1 :
神も仏も名無しさん:
2 :
神も仏も名無しさん:2012/06/11(月) 08:48:58.43 ID:s5Lvt0vr
自我や欲望を無くさなければ悟れないと思っている奴はいつまでたっても埒が開かないだろう。。
今に安住することは決してできないだろう。。
欲望や自我を持つ自分との終わらない戦い、無駄な戦いがんばってねww
3 :
ろん:2012/06/11(月) 08:50:12.73 ID:s5Lvt0vr
欲望や自我って何によってあるの?
どうすれば今に安住できるの?
ホントはそこがポイントなんだぜ。。
473よ、安堂よ、答えられるかな?
4 :
ろん:2012/06/11(月) 08:52:13.92 ID:s5Lvt0vr
無心即安心、無我即平等、実相を観じることだ。。
あなたを苦しめているものは、自我や欲望ではない。。
では、あなたを苦しめるものの正体は何か?
よくよく明らめてください。。
>>3 >欲望や自我って何によってあるの?
>どうすれば今に安住できるの?
ろんも意地悪しないで知ってるんなら教えてあげればイイのに。
>>4 苦しめるものが無い時は、どうすればイイですか?
7 :
神も仏も名無しさん:2012/06/11(月) 16:31:54.99 ID:LwQFyg5y
その悟りを、キャバ嬢相手に伝道して回ればいいと思う。
8 :
473:2012/06/11(月) 17:28:27.67 ID:6GFxU9yW
自我や欲望を無くさなければ悟れないと思っている奴=2
かつ戦わなければ安住できるという夢を見ている人=2
そして、相反する考えが内在して混乱してるので、他者に投影して説得しようとする人=2
3のように考察するのが自我であり、その考察によって何らかの結果を求めるのが欲望。
欲望を否定することは欲望なので、欲望さえなければというのは既におかしな話です。
欲望の否定も、欲望の否定の否定も共に心の働きです。
9 :
473:2012/06/11(月) 17:38:41.60 ID:6GFxU9yW
あらゆる考え方が存在する。
考え方そのものは使いこなせるうちは何もかもがゲーム感覚でありそこに深刻さは無い。
しかし、いつ始まったか知らぬ無明。無意識に考え方と同化し、それは考え方ではなく思考になり夢になり執着になる。
ただただ、不注意でいて、無意識である故に。
その考え方と同化してしまうと夢が生じ、価値判断が生じる。
記憶が生じ、自我が生じる。
そしてそこから欲望が生じる。
この状況の把握は記憶、自我によって行うことであるし、
この状況からの脱却は既存の欲望と対立する新しい欲望でしかありえない。
何を目指しても、それは記憶、自我という現状が出発点であり、出発がここではゴールもきっとここだろう。
基本的に私は何ではだめだったかというだけです。
真実はそれ以外のところにあるでしょうから各自見出すことが肝要です。
というのもどうすればうまくいくという方法は存在しないからです。
どんな言葉も無心の契機としてショックを与えるからこそ働きがあるわけで、それを知識として利用しようとしたとたん、
新たな夢、欲望が生じ、自分の記憶や既存の欲望との葛藤が始まってしまうだけですから。
いくら知識があって、理解があって、美しい言葉が紡げても
悟りが何か分からなければ(これは例えですよ、勘違いしないでね!!)
絵に書いた餅に過ぎないと思うよ。
11 :
473:2012/06/11(月) 17:54:58.10 ID:6GFxU9yW
苦しみから抜け出すのではなく、苦しむ以前の元の状態を再発見なさいとは聞きます。
実際に見出したわけではないので自分の経験と、ブッダの言葉のすりあわせになります。
あらゆる道徳、あらゆる健康、あらゆる安息の概念、父子の概念、悟りの概念。
あらゆる過去にあったことの知識。
自我であり、苦しみはこれらに頼ろうとしてしまうので主体がこれである以上永遠にことは進まない。
あらゆる知識は重荷になる。
あらゆる過去のブッダの幻影は重荷になる。
それに目覚めれば、、、。
12 :
473:2012/06/11(月) 17:56:40.24 ID:6GFxU9yW
悟りそのものについては、語ってないからなあ。
13 :
ろん:2012/06/11(月) 17:56:57.35 ID:s5Lvt0vr
>>8
ぜんぜんちゃう。。
その堂々巡りはなぜ起こるか?
そんな堂々めぐりしてるアホはお前くらいだろう。。
何が間違ってるか考えてみろよ、そこがあんたのわかってないところだから。。
14 :
ろん:2012/06/11(月) 17:57:25.15 ID:s5Lvt0vr
>>9
同上ww
15 :
ろん:2012/06/11(月) 18:01:41.83 ID:s5Lvt0vr
出口があるから悟りがある、自由がある。。
出口があるのに、どこにもないと言う理論を自分で拵え上げて、そのがんじがらめで自分を縛っている。。
自分のどこが間違っているか?
謙虚に考え直すことができんのかねー。。
入り口が無いのに、出口があるとは????
摩訶不思議なこともあるもんだ・・・・・・
17 :
ろん:2012/06/11(月) 18:15:12.56 ID:s5Lvt0vr
入口もあるから出口もあるの。。
だから、その入り口、出口とは何かということだよ。。
18 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/11(月) 18:29:15.75 ID:sZ/ydLC4
>>17 なにうそこいてんの?Ron外 さん
> 入口もあるから出口もあるの。。 だから、その入り口、出口とは何かということだよ。。
19 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/11(月) 18:30:44.66 ID:sZ/ydLC4
>>18 >>17 なにうそこいてんの?Ron外 さん
> 入口もあるから出口もあるの。。 だから、その入り口、出口とは何かということだよ。。
何なの?
>>17 >だから、その入り口、出口とは何かということだよ。。
むむむ、出口や入口の無い俺には答えられない質問ですな。
いやはや、難しいですぞ。
なんで入り口はできちゃったんだろう?
入る必要はあったのか?
22 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/11(月) 19:27:18.05 ID:sZ/ydLC4
>>21 > なんで入り口はできちゃったんだろう? 入る必要はあったのか?
必要、不必要ではないのよ。
入り口の 入り に執着したんだよね。
出入り口
くち、と言ってもいいもの。
あれとこれを分別しない。
二は二では無い、一の如し、一如、と言うよ。さとり、だね。
なんで執着してしまうんでしょうか?
24 :
473:2012/06/11(月) 19:36:17.56 ID:6GFxU9yW
わかっているという自我の個人的な夢に付き合うのは日常であれどこのスレの趣旨ではないか。
別にわかる必要も無い。もともと迷いも苦しみも無ければ理解の必要も無いから。
自我が投影した出口をくぐってどこに行くのだろうか。
出口を求めなければ、出口という知識が無ければ、実際にある出口を通ることも出来うるでしょう。
しかし束縛そのものである自我が夢見る出口を通ってどこに行くのか。
ともかく、「自我や欲望をなくさなければ悟ることが出来ないと思っている」
これは非常に広汎なファクターです。
私の場合、(というかあらゆる人間のありふれた心理として)
「ちょっと気疲れしたから甘いものでも食べよう」
などとして欲望ゆえの苦しみや恐怖から逃げようとしてしまいます。
苦しみから逃げ悟りの夢を見ても、甘いものの感覚と同化して夢を見ても、
心の働きとしては非常に似通っています。
複数の欲望があり、欲求不満に陥るたびに他の欲望に逃げる。
その欲望の群れと矛盾が自我です。
そのように私は悟りを考えているわけではないのですが、日々の心の動きとしてはほぼ同一の逃避をしているのです。
25 :
473:2012/06/11(月) 19:40:49.92 ID:6GFxU9yW
入り口は不注意による同化で、出口は同化に気付くこと。
出口が無いとは語りません。
出口だと思っているもの、知識は、過去を参考にすることは束縛であるとは申しました。
それは出口ではないというのは出口がないということではないのです。
26 :
ろん:2012/06/11(月) 19:46:13.64 ID:s5Lvt0vr
>>24 出口は知識ではない。。
実際出た後に、ああなんだと振り返ってやっとこさ知るもの。。
知識と知って満足していたら、それは夢に過ぎない。。
夢の中にいるものが知れるかと言ったら、知識として知れるのみ。。
知識として知った時は、ホンマかいなとかホントかな〜と思うかもしれないし、
知識を得たと喜ぶかもしれない。。
しかし、それは解放の糸口であって、後方でも脱出でもない。。
というか、おれの言いたいことは、いろんな人が言ってることに過ぎんのだけどな。。
だって、原理は同じなんだから、誰でも同じような表現になることはあるのさ。。
そしてメモが終わると今度はコンドームを箱から出してチ○コにかぶせます。
するとFさんはブラを取り、そしてスケスケのパンティーを脱ぎます。
座ってるボクの目の前に立つとまたに手をやり、ここをエッチな目でいっぱい見るのよ!
って言い指を動かします。あそこにチ○コがはいるとすごい気持ちいいんだ!
ボクはそこばかり見てものすごいエッチな気分になります。
そしてまたからヌルヌルがドバッと吹き出してくるとクチャクチャと音を出してそしてヌルヌルが太ももを伝わってくるのが見えました。
ハアーン! もう我慢できないわ!そう言うと座ってるボクの上にまたがり、チ○コにまたを当てると下がって来ます。
Fさんのおっぱいが顔にかぶさり息が苦しいです、そしてすごい気持よさが来ます。
ハアーン! チ○コいいわ! ねえいっぱい気持ちよくなっていっぱい味わってえ〜、 そう言うとお尻をクネクネし始めるんです。
ボクはFさんにされっぱなしで必死でがまんします。
ずっとしてるとボクもFさんもすっごい気持ち良くなってきてがまん出来なくなって来ます。Fさんはすごい呼吸をしながらアアン! もうだめえ〜って言いだとすクネクネのスピードがどんどん早くなって行きます。
ボクだめ! そう言うとFさんは出して出して出してっええーーーーっ! と声を出しきると体がクッと固くなりそしてボクも精子をいっぱい出します。ものすごい気持ちいいです。
Fさんは落ちてきてがっちり抱き合ったまましばらくじっとしているとFさんはアアーン! と言ってボクにベロベロとキスをして来ます。ボクは背中をなぜたりお尻をなぜたりします。
Fさんの呼吸が静かになるとFさんはゆっくりと腰を上げて行きます、そして抜けた瞬間アアンッ! と声を出して腰をピクピクっとさせます。
そして座るとボクの前でコンドームをはずします。
ノートにえーっと快感5、11分、量5濃さ6ねと言いメモします。
そしてティッシュでボクのチ○コをきれいにしてFさんもまたをきれいにするとあーん気持ちよかったね!
って言うのでうん! 気持よかった! って言うとそのまま抱きあって寝ます。
28 :
ろん:2012/06/11(月) 19:49:19.49 ID:s5Lvt0vr
昨夜は9時間も寝て、それから2ちゃんに書いて、それから仕事に行った。。
いっぱいねたのが良かったのかも知れないな。。
昨日は久々に坐ったし、けれど、僕は今日は坐ってないし、仕事して同僚としゃべったってだけなんだけどね。。
僕はいつも学校に行くためにバスに乗ってるんですけど、
そのバスは右に曲がった
そのいつも乗ってるバスで、ある日おかしな事があったんです。
だって、いつものような、おばあさんもがいるから、
最後まで行ったんです。痛いから。
それで、そこまでは別に良かったんですけど、めちゃくちゃ
大きい紙袋の紙じゃない版みたいなのがあって、
ボールみたいなのもあって、シルクハットをかぶってる人も
いっぱいいたんです。
おかしいですよね?普通の道を通ってるのに。
それでもバスはずうっと普通に進んでたんですけど、
ある道を左に曲がった所で、いきなり急ブレーキをしたんですよ。
それで、本当に急にキー−−−って止まったんで、
中に乗ってた人が、バランスを崩してこけそうになったんです。
僕は席に座ってたんで大丈夫だったんですけど。
でも、本当におかしい事は、学校に行く直前に起こったんです。
そのバスはいつも、大きな公園の横を通って行くんですけど、
その頃、ちょうどそのいつもの道は工事してたんで、
ちょっと遠回りして、トンネルがある方の道から行ってたんです。
それで、そのトンネルのちょうど真中ぐらいまで通ったところで、
そのバスが”ガチャ” とか言いながら止まったんです。
僕はもちろんおかしいな、と思いました。
で、気づくと、バスは既に学校前のバス停に着いてました。
僕は、あれ?おかしいなぁ?とか思いながらバスを降りて、
その日も普通に学校に行きました。
そのバスに乗ってた人はもうみんな死んだんですけど。
31 :
ろん:2012/06/11(月) 19:59:48.18 ID:s5Lvt0vr
>>29 お題の途中だから、もうちっと後でね。。w
32 :
473:2012/06/11(月) 20:02:07.29 ID:6GFxU9yW
>>3 どうすればといいましても、どうにかしようとするのが自我なのですから、もともとある欲望の群れ、執着の群れにもうひとつ欲望が足されるだけのことです。
正しい考えも間違った考えも無いのです。どんな考えであってもそれは自我にとっては新しい欲望であり、欲求不満から逃れる新しい希望でしかありません。
どうすればいいか、どんな知識が必要かではなく、それを使う主体の理解が肝要です。
迷いの入り口というのはあらゆる考え方との同化、知識との同化ということも出来ます。
さすれば出口はその放棄なのでは。
しかし、私自身入り口ー出口という2元性。目的志向の表現は好みません。
現状認識と無欲がもたらされればという一心です。
そして無欲における即時の行為、知恵の働き。
それが起こらんことを。
>>23 不注意だったのですよ。多分。
無明がどうやって生じたのかというのは答えられない類の問いであったと記憶しています。
執着は、意識の不在において起こる。これは日々意識してあれば自身で観察できることです。
意識あれば、目覚めていれば、そこに執着は無い。かもしれない。
33 :
473:2012/06/11(月) 20:09:36.71 ID:6GFxU9yW
>>26 3や13や15は知識としての出口を振り回している人にありがちな表現に見えます。
基本的に自分がどんな表現をしているか自覚がないのでは。
3や13や15のような表現をして、単なる知識以上のものが伝達されるでしょうか。
また「実際出た後に、ああなんだと振り返ってやっとこさ知るもの。。」
のことでしたらあなたはそれを知らないでしょう。
34 :
ろん:2012/06/11(月) 20:21:04.58 ID:s5Lvt0vr
>>32 自我って必ず自分をどうにかしようとするものなのかね〜?
生活仕事でやることテキパキやってる時も自我は働いてるよね〜。。
この自我を無くす必要ってあると思うかい?
即時の行為・知恵の働きとは、必ず無欲によるものなのだろうか?
違うだろうね〜。。
よーく考えてみよう。。
あなたの言ってることは思い込みだから。。
35 :
ろん:2012/06/11(月) 20:22:29.14 ID:s5Lvt0vr
>>33 自分の意志によっては出れないよ、でも意志がないときに出てしまうわけ、意図せずにして。。
36 :
473:2012/06/11(月) 20:24:21.21 ID:6GFxU9yW
>>26 申し訳ない。内容を早とちりして33の内容を書いてしまった。
それを知らないが、知識として知ることは出来る。ということなのですね。
しかし、知識というのは基本的に束縛であり、人はそれぞれ好みのそれを持っていますのでさらにそれを押し付けられることを好みません。
人は知識ではなく、今自分に役に立つ知恵の方を求めています。
知恵はその人をより意識的にしますが、知識の方は新しい欲望の対象を提供するだけです。
また、人は実際に体得していないことを知識として提示する人を基本的に嫌がります。
知識の提供者としては善意でやっているのでしょうが、実際にはそれは、誰もが自分を実体以上に見せ付けたい
とおもっている普通の人間同士の間ではマナーにもとる行為なのです。
ろんさんの知識は、本を読めばそれを体得した、実際に苦もなく傲慢さも無いより完璧な表現で読むことが出来ます。
何故みんなは、悟ってない人間の未熟な人間性を内包した、本を読めば手に入る知識を押し付けられなければならないのですか。
基本的に人は体験が伴って、相手にそれそのものを分け与えられるような知恵は好きですが、
中身の伴っていない知識を提示されるのは嫌いです。それはあなたへの人々の態度を思い起こせば明らかでしょう。(表立って嫌うのが全員じゃないですよ)
多分あなたも嫌いなはずです。
あなたが本当はどんな人間であっても素のままのあなたで表現した方が、知識で身をまとっているより好かれるでしょう。
知ったかぶった方が同じく知識で身を固めたい愚か者からは崇拝されるかもしれませんが。
37 :
473:2012/06/11(月) 20:28:23.44 ID:6GFxU9yW
理解していないこと。出来ないこと。
それをわからないまま、できないまま、そのあるがままに目覚めているのは難しい。
どうしてもそれを知識としてわかったこと、出来ることにしてしまいたくなる。
本当には理解していないことを受け入れられず(生活のレベルでも)、それを知識でわかったということにして逃避すると。
一種の議論がましさ、そして一種の早口、まくし立てる態度が現れてくる。
私がそのように人と接するのは、あまりに広大な理解していないという現実を受け入れられないためだ。
(ついでに他人のそれがやたら目に付きだす)
今の構造は次の通りです。
今という一つの統体は五層の次元で構成されています。まず、静的に見ると。
一、産まれようとしているものが今産まれる、いわば、 今-今の構造関係、
二、産まれようとしてあったものが今ある、といういわば、 過去-今の構造関係、
三、それら上記二態が一挙に俯瞰される状態、いわば、 今-全体の構造関係、
四、そして今あるものがこれから動こうとして産まれる、いわば、 今-未来の構造関係、 の四態があります。
五、そして上記の四つをそれぞれ足らしめる基底音となる持続する創造能動意志が今の全てを貫いています。 いわば、今の持続。
これが現実に流れている今のスナップショットで、この五つに分かれました。
このそれぞれ次元の違う五つは、主体側から見られた今に成っている、今に成っていく今があるという関係です。
これはいわば、今において現在が成り立つ世界です。
それに対して、主体側に対応した受動側の客体側から見られた今があります。
今そこにある世界で、今そこにあったことが了解される世界です。
いわば今において過去が成り立つ世界です。
一’、産まれようとしているものが(今産まれる)今産まれた、いわば、 今-今となった関係、
二’、産まれようとしてあったものが(今あった)今ある、といういわば、 過去-今となった関係、
三’、それら二態が一挙に俯瞰された状態、今あるあったいわば、今-全体となった関係、
四’、そして、今あるものがこれから動こうとして産まれる、今ある今あるだろうといういわば、 今-未来となった関係、 の四態があり、
五’、そして上記の四つをそれぞれ足らしめる基底音となる持続する創造受動意志が今の全てを貫いています。 (能動受動の)今の持続。
これで今の過去−現在の実在は揃いますが、今はそのままでは出てきません。
つまり今の創造出現にはまだ至っていないということです。
上記十項目だけでは今はまだ出現していないということです。
上記は「今」ではなく、今の先天世界に実在している「今」なのです。
そこで今を出現させる魔法の味の素をふりかけます。
39 :
ろん:2012/06/11(月) 20:32:26.69 ID:s5Lvt0vr
>>36 あっはっは、僕の人格が嫌いなのか?
それとも、自分より何か知っている奴が嫌いなのか?
どっちにしてもそれを嫌うのは、あなたの自我であり、パーソナリティではないか?
それをこっちのせいにされても困るね。。
あなたは自分よりものを知っている者が嫌いだ。
なぜなら、自分こそがものを知っているものと思われたいからだ、と私には見えるが、違うかな?
自分が嫌いなのを、一般に人はとか言うなっての、だから、バカ丸出しだと言われるの。。
40 :
ろん:2012/06/11(月) 20:33:08.96 ID:s5Lvt0vr
あーあ、悟り以前に人格障害の治療が必要かもだわ。。w
41 :
473:2012/06/11(月) 20:33:24.38 ID:6GFxU9yW
>>34 無くす必要?については分かりません。
ただ、ある必要も証明されておらず、さまざまな可能性があるでしょう。
考え方と同化しないでこそ考え方は使えます。
生と同化しないでこそ自らの意思で生きられます。
自我とは本来召使であったものが主人であるようなあり方です。
在り方はいろいろあるでしょう。
全体性の営みがあるという表現もありますが、仏教の伝統ではそれを行う者は存在しないとなるのでしょうね。
行いも行う者も存在しない。
42 :
473:2012/06/11(月) 20:36:36.07 ID:6GFxU9yW
>>39 君ほど何も理解してない人間も珍しいでしょう。
そして、君は人々が知ったかぶりが嫌いで、君の書き込みを嫌っているということを理解していない。
どう受け取られるか理解していないで、全く善意で理解していない知識を提供している。
その悲喜劇です。
僕が考える魔法体系は、詠唱を重視しています。
術者が発する声を音叉代わりにしながら魔力の振動を調節し、
分子の振動と同調させて、結果、分子を支配下に置く。
そうして風や炎を操り、病や傷を癒します。
これが魔法発現までの、だいたいの流れです。
そもそもこうした概念を考えついたのは、
たとえばエクソシストが悪魔を祓うために聖なる文句を唱えたり、
やはり悪霊を祓うために僧侶が読経し、神官が祝詞をあげるのを見て、
「悪霊に言葉が通じなかったらどうするんだ?」と疑問に思ったのがきっかけです。
だってキリスト教徒だった幽霊にお経を読んであげたって、成仏するとは思えませんもん。
逆もまたしかり。
なら、言葉も文化も歴史的背景も異なるこれらの祈りが、等しく浄化の力を持っているのはなぜなのか。
僕は、言葉ではなく「声」や「音」はては「振動」にこそ浄化の力があるのだと考えました。
僕が詠唱に重きを置くのはこのためです。
ですから、歌や音楽にも魔力を込めることができます。
そもそも現実世界でも、たとえば名前をつけること、名前を知ること自体が、
その名前で人や物を縛るという、呪術的な意味合いを含んでいます。
魔力を持っているんです。
こういうふうに考えているものですから、
僕は、魔法と呪文は不可分な存在だと規定していますし、
そうした設定をしていることをファンタジー作品に求めます。
ただ詠唱省略も大好きです(笑)。
44 :
ろん:2012/06/11(月) 20:39:56.98 ID:s5Lvt0vr
>>41 だから、根本的なことがわかってないんだって。。
あなたは普通の人以上に、変なものに引っかかってるわけでしょ。。
何に引っかかってるのかという話。。
問題を作っているものがあるのだから、それを落とせばいいだけの話なんだよ。。
それは、自我でも欲望でもないの・・さーなんでしょう?
45 :
ろん:2012/06/11(月) 20:41:49.13 ID:s5Lvt0vr
>>42 知識なんて提供しとらんじゃないか?
考えさせようと、問題を出してるだけ。。ww
>>41 ちょっと待った
仏教では「行為はあるが行為者いない」と説明されていたはずですが、あなたの意見との違いについてお聞かせ願います
自分を愛するという行為は、健全な心の発達のためには必要なものですが、
それが病的に肥大化して自分に対する誇大感を持つようになると、それは自己愛人格障害と呼ばれるものになります。
健全な人のように、ありのままの自分を愛することができないのです。
御都合主義的な白昼夢に耽る。 自分のことにしか関心がない。 高慢で横柄な態度。 特別な人間であると思っている。
自分は特別な人間にしか理解されないと思っている。 冷淡で、他人を利用しようとする。
批判に対して過剰に反応する。 虚栄心から、嘘をつきやすい。 有名人の追っかけ。 宗教の熱烈な信者。
なんでも自分の思い通りになるという空想に耽ったりします。内容的には、自分の万能感を満たすようなものになります。
すべて自分にとって都合のいいように事が運んで、最後には自分が絶大な称賛を浴びるといったようなものです。
自分だけが特別に評価されて大抜擢され、とんとん拍子に出世するとか、もっと空想性が進んで行くと、
超能力的な力で現実を思い通りに動かすとか、あるいは過去にタイムスリップして、時代差から来る優越感に浸るとか、いろいろなパターンがあります。
たとえば自衛隊が関ケ原の決戦に参戦したらどうなるかなどという空想は、圧倒的な文明の差による優越感に浸ることができます。
聞かれもしないのに、やたらと自分のことをしゃべりたがる人がいます。
話が他へ移ろうとすると、強引に自分の話に戻そうとします。
話の内容は自慢話的なものばかりで、聞いている方はうんざりしてきます。
他人にはあまり関心がないので、相手がうんざりしていようとお構いなしです。
自分は特別な人間だ、パンピー(一般のピープル)とは違うんだという意識から、
小市民的な生き方を軽蔑し、そういう人達と一緒にされることを嫌います。
裏付けとなるものがなにもないのに、一目置かれる存在であることに非常にこだわります。
これらが
自己愛性人格障害
( Narcissistic Personality Disorder ) と呼ばれる精神障害です
49 :
473:2012/06/11(月) 20:48:05.71 ID:6GFxU9yW
好き嫌いは各々の判断だけど、影響の問題かな。
理解の伴わない知識の提示は提示する人も受け取る人もよし深い眠りに誘われる。
その影響を受けないようにしないといけないものだからちょっと大変かな。
もちろん目覚めることが趣旨の人もいれば知識を蓄えて眠ることが趣旨の人もいるのでそれぞれ自由にすればいい。
頑張れ悟りスト!
キチガイ文はスルーできるのに自分に該当する精神病語られると黙り込むのなお前らwww
面白すぎwww
52 :
473:2012/06/11(月) 21:03:28.14 ID:6GFxU9yW
>>44 その落とそうとする人じゃないかな。
48で42(36)のスルーを指摘されてるよ。あなたの主観と他者から見たあなたのずれの話。
わからないことを分からないままほっておけないというのは自分の主要な弱点であり、それを再認識するきっかけになりました。ありがとう。
>>46 今の私たちの観点から見れば、仏陀の行為は存在しています。
仏陀は行為者は存在しないのだといいますが、それはその時点で仏陀が説明しうる限界です。
しかし、あなた自身が消え去ろうとしているとき、果たして行為は今までのように存在しているでしょうか。
今は存在するものとして行為を見ますが、そのときは存在しないものとして行為が、、、。
53 :
473:2012/06/11(月) 21:08:39.02 ID:6GFxU9yW
>>48 ちょっと待て、それは一体どんな自己紹介かな?
投影について調べておいで。
お二方共にスルーですもんね
473さんに至っては自分のことは省みずスルーしていない他人について何か言い出すとは・・・
もうあなたの言うことは信じられませんね
55 :
ろん:2012/06/11(月) 21:28:47.93 ID:s5Lvt0vr
>>52 >落とそうとする人
まあ半分くらい正解かな?
4,50点くらい。。
要するになぜ無心に、単純に生きれないのかということだよ。。
欲望あったって、まっしぐらに、結果をそんなに期待せずに進めば、無心なわけだしねー。。
例えば、余計な欲のない受験生のようなものだ。。
志望校に受かりたいけれど、落ちるかもしれない、それはわかっている、落ちたら落ちたでしょうがない。
とりあえず、毎日コンスタントに勉強することにしよう。。
こう心に決められたら、その受験生は迷ってはいない。。
自我も欲望もあるにもかかわらずだ。
で、受験に欲などもってはいけないとか、努力してはいけないなどと思い込んでいる、仏教かぶれのおじいさんとか親などがいたら、
そっちの方が迷っていると言えるだろう。。
56 :
473:2012/06/11(月) 21:29:32.07 ID:6GFxU9yW
他者に執着してしまい関係を作ってしまうか、
他者に執着しないでそのときそのとき関わるか。
前者は己を見失ってしまう。
57 :
ろん:2012/06/11(月) 21:31:19.67 ID:s5Lvt0vr
たとえば、参考書を読んで問題を解く。。
この時、今の自分が正しいかとか迷っていないかとか欲があるかないかとか、そんな馬鹿なっことを考えるだろうか?
だから、そもそも大人になってから、余計な本を読んで、無欲にならねばいかんとかうんうん、嘘っぱちの知識によって迷うということなんだよ。。
あっちの馬みたいなのが、ホントは迷っていないのかもしれない。。
彼の悟り否定論は、破綻しているとしか言えないが。。
58 :
ろん:2012/06/11(月) 21:34:54.88 ID:s5Lvt0vr
>>56 だから、それこそあのタヌキじじいオショーの受け売りだろー。。
普通恋愛したり、誰かに憧れたりすれば、関係してしまうわけだ。。
それはまあそういう縁なんだから、そうなるというだけだ。。
いいもわるいも、悟ってるも迷ってるもない。。
己を見失うとか見失わないとかの問題でもない。。
問題を作ってるのは、タヌキじじいの本で余計な知識を身につけて信じ込んでしまったお前だけなんだ。。
この時、今の自分が正しいかとか迷っていないかとか欲があるかないかとか、そんな馬鹿なっことを考えるだろうか?
だから、そもそも大人になってから、余計な本を読んで、無欲にならねばいかんとかうんうん、嘘っぱちの知識によって迷うということなんだよ。。
まさか超一級のトンデモ論者のあなたがそんな事を言うなんて、、、これこそ 「お前が言うな」
61 :
473:2012/06/11(月) 21:55:24.87 ID:6GFxU9yW
自分の欠点や憎悪を投影した他者への執着
自分の憧れ、そうありたい自分を投影した他者への執着
自己の混乱を投影したゆえの、複雑に見える社会との格闘
全ての原因である自己と直面しないべく、心はこういったものに全力で、とてつもないエネルギーで逃避しようとする。
なんと言う執着か。
これらに囚われているとき、自分が完全にお留守に成っているのは確かであり、それは恐ろしいことです。
そういう心の働きを認識できたのもこれらのやり取りのおかげであり、そこからこういう書き込みがうまれるわけです。
自分の現在と関係無いことは基本的に受け売りであることを明記(暗示)しています。
執着してしまえば、つまり目覚めていなければ執着するのは不可避なのですが、あらゆる知識が束縛です。
狸爺の本を含めて全てがです。
日常に必須の知識もそれに執着しているのとしていないことが核心です。
そうやって誰もがそれぞれに問題を作ってますね。
58はろんさんが自分自身のことをそういえば自然に私も自分自身にそれを見ます。
それとも自分に見ないで他者に投影する手本を見せてくれているのですか。
62 :
ろん:2012/06/11(月) 22:05:51.29 ID:s5Lvt0vr
>>61 自己に問題があった場合、それはリアルでの自分の周りの他者が教えてくれる。。
自分が笑顔でw周りも笑顔であったらなら、何の問題もないだろう。。
自己と直面するって、誰が直面するんだ?
過去の自我を振り返って、今の自我がいいだわるいだ解釈するだけの話。。
社会的成長のためにはいいかもしれないが、悟りとは関係ない。。
ここらへん、クリシュナムルティと言う中途半端な弁舌家に騙されてるところだろーな。。
クリシュナムルティは、悟りの前段階のことを言うのに大半を費やしたのだろう。。
無心・静寂は、自己直面ではなく、自己放棄にある。。
すなわち、過去の一切の自己を振り返らない、振り返っても解釈しない、捨てるということです。。
後半2行意味不明、58はあんたの知り合いか? w
相変わらず"何をやってもいい"の域を出ない会話だな
64 :
473:2012/06/11(月) 23:12:38.02 ID:6GFxU9yW
直面しなければ、それと戦わずに、分析もせずに、それ(というか主体)が幻であることを見抜くことも出来ない。
幻かどうか見抜く以前に気が他のことに行ってしまっている。
過去の一切の自己全てに目覚めることからはじめなければいけない。
さまざまな観念が相対立して、今現在働いている複数の過去の一切の執着を同時に気付くことすらできない。
≫後半2行意味不明
同じ知識でも、言葉でもいろいろな印象を人に与えるものです。
58の表現からは静かに自己を見つめようというように誘導されるというより、
「自分もそうなのに何他人のことばっかり言ってるんだ」というように誘導されるのですね。
覚者はあなたは迷っている、とも私たちは迷っているとも、私は迷っているともどんな表現もします。(2番目3番目は人間一般という意味で使うようです)
ただ、彼自身が自分に十全に気付き他者に自己投影していないので、私たちにもそうあるように自然と誘ってくれるのですね。
意見の一致は対して重要なことではありません。主観としても表現方法の違いで別の意見に同じものがこめられますし、細部の違いや、やり取りにおける用法で相手にとっても全く印象が代わります。
55はさ
いわゆる現代の精神医学で定義する健康な人のことでしょう。
要はそのまま語られた悟りは否定して、いわゆる健康な人と合致する部分だけの悟りを認めている。
そういう対象としてはブッダより近代の禅の方がやりやすいね。
欲はいいけど、迷ってはいけない?
宗教は迷いから逃げず迷いを作る心の全容に目覚めることを提示しました。
それに迷わなければいいなら愚直に欲望を追いつつければいい。
そうやって眠りこけても迷いは回避できる。悟りの対極だけど、下手に悟りにむかうよりよほど幸せでしょうね。
最後は苦しむから目先の快楽に囚われるなと仏陀は言いますが。
>>62 >無心・静寂は、自己直面ではなく、自己放棄にある
>過去の一切の自己を振り返らない、振り返っても解釈しない、捨てるということです
その通りだと思いますけど、捨てるための方法はありますか?
人によるかもですが、ろんさんはどうやって捨てました?
>>63 おや、久しぶり。
まだ、世界の答えに拘ってるの?
無心・静寂を求めるなら自己放棄の前に言語的思考から距離を開ければイイと思うよ。
>>67 それは座禅とかですか?一時的には消えると思いますが、
継続して迷い、執着のない状態にもっていけますか?
69 :
ろん:2012/06/11(月) 23:35:16.92 ID:s5Lvt0vr
>>65 方法ねー。。
ある時自分が気にならなくなるのよ。。
それまで精いっぱい生きればいいんでないのかなー?
>>69 そのある時までの過程が知りたかったw
俺は前提で自己直面があると思う
何に執着して迷ってるかを解放してやれば、辿り着けると思う
精一杯生きるというのも当たってると思う
執着内容が実現不可能のものなら無理かもですが…
71 :
Ope:2012/06/11(月) 23:51:18.97 ID:8v3QimJq
質問スレだから 悟りを開いたことあるけど という人に質問!
どうして、幼い時の記憶がなくなるのでしょうか?
72 :
ろん:2012/06/11(月) 23:55:04.47 ID:s5Lvt0vr
>>70 何かを目指したり、欲したりって、人間として当然、それはそれでいいわけ。。
どんどんそれに向かって、やればいいだけでさ。。
それにたいして、今ある自分を評価したり是非善悪の判断を下す自己が余計なだけ。。
もちろん、時には省みることも必要な場合もあるかもだけど。。
今の自分を完全に変えなければならんなんてことは、そんなにないんでないかな〜。。
まあ人によるんだろうけど。。
73 :
ろん:2012/06/11(月) 23:55:58.11 ID:s5Lvt0vr
>>68 >それは座禅とかですか?
俺は座禅は殆どしたことがないよ。
単純に流れる思考にとらわれずに、ただ流し続ければイイよ。
そのうち思考が気にならなくなるから・・・・・
思考は注目しなければ沈黙するから、そうすればそのうち止まるよ。
>継続して迷い、執着のない状態にもっていけますか?
迷いは、意識の中の混乱状態が収まれば無くなるし、
執着は、この世界にも自分にも執着するようなモノが何もないって気付けば自然に無くなるよ。
75 :
Ope:2012/06/12(火) 00:01:28.06 ID:4aCpf0b7
>>71 記憶が無くなることはないよ、ただ思い出せなくなるだけ・・・・
77 :
Ope:2012/06/12(火) 00:02:37.63 ID:8v3QimJq
>>71 質問を訂正
どうして、成長すると幼い時の記憶がないのでしょうか?
78 :
Ope:2012/06/12(火) 00:03:35.50 ID:8v3QimJq
>>76 > 記憶が無くなることはないよ、ただ思い出せなくなるだけ・・・・
どうして思い出せなくなるのか?
>>3 俺に聞いてるのですか?そりゃ、わからないということがわかったとき悟りですよ・・・。
自我や欲望は悟りと関係ないし、俺みたいな禁欲主義のストア派みたいなのは趣味というかそういうマゾ体質とでもいうのか・・・
>>78 記憶が一定のルールに従わずランダムに保存されてるのと、
検索エンジンがボロいので古い記憶が検索されにくいから。
検索の糸口がある記憶は見つけやすいけど、糸口のない記憶は見つけにくいよ。
記憶の古い新しいはあんまり関係ないよ。
1週間前の何もない日の夕食を思い出すのは難しいけど
彼女との最初のデートの時の食事は1年前でも憶えてたりするもんね。
81 :
ろん:2012/06/12(火) 00:30:33.39 ID:dqMTaPBA
>>78 おぼろげながらしか覚えてないけど、何でもよく見てて世界が鮮烈で清新だった。。
アジサイの葉を伝う雨、カタツムリの目をつついて、引っ込んだらまた出てくる。。
5月になると、真っ赤なボタンが咲いて、6月頃にはタイサンボクだったかの白い花が咲く。。
そういう映像の世界だった気がするなー。。
僕は10歳とか、11歳くらいから、自我の世界に入って、なんか思春期ノイローゼというか、
そういう変なところに閉じ込められてしまった。。
今また世界が鮮やかさを取り戻しつつある、もとに戻りつつあるんかなー。。
要するに自我にとって意味がないから、忘れてしまう、物語化できないから、幼少期の記憶は思い出しづらいんじゃないだろうか?
82 :
ろん:2012/06/12(火) 00:31:36.29 ID:dqMTaPBA
>>79 幼い時、お父さんとお母さんとどっちが好きだった?
お母さんが好きなら、もともとはヘテロだった可能性もあるんじゃない?
彼女とのデートか・・。彼女がホテルに滞在してるとき夜に招いてくれたのに俺は何もせず帰った・・・。
今でもそのことを思い出すと全身が熱いんだ・・・恥ずかしさ・・いや、悔しさで・・・
>>83 過ぎた事は忘れたほうが精神衛生的にはイイと思うぞ。
仏によりかかろうとすれば、仏は逃げてしまう・・・。
仏を気にかけなければ、見えなくなってしまう・・・。
いつまでたっても平行線・・・。Es ist gut.
>>85 今の安堂がそのまま仏なんだぞ、気付いてないだけで・・・・・
>>86 じゃあ、今の俺がそのまま仏だと気づいたら、
「やった、俺そのままほとけじゃん!!!イェーーーーイ!!!」って調子に乗っていいですか?
>>87 調子に乗ってもイイけど、余りに普通すぎてガッカリするぞ。
だって、今と変わんないんだから・・・・・
>>88 ええ普通すぎるものです・・・。それより後に荘厳があるのです・・。
「まさにその者に荘厳させたならば、万物はすべて見事に荘厳されるであろう。」
>>82 仏にセクシャルオリエンテーションなんかあるわけないだろが・・・。
92 :
ろん:2012/06/12(火) 01:44:52.23 ID:dqMTaPBA
>>91 でも人にはあるで。。
>>85 早寝早起きして、身心をよく休ませるといい。。
今日のろんたんは何かおかしいで〜・・・。
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん、
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ。
仏は常にいませども、現(うつつ)ならぬぞあわれなる、人の音せぬ暁に、ほのかに夢に見え給ふ。
96 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 02:45:06.84 ID:rTqjgXBD
やけに進行してると思ったら、また、ロンと473がやりあってるのか?wwww
まさに、犬とサルだなwwwww
>>95 いいですねー。
>>94はNHKの平清盛で後白河天皇(松田翔太たん)が歌ってた・・・。
『梁塵秘抄』とかいうのらしい・・。
「うつせみは 数なき身なり 山川の 清けき見つつ 道を尋ねな」
大伴家持
>>86 なんで、仏であることを忘れてしまうのですか?
473たんはしゃべりすぎかな。oshoの影響か。oshoは哲学教授だったから
すべてを言葉で体系化して構築する癖みたいながあったんかのぉ〜・・・。
ろんたんは言語化体系化阻止の正統派なのねん・・・。ろんたん=仏。
102 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 04:05:23.40 ID:F0MQOf5M
ロンが仏のはずかないだろタコ
言っとくけどあんたも仏だからな
>>100 忘れてしまうって言うより、もともと知らないし知る必要が無いからだよ。
仏なんて勝手に名前を付けただけだし、仏っていう特別な何ががあるわけじゃないし・・・・
意識の混沌状態にある「私」と混沌の無い状態の「私」を区別するのに「仏」って呼んでるだけだしね。
>>104 なぜ混沌のある状態と、混沌のない状態があるのですか?
106 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 09:07:32.31 ID:rTqjgXBD
またまた、いつもの「みんな悟ってるよ〜〜〜」かい?wwwww
>>105 混沌のある状態は私の意識の中で、私以外のモノが
あたかも私であるかのように主張しそう思わせているのが原因です。
私以外のモノの中から私を見つけ出せば(ここの部分は例えです)自然に混沌は収まります。
今のあなたは混沌状態のはずですから、具体的な原因を知りたければ
自分の内面を観れば分かるはずです。
>>106 「悟りなんか無いよ〜〜〜、でも悟らないとその事に気付かないよ〜〜〜」です。
109 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 09:14:38.60 ID:rTqjgXBD
>>106wwwwww なんですか?
悟りがないのに、悟るとは?w 言葉遊び?www
110 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 09:16:03.50 ID:rTqjgXBD
もしかして、あれ?w
「悟りおわって、悟りなし」ww
ロンが大好きなやつwwww
俺に安価付いてないけど答えてイイのかな?
何か失礼だから止めとこうかな?
112 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 09:26:49.76 ID:rTqjgXBD
どうぞ、どうぞww
113 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 09:29:44.22 ID:rTqjgXBD
もしかして、アンカーミスのことか?ww
一々、訂正やアンカーふってなくとも、流れからわからんか?
他のやつ書き込んでないしww
>>107 だから、なぜ「あたかも私であるかのように主張しそう思わせ」るようなものが
あるのですか?それは一体、何のためにあるのですか?
>>113 このスレ、独り言書き込む人も多いんで俺なりに気を使っているのです。
コテハン書かれたり安価付けられたらキチンと答えます。
>>109 言葉遊びじゃないですよ。
悟っても悟りと呼べるような何かは何も無いですが、それは悟ってみないと分からないって意味です。
>>110 ろんは「悟りに終わりが無い」とも書いてましたから
同じ意味なのかは良く分からないです。
>>114 それは、この世界で生きるのに便利だからですよ。
117 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 10:19:54.57 ID:rTqjgXBD
>>115 >言葉遊びじゃないですよ。
>悟っても悟りと呼べるような何かは何も無いですが、それは悟ってみないと分からないって意味です。
「悟っても・・」「悟ってみないと・・」 という表現から、
『悟る』ということが、ある「心的状況」を指示していることがわかる。
言い換えれば、「悟る」以前は、「悟った」以後とは異なる心的状態であったわけだ。
その心的状況の変化を「悟った」と表現しているわけだろ?w
では、「悟り」とは?w
「悟り」と呼べるようなものが無いとわかること?ww
悟りがないのに、「悟る」とは何?www
>>116 では結局、混沌のある状態と混沌のない仏の状態では、どちらが便利なのですか?
>>117 >では、「悟り」とは?w
>「悟り」と呼べるようなものが無いとわかること?ww
>悟りがないのに、「悟る」とは何?www
いや〜恥ずかしい話だけど、それが分からないんだよ。
悟ったと思った当時は、悟りが何かハッキリ言えたんだけど
悟りが無くなった今では、それがどんなモノか思い出せないんだよね。
慣れって怖いね。
>>118 世界や私が確実に存在してると思えるのなら混沌のある状態の方が便利、
でも、世界や私の存在が不確かなモノに思えるのなら混沌の無い状態の方が便利。
121 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 10:37:15.48 ID:rTqjgXBD
>>119 wwwwww 何だ、結局わからんのか?w
>いや〜恥ずかしい話だけど、それが分からないんだよ。
別に恥ずかしい話だとは思わんがww
何か分かったような気になって、やたらと説教口調で
「悟りとは・・・・・である。」なんてやってるバカの方がよっぽど、
恥ずかしいと思うぞwwww
んで、オレムのその悟ったと思った状態は、少なくとも持続性は欠如しているわけだww
さらに、その当初の「何を悟った」と思ったのかという記憶もないw
ん〜〜〜〜、それなら、現在言えることは、「過去において悟ったと思った」
経験がある ということだけか?
>>120 実際はどちらなのですか?確かなのですか?それとも不確かなのですか?
123 :
神も仏も名無しさん:2012/06/12(火) 10:50:17.76 ID:rTqjgXBD
>実際はどちらなのですか?確かなのですか?それとも不確かなのですか?
少なくとも、今、こうやってレスのやり取りしてるレベルにおいては
「確か」だわなwwwww
「目の前のりんごは実は存在してない。」・・・なんて言っても、
「お前は今、パソ使って書き込みしとろうがあ。」と突っ込まれるwwww
>>122 それは俺に聞く話じゃなくて、あなた自身がどう感じるか?どう見えるか?って話でしょ。
まず、あなたには世界がどう見えるの?
>>124 それは私がどう感じるかなのですか?一つではないのですか?
なぜ二つの状態があるのですか?一つじゃだめなのですか?
>>121 上手く伝えられるか分からないけど・・・
>んで、オレムのその悟ったと思った状態は、少なくとも持続性は欠如しているわけだww
元に戻ってはいないから、ずっとその状態のままだと思うけど
これが普通になったんで特に「悟っている」って感じじゃないです。
>さらに、その当初の「何を悟った」と思ったのかという記憶もないw
その当時は悟る前の自分と悟った後の自分を比べて
変化したところを「○○を悟った」って言ってたんだけど
今では悟る前の自分を思い出せないんで、何を悟ったかは良く分からない。
>ん〜〜〜〜、それなら、現在言えることは、「過去において悟ったと思った」
>経験がある ということだけか?
誤解を恐れずに言うと「悟りなんて無かったよ」っていう事だけかな。
>>125 >それは私がどう感じるかなのですか?
世界がどう見えるかは人それぞれ違います。
あなたが世界をどう見るかは、あなた自身が決める事です。
>なぜ二つの状態があるのですか?
2つの状態の違いは分かりますが、
どうしてその状態が存在するのかについては良く分かりません。
128 :
473:2012/06/12(火) 14:19:48.10 ID:Do9fFyBk
現在主に活動している記憶や思考に乗っ取られてしまっているので、幼いころのままの記憶は抑圧されてしまう。
現在の自分の人格と子供のころの人格が同時に表出してきたらそれはとてつもない矛盾であり葛藤であります。
現在主に活動している思考と記憶、それに目覚めていることが出来れば、それによって覆い隠されているものも包括的に意識することが出来るのではないでしょうか。
目覚めが無ければそれらはただ主権を握ろうと合い争うだけです。
その状態がつらいのでどちらかがどちらかを抑圧します。そうそう幼児退行は起きずに大人としての人格が支配権を握ります。
私自身の支配権すら。
>>119 あなたにとっての悟ったということと、いわゆる昔から話題にされている、そして何よりここで話題とされている、「悟りといわれているもの」が別のものだからややこしくなるんじゃないかな。
あなたが何かを悟った。それには何も問題は無いのです。しかし「悟り」と昔から言われているものがあり、言葉は同じでも内容に相当の差異があるのですね。
あなたのはいわゆる口語の日本語なのですが、ここに来る人はそういう意味で悟りという言葉を捉えない。結果話が通らない。
>>128 >あなたにとっての悟ったということと、いわゆる昔から話題にされている、
>そして何よりここで話題とされている、「悟りといわれているもの」が
>別のものだからややこしくなるんじゃないかな。
なるほど、言われる通りだと思います。
俺もいろんなスレでいろんな人に聞きましたが
未だに答えてもらったことの無い質問をあなたにします。
あなたにとって「悟りとは何ですか?」
そして、それは全ての人に共通する「悟り」ですか?
