>>439 >>440 人生の傍観者になって、生きている意味があるのかと思う。
悟った人は、教えを伝える役目がある人以外は、もう人間としての存在理由はないのだろうか。
常に至福なら、それより(おそらく)低次の快楽には興味がないと思う。
あと、マハルシが死ぬときに、癌の痛みで村中に聞こえるくらい大きな声で叫んだというのを人のブログで見たが、そんな話知ってる人いる?
俺がそれまで聞いていた話では、癌にも無執着で手術を受けようとしなかったと聞いていた。
確認のため、『ラマナ・マハルシの伝記』を買って最後を読んだが、静かに死んだと書いてあった。
自我がないなら、食べようとも思わないからそのまま死んでしまうと思うが、マハルシは元の性質が優しいから他の人に悟りを教えてあげたのかと今は思ってる。
他人を救いたいというのも自我なのではなかろうか。
それとも、他人を救いたいというのは神・真我の性質なのだろうか。