>一代 ちと真面目に話すと、
(セブンが
>>887 で言ってるが、) 俺も、もう宗教板、結構長いが、
対話が可能な輪廻肯定論者というのを殆ど見たこと無いぞw
殆どの者が、「輪廻業報は、この世界で実際に起きている現象である」と主張し、
決して自己の信仰の範疇に留めることなく、このような「公の場」で、「それは
真実である。」 と主張する。
そして、「その教義は、現実の社会に不適切な影響を及ぼすので、自己の宗教の
教義内に収めて、公での発言は控えるように。」というと、宝珠やカラスのように
「いや、差別思想ではない。」(←実際に起きている問題に対して、それが
差別ではないと論証したやつは「唯の一人も」いない。) と言い出すか、
または、(ちょっと前に俺に絡んできたバカのように)
「言いたいこと、自由に主張して何が悪い?」と開き直るかだ。
実際、書き込みをしていない者の中には、その思想の負の側面を理解し、
それを自己の信仰の範疇にとどめ、公言することを控える真摯な宗教家たちも
いるのかもしれんが、目に見える現実はご覧のとおりだw
このような輪廻業報論者ばかりが目立つ現実を踏まえれば、アンチ仏教徒が
増えて行くのは避けられないと思うがね。
実際、一代はどう考えてるわけだ?
「輪廻業報思想」が現実の社会に及ぼしてきた負の側面を認め、公の場で
それが真実であると語ることを控え、仏教の教義に関する話に限定するのか?
あるいは、よくいる肯定論者のように、「それはこの社会で現実に起きている
現象です」と主張することも良しとするのか?
俺と初期にやりあった頃を除けば、 それ以降は、『伝統仏教の中では』という
冠を付けて話をするような配慮を見せていると思うが、その辺りはどうなんだ?