130 :
473:2012/06/12(火) 16:43:51.18 ID:Do9fFyBk
>>129 悟りそのものについては知りません。
生死に深刻にならず、ただ生き延びるために生まれたのではない人間の本性にそって自在に生き、死ぬ。
などと表現しても、結局私が想像するものはどこまでも私の、私の執着の延長上です。
いわゆる悟りとは何か。
いわゆる人々が話題にする悟りというのは悟った人といわれるような人の、言動ではないでしょうか。
その言説、言説に裏打ちされた実際の人生。
病気や処刑を当たり前のように受け入れた数々の逸話。
そして今での触れられる不思議な響きのある彼らの言葉。その言葉はその覚者によってあまりにまちまちで、
時に対立すらすることもありますが、その不可思議な響きは変わりません。
私ーあなたの関係、自我の対立を鎮める様な響きがあるのです。
それは彼らの中に矛盾が無く、彼らの内側に敵がおらず、然るに外側にも敵がいないからでしょう。
私たちは誰かを敵視して自分のごたごたから逃げるという強い心理的必要を持っており、彼らのように振舞い続けることは出来ません。
そういった悟った人々の人生や逸話などへの憧れ。その憧れがいわゆる悟りなのだと思います。
それ故に、その憧れの対象に満たない人が悟ったというと物議をかもし出します。
(ただ、これは本当に悟った人でも、過去の悟った人への憧れに基準を満たすことができないので
本物の人も受け入れられないことは多いでしょう。)
私にとって悟りというのは何か。
まず私とは何かということが先に来るのだと思います。
私が知るのではなく私を知るということ。
悟りはこんな生き方、あり方が可能なのだというひとつの可能性です。
しかし、それにあこがれてそうなりたいと欲して他の欲望と葛藤してしまいます。
彼らは言います。悟りの働きは求めて手に入れるものではなく、内在するそれを再発見することだと。
私にとって悟りとは何か。
無自覚に覚った人にあこがれてしまう部分はあるのでしょうけど、悟りそのものを考えることは殆どありません。
何かを理解することではなく、理解する主体である私に目を向けることのきっかけになったのが悟りという概念だったかと思います。
131 :
473:2012/06/12(火) 16:59:51.17 ID:Do9fFyBk
これが問題だというと、その構造に敵対することで逆にそれを強めてしまう。
かといって自分自身に無自覚だと問題に気付くことすらなく苦しみのパターンを繰り返す。
ただ見守っていてごらんといわれる。
あまりに頼りない言葉だけど、これ以外は全て災難に帰結するのではないだろうか。
分析しても無意識でいてもどちらでもだめなら他に、、。
>>130 悟りについて語るのに不都合があるようですので、
今後は自重します。ゴメンナサイ!!
>>1 ろんさんスレ立てありがとうございます
m(_ _)m
お茶をどうぞ
>>9 >考え方そのものは使いこなせるうちは何もかもがゲーム感覚でありそこに深刻さは無い。
♪そう、ゲームがゲームだとわかってやっているのなら楽しいですね
>>77 >どうして、成長すると幼い時の記憶がないのでしょうか?
むむ!難しい質問ですね
降参ですm(_ _)m
そもそも何故記憶ができるのかも謎です
ちなみに人間の脳細胞は一年足らずで全て入れ替わるらしいですよ?
>>130 >悟りそのものについては知りません。
偶然ですね、実は私もです(笑)
>>132 敢えて悟りという言葉を使うと、悟りという言葉の持つイメージに振り回されますよね
でも、とりあえずその状態を人に示そうとすると、そう言うしかないかな…と
>「悟りなんか無いよ〜〜〜、でも悟らないとその事に気付かないよ〜〜〜」です。
この矛盾こそが、言葉じゃないことを言葉にしたときのリアリティだと思う
だってそうだもん
悟りについて語るのに不都合がある!
まさにそのとおりだ…本質において
"一周した"とかそういう話だろ。ありふれた表現じゃねぇか
>>138 うんありふれてる
ありふれててうけうりな言葉と
ありふれててもリアルなのとあって
なんかこの人にはリアルさがあるな〜って感じたので
「悟り」については、決して言葉にすることなかれ・・・。
語り出した瞬間から全く別のものになってしまう・・・。
ID見たらスレ立てはろんたんか・・・。
御苦労様でござる・・・。
142 :
神も仏も名無しさん:2012/06/13(水) 02:11:14.20 ID:e9q586XJ
>>140 お前も、悟りについて語るの大好きだろうがwwwww
まあ、お前に限らず、このスレは「語りたがる奴」ばっかだがwww
>>142 俺もいろんな方から御指南を受けて学んだのでござる・・・。
わかったフリをして、ごちゃごちゃしゃべるのが最悪極まりなしと・・・。
「わかったつもり」が危険なんだなあと思う・・・。
「言葉にする」ってのは、大したことなさそうで、道を踏み外し続けることにもなり兼ねん・・・。
気をつけねば気をつけねば・・・・・・。
144 :
神も仏も名無しさん:2012/06/13(水) 03:53:49.77 ID:e9q586XJ
>>143 ありゃ?ww 安堂もついに進歩したのか?wwww
勘違いバカ卒業?www
立体駐車場みたいに、一回りしたら
上の階に行くんじゃないの?
少なくとも、スタート地点とは違う風景のはず。
宗教板では、まちがって一回りして下の階に
行っちゃったヤツよく見かけるけどね。
>>1 おそくなりましたが、
スレ立てありがとうございます。
>>145 上の階も下の階も無く、一回りもしない。
ずっと、ここにいる。
>>142 >このスレは「語りたがる奴」ばっかだが
実際言葉では悟りに限らずリンゴの味さえ伝えられませんね
でも言葉がただの言葉だとわかっているのなら人は言葉で遊ぶこともできるのです
まあ悟り子のイメージではここは一種の悟り同好会スレですね〇
意見に意見をぶつけても、巡る輪に更に輪を掛けるだけで、
火に油を注ぐようなものだと思うのです。
火がついたら消えるのを待つのです。
そんな人が見守るスレになっている気がするのです。
悟りは議論の中では窒息してしまい、沈黙のなかでのみ
呼吸できるものではないかとも思うのです。
何が言いたいかというと、amaさんの沈黙もまた一つの
語りなのだと思うのです。
>>146 さりとて、人は言葉を紡ぐもの。
そんなときは表された言葉より、その言葉が紡がれた
背景に重きを置いたほうが良いと思うのです。
151 :
ろん:2012/06/13(水) 21:49:54.04 ID:5xSUNhRN
語るに堕ちるって言う話があるからな。。
ニ、三こと言って、わかるやつはわかる。。
わからん奴は縁がないのかも。。
達磨さんも武帝と問答して、こりゃダメだと思って、長江を渡る。。
そして弟子が現れるまで面壁九歳。。
152 :
ろん:2012/06/13(水) 21:52:50.85 ID:5xSUNhRN
町野さんは、法によって法を示すって言ってるね。。
心印を伝うともいう・・如何なることか是。。
自ら法になってるかどうかってことかなー。。
153 :
神も仏も名無しさん:2012/06/13(水) 22:46:38.30 ID:e9q586XJ
>>149 >まあ悟り子のイメージではここは一種の悟り同好会スレですね〇
「悟り同好会」 というよりは、「悟りオタの自慢会場」www
自己承認欲求の権化が、「見てみて、俺ってわかってるよ〜〜〜〜」と
言い合う場wwwww
154 :
Ope:2012/06/13(水) 23:49:02.54 ID:adhBp5bQ
>>135 > そもそも何故記憶ができるのかも謎です
> ちなみに人間の脳細胞は一年足らずで全て入れ替わるらしいですよ?
どこにあるのでしょうね
それは解かりません
>>76 > 記憶が無くなることはないよ、ただ思い出せなくなるだけ・・・・
記憶は一部だけ覚えていると思うけどな
>>80 > 彼女との最初のデートの時の食事は1年前でも憶えてたりするもんね。
オレムは食事に愛着があるようだな
>>81 > 要するに自我にとって意味がないから、忘れてしまう、物語化できないから、幼少期の記憶は思い出しづらいんじゃないだろうか?
そうかもしれないけど
155 :
神も仏も名無しさん:2012/06/13(水) 23:55:53.12 ID:3mzjsILE
根っこに絶望と混乱があるものだから何かがわかったという夢はそれは安堵を感じるもので、
それをみんなと分かち合いたいとそれは愛情が沸いてくるものです。
そういった主観的な理解は、客観的にはその根っこの絶望と混乱の表現でしかないのが悲喜劇です。
そういった慈愛にあふれた正しく物事が見ることをできる人こそ、互いに互いの頭をかち割り始めます。
私たちには宗教でも食べ物でもファンタジーでも物欲でも、あらゆる慰めがあり、夢がある。
あらゆる夢は事実である私の心、私の体、世界と対立せざるを得ない。
何にも慰めを求めない人は自由であり、何とも対立しないかもしれません。
156 :
Ope:2012/06/14(木) 00:19:56.75 ID:Gg1AuRya
乳幼児の記憶は成長と共に思い出せなくなるけれど
後に思い出すようになることもある
そうしたら、なぜ思い出せなかったのかがわかる
例をあげてみると
臨死体験で、一生の記憶が走馬灯のように甦るとういうのがある
これはどうしてだろうか
乳幼児期の記憶が成長と共に思い出せなくなる
これはどうしてだろうか
もうおわかりだろうか
自我の成長と共に思い出せなくなり
自我の死と共に思い出すようになる
157 :
ろん:2012/06/14(木) 00:23:18.45 ID:Vf8u37Gm
悟りは理解じゃない。
理解とは、水泳に例えれば泳ぎかた。。
泳ぎ方と実際に泳ぐことは別。。
これだとOPEさんが昔言ったこととかぶっちまうなー。。
自転車の乗り方みたいなもんか。。
乗れてる時には、どうやって乗るのか聞かれても説明できないみたいな。。
amaさんとオレ無さんは悟っているように感じる
まじめにROMってないから、ほかにもいらっしゃったらごめんなさい
159 :
ろん:2012/06/14(木) 00:24:54.24 ID:Vf8u37Gm
>>156 ほう・・煩悩にまみれてると思いだせないのか、こりゃやられた。。w
160 :
Ope:2012/06/14(木) 00:31:49.52 ID:Gg1AuRya
>>157 > 悟りは理解じゃない。
理解とは概念化して納得することだからね
>>159 あっしも煩悩にまみれてます。
>>158 あと、悟り子さんの3人ぐらいかな
>>148 レス遅れました。
2時間あるんですね、時間がある時ゆっくり見ます。
>>154 >オレムは食事に愛着があるようだな
どちらかといえば、彼女に愛着があるのかもしれないね。
>>156 >もうおわかりだろうか
>自我の成長と共に思い出せなくなり
>自我の死と共に思い出すようになる
過程をすっ飛ばして結論だけ書くと、トンデモ論っぽく聞こえるよ。
>>158 >amaさんとオレ無さんは悟っているように感じる
簡単に人を信じてはいけない。
もし俺が、自分の作り出した妄想を事実だと信じて疑わない妄想病患者だったらどうする?
>>163 どうもしないです。信じているとか書いてないでしょ?感じているんだから。
この場合、私はオレ無さんをを信じているんじゃなくて、自分を信じている。
だから、ご安心を。
ああ…すいません。ご謙遜ですね。さすが。
165 :
ろん:2012/06/14(木) 01:17:25.55 ID:Vf8u37Gm
さっき一柱(ホントは火辺)坐ったぜ〜。。
今日は上出来だわさ。。w
166 :
ろん:2012/06/14(木) 01:19:22.88 ID:Vf8u37Gm
自我ってもんは、余計なものなのかもね。。
今に落ち着くとか言ったって、結局これがあると、いろいろ問題なんだわさ。。
ただの俗物になっちまう・・うーん、やっぱり、もうちっとダイエットかな。。
167 :
155:2012/06/14(木) 01:20:04.04 ID:fJrJ9ghi
本当に言葉は相互理解のための道具というより、誤解を積み重ねる原因のようです。
生活の手段としては有用ですが、心理的な伝達、共感ということになりますと、言葉など無く身振り手振り表情だけの方がはるかに容易でしょう。
というのもその障害である第一の要因が無いからです。
「悟り」というものの、全て「その人の言うところの悟り」であって、実際に指し示されているのはそれぞれ別のものだ。
同じ言葉だから同じ意味なのだろうと期待するが実際は異なるので、言葉に頼りがちな我々は人の意見に当惑する。
文章全体の感じとその対応からその人そのものが現れる。
単にロジックというだけでは、構成する単語が指し示す対象も異なれば、その理論が指し示すイメージも全く異なるので、
同じロジックを述べても、述べる人によってその人が表現している事はまったく別のことになる。
言葉はこのように本当に当てにならないものだから、便利な道具として使って、あまり心理的に深刻にならないようにしましょう。
科学であったり、塩を取ってもらうためのもので、心理的には言葉は誤解の種です。
意思の疎通というのは他者、経験の蓄積である他者の主観を内部に再現することが出来、
相手の言葉がどんな概念を指すか内に構築できるのでなければ不可能だ。
そして、今のところ私が陣取っているから、いったんどいてもらわないことにはその作業は出来そうにない。
今出来ること?
いやいや、今「起こる」ことは、「私」と同じ夢を見ている人を好きになって一緒により深く眠るか、
自分が抑圧している夢を表面的に見ている人を嫌いになってやはり自分の夢を強化するかです。
その起こることを見つめることで、その私の構造全体が開示され、全体が開示されたものはその影響を脱することが出来ます。
好きな人に夢中にならず、嫌いな人に夢中にならず、好きと嫌いの葛藤、その構造全体に目覚めるのです。
異なる定義の同じ言葉。自我は全く一人ぼっち。
それを受け入れられないから深刻になってしまうし、悟りたいと思ってしまうかもしれないが。
これが現状だと受け入れられたらもう笑ってしまうのでしょうね。
168 :
ろん:2012/06/14(木) 01:22:26.90 ID:Vf8u37Gm
時は百代の過客にして 行き交う人もまた旅人なり。。
なんか坐禅したらこれ思い出した、なんでやろ。。
坐禅修行者ってのは、昔は旅しながら、修行したもんなんだよなー。。
ひとところに留まると、いろんなしがらみとか執着とか生まれるからなんだろう。。
おいらも気楽な旅人なり、ちょっと地球観光に立ち寄っただけよーん。。
169 :
ろん:2012/06/14(木) 01:24:51.23 ID:Vf8u37Gm
日本人だからとかアジア人だからとか関係ないんだわさ。。
たまたま日本人に生まれたまでのこと。。
あんまりそれに拘っても意味ないんだろうな。。
願はくは 花の下にて 春死なむ
西行法師
171 :
ろん:2012/06/14(木) 01:38:33.81 ID:Vf8u37Gm
願わくば、美女のおまたで腹上死。。w
修行の人、すべからく本源を了るべし。
もし本源を了らざれば、法を学ぶも益無し。
いわゆる本源とは、自性清浄の心なり。
ポッたんは太政大臣禅師となりて、
権勢振るう弓削道鏡と、
同じ輩に見え給ふ・・・・
悟りを見よ!見えるものか・・・
悟りを聞け!聞こえるものか・・・
悟りよ、汝は何処にあらんや?
我が受けたるは幻の悟章なりや・・・
悟りがコンテンツになる時代。
平和だ
抜き足差し足忍び足・・・
かの間諜め、終に姿を見透かせず・・・
外は無明 無明 無明 悟りが欲しくて
狂った無明 悟りはいなくて
修行をあおる雨粒が
窓にツメをたてる
一人 苦 苦 苦 胸が痛くて
一切皆苦 ころげまわるよ
なくしそうな禅定ほど
人を壊せるくらいに美しい
絶望は ひたひたと
ゆっくりとやってくる
いつからか ウソと判るウソ
君は上手になった
悟りだけが私の劣等感を埋め合わせてくれる・・・
>>160 >あと、悟り子さんの3人ぐらいかな
これはないな
悟り子さんオレさんが悟ってると言えるなら、ここのコテハンは
そうじて悟ってるって言えるよ 理解はしてるからね
みんな、医学生ではあると思うよ でも、実際に手術できる医者かはまた別
>>179 >みんな、医学生ではあると思うよ でも、実際に手術できる医者かはまた別
上手いこと言うね。
でも、本当に手術できるのは悟ろうとする本人だけで、
医者はただ見守ることしか出来ないと思うよ。
>>145立体駐車場は、中国仏教に言う仏向上と仏向下のつもり。
仏向上に向かえば言葉を失ってしまい、仏向下に向かえば
不平不満、怒りと恨みに満ちて、瓶の中の食べ残しが腐って
蛆虫がわいているところを見ることでしょう、とかなんとか・・
183 :
神も仏も名無しさん:2012/06/14(木) 09:21:51.61 ID:FWr9EW7V
>>178 wwww あっれ〜〜?
>悟りだけが私の劣等感を埋め合わせてくれる・・・
こういうことが言えるようになったんだ、安堂はwwww
鬼和尚風にいえば、
「そうじゃ、そうやって己の心を観察するのじゃ、わっはっはっは〜〜」
と、いうところか?wwww
本当の瞑想は瞑想者が死んだときに始まります。
どこかに行こうとしているとき、ブッダになろうとしているとき、涅槃を得ようとしているとき、瞑想者はまだ生きています。
最初はそれが自然ではあります。もちろんあなたは目的を達したいのであり、そうでなければそもそも修行など始めたりしません。
しかし、時を経るうちにおのずから、そのような目標も概念にすぎないのであり、かえってそれが苦しみの元になることを理解するようになります。
修行が進むにつれて、観察以外には何もないといった、対象への明け渡しが生じます。私たちは対象とひとつに(なる)のではありません。すでに対象とひとつなのです。
私たちを対象と隔てているのは胃の痛みではなく、もっぱら自意識なのです。そしてそれがあらゆる問題をつくり出しているのです。
自意識を手放すにつれて、私たちはありのままの自分になっていきます。私はこの瞬間胃の痛みであり、呼吸であり、遠くでガタガタいっている機械の音であり、
窓の外でカーカーいう烏の鳴き声であり、ページの上を走っているペンです。あなたはこの書かれた文字を読み取っている目であり、
あなたに起こっているその他すべてのことです。次の瞬間には、また何か別のものになっています。そして何が起ころうと、つねにそれが私たちの在りようなのです。
「何を話しているのかさっぱりわからない」と感じても、気にしないで下さい。私が説明しているのは、修行が向かって行く方向についてです。三昧(サマーディ)が強くなるにしたがって、
自分が何をしているかにつての意識は弱まり、自分が瞑想者であるという意識も弱くなっていきます。瞑想しているあなたは存在しないのです。
ただ瞑想があるだけです。
ぼくはこの言葉が好きです。
>>181 透明人間 あらわる あらわる
嘘を言っては困ります
あらわれないのが 透明人間です
消えますよ 消えますよ き・え・ま・す
186 :
ろん:2012/06/14(木) 18:34:16.83 ID:Vf8u37Gm
自分はこういう人間だと想定することが、自我をつくる。。
そのような自分を無意識に演じる、人に認めさせようとする。。
ワンマンショーの、芸人魂。。w
芸人はそれを意識的にやり、そうでないものは、無意識的に行うだけ。。
長文書きこむのは、オショーの演説のなりきり、カラオケマシーンか。。ww
187 :
155:2012/06/14(木) 19:14:51.35 ID:fJrJ9ghi
>>184 ありのままの自分は自分に執着しないことで現れてきます。
自分を嫌ったりしないし、好いたりもしないことで。
こうだったら、ああしておけば、こうならなければと思うことの根源的な滑稽さを認知することで。
ありのままの自分が現れるにつれ、自分という感覚はだんだん希薄になってゆきます。
自らの現われを私だと感じてそれと同化し執着する必然は無いのです。
それを見つめ楽しむ。
あるがままの自分とはこの瞬間の現れであり、それを好く必然も嫌う必然もないのです。
自分を好いても嫌ってもそれは外界に何かを要求することにつながり苦しみの元になります。
188 :
ろん:2012/06/14(木) 19:52:50.27 ID:Vf8u37Gm
>>187 ありのままの自分なんてどこにあるんだよ。。ww
ほんにアホ。。
どうしてもアドヴァイザーでいたいのかねー。。
それがお前の無意識であり、無明なのだよ。。
189 :
ろん:2012/06/14(木) 19:54:09.79 ID:Vf8u37Gm
自分なんてもんは、自他の主観の中にしかない。。
客観的には存在しない幻想。。
どうしてわからんのだろうか?
>>150 シンプルamaさんも美しいですね、ノリノリamaさんも好きだけど(は〜と)
...コホン、沈黙が至福であり言葉が知恵であり動機が愛なら最高です
...そして、アスファルトの裂け目にも花は咲き、流れる河にも雪は降るものです・
191 :
155:2012/06/14(木) 20:16:19.00 ID:fJrJ9ghi
自己認識というのは厄介なものです。
それは無常である自らの現われと対立します。
またその自己認識は、他者からの認識と対立します。
他者からの認識は無数にありそのどれもが矛盾します。
と、そういえばおかしなことです。
自己認識はどこから生まれるのでしょう。
自分ひとりしかいなければ自分を定義する必要性は無いのです。
自己認識はまず、他者からの認識が先にあり、その他者からの認識の群れの中で、
好ましいものを自分だと思い、そうでないものは抑圧するのではないでしょうか。
しかし、自分を好いてくれた人の、嫌ってくれた人のすべての評価は私たちの記憶にあり、
それに目覚めていない限り、私たちはそれらの評価を自分だと思い続けることになります。
愛された記憶と憎まれた記憶の葛藤があり、それゆえに外部の人間の態度に非常に影響を受けます。
愛された記憶にしがみつき、外界の人間にその発現を期待することが葛藤の元に思います。
>>189 「客観」
この言葉で自分の主観性から逃れられたような気になるのが言葉の怖いところではないでしょうか。
>>153 >自己承認欲求の権化
承認欲求と否定欲求
人は人を恐れ人を愛し、人を憎み人を求めるものなのかもしれませんね
案外多くの人の心がこの二つの極の間を行ったり来たりして様々なドラマが生まれているような気もします
193 :
155:2012/06/14(木) 20:19:25.23 ID:fJrJ9ghi
問題を概念化し、解決を概念化する。
この場合問題を主観と定義し、解決を客観と定義する。
しかし、それはすべて個人的な思考の枠内に過ぎない。
現実は何も変わらないどころではなくより混乱してしまいます。
>>156 >もうおわかりだろうか
自我の成長と共に思い出せなくなり
自我の死と共に思い出すようになる
なるほど勉強になりました
m(_ _)m
そういえば4スレあたりでそんな話をされてましたね
伏線が回収されて嬉しいです
(-^〇^-)
>>157 >理解とは、水泳に例えれば泳ぎかた。。
泳ぎ方と実際に泳ぐことは別。。
まず理解で水への恐怖を和らげ
次に浅いプールで水に慣れさせ
次にビート板、次に水に顔をつける訓練・・・
とゆう手順も人により役立つかもしれませんね
>>167 私達は言葉で寂しくなっている部分はすごくありそうですね
たった一日、誰も何も(自分も)裁かないでいられたら・
197 :
ろん:2012/06/14(木) 20:58:04.68 ID:Vf8u37Gm
>>191 だからお前が自分に執着してひっつかんでるから、問題だというだけの話。。
しかも御大層なものと思い込んでるからお笑いだ。。ww
自分あったって、大したものを思わなければ、大した害はないんだが、
おまえみたいなスピリチュアルバカ、お悟りバカの、たぬきオショーフリークは自分が全く見えてないのさ。。
教えを垂れてるつもりが、バカ垂れ流しの自己プロパガンダにしかなってないのにはやく気付っての。。
198 :
ろん:2012/06/14(木) 20:59:51.39 ID:Vf8u37Gm
>>195 ホントはただ単純に生きるというだけなんですけどね、生きるという意識もなく。。
どこにもとどまらずに。。
199 :
155:2012/06/14(木) 21:12:01.95 ID:fJrJ9ghi
問題を概念化し、解決を概念化する。
この場合問題を主観と定義し、解決を客観と定義する。
しかし、それはすべて個人的な思考の枠内に過ぎない。
現実は何も変わらないどころではなくより混乱してしまいます。
200 :
155:2012/06/14(木) 21:19:14.01 ID:fJrJ9ghi
教えを垂れてるつもり
そう見えるということは、そう見る人は教えをたれて生きているのでしょうね。
折角あなたとの関わりが問題提起になっていろいろなことがわかってさまざまなことが生まれているのに。
受け売りには受け売りの、そのときの実際のその人の認識から表れる言葉には違いがあります。
その違いを明確に指摘するのでしたらそれは面白い試みではあります。
(結局他者の内面を推し量ることは不可能だという楽しい結論が出るでしょうけど)
基本的に受け売りになる部分はそう明記するよう気をつけていますので、同じ内容は見つけられないはずです。
それを受け売りといっていただけるのはありがたい。
同じ内容があったら見せていただきたいし、なにより同じ内容があったら、ロジックは同じでも受け取る印象は全く違った内容であることでしょう。
201 :
155:2012/06/14(木) 21:29:43.26 ID:fJrJ9ghi
他者の自分を肯定した発現への執着が苦悩の種だったり。
これは私たちのハートに密接にかかわったている生きるために必要不可欠な宝物のようでいて、
なおかつトラブルの種だとしたら。
そんなことに気づかせてくれるスレッド。
202 :
ろん:2012/06/14(木) 21:36:28.37 ID:Vf8u37Gm
>>199 だから、おまえが坐ったことないから、主観の外に出たことないからいつまでたっても出口なしというだけ。。
思考の中に答えはありませんと思考の中で言い訳たらたら、バカ垂れ流し。。
主観消えるなんて、坐る必要もなく、無心であったら、問題も何もないんだが。。
この単純がわからない、何を言われても言い訳で返す、自分正しいの一点張り=キチガイの兆候そのもの。。
203 :
ろん:2012/06/14(木) 21:37:21.33 ID:Vf8u37Gm
>>200 自分省みれって言ってんのに、どうしてまた言い訳??
>>201 もはや言ってること意味不明だぞ、大丈夫か??
204 :
ろん:2012/06/14(木) 21:39:16.26 ID:Vf8u37Gm
言い訳はいいから、黙って自己観察でも、瞑想でもしてろっての、何言ってもウソばっか、醜い自己弁護ばっかししか言えんのだから。。
205 :
ろん:2012/06/14(木) 21:51:41.11 ID:Vf8u37Gm
自己認識だ愛だハートだ、耳に聞こえのいい言葉使って、高級そうな言い回し使えば人をダマくらかせるとでも思ってんのかね〜?
もうとっくに化けの皮が剥がれるってのに、気づかないんだろうか?
オショウだクリシュナムルティだ、いやアドヴィタだ、グルジェフだなんだかんだ・・あっはっは、どうでもいガラクタ知識ばっかり頭に詰め込んで、
怪物のように肥え太った自意識とマインド。。
それでもって賢そうな言い回しを使い、自分を尊敬してくれるように求める。。
あっはっは、狐や狸・・未成仏の宗教霊のカモ、ネギカモの憑代だわな、その典型だ。。w
そうじゃなかったら、こんだけ言われたらふつう気づくぜ。。
何言われても、それはあなたの認識ですとか・・いや、誰が見たってそうだろうに。。ww
じぶんで、認められないとしたら、よっぽどの病気だぜ、ホントに。。
206 :
155:2012/06/14(木) 21:56:01.04 ID:fJrJ9ghi
皆さんもここで学んだこと、ここでのやり取りを見て自分に気づかされたこと。
そういったことを書き込んでいってください。
そういった意識には連鎖反応があります。
>>205の荒々しさと傲慢さを見ると、
静かに自分を見つめる時間は大切だなぁと改めて感じるな。
208 :
155:2012/06/14(木) 22:10:45.79 ID:fJrJ9ghi
>>202 何かが正しい、これが正しい、こうすればいい。
というようにいわないよう気をつけています。どこのことでしょうか。
209 :
155:2012/06/14(木) 22:14:02.76 ID:fJrJ9ghi
>>205 それだけ言ってしまえば、そろそろ自分自身の言動に気づくのによいころあいです。
言われた人が何者かは確定しませんが、言っている人がどんな人間かはかなり明らかです。
210 :
神も仏も名無しさん:2012/06/14(木) 22:18:31.16 ID:FWr9EW7V
473は、何でコテ変えた?w
211 :
ろん:2012/06/14(木) 22:18:32.92 ID:Vf8u37Gm
まだ、自分のこととして受け入れられない、乱暴もののろんが悪くて、紳士的な私は被害者ですか。。
どこまで言っても合理化、自己正当化だな。。
ちっとでも自分のことだと思えないんだろうか?
思えないとしたら、よっぽどおかしい、これだけは事実。。
書いてある内容で誰か分からないのかな。
213 :
ろん:2012/06/14(木) 22:27:20.13 ID:Vf8u37Gm
僕の言ってることそのまんまだろう、何を言ってもいいわけ、はぐらかし、ぶってるだけ。。
高級そうな人間、賢そうな人間を演じるだけのバカ。。
利口そうな言葉を使って、他人を否定するだけで、言ってることには何の中身もない=屁理屈、他人の受け売りの言葉をを自分の都合のいいように利用しているだけ。
自分が思考の外、知識の外に出たことがないから、他人の言葉もすべて知識に過ぎないと否定。。
このバカの屁理屈は、お釈迦様の言葉でさえ否定するだろう、自分だけが正しいと思い込みたいからだ。。
人から学ぶということにプライドが耐えられないからだ・・どうだ?その通りじゃないか?
私達は真理ではなく、偶像を見る。
そんなことを気づかせてくれるスレ
他人は自分の鏡である。
何時の隣人を愛せ。
この意味の繋がりを意識に登らせてくれるスレ
216 :
155:2012/06/14(木) 22:42:53.27 ID:fJrJ9ghi
人に教えることは不可能です。
人から学ぶことは不可能です。
自らのうちに見出すという意味からも、おそらく悟った人はいないのできっかけとして利用できても
そのまま受け取るに足るものはだれも持っていないからです。
ですが、人との関わりの中で各自新たに見出すことはできます。
新たに見出したことを書いていけばそれは連鎖します。
どちらが教えるかどちらが教わるか、という上位下位の関係ではないのです。
215さんの言うとおり自分自身を見出すための鏡なのです。
いい連鎖と悪い連鎖がある。
私はいい連鎖が作れる人間になりたい。
218 :
ろん:2012/06/14(木) 22:54:50.61 ID:Vf8u37Gm
>>216 だから、主観の中に見出すものはすべて幻想、意味はないのだよ。。
自分ははじめからない、外があるだけ。。
見出す見出さないとかお前の言ってることに意味はないから。。w
人から学ぶことが不可能なら、おまえは、学校でものを教わったことがないのか?
ホントに言ってることがいちいちバカ・・全部自分にとって都合のいいことをその都度言ってるだけのインチキ人間。。
学ぶのは自分。受け取ったものだけ学ぶ。
自分の中に偉大な教師が存在する。
自分に見合ったものだけ受け取ることができる。
エゴがないほど、多くのことが学べる気がする。
220 :
ろん:2012/06/14(木) 23:02:07.05 ID:Vf8u37Gm
内に見出すとか聞こえのいいこと言ったって、実質はマインドがマインドを解釈してるだけの妄想に過ぎんのよ。。
マインドがマインドに意味づけをする堂々巡り・・その結果何にもよくならない、こんがらがって、バカになるだけ。。
その見本がここにいるって話だ。。ww
221 :
ろん:2012/06/14(木) 23:03:51.38 ID:Vf8u37Gm
>>219 どうして自分の中に偉大な教師がいるってわかるんだ? ww
馬に訊かせたい名台詞だな。。
どうしてこんなバカばっかりなんだろう。。ww
473が一人二役やってんのか??
そうじゃなかったら、双子かなんかだろうか??ww
222 :
155:2012/06/14(木) 23:03:57.14 ID:fJrJ9ghi
主観の中にあっても、特定の思考や像の無い状態はあります。
(それは無心ではなく全ての記憶、執着が主導権をとれずに渦巻いている状態で、空ではなく、闇です。
また、一心に瞑想するとエネルギーが集まって光のビジョンを見ることもあります。が、闇のおまけのような体験です。)
この闇にしろ光にしろ、それを悟り、客観だと名づけてしまうと、
主観に閉じ込められたまま自分が主観にいるということの観察を放棄してしまうことになり、
宗教の知識がその人を知ったかぶりで傲慢な発現をするような働きをすることになります。
(以上全て自分のかつての経験です。)
父や母に愛され生き延びて欲しいと思われている私。
共に愛され幸せを嘱望されている私。
人の批判を浴びる私。
悟りを開いた私だったり、謙虚な私。
これらのさまざまな自己イメージは矛盾しあい心労になります。
自分は主観性の中から脱出しているという免罪符。
これも自己イメージの一つです。
だれもが自己の経験を繰り返すことに執着しており、自分は特例だという免罪符を持っています。
しかし、自分は主観性の中から抜け出しているという免罪符は、既存の免罪符の上位に位置する最も強力な種類の免罪符でしょう。
多くの種類の免罪符があります。私はこれこれこうだから、これが必要だから仕方ないというものが。
そのもっとも小さいものまで全て意識の光で照らさない限り、憤慨が止むことは無いのでしょう。
精神が足りない。霊でもいいけど。
真理への階段。
224 :
155:2012/06/14(木) 23:04:29.98 ID:fJrJ9ghi
ろんさん。に限らず人は答えをくれるのですね。
分析と、解決や、解決方法や、解決に導く概念や理解のフレーズを。
どんな解決法も、概念もより人を混乱に導くだけなのです。
それゆえに生きた宗教は特定の答えを取り去り、ただ目覚めに導くように臨機応変に語るのです。
もともと問題など無い。というフレーズがあったとしてもそれが目覚めのきっかけになってすぐに捨てられるのか、
それとも概念や生きる指針になってしまい荷物がもう一つ増えるのか。
その影響の質はそれを与える人のさじ加減であり、その人の知識ではなく実存に依存します。
うまく使われた概念は不便として働き重荷にならず、使われたら概念として残らず消え去り、その人の今リアルに働いている理性の働きひいては悟りの働きを現出させる。
どんな言葉も、どんなロジックも概念としてまた免罪符としてよりどころにしてしまっては、他の無数にある内部の、外部のそれらとの葛藤が余儀なくされます。
これをえり好みせず全部意識の光の下に去らされることを許さなければならない。それを妨害するのが善悪の判断。これはいい知識、これは悪い知識。
誰の言葉でも無心の契機となれば方便の働きがあります。また、自分の弱点に自分で気づけるなら方便の働きになります。
だから、鏡なのですね。
225 :
神も仏も名無しさん:2012/06/14(木) 23:10:05.48 ID:mP9Lt0/P
>>224 >>42でどう受け取られるか理解していないで云々って書いてますけど
あなた自身は自分の書き込みがどう受け取られているか分かってるのでしょうか?
とすれば読んでる人はあなたの書き込みをどう受け取っているとお考えですか?
>>217 俺、ぷよぷよ得意だよ。
何連鎖でもしちゃうよ。
227 :
ろん:2012/06/14(木) 23:13:58.02 ID:Vf8u37Gm
>>224 >どんな解決法も、概念もより人を混乱に導くだけなのです。
それゆえに生きた宗教は特定の答えを取り去り、ただ目覚めに導くように臨機応変に語るのです。
この2行だけとっても、十分に矛盾してる。。w
もはや回路が焼き切れたか。。
473の言ってることは要するに全部自己正当化と、他人の否定だから、ログとって矛盾を取り出したら、すごいことになりそうだな。。
もう相手にしない方がいいだろう、ぶっ壊れた妄想機械だ。。
228 :
ろん:2012/06/14(木) 23:16:49.90 ID:Vf8u37Gm
473と比べたら、ポッタンの方がまだかわいいもんだな。。
473のようなおどろおどろしさ、妖怪的な妄執がないから。。
>>226 うん。勝手にしちゃえw
>>227 224で言ってることはどれをとっても
私の心に叶うよ。
全ての概念は時間の経過と共に博物館にしまわれ
教条主義の色彩を持ち始めるけど、それが混乱の始まりだ。
語る個人がいる。体験のある人が語る。
譬え話(方便)で個人に響く言葉で語る。
生きた宗教の時代は今までもこれからもそうだよ。
>>187 僕も最近になってそのことに気づいたよ。
概念に頼らず見たまま聴いたまま観察する修行してるよ。
今は自分の心の三毒を感じる修行もしてる。
貪欲 嫌悪 迷妄 。
我慢したり、対抗したり、打ちのめしたり、逃避したりせず三毒にありのまま浸かってみるつもりなんだけどなかなかうまく行かない。
後で思い出せるんだけどまさにその時、観察すること忘れてる。
連鎖に良いも悪いもない
どんな悪口雑言も、理屈しかないような言い訳にしか見えない言葉も
もしそこに嫌悪があるなら嫌悪にまみれて
そこに同情があるなら同情にどっぷり浸かれば良い
そうすれば2ちゃんで悟れる
155さんの言っていることは正しい
でもろんさんは155さんの正しさなんか求めていない…ような気がする
ろんさんは殴って155さんの血が見たい、つまり155さん自身の言葉が見たい
でもそうだったらその気持ちはなんとなくわかる…ような気がする
と勝手に妄想ってみる
232 :
ろん:2012/06/14(木) 23:24:56.03 ID:Vf8u37Gm
きちがいの兆候
1 自分は正しいんだいいんだという、実はその根拠がない、
2 従いすべてに能書きが付く、反対されればされるほど鋭利に精妙になる、
3 それでもっていっぱいになっているから、人のこと他のことが見えない、
4 自分正しいという以外いやそれ自身もふくめて物語の中、
5 ゆるやかに回転する堂々巡りが次第に早くなる、
6 回路が焼き切れてついには発狂、
以上のことがあります、うっかりしていました、こういう人にはどんな形でも手を付けてはいけない、助長し追いやるだけです。
仏教にはきちがい多いです、いろいろ見てきました、実際と思想観念とをごっちゃにして入れ揚げる−いい気になっちゃうからです、どうかよくよく気をつけて下さい、ひけらかすんではない自分をという平らに真っ正直です。
・・以上せったんさんのHPより・・護符としてはっつけとくぜ。。ww
233 :
473:2012/06/14(木) 23:38:08.74 ID:fJrJ9ghi
どのタイプでもそうかもしれませんが、特に自分のタイプである思考偏重の人間は、
原初的なものすごい暴虐に吹き荒れる思考のエネルギーがあります。
このエネルギーをそのままにしておいたら、
@他人の都合を考えずなんでも試す。何でも言う。
A経験の伴わない主観的な理論を振り回す。もうそれが自分そのもの。
になってしまうので、そしてそれに覚めていることはできないので、社会的なしつけの中に納まります。
思考タイプで無いなら、生のままの感情の暴走、そしてどこに行くかわからない謎の行動力などが生のままの人間から出るので、
それは教育によって抑圧されます。
私は教育や慣習の影響に相当抑圧されたものの、それに完全にのっとられはしなかったので、
社会の一員としてではなく一個の自我として一個としての愚かさと苦しみに直面し、宗教への渇きが生まれました。
宗教において、実に多くの覚者の逸話に触れ、その行動と人格を記憶しておりますが、これは正直自己の葛藤と、
他者への憤慨の種としてしか役に立っておらず、本で役に立った目覚めのきっかけとなって忘れられた部分でしょう。
道徳は外面的に丁重に見えても、内面的には怒りの元です。
234 :
473:2012/06/14(木) 23:48:03.49 ID:fJrJ9ghi
それで、です(笑)
覚った人や年上の方々からいただいた道徳で抑圧している、生のままの思考のエネルギーは実は手付かずで押さえつけられているようです。
この原初的なマインドは、ある様式を好みます。
そのマインドにとって絶好のえさがあります。
その原初的なマインドはある類の知識やある類の振る舞いが大好きです。
それが意識の光の元に照らされていない限り。
私が憤慨する対象は、私の抑圧された膨大なエネルギーを持つマインドが好きで好きで仕方ない対象です。
のっとられていないだけましともいえますが、現在私はそれそのものでもあります。
傲慢な振る舞い、知ったかぶり、善意で知識を提供するという他者にとっての悪魔。
これらは全ていわゆる思考が望むものであり、それを見守ることが勤めだと仏陀は言います。
こころはあやまちを喜ぶ。仏陀の言うあやまちとは悟りから遠ざかるものであり、悟りが何かわからないのであやまちとはなにかわからないですが、
ここでいうこころが過ちのようです。
そこに無い何かを求める時、貪欲になり、そこにある何かを欲しない時は嫌悪になる。
渇望してる時は対象を過大評価し、嫌悪している時はそれらを過小評価する。
誰かの事を嫌いだと思い、その人はこの世で最も軽蔑すべき虫けらであると考える。
迷妄に陥った時は何が何か分からなくなる。
何が良くて何が悪いのか進むべきか引くべきかどうすべきなのか、混乱の様相。
三毒のうち迷妄が主要な煩悩。他の二つはこの迷妄から生まれる。
物事をはっきり見れないから自らを幸せにしてくれることのないものを追い掛け、不快なものに殴りかかり、
自分を害する事などないものから走り去ることに莫大な時間を費やす。
この三毒にどっぷり浸かって観察する。
きっついなぁ。メンドくさいことあっても
何か欲しいとかあいつ腹立つとか最近ない。。
236 :
ろん:2012/06/14(木) 23:49:50.15 ID:Vf8u37Gm
>>233 全体としてなにが言いたいのか、まったくわからん。。
もう知識のひけらかしはいいから、はよ寝ろや、アホが。。
237 :
ろん:2012/06/14(木) 23:50:55.04 ID:Vf8u37Gm
>>234 言い訳=思考のゴミをまき散らすのはやめろ、汚いから、引っ込んでろっつーの。。
238 :
473:2012/06/14(木) 23:51:16.48 ID:fJrJ9ghi
こころは過ちを喜ぶ。
自分の心は特別ということは無いようです。
私の心が正に過ちを喜ぶようであり、それを見守ることが仕事のようです。
表面の良さげな思考に騙されてはいけ無いようです。
トータルとしての、原初としてのまるごとの思考は過ちを喜ぶのだから。
>>233 >道徳は外面的に丁重に見えても、内面的には怒りの元です。
本当だろうか。道徳が道徳でなくなり、
衝動になった時に、それは怒りの元なのだろうか。
その所作、立ち振る舞いは怒りを生むのだろうか。
240 :
ろん:2012/06/14(木) 23:56:05.49 ID:Vf8u37Gm
>>238 いやいやまだ騙されてるよ、自己欺瞞。。
自分の言葉遣い、思考に酔ってるただのオナニー野郎。。
高級そうなこと言っても全部自己満足のオナニーなの、わかった??
241 :
神も仏も名無しさん:2012/06/14(木) 23:59:58.56 ID:jfS++Y6G
今日のロンは機嫌が悪いな
242 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 00:07:21.70 ID:oaAahYCm
なにかあったのだろうか
243 :
安堂:2012/06/15(金) 00:09:13.53 ID:ZHEy8mmH
ろんたんはoshoに対して以上に厳しいのです・・・。
オ○ムみたいになるのを懸念しているのでしょう・・・。
ろんが唯一まともだろ
あとは魔境
246 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 00:12:32.27 ID:oaAahYCm
>>244 いや、それはわかっているよ
ただ、機嫌が悪いのかな、と
ろんのちょっと前が473だったんだろ
一番よくわかるんだよ
248 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 00:30:17.56 ID:YhWAbXRZ
>ろんが唯一まともだろ
wwwwww 陰謀論マニアがまとも?
249 :
Ope:2012/06/15(金) 01:11:00.52 ID:ua9sX4Eb
>>163 > もし俺が、自分の作り出した妄想を事実だと信じて疑わない妄想病患者だったらどうする?
どうもしない
それが正常な事だと信じられている
>>179 > 悟り子さんオレさんが悟ってると言えるなら、ここのコテハンは
> そうじて悟ってるって言えるよ
>>194 > そういえば4スレあたりでそんな話をされてましたね
> 伏線が回収されて嬉しいです
そんなこと書きましたっけ
250 :
Ope:2012/06/15(金) 01:13:33.99 ID:ua9sX4Eb
>>179 > 悟り子さんオレさんが悟ってると言えるなら、ここのコテハンは
> そうじて悟ってるって言えるよ
それで、悟ってるって何?
