >だが釈迦の教えとは違うという事実だけは覆らない
>守るべきものは守らないといけない
それは認めます。
それは、最も近しい上座部系がその責務に相応しいのでは?
日本テーラワーダ仏教協会はその一つ、もしくはキッカケでしょう。
977 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 17:58:48.36 ID:ioh/lLwM
>>975 ははっ(苦笑)
「苦行」によっては悟りに達しない。
苦行と快楽といった両極端を捨てるということであって、
苦行が無意味だったわけではないから!
そういう読み、扱いしかできないから浅墓の極み・・・。
寧ろ、その体験の果てに究極の三昧を得て解脱に達したのです。
978 :
宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk :2012/07/31(火) 18:02:21.76 ID:ioh/lLwM
>>975 大王さんにはホント疑問・・・。
すみませんが、
あなたは何か仏教信仰者としての実践行や修行はされてるのですか?
例えばどんな??
979 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 18:05:10.67 ID:HsJAbUdN
>>970 >『非物質的な存在を想定し、時にそのような存在が物質や物理現象に影響を与えるとする二元論や、
>物質の実在について否定したり、物質的な現象を観念の領域に付随するものとする観念論の立場』
これって、超越主義オカルトの宝珠@神智学徒 ◆9XuF3XEACk のことだよねw
仏教は唯物論VS観念論という戯論(形而上的論議)の消滅という
吉祥な縁起=中道のことわりである。
980 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 18:34:54.20 ID:HsJAbUdN
981 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 18:43:21.46 ID:HsJAbUdN
>>977 >苦行が無意味だったわけではないから!
⇒いずれも有用性はあっても、智・覚・涅槃に導かないというのが体験的結論。
ここには不条理なれど吾信ずの溶暗迷妄信仰の一片の影もない。(
>>956)
俺はもっと「浅墓の極み・・・」にもなって遊べるでw
982 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:00:36.04 ID:1OHlZBbI
>>949 >「白馬非馬」みたいな短絡的な論理接合ですね。
世の中の住宅が、すべて仮設住宅だとしたら、それはもはや「仮設住宅」とは
呼ばないね。現実界とは、人間の五感で知覚できる対象に過ぎないから、空
なのかも知れないが、人間はその現実界においてのみしか存在できないの
だから、その空の現実界が実在となる。「色即是空」されど「空即是色」。
白馬非馬の論理は、「物体」とそれを指示する「名称」「観念」との関係において
面白い。現在では再評価されているそうだ。例えば、「涅槃」を「地獄」と
「呼んでも」ちっとも構わないのである。宗教とは、まさに「白馬非馬」ごっこ。
983 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:21:44.89 ID:1OHlZBbI
例えば、「悟り」という言葉の意味(観念)は、特定の状況、時期、使用者に
よって多様に異なる。だから「悟り」を「迷妄」と呼んでも、ちっとも構わない
のである。「正義」「正誤」「清濁」「美醜」などの他のすべての「観念語」も
同様。但し、物体を指示する語に限り、「共同体における共通の合意」による。
984 :
ノスタルジア:2012/07/31(火) 19:42:58.68 ID:l2racCG3
美が重要なのだ。←子供の戯れ言と思ってもらって良い。
985 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 19:47:26.05 ID:1OHlZBbI
>>984 「美しい花がある。花の美しさなどない。」(小林秀雄)
986 :
ノスタルジア:2012/07/31(火) 19:52:38.91 ID:l2racCG3
987 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:13:37.56 ID:0MDmNIjZ
だとすると釈迦はある種の実在論者であった可能性も高いな
あらゆるものを仮象と切り捨てられるのは切り捨てられないものを掴んでいたからとも言える
「現代人は無常と言うものを鎌倉の生女房ほどわかっていない
無常ならぬものを見失ったからである」小林秀雄
988 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:19:26.26 ID:HsJAbUdN
>>985 >美しい花がある。花の美しさなどない
美しい花はない。花の美しさなどもない。
柳は緑 花は紅
中二病的言葉遊びが、最近のはやりなのかね
現実が思い通りにならないからと言って
現実を無価値だと罵倒する
まさに酸っぱいブドウ
991 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:28:22.24 ID:HsJAbUdN
>>987 >現代人は無常と言うものを鎌倉の生女房ほどわかっていない
>無常ならぬものを見失ったからである
不生不滅
心が花は美しいと「感じる」のだから、花は美しいという認識で問題はない。
それは「人」としての共通認識。
993 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:43:54.95 ID:HsJAbUdN
>>990 >現実を無価値だと罵倒する
直接現実(あるがまま)は無価値・中道である。
執着罵倒すべくもない(涅槃寂静)
間接現実(知覚記憶現実)は我執・有価値と誤解夢想する。
執着罵倒もやむを得ぬ(苦)
両者共に「現実」であることには寸分の変わりがない(中論25-19・20)
994 :
神も仏も名無しさん:2012/07/31(火) 22:48:04.97 ID:vuCW0iqX
夏休みになったんだなあとひしひしと感じる。
995 :
993:2012/07/31(火) 22:51:14.18 ID:HsJAbUdN
訂正
× 寸分の変わりがない
〇 寸分の区別も存在しない
996 :
993:2012/07/31(火) 22:53:59.64 ID:HsJAbUdN
>>989 >中二病的言葉遊びが、最近のはやりなのかね
還滅世俗での言葉遊びについて来れるのか?
997 :
993:2012/07/31(火) 22:58:27.43 ID:HsJAbUdN
>>992 >心が花は美しいと「感じる」のだから、花は美しいという認識で問題はない。
⇒間接現実(知覚記憶現実)は我執・有価値と誤解夢想する。(
>>993)
>>997 だから、 >花は美しい【という認識】で問題 ないじゃないwwwww
999 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/08/01(水) 00:00:55.47 ID:GcCaEvHc
1000 :
《アラシを呼ぶ男》 ◆Arasi/MT2E :2012/08/01(水) 00:01:57.83 ID:GcCaEvHc
1001 :
1001:
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