>>249 >どうもしない
>それが正常な事だと信じられている
信じることは素晴らしいが、少しは疑ったほうがイイぞ。
252 :
安堂:2012/06/15(金) 01:23:59.10 ID:ZHEy8mmH
ろんたんに朗報
「陰謀」迫るドキュメンタリー…CS・MONDO TVシリーズ
CS放送のMONDO TVは、日本初放送となるドキュメンタリー・シリーズ「陰謀のセオリーUSA」(金曜深夜0・00ほか)を開始した。世間を震撼
させる様々な事件の背後に潜む陰謀に、元米海軍特殊部隊員で、米ミネソタ州知事を務めたジェシー・ベンチュラ=写真左から2人目=が迫る。
第1弾の「9・11」(15日に再放送)では、2001年の米同時テロで破壊されたビルが、原因とされる航空機の激突以外の要因で爆発、
崩落した可能性を検証する。現場から見つかった爆発物や様々な証言から、政府による陰謀説を導き出そうとする。
ほかに気象兵器の可能性や、ジョン・F・ケネディ暗殺の真相などを追う。
(2012年6月14日 読売新聞)
253 :
ろん:2012/06/15(金) 01:43:59.09 ID:KU8LlMkh
>>252 情報さんきゅう。。
まあ朗報かどうか・・一応見てみようとは思うけど。。
テレ東でもやりすぎ都市伝説とかやってるけど、あんまり核心に迫るものはないんだよね。。
ベンチュラは、311が人工地震だと公言した人ね。。
まー、陰謀論が表に出る=裏世界での政権交代が起きつつあるってことかも知れないよね。。
あとは世論というか、人々が気付き始めてるから、関心がある、視聴率が取れる、ということか。。
ベンジャミンは、マードックなんかもそんなに悪いやつじゃないと言ってるんだ・・時が来たら、暴露的な事実を流そうとしてるとか云々。。
僕が今知りたいのは、やっぱり古代史を含めた、イルミナティの真実かなー。。
あとは悪魔教、とかそういう部分。。
アトランティスとかフキアエズとか持ち出すのは、近代に生じたに過ぎないイルミたちが、王権神授説のような正当化で持って、自らの権威付けをしてるだけなのか、そうでないのか・・そこらへんだな―知りたいのは・・古代史の真実とかね。。
254 :
ろん:2012/06/15(金) 01:49:00.52 ID:KU8LlMkh
近代イルミナティの祖であるヴァイスウハウプトは、理性による自己利益の追求を最高善とする思想を打ち立てた。
これはすなわち現代の新自由主義とも通じるし、悪魔崇拝とも通底する。。
だけど、こんな思想は古代にホントに在ったのかって、怪しい。。
とすると、近代イルミナティと、古代の叡智を受け継ぐと称する真イルミナティは別物なのかもしれない。。
ここら辺がよくわからんのよ。。
まーどっちにしても人民を支配しようなんてしてるやつらが善人なのかどうかってちょっと怪しいと思うが。。
255 :
ろん:2012/06/15(金) 01:55:11.00 ID:KU8LlMkh
悪魔崇拝者たちでない真イルミナティが推し進めようとしているメリトクラシー=能力主義支配そのものが、僕はそんなにいいとは思わない。。
そりゃー上に立つものは優秀でなければならんとは思うが、合理主義&能力主義って今の新自由主義とそんなに変わらんじゃないかという気もする。。
結局迷信的な適者生存みたいなイデオロギーで以て、無能は死ね、バカは死ね、子孫を残すなカスみたいな、人工削減理論につながってるんじゃないかと言う気がしないでもない。。
新自由主義とはよく言われるように、それまでの日本の良さであった、相互扶助的な共同体を破壊し、
それぞれを自己責任という名のもとに、奴隷化する管理社会主義でしかないのかもしれない。。
なんつーか、こういう残酷なことを、平気で思いつく利口で冷酷な人間たちによる支配なんてまっぴらだという気がするのよ、違うかね、白峰さん。。
256 :
安堂:2012/06/15(金) 02:53:22.26 ID:ZHEy8mmH
支配者なんぞいつの時代もろくでなしだよなあ。
>>244 まともは魔境じゃないよな
まともな人は「竿の頭から一歩踏み出せ」って言われたら
「踏み出したら落ちるでしょ。あんたおかしいんじゃないの?」と言う
魔境の人は踏み出してないのに「踏み出した!」という妄想の中にいるんじゃないのかな
どちらも踏み出してないことだけ同じで
258 :
179:2012/06/15(金) 06:08:03.23 ID:PEpBvW0m
>>250 君はただ「何?って何?」って呟いてるだけなんだよ
259 :
473:2012/06/15(金) 08:40:47.61 ID:KodQ9jRg
>>225 指摘ありがとうございます。
自らの過ちを認めないで、自分はもう知っている、脱出しているという思い。
自分はよいことをしているという認識。
これらは同じ夢を信奉する人以外の他の主観からは悪魔に見えます。
客観性など持ち合わせていませんが、客観的に認識するならそれは悪魔には見えず、自己投影の滑稽な悲喜劇に見えるのだろうと思います。
私は混乱しており、苦しんでおり、「あいつ」という感覚があります。
あいつというのは実は自分であることが徐々に明らかになってきており、
あいつのことをあいつだと確信していたときよりは平常でいられます。
どう見られているか。
実際相当気遣いなく好き勝手書き込んでおり、教条にならず一時のきっかけとして忘れ去られるように気をつけて書いているとはいえ、
私自身が緻密な論理によって無心の働きを代用しようとする部分から抜け切れていないので、
私自身も結局新たに束縛される方法を提供しているという部分はあると思います。
気遣いをしないで書き込んでいるという自認はあります。
自認している分だけ他者からの評価と自己評価は平均してずれないでしょうけど、
(人によって評価はまちまちです)私は私をまだまだ知らないのです。一度にすべてが照らされているわけではないのです。
あからさまに自分を正しいと感じていない分他者は悪くみえず、憤慨にのっとられることはないですが、
のっとられないもののやはり対象である他者はいて、公平であり平静である事は困難です。
結局概念に頼っているか、前述のとおり、頼りたくて仕方がない心を抱えていてそれをやってる人の真似をしたいので葛藤が生まれるのかもしれません。
人間に生まれた以上葛藤は避けられません。
ただ、葛藤を離れて見つめることは可能です。
葛藤そのものが現実を動かすことはないと気づけば、どれだけ葛藤しても差し支えない。
エゴがあっても、それを自覚していれば問題ない。
実体のない思考のカラクリに気づくと、かなり楽になりますよ…。
261 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 09:17:34.70 ID:YhWAbXRZ
>君はただ「何?って何?」って呟いてるだけなんだよ
wwwww これまた的確なツッコミだww
>>257 「踏み出した!」っていうのが妄想なら
「踏み出したら落ちるでしょ。あんたおかしいんじゃないの?」っていうのも妄想だよね。
もちろん、「竿の頭から一歩踏み出せ」も妄想だから
全員が妄想の中だね。
昨日は引用したりしたから自分の言葉で書いてみる。
よく「それは誰の受け売り?」とか「ソースは?」とかいう書き込みを目にするがよくよく考えてみると自分というものは自分以外のその他(人間にかぎらず)から影響をうけて形成されているのではないか。
仏教徒であればブッダのコピーのような人間、 キリストなら イスラムなら・・・。
おっと、ここでオウム真理教の高橋容疑者らしき人間を確保というニュース速報きた。
このようにあくまで自分というものは「外部からの情報を感受したものの集大成」ではないだろうか。
ならば、ソースだとか受け売りだとか出典だとかを聞く人間は二元論的な考え方になるのではないか。 ぼくたちの自我は実にコントロールに長け、
分析や理論化が上手で自分自身をもだますほどの実力の持ち主なのではないかなと最近思う。
よくここや他のスレで小難しいこと見かけるけど実は悟りってすっげー単純なんじゃねーかって思っちゃうんだよね。
それを踏まえて概念だとか言葉ってなんだろうなって考えるとそれそのものを表す意味やラベルであってそれと他を分けるためにつかうツールじゃないのかなと。
たとえば我が家に犬2匹いるけど他人にはこの2匹の犬の違いが分からないかもしれない。
でもぼくには分かる。この2人を「犬 動物 生物 雑種 猫じゃない 馬じゃない」 いかように言葉や概念を付け足そうとも一緒に暮らしてるぼくより見分けれる人はいないと思う。
だとすると、ブッダの物語や祖師たちの物語やはたまたフリーメーソンだのカバラ数秘術だの自分が経験してないものはあくまで概念として伝えられていて実際に経験したわけではない。
こりゃ幻なんじゃねーの とこう思うんです。
なにがいいたいかっていうと、どんなドラマよりもどんな言葉よりもどんな概念よりも自分が経験したものこそ真実で余すとところなくそれを見つめれば見えてくるんじゃないかと期待してます。
できるだけ改行してみたけど読みにくかったらサマソ。
266 :
257:2012/06/15(金) 17:20:07.65 ID:q7eKEy1k
>>262 wwwwww
さすが、身も蓋もない
まともと魔境は一緒じゃないけど同じようなもんって言いたかっただけだよ
267 :
473:2012/06/15(金) 17:52:15.07 ID:KodQ9jRg
概念に頼らなければ内に見出すだろう。
というものの概念に頼らなければ、の部分だけが肝心であり、別に見出すようなものはない。
本当に概念に頼らなければ現れるものと観察者の間に分離がないから。
だから何を見出すとは言われないし、そこに悟りがあるとも言われないのだと思う。
もしそこに悟りがあるのだとすれば悟りがあるといわない方がいいのだ。あると言ってしまうと心は求めてしまう。
仕掛けだけで結果は言わない方が良いことが多い。
目覚めた人は、主観を強化する概念によって眠りこけている我々を目覚めさせるような言葉の使い方をする。
目覚め、目覚め。
彼らが与えようとしたそれを受け取ろうとしているだろうか。それとも彼らにしがみつき、概念化し、自分の経験の総体である自我をよりふとらせているだろうか。悪夢を慰めるため良い夢の糧としているだろうか。
前者をすることができるわけでもない。後者を見つめること。目覚めてあることだけが。
>>267 目覚めた人が本当に目覚めてるって、どうして分かるの?
目覚めたって思い込んでるだけで、ホントは夢の中だったりして・・・・
269 :
473:2012/06/15(金) 20:02:24.53 ID:KodQ9jRg
>>268 目覚めた人とは眠っている人でない何か未知の存在です。
眠った人の描写と目覚めた人の言動の違いを述べました。
しかし、確かにおっしゃるとおり、「目覚めた人は」という前置きのない確定形で
最初にもってくるのはあまり目覚めをもたらさない文の形態に思います。
目覚めとはなにか。
実はなんでもなく、きっかけとなる言葉なのでしょう。
270 :
473:2012/06/15(金) 20:13:59.83 ID:KodQ9jRg
自分の心を見るということはとても困難です。
内部で思考が対立しているので、これがあれあれがこれを評価することがあっても、
心の全容を意識することは普通の意味では不可能のようです。
私のこころの基本的な傾向としてはろんさんとほとんど変わりません。
ちょっと似ているどころの騒ぎではなく、彼の言動、世界観、思想、知ったかぶり、評論、投影は
私の心が好む形態です。
それを他の思考形態が、人格が押さえ込んでいるという状況かもしれません。
この世に他者などいなかったような。
他者だと思われるもの自己だと思われるものはありふれた思考と同化している思考でしかないものと、それを意識している意識そのものと2通りの現象であり、
それはどちらも他人ではないし、また自己でもない。
こころ、そこにあるありふれた数万の思考の対立をそのすべてに目覚める。
見れないで、好ましくない思考形態を外部に投影して憤慨する。
それを避けえたとしても、全部見きれるまでその葛藤という地獄に直面する。
しかし、投影しないということすら容易ではない。公正であるというのは本当に難しい。
知らず知らず自分を温厚に見せようとしており、それは心のメカニズムの全容の解明において致命的になる。
温厚でない数千の思考は外部に投影される。
>>198 >ホントはただ単純に生きるというだけなんですけどね
そうですね・
>>249 >そんなこと書きましたっけ
これですね
↓
388:Opreration [sage] 2012-01-10 18:44:14 ID:GLsFPewt
>>385 記憶って不思議ですよね
忘れてしまっているようで、実は覚えているけれども、思い出せないだけなのかもしれません
突然昔の記憶が甦るってことないですか
よーく思い出してみればかなり幼少の頃まで思い出すかもしれません
273 :
473:2012/06/15(金) 20:24:22.99 ID:KodQ9jRg
そういえば、思考は言葉という媒介によっても、思考という精妙な物資そのものとしても伝達されるようです。
集合無意識というものがあり、それに目覚めると聞きます。
過去生の記憶にも目覚めると聞きます。
動物や鉱物だったときの記憶にも覚めると。
自分でないものなど何も存在せず、その全てをてらすような目覚めよ、ああ。
そうブッダはおっしゃっていました。
>>270 >自分の心を見るということはとても困難です
実は自分の心以外見れなかったりなんかしちゃったりなんかして・・・
275 :
ろん:2012/06/15(金) 20:45:20.68 ID:KU8LlMkh
まったくの無意味と言っても、思考の汚物垂れ流しがなぜ止まないのか?
それは自分が汚物を垂れ流しているという自覚がないからである。。
276 :
473:2012/06/15(金) 21:12:36.28 ID:KodQ9jRg
>>274 円が完結しますね。ありがとうございます。
>>274 広川太一郎さんですか?
懐かしいですね。
思考が物質って
ほんと良く考えろ
医学的な脳の進化と脳と記憶の関係を調べたほうがマシ
疑似科学でテキトウやっちゃうなんて
>>278 >思考が物質ってほんと良く考えろ
まず現在の科学では物質が何かとゆうことが解ってないのですね
何故物質が今現在観測される働きをするのかも解ってないのです
あと何故物質が存在するかも解ってないのです
そして科学は人間の知覚と意識で立証できる範囲内で立証できることが正しいとゆう前提の上に成り立っていて
この前提が正しいかどうかは科学では立証できないのです
そして科学は何故意識や知覚が存在するかも解ってないのです
そして私達は物質それ自体を知覚と意識無しには認識しえないのです
そして私達が知覚と意識を通して認識した物質が本当に認識した通りかもわからないのです
281 :
ろん:2012/06/15(金) 23:10:55.19 ID:KU8LlMkh
282 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 23:20:45.78 ID:YhWAbXRZ
>>280 ならば、「認識」という作用自体が、脳という物質に依存してるわけだから
さらにあてにならんわなwwww
283 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 23:27:37.53 ID:YhWAbXRZ
悟りオタは、人間の認識などの精神作用に期待過剰ww
なんか、悟ればすごい存在になれるとか勘違いしてんじゃねえの?ww
どこまでいっても、個人の精神状態の範疇の話でしょ?ww
284 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 23:50:05.61 ID:oaAahYCm
オレムってすっごく暇なんだな
毎日張り付いてないか?
285 :
神も仏も名無しさん:2012/06/15(金) 23:51:48.61 ID:oaAahYCm
wwwの人もそうだよな
なんだかんだいっても、ロン金魚のフンにしかみえないし
話題提供力ゼロww
>>282 >ならば、「認識」という作用自体が、脳という物質に依存してるわけだから
さらにあてにならんわな
♪はい
>>283 >どこまでいっても、個人の精神状態の範疇の話でしょ?
はい
喜び怒り悲しみ楽しみ喜怒哀楽。
人間のある状態を悟りと言うならば、それはどんな感情なのか…
自ら悟り自分は目覚めたというのが悟りならば悟りとは一体なんなんでしょうか。
喜怒哀楽に言葉はいりません、
言葉を超えるとか普段から超えてます皆さん
たんなる状態です
>>284 うん、凄いヒマ。
時間の経つのが遅すぎて1日が60時間くらいに感じる。
289 :
神も仏も名無しさん:2012/06/16(土) 00:05:04.65 ID:oaAahYCm
>>288 それ、バシャール的には、老化が早く進むらしいぞ
290 :
473:2012/06/16(土) 00:08:13.76 ID:4Pu5T77R
270 273 を実践すると
>>286になります。
この世に存在する、この世に存在した全ての思考をえり好みせず、イエス。
291 :
神も仏も名無しさん:2012/06/16(土) 00:17:11.01 ID:subEsgUG
>>285 なんだ? wwwの人っておれのことか?
「話題提供力」ってなんだ?wwww
お題をださなくちゃ、いかんのか?www
292 :
神も仏も名無しさん:2012/06/16(土) 00:23:45.61 ID:subEsgUG
>>286 おお〜〜〜〜、同意しますか?www
なら、「悟り」という方向性に向かって進むことも、
釣りや読書などのような、一つの趣味変わらんのかな? お前さんにとってはwww
悟りとは、人間の悟性のこと、知性そのもの、認識と判断、カント的に、主体によって対象は創造されるということ、
つまり、自分がすべて、、この意味がわかるかどうか、、
世界は、自分の認識の中にあるもの、それを、確り理解して、公益性を追求することが神に由来するのでは?
幸せだと思えば幸せだし、不幸だと思えば不幸になるのだ、
実際、ブッダが開いた悟りは超能力に近いと思う。すべての不幸は先がわからない、無知から発生すること。
全知全能であれば、恐れもない、現実を受け入れるだけでいいのだから。
超能力ねぇ
>>292 ぼくも悟り子さんの意見に同調しますよ。
一つの趣味と言われればそれで良いと思いますよ。
いかようにラベル貼っていいと思います。
ぼくのラベルでは仏教が先にたどりつくか科学が先に辿りつくか。 どっちでもいいです。
どちらも苦をなくす方法論を確立できれば人類のためになります。
苦をなくすとは語弊があるかな。
苦を無効化できれば人類のためになるんじゃない?
このラベル(概念)というものはあくまでラベルなんで名前みたいなもんじゃないかな。
たとえば高橋克也容疑者というラベルを知っていても彼のすべてについて知りえるわけでもない。
野田佳彦というラベルを知っていても余すところなく彼の本質をしりえるわけでもない。
473はろんさんと心が変わりがないとおっしゃってるが
果たして彼はろんさんのすべてをあるいは
彼のどこまで知りえてるのでしょうか? と、率直に思えました。
まぁこれも言葉である以上ぼくのラベルですがw
思考の範囲内に概念がある感じなのかな。
時にいま鶏肉を煮てうどんを食べたんだがこのうどんの美味しさや全てを言葉や概念で伝え切る術を知らない。
伝えきれないと思う。この伝えきれない言葉でいくら思考したって真実には辿り着けない。言えることはただ一つ食べてみろ。
さっき自分が食べたうどんとは違うがまぁ似たようなもんだと。しゃれじゃないぞ。
ありのままに五感で感じてみろと。答え出すなと。
ところで指原はAKB辞めさせられちゃったんだね〜。 若いのに大変だ。
今こそ彼女は観察どきだと思うけど人のことはよく見えるんだよね〜。
いや結局みえてないんだろうな。
僕はここ好きです。普段こういうやりとりを現実ではできないですからね〜。
誰も興味ないんだよね周り。 まぁ日々是修行ですな。
ラベルは“今”なんじゃないかな。
473さんは傲慢とかいってるのに謙虚だよねぇ。
簡単には真似できない
誰も救えないけどな
298 :
神も仏も名無しさん:2012/06/16(土) 09:16:35.77 ID:subEsgUG
>>295 ラベル?ww なんか言ってることポイントずれてねえ?
俺は名称のことなんか言ってねえぞww
「悟り」というのも、釣りや読書等のように、個人の嗜好にあわせて行う
趣味みたいなものか? と言ってるのw
つまり、それらはそういう共通属性を有する「おんなじようなもん」なのか? って
ことwww
299 :
473:2012/06/16(土) 09:24:15.80 ID:4Pu5T77R
295 296 297さんへ
思考というものは言葉でも、感情表現でも伝達されるもので実にありふれたものです。
その思考のえり好みで人の人格はかたどられると思いますが(しかもころころ表面が入れ替わる)
構成する思考そのものは同じものなのです。
そして思考というエネルギーの傾向もありふれているように思います。
他者の思考のえり好みと、上位下位、対立の構造を理解しているかといわれると無理ですが、
パーツそのものはありふれているように思います。
私たちはたくさんの思考を抱えています。
好みの思考があり嫌う思考は抑圧してしまいますが、それを教えてくれるのが抑圧している思考が表面に出ているような外界の存在かと思います。鏡になります。
自分の傲慢さに気づくことだけが私の仕事です。謙虚さとは傲慢な思考ではなく、謙虚に振舞おうとする思考でもない何か何だと思います。
今というのは共にそこにあり、対象として捉えられません。
他人を救おうとすることは自己逃避だし、自分を救おうとすることは問題を強化して自分自身と格闘しようとする無謀な試みです。
ただ自分のあやまちをみつめます。そのお誘いをします。
時々、それがはかどっていることを示す書き込みがあり、それは不可思議な喜びがあります。
300 :
473:2012/06/16(土) 09:28:21.52 ID:4Pu5T77R
悟りといわれるものも中身は個人的な趣味になりえるし、逆に趣味といわれるものも中身は全体性の悟りになりえるかもしれません。
>ただ自分のあやまちをみつめます。
あやまちである、あやまちでないを分ける判断基準はなんですか?誰か人ですか、本ですか?
>他人を救おうとすることは自己逃避だし、
こういう言い方もできる。
他人を救う人が全て自己逃避とは一概にはいえない。
仕事もできて、ボランティアもできる人などいくらでもいる。嘘と思うならネットで調べてみな。
物事を単純化した断定が多すぎる。自分の頭の中で、世界を他人をこうだというきめつけ、
これこそが傲慢というものではないですか。
>自分を救おうとすることは問題を強化して自分自身と格闘しようとする無謀な試みです。
問題があるなら問題に一度焦点をあてて、具体的に解決策を探っていくという手法で問題に解決方向へ向かうのがベターの場合もあります。
解決したなら後に引きずるということはない。
頭の中でああして、こうして、こういうふうに自分はなったと観念でごまかす、何にもなってませんね。
だから誰も救えない。
302 :
神も仏も名無しさん:2012/06/16(土) 09:53:19.52 ID:subEsgUG
>物事を単純化した断定が多すぎる。自分の頭の中で、世界を他人をこうだというきめつけ、・・・・
いや〜〜、御宅の指摘はまさに然りww
しかし、思考により、何かしらの結論を導こうとするならば、
単純化、定形化して、ある意味独善的な断定によって、論理を進めて
いかなければならないwww
そこが、しばしば、「観念論など無意味」 と非難される一要因となってる
わけだがwww
303 :
473:2012/06/16(土) 10:46:21.39 ID:4Pu5T77R
救うべきという考えは根拠の無いものです。
他者を救わなければいけないという考えは、ただ自分自身を見つめる、変革することへの怠惰から生まれます。
見つめることは自らの主観的欲望による現実との対立を鎮めます。それは私という主体ではなくそれを超越したものですのでそれは伝播しえます。
人は自らのありようを人に与えることしかできません。助けることを意識することはありません。
自分を与えてしまうのですから。
自己も他者も無く労働が起き、有り余るエネルギーが伝達されるならばそれは偉大なものです。美しいものです。
しかし、心理的な側面という意味で他者を救済することはできません。
自他の区別というものが心労の種だからです。
他者という像を見てそれを救済しようとする際、気の毒な他者をみることで、自分の苦しみや死の恐怖やそういったものを他者に押し付け、
それを救済することで自己のそれと対面することを回避します。
あやまちとはなんでしょう。
さて、非常にあいまいな概念です。ダンマパダにある文脈でのあやまちです。
私も意図的に非常にあいまいな概念として使用しています。概念からジャンプするきっかけ、瞑想、目覚めの入り口として、、。
あやまちを見つめるのではなく、ただみつめることにあればあやまちのさししめすものが開示されるのではないでしょうか。
304 :
473:2012/06/16(土) 10:55:46.31 ID:4Pu5T77R
他人の問題にかまけて自分の現在のこころの広範なありように無自覚になる。
一例が303だねえ。まったく
対立するもの全てを見るのは大変ですよ。すぐ外側に投影するから。んでは。
305 :
473:2012/06/16(土) 11:14:15.20 ID:4Pu5T77R
完全にはものにできていないことを明記、示唆したとしても
結局その説明がそれそのものであることの障害か。
>他者を救わなければいけないという考えは、ただ自分自身を見つめる、変革することへの怠惰から生まれます。
あのな、自分の世代の利益さえよければ後は野となれ山となれの政治が今の日本の凋落を生んでんだよ。
>見つめることは自らの主観的欲望による現実との対立を鎮めます。
対立があるならちゃんと対処しろよ。変な瞑想テクニックでごまかしてんじゃねえ。薬中のジャンキーとどこが違うんだ?
それこそ逃げじゃねえかよ。ちゃんと周りを見ろ、子供じゃねえんだから、自分かわいがりばっかやってんじゃねえ。
>他者という像を見てそれを救済しようとする際、気の毒な他者をみることで、自分の苦しみや死の恐怖やそういったものを他者に押し付け、
>それを救済することで自己のそれと対面することを回避します。
自他の区別無く痛む心があるからこそ救いたくなるんじゃねえのか?いってるのが逆だ。
自分の苦しみ?この世は天国じゃねえんだから苦しいのは当たり前だ。
死の恐怖? がけの上に立ってんでもあるまいし、そんなもんに日常からびくついてんのか。おかしなやつだ。死ねば諸々のしがらみから開放されるんだから死ぬのも悪くねえぞ。
自分から死ぬのは逃げだがな。
>>298 大丈夫だよぼくもあなたとズレを感じるので。 ぼくも名称のことは言ってないよ。
>「悟り」というのも、釣りや読書等のように、個人の嗜好にあわせて行う
趣味みたいなものか?
さぁあなたが描くこれらの言葉にまつわる概念とぼくとでおそらく違うでしょうからなんともw
ただこないだTVでやってた仏像を彫る趣味の老人は悟ってるのではと感じさせるものがありましたね〜。 本人「趣味だよ」っておっしゃってたが素晴らしい仏像たちだったよ。
おんなじと思うならおんなじでいいんじゃない? 違うと思うなら違うでいいんじゃない?
ぼくはどっちでもいいですよ。
みんな自分の「ものさし」が欲しいんでしょうね。 だけど本当はものさしなんて要らないかもしれないって最近思えてきたんよね。
そいえばどこか「ラベルのことを概念と同じもの」と、思い込んでた節が自分でもあるから調べてきた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%86%E3%83%AB 短いからこの際みといてね。
>>299 なんだか難しい文章ですね〜。ちょっと軽く読んで意味がわからんかったらじっくり読んでみます。
う〜む、ようわからんですな〜。
してとどのつまり言いたいのは、自分の書き込みによって他人に、他に問題を探すのではなく自己の内面をみるよう、働きかけてるってことですか?
要望なんですけどもうちょっと簡単な言い回しでお願いしますバカなもんで。
>>303 おおむね首肯します(簡単でって自分でいったくせに)
自分で「おおむね」と書いてハッとしたけど概念って概ねって字ありますよね。
だいたいなんですね概念って。この大体があらゆる誤解やズレを生じさせてるのかなぁ。
概念や思考も「ありのままの世界 ありのままの自分の一部」だと思いますから全否定するつもりはないです。
でも知らずしらずに自我は習慣によって概念や思考にばっか頼って何でも決めつけてしまい、
問題が起これば自分以外の他に原因を求めるよう設計してしまってたんじゃないかなと坐り終わりに感じたりしてます。
そして気づいたんです。
あれが欲しいや、これは嫌だって気持ちをどこか抑圧してたなと。
そこかしこでわが身を制限してる自分に気づきました。アイドルでもないのにw
で、今は自由に思ったことや欲しいもの怖いもの嫌いなもの制限なく発しようかなとしてます。
そしてできるなら我を忘れたとき気づきたいですね。
304のように後で気づくことが自分でも多いです。 まさにそのとき気づけていない。
305はまるで不確定性定理みたいですね。 観測しようとすることが邪魔して正確な観測ができない。
>>302 つまり思考により結論を出そうとすると独善的な断定によって進めていかざるをえないという
障害が発生するんですな。そこで試合終了かもですね。
>>306 たぶんおもっくそピントずれてるよ。たぶんだけど。
自分であれ他人であれピント合わせすれば
するほどズレるよ。
思い込みの中の己であり、思い込みの中の他人の
余計なイメージングを衣付けしていくだけ
>>277 >広川太一郎さんですか?
キャラメルお兄様の真似のつもりだったのですが元ネタがあったのですね(笑)
>>292 >「悟り」という方向性に向かって進むことも、
釣りや読書などのような、一つの趣味変わらんのかな?お前さんにとっては
♪そんな感じです
悟りも迷いも楽しい遊びですね♪
人は幼子の様にならなくては天国の門は開かない
イエス
>>299 >時々、それがはかどっていることを示す書き込みがあり、それは不可思議な喜びがあります。
気づきを共有できた感じの時ってすごく楽しかったりします
あるある話はトークの王道かもしれません
悟りに「向かう」のがそもそもの間違い。
他力を用いるならきっぱり自力を切らねばな。
来るが如し。
こちら側のはからいの放下。
317 :
473:2012/06/16(土) 21:53:51.95 ID:4Pu5T77R
>>308 働きかけているというより、ご一緒を誘っています。
働きかけるべきは自分だけなのだと思います。
自分に働きかけることだけが、他者に他者自身に働きかけようという気にさせるはずです。
というのも他者を批判すれば、その他者はこちらを批判し返すか、「誰か共通の批判の対象を批判しようとする」でしょうし、
自分を批判することも結局それは何者かになろうとする欲望の裏返しで同じ事を皆さんにお誘いしていることになります。
私としては、自分自身を見つめること、あらゆる対象や他人への意味づけは正に自分自身であることの認識の旅へお誘いしているのであって欲しいと思います。
でも実際は私がそうあるように皆さんに影響を与えているだけなので、本当のところは謎です。
318 :
473:2012/06/16(土) 22:01:25.25 ID:4Pu5T77R
>>308 で、今は自由に思ったことや欲しいもの怖いもの嫌いなもの制限なく発しようかなとしてます。
外に発したものは同じことが帰ってきます。それゆえにいいことも悪いことも無く、好きなことをして
同じことが帰ってくるのを楽しめばいいのです。
無意識であることの悲しみ、投影の悲しみは、自分が何をやっているか知らないで、自分のやったことが帰ってきた際憤慨することです。
このあたりは各自全く個人的に検証し、その人の知恵になってゆくのだと思います。
あきらかにどこかでやらないほうがいいと思ってることはやってみてその帰結を検証することは困難なことも多いと思います。
そうそう何でもやってみれません。(個人的なことはできますが対人的なことはちょっと、、。)
その思考は、その欲望は、なぜか今自分自身なのだけど、誰もが持ってるありふれた、ただの思考で、本来自分に関わりが無い。
表現は難しいし、先達に譲りたいところですが、そんな感じです。
実際にやってみて検証しても、ただ見つめるだけでも、落ち着くところは同じなのでお好きなようにやってみましょう。
意見が異なれば批判とは剣呑ですね。
違って当たり前、共産独裁国家、思想統制じゃないんだからさ。
そもそも思想、考え方は人じゃない、
とどまらず流れ去る単なる現象。
もっとゆったり考えればどうですか?
320 :
473:2012/06/16(土) 22:41:29.51 ID:4Pu5T77R
投影、自らの受け入れられない部分を外界や他者に移転し憤慨し恐れること。
逃避、あるがままを受け入れられない苦しみから逃れるべく、自分の理想を外界に投影すること。
投影と逃避がサイクルになっている。
憎しみと愛、恐怖と安息、退屈と享楽そのサイクル。
投影と逃避は実際には同時に働いているか、それともひとつのものの頭としっぽか。
この2つの変化にだまされていたが実際には完全にひとところを回る車輪。
321 :
473:2012/06/16(土) 22:44:44.52 ID:4Pu5T77R
人間は思考に影響されず思考を使うことができる。
しかし私はそれができないことを認識している。
私はまだ人間ではない。
ヒトは思考の主人ではなく思考の奴隷だ。
思考が彼らを決定付けている。
畢竟われわれは思考でしかない。
人間同士は争うことは無いが思考同士は争う。
人間がどこにいるだろうか。
人が見えないところでシミュレートしたとこでは
わかりにくいですけどね。
掲示板の難しいところ。
実物を前にすれば案外すぐにわかりますよ。
こんなとこで時間つかってる暇あんなら
アルバイトでもしてろ。
このくされニートが。
324 :
神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 01:30:49.39 ID:F8cAQ3x7
>>190 >(は〜と)
お前の片思いだと思うぞ。残念ながらwww
325 :
神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 01:57:22.46 ID:qEPmRWyK
>>311 なるほど、趣味かwwwww
まあ、そういう趣味があっても良いと思うが、そういうのに関心があるやつは
大概の場合、何かわかったような気になって、人に語り出すんで気をつけた
方がいいぞwwww
>>321 >ヒトは思考の主人ではなく思考の奴隷だ。
現実に即していないと思うな。本当にそう思うの?
人が思考の主人じゃないのであれば、感情や衝動が思考のしゅじんなだけなのでは?
ヒトをわざわざ登場させる必要をあまり感じない。
とにかく自分と意見の一致する人を見つけてみることだ・・・。
そして、意見が一致するからこそとことん議論することでしょう・・・。
>>325 >そういうのに関心があるやつは
大概の場合、何かわかったような気になって、人に語り出すんで気をつけた
方がいいぞ
♪それが楽しいのです
悟り子もわかったような気になって人に語っているからお互い様ですね
要するに遊んでいるのです(笑)
あくまで涼しい顔をするのは自由だけど、過去に色んな人に煽られた時、
どんな反応、対応をしてたか、そういうので真価は出てるからね
煽り帰すのが正しいにきまってんじゃん♪
331 :
神も仏も名無しさん:2012/06/17(日) 12:16:43.72 ID:qEPmRWyK
>>328 >♪それが楽しいのです
なるほどねww
よく分からないことを、分かったような振りして語り、自己の優位性を
自己欺瞞の上に擬製して楽しんでいるわけかww
まあ、そういう楽しみ方もありだとは思うが、 ちょっと前に
安堂がどこかで言ってたな、 「悟りを語ることが自己のコンプレックスを
解消してくれる。」とww
そのような自分にふと気づいた時、自己嫌悪に陥ったりすることってないの?wwww
>>331 >自己の優位性を
自己欺瞞の上に擬製して楽しんでいるわけか
いえ、たんに会話を楽しんでいるのです
悟り子はamaさんや観さんやキャラメルお兄様
operationさん、ろんさん473さんオレムさん達が好きだし話てて楽しいのです
>>331続き
もちろん名無しさん達の中にも楽しいレスをくださる方がたくさんいらっしゃいます
そうした方々のレスを読み悟り子もレスする
それが楽しいのです
純粋に会話を楽しんでいるのですね
>>332 人はなぜ、楽しみを必要とするのでしょうか
どうお考えですか
>>334 >人はなぜ、楽しみを必要とするのでしょうか
どうお考えですか
一つは自然と楽しさに流れる感じですね
心に抵抗がなければたんに座ってても歩いてても
部屋を掃除してても楽しいでしょう
そして楽しさからまた楽しさが生まれてきたりするのです
>>335 つまり、衣食住を超えた娯楽は心の抵抗を紛らわすために
あるということですか
>>335続き
もう一つは同じことばかりしていると飽きるから気分転換の意味で息抜きを必要とするのでしょう
仕事や勉強のストレス発散もそうでしょうね
人の精神は刺激や変化を求めるものなのでしょうね
>>336 >つまり、衣食住を超えた娯楽は心の抵抗を紛らわすために
あるということですか
逆に心に抵抗がないと自然と楽しさに流れる感じかもしれません
例えば子供が遊ぶのは単純に遊び自体が楽しいからではないでしょうか
>>338 なぜ、心には抵抗が生まれるのだと思いますか
>>339 >なぜ、心には抵抗が生まれるのだと思いますか
知らない間に社会から植え付けられた様々な価値観でしょうね
(今日は落ちます)
341 :
473:2012/06/17(日) 21:48:46.87 ID:aWKq3YLe
自分の日々の行いに巻き込まれてしまうことが執着を生み、その執着が異なる行動への抵抗を生むように思います。
生計を立てることに巻き込まれていなければ生計を立てつつも生死という2元性は意識されないかも知れません。
私の知っていることは自分の日々の生命維持の行動に思考が絡みつき、維持すること溜め込むことに執着し死を恐れてしまうことです。
342 :
Ope:2012/06/17(日) 23:15:03.88 ID:6OJiyTfy
>>272 > これですね
確かに書いていましたね
>>274 > 実は自分の心以外見れなかったりなんかしちゃったりなんかして・・・
確かに
>>277 > 広川太一郎さんですか?
誰?
>>284 > オレムってすっごく暇なんだな
> 毎日張り付いてないか?
確かにそうだ
>>342 今日は「乳の日」だったんで昨日今日と、ある板に張り付いているのだ
>>340 横レス失礼
>知らない間に社会から植え付けられた様々な価値観でしょうね
今までの流れと↑がさらっと出てくるあたりからすると、
悟り子さんは悟りを経験済みですね。
334さんと悟り子さんのような会話は私も見ていて楽しいです。
ただ、やぶから棒ですみませんが、良かったら聞かせてください。
悟り子さんは悟りを一度は経験してますが、それっきりではありませんか?
その一度のときの知恵を使って話しをされていませんか?
もし一度の知恵で話しているのであれば・・・お仲間発見なので喜びますv
私の知っている事は、生計を建てる行為と信仰の営みに橋をかけることが最も重要なんだと思います。
鈍牛のように足が遅くても進んでいるのであれば、それで十分。
346 :
ろん:2012/06/18(月) 02:15:33.71 ID:9My9WfNn
>>345 インチキ宗教行為はダメだけどな。。
この業界は、ばったもんのプチ教祖がいっぱいいるから。。w
>>346 あぁ、もちろん宗教で金儲けは良くないと思うよ。言ってるように、バッタもんが殆どだし。
そうじゃなくて、日々の生計を立てる行為を行うことによって、自分を高めてゆく、って流れを作ることを「信仰と生計に橋をかける」っていってます。
全ては一方通行じゃなくて、双方向。
どちらからでも良い影響は与えられるはず。
349 :
Ope:2012/06/18(月) 02:51:38.21 ID:vBbG+4aj
>>347 > あぁ、もちろん宗教で金儲けは良くないと思うよ。言ってるように、バッタもんが殆どだし。
> そうじゃなくて、日々の生計を立てる行為を行うことによって、自分を高めてゆく、って流れを作ることを「信仰と生計に橋をかける」っていってます。
どんなカルト信者でも
自分の信じる宗教こそ本物だと
そう思っているらしい
>>343 牛乳版か
悟りと金儲けは関係ないと思うけど・・・。
この中に五戒をしっかり守っている奴がいるか?
351 :
Ope:2012/06/18(月) 02:56:13.26 ID:vBbG+4aj
宗教ってのは、紙つくったものでも神が作ったものでもなく
人間の思想・信条なのだから
これこそ本物だと思えるとしたら
妄想に仕えていることになる
>>349 >自分の信じる宗教こそ本物だと
>そう思っているらしい
自分教の信者がほとんどなんだね。
まぁ、原理的にそうなるしかないのかなぁ
不殺生戒 - 生き物を殺すことなかれ。
不偸盗戒 - 他人のものを盗むことなかれ。
不邪淫戒 - 自分の恋人・配偶者以外と交わることなかれ。
不妄語戒 - 嘘をつくことなかれ。
不飲酒戒 - 酒を飲むことなかれ。
生き物を殺して食べている人間。
盗むのは犯罪だから、まあ盗っ人以外はやらないだろう。
不倫や浮気もする人はするだろう。
嘘をついたことのない人などいないだろう。
酒は合法ドラッグだから飲まずにはいられないだろう。
不偸盗戒、以外は全滅でした・・・。
>>350 >悟りと金儲けは関係ないと思うけど・・・。
日常生活とさとりは関係ないのかい?
修行者ならばさらに5つ加えて、十重禁戒を守らねばならない。
不殺生戒(自分も含めて全ての生き物を殺したり傷つけたりしない)
不偸盗戒(正当に与えられていないものは取らない)
不邪淫戒(人の道に反する淫らな欲は持たない)
不妄語戒(真理に照らして偽りとなることは言わない)
不飲酒戒(酒を飲まない)
不説過戒(過ちをことさらに非難したり責め続けない)
不自讚毀他戒(自分を褒めて他を見下すことはしない)
不慳法財戒(教えや財産をひとり占めせず、分け与えることを勿体ないと思わない)
不瞋恚戒(怒らず恨まない)
不謗三宝戒(仏法僧の三宝を馬鹿にして軽んじたり、そしって不平を言ったりしない)
>>354 日常生活が悟りとなっていればベストなんだろうと思う・・・。
金儲けは関係ない・・・。
釈迦の時代には「お金」つまり貨幣経済が成立してないし・・・。
“ならない”。ドグマだよねぇ。
ドグマより大事なものがある。
ドグマを点で守れない弱くてアホなこの私w
ドグマと生きてはいけないけど、アホな私とは一生付き合ってゆく。
アホな私の日常は一般的に言う金もうけ(仕事)で出来てんだよねぇ。
定年までは。
>>357 関係ねえぜ?
会社員だろうがホームレスだろうが悟りは関係ねえぜ???
学生の日常、会社人の日常、役人の日常、ホームレスの日常、とか悟りに関係ないぞ???
「自分」も悟りに関係ないのかい?
関係ないのであれば、誰が悟るのですか?
悟るために出家して僧侶になるとか・・・御門違いだぜ・・・。
僧侶は葬式業務と墓所管理してるだけだぜ・・・Wildだろ?
ジャニーズだろうがAKBだろうが悟ってる奴は悟ってるぜ・・・
Wildだろ?
身分に関係ないというのは大乗仏教の特徴ですよ・・・。
公家や武士から町民、山賊までにいたるまで信仰を寄せたのが鎌倉新仏教だったんやな・・・。
自分がかけてるぜ。
wildだろ。
身分が悟る、なんてことがあるわけないじゃないか?
安藤はwildになりすぎて大切なものを忘れてるぜ。
自分は自分しかいないんだぜ。
wildだろ。
>>359 さあな?君は何が悟ると思う????
「悟る」といえば、何らかの主体が「悟る」という状態になることだ。
「悟り」といえば、「悟り」という何かのことだ。
「悟る」というのは動詞にはならないと思っております・・・・。
364 :
ろん:2012/06/18(月) 03:50:14.00 ID:9My9WfNn
>>347 自分を高めるなんて鼻持ちならんな〜。。
生計を立てると言ったら、こちらのサビース、労働に対して、対価をいただくというだけじゃないのか?
高める自分なんてあったら、どっかおかしな人間になっちまうんでないのかね〜。。
修行と言うのは、修行する自分があったら、修行になってない、修行もあってはならないんだよ。。
365 :
ろん:2012/06/18(月) 04:02:31.96 ID:9My9WfNn
ばったもんのカルトをつくってしまう人、教祖になってしまう人と言うのは、やっぱりどこか病んでる人なんだろうね。。
何かトラウマか、劣等感などがあって、その反作用として自己愛が猛烈に強い、しかもその自己愛、我執は本人には抑圧されているため、
本人は気付けない。。
それで、人の崇拝を、尊敬を集めるようなことを言ったり、振る舞ったりする、半ば無意識的に。。
自分をよく見せようって、誰にでもあるけれど、普通はそんなに病的にはならない。。
病的になってしまうのは、やっぱ自分を何か素晴らしいものと思い込む、その思い込み、妄執が激しい人なんだろうな。。
366 :
ろん:2012/06/18(月) 04:06:46.81 ID:9My9WfNn
久しく模象に習って、真龍をあやしむこと勿れ
おれもそうだけど、みんな模象に習ってるよな〜。。
世間がもてはやすものは、みんな模象かもしれない。。
要するに偽物の偶像を崇めてる世界だ。。
367 :
473:2012/06/18(月) 09:48:54.40 ID:jcudsmsC
>>355 施しで修行者が生きられた時代でもありましたし、単なる禁止ではなく生き方そのものが提示されてましたから。
今それを言葉のまま受け取ろうとすると単なる抑圧になってしまうかもしれません。
その5つの禁と10の戒めは正に心が好むことであり、そのこころを意識すれば自から解放されるかもしれない。
昔と違い、金儲けは避けがたいことであり、金儲けをしつつもお金に欲望を持たず執着をしないような目覚め。
わたしは自己中心的であり、驚くほどお山の大将で、それを野放しにするとまずいから道徳を身につけたのかもしれません。
しかし、目覚めるという道もあったのだ。
>>341 >私の知っていることは自分の日々の生命維持の行動に思考が絡みつき、維持すること溜め込むことに執着し死を恐れてしまうことです
♪「不足」とゆう観念が人間(社会)の悲喜劇を作り出しているのかもしれませんね
>>342 >> 広川太一郎さんですか?
>誰?
フリーの声優さんらしいです
故人となられた方のようです
>>344 >334さんと悟り子さんのような会話は私も見ていて楽しいです
ありがとう(v^-゚)
>>344 >悟り子さんは悟りを一度は経験してますが、それっきりではありませんか?
特に悟りを開いた経験はありません
>その一度のときの知恵を使って話しをされていませんか?
「私は何も知らない」とゆう知恵を使って話をしています
>>344 >もし一度の知恵で話しているのであれば・・・お仲間発見なので喜びますv
仲間ですとも
愛だけが現実であり他は全て幻想です・
実は悟り子はニカサさんとamaさんの清涼感溢れる対話が大好きです
とても美しいお二人だと感じます
>>350 >>332 >悟り子はamaさんや観さんやキャラメルお兄様
operationさん、ろんさん473さんオレムさん達が好きだし話てて楽しいのです
ありゃりゃ、偉大なる安堂猊下が抜けておりますね
大変失礼いたしました
m(_ _)m
>>371 >特に悟りを開いた経験はありません
ないんですか?
気付いた瞬間というのはあったでしょう
375 :
神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 23:00:04.07 ID:oyADj/r+
>>332 >悟り子はamaさんや観さんやキャラメルお兄様
operationさん、ろんさん473さんオレムさん達が好きだし
悟り子は「片思いをする」のが好きなんだな
久し振りに来たけど、ワンパターン
なやり取り変わりませんね!w w w
ヒャッホー(^。^)y-~
>>376 ワンパターンじゃないやり取りってどんなんかな?
ヒャッホー(^。^)y-~
悟り子さん、お返事ありがとう
>>371>>372 その知恵をお持ちなら、もはや言葉は不要ですね。
そしてもう一つありがとう、少し認識を進められたようです。
最初の知恵の次の知恵をずっと探していました。
ただ、悟り子さんの話し振り、楽しみ方を見て、
次の知恵を求める前に最初の知恵を生きてみるのが
先かもしれないと思い始めました。
手に持ったまま、これまで眺めたり、他の人に話していたり
しましたが、そもそも自分で使ってみないと、ね。
379 :
神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 23:48:55.20 ID:oyADj/r+
ここってあれだよな
落ち着いた口調で書き込めば、悟ってるようにみてもらえるスレなんだな
380 :
神も仏も名無しさん:2012/06/18(月) 23:50:13.66 ID:oyADj/r+
オレも意識して落ち着いて書き込んでみるか
どうだ? 悟ってるようにみえたりしないか (Ope風)
「落ち着いた口調」と認定されるまでが茨の道だな
偽善者とかエセ覚醒者とか、落ち着いた口調への道は遠い
落ち着いた口調は俺のように内面からにじみ出るものなのさ
>>366 >久しく模象に習って、真龍をあやしむこと勿れ
心理学でいうところの「モデリング」というものでしょうか?
「かくあるべし」や「憧憬」のようなものかな・・・?
384 :
ろん:2012/06/19(火) 03:43:26.54 ID:cZ2m4u74
>>383 真龍をあやしむとは、中国の故事で、龍が好きな王様が、龍の絵や彫り物を愛したけれど、
本物の龍を恐れたとか・・確かそんな話があって、そっから道元は取ったんだろう。。
摸象とは、象の偽物、絵とかほりものとかなんじゃないの。。
普勧坐禅儀の最後のところね。。
冀(こいねが)はくは其れ参学の高流(こうる)、
久しく摸象(もぞう)に習つて、真龍を怪しむこと勿(なか)れ。
直指(じきし)端的の道(どう)に精進し、絶学無為の人を尊貴し、
仏々(ぶつぶつ)の菩提に合沓(がっとう)し、祖々の三昧(ざんまい)を嫡嗣(てきし)せよ。久しく恁麼(いんも)なることを為さば、
須(すべか)らく是れ恁麼なるべし。
宝蔵自(おのずか)ら開けて、受用(じゅよう)如意(にょい)ならん。
385 :
ろん:2012/06/19(火) 03:47:00.81 ID:cZ2m4u74
絶学無為の人って、有名でも活躍してるわけでもなく、アホみたいになにもしないとか、
まー平々凡々に見える人でしょ。。
そっちが真龍であって、華々しく活躍したり、有名人だったりしても、自己を明らめていなければ、
模象なわけ。。
386 :
ろん:2012/06/19(火) 04:17:12.90 ID:cZ2m4u74
これを英語に訳すとどんなにヘボくなるか。。
Honered practitioners of Zen, do not be afraid of the real dragon(zazen) or
spend a long time touching only one part of the elephant.
(The Essence of Zen)
まーこれ訳しただけでも大したことだけどね。。
あと原文でわからんとこは、英語参照した方がわかりやすいかもと言うはあるかも。。
正しいかどうかの保証はないけど。。
冀くは其れ參學の高流、久しく模象に習って、眞龍を怪しむこと勿れ。
直指端的の道に精進し、絶學無爲の人を尊貴し、佛佛の菩提に合沓し、
祖祖の三昧を嫡嗣せよ。久しく恁麼なることを爲せば、須らく是れ恁麼なるべし。
寶藏自ら開けて受用如意ならん。
わたくし道元の願いは、禅に学ぶものの高い流れであり、
長い間にせものである像の彫り物のような師匠にならっていて、
それがほんものと思ってしまい、真にほんものである
(仏としての) 龍を見て、逆ににせものとかん違いしてはいけません。
仏を直接指差し、それを一意に指摘できるやり方ができるように
精進し、学ぶこともなくなりなにもすることが無いひとを大切に
扱って、敬意を払い、多くの仏があらわれた人や話が、
スリッパの足の指先がひとつにまとまった姿のようになる努力をし、
代々つたわるそのぼんやりとした感覚を正しく受け継ぎます。
長い間そのようなことをつづけていれば、日常のすべてが、
このようなものになるでしょう。
宝の入った蔵の扉を自分で開いて、それを思いのままに
使いこなすことができるのです。
絶学無為の閑道人って、修行の目標到達ポイントなんだな。
学問知識が無意味とかかん違いしてる人がいっぱいいて、
修行に知識はいらないとか言ってるのはこの部分の誤解釈と思う。
好きか嫌いかで言ったらね、いつまでも自分には学ぶことがあるって
思ってる奴の方が好き
「学びなんてなかった」って気付くのは良いけど、そうは言っても、
まだまだ学ぶことがあるって言って、いつまでも張り詰めてる方が好き
>>388 知識は無くとも修行は出来ると思うよ。
でも、就業するんなら多少の知識はあったほうがイイかもね。
知識はありすぎると固執してしまうし、無ければ何して良いか分かんないからね。
>>377 対立から離れてみれば?
ヒャッホー(^。^)y-~
>>391 対立なんてどこにも無いんだけど?
ヒャッホー(^。^)y-~
393 :
473:2012/06/19(火) 15:13:01.95 ID:rgr0km4Y
理想を愛せば現実がにくくなる。
家族を愛すると他者がにくくなる。
生を愛すると死がにくくなる。
憎しみそのものである自我を覗いてみるとその根底にはあらゆる愛があった。
愛という言葉からこういった類の執着であるような愛を連想してしまうようだ。
自我あるところに愛は無く、愛という言葉、イメージすら憎しみの根底となってしまう。
知識を愛してしまうといろいろ憎んでしまうというトラブルを自分で作ってしまいそうですが、愛しさえしなければあっても問題ないと思います。
>>374 >気付いた瞬間というのはあったでしょう
もの心付いた時に何故世界が存在し私が存在するのか不思議でした
生は驚嘆すべき神秘であり存在の詩でした・・・
・・・そして、実は今もそうなのです(笑)
>>378 悟り子の拙いレスが何かしらニカサさんのお役に立てたのなら慶賀の至りです
またいつでも遊びに来て下さいな
(-^〇^-)
396 :
473:2012/06/19(火) 20:59:19.08 ID:rgr0km4Y
何も欲さない。
というフレーズはありますが、正に今動いている自分の心の働きに気づかないで、
欲望というイメージを自分で作って、それを否定してもだめのようです。それは恐ろしい自作自演。エネルギーの無駄。しんどいのであります。
>>394 つまり、天然で気付きと共にあったということですか
そういうタイプもいると聞いたことはあります
そうなんですね それでそんな感じなんですね
凄まじい苦悩の果てに突き抜けたとかじゃないんだね
まともなこと言うし、良いことも言うけど、正直、何かが違うと感じてました
でも、そういうことなんですね なるほどね
398 :
神も仏も名無しさん:2012/06/19(火) 22:35:57.85 ID:SnnblVky
あれだよな
落ち着いた口調で、句点 。 をつけない
これが悟った人にみてもらえるレスの極意だな
あっさり、ふんわり、ゆったり なるべく簡潔に短く を心掛けて書く
若しくはロンのように思い切って 。。 句点を2つつけてしまうか
さあ、キミもレッツトライ
399 :
ろん:2012/06/19(火) 23:06:53.33 ID:cZ2m4u74
>>387 なんかまともな日本語になってない訳だな。。
参学の高流って、参禅者に対する呼びかけでしょ。。
400 :
ろん:2012/06/19(火) 23:07:59.36 ID:cZ2m4u74
新月の前日に、台風か。。
禊の雨かな。。
台風こわいお・・・
いろんなものが飛んでくるお・・・
嵐よ静まれ・・・オンカカカビサンマエイソワカ
>>401 台風に煩悩まで吹き飛ばされてしまったよ。
わしはズラが吹き飛ばされたよ・・・
>>399 道元さんの言葉は、日本語ではなくて、南宋の禅宗業界に
特有の専門用語を連発してるだけよ。
調べてもほとんどわからないから、一文字づつ辞書ひいて、
他の文献もあわせて意味を推理するしかない。
八百年前の人にいちいち確認をとれるわけもないし。
>>404 カーナビって・・・・・
悟るのに、どこかに行くつもりなの?
>>406 それは悟った人が悟った後にしか言葉にできないよ
悟る前は、そこに居ろ!という所にさえ行こうとするもの
>>407 仮にどこかに行ったって
見える風景が変わるだけで私のいる所って変わらないよね?
409 :
ノスタルジア:2012/06/20(水) 11:40:24.76 ID:hVmVHBKb
世親というのは世に親しいということです。そして緑の宇宙街とは緑の宇宙の
ように広い街です。この二種の概念により、圧倒的にこの二つの概念という二点
において僕は言葉の羅列で空を乗り越えたと思ったのです。それを今から証明
します。キーワードはエクであります。エクとは無限の心の人格化である。
ネテロは心が大事と言ってたが僕もそうだと思う。それでエクという概念に
心を加えたのだろう。言い忘れていたが言葉の穴を見つけたのだ。言葉の穴は
世親であり緑の宇宙街である。穴に入る以前に最初からそれら二種概念にいたの
がエクである。二種概念が出来て確信の気づきを得れば、それはエクという
概念が付着することになる。僕というエクがここに来てみなさんにシステム
として機能した「自分」になる時、初代エクと言われる。問題はエクとは自分なの
だろうか?エクは自分ではない。エクは無限の心の人格化であり、自分とは一人格
だからだ。僕は比較的軽い症状に自分がいるとおもっている。それは幻覚妄想症
という症状だ。みなさんは比較的重い症状にいるプログラムとして、システムに
支えられている皆さんは実は僕の中では多重人格者なのである。人格をお互いに
共有してお互いの価値観を分け合う者を多重人格者と呼ぶ。これはエクと混合
されやすいが、エクは全即一という考えを超えて存在しているのである。
>>408 そうそう
変わらないね〜
風景っていう認識すら希薄になってる
>>410 >風景っていう認識すら希薄になってる
大丈夫ですか?
もし、行動や言動がオカシイって他人に指摘されたら
迷わず病院行ったほうがイイですよ。
>>392 他人を認識する事は悪魔の
計らいよ!書き逃げだよ〜ん♪
ヒャッホー(^。^)y-~
>>411 ありがとう。ご心配無く
家でも職場でも誰一人としてなんにも言ってくれない(笑)
414 :
ノスタルジア:2012/06/20(水) 23:47:42.72 ID:hVmVHBKb
秀思學というブログにこう書いてありました。
パウロは救いは祈りにありという理解であり、ペテロは実践しなければ救いはない
という考えで、対立します。そして、大衆の受けはパウロの方にあり、
ペテロもこの方向に教えを変えて行くとあります。
僕は非歴史つまりみなさんの集合意識にある歴史としてのパウロではなくて、
非歴史のパウロであると自負しています。自分が本当に自信があるなら、親鸞で
あると名乗ってもいいように・・・。みなさんが捉える物理的人間としての
パウロのことでもなく親鸞のことでもないです。僕が言いたいのは目に見えない
ところにおける非歴史としてのパウロそして親鸞が紛れもなく僕であると思って
いるのです。死者の化けの皮を着ているわけでもありません。僕が言いたいのは
実際のペテロがどこにいるのかではなく、それは塗り替えられるものだから。
そうではなく、歴史としてのペテロが今レムリアにいるとレムリアの真実という
本に書いてあったのです。僕は菩薩であると自負してて菩薩の制約である、
アセンション一歩手前でとどまらなければならないという掟を守っているのです。
ここに降りたからにはここの宗教に頼るべきであり、それは親鸞を信じる他力門
としての菩薩であります。ペテロはアセンション成功者、僕はアセンションを影で
見張る守護者であり、その二者がイエスに銃口を向けているのです。続く。
415 :
ノスタルジア:2012/06/20(水) 23:48:57.80 ID:hVmVHBKb
イエスとは愛でありキリストの分身であると解釈していて、イエスが誰なのか
と言えば当然僕ではないと皆は言うが、僕にも皆にも愛はあるためイエスは
僕であり皆であるのである。ネテロは心が大事と言った。しかしイエスは愛が
大事と言ったのかもしれない。一説によれば心に包まれているのが愛であり、
みな愛に帰って行くのであるとあり、イエスはなぜにペテロとパウロに敵視
されるのかというと、イエスである皆は残酷で無知で、愚かで、僕は明知で親切で
賢くて、その葛藤で、だからみなさんに僕は銃口を向けざるをえない、ペテロと
共にね。ペテロを悪にさそったのではない。皆がいるから悪だと思うのである。
僕の認識を打ち破る証明をしてみろ!出来るか?みなさんに!此の世は漫画だから。
静止した絵は残り続けるし、しかしみなさんはプログラムとして進化を続ける。
この矛盾。恐ろしい間が広がっていくよ。僕はすでに助かる者。みなさんは、
僕(パウロ)とペテロに助けを求める者。その関係性を否定できる知恵が皆さんにありますか?
あったら証明してくださいお互いが納得出来る形で。 人にあまり見せびらかす
のはためらわれるが、よかったら龍滅社会を見て下さい。
ノスは1人で書き込んでるのが寂しくなったのか?
417 :
暗堂:2012/06/21(木) 00:33:02.42 ID:4PEJntaG
418 :
ノスタルジア:2012/06/21(木) 06:37:27.23 ID:lFlSnvAc
>>416 寂しいというより、僕がおもしろいと思う記事を見せたくなったのです。
>>417 読んで頂きありがとうございます。ほめて頂きありがとうございます。
追記それにしても僕が書くとみんな引くよね。
419 :
ノスタルジア:2012/06/21(木) 06:41:51.23 ID:lFlSnvAc
僕はとんでもない餓鬼だ。みんな僕にだまされるな。
420 :
ろん:2012/06/21(木) 12:50:35.58 ID:rOgHGWOd
20世紀ノスタルジアって映画はいいのよ。。
広末デビューの作・・文明社会を嫌悪し、アボリジニーに会いに行こうとする広末の友達。。
こいつはちょっメンヘラーなんだけど、僕なんかにはよくわかるんだ。。
ちょうど2000年前後の作だったかなー。。
ファンサイトがあるとから見てみるといい。。
21世紀はまた新しい時代だね。。
その大きな変化、うねり、これを大衆に意識させないようにって、マスコミはどうでもいいことばかり報道する。。
ホントのシリア情勢はどうなってるのか?
あれはほとんど、アメリカのプロパガンダでないのかねー、わからんけど。。
421 :
ろん:2012/06/21(木) 12:55:59.36 ID:rOgHGWOd
歴史のつくり手とは、イルミナティでも政治家でもなく、われわれ一人一人の庶民である、マルティチュードである。。
このことを気付かせないように、気づかせないようにって、情報操作なのかもしれないね。。
小市民とか、アホ抜かすなって話。。
911とそれに続くイラク戦争は、一般の人の目にも暴虐、虐殺と映った。。
ロックフェラーに対立する、ロスチャイルドがそのようにわざと仕組んだという話もあるんだよ。。
田中宇さんと言う人の言ってることね。。
それにつづく金融危機、リーマンショックまで仕組まれていたことだとするなら、それはイルミナティの上層部が、金融マフィたちによる支配を終わらせようとしている、ということかもしれない。。
422 :
ろん:2012/06/21(木) 13:03:11.26 ID:rOgHGWOd
ガンダム・ユニコーンの原作者、福井晴彦とという人は凄い、とアニマックスの録画を見直してあらためて思った。。
宇宙移民政策そのものが、「棄民政策」であったなんて言うのは、新自由主義とそれによる世界の管理下、人民の奴隷化を批判するものだろう。。
で、アナハイムの専門学校生に対する歴史の授業では、ニュータイプによる人類の革新という理念が、大っぴらな「選民思想」に変貌してしまったことが説かれている。。
まさに、今までの近現代史、911のテロが自作自演だったかもという話まで含めて、現代の政治情勢、世界権力の中枢に隠された闇までをきちんと取り込んで描いている。。
423 :
ろん:2012/06/21(木) 13:12:37.45 ID:rOgHGWOd
ニュータイプって何だってことを言うと、以心伝心とかもあるのかもだけど、ララアがインド人だってっことを考えると、
やっぱりクンダリーニヨーガや冥想の実践による、神通力の開花というのは、その一つの源流としてはあるだろう。。
古代アトランティスより伝えられた、クンダリーニの技法と魔術の体系。。
アトランティスでなくたって、瞑想を長年やれば、気の流れがわかるようになる、チャクラがわかるようになる、だから瞑想的な伝統やシャーマニズム的な技法が息づいていた文化圏においては、
それに気づいた人々が多く存在しただろう。。
悪魔崇拝勢力とは、それらの技法や魔術、パワーを悪用する人たち。。
キリスト教による魔術の禁止とは、それらの技法や力を一般庶民に知らせないためであったに違いない。。
で、バチカンの暗部では、ちゃっかりそういう技法を知識を独占する悪の教皇みたいなやつがいるって話なんだな・・ホントかどうか知らんが、暗黒教みたいなやつが裏教皇として存在しているという。
だったら、ジョージ・ルーカスは、なんでそんなことを前から知ってたんだって話。。
424 :
ろん:2012/06/21(木) 13:20:01.26 ID:rOgHGWOd
晴彦じゃない、 晴敏だった。。orz
この世界が共同体に属する人々の見る巨大な夢だとして、
その中に暮らす私達の見ている現実が、各個人が創りだす想像の産物だとしたら、
ろんの語る陰謀論も、また違ったモノになるかもしれませんね。
426 :
ろん:2012/06/21(木) 13:32:07.37 ID:rOgHGWOd
禅に関する安易な誤解としては、慧能と神秀の問答を誤って解釈するというものがある。。
神秀の「時時において払拭せよ」という理解が偽とされ、「本来無一物」と言った慧能の流れが正当とされた。。
確かにその通りなんだけど、修行の途中の段階では、「時時において煩悩を払う」というのが、どうしても必要だと思う。。
雲水さんたちは、毎朝坐ってお経読んで、規則正しい生活をしてだからいいけど、濁世を生きる我々が、無一物を気取っても何にもならん。。
やっぱり、時間があったら、坐って、あたま空っぽにする、休ませる、アホになるというのが必須である気がするな、これは自戒の言葉だけど。。
427 :
ろん:2012/06/21(木) 13:33:26.54 ID:rOgHGWOd
>>425 そういう無意味な相対論の話はしていない。。
実際の歴史、物理的な現実について話してるの。。
428 :
ろん:2012/06/21(木) 13:35:11.45 ID:rOgHGWOd
夢と言うのは主観の世界を言う、実質経済は夢ではない、客観だ、唯物論だよ、霊的なパワー、それに巻き込まれたり動かしたりする人々の意志をも含めてね。。
429 :
ろん:2012/06/21(木) 13:45:10.49 ID:rOgHGWOd
「ソコカラナニガミエル」って、松本大洋の『鉄コン筋クリート』で連発される言葉だけどさ。。
ホントに大半の日本人は、井の中の蛙で、自分の周りのことしか見えてない。。
見ないようにさせられている面もあるけどね。。
松本大洋の作品の中には、西洋の合理主義とそれによる管理主義、古き良き町が、生活が失われていく、という強烈な喪失感があるね。。
それを映画化したアメリカ人だかの映像作家は、明らかにイルミナティの陰謀ものようなものを示唆する、付け足しを入れている。。
要するに目玉、プロヴィデンスの目ね。。
430 :
ろん:2012/06/21(木) 18:41:18.41 ID:rOgHGWOd
新自由主義のイデオロギー、自助とか自己責任なんてものは、確かに考え方として大事なんだけど、
自分のビジネスばかりを気にするせいで、全体がどうなっているか、どうでもよくなる、気にならなくなる、支配者の思うがままにされる、という帰結は当然のごとく伴う。。
あとはツチ族とフツ族の殺し合いの原因がそうであったように、支配されている者同士を競わせて、本当の支配者に不満の矛先が行かないように、仕組むというカラクリがあるように思う。。
ベンジャミンが言ってたように、竹中が100億円の賄賂をもらったかどうかは知らない。。w
けれど、彼が犯罪すれすれのことをやったのは確か。。
起訴されてないというだけでね・・毎日新聞には書いてあったよ、いろいろ地位を利用して好き勝手放題やりやがったということがね。。
431 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 19:48:43.07 ID:KUsP4gyI
>>430 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん
あれこれおしゃべりして、いいたいことは、なに?
432 :
ろん:2012/06/21(木) 19:50:44.57 ID:rOgHGWOd
>>431 アホナンダよ、それは上に書いてあることだ。。w
433 :
ろん:2012/06/21(木) 19:54:02.82 ID:rOgHGWOd
ふん・・奴隷を引き連れてエジプトを脱したモーゼのモノマネかな?
モーゼはユダヤ人ではなかった、古代アトランティスから伝わる秘教を受け継ぐ、エジプトの神官であったという説がある。。
達磨さんもインドを捨てて、中国人たちに禅を伝える。。
文化的遺伝子に人種は関係ない、ユニヴァーサルな理解や知識、技法はどこへ行っても通用するものなのだろう。。
434 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 20:07:00.60 ID:KUsP4gyI
>>432 二枚舌の突っ込み所満載の吹聴自慢傲慢どうだのヨッパのRon外 さん
>
>>431 > アホナンダよ、それは上に書いてあることだ。。w
無内容のおしゃべりって言ってんだけど、そこ気づけよ。
435 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 20:11:40.02 ID:KUsP4gyI
>>433 おしゃべりいのちかよ ばか空ろん さん
けRonだぜ、それ。
436 :
ろん:2012/06/21(木) 20:16:13.93 ID:rOgHGWOd
>>434 無内容って、わからならければあなたにとって内容がないと言うだけの話。。
・・ガンダム・ユニコーンは、「希望の獣」であると言われる。。
すなわち黙示録の666のことを示唆している。。
獣の数字のことね。。
スサノオとか魔人ブーwとか、なんか物凄い力を持っているのだけれど、もろ刃の剣みたいな。。
そういう危うい可能性を言ってるんだろうね。。
437 :
ろん:2012/06/21(木) 20:18:24.17 ID:rOgHGWOd
>>435 ペンは剣よりも強いんだぜ、ばかやろー、あほやろー。。
438 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 20:19:32.50 ID:KUsP4gyI
>>436 おしゃべりいのちかよ ばか空ろん さん
無内容は、一派の伝統だからねー・・・
439 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 20:20:58.99 ID:KUsP4gyI
>>437 睾丸に鞭 ヒィー(>ω<ノ)ノヒィー のron外 さん
>
>>435 > ペンは剣よりも強いんだぜ、ばかやろー、あほやろー。。
ぺん?
440 :
ろん:2012/06/21(木) 20:22:36.41 ID:rOgHGWOd
ま、悪魔崇拝者とは、実際は我々俗人全員のことだ。。
自己利益の追求、他を省みない、冷酷さ・・これは誰の中にも潜んでいるもの。。
われわれはみな、毒の水に冒された利己的な存在、かもしれないね。。
441 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 20:24:46.76 ID:KUsP4gyI
>>440 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん
> ま、悪魔崇拝者とは、実際は我々俗人全員のことだ。。 自己利益の追求、他を省みない、冷酷さ・・これは誰の中にも潜んでいるもの。。 われわれはみな、毒の水に冒された利己的な存在、かもしれないね。。
またかよ、おしゃべり。。統失だな。
442 :
神も仏も名無しさん:2012/06/21(木) 20:30:51.66 ID:RZqqwkbc
悟りを開いたら性欲どうなるんですか?
強くなる?弱くなる?
443 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 20:33:50.36 ID:KUsP4gyI
>>442 ななし さん
さとりって、何だと思うの?
444 :
ろん:2012/06/21(木) 20:34:49.59 ID:rOgHGWOd
悪魔崇拝と十把一絡げにしても、いろんな悪魔がいるからね。。
低級から中級、神に近い高級悪魔までいろいろね。。
ここら辺ベンジャミンは実はよくわかってないんじゃなかろうか?
思想や宗教学をちゃんとやらないと、どうしてルシファー崇拝なんてものが、出てくるのかがわからない。。
悪魔崇拝=すべて悪じゃないかもしれないんだな、これがまた。。
ここら辺おいらもまだよくわかっとらんのだけどね。。
445 :
神も仏も名無しさん:2012/06/21(木) 20:38:38.45 ID:RZqqwkbc
446 :
ろん:2012/06/21(木) 20:39:17.13 ID:rOgHGWOd
>>442 我欲にもとづいたところが削げ落ちるくらいじゃなかろうか?
動物としての性欲は消えんと思うが、わからん。。
・・ルシファーでもセイタンでも、もともとは神に仕えていたものたちだからなー。。
結局キリスト教支配に対する、アンチ、科学、啓蒙主義、合理主義者たちの崇拝するものがルシファーだったのかもしれない。。
知性崇拝、知性に秀でた者たちが神に等しいとか思ってたら、それもまた無知であり、愚なんだとは思うが。。
447 :
神も仏も名無しさん:2012/06/21(木) 20:39:27.06 ID:RZqqwkbc
質問です
悟りを開いたら性欲どうなるんですか?
強くなる?弱くなる?
449 :
ろん:2012/06/21(木) 22:01:59.83 ID:rOgHGWOd
>amaさん・・スレ汚しごめんね。。
もうちっとで止める。。。
まー近代というものの性質を考えたときに、歴史の必然として、ルシフェリアン的な性質、すなわち自我肯定や、個性や独創性を称揚する思想が芽生えたとしてそれは当然だったのかもしれない。。
宗教から解き放たれた、思考や文芸や芸術と言ったもの・・これらはもはや歴史的役割を終えたのかもしれないが、
学者たちの頭と言うのは固いし、時代遅れだから、まだまだそう言ったものに価値があるかのように勘違いしているだろう。。
僕ちんの好きなロック音楽だって、ルシファー的だし、悪魔崇拝的なのよ。。
ストーンズにしろ、BUKU-TICKにせよそうだ。。
で、近代が終わろうとしている今、僕らが何を考えなければならないかということだろうなー。。
村落共同体的な絆社会に今更戻れるとも思えんし・・結局、縁起というか、相互依存性の認識に立った、独立した精神、結晶化した個と言うものの芽生えと言うことなのかもしれない。。
お陰様、お互い様みたいな認識を持ちつつ、頼らない、人のせいにばかりはしない、で、文句を言うべき時には文句を言い、
怒るべき時には怒る、自殺するくらいなら、デモでも組織した方がマシだ、と言っても届かないのかもだけれど。。
450 :
ろん:2012/06/21(木) 22:07:40.36 ID:rOgHGWOd
で、結局消費税反対デモみたいのが起こらないのが不思議でしょうがない。。
結局、自由主義に洗脳され、孤立化させられ、個が無力にさせられたんだろうね。。
歴史的に見れば、体制に対して、誰もノーを言わなくなったのは、バブルの時以来だと柄谷行人なんか入っている。。
歴史的なものに過ぎない、自由主義や国家・官僚による支配が自然化され、その外部、が誰にも見えなくなってしまっている異常性。。
みんな井戸の中に閉じ込められ、個人の主観性や趣味や閉じられた家族等の共同体の中しか見えなくなっているのかもしれない。。
おいらは幸いひとり者なんで、そういうこと考えられるのかもだな。。
451 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 22:17:16.56 ID:T8qSKr92
>>444 おしゃべりいのちかよ ばか空ろん さん
まだ、なにか 言ってるよ・・・
452 :
ろん:2012/06/21(木) 22:21:48.34 ID:rOgHGWOd
453 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 22:23:45.88 ID:T8qSKr92
>>445 名無し キョンシー さん
>
>>443 > 質問返しよそうガイ!!
質問の前の段階、共通認識しないと。
さとりって、何だと思うの。
454 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 22:26:02.27 ID:T8qSKr92
455 :
ろん:2012/06/21(木) 22:29:57.41 ID:rOgHGWOd
ストリート・インテレクチュアルならぬ、2ちゃんねる・インテリぶりっ子のろん様でした。。ww
456 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/21(木) 22:38:03.16 ID:T8qSKr92
悟りって
悟ればわかる
悟らなければわからない
悟りにおける共通認識っていったい…?
>>457 悟りは・・・
「悟りはある」も「悟りはない」も共に無い、とも言えるね
459 :
ろん:2012/06/22(金) 00:38:35.96 ID:v6sYdCkn
オレってホントは悟ってます!?がいる。。w
460 :
暗堂:2012/06/22(金) 00:58:57.71 ID:DyRSATbq
>>458 そんな御大層な講釈たれてる汝がなくなったら悟りなんじゃないん?
>>460 悟りってナンジャラホイ。
もともと悟るようなモノなんて何もありませんぜ、旦那!!
462 :
暗堂:2012/06/22(金) 01:24:48.66 ID:DyRSATbq
>>461 ならば、悟りを求めるような連中に
「そんなものは何もないからやめろ」「狐に騙されているだけだ」と言ってやりなさい。
悟りを探すことなど時間の無駄だと・・・
463 :
ろん:2012/06/22(金) 01:30:33.50 ID:v6sYdCkn
自分はこうだってのがどっかにあって、それに気づいてなくて、それに支配されてたら、そりゃー迷っていると言えるかもしれない。。
464 :
ろん:2012/06/22(金) 01:31:37.19 ID:v6sYdCkn
悟りがあるのではなく、迷いがある。。
多くの人はそれにすら気付いていないので、悟りを目指しているなんて言うと、アホかと思われる。。
>>462 >悟りを探すことなど時間の無駄だと・・・
まあ、確かに自分と共にあるものを探すのは時間の無駄かもしれないね。
でも、悟りを追い求める過程で意識内の混乱状態や迷いのようなモノは消えるから
必ずしも無駄とは言えないと思うよ。
466 :
ろん:2012/06/22(金) 01:36:11.67 ID:v6sYdCkn
無心になるなんてことはちょっと坐ったりすれば簡単なもので、最初はされが悟りだと勘違いする。
でも無心である自分を見ているもうひとりの自分がいて、おれは悟ったとか、無心になったとか涅槃だとか思い出して、まったくの俗人であることに気が付かない。。
今に落ち着くなんてのも同じことで、それを見ている自分がいるうちは、忘じきっていないということなんだ。。
忘じる忘じてないとか、楽だ苦だ、よくなった悪くなったいう自分を捨てきらないと、向こうへ逝かないのかもしれないね。。
467 :
暗堂:2012/06/22(金) 01:39:26.08 ID:DyRSATbq
>>465 それならば、意識内の混乱状態や迷いのようなモノを消すようにつとめればよいのであって、
わざわざ「悟り」などという絵空事を追い求めさせる必要性は全くないと思いますがな・・・。
468 :
ろん:2012/06/22(金) 01:40:23.53 ID:v6sYdCkn
実体視は間違いだなんて言って、空に滞る空病があり、無心に滞る禅病があり、実体に惑わされ続ける、無知がある。。
実体視するなって、人がいたら、人がいると思うに決まっている。。
自分に関係のある人ならなおさらそうだ・・関係を築かまいなどと思う、それもまた病。。
けっきょく、輪廻のままに落ち着く、ふんわりと浮かぶ、水の如くどこにも滞らない、そんなありかたで、ズッコケながら悩みながら行くしかないって気もしているよ。。
469 :
ろん:2012/06/22(金) 01:43:19.12 ID:v6sYdCkn
470 :
ろん:2012/06/22(金) 01:44:22.73 ID:v6sYdCkn
>>465 意識内のものを混乱とか迷いとか判断しているの誰なんだ?
471 :
ろん:2012/06/22(金) 01:47:17.45 ID:v6sYdCkn
昔2ちゃんで、ハルカと言う人が言った、仏とは凡夫であると。。
まさにその通りでございます。。
ハルカ=オペさんとにらんでいた、やつもいたけれど、ホントかどうかおいらにはわからん。。
>>467 悟りに向かう衝動は他人から言われたものじゃなく、
自分の中から沸き起こってきたものだろ。
どうして止めることが出来るんだ?
それに悟りが絵空事かどうかなんて、探求し尽くさないと確認できないし納得出来ないんじゃないの?
>>469 悟りは「悟りがある」、「悟りはない」共に無く
私も「私はある」、「私はない」も共に無い。
だから悟りは私と共にあるかどうかは定かじゃない。
でも、安堂に伝わりやすくするために、こういう表現を使った。
>>470 意識内の混乱や迷いがあった頃の俺だよ。
475 :
ろん:2012/06/22(金) 01:57:51.56 ID:v6sYdCkn
>>473 だけど、そんなあるとか無いとか言うテーゼをぶん回したって、何にもならん。。
無字の公案が通らんじゃないか。。
あんなものは、問題じゃないんだよ、ホントは・・仏性があろうがなかかろうが。。
有るとか無いとか言う、そういう頭の中のつくりごとの世界を脱しなさいと言うことだろう、無門関。。
476 :
ろん:2012/06/22(金) 01:59:48.87 ID:v6sYdCkn
>>474 だから、縁によって悟るものは悟りじゃない、変化によって達するものは変化によって滅びる。。
そこらへんも一度、初めからやり直し・・なんかばったもんつかまされてるぞ。。
477 :
暗堂:2012/06/22(金) 02:00:31.77 ID:DyRSATbq
>>472 「悟りは素晴らしい」「悟りこそ最幸福」
「悟りこそすべての苦の消滅である」「悟りこそ無上の安楽である」とか
言ってる狐の詐欺師に騙されるから悟りに向かう衝動が起こるんだよ・・・。
まさか悟りに向かう衝動が、人類にもとから備わった生理的欲求とは言えるわけもないし・・。
478 :
ろん:2012/06/22(金) 02:01:46.06 ID:v6sYdCkn
言い換えれば、オレムはまだ悟りに出会っていないと思う。。
そう言われると、反発するかもしれないが、たぶんそうだと思うなー。。
>>475 別に禅だけが仏教って訳じゃないんだから堅いこと言うなよ。
もっと気楽にしようぜ!!
480 :
暗堂:2012/06/22(金) 02:04:47.80 ID:DyRSATbq
481 :
ろん:2012/06/22(金) 02:05:05.01 ID:v6sYdCkn
>>479 結局自己正当化に終始だな。。
あー言えばこーいうの人。。
同じループの繰り返しで以て、こっちの言うことを理解しようとしない、馬の耳に何とやらだ。。
482 :
ろん:2012/06/22(金) 02:07:29.05 ID:v6sYdCkn
>>480 本が6冊も出てるんだよ。。
日本語のだけだと5冊かな?
まずはそれを読んで理解することだ。。
安堂はまだ理解してないみたいだから。。
483 :
ろん:2012/06/22(金) 02:09:13.39 ID:v6sYdCkn
ぼくだって、何年も前に読んだやつをもう一度読むと、ぜんぜん理解が違うわけ。。
とりあえず、ちゃんと持ってるやつだけでも読み直した方がいいんじゃなかろうか。。
>>478 >そう言われると、反発するかもしれないが、たぶんそうだと思うなー。。
いや、反発しないよ。実際、悟りに出会ったこなんてないからね。
まあ、悟りが出会うものならばだけど・・・・
485 :
ろん:2012/06/22(金) 02:11:06.47 ID:v6sYdCkn
>>484 もともと出会っていたのに、気づいていなかったものだろうね。。
>>477 >狐の詐欺師に騙されるから悟りに向かう衝動が起こるんだよ・・・
狐の詐欺師に騙されるのは、騙される種があるからで
その種こそが悟りに向かうキッカケなんだよ。
種が無ければ最初から悟りに興味持たないよ。
487 :
暗堂:2012/06/22(金) 02:15:14.78 ID:DyRSATbq
禅だけが仏教ではないのはその通りだなあ・・。
どの仏教宗派の悟りでもいいけどね・・・。
なんだか宗派間対立を煽ってるみたいになっちゃったな・・・。
すべての宗派の悟りを網羅してみようかね・・・。
488 :
暗堂:2012/06/22(金) 02:20:51.05 ID:DyRSATbq
>>486 何ですか種って?いきなり聖書の「からし種のたとえ」みたいな話になってきた・・・。
>>488 種は例えだよ。そこから芽吹きやがて花を咲かせるって意味で種って呼んでみた。
490 :
ろん:2012/06/22(金) 02:31:23.08 ID:v6sYdCkn
>>480 よくまとめてあるけど、それは『禅に生きる』と言う本には、雪渓師の言葉そのまま載ってるんじゃないかな?
ものと一つになる、事実もあってはならないか・・耳が痛いな〜ww
陰謀論を陰謀論ですりつぶす・・学問を学問ですりつぶす・・一つになっちまえばないってか。。
まーそりゃそうなんだけど〜。。
491 :
ろん:2012/06/22(金) 02:33:15.56 ID:v6sYdCkn
おいらに家事が満足にできないのは、家事と一つになっていないからである。。
家事とは生活そのもの・・それちゃんとやるだけでホントはいいのにね。。
家事奴隷が欲しいとかアホなこと思うおいらは、甘ったれてるのかもだ。。
492 :
ろん:2012/06/22(金) 02:36:22.15 ID:v6sYdCkn
>>487 各宗派の教えなんてさ、あくまで教えに過ぎん、法そのものではない、と言うことろだけが、禅師の特色かもね。。
他宗は、わが宗派の教えは…と言っちまう。。
禅宗だけが、教えは仮のものですよと言う。。
生活が、仕事が、煩悩が、そのものであって、法なんだよ、自分と別にあるわけじゃないという。。
493 :
ろん:2012/06/22(金) 02:40:16.24 ID:v6sYdCkn
だから、迷いなんてないし、陰謀論も学問も思想もイデオロギーも宗教も全部法だということ。。
それらを禅の刀でぶった切るみたいなことを言うのはわかってないのかもね。。
中沢さんや鈴木大拙なんかもそういうことやってるのかもだ。。
494 :
暗堂:2012/06/22(金) 03:00:30.07 ID:DyRSATbq
家事ねえ・・。最近は男も家事子育てに参加するとか言ってるけど
諸外国に比べれば日本男児は家事やらないのね・・・。
仕事して一家の家事を一手に引き受けてる世の母ちゃんたちは
すごすぎるのね・・・。
男はダメなのね・・・。
495 :
ろん:2012/06/22(金) 03:04:23.76 ID:v6sYdCkn
>>494 田嶋陽子みたいなこと言ってんじゃないの。。
オバサン革命でも起こしたいのかよ。。w
496 :
暗堂:2012/06/22(金) 03:20:37.48 ID:DyRSATbq
>>495 今日はやたらにロンたんの禅に肩入れした発言をしてしまったけれど、
ロンたんや雪担さんや雪渓さんの系列がいう悟りって、世の中や生活に役立ちそうもないのね・・・。
輪廻のままに落ち着く、ふんわりと浮かぶ、水の如くどこにも滞らない、とかじゃ
みんなホームレスになってしまうがな・・・。そんなんは嫌なのね・・・。
田嶋陽子はちょっとおかしい人だけど、男は基本家事が不得手なのね・・・。
悟りは居心地の良さにかぎると思うよ・・・・。
ロンたんが狐の詐欺師という可能性もあるのだからね・・。
497 :
ろん:2012/06/22(金) 03:45:33.83 ID:v6sYdCkn
>>496 僕は今の自分の状態を言ってるだけ。。
師家じゃないからね。。
何を正当と取るか、勝手にすればいいんじゃない?
居心地のよさか・・求めるものが低いの〜。。w
けれど、そこはスッキリして心地の良いものだよ、基本は。。
だけど、自分の状態をいちいち確認して、あーだこーだ無駄なこと思わないの。。
疲れたら疲れるし、調子悪いときは悪い・・それをどうこう言う監視者がいないだけ。。
498 :
ろん:2012/06/22(金) 03:48:02.23 ID:v6sYdCkn
おいらの父親は、朝真っ先に朝起きて掃除して、日曜一日しか休まず、休みの日には庭師の如く、木の枝を刈り、冬囲いをし、
ヒステリーの嫁にも耐えに耐え、文句もたまにしか言わず、ケンカもたまにしかせず、畑で野菜を作り、草を刈り、おいらが帰ってくると、使用人としてこき使い・・まー男の中の男かなのかもだな。。
499 :
暗堂:2012/06/22(金) 03:59:20.11 ID:DyRSATbq
ロンたんは大病になっても病院に行く気には絶対ならんだろうな・・・・。
まあそれも、人それぞれで勝手にすればよいということだろう・・・。
本日は脳内睡眠物質の蓄積により就寝させて戴きます・・・・・・。
500 :
ろん:2012/06/22(金) 04:04:51.12 ID:v6sYdCkn
>>499 言ってることがわからん。。
おいらは病気になったら病院行くぜ。。
まあわがままなプチブル的求道もいいんじゃないの〜。。
501 :
ろん:2012/06/22(金) 04:06:37.06 ID:v6sYdCkn
まずは自分の二分裂をなるべく少なくしてさ、自己を純一に生きる、と言うことを言っているんだ。。
生きるなんてのも純一なんてのも概念に過ぎんので、うまく言えないけどな。。
502 :
ろん:2012/06/22(金) 04:07:23.20 ID:v6sYdCkn
自己と一つになれば自己は無い、いつまでもうじうじうだうだも、まあ法と言えば法かもだけど。。
悟りは何の為に在るのかわかってらっしゃらない。
宗教人はいらっしゃらないようですね。
精神の平安ですよ。俗人の享楽、つまり物質の幸福だけでなく、精神のあり方を追求することが仏教の根本。
悟りは、自然であること、調和すること、共有すること、公益性を知ること、それが、この世の中のシステムであると知ること。
それはこの世の理法を知ることであると私は思う。
無というのは一体になって一つになっているから無なのだ。
動植物を見習ったらいい。教えられなくても共に生きることを知っている、
この世の中はある思想によってコントロールされているといってもいいくらいに。
>>503 「悟り」や「理法」ってホントにあるの?
みんな必死なんだよ
仏教に派をとなえるのも
宗教があるのも
>>503 それらは悟った時に無効化するな
理はあって力なく横たわる
むしろお前の言ってる事こそ宗教だ
506 :
ろん:2012/06/22(金) 20:43:46.07 ID:v6sYdCkn
>>503 悟りは人のためにあるのではない。。
あなたのようなお気楽、ノー天気、思い込みイデオロギー垂れ流し人間には縁のないものです。。
悟りとは人が知ることのできないものである、これが道元禅師のお示しです。。
仏のみ仏を知る、今のあなたには触れることのできないものでしょう。。
507 :
ろん:2012/06/22(金) 20:51:57.83 ID:v6sYdCkn
仏道と言うことを考えると、世のため人のために生きるなんてのは、本当ではないと感じる。。
逆に道を成じなければ、本当のことはわからないし、人のためにもならない。。
ニヒリストになる、とか世捨て人を気取るとか言うことではない。。
あくまで偽りを去るというという意味で、人のために生きるなんて思い込むのは、なんかおかしいわけ。。
それに気が付く感受性がある人だけだろうな、修行に向いているのは。。
508 :
ろん:2012/06/22(金) 20:54:25.75 ID:v6sYdCkn
いいことしいのつくりごとだよ、自分のやっていることに〜のためなんて付けるのは。。
509 :
473:2012/06/22(金) 21:46:24.37 ID:UitamWAF
なぜ道徳ができたのかというと、そもそも人は自分の言動に気づくことができないから、
自分の非公正さに気づくことができず、それゆえに互いに争ってしまうから。
だからこそ道徳はその存在に必要性があるようなのです。
もし目覚めがあれば、自分の行いは明らかですし、何をすれば何が帰ってくるかの因果も明らかです。
目覚めた人はその因果関係を理解して、その有り余るエネルギーで生産し、分かち合うことでしょう。
そこには自分への強制は無く、それゆえに他者への強制も無く、社会への要求も無い。
生きるエネルギーがあり、自分の行動を理解しているから自己中心的になりえない。
こういった存在はそもそも他者に害をなしようが無く、何もしないか、共に作り分かち合うかの2つの可能性しかない。
こういった目覚めた存在には、正しいという概念が無い。
彼には道徳が無いから、社会に道徳を要求し社会と対立することも無い。
彼は社会にこうあるべきとは考えない。彼にとって社会は存在しない。
存在しないからこそ社会という。もし存在するならそれは彼の夢であろう。
彼は存在しない社会になんの要求も無い。彼はただ共にそれと遊び、ただ、可能である改革運動を即座にするだろう。
ただ為すだろう。
510 :
473:2012/06/22(金) 21:51:22.19 ID:UitamWAF
道徳は自分にも世界にも一定の型を要求します。絶え間ない苦しみです。
私は外界からあらゆる欲の可能性を受け取りました。そして私の思考はそのようにかたどられました。
私の中には老若男女のあらゆる欲があり、またそれを制御するあらゆる道徳があります。
その全容に覚めない限り道徳に頼らざるを得ないでしょう。
欲というのは本当に自己中心的で一切自重しませんから。
511 :
ろん:2012/06/22(金) 21:52:34.58 ID:v6sYdCkn
>>508 目覚めがあればっておまえが眠っているのに何でわかるわけ?
お笑いだよ、無意味なたわごと。。
>>506で書いたことの続き、「唯仏与仏」では、悟る前に悟りはこうだとかあれこれ考えるのは意味がないと、道元は言っている。。
だから、只管打坐、ひたすら坐るのみ、となるわけ。。
512 :
473:2012/06/22(金) 22:02:25.38 ID:UitamWAF
>だから、只管打坐、ひたすら坐るのみ、となるわけ。。
文脈、文の感じに志向性があるのですね。
これを本当にしたならば、自分はこんなことがあると思っていたんだなという、
こんな錯覚をしていたという、こんな眠りがあったという過去の自分からの解放があるはずなのです。
それを提示することがただ坐るのみということの本当の意味を伝えることになるでしょう。
それによってあなたはどんな自分の無知や、どんな自分の眠りを見出しましたか?
見出してこそその言葉に意味があるのですし、見出さなければあなたはすでに一人のブッダであるか、論理で眠りを深めたかどちらかです。
論理的に何かを提示することは多重構造の自分の人格にさらなる層を加えることです。
513 :
473:2012/06/22(金) 22:08:29.44 ID:UitamWAF
自らの現状を理解し、荷を降ろす。方便の働き。
方向性も方向性の否定も荷を増やすことではなかろうか。
514 :
ろん:2012/06/22(金) 22:18:15.04 ID:v6sYdCkn
>>512 昔の自分に眠りなんぞありません。。
だって、朝起きてコーヒーでも飲めば、誰でも目は覚めるでしょう?
「悟りはこうだ」とあなたが思い込んでいる、それを僕が違うという。これはあなたを導くためには正しくとも、
法からすれば、どのような思いであれ、別に迷いでも悟りでもないんですよ。
そう言うものが生じているというだけです。。
余計なのは、そういう思いを判断して、いや煩悩だ欲だ、迷いだと判断することなんです。。
そういう分別、取捨を止めなさいと言うこと。。
515 :
ろん:2012/06/22(金) 22:19:38.00 ID:v6sYdCkn
流れる雲を空が邪魔にするだろうか?
迷いだとかケガレだとか言って除こうとするだろうか?
雲は雲で立派な法であり、善でも悪でもないものです。
516 :
473:2012/06/22(金) 22:22:15.86 ID:UitamWAF
迷いがあるといったらフィルターを通してしまい自分の現状を見誤るし、
迷いは存在しないといっても自分の現状をただ見ることはできない。
迷いがあるということが方便の働きをすることもあるし、迷いが無いということが方便の働きをすることもある。
方便として機能するのは逆系の考え方に取り付かれていたときであり、一時的なショックとして機能し即座に捨てられる。
そうして自分の現状を否定せず、正当化せず、それに目覚めることが起こりうる。
宗教的、哲学的な外へ向かう結論ではなく、自分自身についての考察がおきうる。
517 :
ろん:2012/06/22(金) 22:30:52.79 ID:v6sYdCkn
>>516 自分の現状を見るとか考察が生じるとか、それらが生じたときはすでに過去の自分を眺めてるだけでしょう。。
自己と言うものに実体はありません。
無常迅速に変化し、一時も同じではありません。。
過去の自分を捉えて判断することに、いったい何の意味があるでしょうか?
過去を追うことで、現在を見失い、目の前を見ることができなくなるのではないでしょうか?
誰でも今の自分を見ることはできません。。
見ることができるのは過去ですね、過去を反省することに意味があることもあるでしょうが、それは社会的な成長とか人格の発達とかそういう意味でしかなく、
悟りとは関係ありません。。
自分を手放すこと、見ても気にしないこと、判断しないことです。。
518 :
473:2012/06/22(金) 22:32:13.36 ID:UitamWAF
眠りとは主観のことです。悟りではないものという意味です。
私は特に問題の無い自然な状態が悟りで、そうでない状態を便宜的に主観としたり眠りとしたりしています。
眠りは無知と置き換えてもいいのです。
あなたは光明を得ていますか?それとも自らの無知を見出していますか?それとも論理で無知、主観を深めていますか?
という問いだったのです。
もちろん、私は光明を得ていないしかつ正常な人間だということもできます。
しかし、その場合光明は必然的に自然なものではなく特別なものになってしまうのではないでしょうか。
光明が自然なら、われわれは不自然なのであり、それに気づくことだけが進歩なのでしょうから。
519 :
473:2012/06/22(金) 22:43:46.26 ID:UitamWAF
>>517 それらについてはもはや書き込む趣旨のものではないでしょう。
方便の働きが最善なのですが、主観に閉じこもった我々が他の主観に働きかけるのは不可能であり、
また自分自身のことからするべきです。
517には同意もしますし、そこにい続けられる人を祝福いたします。
しかし517にい続ける人はここにきて書き込みしない気がしますし、するとしてもわれわれの想像の及ぶ範疇ではないでしょう。
また外向きの概念の提示にはあまり意味がありません。
おっしゃるとおり、理解し続ける状況があればそれについての解説は不要でしょう。
ですが、理論化の世界に戻ってしまうのがわれわれであり、もし書き込むのだとすれば、
もし理論化するのだとすれば自らを抑圧しようとする、何かを目指そうとする抽象的な論理より、
自らの、そしてそれは多くの人に当てはまる心の法則について述べるほうが、害は少ないと思います。
多分一番ましな類の何かです。これをより上位?の概念で否定しておいて、あきらかにこれより自他に騒乱、志向性、俺お前の対立
をもたらすような内容を書き込むのはどうも自分をだまそうとする心のトリックに思えます。
一番いいもので2番目を否定しつつ、3,4番目を実行するというのは良くやっちゃいます。
本人にとって害は少なく、人々にとっても自分を見るきっかけとして役立つかと思います。
520 :
ろん:2012/06/22(金) 22:46:03.97 ID:v6sYdCkn
>>518 得るとか得ないではなく、もともと備わっていたものが、現われているかと言うことでしょ。。
主観、客観と言ったって、普通は主観もあれば客観もあるわな。。
悟りだ迷いだ、光明だ無明だって、そういうこと言ってるうちは、ぜんぜんものになってないんでないの?
全部自己の別名でしょう、自分がこれでいいか悪いかだけ気にしてるせせこましいやつってだけだ。。
そういうのすべて忘れて、ただの生活者、労働者、いやなんでもない、自分とは何かわからないということをわかったうえで、どうあろうが自在、というか、気にしてないだけなんだよ、自己の在り方なんてものを。。
>>507 私と言う者はいないのです
他や世もないのです
したがって「ため」との考えもないのです
>>509 道徳は生存を助ける手段です
それだけです
エネルギーは余ってはいますが生産されません。それは損なわれないからです。
分かちあう事もありません。それらは必要とされないためです。
強制や要求はあります。しかし対象は既に動作を始めています。接続があるからです。
自他はありません。全体とも言えるからです。社会は存在します。彼は社会そのものの姿をとるでしょう。
遊ぶ事もできるでしょう。しかし彼は遊びません。改革はしません。結局何も変わらないのも同然だからです。
何も為す事はありません。彼があるのみです。
522 :
ろん:2012/06/22(金) 22:48:58.75 ID:v6sYdCkn
>>519 言ってることが意味不明だぞ。。
自分で落ち着いて読み返してから、投稿した方がいいんじゃないか?
523 :
516:2012/06/22(金) 22:57:53.00 ID:UitamWAF
>>517 519は中身がごちゃごちゃですいません。また517を読み間違えていました。
516で提示したのはこういう内容です。
今の自分というものが、自分の過去への執着でできている。
それを判断しないでみつめるうちに今起きている過去への執着は消えてゆき、
今の自分という自分のあり方の平均値に変化が現れる。
この執着は表出したりもぐったりしますし、割り当てられるエネルギーも一定しませんが、いつも機能している何かではないでしょうか。
より執着が減り、より世界との対立が希薄になっている。
それが、ただ坐ったという事実の証明であり、知った人として語れることなのだと思います。
「自分は何々に執着している。」というのは仰るとおり、過去を追うことです。
しかし、「何々に執着していたが今はもう無くそれにまつわる対象としての世界ももう無い」というのは現在の目覚めではないでしょうか。
というのも目覚め続けていなければ古い自我と対象世界は復活するからです。
完全に無いところまでは道のりは遠いです。あると思い込んでいたがもうそうではない。など段階的に書き込んでゆき、みんなでその方向性に進むこともできます。
524 :
ろん:2012/06/22(金) 23:06:04.47 ID:v6sYdCkn
>>523 人の目玉と言うのは外を見るように作られてるんだから、外が見えていたら、それは目覚めているということだ。。
今の僕なら、パソコンの画面の文字が見えていて、まともな日本語が書ける、と言うくらいのもんでしかない。。
自分を見つめる必要など全くなし、外を見て、外と一体化し、内も外もなくなるくらいになってればいいということ。。
内外の隔てがないと言うことね、基本は。。
執着と言うのは、執着があると言ってジタバタすることで強くなるの。。
ただの思いでしかないんだから、放っておけばいいだけ。。
放てば満てり・・あー紋切型使っちまった。。w
525 :
473:2012/06/22(金) 23:06:09.68 ID:UitamWAF
>>521 それはわからないんです。
彼は改革という認識無く改革するかもしれません。
それはもはや改革ではなく自然な歴史の流れです。
私たちの目から見ると改革なのでそういいます。
生産も生産という認識は無いのだと思います。
認識無くなにもしないか、むしろ大いに創造するか、それはわかりません。
それは何も為さずあるということです。
またする、欲する、計画するという概念の対立軸として為すという言葉を使っており、
それはあなたのおっしゃる為すことなくあると同じ文意です。
言葉は怖いものです。
526 :
473:2012/06/22(金) 23:11:14.92 ID:UitamWAF
うーむ。
方便として機能しない言葉は本当に無能だ。
言葉への期待がちょっと減ったようです。
自分でも他人でもきれいな言葉の中にもぐって旧来の自分はより強くなってしまう。
せめて自分だけでも論理化による人格の多層化ではなく、その破壊である方便として受け取る努力をしよう。
ということをスレの皆様にお誘いします。
527 :
473:2012/06/22(金) 23:19:56.16 ID:UitamWAF
>>491 これとかすごく導入としていいと思います。
自分の場合は
本当に自然に出会い自然に行われるだろう家事とひとつになっていないということは、家事以外の何かを絶えず考え望んでいるからと感じます。
ひとつになろうとするのではなく、分離したがっている自分の心に目覚めることが大切なのだと。
といってもひとつになろうとするのでないと同じよう、目覚めようとするわけでもないのです。
ああ、「家事を嫌がるような野心的な部分が自分にあるんだな」と言葉で提示しますが、そう評論するわけでも分析するわけでもなく。
要は自分というのは油断なら無い存在だから注意しましょうということで、メッセージはその注意です。
528 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/22(金) 23:22:30.47 ID:wMJh2GAG
>>524 観念ron者、理解(りげ)のggrksRon害 さん
>内外の隔てがないと言うことね、基本は。執着と言うのは、執着があると言ってジタバタすることで強くなる。ただの思いでしかないんだから、放っておけばいいだけ。放てば満てり・・あー紋切型使っちまった。。w
内、外、って言ってるよ、おマイ自身 ≡(( ´Д`)/≡= 糖質過剰摂取 さん!地震です!
529 :
ろん:2012/06/22(金) 23:25:38.01 ID:v6sYdCkn
>>527 意味がわからん。。
単にめんどくさくて、他のことの方がおもしろくて、後回しにして、限界が来たところで片づけにかかるというだけww
要するに嫌いなのかもだな、雑用的なものが。。w
それだけのことだよ。。
530 :
ろん:2012/06/22(金) 23:26:56.67 ID:v6sYdCkn
>>528 疲れたときは、糖質いっぱいとると疲れてれるんやで、今日はそうだったわ。。w
割と早く回復した。。
531 :
473:2012/06/22(金) 23:37:15.25 ID:UitamWAF
>>529 要は491みたいな書き込みっていいねというのが523その他の趣旨です。
それと、嫌いというのは自分でコントロールできない心の働きで無心ではないものでしょう。
それを否定することもないし肯定することも無いけど、それがあるというのが現実のあなたであり、
その事実の自覚があなたをより注意深くし、あなたが注意深くなれば周りの人も注意深くなるような影響を受ける。
532 :
ろん:2012/06/22(金) 23:45:58.52 ID:v6sYdCkn
533 :
473:2012/06/22(金) 23:54:58.88 ID:UitamWAF
無知、眠り、主観に気づいておらず目覚めていると思っているのが深い眠りの特徴
無知、眠り、主観に気づいているのが目覚めつつある状態
もし無知、眠り、主観がないのだとしたら光明を宣言なさればいい。
99パーセント一行目の状態なのでしょうけど。
534 :
ろん:2012/06/23(土) 00:05:48.35 ID:YtEmHSq9
>>533 だからそういうこと言ってるのがおかしいの。。ww
他人を捉まえて、おまえは迷っているに違いないと。。
言ってること、自分のやってること何ですか?
僕に対する妄執はなんだんだろう?
目覚めている人のすることだろうか?
それとも眠っていてかつそれに気づいていない人のすることだろうか?
迷悟を分かつ者はだれか・・それが一番肝要なことで、それがわからなければ、全部間違いなの。。
迷悟がないと言ってんじゃないよ・・事実、実際の様子を超えて、それを判断することに意味はあるのかと言ってるわけ。。
535 :
ろん:2012/06/23(土) 00:07:24.31 ID:YtEmHSq9
要するに私無ければ、迷悟もなく、見るものすべて真なり。。
私があって、判断すれば、すべては妄想で、偽なり。。
それだけのことよ、基本は。。
536 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/23(土) 00:16:53.92 ID:k4g+Q52D
>>530 おマイ自身 ≡(( ´Д`)/≡= 糖質過剰摂取 さん!地震です!
>
>>528 > 疲れたときは、糖質いっぱいとると疲れてれるんやで、今日はそうだったわ。。w 割と早く回復した。。
そうかあ、そりゃ よかったよなー シミジミ(゜ρ゜*) しじみ喰うかい?
いわゆる糖質摂取は、脳のエナジーらしい、
頭部とは、アゴを含めず、と言うぞ・・・襖|_・) チラリ!
537 :
473:2012/06/23(土) 00:18:00.13 ID:+e4kRbeu
>>532 心は評論の対象にだけ興味を持ちますね。
自分自身は評論不可能だし、自分自身に気づくことは心の死を意味します。
笑って逃げるものです。
議論を楽しみましょう。
あなたの言動には矛盾が見え隠れしてそれを指摘しているのが例えば533であなたはそれに答えないで
話題をそらしている。こういうのを言い訳というのではないでしょうか。
そういう人に限って他人に対して言い訳ばかりとか言うもので、まさにそのとおりなのが大好きなのかも。
538 :
ろん:2012/06/23(土) 00:18:24.97 ID:YtEmHSq9
まあ禅の祖録で言うとね・・碧巌録の第三則だったか忘れたけれど、
趙州が、「われは明白裏に非ず」と言っているのね。。
これは分別がなければ、悟りは明白だという、証道歌の有名すぎる一句に対する、否定なわけ。。
明白にわかったとか目覚めたとか、それすら、ない、不要と言うことでもある。。
もちろんいったんわかった後でなければ言えないから、弟子になんで明白でないのに、そんなことを言えるのですかと突っ込まれて、答えられない。。ww
なかなか面白い公案だよ。。
539 :
ろん:2012/06/23(土) 00:20:49.48 ID:YtEmHSq9
>>537 だから、あなたは僕を否定したいだけなんだろう。。
他になんもないもんな・・これ以上やると生霊が飛んできそうだからやめるか。。w
540 :
473:2012/06/23(土) 00:21:17.59 ID:+e4kRbeu
自分が知ってて相手は知らない、もしくは自分は知らないが相手は知っている。
そういった態度は葛藤の元です。
473は非難されても賞賛されてもそれを受け取らず、共に自分自身の無知に目覚めてゆくことを提示するだけです。
人の賞賛からも非難からも自分自身に目覚めることはできません。
541 :
ろん:2012/06/23(土) 00:22:40.70 ID:YtEmHSq9
542 :
ろん:2012/06/23(土) 00:24:08.52 ID:YtEmHSq9
おいらは態度の悪い、ゴーマン悪人。。
ダース・ろん様卿です。。
543 :
473:2012/06/23(土) 00:34:05.35 ID:+e4kRbeu
>>539 それが否定するのはあなた自身なんですよ。
あなたのある言論をある言論に当てはめたら見事に自己否定してますから。
自己矛盾に直面するってそういうことです。
あなたがあなた自身を否定してるのだけどそれに直面したくないから
自分の問題を相手がもってるとして説法し始める。
私がいうのはその内部の対立両方に目覚めましょうということ。
>眠りに気づいている人はそういうものか
まあ、そんなものじゃないでしょうか。
私には対象としてのろん君がちゃっかりいます。
これまず私の心の投影ですね。
つまり私が否定しようとしているとすれば自分自身。
あなたを否定しようとしているのはあなた自身。
自分の地獄を人の生にしちゃ、解決しない。
544 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/23(土) 00:42:42.88 ID:k4g+Q52D
>>542 二枚舌のRon外 さん
> おいらは態度の悪い、ゴーマン悪人。。 ダース・ろん様卿です。。
[壁] プププ(○゜ε゜○)プププー それ、虚勢です!うそつくと、まゆげが ピクピク してるので、すぐわかりますよー
545 :
473:2012/06/23(土) 00:47:32.64 ID:+e4kRbeu
>>542 自己否定って、否定してる主体である私は神聖であるって言う自我の逃げ道なのですね。
それ以前に否定すらしていないで事に直面すること事態を避けて誤魔化してますけど。
それはともかく、
自分の行い、振る舞い、心の働き、それに直面せずきれいごとをいい、
実行不可能なスローガンを掲げてやった気になる。
それってこころの本性。
他人のそれが気になるのは自分がやっててそれに直面したくないからでしょう。
偽善者は存在しない。存在しないから偽善者という。
偽善者がいるのならそれは全部自分のやってることと直面してないゆえの投影だ。
とすれば、何かなこのややこしい世界、そうみえるのは自分自身の心の反映か。
546 :
ろん:2012/06/23(土) 00:51:38.04 ID:YtEmHSq9
>>542のどこが自己否定なんだろうか??
ただ遊んでるだけだけどな。。
ダース・べイダーかっこいーじゃん。。ww
547 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/23(土) 00:56:15.02 ID:k4g+Q52D
>>546 なにをとりつくろってんの?Ron外 さん
> ただ遊んでるだけだけどな。。 ダース・べイダーかっこいーじゃん。。ww
あしが ガタガタ((( ;゚Д゚)))ブルブル ですよー・・・・・・・・・……( ̄ε ̄;) ボソッ
>>525 もういちどだけ
認識はしません。認識する必要がないからです。
従って知らずに改革する事はありません。
生産についても同じです。
もはや創造はありません。何も損なわれないからです。
言葉を恐れる事はありません。事象の焦点、あるいは影のようなモノに過ぎないからです。
誤用は正せばいいのです。
みなさん
難解に捉えようとする事に注意しましょう。
青い色は厳密には、瓶覗や紺なのかもしれませんが、結局の所は青です。
このスレはいつもこうですか?
もはやスレタイは意味を持たないように思います。
550 :
473:2012/06/23(土) 01:28:01.99 ID:+e4kRbeu
分を超えたきれいごとは独立した思考でしかない。
それは自分自身の日々の習慣である心の働きを責めたてる。
それはつらいことだから自分自身のこころの習慣は外界に投影される。
その習慣に同化してしまったらリミットの無い自己中マシーンで自滅する。
かといってきれいごと、道徳にたよると自己は分断され、自己中なこころは外界に投影される。
大変ですね。これは。
>>546 うん、だから自己否定のようでそうですらないってレスしましたよね。
543のが楽しいですけど。
551 :
473:2012/06/23(土) 01:40:03.13 ID:+e4kRbeu
>>525 いや、することとしないことにおいて認識に差異が無いというだけで
する人はするししないひとはしない。その人それぞれで確たる形は無いでしょう。
認識しないことと、何の動きも無いことは別です。
動機が無いということと、動きが無いということは別です。
彼らには動機が無い。
だが、改革どころか革命どころかそれ以上のなにかを人類に提供しました。
だが、彼らは何もしていない。
人間として生まれたのです。石のように、動物のように生きるならそう生まれたでしょう。
552 :
暗道:2012/06/23(土) 01:40:18.51 ID:ejollOVD
ろんたんは今の自分を観ることで、過去の自分との比較が生じることを
言っているのだろうか・・・。
比較が生じれば現在の自分を観て判断することが生まれる・・・。
554 :
暗道:2012/06/23(土) 01:48:44.38 ID:ejollOVD
赤子をたとえに出すのはわかりやすいのかもしれん・・・。
赤ちゃんは、痛かったり、お腹がすいたり、おしっこがしたいとき、
何らかのアクションをするけど、言語が発達してないから言葉にできない・・・。
赤ちゃん本人はこれは痛みだとか空腹だとか自分ではわからないのかも・・・。
>>553 あなた様は自分を何か得体の知れない
あるとも言えない、無いともいえない何かだと思い込んでるから
そういった疑問を発することができるのかもしれんね・・・。
幻覚が幻覚を観れるのか?と同じだと思う・・・。残念ながら・・・。
>>554 そうか、みんなスゲーんだな。
俺は、自分からは外の世界しか見えない。
>>551 もういちどだけと自分で言ったけど
個はありません、全体も同然だからです。
認識と動きは関連しません。
動機はいりません、目的が意味を持たないからです。
何も差し出しません。対象がいないためです。
する、しないは共に行動です。
そこなんです
人も石も動物も同じなんです
星も土も同じように輝くのです
557 :
473:2012/06/23(土) 02:10:45.24 ID:+e4kRbeu
>>556 何回も君と同じ事を書いている私に反論して、同じ意見を言わなくてもいいw
それを疑っているのはほかならぬ君自身の人並みの心です。
誰もが持っている人並みの心。
あなたが直面しているそれを疑っている人はあなた以外の人間なのではなくあなた自身なのです。
558 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/23(土) 02:30:59.30 ID:k4g+Q52D
騒動衆は まんどくせー・・・九龍 だな。
>>555 >俺は、自分からは外の世界しか見えない。
んな馬鹿なw
>>557 繰り返しになるのは、正誤はともかく理解に欠ける為です。
疑ってはいないのです。もはや完成された法が意図された不全と知るためです。
人並みの心はいつでもあるのです。それが滅する事がないためです。
何にも直面していないのです。それは同一だからです。
個は既にないのです。
wは、正誤はともかく使う分だけweirdです。
562 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 09:43:01.95 ID:zlxzM/Ir
>wは、正誤はともかく使う分だけweirdです。
お! 分別してるwwww
563 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 09:57:42.31 ID:zlxzM/Ir
ここも相変わらず、ロンと473の噛み付き合いww
こういうの見ると、「いつもと変わらんなあ」と、何か和やかな気分に
なるのは、
「人間ってのは、未知への変化を潜在的に嫌い、自分の知っている不変の
状態を無意識の内に嗜好する」・・・・・このような素因が深層意識の中に
埋め込まれているのかもしれんなwww
(と、473風に書き込んでみるwww)
564 :
473:2012/06/23(土) 10:20:07.11 ID:+e4kRbeu
宗教的な理念は光にあふれ、希望にあふれ、愛にあふれ、理性にあふれているかのように見える。
そのときはそう見えるし、事の全体に気づいていなければそう感じられる。
しかし、その宗教的な理念は自分の日々の習慣、おいそれと変えられないあるがままの自分を責め立てる。
その内部葛藤は非常に苦しい。
もともとの習慣も理念との同一化でできたものであれば、新しい宗教的な理念も理念であり、それは葛藤する。
それがつらいからあるがままの自分、自分の心理的な習慣は外部に投影される。
また、自分にとっては宗教的理念が希望と愛に満ち溢れたものであっても(事の全体に気づいていない故の一時的な夢でしかないが)
他者にとっては、「その人が抱えている自分を非難する方の働きをする宗教的理念を刺激するものでしかないかもしれない。」
私の理念嫌いは自分自身の抱える宗教理念が自己批判し始めるきっかけになるからかもしれません。
それこそこのスレに提示されたほぼすべての理念は自分にとって親しみのあるものですが、
それが理念破壊のための方便として出なく、単に理念として提示された場合、起きるのは内部に抱える理念による
自己批判でしかない。
(提示した人の内部でもあるがままの自分への自己批判は起きており、それゆえにあるがままの自分を他者に投影し、
「かわいそうな他人=実は自分自身」に説教しはじめるのですが)
565 :
473:2012/06/23(土) 10:29:10.27 ID:+e4kRbeu
全体性という概念は、個我に閉じこもっている人間にしか持ち得ない。
方便として働けば目覚めの契機になるが、理念であれば個我と葛藤する。
全体性である存在にとって、全体性という概念は全く必要とされない、意味のないものでしょう。
それは肯定も否定もされずただ素通りされる。
「ない」という概念は、あると思っている人にとってだけ概念としての性質を持ちうる。
あると思っていない人は、ないと思うことはないし、ないという言葉を聴いても何も連想するものがない。
それゆえにあらゆる理想、あらゆる理念。
それが自分にとって存在するということは、自分自身が(自己の執着している記憶や思考、習慣)
それと正反対であるということを意味します。
そうでなければ理念は重要な、希望に満ちたものになりえないのです。
言葉はその本質からして2元性の性質を帯びる。
無明と光明を分けなくても、光明という言葉自体が、光明とそうでないものを区別している。
それゆえに言葉はあるがままのじぶんと、そうなるべき自分という葛藤を起こさせる。
どちらも思考の産物であるがゆえに部分的なものであり、すべてを包括することはできない。
永遠に争う。事の全体に目覚めればとも思うが、それは一体。
それゆえに方便は方便として働くようその2元性としての働きをさせないような微妙な工夫がある。
566 :
473:2012/06/23(土) 10:35:18.09 ID:+e4kRbeu
>>563 そりゃ自分の内部葛藤を他者に転嫁して、議論に加わらず安全なところから笑ってるからでしょ。
567 :
ろん:2012/06/23(土) 11:31:38.88 ID:YtEmHSq9
迷っているものが自分だと思うものは全く本当の自分ではないし、
また自分の心だと思っているものも、まったく自分のものではない。。
これがわらかんうちはどうにもならん。。
自己ではないものを自己であると思い込んで執着する、
迷いではないものを迷いと思い込んで、邪魔にする、
こういうことが誤りとわからんうちは、何を言っても、思っても誤りになるだろう。。
要するに諸法無我です、私と言うものはどこにもない、ないものが見えてしまう、
見えるだけではなく、執着して変えなければとか・・まーそれで悶え苦しんで自分をさらして、
僕はこんなに頑張っているんですとか・・ただのアホなんだな。。w
568 :
473:2012/06/23(土) 13:21:05.58 ID:+e4kRbeu
>>567 それを心は理解しないから、それを知的に理解している部分が心をを責め立てるわけです。
あなたがアホだといっているのはあなた自身です。あなた自身のありふれた心の働きです。
相変わらず私が述べていないことに反論されますから。
私があると本心では思ってるのに、知的にないと思い込むから事がややこしくなります。
569 :
473:2012/06/23(土) 13:36:33.41 ID:+e4kRbeu
単にめんどくさくて、他のことの方がおもしろくて、後回しにして、限界が来たところで片づけにかかるというだけww
要するに嫌いなのかもだな、雑用的なものが。。w
それだけのことだよ。。
誰だってそう思う。
「これがわらかんうちはどうにもならん。。 」
とかいっても実際どうにもなってない。
ありふれた、好みと嫌悪、楽しみと退屈。ありふれた葛藤。
何がわかったところでそれ以外の思考はいつもどおりの平常運転。
570 :
ろん:2012/06/23(土) 14:06:14.17 ID:YtEmHSq9
平常運転が道だ。。
こんなとこで粘着妖怪やってんのは、異常だって言ってるの。。w
571 :
473:2012/06/23(土) 14:14:53.90 ID:+e4kRbeu
なに話題そらしてるの?
2人で育てた第11スレ。
それをいうのはほとんど自分を責めているようなもの。
本当に自分を責めますね。
>>567 それを心は理解しないから、それを知的に理解している部分が心をを責め立てるわけです。
あなたがアホだといっているのはあなた自身です。あなた自身のありふれた心の働きです。
相変わらず私が述べていないことに反論されますから。
私があると本心では思ってるのに、知的にないと思い込むから事がややこしくなります。
単にめんどくさくて、他のことの方がおもしろくて、後回しにして、限界が来たところで片づけにかかるというだけww
要するに嫌いなのかもだな、雑用的なものが。。w
それだけのことだよ。。
誰だってそう思う。
「これがわらかんうちはどうにもならん。。 」
とかいっても実際どうにもなってない。
ありふれた、好みと嫌悪、楽しみと退屈。ありふれた葛藤。
何がわかったところでそれ以外の思考はいつもどおりの平常運転。
572 :
ろん:2012/06/23(土) 14:22:27.87 ID:YtEmHSq9
アホでも粘着妖怪でも、あなたがそう思ってなっているんじゃない。。
法としてそうあるということです。。
要するに人と言うものは存在しない、ということ。。
573 :
ろん:2012/06/23(土) 14:26:53.71 ID:YtEmHSq9
だからすべての人は法の人です。。
「他の証(悟り)に従い去る」と学道用心集にはある。。
これはアホでも粘着妖怪でも、法そのものだから、それに従いなさいと言うこと。。
修行者が思い上がって、他を見下すことを戒めたのかもしれないとは思うが、
仏になった人は、ホントにそういう風に生きている人がいます。
師家になって、人を指導する立場ではない人の場合ね。。
まあこっちの方が、本来の仏なんだと感じる。。
そういう人に会ったことないでしょうか?
僕は何人かに会ったことがある。。
574 :
473:2012/06/23(土) 15:09:39.81 ID:+e4kRbeu
>アホでも粘着妖怪でも
そう見えている時点で、「どっちにしてもそれを嫌うのは、あなたの自我であり、パーソナリティではないか?
それをこっちのせいにされても困るね。。 」
これです。
法として見えるのであればそれでよし、アホでも粘着妖怪でもと見えるならあなたの自我です。
とろんさん本人が言ってますね。
575 :
473:2012/06/23(土) 15:11:45.55 ID:+e4kRbeu
理念は一時的に普段の自分の心の動き、葛藤や嫌悪を忘れさせてくれるが、
その日々の刻々の働きを消し去ることはない。
どんな理念もすでにある自己への強制がさらにもうひとつ付け足されるだけのこと。
私が述べたことも理念として受け取ってしまえば、それは平凡に理念として働き、混乱を抑圧しそれはより強まります。
平凡な世間的な道徳と何も変わりません。
だから私の言葉に反対する人は、私の言葉を理念として受け取って賛成する可能性ならあります。
しかし、私の言葉に賛成する人がいたら今度は私は逆のことを述べて方便として機能させなければ伝えたいことは伝わらない。
理解は沈黙です。その沈黙がこもった表現は未知のものであり、そのひとの刻々と生きている真理の開花が垣間見れるでしょう。
576 :
473:2012/06/23(土) 15:14:23.13 ID:+e4kRbeu
100人いれば、100通りの473観があり、100通りの私の言葉への解釈があることでしょう。
しかしその100通りの473観のどれも好きになってはいけないし、嫌いになってもいけない。
この人からの評価のえり好みが自我の何たるか。
自分の好きな評価を人からして欲しいというえり好み。
そもそも、考える主体である自分自身を知るのは、人の意見を通してではなく、
刻々と変わる主体のありように刻々と目覚めていなければ不可能なのです。
577 :
473:2012/06/23(土) 15:46:20.77 ID:+e4kRbeu
自分の言葉はあまりに身近であり、理念として頼ってしまいがちです。
しかし、自分の言葉を真に受けて理念として頼ってしまう不注意さは、ほぼ確実に
他者の言葉にも理念として頼ってしまうでしょう。
するとどちらをとるかの葛藤が起きます。
578 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 15:50:04.68 ID:zlxzM/Ir
>>566 え〜〜〜と、そりゃ何だ?www
それは、俺にも、
「ロンのような相手をしてくれる奴を見つけて、『見てみて、ボクちゃん、
こんなに≪心≫ってものを洞察できてるよ。すごいでしょ?」って、アピール
しろって言ってんの?w
・・・・・・・お断りしますwwwwww
579 :
473:2012/06/23(土) 16:49:08.45 ID:+e4kRbeu
>>578 『見てみて、ボクちゃん、
こんなに≪心≫ってものを洞察できてるよ。すごいでしょ?」
そうやってまた相手に役割を与えて他人事として笑う。
そうやって笑うことが
『見てみて、ボクちゃん、
こんなに≪心≫ってものを洞察できてるよ。すごいでしょ?」
というアピール以外のなんでもない。
お断りしますといっておいてほぼ同様のことをやっておいでだが。
580 :
473:2012/06/23(土) 16:56:37.88 ID:+e4kRbeu
でも、それをやっちゃいけないってこともない。
いけないということになると、自分のそれを抑圧し、他者のそれと戦うことになる。
帰結に目覚めれば普通起きないことである。そういう位置づけなのかもしれない。
自覚があれば起こらないこととして伝えられていたはずのことを、いつの間にか禁則事項として自他に強制するという始末。
自分が全てを肯定していてもその自分を否定する他人が居る
それも肯定してやればいい。そりゃそうだ。全てを肯定するんだから
結果、どんな主張も空を切る。何も響かなくなるのさ
え?響く?そうか。その響くものが俺に響く、とでも?
582 :
ろん:2012/06/23(土) 23:11:07.11 ID:YtEmHSq9
「他の証に従い去る」と言うところから和の精神やもてなしの精神が生まれ、
和をもたらす僧が和尚と呼ばれるようになる。。
そこから茶道なんかも生まれた。。
芭蕉の句も見性なしにはあり得なかっただろうし、今の日本文化の源流だろうね。。
それらを西洋近代に対して誇示した、新渡戸稲造とか岡倉天心とかが、
ホントに禅がわかっていたのかは怪しい。。
あんまりわかっていなかったんじゃないかと思う。。
知識レベルなんだろうと思うよ。。
583 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 23:12:34.11 ID:zlxzM/Ir
>>579 何だそりゃ?wwww
>そうやって笑うことが
>『見てみて、ボクちゃん、
>こんなに≪心≫ってものを洞察できてるよ。すごいでしょ?」
>というアピール以外のなんでもない。
>お断りしますといっておいてほぼ同様のことをやっておいでだが
人に対してその見解を述べることとが、そのまま自分に妥当する?
こう言いたいわけか? 頭大丈夫か?www
例えば、「自分語りが大好きで、いつも自分の自慢話しばかりしてる奴」がいると
するわな。(まあ、こういうのは体外、職場、クラスに一人くらいいるだろ?ww)
その人のことをAさんが、「あの人、いつも自分の自慢話しばっかり。そんなに自分のこと
が好きなのかしら?」
と評したら
Aさんが、「自分語り大好きの自慢話しバカ」ということになってしまうわけか?wwww
584 :
ろん:2012/06/23(土) 23:19:15.07 ID:YtEmHSq9
あとは鈴木大拙も、優等生なだけで、ホントの悟りはわからなかったんだろう。。
わかったらああいう書き方はしない。。
彼はむしろ、正法眼蔵を英訳するとか、もっと下働き的な役でちょうどよかったんじゃないかと思うが。。
大拙から禅を学ぼうとする外国人は、どうしても理論偏重、教えでもって、悟りを理解しようとするだろう。。
どうにも誤解を広めてしまったように思える。。
585 :
ろん:2012/06/23(土) 23:25:44.97 ID:YtEmHSq9
禅と言うものはもともとないのである。。
ただ法があるだけ・・その国その国の文化慣習そのものが法である。。
人ぞれぞれがすべてそのまま法である。。
何か特別な禅と言う高尚な道があって、それを得ると超人のように生まれ変わるとか・・そんなことはあり得ない。。
悟ってもその人はその人のまま・・出なかったら収まらないんだな、どこにも。。
自分が自分に収まる、環境に収まる、これが仏です、基本はね。。
何か西洋にはない、特別で秘教的な道がある、と誤解する人が多いんではないかと思う。。
雪渓師が、外国を方々まわって、そういう誤解を消して回った。。
今は彼から教えを受けた、外国人の師家たちも、きちんとした道を説けるようになっているのだろう、たぶん。。
586 :
473:2012/06/23(土) 23:27:59.06 ID:+e4kRbeu
>>583 それが、なるんですよ。
奥底ではやりたいけれど、それを我慢しているようなことは他者に投影されます。
もしくは実はやっているんだけど、それを認めたくないようなことも。
それが気にかかるということは、あなたの中でそれをやりたいという思いと、やりたくないという思いがあることを意味します。
また、あなたの指摘が事実にかなっているという確証はありません。
本当に自分が足り大好きの人に対してそう思うかもしれませんが、そうではない人間に対してもその役割を押し付けてそれを笑い飛ばすということは起き得ます。
また、そうではない人間も指摘した内容に全く合致しないということはないでしょう。人間ですから。
しかし、指摘してる本人のほうがむしろ日常のほかのシーンでそれをやっているというケースは多いのです。
相対的なものですから。
473への評価は100人いれば100通り。
人は自分自身すら知らないのに、他者を客観的に評価できるとお思いですか?
人はあっさり他者を見誤ります。みんな違うことをいうので一人あっているというより全員違います。私含めて。
587 :
473:2012/06/23(土) 23:32:31.76 ID:+e4kRbeu
>>585 法があるだけというように認識されるような状態があると伝えられています。
そして私たちは、そしてあなたも現在その状態にないんです。それは私は自白してますしあなたも自白していますね。
その現実こそが問題なのであり、そうやって他人を批評しているうちは自分にまつわる現実は変わらない。
たらればより、実際自分がどんな風に世界を見ているかが、現実のスタート地点ではないでしょうか。
588 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 23:38:45.33 ID:zlxzM/Ir
>>586 >奥底ではやりたいけれど、・・・・
何勝手に規定してるんだよ?www お前の考えが何でAさんに妥当すると言えるわけ?ww
>それが気にかかるということは、あなたの中でそれをやりたいという思いと、・・・
人の言動を不快に感じるものは、実はそれがやりたいと思ってる?wwwww
何勝手に決めてんの?www
>また、あなたの指摘が事実にかなっているという確証はありません。・・・・以下
つまり、指摘が客観的に妥当する場合も、妥当しない場合もあることを認めるわけか?www
>本当に自分が足り大好きの人に対してそう思うかもしれませんが、・・・・
wwww 客観性を有する判断というものを認めるわけだ? つまり、自己の心理の
投影ではなく、単なる事実の描写・・・これを認知するわけね?www
589 :
473:2012/06/23(土) 23:42:10.67 ID:+e4kRbeu
何か西洋にはない、特別で秘教的な道がある、と誤解する人
これが一人もいなくなるまで自分自身のことは見ない。というのが心のトリックです。
また、誰もいなくてもこういった人に説教しますし、だれかいたらこれを当てはめて説教する。
そういったことを主張する人であろうとなかろうと強引に当てはめる。
その繰り返し。
大抵批判する本人が一番
何か西洋にはない、特別で秘教的な道がある
という思考を抱えている。
気づけば消えるのだけど、それを批判する思考があるゆえに、気づくのではなく抑圧してしまう。
ろんさんを例にして申し訳ないが、私自身もっと微妙な、せこい形でそれをやってしまってるのですね。
590 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 23:43:54.95 ID:zlxzM/Ir
>473への評価は100人いれば100通り。
その評価というのが一定の方向性を有する時を考えないのか?
例えば、麻原に対する評価というのは、(勿論、個人的差異は存するが )
最大公約数的に否定的見解で一致してると思うがねwww
591 :
473:2012/06/23(土) 23:49:13.86 ID:+e4kRbeu
>>588 自分自身を知らないのに他者を客観的に認知するのは無理です。
自分の主観に興味がないなら、お好きに他者を見るといいですね。
>単なる事実の描写
473のだけでなく、あなた自身のもね。
ひとは自分のことを抜かして他人の事実しか見ようとしませんから。
それは事実の描写ではないのです。
592 :
473:2012/06/23(土) 23:52:08.05 ID:+e4kRbeu
>>590 生きてたキリストやブッダは、すごく好きな人1割、狂人、悪魔と思う人9割という感じだったと思います。
そういう意味では麻原さんと似たような評価分布かもしれません。
つまり、当てにならないですね。逆指標にもなりません。
593 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/23(土) 23:55:02.60 ID:/5mheXrY
>>585 おしゃべりいのちかよ ばか空ろん さん
で、
宗教って何?
594 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 23:58:49.34 ID:zlxzM/Ir
>>591 > 自分の主観に興味がないなら、お好きに他者を見るといいですね。
wwwwww 結局、捨てセリフはいて、逃げ出すの?ww
やれやれだねww
「主観、主観」というが、お前が自分勝手な「主観」で勝手に他者の心理状態を
勝手に規定してることに、まだ気づかないの?www
客観性全否定かよww
お前のような奴が、裁判官になったら大変だねww
595 :
神も仏も名無しさん:2012/06/23(土) 23:59:22.93 ID:ffqqvqS4
>>592 確かなことはいえないこと前提でいうけど狂人、悪魔と思う人9割もいないでしょw
大概の人は普通の人だと思ってたと思うよ
596 :
473:2012/06/23(土) 23:59:34.60 ID:+e4kRbeu
>>590 あと、麻原を強く非難する人ほど、似たような野心を内に抱えている可能性が高いので、
そういうひとはチャンスがあれば似たようなことをやりますし、日々野心や自己顕示に燃えている可能性が高いです。
そういう人々、そういうわれわれが、国家と階層の分断した非効率で競争的な社会を作っているのですね。
正直、麻原一人より、それを客観的に受け止めるのではなく、人間の野心に理解を示すのではなく、
人間の野心を否定して抑圧する人々、我々のほうがよほど危険です。
「否定」これ客観ではなくて主観そのものです。
597 :
473:2012/06/24(日) 00:02:03.42 ID:99ocs+wu
>単なる事実の描写
473のだけでなく、あなた自身のもね。
ひとは自分のことを抜かして他人の事実しか見ようとしませんから。
それは事実の描写ではないのです。
598 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 00:03:11.62 ID:zlxzM/Ir
>あと、麻原を強く非難する人ほど、似たような野心を内に抱えている可能性が高いので、
>そういうひとはチャンスがあれば似たようなことをやりますし、日々野心や自己顕示に燃えている可能性が高いです。
は〜〜〜〜〜〜〜〜〜?www
麻原に批判的見解を持つものは、実は似たようなことをやりたがってる?
お前、その思い込みの癖、どうにかしたら?wwww
599 :
473:2012/06/24(日) 00:04:03.85 ID:99ocs+wu
勝手に規定してる?
いえいえ、いつもその人の他者評価という自己紹介文を読んでいます。
特に自分のことを棚上げにして他者だけを好きだったり嫌いだったりするほど
その精度は高まります。
600 :
473:2012/06/24(日) 00:05:55.10 ID:+e4kRbeu
お前、その思い込みの癖
さあ、どうでしょう。
どちらが思い込んでるのか、両方思い込んでいるのか。
事実は瞑想のうちに明らかになるのでしょうね。
601 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 00:06:02.23 ID:qyzzJvzx
なるほどね、「麻原を強く非難する人は、チャンスがあれば似たようなこと
をしでかすと思われるわけか?」wwwww
こりゃ、うかうか、麻原のこと悪く言えんなwwww
同じような殺人犯と思われたんじゃ、たまらんwwwww
602 :
ろん:2012/06/24(日) 00:11:47.58 ID:84BE3+Jt
473の相手はしない方がいいよ、批判されるほど病状が悪化するみたいだから。。
603 :
473:2012/06/24(日) 00:14:42.88 ID:99ocs+wu
あ、しまった2人以上を自己矛盾と直面させると、2りが結託して慰めあって
473敵視してどっか空想の世界に行ってしまう。
>>585 法があるだけというように認識されるような状態があると伝えられています。
そして私たちは、そしてあなたも現在その状態にないんです。それは私は自白してますしあなたも自白していますね。
その現実こそが問題なのであり、そうやって他人を批評しているうちは自分にまつわる現実は変わらない。
たらればより、実際自分がどんな風に世界を見ているかが、現実のスタート地点ではないでしょうか。
604 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 00:16:21.69 ID:qyzzJvzx
う〜〜〜〜〜ん、今まで、473の書き込みは、ちゃんと読んでなかったが
(正直、長文で読みずらい上、意味不明の文が多いんでww)
こいつ、こんな勝手な思い込みで持論を展開してたの?wwww
全て、論拠は、「自分はそう思う」という勝手な思い込みが論拠じゃんwww
605 :
473:2012/06/24(日) 00:17:07.05 ID:99ocs+wu
何か西洋にはない、特別で秘教的な道がある、と誤解する人
これが一人もいなくなるまで自分自身のことは見ない。というのが心のトリックです。
また、誰もいなくてもこういった人に説教しますし、だれかいたらこれを当てはめて説教する。
そういったことを主張する人であろうとなかろうと強引に当てはめる。
誰もいなくても架空の相手にそれを説教する。
その繰り返し。
大抵批判する本人が一番
何か西洋にはない、特別で秘教的な道がある
という思考を抱えている。
気づけば消えるのだけど、それを批判する思考があるゆえに、気づくのではなく抑圧してしまう。
ろんさんを例にして申し訳ないが、私自身もっと微妙な、せこい形でそれをやってしまってるのですね。
606 :
ろん:2012/06/24(日) 00:18:06.91 ID:84BE3+Jt
否定もせず、肯定もせず、みんなでそうっと経過を見守りましょう。。
あるいは雑談もいいという話を聞いた。。
>>603 君んちの近くでいい観光地とかある?
僕は旅行に行ったら、おもてなししてくれるかな?
607 :
473:2012/06/24(日) 00:18:27.72 ID:99ocs+wu
473の相手はしないほうがいい。
ある意味同感です。
他者像より、その像を映写する自分自身にかかわりましょう。
608 :
473:2012/06/24(日) 00:23:09.08 ID:99ocs+wu
>>606 首都圏の住宅地なので特に何もないですし、旅行に造詣はないので、難しいかも。
ただお茶を飲みにくるというのでしたらどうぞ。
しかし、私がどうかではなく、あなた自身に突きつけられたことがレスの流れです。
答えもせず、わからないとも言わず、話をそらす。
473の相手をして、自分に突きつけられた問いに答えない。
609 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 00:24:24.03 ID:qyzzJvzx
まあ、今日は一つ良いことを聞いたw
「麻原を避難するものは、チャンスがあれば同じことをしでかす」とwww
( ん? とすると、この宗教板では、何かと麻原を避難する見解を
見かけるのだが、そいつらは皆、危険人物というわけか?)wwwwwww
610 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 00:25:15.84 ID:qyzzJvzx
避難→非難
611 :
ろん:2012/06/24(日) 00:26:26.86 ID:84BE3+Jt
>>608 ふーん、僕も首都圏なので、今年の夏休みは地方へ行こうと思っていたとこなのよ。。
どっかいいところを自分で探すかな。。
612 :
473:2012/06/24(日) 00:27:46.83 ID:99ocs+wu
>>604 「言ってることは正しいかもしれんがお前がそれを言うか。」
というシーンは見たことがあるし、このスレでも散見されるでしょう。
だから単に観察してれば法則化できます。
>「自分はそう思う」という勝手な思い込みが論拠じゃんwww
これいっちゃうと、あなたはそうでないという証拠を提出しなければなりませんが、、、。
言わぬが花でしょ。これ。
613 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 00:32:18.13 ID:qyzzJvzx
>>612 はい、それでは俺の書き込みのうち、「勝手な思い込み」と言える
ものを挙げてみなw
俺は既に、言ってるよな?
→「麻原を非難するものはチャンスがあれば同じようなことをしでかす」
これがその例www
多くの者は、この意見に賛同せず、「それはねえだろ?ww」と言うのでは?ww
>>609 俺は、麻原を非難する危険人物だよ。
江川紹子や有田芳生も危険人物だよ
615 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 00:36:12.77 ID:qyzzJvzx
>>614 www チャンスがあっても、やっちゃいかんぞwww
616 :
暗導:2012/06/24(日) 00:44:26.12 ID:7GlAcpEb
有田芳生の芳生(よしふ)って
ヨシフ・スターリンからとったらしいな・・・。
617 :
ろん:2012/06/24(日) 00:47:54.67 ID:84BE3+Jt
>>616 コテがだんだんおかしくなっていくのは何なんだ。。w
618 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/24(日) 00:58:38.69 ID:9jBNJawa
>617 おマイ自身 ≡(( ´Д`)/≡= 糖質 さん!地震です!
(。・ω・)(・ω・。)ネーネー しゅうきょうって、なに?
619 :
暗導:2012/06/24(日) 01:10:17.99 ID:7GlAcpEb
620 :
ろん:2012/06/24(日) 01:14:04.90 ID:84BE3+Jt
>>619 なーんか霊玄導師だっけか、キョンシーの親玉を連想するんだけど。。w
あれは中国映画の傑作だな〜。。
621 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/24(日) 01:18:10.99 ID:9jBNJawa
>>619 AnnTan ちゃん
> コテも諸行無常ってことかな・・・。
凹○コテッ
622 :
暗導:2012/06/24(日) 01:18:56.83 ID:7GlAcpEb
>>620 それは全く意識してないけどな。
「道教」だから「道士」というわけ・・・。
「導師」というのは葬式を行う僧侶のことだし・・・。
623 :
473:2012/06/24(日) 01:46:11.38 ID:99ocs+wu
>>612 はい、それでは俺の書き込みのうち、「勝手な思い込み」と言える
ものを挙げてみなw
それは、俺にも、
「ロンのような相手をしてくれる奴を見つけて、『見てみて、ボクちゃん、
こんなに≪心≫ってものを洞察できてるよ。すごいでしょ?」って、アピール
しろって言ってんの?w
そもそもの事の始まりでしょう。
客観性というのはいつも自分自身を含んでいます。
他人だけ見るのは主観ですね。
624 :
473:2012/06/24(日) 01:52:26.84 ID:99ocs+wu
「言ってることは正しいかもしれんがお前がそれを言うか。」
というシーンは見たことがあるし、このスレでも散見されるでしょう。
だから単に観察してれば法則化できます。
これ、証拠ですね。
また、ロシア革命、インドの政権取得後のガンジー派など、既得権益を非難した人ほど既得権益そのものになっています。
また、他人に腹を立てるありふれた人間は、中国皇帝の立場と文化的背景があれば普通に腹を立てて人を殺すでしょう。
現代社会は、実際に人を殺しはしないが、殺そうとちょっと思ってしまうありふれた人々で構成されており、だからこんな社会です。
チャンスがあったら殺すから危険というより、もうすでにこういう社会を作っています。
そして、自分自身もその一員であり、自分からしか変えられません。
他人について知ることは知識ですが、自分について知ることは知恵です。
625 :
473:2012/06/24(日) 01:58:25.70 ID:99ocs+wu
>>614 自分自身の心を覗き込めば、彼らへの非難が理解に変わってゆくと思います。
だれだって、いいかっこしてあがめられたいという部分はあるじゃないですか。
自分のうちにそれを見れば他人を非難したりはしないと思います。
そういったこころが自分の中にあることを認めない人は、自制できない人々であり、
危険なわけです。
626 :
暗導:2012/06/24(日) 02:03:06.06 ID:7GlAcpEb
627 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 02:14:38.38 ID:qyzzJvzx
>>623 え〜〜〜〜〜〜と、それが「俺の思い込み」ということなのかな?wwww
それは、お前が
>>566で俺につけた書き込みへの、「おちょくりレス」なんだがwwwwww
だが、お前がいつも、ロンを相手に長々と長文書き込みを繰り返すのは
「自分の心理分析が如何に優れているかをアピールする欲求に駆られてやっている。」
と思っているのも事実だ。
さて、それは「俺の勝手な思い込み」かな?wwww
(勿論、お前はそんなことはないと否定するだろうが)
意外と俺と同じ感じを受けている者も、いるのでは?ww
もし、他にも俺と同じ印象をお前のレスに対して持っているものがいるのであれば、
それは「俺の勝手な思い込み」とはならず、お前の書き込みに、そう感じさせる
ものがあり、そのように思うことも妥当性を有することになるわけだ。
さて、このスレの住人たちは、今までのお前の書き込みをどう見てたのかな?ww
(興味があるとこだww)
473の書き込みを、「ロンの認識の瑕疵を指摘し修正してあげよう」との
親切心から行なっていたと思ってるのかな?ww
628 :
473:2012/06/24(日) 02:18:07.15 ID:99ocs+wu
そういったこころが自分の中にない人はどうするのでしょう。
彼らは一見非難する資格があるように思えます。
しかし、その資格があるであろう過去の覚者は非難はしませんでした。
各自慎むことを提示しても他者を非難しはしなかった。
それも当たり前のことなのです。
いいかっこしてあがめられたいという欲望が存在しない人が、この世からそういう人を減らしたいと思った場合、
非難はしないものなのです。
というのも非難するということこそが、自分のうちにそれがあるということを見逃して野放しにする元凶だからです。
非難することによって、そのこころを内にもつ人々もそれに同調して他者を非難し、そのこころを抑圧し、育ててしまいます。
だから、非難せず、自己のそれに直面し、それが災いの元であると理解するという現実的な解決を人々に伝えました。
非難は自己のそれを野放しにしてしまう。だからしない。
また
非難は他の人々も非難に向かわせ、人々も自分自身を見なくなるので社会全体の事態を好転はさせない。だからしない。
629 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 02:19:56.33 ID:qyzzJvzx
>だれだって、いいかっこしてあがめられたいという部分はあるじゃないですか。
いや、その欲求が異常に強すぎるのではないの? お前さんはww
と、言ってるのだがwwww
630 :
473:2012/06/24(日) 02:23:04.49 ID:99ocs+wu
>>627 麻原を非難する人が危険だという話なんか、いまやり取りして初めて自覚したよ。
対話はとても勉強になるのです。
>と思っているのも事実だ。
ぜんぜん違うかもしれませんよ?
それに事実というのはいつも、あなた自身を含むものなのです。
あなた自身がより重度の該当者の場合、優先順位はあなたでしょう?
事実というのはあなたを含む広範なものであり、あなた以外の部分を都合よく抜き出すものではありません。
あなたは他人のそれを笑いますが、自分のことはずいぶんと甘いですね。
631 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 02:25:01.28 ID:qyzzJvzx
>>630 ww 何が言いたいの? 全く意味不明なんだけどww
632 :
暗導:2012/06/24(日) 02:29:52.53 ID:7GlAcpEb
>>621 あなたには何も言うことはない・・・。
強いて言えば危機管理が危ういということか・・。
まあ楽しませてください・・・もっと面白いものを。
楽しみにしてます・・・
633 :
暗導:2012/06/24(日) 02:31:07.22 ID:7GlAcpEb
634 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/24(日) 02:32:06.42 ID:9jBNJawa
>>632 AnnTan ちゃん
(´・д・`)ヤダ
635 :
473:2012/06/24(日) 02:33:55.35 ID:99ocs+wu
>>631 他人の言動を記録することは簡単ですが、自分の言動も記録して
他者のそれと見比べるということは困難です。
636 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/24(日) 02:34:04.09 ID:9jBNJawa
>>633 AnnTan ちゃん
> 間違えた 623だったね・・・・・・・
(; ・`д・´) ナ、ナンダッテー!! ( ̄Д ̄;) がーん
637 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 02:34:19.17 ID:KmUZWamn
悟りつーのは、開いてもまた閉じちゃうの?
638 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 02:36:00.71 ID:qyzzJvzx
>>635 いや、マジで何が言いたいのか分からんがww
大丈夫か?
639 :
473:2012/06/24(日) 02:42:26.47 ID:99ocs+wu
>>632 リアルで安全策が取れないというのは問題なのですが、このスレにわざわざ来て安全策とるのも違うかなと思ってます。
このスレに興味を持つ時点ですでに平穏無事から足を出してますしね。
このスレに来ておいて論争しないというなぞの枷を自分にかけるのも実に自我っぽい。
このスレでおとなしく溶け込むより、生活ごとの場面ごとのメリハリをつける感じでいきたいと思います。
私自身もいろいろな視点が浮かんできたり、自分がいかに道徳や理想に頼っているか気づかされたり、勉強になってます。
640 :
暗導:2012/06/24(日) 02:43:25.96 ID:7GlAcpEb
>>636 ポッたん太政大臣禅師殿・・・ここは2ちゃんねるでござる・・・。
何があってもおかしくない・・・。
物語が終わってしまっては、まろが楽しめませぬわ・・・。
惻隠の情というのはそういうことでしょう・・・。
641 :
473:2012/06/24(日) 02:43:28.60 ID:99ocs+wu
>>638 あなた自分がどういう人間か知らないでしょ。
その意味するところすら。
642 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/24(日) 02:48:25.39 ID:9jBNJawa
>>640 AnnTan ちゃん
マイ ママ 我が母 足して2で割ると わがまま だぜー by杉作少年
643 :
473:2012/06/24(日) 02:49:38.93 ID:99ocs+wu
>>638 といっても哲学的な話ではありません。
自分の言動を記憶しておくというだけのことです。
自分の言動を記録して、他者と見比べて
その上で他者評価をするというだけの話です。
ただ他人を見るのではなく、自分の日ごろの態度と比較すればそうそう非難はできないものです。
またより客観的に見れるでしょう。
644 :
浮世捨三郎:2012/06/24(日) 02:54:41.36 ID:7GlAcpEb
>>642 私は前にここで「机龍之介」というコテを見た・・・。
ならば「浮世捨三郎」もいてよいとおもうのだ・・・。
645 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/24(日) 03:08:56.46 ID:9jBNJawa
>>644 AnnTan ちゃん
(・∀・)イイ!! ( ・∀・)イイッテバ!!
646 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 03:34:46.93 ID:qyzzJvzx
>>643 え〜〜〜〜〜と、何か自分の世界に入り込んじゃってるのかな?w
レスに脈絡がなく、何が言いたいのか分からんがw
批判的レス付けられたことに我慢ならず、人格批判して逃走目論んでるのか?w
647 :
473:2012/06/24(日) 11:00:56.48 ID:99ocs+wu
私はよく、自らを省みることを忘れ、他者に腹を立ててしまう。
自身と他者を同時に意識すれば公平さを失うことはめったにない。
が、失っている時間のいかに多いことか。
>批判的レス付けられたことに我慢ならず、人格批判して逃走目論んでるのか?w
あなたのレスを見てるとあなた自身がそれをやっているように見えます。
あなただけがそうか、わたしがそうか、それとも2人ともそうか。
このスレの複数の階層の人からの意見があればあなたは納得しますか?
まーだ、特に誰からの評価もないので、現状根拠?がないのですよね。
あなたと私の比較でなら評価を受けましょう。
そして私がやりすぎていたのなら単に表現を改めればいいだけのことです。
あまり注意しないで発言してますしね。
648 :
ろん:2012/06/24(日) 11:14:57.98 ID:84BE3+Jt
>>644 うん、それはおもろい。。
この2ちゃんそのものが、俗を濃縮したような吹き溜まりでもあるけどね。。
吹き溜まりと言おうか、吐き溜めと言おうか。。w
649 :
ろん:2012/06/24(日) 11:19:54.18 ID:84BE3+Jt
金が欲しい女が欲しい名誉が欲しいなんざー、かわいい欲であって、大した俗でもないんだけど、
もっともらしいこと言って、、尊敬されたいとか信者を集めたいとか、それが一番の俗なわけ。。
宗教的野心と言うやつね・・これはオショー・サニヤシンには結構あてはまったりする。。
全員ではないけどね・・オショウに同一化する=宗教的野心の人になる、しかも自分ではそれに気づかない、
それによって、他から見ると、こいつはなんでこんなにおかしいんだ、と言うハメになってしまう。。
誰でも麻原のようになりうるって・・あっはっは、自分のことなんだろう。。
650 :
ろん:2012/06/24(日) 11:43:08.06 ID:84BE3+Jt
正法眼蔵 生死(拾遺)
生死の中に佛あれば、生死なし。またいはく、生死の中に佛なければ、生死にまどはず。
こころは夾山(かっさん)定山(じょうさん)といはれし、ふたりの禅師のことばなり。
得道の 人のことばなれば、さだめてむなしくもうけじ。生死をはなれんとおもはむ人、
まさにこの旨 をあきらむべしもし人、生死のほかにほとけをもとむれば、
ながえをきたにして越にむかひおもてをみなみにして北斗をみんとするがごとし。
いよいよ生死の因をあつめて、さらに解 脱(げだつ)のみちをうしなヘり。
ただ生死すなわち涅槃(ねはん)とこころえて、生死として いとふべきもなく、
涅槃としてねがふべきもなし このときはじめて、生死をはなるる分あり。
(後略)
651 :
ろん:2012/06/24(日) 11:46:24.68 ID:84BE3+Jt
生死とは迷いの世界、俗業の世界だから、
生死を浮世とも世俗とも置き換えて読むことができるかもしれない。。
というか浮世とか俗ってどこにあるのだろう、それらを聖と分割する人の中にしかないんではないだろうか?
652 :
ろん:2012/06/24(日) 11:55:01.68 ID:84BE3+Jt
(中間飛ばして後半の一部)
この生死は、すなはち仏の御いのちなり、これをいとひすてんとすれば、
すなはち 仏の御いのちをうしなはんとするなり。これにとどまりて、生死に著すれば、
これも佛のい のちをうしなうなり。佛のありさまをとどむるなり。いとうことなく、
したうことなき、このときはじめて、佛のこころにいる。ただし心をもてはかることなかれ、
ことばをもていうことなか れ。ただわが身をも心をも、はなちわすれて、
佛のいへになげいれて、佛のかたよりおこなわれて、
これにしたがひもてゆくときちからをもいれず、こころをもつひやさずして、
生死 をはなれ佛となる。たれの人か、こころにとどこほるべき。
653 :
ろん:2012/06/24(日) 11:58:01.49 ID:84BE3+Jt
漢文で書いたら、絶対こういうやはらかい感じは出ないよなー。。
やっぱりこれは漢字かな交じり文と言う日本語でしか表現できんものかも知らん。。
これは未発表原稿みたいなものだから、英語には訳されてないんじゃなかろうか?
「唯仏与仏」もそうだろう、たぶん。。
654 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 16:13:06.10 ID:qyzzJvzx
>あなたのレスを見てるとあなた自身がそれをやっているように見えます。
wwww ったく、お前は、
「あなたの方が・・・・・・してるように見えます。」
「そういうのは実は、あなた自身がそうだからです。」・・・・・
全部、相手に責任丸なげすることしかできないのか?wwww
その「勝手な思い込み」から来る「断定くせ」なんとかしたら?ww
>>653 唯仏与仏、深い言葉ですね。
あなたとあなたのお相手のことを、沈黙を以って
見守っている人は少なくないですよ、きっと。
ところで、ろんさんのコテハンの由来は「論」から
きてるのです?
656 :
ろん:2012/06/24(日) 18:13:35.00 ID:84BE3+Jt
>>655 コテなんてどうでもいいんだよ。。
自分にぴったりの言葉なんてどうせないんだし。。
言葉は本質を表わせない、名前が何かを表わすとしたら、意味とかイメージくらいなんだな。。
本質とはあんまり関係ないの・・しかも仏教では本質は無いって話だから〜。。
まあ理屈っぽいからロンでいいんじゃないの、陰謀論好きだし。。
657 :
ろん:2012/06/24(日) 18:15:06.67 ID:84BE3+Jt
部屋はだいぶ片付いたぞ。。
現状復帰70パーセントくらい。。
でも常に20パーセントくらいは散らかってるから〜。。w
658 :
473:2012/06/24(日) 18:18:58.66 ID:99ocs+wu
と思っているのも事実だ。
=断定
してるように見えます。
=私の主観ではそう見えますが、実際はなぞ=不確定
>その「勝手な思い込み」から来る「断定くせ」なんとかしたら?ww
だれもが多かれすくなけれやりがちですが、あなたは派手ですね。
659 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 18:23:07.23 ID:qyzzJvzx
>と思っているのも事実だ。
>=断定
いやいや、「思ってる」のはオレだから、断定してもいいでしょ?w
>だれもが多かれすくなけれやりがちですが、あなたは派手ですね。
いえいえ、オタクには負けますよwww
俺は、「麻原を非難するものはチャンスがあったら同じことをやる」
なんて「思い込み」ませんからwwww
660 :
473:2012/06/24(日) 18:25:42.23 ID:99ocs+wu
>>649 そりゃなりうる。不注意であればどんな思考にも取り付かれうる。
私はそうなることはありえないと思っている人は、その思考に取り付かれてもそれに気づくことができない。
他人は野心的、自分はそうではない。
そういう心は隙だらけなのです。
あなたと野心は関係がありません。
しかし野心は不注意でいれば誰にでも入り込んでしまいます。
661 :
473:2012/06/24(日) 18:27:41.86 ID:99ocs+wu
>いやいや、「思ってる」のはオレだから、断定してもいいでしょ?w
その「勝手な思い込み」から来る「断定くせ」なんとかしたら?ww
662 :
473:2012/06/24(日) 18:30:14.52 ID:99ocs+wu
661のように私は思ってるわけではないのです。661はあくまであなたの考えですから。
しかし、2つの対立する思考があなたの中にあって、それに葛藤がある。
それゆえに、あなたはいつもからかう対象を外側に求める。
>いやいや、「思ってる」のはオレだから、断定してもいいでしょ?w
その「勝手な思い込み」から来る「断定くせ」なんとかしたら?ww
2つの葛藤が内側にあると疲れるからそれに目覚めたら、と、そういうお誘いです。
663 :
473:2012/06/24(日) 18:31:06.62 ID:99ocs+wu
×2つの葛藤が
○2つの対立する思考が
664 :
473:2012/06/24(日) 18:39:52.12 ID:99ocs+wu
>>649 すいません。そう簡単になったりはしません。
さまざまなリミッターがあることがひとつ。(道徳)
やろうとしてもできないことがひとつ。
なるというより同様の野心、思考と同化してしまうということです。そしてそれを抑えようとする道徳とも同化する。
野心と、それを抑える道徳は、葛藤、混乱をもたらします。
また、麻原と同じ事をしなくても小さな形で宗教的野心を日々満たそうと心は動きます。
私にはそれがあり、家事とひとつにならない障害のひとつなのかもしれません。
665 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 18:39:57.13 ID:qyzzJvzx
>>662 なんかもう言ってることが、支離滅裂ですなww
「麻原は当然、自己が行なったことに対してその責任をとるべきである。」
はい、俺はこのように思いました。 断定ですよ。
何の問題が? 対立する思考? 葛藤?
何ですか?それw
666 :
473:2012/06/24(日) 18:42:18.90 ID:99ocs+wu
>>665 他者評価の話じゃないの?
麻原への非難、473への評価。
665は別に非難でも評価でもないから関係ないですね。
667 :
473:2012/06/24(日) 18:43:56.74 ID:99ocs+wu
>>665 と思っているのも事実だ。
=断定
これ473についてですよね。
668 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 18:44:25.21 ID:qyzzJvzx
>>666 ますます何が言いたいのかわからんww
「麻原に対する評価」であり、そのように評価したのはオレだけど?ww
何か問題が?ww
669 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 18:46:02.90 ID:qyzzJvzx
>>667 あくまでも「思ってる」主体はオレだけどw
文の流れでそのように、とれなかったのかな?ww
670 :
素人A:2012/06/24(日) 18:50:23.37 ID:YFPTkSOA
今の時代まともな娑婆生活とまともな宗教生活両方頑張っている人は大変だと思う。
両方ともいい加減な私でさえ朝はエネルギーに満ちているけど夕方は頭も体もクタクタ
に何なつている。気を使わんほうなのに、あそうか私にはクンだリーにも養つていてそれで
昼はエネルギー使う。皆も何かのエネルギー抱えているので夕方になるとストレスや疲れや
色々貯まる。みんなさんお疲れさん、今は考える力も無い。寝てるときは日常生活無くて
夢で修行だしエネルギーは少なくて住むのかも、朝空元気、大変疲れるなあと愚痴いいたかつた
でも今の時代は皆も疲れている。愚痴愚痴
671 :
473:2012/06/24(日) 18:58:36.58 ID:99ocs+wu
>>669 あれ。すいません。読み間違えていました。
どちらにせよ、私の述べているのは、
そうかもしれません。
ところであなた自身はどうですか。
というだけです。
473は無関係であなただけの問題だというつもりはありません。
2り一緒にスポットライトを浴びましょう。
672 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 19:02:11.41 ID:qyzzJvzx
673 :
473:2012/06/24(日) 19:05:49.94 ID:99ocs+wu
競争と搾取のある世界。
そう世界が見えるのは全部私自身の権謀術策、搾取を喜ぶ心を抑圧してそれを投影しているからだ。
一切世界を責めず自分自身を見ればそのように見える世界は消滅する。
これは非常に手厳しい考察で。
674 :
473:2012/06/24(日) 19:28:47.30 ID:99ocs+wu
>>672 戦いがあるから休戦がある。
今まで戦っていたんだという既成事実はあなただけのものにしてください。
私まで戦いに参加させないでください。
実際私には内戦があるので、外側のものを敵と思ったり味方と思ったりしますが根拠は希薄ですし、その評価もころころします。
内戦がなければ、誰かを敵と思うこともないでしょうし、内戦が続く限り外との戦いは終わらない。
なにかを味方と思い、何かを敵と思って、内部のごたごたを投影し続ける。
675 :
神も仏も名無しさん:2012/06/24(日) 19:41:44.44 ID:qyzzJvzx
>>674 wwwwwwwww 絶対に、「そもそも戦いなんてありません」と
言うと思ったwwww
その手の言い回し 好きだもんなww
>>656 いかにも。
言葉は常に部分的で実相を表せるものではないです。
さて、その前提に立ってですが、ろんさんは
>>567の
あたりを見ると、諸法無我を一度は経験しているように見えます。
それはいつ頃、どんな経緯で、どんな体験でしたか?
よろしければ簡単でもいいので教えてください。
>>676 諸法無我は経験するものじゃありませんぜ。
679 :
ろん:2012/06/24(日) 20:09:14.22 ID:84BE3+Jt
>>660 野心が悪者みたいな書き方だな・・クリシュナムルティなんかを鵜呑みにしてるんだろうか?
680 :
ろん:2012/06/24(日) 20:11:44.30 ID:84BE3+Jt
>>664 いや、野心あったとしても、それでみんなおかしくなるとは限らない。。
あなたは、今日は二人を相手にして、自己矛盾を指摘し、自己に直面させたから攻撃されるとか・・
いや、ちょっと普通じゃないね。。
妄想に支配されてると言ったほうがいい、まともな思考じゃなくてね。。
681 :
ろん:2012/06/24(日) 20:13:50.40 ID:84BE3+Jt
>>603か。。
これは完全に被害妄想だよな〜。。
妄想言ってるから、おかしいんじゃないと言うと、それは私が自己直面させてやったから、
二人は逆恨みしてるんだろうと。。
まったく対話にならない人だよ、あなた。。
682 :
ろん:2012/06/24(日) 20:18:45.85 ID:84BE3+Jt
>>676 諸法無我って、まずは理屈として本とかで読むわけでしょ。。
それで、自分の心とか、因果を観察してその通りだなあと納得する。。
僕はそういうプロセスだったけどなー。。
>>656は「唯仏与仏」を読んで、そうか〜と思って書いたこと。。
前にも読んでたんだけど、昔はそんなに納得できたって感じじゃなかったんだわさ。。
>>677 経験でなくても、体験でも気づきでも認識でもその他の呼び方でも
構わないです。
要は「把握した、理解した、体得した」ことを指したいのです。
ちなみにあなたは何と呼んでいますか?
684 :
ろん:2012/06/24(日) 20:24:33.61 ID:84BE3+Jt
諸法無我とは、言い換えれば、無自性と言うことなんだよ。。
自分の性格と過去性とかその時の心理状態とかは、他との関連性の中でしかありえない、因縁によってある、縁起縁滅である。。
だから、それに拘っても、観察していいわるいああだこうだ、言ってもしょうがない。
思考の時は思考になってるし、行為の時は行為だし、ぽけーとしている時はぽけーだし、
そういう風に移り変わっていくだけの話。。
で、今の自分は認識できないから、前を見て先を見て、あれしてこれしてとかそういうのがまともな人でしょう。。
自分を観察して、さっきは思考に支配されてたから、思考を観察せねばとか、そんなことやってたらまともに生きれんよ。。
ろんさん、回答ありがとうございます
>>682 納得されるのは良いことです。大いなる一歩です。
どうかその道を進まれますように。
686 :
ろん:2012/06/24(日) 20:49:40.46 ID:84BE3+Jt
>>684 「過去性」じゃなくて、「か個性」と書きたかった。。
687 :
ろん:2012/06/24(日) 20:50:47.45 ID:84BE3+Jt
688 :
ろん:2012/06/24(日) 20:56:32.24 ID:84BE3+Jt
クリシュナムルティがガンジーを批判して、自伝なんてものを出す人間は俗物でけしからんなんて言ったけど、
一般の評価はインド独立の父で、やっぱり偉い人なわけでしょ。。
ダライ・ラマ14世とかだって、称賛するだろう。。
ここらへん、変な宗教的偏見で、俗物扱いするより、世俗的な偉業をなした人間は、やっぱり偉人だでいいんじゃなかろうか?
禅でもダライ・ラマと一緒で、世法即仏法で、別に世俗を否定しない。。
だから、野心的でかつ、正しい思考と姿勢をもちみたいな感じで生きればいいんじゃないかろうか、たぶん。。w
>>683 >要は「把握した、理解した、体得した」ことを指したいのです。
把握するモノでも、理解するモノでも、体得するモノでもないぜ。
俺は何とも呼んでないけど、「法」と呼んでる人は多いね。
690 :
ろん:2012/06/24(日) 20:58:28.23 ID:84BE3+Jt
しかし、因果をちゃんとよく見れば、野心は落ちるとまでは行かないとしても、第一目標じゃなくなるだろうけどね。。
世俗的性向もいい、けれどそれだけでは心は安らかではないだろう、とわかる。。
692 :
ろん:2012/06/24(日) 21:07:52.22 ID:84BE3+Jt
だから、ある意味好悪も思考も分別もそのままでいい。。
ただそれらが自我の迷執によって、歪められすぎてはいないか、と言うことが問題なんじゃなかろうか?
693 :
ろん:2012/06/24(日) 21:12:05.01 ID:84BE3+Jt
しかれども花は愛惜に散り、草は棄嫌に生ふるのみなり
おいらに当てはめれば、熱帯魚は愛惜に死に、水槽の苔は棄嫌に生ふるのみなり。。w
今日は熱帯魚の子供が、6ッぴきも産まれて、保護するのに大変だったよ。。
プラティとかメダカとかは、親知らず子知らずで、親が子供を喰っちゃうからね。。
けっこうプチブルな趣味を持っているおいらでした。。w
694 :
473:2012/06/24(日) 21:15:28.80 ID:99ocs+wu
野心はひとつの思考でそれがとまらないから厄介。
野心は悪い(からそうでないよう振舞おう)というのも思考でそれは止まることなく前者と争うからより厄介。
思考は表面に出てきたり、言葉として認識される粗雑なものというより、
自分という感覚、そして客体である世界像に関わるものだから絶えず影響を与えている。
さっき思考にとらわれていたからさっきのことを反省するというより、さっきそれが表面に出てきてそれが主人だったとしても、
今は奥底から自分と世界像に影響を与えているし、また表面に出るべく準備はしている。
>>689 あぁ、そうともいえますね。
名前を付けられないものをそのままにしておくのも、
きっと一つの答えでしょう。
ただ、故事古典に倣って一つの様式美としての一言ですが、
あなたは「なんとも呼ばない」と呼んでいるのですね。
696 :
473:2012/06/24(日) 21:18:44.69 ID:99ocs+wu
>>675 いや、戦いは私たちの中にあるから外の人のせいにできない。
だからそうそう終わらない。
戦いはないどころの騒ぎじゃなく、絶えずあるので困ったものです。
誰か外側の人をぎゃふんと言わせたら自分の中の葛藤がなくなるだろうと希望を持つものなのですが、
一時しのぎになっても混乱は悪化する一方のようです。
697 :
473:2012/06/24(日) 21:20:01.05 ID:99ocs+wu
>>675 休戦して私とあなたの中の問題が片付けばいいんですけどね。
>>695 何とも呼びようが無いんで、「なんとも呼ばない」とも呼ばないよ。
>>696 >いや、戦いは私たちの中にあるから外の人のせいにできない。
確実に、戦いがあると言い切れるのは自分の中だけじゃないの?
さすがに他人の中に戦いがあるかどうかなんて分からないんじゃないの?
700 :
ろん:2012/06/24(日) 21:43:32.50 ID:84BE3+Jt
>>699 いや、戦ってるのは473一人だから。。
あとは、あんた言ってることおかしいよ、と指摘しているのみ。。
701 :
ろん:2012/06/24(日) 21:48:16.39 ID:84BE3+Jt
要するに自己愛性人格障害か何か知らんが、そういう障害のある人は、他人の言うことがわからない聴けない、
自分一人の妄想の中から出られない、自分は何か高尚なことをやってる=他人の矛盾を指摘して、自己直面させてやっているのだ、僕は和尚と同じグレートマスターなのだ、
そうではなくとも、オショウ・サニヤシンは、一般人を導くスピリチュアル・リーダーなのだとか、そういう新興宗教の人と同じ思い込み、洗脳から抜けられないでいるのだろう。。
>>698 いえいえ、あなたは今度は
「『なんとも呼ばない』とも呼ばない」
と呼んでいますよ。
なんとも呼びようがないというのは本当ですか?
「それ」を認識している「あなた」がいる以上、
あなたは完全な「なんとも呼ばない」ではいられないの
ではないですか?
・・・というのは言葉の上だけの話しを承知の上で
書いてみました。
言葉遊びはともかく、あなたはあなたのいう
「なんとも呼ばない」
ものをあなたの中で、どう取り扱っているのです?
703 :
473:2012/06/24(日) 22:27:15.51 ID:99ocs+wu
>>699 自分自身の葛藤と投影のメカニズムの観察。
それと他者の言動が似通っているので内面もそんなものかなと。
もし内面に葛藤が無ければ私とは次元が違う存在ですねえ。悟っているかどうかはわかりませんけど。
相手がそういう方だったら申し訳ないですけど、そういう方ならそう見えるような態度をとっていただかないとさすがにわかりません。
また、基本的に私たちは人間であり共通の心理的要素があるという前提で会話が始まっているかと思います。
オレ無さんのいう、あいてのことはわからないんじゃないの。
を徹底すると、本当に何をしゃべったものかわかりませんし、じつはそれが事実なのかもしれません。
一応私は自分の経験と、他者の外側の行動、そして過去に覚者が述べていた一般人間心理を参考にして述べていますが、
おっしゃるとおり絶対ではありません。
これらの前提や、観察すら全く当てにならないから他者には何も言い得ない。
というのは、実は根底の認識としてとてもいいものかもしれません。
基本的に何か会話するには共通の要素があるという前提が無いと無理ですが、
実はその共通の要素というのは仮定に過ぎないとすれば、、。
解放が?
704 :
473:2012/06/24(日) 22:30:21.85 ID:99ocs+wu
>>699 戦いが無ければ問題ないし、あれば気づく契機になるという感じです。
確かなことはわかりません。
705 :
473:2012/06/24(日) 22:32:21.33 ID:99ocs+wu
だから全部自分はという一人称で描いて、
各自自分はどうだろうと手探ってコメントを出し合えればいいのですが、
自分でとかくと本当にみんな473だけみて自分のことを見ない可能性があるのでそれでは共同作業にならない。
その辺のジレンマです。
706 :
473:2012/06/24(日) 22:37:13.60 ID:99ocs+wu
私はたくさんの価値判断そのものでできているように思える。
心は静かではない。だから何かが起きればすぐ反応してしまう。評価してしまう。
何かがあれば、誰かが何かすれば、それを好いたり嫌ったりする。
好いた像を真に受ければその価値判断はより強くなる、嫌った像を真に受ければその価値判断はより強くなる。
心はより騒がしくなる。
心が静かでないと、物事や人に反応してしまう。不自由である。
その反応は決して自分の望んだものではない。
しかし騒いでいる心、価値判断、自己は静めることができない。
できることは、そうやって好いた、嫌った物事を真に受けないことぐらいです。
707 :
473:2012/06/24(日) 22:47:00.08 ID:99ocs+wu
>>699 ああ、だから全部仮定として話せばいいのですね。
いつのまにか真に受けている自分がいる。
>>702 >なんとも呼びようがないというのは本当ですか?
>「それ」を認識している「あなた」がいる以上、
>あなたは完全な「なんとも呼ばない」ではいられないの
>ではないですか?
せっかくなんで、俺も言葉遊びの戯言として・・・
諸法無我の指す「我」は元から存在していない。
よって我というものが、どんなモノかも分からず、
我の無い状態である無我もどんなモノか分からない。
だから、諸法無我が果たして正しいのかどうかも分からず
間違っているかどうかも分からない。
さらには在るのかどうかや無いのかどうかもハッキリしないので
何とも呼びようもなく、呼ぶことも出来ない・・・・・なんてね!!
>「なんとも呼ばない」
>ものをあなたの中で、どう取り扱っているのです?
諸法無我を含めた「法」は今も昔もこれからもずっと法で在り続けるそうなので
私がそれに気付いても気付かなくても法は法のままで続いていくんだったら
特に法について私が気にする必要もないので放っておきます。
「法は、法でないからこそ法なのだ」正にその通りだと思います。
709 :
暗銅:2012/06/25(月) 01:19:01.64 ID:6fPQAQ0X
ATARUの最終回おもしろかった・・・・。
チョコザイというキャラがよかった。
710 :
暗銅:2012/06/25(月) 01:46:56.99 ID:6fPQAQ0X
今日は皆さん静まりかえって内省坐禅でもしてるのかな・・・
711 :
ろん:2012/06/25(月) 01:55:24.27 ID:IJCzo8Np
部屋が片付くと、心も静かになるのかもだな。。
アンドーの観察でもするか。。w
712 :
暗銅:2012/06/25(月) 02:12:08.02 ID:6fPQAQ0X
>>711 僕を観察しても何にもならんと思うよ・・・。
人は関係性の生き物ですし・・・。
僕は自分を観察すると・・・
病と疲労に毒されている・・・。
これは坐禅ではどうにもならなくて、医者の管轄なのだろうか・・・
713 :
暗銅:2012/06/25(月) 02:17:39.98 ID:6fPQAQ0X
坐禅は主に心を対象とするもので
身体に関しては全く役に立たない・・・
せったんも年を取ってから草むしりに倍近い時間がかかるようになったと言っておった・・・
714 :
暗銅:2012/06/25(月) 02:30:16.27 ID:6fPQAQ0X
「諸法無我」を議論すること自体が「諸法有我」だと思う・・・。
そんな議論をくどくどと応報するなら「我」がのさばる・・・
だからと言って、敢えてそういった議論をしないようにするのも、また違う・・・難儀やのう
715 :
暗銅:2012/06/25(月) 02:40:32.05 ID:6fPQAQ0X
遊びをせんとや生れけむ、戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声きけば、我が身さえこそ動がるれ
舞え舞え蝸牛、舞はぬものならば、
馬の子や牛の子に蹴させてん、踏破せてん、
真に美しく舞うたらば、華の園まで遊ばせん
716 :
暗銅:2012/06/25(月) 02:45:30.50 ID:6fPQAQ0X
ロンたんが言う、「どうこう言う監視者がいない」
という『監視者』がいたのではだめだ・・・。
自分が悟った悟らない、ここまで行ったまだここに行ってない、と言う監視者観察者観照者・・・。
監視者を捨てることが出来る者はなかなかいないと聞く・・・。修行を捨てることが出来ないのと同意と思ふ・・・。
717 :
暗銅:2012/06/25(月) 02:52:55.67 ID:6fPQAQ0X
クンダリニーについて・・・これは坐禅とは全く異なるヨガの修行である・・・。
いわゆる性欲を「昇華」させる技法であると思う・・・。
性欲といえば、我々は異性に性的欲情をするものである・・・。
その時、性欲というのは1つの性的対象に集中することになる・・・。
その性的欲求を一切存在にすべて分散するのがクンダリニーであろうと思っている・・・。
こうなると性的対象が「すべて」になるので、人間を超越したかのような状態になる・・・
動物に発情期はあるが人間にはない。人間も視覚聴覚触覚等からの刺激で発情するが対象が限られる。
一切を対象とする性的欲情こそがそれである・・・。
幸福の科学 と 創価 入るならどっちがまし?
※個人的に池田を崇拝している創価は嫌です。
キリストも胡散臭い。
719 :
暗銅:2012/06/25(月) 03:04:27.40 ID:6fPQAQ0X
明王の軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)という言葉もクンダリニーから来ている・・・。
性欲については精神分析学開祖のジークムント・フロイトが有名である・・・。
リビドーを中心とした神経症学説を唱えた人物である・・・。
性欲が他のエネルギーに転嫁できるかについては言及されていない・・・。
クンダリニーとは性欲の転嫁もしくは昇華であって、闇雲に我慢すれば良いわけでもない。
720 :
暗銅:2012/06/25(月) 03:10:16.64 ID:6fPQAQ0X
クンダリニーが開いたときにはどうなるのだろうか?僕ならばいわゆる性的発射と同じ
状態で前立腺だけが脈動する昇華状態になる・・・。
前立腺から背骨を通って頭頂へ突き抜けてゆくようなものだ・・・。
非常に難しいものだ・・・。
721 :
暗銅:2012/06/25(月) 03:14:53.50 ID:6fPQAQ0X
ただし禁欲が必須であるだろう・・・。
性欲をエネルギーに転嫁させるには、性欲を温存しなければならないだろう・・・。
だが、禁欲したからといって昇華できるわけでもない・・・
カオス的偶然に左右される宝くじ的要素が強いのも事実である・・・。
しかしながら、買わなきゃ当たらない宝くじと同じでやらなきゃ昇華しないクンダリニーでもある・・・。
>>708 その定義は、どのようにして知ったのですか?
726 :
473:2012/06/25(月) 10:01:24.34 ID:pKBj3/i9
>「なんとも呼ばない」
>ものをあなたの中で、どう取り扱っているのです?
そもそも何とか呼ぶという取り扱いとは一体どういうものなのでしょう。
何とか呼ぶということが意識的な活動ではなく、半ば無自覚に自動化されているという現状は
まずいように思うのです。自分でオンオフできず、それが何かもわからないということは、知らず知らず幸福や不幸の種をまいているということですから。
呼ぶというのは何が呼ぶのか。
そして呼ぶということはどこまで行っても、自分の既存の価値観で判断した他のものとの相対的な比較であり、主観との相対性は主観ではないか。
何事もなんとも呼ばなければ、ひとつであるものを分割しなければ、ひとつのものは葛藤無く本来の動きをする。
ひとつのものが両側に引き裂かれるような苦しみ、人間の苦悩は起こり得ないのではないか。
>>708 まともに取り組むととらえどころが無く、思考は途方にくれてしまう。
そのために作られた体系だと思いますので、製作者の意図にかなってるとは思います。
727 :
473:2012/06/25(月) 10:18:12.47 ID:pKBj3/i9
思念に気づいていれば思念は静まり思念が作り出す価値観、幻も静まります。
それを幻だと断じたり、それらはないと否定したりしてもそれもまたもうひとつの思念でより混乱します。
静寂、悟り、法のイメージも既存の世界観のイメージに加えられ、対立するイメージに過ぎません。
他のことに気をとられることも、別の思念との同化に過ぎずもとの幻の抑圧です。
正当化も否定もせず気づいていることが解放だといわれます。
解放についてはわからないのですが正当化も否定も他のことに気をとられることもなにもかも解決にならなかったことはいえます。
728 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/25(月) 17:54:16.40 ID:GzlC2RnO
>>701 戯論のケェーRon害 さん
自己紹介だね。
>わっちは自己愛性人格障害だが、そういう障害があるので、他人の言うことがわからない聴けない消防である。
自分一人の妄想の中から出られない、自分は何か高尚なことをやってる=他人の矛盾を指摘して、自己直面させてやっているのだ。
僕はグレートマスターなのだ。
ポカッ(._+ )☆\(-.-メ) ォィォィまた、いいかげんな事を言う・・
729 :
473:2012/06/25(月) 18:47:04.65 ID:pKBj3/i9
気づいていればといったものの。
知らないうちに自我を消そうと、世界を消そうと、対立を消そうと頑張っています。
それにはたと気づくと、
気づいていてなおくつろいでいるのだ。
思念の群れが私自身であるのだから何もすることは無い。ただ自分自身がくつろぐのを待っていればすべては消え行く。
言葉にすればこんなものですが、どのように言葉で思おうと、実際の思念の動きは別口です。
730 :
473:2012/06/25(月) 18:56:07.23 ID:pKBj3/i9
>>708や699のようにいつも何事も認識できるなら、あらゆることが仮のものであり、
私はなにごともなんとも思うことが無いというのが基本であり、自分の意思で怖がったり、
自分の意思で好いたりできるでしょう。
しかし、このような見解を持ったところで、私は勝手に怖がり、好み、嫌い、自分の認識をコントロールできません。
どんな見解を持っても、それとは関係なく動く思念があり、コントロールできない。
それを自覚すると瞑想への必要性も沸いてきます。
どう思おうと自分の反応は制御できないという事実の認識とその対策を提示しているのは宗教だけであり、哲学にその発想はありません。
もちろん何の保証も無いのですが、宗教以外にこれを問題提起して、なおかつ克服した存在がいるとされているものはありません。
>>728 矛盾の指摘は自分の考えで相手の主張を捻じ曲げたりせず、相手の言葉だけで組み立ててその矛盾を明らかにします。
それをしていただいたことはありません。
それをやってくれるなら誰がしてくれてもとてもありがたいです。
731 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/25(月) 19:15:00.40 ID:GzlC2RnO
>>730 余那造 さん
>
>>728 矛盾の指摘は自分の考えで相手の主張を捻じ曲げたりせず、相手の言葉だけで組み立ててその矛盾を明らかにします。
それをしていただいたことはありません。
それをやってくれるなら誰がしてくれてもとてもありがたいです。 』
ヾ(^-^;) ゴメンナサイ
あなたとは、全く関係の無いところでの Ron叩きです。
そう言うこともあり、あなたの書き込み、全く読んだ事がありませんでした。
どうぞ、気を使われませんよう、捨て置いてください。
(*・ω・)*_ _))ペコリン
732 :
473:2012/06/25(月) 19:39:48.83 ID:pKBj3/i9
しかし、他人の自己矛盾に目がつくというのは、例によって自分の自己矛盾からの逃避でしょうなあ。
自分も他人も自己矛盾してるし、特にどうこうすることも無い。
ただ事実にくつろいで、なかったねえ。
>>708 お見事としかいいようのない回答ありがとうございます。
これ以上、言葉を費やす必要もないですね。
735 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/25(月) 20:35:39.13 ID:GzlC2RnO
>>732 余那造 さん
たたく 事だけなので、論理など一切有りません。
叩けよ、 vさ、有らば、悪魔祓いが成就する事も有らん、デロン。
>>734 どこかで語っていたはずですが、元々、貴方はどのようにして
悟ったと思ったんでしたっけ
お手数ですが、もう一度、少し聞かせてくれませんか
何か貴方なりの独自の体験があったような気がするのですが
>>736 もう、忘れちゃったよ。
このスレの今年の1月から今までのところに
日記のように日々の変化が記入してあるから探してみて。
コテハンだから見つけやすいと思うよ。
>>726 > 呼ぶというのは何が呼ぶのか。
呼んでいるのはもちろん、あなたや私です。
お察しの通りの主観です。
ただ、仕組みが少々異なるので、説明するのは難しいのですが、
仮に言葉にしてみますね。
### 以下、長文なので他の方はスルー推奨 ###
悟りによって触れる世界は絶対の世界です。
その世界には「なんとも呼ばない」ものしかなく、
名前のようなものはありません。
ただ、その世界から持って帰った「なんとも呼ばない」もの
(=知恵と呼ぶのもいいかもしれません)を、こっちの相対の
世界で翻訳して、縁起の法や三法印といった名前を便宜上
付けてるだけです。
もっと言うと縁起の法や三法印も所詮、表現に過ぎず、
より高尚な概念でさらにまとめられたり、もっとウィットが
効いたようなものがあるのかもしれません。
そして、もっとうまいこと説明してくれる概念が
あらわれた瞬間に、諸法無我は、量子力学が現れてからの
古典力学のように「実は間違い、間違いとは行かなくても
部分的であった、一定の大きさ以上でないと通用しない
部分的な法則であった」というような状態になるかもしれません。
それが
>>708でオレさんが触れている「諸法無我が…(中略)…
ハッキリしない」の一端だと思います。
ただ、以上のことは、他のコテさん名無しさんは別の解釈を
お持ちでしょうし、それこそ高僧・名僧の方々がいくらでも著作を
残されているので、あくまで仮の話しとして聞き流してください。
>>740 どうもありがとう。
>>739 法がハッキリしないのは、「在る」「無し」を超えているからだと思うよ。
「在る」「無し」を超えている以上、仮に新しい概念が生まれたとしても
言葉で説明するのは無理だと思うよ。
言葉は「在り」「無し」の範疇でしか語ることが出来ないからね。
>>741 「在る」「無し」を超えていることと、
>>738の「絶対の世界」は細部は異なる
かもしれませんが、ほぼ同義だと思います。
そして、言葉で説明するのは無理なのも理解しています。
それでもなお、こうして言葉に仮託していくのもまた人の営みと思うのです。
>>739はそういった営みの中で、より良い表現が生まれる可能性に触れて
みたつもりです。
ただ、あくまでそれはいつも"より良い"であって辿り着くことのない営みでは
あるでしょうね。その点では「言葉で説明するのは無理」ですね。
>>742 言葉の表現だけでみると「絶対の世界」は
「絶対の世界」というモノが存在してるように感じますね。
「絶対の世界」が「在る」「無し」を超えているのなら
どちらかに偏った表現は避けたほうがイイでしょうね。
「世界」ってのがね…
なんか空間的なイメージなんですよね
入れ物っぽい感じが、有る無しの偏りを感じるですね
>>737 そうですか
それはそうと、変化があったということですね
悟りは一回切りと言う人もいれば、深まると言う人もいます
貴方は深まったということですか
なぜ、こうした立場の違いがあると思いますか
>>745 >なぜ、こうした立場の違いがあると思いますか
悟りに定義がなく、みんな思い思いの悟りを主張するからじゃないの?
>それはそうと、変化があったということですね
変化があったと言えるかどうかハッキリ分からない。
何かが変わったような気がするが、どこが変わったか良く分からないし
以前も今も私は私で何の変化もしてないし・・・・・
そもそも悟りが在るのか無いのかさえハッキリしない。
でも、この状態が何だか居心地イイのですよ。
>>746 なるほど
悟りがハッキリ分からない、それはそれでいいと思います
納得しているようですね
しかし、もう知りたいと思うことはないのでしょうか
敢えて言うなら、たとえば、悟りについて知りたいことはもうないのですか
>>743 アドバイスありがとう。ただ、ふと微笑でしまいます
「なんとも呼ばない」から始まったあなたが、
>>743で表現の良し悪しに触れているのを見ると、ね
>>744 言葉は仮託です。どこまでも仮です。
あなたの中ではどのように表現していますか?
>>748 >「なんとも呼ばない」から始まったあなたが、
>
>>743で表現の良し悪しに触れているのを見ると、ね
ああ、それはあなたが
>>742で「そういった営みの中で、
より良い表現が生まれる可能性に触れてみたつもりです。」
って書いてたから俺なりに協力したつもりなんだけど・・・
何か可笑しかった?
>>747 >しかし、もう知りたいと思うことはないのでしょうか
今の状況では知りたい事も無いし、分かる事も無いんで
しばらくはこのままでしょう。
>たとえば、悟りについて知りたいことはもうないのですか
悟りについては今のところ興味が無くなりましたから
興味が戻るまで休憩中です。
751 :
ろん:2012/06/26(火) 23:41:09.42 ID:6Rokgpbm
>>716 もともと心は一つだから、監視者があっても、監視者を監視するものはいない。
ある時は自分を見て、ある時は外を見て、あるときは人を思いと・・一瞬、一瞬で切って見れが、もともと三昧なんだよ。。
だけど我執が強いと、どうしても自分を運転しようとするものだから、是非善悪の世界に落ちる。。
もちろん、是非善悪も法であり、除くべきものではないので、要するにそのままで、お手上げで生きるしかないということ。。
禅も忘れ仏教も忘れ、修行も忘れて、目の前のことと一体になるという感じかな。。
752 :
案道:2012/06/27(水) 00:11:02.48 ID:TVxUELrS
>>751 そりゃそうだよ。心がいくつもあったらおかしいじゃん。
>禅も忘れ仏教も忘れ、修行も忘れて、目の前のことと一体になるという感じかな。。
これってみんなやってることじゃんか・・・。
753 :
ろん:2012/06/27(水) 00:18:39.03 ID:L4CHN8Ur
>>752 みんなやれてるかどうかは知らん。。
みんな解放されてたら、もっといい世界になってると思うぜ。。
割と多くの人は狭い世界、共同体とか自分の思い込みの世界に閉じ込められて生きてるように思うけどね。。
狭い家族や職場の人間関係とか・・尽大地これ自己の法身なり・・とまではいってないわけでしょ。。
だから、仏道と言うものがあって、近づいた人は、入るべしとなるわけだ。。
754 :
案道:2012/06/27(水) 00:31:01.99 ID:TVxUELrS
世の中には個人を思い込みの世界に閉じ込めるようにするシステムがあるんだと思う。
それが社会というものだとおもうけどなあ・・・。
まあよくわかりませんが・・・
755 :
744:2012/06/27(水) 01:02:05.02 ID:SDv3ffAa
>>748 表現はできない
言葉を超えてる
仮にああ言ってみた
ただの感想みたいなもんです
756 :
ろん:2012/06/27(水) 01:07:05.54 ID:L4CHN8Ur
夢を見ているのではなく、見せられている。。
物語を信じ込まされている。。
物語の外にしか美しい世界はないかもしれないのに。。
いつかのオペさんの話は、プルーストの小説みたいだな。。
幼い頃の記憶が今よりもっと鮮やかによみがえる時が来るのだろうか?
おいらもガンダムに洗脳され過ぎかな・・振り向くな、アムロとか・・w
757 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/27(水) 01:10:25.38 ID:7jbb9Ra2
>>755 無しよ さん
> 表現はできない 言葉を超えてる
それをこころと言いますが、こころとは、なんでしょう。
758 :
無しよ:2012/06/27(水) 01:46:11.05 ID:SDv3ffAa
>>757 あっ!何だ?さん
お声掛けくださってありがとう
それをこころと言うとは…!
確かにこころというのは表現出来ない何かを感じるセンサーですよね
言葉に訳すのは別部門ですが
お名前付けて頂いたのでコテハンを「無しよ」にします♪
単なる文字の羅列を受けて映像がひろがる
映像が過去の体験と重なり心を揺さぶる
揺さぶられた心は何らかの答えを出そうとする
心は現象と現象を繋ぐ媒介役
生物が発する現象には心がある
760 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/27(水) 03:38:43.42 ID:kxgzQ0W8
761 :
473:2012/06/27(水) 16:01:40.64 ID:1PqPzvp3
>>759 というわけで、言葉というのは他者ありきであり、自分ひとりしかいない場合言葉は必要が無く
発生の機縁も無いでしょう。
だれもがそういう意味での心を持っています。
数百数千の、好み、是非、執着、恐怖。小さなことから大きなことまでその集合。
決して止まることの無いその群れ、自我、心。−無心ではないもの。
結局どんな言葉もその心に一定の反応を出さしめるものでしかありません。
同じ心でしたら言葉で伝え合うこともできますが、異なる心の間にあっては同じ言葉は全く違うものを呼び起こすでしょう。
そしてそういった無数の反応、無数の記憶、価値判断の集大成である心が静まったとき、無心であるときに接触できるとされる悟り。
それを言葉で伝えるということは、それそのものの描写ではなく、相手の心全体が静まるような何かである必要があります。
その目的を果たしたなら即座に捨てられる。そのときだけ通用した無数の方便。
762 :
473:2012/06/27(水) 16:08:12.38 ID:1PqPzvp3
>>752 そりゃ、そういうことを知らない人はそれを忘れるどころかもともととらわれようがありませんね。
無数の好み、決まりごと、執着、恐怖。
男女、お買い物、仕事、他の人の振る舞いなどそれらへの期待と不満。
心が静かでないということなら、悟りも、男女も、お金も、特に違いは無いですね。
何にまつわる心が特に問題だといわない時、心全体が静まり行くのかもしれません。
反面、自分の心のざわめき全体に気づくという状態は程遠いので、自分が今特に何かにこだわってしまっている時、
それにこだわることに意味は無いのだという示唆は一時的に役に立つのかもしれません。
ただ、心というのは24時間や168時間監視しないと全容がつかめないもので、性超越ー性欲、俗ー悟り、悟りー明け渡し
など対立するものを行ったりきたりしてそのコントラストを楽しむというパターンに入っていることがよくあります。
対立するもののどちらかが悪いというより、それを対立させている価値判断が、私をあっちにいかせたりこっちに戻したりするんですね。
763 :
761:2012/06/27(水) 16:15:15.75 ID:1PqPzvp3
といっても悟りについては伝聞なのです。
主観が弱まったとき悟りのような体験をしますが、あくまでそれは
とらわれているが故の自由の感覚でしかなく、相変わらず囚われています。
主観を超えたものは主観に記憶できるはずが無いので覚えておこうとすること自体無駄な努力ですし、
そもそも本当に主観を一瞬でも越えたなら何で戻ってきてしまうのか。
それに戻ってしまったならそれが事実であり過去は意味が無い。
主観が昔のことを覚えて再現しようと働いている限り、主観の中、夢と欲望の中からは抜けられないのだから。
渇愛の度合いと、その弊害というだけのことですよ
765 :
761:2012/06/27(水) 17:03:38.96 ID:1PqPzvp3
簡潔で美しい表現です。
それには弊害があります。
ただ、渇愛の弊害を認識するに連れて度合いは問題なくなってゆくでしょう。
どうしても比べてしまうのですが、比べることは自分のそれが生き残るやり方。
766 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/27(水) 17:54:03.62 ID:x1PnbUQy
>>761 与奈造 さん
と、言ってみました・・・
767 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/27(水) 17:56:35.77 ID:x1PnbUQy
>>763 南無市 さん
o( 〃゜O゜〃)ゝオォーイ!! 南無市 さぁ〜ん と呼んでみましたぁ〜
>>763 >主観が弱まったとき悟りのような体験をしますが、あくまでそれは
とらわれているが故の自由の感覚でしかなく、相変わらず囚われています
♪囚われないことに囚われるとかもありそうですね
執着しないことに執着する終着の無い旅、なんちゃって
>>763 >主観を超えたものは主観に記憶できるはずが無いので
たいていの人は毎日数時間は体験しているらしいですね
多分ヨナミさん(と、言ってみました・・・)も体験してますよ
770 :
無しよ:2012/06/27(水) 19:55:47.24 ID:SDv3ffAa
>>760 あっ!何だ?さん
さとりとは言葉に出来ないものです
こころは感覚器です
こころは言葉にできないものを感じることができます
こころはそれを言葉にしません
言葉に翻訳できるのは思考
しかし思考は言葉を使ってこころの感じたすべてを表現することはできません
ですから以心伝心という方法が言われるのでしょう
さとりはさとらないうちはあるように見えます
ある日さとりはない、だがある、というような認識になります
さとりから自由になるのは楽なことです
それはさとりを求めている私から解放されたということです
だからといってなにも変わりませんけどね
そんなこんなで、さとりとはなにか?という問いにはまったく回答できないで終わりました
すみません…
771 :
473:2012/06/27(水) 19:56:52.22 ID:1PqPzvp3
>>769 眠っているときは無意識なんだけどそれに触れているらしいとか。
実は覚えていないけれどその中にいたとか。
そういうことはあるかもしれませんね。
主観の中に生まれてからずっといるに違いないと思い込むことも違うかもしれません。
ただ、あれですよ。
「その体験した」というニュアンスは記憶であり主観の産物なので、基本的にアウトです。
この体験する人、というのがいいことも悪いことも全部もたらしてくれる葛藤そのもののようです。
彼ら(覚醒者らしい人々)はそれは体験ではないといいますし、体験という言葉を使う場合もニュアンスが相当違います。
彼らは体験としてではなく現在進行中のものとして、生き生きとした表現をして私たちを刺激し、また落ち着かせてくれます。
473はちょっと話が重くなりがちですし浮いた話には反発するところがありますが、
明らかに引用であり自分自身の体験でないことが明らかな美しい話を、
自分の存在をその覚者のなかに消し去ってしまってそれを伝えることには反対のしようがありません。
なんといってもいないのですから。
ラーマクリシュナのMや仏教の経典の作者は、その名前を完全に師の内に消し去っていました。
772 :
473:2012/06/27(水) 20:10:10.12 ID:1PqPzvp3
ことばの難しさ
私は無数の価値判断の集合であり、緊張である。
その私が「リラックス」という言葉を聞き、リラックスしていた覚者の描写を読む。
私に何ができるだろうか。
リラックスしようとすることしかできないのではないだろうか。
リラックスしようとすることは既存の緊張を抑圧して、リラックスのイメージにエネルギーを投入し、
ひと時のリラックスのような体験をすることだけではなかろうか。
明け渡し、悟り、何であっても方針というものは私を強化してしまう。
リラックスしようとすると緊張し、覚ろうとすると無明に落ちる。
方針は一時自分の方向性を変える力を持つが、すぐに疲れ果て今まで以上にいつもどおりの価値判断と緊張が帰ってくる。
それを知って、自らの心から離れるな。
そんな風に私は聞きました。
773 :
473:2012/06/27(水) 20:22:22.91 ID:1PqPzvp3
>>769 あれ?
しかし、体験でないのなら、今まさに刻々と目覚め、刻々と生きているということ、
意識の開花。そういうものがあるのかもしれませんね。
しかしこれは体験として、客体として経験されるようなものではなく、客体として経験しようとすると消えてしまう何かです。
主観の中に閉じ込められている事実という認識も大切だけど、自分のこころと共にいるということが身についてきたならば、
実在かどうか怪しい主観にこだわりすぎるのもあれかもしれませんね。
こころが心全体を主観とと名づけて、いろいろ観察する。
必要な段階ではある。しかし、と。
全面的なこころの静寂にあっては問題は無く、解決も無い。
問題にどう対処するかという次元ではなく、問題として認識してしまう心の働きそのものに気づくという次元であれば。
774 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/27(水) 21:53:43.88 ID:K7Btrdf2
>>770 無しよ さん
では、こころ(さとり)とは、存在するもの在るもの でしょうか。
775 :
無しよ:2012/06/27(水) 22:12:29.98 ID:SDv3ffAa
>>774 あっ!何だ?さん
さとっていないと思ってる人にはあるように見え
掴んだと思った瞬間消えてしまうようなものですね
あるといえばある
ないといえばない
というしかありません…
776 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/27(水) 23:02:23.13 ID:K7Btrdf2
>>775 無しよ さん
さとる前には、やはり さとりを求めます。
さとれば、 さとったのですから、さとりを求めません。
では、さとりとは、何か。
さとりは、
こころ と言い、、ほとけ とも言うもの、です。
777 :
無しよ:2012/06/27(水) 23:24:22.33 ID:SDv3ffAa
>>776 あっ!何だ?さん
あっ!何だ?さんのいう「こころ」がさとりだとお知りになったのは
どんな経緯なのですか?
778 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/28(木) 00:00:53.53 ID:EQTnx2Qj
>>777 無しよ さん
こころ コロコロ と言う言葉でした。
779 :
庵憧:2012/06/28(木) 00:07:52.45 ID:ociLUsNr
抱擁しよう、幾千万の人々よ!
この口づけを全世界に!
歓喜よ!
神々の麗しき霊感よ!
天上の楽園の乙女たちよ!
>>749 協力ありがとう。あなたのいたわりは伝わりました。
ふと微笑んでしまったのは、数限りない縁起を懐かしむ感覚です。
あなたも私も数限りない縁あって仮に生じている存在です。
(本当は存在しているかも怪しいですが、今はそれは置いておきましょう。)
そしてその縁は常に変化しています。あたなも私も変化しています。
そんな存在同士が、互いに言葉で言い表わせないことを語り合っていること、
そしてあなたもまた変化したように見えたことが、微笑ましかったのです。
781 :
473:2012/06/28(木) 16:57:38.15 ID:V9DBaPQm
人間にとって2頭の馬に乗ることは不可能だ。
人間にとって2つの弓を引くことは不可能だ。
召使にとって2人の主人に仕えることは不可能だ。
一人に仕えれば一人に背く。
イエスより トマスへの言葉
私は悟りについてのイメージを持ってしまう。
私はユートピア、効率的な資源運用と労働環境のある社会を想ってしまう。
ファンタジーの美しい人々の姿と心を思い浮かべてしまう。
そんな時、私は確実に自分の生存を無視している。その間自分の生存に間違いなく敵対的だ。
それでいいのだとおもっているようだ。
しかし、外界から自分の生存を脅かすようなショック、上司からの叱責だったり、株式市場の逆行だったりにさらされると、
さっきまでの意気込みはどこに行ったやら心配事にさらされてしまう。
体、命を気にする思考は事実として存在するようなのだ。
それでいて、悟り、ユートピア、ファンタジーにおける思考も存在する。
782 :
473:2012/06/28(木) 17:08:05.04 ID:V9DBaPQm
思考は極端なのです。
それゆえに、ある極端な思考を盛ったなら、その逆の思考を持つ必要に駆られます。
世俗の利益を全く無視する思考を持つ人は、生き残るために、全く持って利己的な思考を持たざるを得ないでしょう。
人はそうやって馬にかわるがわる乗ります。
が、瞑想は自分の中に矛盾する複数の目的があることを、複数の思考に代わる代わるのっとられていて、
日常を無意識に過ごしていることを開示します。
この葛藤は特にどうすることができるものではないようです。
おそらくですが世間をマイナスαとして捉えている人は覚りはαであり、マイナスβなら悟りはβでしょう。
悟りが主観的であるというだけでなく、世間、世俗も人それぞれ、「悟りとついになるものとして」捉えています。
世間は存在しない、だから世間というのだ。悟りというものは存在しない。それゆえに悟りという。
そうブッダはおっしゃりますが、現在私にとって自分で捻じ曲げた概念として世間は存在し、おそらくついになる概念として悟りも存在しているのです。
この両極性の理解。
思考は極端なものであるがゆえに、ある極端をもったら、バランスのために逆の極端の思考も持たざるを得ない。
もし私が人より強い利己的な思考を持っていなかったら、非常に危なっかしい。
そういう意味で利己的な思考も責めたものではなく、バランスのための必要物かもしれません。
αとマイナスαその全容に目覚めるか、いまのままの両極端への執着を放置するか。
783 :
473:2012/06/28(木) 18:17:59.26 ID:V9DBaPQm
思考というのは、欲望というのはそれがどんなものであっても、ひとつの極端、ひとつのゆがみを作るようなのです。
一見思考というのは慎重で賢明に見えますが、それがひとつの極端であり、実在にゆがみを作るものでしかないとすれば、
直感において刻々と生きるということがそうばかげたことにも見えなくなってきます。
こころとは神経器官ですね
繋ぎでしかないとの見方もできますが
働きは複雑怪奇ですね
ただ、自然法則には忠実です
自分の中に純情無垢な子供がいるようなものです
思考で教育してあげるんですよ
思考も自然法則にのっとった方がいいですね
人間を固体をみなすなら、もちろん実在します
しかし、我というものは認識作用として作られたもので
どこにも存在しないのがわかりますね
787 :
473:2012/06/28(木) 19:20:19.36 ID:V9DBaPQm
果たして社会に要求し欲求不満にならずして空想の愛と美を求めることができるだろうか。
というのも、もともと私たちは愛と美であるべく生まれてきたのであり、愛と美を要求するべく生まれてきたのではないから。
それを要求してしまうと、嫌悪すべき社会と好ましい空想という2元性が生まれてしまう。
社会と空想が両方意識されるとき理解がもたらされる。
しかし、思考は決して好いているものと嫌っているものを両方見ることができない。
好いているものと嫌っているもの、好いていることと嫌っていること、その全容に目覚めたときそれは静まってきたのだと思う。
788 :
473:2012/06/28(木) 19:26:01.51 ID:V9DBaPQm
>>786 私にはわかりません。
我があり、認識作用があるからです。それがあるものとしての生を生きているからです。もしくは夢を見ているからです。
認識作用があるのにかかわらず、認識作用はどこにも存在しないとわかるということはどういうことでしょうか。
もし私がそれをわかるとすればそれは単なる空想ではないでしょうか。先達の師の物まねではないでしょうか。
あなたがどこにも存在しないということを正に見抜かれているなら、どうぞ光明を宣言なさってください。
認識作用そのものは存在します
それによって作り出された空想ということです
好感も嫌悪感も神経作用です
それが正解ということは、もちろんないです
だから人間は学習するんです
790 :
神も仏も名無しさん:2012/06/28(木) 19:36:51.54 ID:lHliTX0h
仏教ってヒンドゥーの分派じゃんw
悟った?ガンジス川逝ってきなw
791 :
473:2012/06/28(木) 19:46:02.14 ID:V9DBaPQm
>>786 最初わたしは先達の言葉を聴いて希望に胸が躍りました。
瞑想をし、人生を生き、その中で今までの常識と違った先達の言葉をわかっていきました。
ただ、確かに今までの常識を信じ込むということは薄れ、新たなビジョンを得たものの、
肝心の、従来からある自分自身の心の動きや
今までの物事の認識は変わりませんでした。
それは
>>788のようなやり方でわかり、理解していたからでしょう。
それはむしろ自分を見失う働きをしてしまっていました。
自分の古くからある認識は新しいヴィジョンとは別に残っている。
そう気づいたので、今度は、先達の言葉を、自分が何を理解していないか知るために使うことにしました。
自分の平凡な自我が何を思い、どう苦しみ、どう喜んでいるか。
宗教には入り口としての概念の提示、実践としての人間の平凡な自我の理解、そして究極への手引きの3つのステージがあるように思えます。
それは異なる機会に提示されたものなのでしょう。
しかし、これも究極的には私が私を理解することはできないという事実に変わりませんし、
幻といわれる苦悩に囚われすぎ、本分を忘れがちになるという問題もありました。
結局、全ての喜びと苦しみ、そしてその葛藤。
その原因である私そのものがいろいろわかろうとしたり、わかっていないということをわかろうとするようなのですが、
原因そのものが理解を求めようとすることのトリックは実に巧妙で、捉えどころがありません。
792 :
473:2012/06/28(木) 19:52:05.70 ID:V9DBaPQm
>>789 あなたには認識作用があるにかかわらず、自我も無く、欲望も無く、恐怖もなく、感覚もなく、体も無く
世間も無く、悟りもないのでしょうか。
大本の認識作用があるのなら、自我があり、思考があり、欲望があり、感情があり、体があるようです。
それは避けられないもののようです。
認識する人が存在しないと見抜くからこそ、認識作用も存在せず、
認識作用が存在せず、認識する人が存在しないと見抜くからこそ、
自我も無く、思考もなく、感覚も無く、欲望も無く、感情も無く、体も無く、
世間も無ければ悟りも無いのだと、仏陀は説いたようです。
(般若心経)
>>773 >体験でないのなら、今まさに刻々と目覚め、刻々と生きているということ
幼子は自らを知らず
大人になり自らを知り
そして目覚めたとき人は再び自らを知らずを知り...
こうして生は循環するのですね・
>>773 >実在かどうか怪しい主観にこだわりすぎるのもあれかもしれませんね。
そんな感じもします
精神的な苦しみを無くしたいとゆう思いが主客の乖離を生み(実は不可能ですが)
苦しみを固着させるのかもしれません
(これを聞いてまた思考が(笑))
795 :
473:2012/06/28(木) 22:40:13.00 ID:V9DBaPQm
今763を見てもある種ロジックとして整っている反面、対象として主観をあまりに意識してしまっている。
自分で敵を定義して、自分で解放を定義して、内輪で争う不毛な争いのなかにいることを示しています。
自分の、他人の書き込みで見るべき場所はこういう感じについてなのです。
主観は直接認知され理解されなければいけない未知の何かを指し示す方便でしかなかったはずなのです。
しかし主観を対象として定義してしまうと私の作る新しい夢の上書きとなり、私には出会えない。
体への執着、体への同化というものも、概念として提示されて入るものの、それが実際にどういうものなのか直接感じたことは無い。
概念にも、他人にも何にも意識を向けないで留まっていると、ついには体にも意識を向けることがなくなるとか。
>>792 >自我も無く、思考もなく、感覚も無く、欲望も無く、感情も無く、体も無く、
>世間も無ければ悟りも無いのだと、仏陀は説いたようです。
>(般若心経)
ブッダが説いたのは「無」じゃなくて「空」じゃないの?
全てを「在る」と思えば「在る」に固執するし
全てを「無い」と思えば「無い」に執着してしまう
この両方共から距離を置くのが1番楽なんじゃないかな?
797 :
行灯:2012/06/29(金) 01:44:31.99 ID:sW1PWrSr
「在る」とか「無い」とか言及できる
「対象」があるならダメ。
それがどんなものであったとしてもね・・・。
798 :
ろん:2012/06/29(金) 01:53:42.25 ID:4VNa3qun
理屈分析まったく意味ないとわからんうちはね〜。。
な〜んもわかっとらんということ。。
実体ないということ、空だけでもちゃんとわかればまし・・形や状態がどうのってまったく意味ないことがわかるから。。
799 :
ろん:2012/06/29(金) 01:55:22.61 ID:4VNa3qun
事実もあってはなりませんとはそういうことだよ。。
僕が2ちゃんで誰かと喧嘩したからどうの・・そういう事実もありません、だから無事というの。。
800 :
ろん:2012/06/29(金) 01:56:59.36 ID:4VNa3qun
空に遊び、空に滞らず、空を超え、空を使う。。
801 :
473:2012/06/29(金) 01:59:01.12 ID:meXIXDpV
無いという思想の表明ではなく、思う人が無いというブッダにとっての事実を
深い瞑想の中にある高弟シャーリプッタに伝達しようとしたときの言葉です。
不二と表明した方もいれば、一と表現した方もいます。
ブッダは何も説かなかったといいます。
そもそも説く人がいないのだといいます。
説く人も無く説かれた事もなく、
そして聞く人もいないのだということを見出す事が法であると、
金剛般若経では述べているように思います。
結局私自身の認識力でしか仏陀は理解できないのです。
だから、単純な引用と、自分の理解したところによる解説ならできますが、
彼がこういったとさも理解したように解説する事は不可能です。
802 :
ろん:2012/06/29(金) 02:02:11.43 ID:4VNa3qun
>>801 だから、あんたは何もわかってないから、言ってることすべて無意味。。
チラッとでも見てから、また来ればいい、言ってること意味ないの。。
自分では賢いとか知識あるとか、思い込んでるんだろうが。。ww
803 :
ろん:2012/06/29(金) 02:03:48.27 ID:4VNa3qun
仏陀を理解するものだと思って、経典やら、祖禄やら覚者wの言葉らやらを集める。。
結果どんどん遠ざかるのみ。。
なぜかって、理解するものではないから。。
>>800 そういう感じに書くと、あたかも「空」が存在してるように見えるね。
805 :
ろん:2012/06/29(金) 02:17:22.83 ID:4VNa3qun
>>804 うん、ちょっとカッコつけすぎたかも。。。w
806 :
ろん:2012/06/29(金) 02:21:06.09 ID:4VNa3qun
>説く人も無く説かれた事もなく、
そして聞く人もいないのだということを見出す事が法であると、
まーこれはそのとおりだけど、そこに至ろうとして目指せば空病に陥るし、知らなければ輪廻に堕する。。
空色往還自在なのが如来かもだな。。
807 :
ろん:2012/06/29(金) 02:23:31.83 ID:4VNa3qun
如来来たる如し。。
せったんさんよく言ってたけど意味不明だった。。
わかってみれば、如来来たる如し。。
あっはっは、そのまんまではないか。。
808 :
ろん:2012/06/29(金) 02:39:11.05 ID:4VNa3qun
もちろんみなさまが如来ってことで〜。。w
809 :
473:2012/06/29(金) 02:42:47.74 ID:meXIXDpV
>>796 801 の続きというか補足になります。
ブッダは一見矛盾することを言いますし、また各段階にあって異なる次元の事を話はするようです。
ですが、結局はその人が伝えようとするものはその人自身が出ると思うのです。
ブッダが無と表現しようと、空と表現しようと、それは同じものであるか、少なくとも同じ方向性にはあると推測されます。
無といわれるとよりしっくりくる方もいらっしゃれば、空といわれるとよりしっくりくる方もいらっしゃるでしょう。
各々が各々にとって効果がある言葉を受け取ってゆけばいいとは思います。
同じ人が発した言葉を各々が信奉してその見解を言い争うというのは滑稽なものですが、
言葉に頼ってしまいがちな私たちの陥りやすい罠です。
ですが、結局は同じ人の発した言葉です。
810 :
ろん:2012/06/29(金) 02:55:00.15 ID:4VNa3qun
空も無も要らんの、わかる必要もない。。
自分を変える必要もない、心をいじる必要もない。
ただそのまんまに坐っとっとりゃーいいだけ。。
坐らずとも、自己を忘じきることができればいいだけ。。
逆に言えば、空や無がわかったとしても、わかってる自分がいれば、まだ余計なものが残っているということ。。
811 :
473:2012/06/29(金) 02:55:47.07 ID:meXIXDpV
>>806 >チラッとでも見てから
みるひとがいて、見るものがあり、さらにそれを記憶した振りかざす。
そうやって実在と自我はその溝を深くします。
見る人が消える事を仏陀は説きました。が私、見る人はいまだ存在しています。
私が見るとすれば、自らの過ちを見よといった仏陀の言葉に従うだけです。
>あんたは
対象として意識されたものは、特にそれが強く意識されたもの、批判や嘲笑のたいしょうであるもの、
それは自分自身の心の反映です。
客観的な指摘は、相手が存在しない時。それは主客の関係に覚醒していたり、友情があったり、愛情があったりそんな時に起こる事です。
悟り子さんは自我で主張しないゆえその指摘は奇跡的に的を得ます。
>まーこれはそのとおりだけど
ブッダと同じ境涯にないのでしたらそれは妄想です。
あくまでブッダがそう伝えただけです。
どうしてブッダの言葉をブッダと同じ状態であり続けない私たちがわかるでしょう。
812 :
ろん:2012/06/29(金) 02:58:52.31 ID:4VNa3qun
如来来たる如しの一言でもいい。。
誰もが来たる如しでしかあり得んのに、それがわからない、仏以外ではありえないのに、他に瞞ぜられるがゆえに、気付けないだけなのだ。。
他とは何かって、仏教然り、覚者の言葉然り、世間常識然り、是非善悪然り、自分の思い込み、その他諸々のことだわな。。
813 :
ろん:2012/06/29(金) 03:02:21.90 ID:4VNa3qun
>>811 だから、見る人が消えるところまで行ってくださいな。。
まともに坐れば、15分で行く・・消えたとっことにふっと気付くのを見ると言ったまで。。
ここで、よくよく参じるとね・・見えたわかったと言っている自分がほんとうなのか、何も見えないわからない自分がほんとうなのかという疑問がわくと思うよ。。
そこまで行かなけりゃ、足の髄から天井除いてるようなもんだ。。
悟り見たことないのに、悟った人はこうですと・・見てないのに嘘ばっかこくの止めろって何度言ったらわかるんだろうか??
814 :
ろん:2012/06/29(金) 03:04:31.34 ID:4VNa3qun
×消えたとっこと
○消えたってこと
×足
○葦
815 :
ろん:2012/06/29(金) 03:06:22.55 ID:4VNa3qun
>>811 法と言うものがある限り、悟りと言うものがある限り、正誤もあるし、迷悟もあるの。。
遠い近いもある。。
あなたはとてつもなく遠い、、一番迷っている、普通の人よりもね。。
迷いの上に迷いを積み重ねているようなもん。。
816 :
473:2012/06/29(金) 03:09:25.64 ID:meXIXDpV
>>813 そんな、夢見る事ができる体験はどうでもいいのです。
それが悟りに向かうものか、物事を悪化させる妄想か、わからないじゃないですか。
好悪における認識や、さまざまな対象の認識に何も変化が無いので、ようはあなたは昔どおりのあなたで変わりがないということです。
あなたがざわついていれば、そういった影響を人に与えるでしょう。
悟った人の持つ属性と対照的です。(イエスから禅師まで、みかけは異なりますが、この点は共通のようです。)
817 :
473:2012/06/29(金) 03:10:48.36 ID:meXIXDpV
過去でしかなく、丁寧に分析までして、自己顕示する。
空想の特徴を満たしています。
私も空想は好きなので思い当たる事はあります。
818 :
ろん:2012/06/29(金) 03:15:48.66 ID:4VNa3qun
>>816 好悪もない、というか無くなったね。。
リアルではほとんどないわ・・この人はめんどくさいとかがあるくらいだ。。
別に好きとか嫌いとかはない。。
というか、如来来たる如しってわかるか?
そのまんまってことだよ、そのまんまもないそのまんまだ、道元禅師のお示しの通り。。
「唯仏与仏」ね。。
819 :
ろん:2012/06/29(金) 03:18:09.94 ID:4VNa3qun
そもそも自分迷ってるのに、迷っているって一般人のレベルじゃなくて、完全に悟りを勘違いして妄想世界の仏を拝んでしまっている。。
それで、他人の迷悟が判別できると思うのだろうか?
悟ってる人にしか迷悟は判別不可能なのよ・・これはわかるよね。。
だったら、どうして自分が迷っているのに、他の迷悟が判別できるのだろうか?
やってることが完全におかしいのに気付けない、ちょっとヤバイレベルだな。。
820 :
ろん:2012/06/29(金) 03:20:17.78 ID:4VNa3qun
如来来たる如し。。
そのまんまってだけじゃなくて、何の実体もないってことも含まれるけど、同時に自分に関与してないので、自分がないんだわさ。。w
821 :
ろん:2012/06/29(金) 03:22:30.59 ID:4VNa3qun
まあどっかで、「自分は悟ってないけど理解はしているはずだ」という妄執というか思い込みがるのだろう。。
ところが、ばってん、完全な勘違いなのでした・・残念!!
822 :
473:2012/06/29(金) 03:28:47.52 ID:meXIXDpV
理解は障害であるとずっと書き込み続けた後で801でオレ無さん宛のレスで
たまたま「理解」という言葉を使いましたが、ワードに反応するのはちょっと待って欲しいですね。
それまでの書き込みの内容は、理解は古い自我が生き残るトリックであるという事です。
要は自分の正当化のために批判相手が欲しいだけなんですよ。
823 :
ろん:2012/06/29(金) 03:34:07.15 ID:4VNa3qun
>>822 普通の人は批判されると、そうかもな〜とかそうかもしれんと思う。。
だが、自我の妄執が強烈なあんたみたいなのは、すべて批判するものの中に何か間違ったものがあるからだという、断定する・・何の根拠もなしにww
はたから見たは、アタマおかしいのはどっちでしょう?
批判の内容の真偽をまったく問題にせず、議論もせず、考えもせず、意識もせず、というか抑圧し、すべては批判するものが悪いと・・消防と同じ精神レベルだな・・いや、幼稚園児レベルか。。
824 :
473:2012/06/29(金) 04:29:31.01 ID:meXIXDpV
>>823 普通かいてもいないことに批判した上、その批判と同様の意見が上のほうにあったら
発言を訂正しますよ。
根拠はいつもあります。書いていないことへの批判です。
もしくは対象、お前、という投影属性の有無。
好悪は無くなったと表面で思い宣言するのは勝手ですが、823で好悪が無い書き込みだと判断する人は少ないでしょう。
それに、そのわずらわしいというのがそれじゃないでしょうか。好悪を認めたくないからって抑圧しなくても、普通のものですから。
言語なんですから好悪が無いひとだなと思われるようにレスしないと言語の役割を果たしません。
825 :
473:2012/06/29(金) 04:31:05.35 ID:meXIXDpV
>>819 それは一理ありますね。
>私の場合
迷いに気づいていない状態、迷いに気づいている状態、迷いに気づくには意識が必要であり、
その意識で他者の事もごくわずかにわかる、などの感覚は持っていますが、(これはそういう体系を持っているというのではなく日々のなんとなくの言語化です)
それにしたって悟っていないのに他者に干渉するなかれといわれればその通りです。
悟りを得るまで、言い伝えられている悟りの特徴を全て備えるまで、他者に向けて言う事は全て的外れであるというのは
よくよくありそうな事ですからね。
>ろんさんの場合
悟りを開かない限り、自分が正しい道にいるかどうかすらわからないので、
ろんさんも誰に対しても評価は不可能ですよね。
ろんさんは悟っていないけど、迷ってもいないから他人の迷いが見えるという事にしておきますか?
私は悟っていないなら迷っているのが普通で要はその自覚だとは思うのですけど。
ろんさんも悟ってないのでしたら、悟りと迷いのほかに単純な正常な状態があるかどうかはわからないじゃないですか。
悟ってもいないし迷ってもいない状態の人が他者の状態が見れるかどうかもわからない。
チラッと見たものも正しいかどうか悟るまでわからないじゃないですか。
悟りを開くまで他者の批判や境涯のきめつけや、また悟りを知ってるかのように語ることは控えたらいかがですか。
>>797 >「在る」とか「無い」とか言及できる「対象」があるならダメ。
「『対象』がある」も「在る」に含まれると思うよ。
827 :
473:2012/06/29(金) 08:45:52.04 ID:meXIXDpV
>>819 一理あるが、話がずれています。
私が他人が悟ってるかどうか判断できるかどうかは問題ありません。
ろんさんが、ブッダと同じような意味で悟っているのなら
「それはそうだけど」という事に何の問題も無いのです。
だからそう宣言される場合はこれについては問題もありません。
ろんさん自身がブッダの悟りそのものを完全に体得したわけではないとおっしゃっていたと思いますが。
それなのに仏陀の言葉を自分が完全にものにしているかのように語るのは借り物の知識であり、自己欺瞞ではないでしょうか。
473は単純にその言葉から出る矛盾や、雰囲気を見て、こうではないですかと提示するだけです。
別に悟った方なら、これは言葉のあやで私は悟っていると言えばいいのではないでしょうか。
828 :
473:2012/06/29(金) 10:29:06.56 ID:meXIXDpV
>>799 それを実際に見出した人にとってはそうだと私も聞いています。
ですが、ひとは自分の中に、そして外に争いを見ておいて、それなのに借り物の知識で
争いはないという事も可能です。そのような夢を見る事も可能です。
しかし、他者はその夢に付き合ってはくれません。
争いが存在しないと実際に見出した人は正にそのように振舞うでしょう。
表面としては馬祖のように振舞ってもいいのです。
しかし、馬祖もイエスも対極のようで、彼らは私たちの持ってる争いという深刻さがなく、
他にもさまざまなものがないという点は共通なのです。そして形は違えど愛があり、共通なのは静けさか。
829 :
473:2012/06/29(金) 10:33:43.28 ID:meXIXDpV
普通人が受け入れがたいと感じる感情や発言や印象に、人が好むであろう物の名前をつける。
そうして受け入れてもらおうとする。
言葉のトリックである。
しかし、感情や、膨大な価値判断のメカニズムが静まらない事には何も変わらない。
だませるのは自分だけだ。
逆に自己批判したところで、自己批判する自我が消滅するわけでもない。
どういった形でも言語化、概念化は自分をごまかす事はできるが、日々の心の働きには何の変化も与えない。
このあたり自戒であります。
830 :
473:2012/06/29(金) 10:38:45.78 ID:meXIXDpV
と、828はろんさんの内面に勝手に踏み込んでしまった。
819での自分の言葉を破ってしまって申し訳ない。
ただ、表面的な表現から828としかとれないところがあったので問題提起にはなりました。
(文章の感じからその人の内面を、またそのテーマを全く連想するなといっても無理ですからね。
同じ事を祖師はどのように語りましたか?そのどのようにの部分のほうが多分大事です。印象の大部分を占め、また伝達も、。)
あなたの事ではなく、一般論としての自己欺瞞の考察という事でお読みください。
内ばかり見ちゃうとナルシストになる
ナルシストでも自分は騙せる
問題なのは外界とのズレが生じることから
苦が生じ、苦のスパイラルに入ってしまう
必要なのは外界を好きになること
非常に難しいと思うけど
外界を心身共に理解し、好きになった時
解放され、心が楽になる
理屈じゃないのは確かだけど
頭と心が理解した後で体にくる
最終的には体に理解してもらわないと変わらないんだよ
そして楽のスパイラルに入っていく
ろんさんが言いたいのはこういうことでしょ?
たまには体の欲することを聞いてやらんとね
厳しくするばかりじゃ体はグレちゃう
体を育てるのは子育てと同じだよ
自分も外界も赦すって感じなのかなぁ
上から目線なんだけど同化してるって感じ
まぁよくわからんw
834 :
473:2012/06/29(金) 11:48:45.99 ID:meXIXDpV
>>831 好きになるという心の働きは何かを嫌いになる事を意味します。
内面を好むと外界は嫌いになりますし、外界を好きになってしまうと内面の本質を嫌いになってしまいます。
好きになるというのは在る部分を固定化し、そして他の部分を嫌いになってしまう心の働きです。
何を好きになっても結局外界というか、自分を含む世界全体とずれてしまうでしょう。
内外を分けるというのがすでにひとつの好き嫌い、内ー外の好き嫌いになります。
そして人は肉体維持と、精神の健康のため、外が好きな人格と内が好きな人格が入れ替わり活動する事になります。
それでも内向性、外向性でどちらかが優位になるようですが。
以上は私の言葉ですが、好悪は心の病とソウサン師なども述べています。
私は外界が嫌いなのに、外界を好きになろうとするという試みはお勧めしません。
もちろんそうやって適度に精神分裂し、無意識になれば社会には適応はできます。
嫌いなら嫌いであるという事実。何かが嫌いで何かが好きであるという心の働きそれが静まるのを待つしかないのではないでしょうか。
外界への憎しみを持つ私が外界への愛を唱えてもそれは、根本的に憎しみであるものに愛という名前をつけるだけです。
こころというのは広大なものです。
こころによって体はしんどくもなりますし活発にもなります。
そしてこころとは表面的な信条ではなく、もっと深く、複雑なメカニズムです。
表面的な信条ではなく、こころのメカニズム全体で理解するために体でなにかをする、体に働きかけるという事はよく言われます。
その体系も宗教ごとにあります。わたしもかつては全霊で打ち込みました。
>>834 好きなものがある以上、反好きというか嫌いがあるのは事実です
お釈迦様はクドイほど、あれこれすることは良くて、
あれこれすることは悪いと。
これって好き嫌いですよ。
難しく考えてもダメですよ
>>834 何が「好き」と「嫌い」を決めてるの?
そこを見つけて潰せば解決するんじゃないの?
好きも嫌いもないっていうか
意識しないほうがいいと思う
意識するなら、好きも嫌いも疑いの目線が必要な気がします
とりあえずは自然体でいきましょう^^
838 :
473:2012/06/29(金) 12:21:05.94 ID:meXIXDpV
>>835 彼はその両方を語ったともいえます。
また、彼は悪いといったのではなく、これをするとこうなる、これをするとこういう心持になるとこうなる
という法則について語ったようです。
悪しき行いを避けよとは言いました。のちのち苦しむのが悪しき行いのようです。
この行為が悪いというより、あくまでそれをするとどうなるかという因果を重視していたように思います。
そしてその真偽は瞑想と生活の中で各自見出しなさいと。
好き嫌いについては、好きなものと嫌いなもの、好くという心の流れと嫌うという心の流れ
その全てを一度に意識する事で静まるといえます。
いや、これは試みても不可能なのですが、真剣に取り組んでいればあるとき思考が深く安らいで、
その全容に覚醒が起きたりするようです。
>>836 基本にして、究極の質問なんですよ。それ。
それに私なりに取り組んでいますが完全に答えられるのは多分悟った人だけです。
今回簡潔に述べるなら、その好きと嫌い、もしくは微妙な好き嫌いである「区別」
の集合体が私であり、
好き嫌いをつぶそうとする事は思考であり、思考の上位ではないのです。
すると同等のもの同士、思考同士どちらが勝つ事も無く葛藤し、互いに抑圧しあいます。
結果、好き嫌いはまままでどおりあるんだけど、自分だけはそれを感じなくてすむような人格を
一日数時間演じられるという結果が生まれます。
ある意味本人は楽になりますが、問題の解決からは遠ざかってますし、周りから見ると余計厄介になってます。
>>838 固定観念に捉われとる…
そんなの捨てちゃいなさいな
1回、頭の中真っ白にしちゃいなよ
>>838 いいですか
私は悟ってはいません
私が言っているのは自己保身でも何でもありません
あなたが楽になれる方向を模索しているだけなんです
それ以外のことは、これっぽっちも思ってないんですよ
いかんw我が飛び出ちまったw
でもね、そういう気持ちなのは本当なんですよ
>>838 >今回簡潔に述べるなら、その好きと嫌い、もしくは微妙な好き嫌いである「区別」
>の集合体が私であり、好き嫌いをつぶそうとする事は思考であり、思考の上位ではないのです。
個人的には逆だと思うよ。
「区別」の集合体が「私」じゃなくて、「私の1部」が「区別」を生み出しているんだと思うよ。
それと、「潰す」って言うのは例えで、実際に潰す訳じゃないよ。
843 :
473:2012/06/29(金) 13:13:34.53 ID:meXIXDpV
>>840 しかしね。悟りを開いていない限り、まず人は自分の問題しか理解できないんです。
自分の問題を基準に他人を解釈し、それを救ってあげようとするのです。
そうすることで自分自身の問題も解消できるような錯覚を得ます。
って、なんか自分もやってる気がするんですけどこれ。
共に協力したり、対等のマナーを要請したり、そういうのはいいのですが、救ってあげるという話になるとノーセンキュー。
>>842 個人的な見解というのはいいですね。各自検証してゆきましょう。
私の場合は、外で何かが起こるたびに既存の価値観が反応しており、それがコントロールできないという事実から仮説を出しています。
(ついでに近代宗教で語られる事と矛盾はしない内容にはなっていいます。)
私の場合は、私が区別を作るというより、物事を区別する思考にたいして覚めていないと、
思考が物事を区別してしまうというように感じてはいます。
また、私が生み出しているなら、私がそれをやめられるはずではないでしょうか。
各価値基準が外界に反応する事を制御できない。作ったとしたらとめる事ができないのは変。
それゆえに私が生み出しているわけではなさそうだと当たりをつけています。
>>843 >また、私が生み出しているなら、私がそれをやめられるはずではないでしょうか。
>各価値基準が外界に反応する事を制御できない。作ったとしたらとめる事ができないのは変。
>それゆえに私が生み出しているわけではなさそうだと当たりをつけています。
なるほどね、だとしたら
あなたの中には、あなたの気付いていない
あなた以外の誰かがいるのかもしれませんね。
固定観念から離れられないのが問題だよ
すぐ疑う(これは健全
すぐ決め付ける(これが問題、しかも正解でない
しがみつく原因が何かはわかりませんが、
根は相当深そうです
これを見つけるのが第一かと…
見つけたら、いろんな方面からアプローチしてやって
これを赦してやって下さい。きっと解放されます。
もちろん私も病気です
決してここでは明らかにしませんが、自覚はハッキリしています
自分の病気も矯正しつつ、他人の病気も気がつけば矯正してあげる
そんな感じでいいじゃないですか
人の行く道はそれぞれ違います
障害物の順番もひとそれぞれです
かつて、その道を通ったからなんとなくわかる
その程度なので、もちろん正解ではありません
ただ、気持ちだけは汲んでやって下さいw
悟りどころの話じゃないですねw
848 :
473:2012/06/29(金) 16:52:03.86 ID:meXIXDpV
>>844 ニュアンスはちょっと変わるかもしれませんが、たくさんの私という概念はグルジェフが提示しています。
たくさんの召使が代わる代わる主人になったつもりでいて、肝心の主人が忘れられている。
>>845 それはそうです。普通の文脈ならあなたの言うとおりです。
理解してくれる人を好み、そうでない人を厭う。
そういった夢を自分で作り、世界と対立し恐れるという事において、
一体誰が助けてくれるでしょうか。
また一体誰を助けられるでしょうか。慰めあう事はできても解決はできないのです。
尊敬や信頼を勝ち得た流れがあるわけでないのに、あなたを助けたいというのは相手の尊厳を踏みにじって
自分が上位に立ちたいという何かです。その何かに助けたい、愛情と名前をつけますが、それは宗教的な意味での愛とは別物に感じます。
助けてください。ではなく、助けたい。なぜでしょう。
その助けたいという心理には、自分に取り組む事への怠惰が隠されている場合が多いのでその方向に話を向けてみたのです。
あなたには疑っていると解釈しました。
しかし私は疑っても信頼しても無く、そもそも助けるという事においてまったく別の捉え方をしている。
私はあなたを助けたいというもの自体が自分にとって過去通った、自己欺瞞の一形態として理解されているとしたら?
助けは自分が無く他者がいないとき、もしくはそれに近い一瞬の隙間でしか起こらないとすれば。
毎回1から説明するわけにも行きません。
少しでも信用があれば、私がそう言い切るなら何か膨大な背景があるんだろうと推察してもいいのですが、
自分の価値観に照らし合わせて845のように言い切るとは、正にあなたがやっているのが845ではないでしょうか。
849 :
473:2012/06/29(金) 17:04:02.49 ID:meXIXDpV
>>846 赦しが起きるときには赦す人はより希薄になってゆくでしょう。
許すときには許す人という傲慢な自我が膨れ上がるでしょう。
>>847 だが、その気持ちは汲めないのです。私は意図的に、確信を持ってその気持ちを汲まないでしょう。
私が主観で感じる愛情というのは、私の身勝手な愛情なのです。
完全に有害だというわけではありませんが、本当の意味で人を全一にする手助けはできません。
私が感じる愛情というものは、そのまま私が感じる憎しみというメカニズムと同じなのです。
あることに愛情を感じ、あることに憎しみを感じてしまいます。
私が愛情に満ちているとき、それは自分の都合、自分の価値観が反映した愛情であり、
近い価値観を持った他者にしかありがたくないし、なにより自分の苦悩の種でもあります。
自分のことも満足にできないのに他者に干渉する困った人は、またそれをやった私は、
やられるほうには悪魔であり大ばか者にみえるのですが、それをしている本人は愛情に満ちているのです。
それにえに、愛情を持たず、憎しみを持たず、他者に焦点を当てすぎず、自らの足で立ってゆきましょう。
850 :
ろん:2012/06/29(金) 18:59:58.13 ID:4VNa3qun
>>824 あなたの発言は読まなくてもわかる。。w
要するに自他の分析、解釈、判断・・こういったものは、全て無意味である。。
なぜなら、あなたの頭の中にしかない妄想だから。。
真実は脳内妄想の外。。
>>825 迷いと言うものは、本来はじめからない。。
と言うことに気づいて実現するか否かの問題。。
好悪がある無しとかは関係ない。。
書いてないことへの批判と言ったって、あなたは人間心理を理解している気になっているから書いてるのではないか。。
そう言った理解全て無意味、妄想であると言っている。。
なぜなら、解釈や分析や理解を離れた、そのものが仏だから。。
どうあろうと仏なんだよ・・分析・判断は無意味・・どれによってどんどん遠ざかるのみ。。
851 :
ろん:2012/06/29(金) 19:02:20.94 ID:4VNa3qun
>>827 私もあなたもブッダと同じく悟っている。。
体得するしないもなく、そもままだから。。
そのままでダメであれば、どこまで行ってもダメだろう。。
というか、心が静かになったからいい、思考があるから悪いとか、そんなことではいつまでたっても終わらないぞ。。
無意味な足掻きだ。。
852 :
ろん:2012/06/29(金) 19:03:14.46 ID:4VNa3qun
>>828 無事とはそういう意味ではない。。
どんな事実も存在しないということ。。
853 :
473:2012/06/29(金) 19:50:03.25 ID:meXIXDpV
自身の憎しみに愛情という名前をつけるというのは人のやりがちな事です。
現実である実際の心の働きに名前をつけるのであって、その名前どおりの感情や心の働きがあるわけでは無いようです。
ブッダが悟りというものは私たちは知りません。
そしてブッダが憎しみと呼ぶものは、通常に人が言う愛かもしれません。
ブッダが夢と呼ぶものに、修行者は目覚めと名づけてしまうかもしれません。
差別的なマインドが自分自身に無選択という名前をつける事は宗教の世界ではよくあるでしょう。
寛容でない人は寛容であろうとし、その寛容でない自分の心の働き(へのか弱い抵抗)に寛容と名をつけるでしょう。
、、、これでは言葉と内容が錯綜し混乱してしまいます。
我々は「仏陀の言うところの」悟りであり、「イエスの言うところの」愛に誘われたかと思います。
また祖師の一喝に勇気つけられた人もいるでしょう。
私たちは彼らがそう「名づけたそのもの」を見出そうとしています。
別のものに同じ名前がついているだけの場合、それは単にまったく別のものであると見抜く必要があったのでした。
別のもののようでかつ中身は全くわからない。それはつまり他人が何を言っているのかさっぱりわからないという事であり、
わからない事には肯定も否定も必要ないのでしょう。
言葉に反応しない人は、言葉ではなくその中身でこれだと通じ合えたことについてだけ注意を払うのかもしれません。
854 :
473:2012/06/29(金) 19:51:51.22 ID:meXIXDpV
言葉は本当にいい加減です。各々全く違う事に同じ言葉を当てはめます。
やはり深いところで言葉に頼っている自分は、言葉とその中身があまりにばらばらであることに眩暈を覚えましたが、
結局、人がどう言ったかではなく、人がどう感じているか考慮しなさいという言葉に落ち着くようです。
他者の感情を客観的に把握する事はできませんが、感情への定義がまちまちの言葉をそのつど真に受けるよりよっぽどましなのは確かでしょう。
他者の感情はわからないという事実自体が私を目覚めさせます。
言葉そのものには何もなく、何の意味も無いのでしょう。
言葉からイメージは連想されますが、あくまで言葉が先ではなく各々の実際の心のありようが先で、それに各々名前をつけているだけなのです。
共通語としての言葉は、みんながこれをこう名づけているということで共通認識を深めてゆきます。
それが物質の次元でしたら認識の齟齬もありませんが、感情の次元になるとみな自分にだけ甘い採点をして、認識の共通性は薄まってゆきますし、
ましてや認知や意識についての話題は共通の認識を持つのが非常に難しいか不可能であり、それゆえに言葉は正確な共通認識をほとんど保てません。
各々が各々の異なる心のありように、何故か似たような名前をつける傾向があり、言葉では実態を把握できない実に混乱した状況になります。
そういう世界で私たちは生きているのであって、その言葉と印象の矛盾という現状全体に目覚めていないと、
他者の矛盾する発する同じ言葉の異なる心理的影響に深層心理はかき乱されるでしょう。
855 :
473:2012/06/29(金) 19:53:35.69 ID:meXIXDpV
私はこれこれの宗教的体験をしたからわかっているのだ。
と思っている人とは公平な会話は困難です。
私は体験した、見出した、体験は存在しない、何々はないと見抜いたのだと。
それゆえに愛情にあふれた彼らは人々に寛大にもアドバイスをしてくれるようになります。
体験者は世界と自分を分かち、自分と他者を分かちます。
体験者が感じられるようなら、そのひとは善意の人であり、主観的な夢の中に囚われています。
もともと宗教における進歩は謙虚さを伴うものであり、悟りは自らの迷いを明らかにし、
知恵は自らのの無知を明らかにしてゆくものです。
思考は瞑想でエネルギーが集約されたとき、思い通りの体験をもたらす事ができます。
体験に真正なものと虚偽なものがあるとすれば、要点はその体験そのものではなく、
その後の恒常的な変化にあると思います。
単に自分の知識の通りの体験をしたかっただけなら、より暗闇に落ちます。
というのもその体験ゆえにより自分自身の心に、みずからのふるまいに不注意になるからです。
しかし、その体験が、恒常的に働くある思考の層が脱落したゆえの、より深層の思考による体験であるなら、
体験そのものは相変わらず主観ですが、恒常的だった思考の層が「その時だけでも」消えた事自体は客観的なことなのです。
そうしてひとはより注意深くなり、自分自身から離れなくなります。
自分のしたことを覚えている分だけ、自分の心の動き、不満や恐怖を覚えている分だけ他者にそれを投影しなくなります。
他者は少しずついなくなってゆきます。強度が薄れるのでもしかしていないのではと、深層心理のいるという確信そのものが緩まってきます。
856 :
473:2012/06/29(金) 20:06:57.23 ID:meXIXDpV
>体験者が感じられるようなら
その「善意の人」からですね。それがその人の体験がより深い夢か、夢の脱落か見分けるヒントになると思います。
857 :
473:2012/06/29(金) 20:08:53.99 ID:meXIXDpV
しかし、宗教的体験をしたという特定の例だけが問題というわけではないのです。
私は恒常的に、生と死、美と醜、労働と安楽そういった区別をしています。
区別をしているが好き嫌いはないということはなく、区別は選択と評価そのものです。
そして区別は完全性を損なうので私はあるときは生を好み、あるときは死を好みます。
精神的なもの、感情的なものの喜びを追うとき、確実に肉体維持の義務はサボっているわけで、
この振る舞いは肉体にとっては死への志向の以外のなんでもないでしょう。
そして、私という価値判断と私の体験は私と宇宙、私と他者を分けてしまいます。
肉体、精神、あらゆる贅沢において私は私のことを特例だとしています。
口にださなくても美醜やなんとなく野で好みで人を判断しています。
同じ事をされるのも、理解できない理由で嫌悪されるのも自分がしている事を思えば当たり前なのですが、
あいにく自分のやってる微妙な他者評価に無自覚です。
だからこそ、私という現象は同じことを主張する他者とはどうしても折り合いがつきにくいのです。
自分から解放されない限り他者の発現を気に留めないことは不可能だと聞きます。
もしくは外界に期待した分だけ、期待はずれのものは忌まわしく思える。
その忌まわしさはすべて自分が抑圧していたものであり、その現象やそれを発する他人には責任は無い。
人は自分の地位や、旅行などの体験、趣味などへの価値観に非常に投資をします。
精神的な投資です。それを取り上げられる事、疑われる事には我慢できません。
人はこれだけは守りたいという精神的な支柱を、体験を持っているものです。それは宗教も世間も芸術も違いは無いようです。
宗教的な体験も正にそういうものです。
私自身がこのスレッドでそれらの宗教的な体験とそこからくる見解を土台から崩す試みをしておいて、
同様の反撃をされて戸惑うという事は、要は自分のやっている事が人にとってどうなのか全然わかっていないという事で。
人はあからさまに好き嫌いを感じ、そして微妙に区別する。
私はそうしてるし、何千の人が何万通りの方法で私にそうしている。同じ人が神とも悪魔とも呼ばれる。なんでもありです(笑)
惑わされないためには、自分のそれに気づく事が肝要なのでしょう。
858 :
473:2012/06/29(金) 20:13:12.69 ID:meXIXDpV
体験者は存在せず、認識作用は存在しない。
そのように般若心経では述べられています。
しかしこういった宗教におけるおそらく究極の言明もまた言葉としての宿命は逃れられないようです。
私は自分の実際の心のありようからくる実際の認知に、「体験者は存在せず、認識作用は存在しない。」と名づける事ができます。
他の人も実際の心のありようからくる実際の認知に、「体験者は存在せず、認識作用は存在しない。」と名づける事ができます。
知識のこういったありふれた働きは、要は、実際には「過去に述べた人」とは違う状態なのに自分はそれと同じなのだと勘違いする働きのようです。
知識がある限り実際の自分と出会う事は無く、自分の働きが鎮まることも無く、真理との障壁が消える事もないでしょう。
知識は自分が何か別のもの、あるときの他者の姿だと思う込むように働くようです。
知識としてでなく受け取る事はできます。目覚めの契機として受け取る事はできます。
それがそれを語った人の本来の目的、知識として出なく方便として働いて言葉は知識として蓄積されず捨てられるということなのでしょうか。
知識として蓄積してしまったら、それが究極の言明であっても古い自分は生き残るでしょう。
知識は自分が何か別のもの、あるときの他者の姿だと思う込むように働くようです。
私たちはそういう私たちの中で生きています。その全容に目覚めていないと印象と言語の矛盾に混乱させられてしまいます。
同じ言葉から矛盾する複数のイメージが湧いてきます。
あくまで無数のイメージに覚めていた上で、それに言葉、名前を当てはめられればいいのですが。
859 :
473:2012/06/29(金) 20:19:40.60 ID:meXIXDpV
自分の認識に悟りと名をつけても、迷いと名をつけても、事実である心の働きを直に意識する事ができなくなってしまいます。
自分の認識に名前をつけないという事。
そして他者と会話するときは、あくまで仮のものとして自分の認識に名前をつけるという事。
こころという言葉も一つの示唆、自覚を示唆しますが、その言葉も事実への障壁であり、事実という言葉も、、。
860 :
473:2012/06/29(金) 22:02:41.86 ID:meXIXDpV
憎しみに取り付かれ積極的に他者を批判するような衝動は起きないようです。
そこまで無自覚に価値判断に乗っ取られはしないようです。
しかし、ごく無意識に、ごく自然に、他者にこうこうあって欲しいと思います。
ごく無意識に、ごく自然に、ある種の人々をゴミのように認識しています。
傲慢さや、優越感ほどに巻き込まれておらず積極性も薄いのですが、その原型であるあっけらかんとした認識のようです。
私を振り返っても、感情に巻き込まれないだけで、そ知らぬ顔で恒常的にある人を尊敬し、あるひとをさりげなく厭う。あえて見下ししないがなんかゴミっぽく映ってる。
あー。そーなのかー。あー、こいつはとんでもない偽善をやってきた?
でも、この認識だけを直接表現してもなんら見入りの在るやり取りにならないので、仕方ないかな。
私はあなたを愛しているとか嘘つかなかったし、他者は鏡、対象としての他者は自分自身ということで自分の投影を調べていた。
それは、自分をなるべく美化せず自分の認識の実態を理解することのできる他者とのかかわり方。
この認識をストレートに表現するだけが正直じゃない。そういう正直はストレートになんの実入りも無い非難の応酬になる。やるだけ無駄。
このさりげない認識と認識者は対立を生むし、憤慨を生みます。
ゴミにいろいろ言われたら腹立ちますよね。ゴミって認識してるから腹が立つのだけど。
私が厭う対象は精神、経済的に他者の重荷になる輩なので、公正さという基準ですと厭わしく映るのは自然です。
つまり、公正さを求めるというものが心労の種なんですね。
公正さは、意識の機能、良心の機能。
あればあるし、なければない。あることを求めると苦しくなる。
世界に要求してばかりで自立しきれない。
861 :
473:2012/06/29(金) 22:05:06.12 ID:meXIXDpV
こういった区別は正に自分自身の苦しみの元だ。
862 :
神も仏も名無しさん:2012/06/29(金) 22:07:12.48 ID:hGv1g6FS
ぎょ
863 :
神も仏も名無しさん:2012/06/29(金) 23:38:31.63 ID:smg66Pjr
何か、今日はいつにも増して、473の書き込み量がすごいがw
何かあったのか?wwww
他人を誹謗、中傷する感覚ってのがわからんわ
誹謗、中傷する者がハッキリ弱いことはわかる
しかし心理状態が全くつかめない
いまだ通ってない道なのか
遠の昔に通って忘れたのか
通った道なら想像はつくな
どちらであっても弱いとね
866 :
ろん:2012/06/29(金) 23:59:37.50 ID:4VNa3qun
>>853 どうして夢とか目覚めとかに拘るかな。。
んなものないと言っている。。
認識できるものはすべて過去。。
そして過去は幻。。
今だけが真実。。
今は認識できない、今の自分も、他も。。
その今、何にも認識できない今・・目覚めでも夢でもない今・・これがそのものだ。。
認識以前・・迷っても、悟っていもいない、それだけが真実・・あとは妄想だ。。
867 :
ろん:2012/06/30(土) 00:02:09.16 ID:4VNa3qun
>>855 体験ではわからない。。
体験以前、認識以前がそのものと言うこと。。
>>857 同上。。w
>>858 んなことは書いてない。。
存在しないではなく、実体がないだ。。
868 :
ろん:2012/06/30(土) 00:05:00.46 ID:4VNa3qun
>>859 だから何にも初めから認識する必要はない、わかる必要はない。
わかる、わかった=妄想ということ。。
>>860 価値判断と言う識の作用が空であり何の実体もないと言うのが心経ね。。
だから、それはどうでもいい、関わる必要はない、それがあなたの心ではない。。
あなたの心と言ったものはない、「あなたの」とはあなたが思い込んでいるだけだからだ。。
あぁそうか中道を勘違いしとるんやな
真ん中とか、両方の把握とかじゃなくて
離れてどちらにもつかないってことなんだよね
870 :
あっ!何だ? ◆AnandaHSy. :2012/06/30(土) 01:36:53.02 ID:uGoLxKeF
871 :
473:2012/06/30(土) 01:52:46.72 ID:32gSC97o
あるというのもないというのも言葉に過ぎない。
同じものにあると名づける事も、ないと名づけることもできる。
あると思う事と無いと思う事も事実との障壁となる思いであることに変わりは無い。
ありかつなくかつあるのでありかつあるのでなくかつないのであり、しかもどれでもなく、どれでもあるしかもその両方であり、かつ両方でない。
事実は定義を超えている。
祖師達はそういった私たちの思考をとめるためにさまざまな試みをしたようです。
他人を誹謗、中傷するのは劣等感コンプレックスらしい
かわいそうなんだな…
俺には全然わからんw
中道でいけよとw
>>831 >内ばかり見ちゃうとナルシストになる
>ナルシストでも自分は騙せる
>問題なのは外界とのズレが生じることから
>苦が生じ、苦のスパイラルに入ってしまう
>必要なのは外界を好きになること
あぁ、自分の課題はまさにここにあるなぁ。
ありがとう。
偉そうなことを言いつつ、錯誤の世界に入っているのに、なんでこんなシンプルで的を得た正しいことに気がつけないのだろう。
不思議。
文字量と玉数はそんなに必要なんだろうか。
>>869 それはどちらにもつかないだけで、両方残るってことかな?
876 :
行燈:2012/06/30(土) 02:22:05.43 ID:joH85p3o
中道と中庸って言葉は似てるけど、ぜんぜん違うらしいね・・・
中道は縁起であり空だからね。
878 :
行燈:2012/06/30(土) 02:29:37.38 ID:joH85p3o
もっと自分に自惚れろよみんな・・・
もっと外の世界をみろ
そうしたら世界になれる
たぶん
>>873 お役に立てれば光栄です
>>875 いじめられる生徒といじめる生徒
中立に立てて正しい判断を下せるのは先生です
どちらも経験している先生の方が望ましい
全然離れたところにいると、ものが良く見えます
両者から離れるといっても、健忘症になれということではないです
>>880 いじめられる生徒といじめる生徒、両方いなくなったらマズイの?
両輪がなければ、車は進まない。
悟りがないのは、人間にとっては絶望でしかないと思う。
>>881 いや、喩えが悪かったかなw
先生の立場が中道で、別にそのへんの通行人でもいいんですけどねw
884 :
ろん:2012/06/30(土) 03:18:37.71 ID:dxUDlSIE
>>831 ちがう。。
>>871 ちがう。。
どうしてお前みたいなアホが祖師方のやったことがわかるというんだ。。
思考を止めるため?
誰がどこでどういったことをどう解釈したらそんなのだ出てくるんだ?
思考を止めたかったら、ロボトミー手術するか、植物人間にでもなるしかないぞ。。
もうバカの皮というか、賢いフリした大バカってことはバレてるんだから、引っ込め。。
知ったかぶりが過ぎて、目も当てられんわ、みっともない。。
ろんさん、明らかに一皮向けましたね
もういいかげん悟りを自称していいはず
886 :
ろん:2012/06/30(土) 03:39:20.52 ID:dxUDlSIE
目覚めたものならば云々、覚者はどうのこうの、祖師方は思考を止めるためにとか、
どうして一番勘違いして、しかもわかったつもりになって、滔滔と無意味な長文を書き散らして、悦に入ってるアホが、
そんなことわかるというんだ?
悟ってみなければわからない、これが大前提。。
悟らなければ、覚者の言葉も、祖師方の言葉もわかるはずはない。。
ちゃんと法を正しく理解して、坐って、修行を続けていけば、参じていけば、誰でもわかる日が来るだろう。。
しかし、本を読んだだけで、わかるはずのないことをわかった気になる、おかしいと言われても、聞くことができない。。
しまいには、批判するものの中に、投影があるだ、勘違いがあるだ、ほんにアホ。。
ようするに、わかったつもりの勘違い。。わからないことをわかったように言う、知ったかぶり。。
賢い自分を演じる、ただのオナニーとおんなじ。。
どうしてこれが自分でわからないのだろう?
887 :
ろん:2012/06/30(土) 03:43:43.93 ID:dxUDlSIE
私はこう思う、こう考えるなら、まだマシ。。
それを、覚者はこうだ、悟ったものならばこうでなければならない、祖師方のお示しはこういうわけでとか、
どうして、覚者でもないのに、覚者なこうだとか、祖師でもないのに、祖師はこうだとか、目覚めた者ならばこうでとか。。
そんなこと言ってるのは基本473だけなんだよ。。
全部妄想と同じです・・自分が見ていないもの、わかっていないものをわかっているかのごとく勘違いしているのだから。。
888 :
473:2012/06/30(土) 10:08:17.35 ID:32gSC97o
>>887 私がこう思うという事を、等身大の言葉で述べるという事。
私がこう思うという事を、祖師の言葉を借りてみずからを偽るという事。もちろん本人は理解したと思っているが、悟ってないのではわからない事です。
祖師の言葉をそのまま引用すること。+所感。
祖師の言葉を自分なりに解釈する事。
祖師の言葉をわかったかのように解釈する事。
これぐらいの事がありえますね。
確かにこの4番目を書いていたというところはありますが、それはグルジェフやOSHOの引用です。
彼らの解説の引用だと明記しないと自分で提示したルール違反ですね。
彼らの言った意味はこう意味だという記述は全部2人とクリシュナムルティー、マハラジなど、20世紀の方の旧世紀の経典の解説です。
ろんさんは2番が多い。紛らわしいので1番にしてくれませんかというのは
>>825でした。
1、3、4は聞き手にとって混乱が少ないのですが、悟っていない人が2,5をやると混乱するので、
誰かやっていたらそれをやんわりと指摘し、自分が指摘されたら誤りを認めて慎むというのはいかがでしょう。
私自身は、2,5をあえてやろうとは思いません。やってしなったことについてはお詫びいたします。
ろんさんはどうですか。2,5はずいぶんしているように見受けられますが。
889 :
473:2012/06/30(土) 10:10:43.54 ID:32gSC97o
×確かにこの4番目を書いていたというところはありますが
○5番目をやっているかのような部分がありましたが
で、引用先が正しいかどうかは謎です。
それこそブッダもわかりません。
これについては私もあなたも悟っていないのだから、全てが仮定であり。
推論は可能ですが、言い切る事はできません。
890 :
473:2012/06/30(土) 10:13:17.17 ID:32gSC97o
ろんさんは2番が多い。
自分の意見を述べるときに祖師の言葉、悟っていなければわからないはずの言葉を良く使います。
また、5番も多いです。
私なりの理解では、ではなく、こうなのだという確信があります。
その確信が全くの錯覚でありうるから怖いんじゃないですか。
891 :
473:2012/06/30(土) 10:48:26.52 ID:32gSC97o
近代宗教では良く遣われるロジックだと思ったら、さも通念であるかのように、
そうだよねと提示したのですが、
しかしこれは要は悟っていなくては理解し得ない事を共同で理解した振りをしようという誘いですね。
あくまで彼らの解説によると、なのでした。
だから、いかにみな情報としては知っている一般通念でも、悟らないとわからないことについては、
3のように引用を明らかにするか、4のように自分なりの理解として明確にするか
はっきりしないと問題がおきそうです。
それはろんさんの禅の話も同じ。
どんなに当たり前に思えても、共通理解が得られそうな事でも、その共通、そのみんなが悟っていないのだから
やはり仮の話として持ち出すほか無い。
釈迦の思想はナルシズムとしか思えない
六識を断てばニルバーナに行ける
そりゃそうかもしれない
では、何故行脚の旅に出る?弟子をとる?
何故まわりくどいことをする?
言ってることと、やってることが逆やんw
ナルシズムを断とうと考えたのか、救いに目覚めたのか
外界が好きになったのか…
まぁ動機自体は問題ないのだろう
六識はどこにいようと断てるということ
893 :
ろん:2012/06/30(土) 11:15:17.15 ID:dxUDlSIE
>>889 だからさー、私もあなたも悟っていないというのは、なんでお前にわかるの?
おまえは妄想の悟りを、オショウだのグルジェフだののバッタ問から勝手に妄想しているだけ。。
大乗仏教や禅をまともに学んでいないし、修行もしていない、瞑想もできていない。。
だからわかるはずがない。。
あんたのやるべきことは、そこらへんちゃんとやることじゃないのか。。
オショウやクリシュナムルティやグルジェフは、こっちから言わせると、まったくわかっていない人たち。。
僕は一応どっちも読んでいる、だいたいわかっているつもりだが、あなたは禅や大乗仏教について、まるでわかっていない。。
悟りをひとまずおいてもそうだ。。
だから、あなたのやるべきことはそっちをちゃんとやること、自分一人である程度の達成があるまで、修業をすることではないのか?
勘違い、自己満足の長文・・しかもところどころ日本語になっていない、ミミズののったくったような醜い妄想の垂れ流しを止めることじゃないのかい?
894 :
ろん:2012/06/30(土) 11:18:23.78 ID:dxUDlSIE
>>891 だから、みんなが悟っていないと思えるのは、おまえが迷っているからに過ぎん。。
おまえが悟れば、みんな悟ってる。。
おまえが迷っているから、みんな迷っているようにしか燃えない。。
と言う意味で、自分だけ悟っているようなことを説いていたグルどもはみんなペテン、あるいは中途半端なの。。
895 :
ろん:2012/06/30(土) 11:22:18.26 ID:dxUDlSIE
473の高慢、がどこから来るか。。
要するにみんな迷っていて、自分が崇拝するグレートマスターズだけが悟っている。。
で、それらを学んだおれ様は、他の凡夫どもよりも上だ。。
私はオショーもクリシュナムルティもグルジェフもマハラジも心理学も何でも知っている。。
悟りに関してオレの右に出るものはいないだろう、わっはっは。。
長文を書いて、凡夫どもに教えを垂れてやろう。。
おれ様は、グレートマスターたちの教えを学んだ、尊敬されるべき、探索者なのだ、わっはっは。。
こんなもんだろ。。w まるでマンガ、まるでオウム、まるでアホ。。
896 :
ろん:2012/06/30(土) 11:36:08.77 ID:dxUDlSIE
自分の言葉で語れと言われたから語ってみよう。。
悟りとはあなたの知らないあなたのことだ。。
自分を知っている、自分は、他人はこうだという思い込みが落ちたときにしか現れない。。
初めからそれであるのに、それに気づく人は稀だ。。
すべての知識、思い込み、想定、を忘れなさい。。
学んだ知識と現状を比較して、分析、判断をすることを止めなさい。。
それは絡まった糸をさらに複雑に絡ませることにしかならない。。
思いの中にそれはない、思いの外・・もともとあったのに気付いていなかったもの。。
迷いの地、苦を楽しむ地を安住の地にしたいほど居心地いいのはわかる
住めばどこでも都ってやつだ
でも、今考えると居心地最悪だよw
迷いをポイッと捨てりゃいい、ポイッと
心配しなくても完全には捨てれない。離れるだけ
必要なものは拾いにいける
必要でないものは自然消滅する
898 :
473:2012/06/30(土) 11:43:45.68 ID:32gSC97o
>>894 あなたは悟っているのですか。
もし悟っていないならなぜわかるのですか。
>>896 >悟りとはあなたの知らないあなたのことだ。
悟っているならいいのですけど、悟っていないなら888の2に該当します。
あなたが批判していたことそのものに該当します。
だからはっきりして下さい。
あなたは悟っているのですか。
祖師達が見出したものを完全に見出し続けているのですか。そういう意味で十全に悟っているのですか。
私はあなたが悟っていないといっているのではなく、悟っていない人が悟りを語るのは問題だということで。
それはあなたも言っていることでしょう。
悟りを宣言すれば(それについては)問題は無いのです。
また話がずれています。
899 :
473:2012/06/30(土) 11:48:17.66 ID:32gSC97o
1の自分の言葉で語るという事は
悟りについてではなく、単に自分自身の状態を語るという事です。
宗教用語を使う事自体等身大の自分から離れています。
リクエストは1と4です。896は4ですらなく5です。(それも光明を宣言すれば問題は無いですが。)
(悟った人の場合は同じ事をしても内容的にそれは悟りの講和になるでしょう。悟りという単語を使わなくても。)
900 :
ろん:2012/06/30(土) 11:55:07.30 ID:dxUDlSIE
>>898 おれが悟ってるかどうか。。
誤解を招くことを承知で答えよう。。
悟りとは何か、十分に明らめてはいる。。
でもまだまだ十分だとは思っていない、だから、何度も修行中だと言っている。。
禅の場合、わかったら終わりとか、明らめたら終わりではないんだよ、まだまだ先があるの。。
2に該当しますとか、アホか。。
どうしてお前がルールをつくって規制すんの?
何の権限があってそれをやる?
おれはお前の作った規定、ルールなんぞ知らん。。
言いたいことを言うだけ。。
901 :
ろん:2012/06/30(土) 11:57:18.76 ID:dxUDlSIE
>>899 おまえのリクエストなんぞ、知るかだよ。。ww
何の権利があって、人に要求してんのかだ。。
おかしいことやってるのに気付と前から言ってるんだが。。
902 :
473:2012/06/30(土) 12:00:54.71 ID:32gSC97o
ろんさんは
祖師達が見出したものを完全に見出し続けているわけではない。
なのに自分で勝手に段階を設けて、それを根拠に自分は祖師達の悟りを明らめており、473は見当違いの方向に行っていると。
そういう見解なわけですね。
いやいや、2はろんさんの要求した事でもあります。
人に要求する事は自分が先に守るのが常道でしょう。
人は誰でも悟っている
段階というかレベルというか程度ってものがある
六識を完全に断つのが終着点
悟りの弊害で性欲がなくなる、味覚がわからなくなるとかある
まぁマインドコントロールみたいなもんだ
904 :
473:2012/06/30(土) 12:04:19.30 ID:32gSC97o
祖師達そのもののところまで見極めなければ、
自分も、他人も、その途上にいるかどうかわからないと思いますが。
ろんさんは特例。
他の人はだめ。そういうことですか?
全員平等に仮の意見でいいじゃないですか。
>>892 悟りは慈悲を伴うからだと思います。
無我を得たとき、煩悩の火が消えたとき、世界が「神の愛」というべき
ものに満ち満ちていることに気づきます。
自身の中からも、珠玉のような愛の感情(誰かを好きになるといった
ものとは性質の違う、純粋な愛)が忽然と沸き上がってきます。
同時に悟りにより、あなたも私も因果の上になりたっているだけの
仮の存在であることが認識されます。
その認識から、全てが等質な感覚が生まれ、溢れる愛の中で
慈悲が生まれます。
慈悲を簡単に表現すると「あなたの弱さは私の弱さです」(言葉に
囚われないように。ここでいう"あなた"とか"私"とか"弱さ"とかは
因果の上に仮につけたものです。)
では、その慈悲をどこでどう表すかは個々人の性格・信条・文化・
行動力に依るのではないかと思います。
そして、その点、仏陀はとてもお優しい方で行動力のある方だった
のだと思います。
悟りを進められた方には、他の見方をお持ちの方もいるかと思い
ますが、いまの私からはこのように見えています。
906 :
ろん:2012/06/30(土) 12:10:17.95 ID:dxUDlSIE
>>902 だーかーらー、、、どうして祖師方が何かを見出したとか、見出し続けているとか、おまえは勝手に妄想してんの?
どうして悟りとはこう言うものだという、勝手な思い込み、憶測で以て語り、それが正しいと思い込めるのか?
どういう頭の構造してるんだろう?
単にバカなのか・・たぶんそうなんだろう。。ww
907 :
ろん:2012/06/30(土) 12:12:03.38 ID:dxUDlSIE
>>904 禅は自己を明らめる道、祖師方は関係ありません。。
人それぞれの縁により、それぞれの道がある。。
自己が標準である、今ある自己に落ち着けるかである。。
落ち着けないなら、その原因を明らめることである。。
祖師方と同じって、同じになるわけないだろが、アホ。。
>>905 >世界が「神の愛」というべき
>ものに満ち満ちていることに気づきます。
ここで言ってる「神」って、どの神のこと?
909 :
473:2012/06/30(土) 12:15:09.71 ID:32gSC97o
じゃあ、概念を仏教にしましょう。
光明を得ていないのに、光明を語りえないし、
人の無明はわからないから判別もしない。
これをろんさんは守る気がありますか。
守る気があるなら473にも要請してください。
ろんさんが守らないなら473が仮にこれをやってても批判する意味がわからない。
>>905 たぶん慈悲も無慈悲もないよ。観音様とは方向性が違うのかも
だから唯物的にとられたりする
アグレッシブに生きることへの必然性を感じる
それが何かがわからないw
911 :
473:2012/06/30(土) 12:16:13.86 ID:32gSC97o
そもそも473は1、3、4しかする気は無く、2,5はあえてやる気はありません。
912 :
ろん:2012/06/30(土) 12:20:00.05 ID:dxUDlSIE
>>909 光明って、悟りを英訳して、エンライトメント、それをさらに和訳して光明。。
こんなの誤解を招く言葉だから、忘れた方がいいんだよ。。
あたりまえの自己、事実に気づくか否かと言うことだけなんだぜ。。
エンライトメントって、もともとは迷信に覆われた無知蒙昧を開くという啓蒙主義の啓蒙から来ている。。
バタ臭い用語は捨てましょう。。
誰もが悟りの中で生活している、水の中にいて水に気づかないがごとくだ。。
気付いた人が語り、気づかない人は尋ねるでいいではないか。。
もっともおまえは、知ったかぶりを捨てられない、プライドが許さないかもだがな。。w
913 :
ろん:2012/06/30(土) 12:21:32.46 ID:dxUDlSIE
そもそも473のアホが言ってるのは、私を批判しないでください、悟りとはこうだと言わないでください。。
私の学んだものを崩さないでくださいと言う要求でしょ。。
なんでそんなのに応えなきゃならんのか。。
見なきゃいいだけ、書かなきゃいいだけの話なのに。。
914 :
473:2012/06/30(土) 12:22:58.43 ID:32gSC97o
悟ってもいないのにということばを、私はブッダ自身と同等の地平に無いのにと受け取ったのですが、
ろんさんいとっては「私自身が設定した悟りのある段階をクリアしていないのに」という意味だったのでしょうか。
基準って普通もっと客観的で明白なものじゃないですか。
自己申告がいくらでも可能なもので他人を裁くとは。
そのあたり読み取れない私は未熟でした。
915 :
ろん:2012/06/30(土) 12:26:54.70 ID:dxUDlSIE
>>914 基準は明確だよ、わかったら。。
ブッダがどうたら、祖師方がどうたら、彼らと同じ地平がどうたらとか、そういう妄想がなくなるのが基準だ。。
今ある存在、これが真実だろ。。
ブッダなんてほんとにいたかどうかもしれないやつのことをどうして気にしているのか。。ww
今に落ち着いて、覚者だどうの迷いがどうのと言う妄想を離れているかと言うだけではないか。。
916 :
473:2012/06/30(土) 12:27:25.48 ID:32gSC97o
私は会話をしたいだけです。
ろんさんの473への批判がそのままろんさんに当てはまるようなので、
それを指摘したらどう返ってくるかという純粋な興味です。
悟っていないのに悟りを語るなという言語的主張は両者同じなのですが、「悟り」への両者の認識が離れていて
共通理解が得られないようです。
たぶん〜
一生懸命やらないと識を断つことができないと見る
釈迦は怠惰をことさらに嫌ってる。怠惰では苦の消滅ができない
そりゃそうだなw
918 :
473:2012/06/30(土) 12:29:44.21 ID:32gSC97o
過去の人は、過去の言葉は、今真実と共にあるための助けにはならない。
悟りという言葉も。
ただ、今自分が真実と共にいないという事を思い起こさせてくれるのが、
過去の悟った人の振る舞いと言葉か。
919 :
ろん:2012/06/30(土) 12:30:00.55 ID:dxUDlSIE
今ある存在、自己を含めたすべてだ。。
どうあろうと、それに是非善悪の判断をせずに、落ち着けるか。。
今の自己に落ち着けるか。。
ここらへん僕は、町野さんや雪渓師から学んだこと。。
その他もあるけれど、わかってみれば、それしかないではないか。。
自己分析して、あーでもないこーでもないあれはダメだこうあってもダメだ、どうのこうのあれがそうの。。
まったく無意味だっての。。
>>908 神の愛というのは表現です。どの神も指していません。
遍く存在する愛と名付けられるような、この世界を成り立たたせ、
エネルギーや素粒子や物理法則の大元の「何か」であり、
そこらじゅうに存在するけど水や空気よりも、もっともっと身近過ぎて
気付かれない、、、そんなものです。
また、神という言葉は避けたほうが良かったですね。
ただ、「神の愛のような」というのが、私の中で形容できる最上級の
表現でした。
921 :
ろん:2012/06/30(土) 12:32:47.92 ID:dxUDlSIE
>>918 昔の人の言葉はね、おまえとかおれに言ってんじゃないんだよ。。
活きた法が死につつあるときに編まれたのが、経典であり、祖録だ。。
縁に応じて説かれた言葉が、縁にない人に意味があるかどうかは不明だ。。
振る舞いと言うが、人格は悟りとは関係ないからな、これは道元禅師が言っていることだ。。
その人の法のみを見なさいと言っている、師を選ぶ場合ね。。
922 :
ろん:2012/06/30(土) 12:34:31.66 ID:dxUDlSIE
>>918 おまえには悟りの認識なんざない、と前からさんざん言っているではないか。。
おまえが思い込んでる悟りは妄想です。。
だから、いつまでたっても同じところぐるぐる回っているだけなの。。w
923 :
ろん:2012/06/30(土) 12:35:47.44 ID:dxUDlSIE
さ〜て、風呂入って出かけるか。。
悟りをポイッと捨てりゃいい、ポイッと
信仰がなにより一番いらんね、ポイッと
これやれば間違いなく、今より悟れるよw
925 :
473:2012/06/30(土) 12:51:55.83 ID:32gSC97o
>>900 ブッダ、臨済、慧能、ダルマ
彼らが見出したものを見出していないのに、彼らが使った言葉、
悟りを自分の理解のように話すとすれば奇妙な事です。
ろんさんは、ろんさんの見出した悟りを見出していないのに悟りを語るなといいましたが、
彼らが見出したものを見出していないのに悟りを語るというのもやはり妙な話なのです。
あなたは彼らが見出したものを見出したのですか?見出すものはないというかもしれませんが、
では彼らが見出さなかったようにあなたも見出さなかったのですか?
926 :
473:2012/06/30(土) 12:55:08.67 ID:32gSC97o
>>900 互いに、「ああ、あの人は悟っててあれは悟りだよね」という共通の定義が無いと、
一切話が通らないのです。
自己申告の悟りの段階というものがありなら、全員ありで、全員それをやるととんでもないカオスになりますね。
私は段階を設けないので(その心配は)ありません。
おもしろい自己申告だw
928 :
ろん:2012/06/30(土) 13:02:26.61 ID:dxUDlSIE
>>925 わかってしまえば、悟りなんてものはない。。
迷いがなければ悟りもないのはあたりまえだ。。
あたりまえの事実しかない、と言うあたりまえの事実、これだけ。。
929 :
ろん:2012/06/30(土) 13:04:27.02 ID:dxUDlSIE
>>926 話が通らないのは当たり前、おまえが妄想してるから。。
他の人は、わからないけれどこうじゃないかとかそういうこと言ってる。。
おまえだけだ、わかっていないのに、わかったと勘違いしているのは。。w
930 :
ろん:2012/06/30(土) 13:06:57.25 ID:dxUDlSIE
さらにいうと、自分がわかっていないのに、他に対してあなたもわかっていないという。。
なぜ、自分がわかっていないのに、他に対してそう判断できるのか?
おかしいではないか、完全に。。
願望、妄執の世界だよ・・僕はこれだけ勉強してわかってないのに、ろんなどがわかっているはずはない、断じてそんなことがあってはならないと。。ww
こういうことでしょ、あなたの感情、願望においては。。
931 :
473:2012/06/30(土) 13:16:33.94 ID:32gSC97o
生まれてからいろいろ要求されたものだから、また自分の欲望とバランスとるために道徳にもお世話になったから、
他者や社会の振る舞いに期待する癖がぬけないのも無理は無いかもしれない。
社会や他者への期待、他者の振る舞いへの不満それに振り回されないには、
自分の振る舞いを自覚して他者に投影しないということは大切だが、
そもそもの要求と道徳について自覚しておかないといけないかもしれない。
要求された事は外にも要求したいし、自分が守っている事は他者も守るべきだと思いたい。
そういう次元では実際には個人個人生きるしかないのに、共同体の幻想があり、失望と怒りがある。
932 :
473:2012/06/30(土) 13:18:23.12 ID:32gSC97o
自分が何をしているか全く意識しないで、他者の振る舞いにしか意識が行かないという人間はいます。
だれしもその部分があるのですが、それが強いと自己愛性異常人格といいます。
行いについてもそうですし、自分の感情に全く無自覚で、全て外界に投影します。
自分との接触が希薄なのです。そして、外界を相当に捻じ曲げて判断します。
絶えず自分が正しいと思うために、批判の対象が恒常的に必要なのです。
外に意識が向かないと、自分の振る舞い、自分の感情を意識する事になってしまいます。
(そしてそれは自分自身が批判するものであり、世間からも非難されるものです)
その回避のために他者、外界を悪く見て、非難します。
これは非常に強固なメカニズムです。絶えず自分が正しく相手が間違っているという対立軸を設定します。だからよく話が飛びます。
また、客観的な基準を共同認識するという作業をせず、主観的で一方的な基準で人を裁くようです。
基準を共同で設定すると非難されるべきは自分になってしまうので、基準を共有するという事はありません。(そんなのありか)
追い詰められるとただ無口になりますが、反省ではなくやはり鬱屈した外界への不満、意識は外に向かっているでしょう。
(誰もがそうしますが、強度は違います。そしてこのスレ的には強い人の批判ではなく、自分のそれの理解が肝かと思います)
そういう自分自身との接触が希薄な人にとって、自分や認識といったものははじめから無いというのは、
自分の感情と振る舞いとの自覚、接触が薄いというそもそもの感覚を正当化するものであり、好ましく思えるでしょう。
そして宗教は自分と接触が無い他者や外界にだけ意識が向かうという性質をただ強めるでしょう。
迷いはない、区別はない。そりゃないでしょう。決して自分自身の振る舞いや感情と接触しないのだから。
(他人に見えるものは全部自分自身なのですが。)
イエスは苦しんできたものは幸いであるといいますし、自己が無い事を見抜くには自己に直面しなくてはどうしようもありません。
自己回避は、自己愛性異常人格者じゃなくてもだれもが試みる事ですが、それは宗教が指し示す道と逆向きに映ります。
自己回避を責める自分は何様だって気もするんですけどね。
933 :
473:2012/06/30(土) 13:20:07.37 ID:32gSC97o
>>864 860で自分自身についても懺悔していますが、露骨でなく、感情的でなくても、
864は微妙に他者を批判、見下しているように見えます。
いくら他の人より度合いが小さくても、自分が無自覚にやっている事については、他人が何故それをしているかどのような思いでそれをしているか、
わからないようなんです。
自分がそれをやっている事実を見なければ他人のそれもあるがままには見えませんよね。
934 :
473:2012/06/30(土) 13:26:26.66 ID:32gSC97o
>中道
思考は右か左の両極端の片方しか見えないと思います。
両方から離れるためには、まず両方に目覚めていないと、片方だけを志向する思考の影響を脱していないと困難かと思います。
両方の経験があっても、思考は片方への欲求を行ったり来たりするようです。
>>903 そのニュアンスで悟りをかたると全員自己申告可能なカオスになるんですよね。
共通の基準が不明瞭で。
>>905 美しい詩情です。
その美の中にあなたが溶け去ってゆくにつれ、あなたは美しい言葉をつむぐだけでなく、
あなた自身の等身大の振る舞いが正にその言葉通りになってゆくのではないでしょうか。
「あなたの弱さは、あなたの弱さで、見てるだけで苦しい」と苦しんでいる私にとっては、
そんな私を自覚させるきっかけになります。
お得意の杓子定規だな
そんなもんにはあなた以外誰も入らないから
安心していいよ
936 :
473:2012/06/30(土) 13:36:24.27 ID:32gSC97o
>>928 話そらしてます。それはそれ、これはこれ。
聞かれた事には、答えない。
>>929 わお、凄い捏造。
ろんと473の文末を全部拾って統計とってごらん。逆の結果出るから。
>>930 そんな途方も無い認識で473を見るとは思いもよらなかった。
私は自分と他者の主観的な思い込みについて検証してきました。
わかっているという感覚が無知であると検証してきました。自分も他者も。
それで930のように思ってるはず無いんですけどね。
知恵の光が差し込んでいてこそわたしはわからないといえます。
無知な人間は思い込みに気づくような知恵の光が無いのです。
937 :
932 :2012/06/30(土) 13:56:58.76 ID:32gSC97o
力作なんだけど、これはひどい。実際スパイラルで強化されてゆく作用の検証なのでややこしいのですけど。
自分が何をしているか全く意識しないで、他者の振る舞いにしか意識が行かないという人間はいます。
だれしもその部分があるのですが、それが強いと自己愛性異常人格といいます。
自分のふるまいと感情に全く無自覚であり、 自分との接触が希薄なのです。
自分のふるまいと感情に無自覚なのですからその振る舞いは制御者の無い欲望と激情がそのまま出ます。
そしてそれは自分自身が批判するものであり、世間からも非難されるものです。
外に意識が向かないと、一般的に非難の対象である、自分の振る舞いや自分の感情を意識する事になってしまいます。
その回避のために他者、外界を悪く見て、外界を非難します。
そして外を非難すればするほど、自分がそれに該当することにより直面できなくなるので、
さらに強く自分自身の振る舞いを他者に転嫁することになります。
外界を相当に捻じ曲げて判断します。
絶えず自分が正しいと思うために、批判の対象が恒常的に必要なのです。
これは非常に強固なメカニズムです。
@絶えず自分が正しく相手が間違っているという対立軸を設定します。だからよく話が飛びます。
Aまた、客観的な基準を共同認識するという作業をせず、主観的で一方的な基準で人を裁くようです。
基準を共同で設定すると非難されるべきは自分になってしまうので、基準を共有するという事はありません。(そんなのありか)
追い詰められるとただ無口になりますが、反省ではなくやはり鬱屈した外界への不満、意識は外に向かっていることが推察されます。
リアルでの経験ですが、自分が怠っている事を人に要求している人にそれを突っ込んで、笑ってごまかしてもこっちは動じないで
さらに突っ込んだときに見せる反応です。反省はしてない。ただ、ばつが悪く不満そう。(それがあるがままなのに残酷な事をわたしはしているのか)
(誰もがそうありますが強度は違います。そしてこのスレ的には強い人の批判ではなく、自分のそれの理解が肝かと思います)
938 :
932 :2012/06/30(土) 14:02:26.08 ID:32gSC97o
そういう自分自身との接触が希薄な人にとって、自分や認識といったものははじめから無いというのは、とらわれる事はないという言説は
自分の感情と振る舞いの自覚、接触が薄いという人間の持つ認識、世界観を正当化するものであり、好ましく思えるでしょう。
そして宗教は自分と接触が無く他者や外界にだけ意識が向かうという性質をただ強めるでしょう。
迷いはない、区別はない。そりゃないでしょう。初めから決して自分自身の振る舞いや感情と接触しないのだから。
(他人に見えるものは全部自分自身なのですが。)
イエスは苦しんできたものは幸いであるといいますし、自己が無い事を見抜くには自己に直面しなくてはどうしようもありません。
自己回避は、自己愛性異常人格者じゃなくてもだれもが試みる事ですが、それは宗教が指し示す道と逆向きに映ります。
以上、@自分自身の欲望を他者に投影して批判していたし、意識が無ければそれはまたいつでも再開しうるという認識
A自己愛性異常人格者の記述 BグルジェフやOSHOからの引用
からまとめてみました。
これを参考にすれば人の一見意味不明な言動もちゃんと法則があるということが見えてくるのではないでしょうか。
問題はそういう現実に不満を持つ私の性分なのだけど。
不満もっても今生きるエネルギーが無駄になる。その時間とエネルギーをもっと創造的に使えないのか。独り生きられぬのか。
だが、どんなに理屈を言っても今現在深層意識は不満をもつのが正しいと思ってるから不満なわけで、ごまかしても仕方ない。
939 :
932 :2012/06/30(土) 14:03:56.77 ID:32gSC97o
>>864 というわけで、何で人は他人を批判するのかというひとつの可能性を提示させていただきました。
860で自分自身についても懺悔していますが、露骨でなく、感情的でなくても、
864は微妙に他者を批判、見下しているように見えます。
いくら他の人より度合いが小さくても、自分が無自覚にやっている事については、他人が何故それをしているかどのような思いでそれをしているか、
わからないようなんです。
自分がそれをやっている事実を見なければ他人のそれもあるがままには見えませんよね。
自己紹介乙です
それにしても妄想がひどいですね
941 :
932 :2012/06/30(土) 14:15:13.06 ID:32gSC97o
>基準を共同で設定すると非難されるべきは自分になってしまうので、基準を共有するという事はありません。
そんなことありえないと思っているから、他者からこれを観察できなかった。
というのも、自分もやってるんだよね、これ。
思考というのは、人が持っているいわゆる理性というのは公平な働きをするという神話があるけど、事実はそんな事はない。
「わたしはこうなんだから仕方が無い。」「わたしはこうだから別だよ」
そういう思考は自分の中にあり、はなただ不公平であります。
誰もが持っていても何の不思議も無い。
942 :
932 :2012/06/30(土) 15:04:37.49 ID:32gSC97o
そもそも思考に公正さを期待するから現実とのギャップにもがくことになってしまう。
思考は正当化の働きをするだけ。正当化、正当性と真逆の属性。
なら、意識と良心の無いところに一体何の公正さや共通認識がありうるだろうか。
悟りたい人達に質問です。
頼まれてもないのに長文連投する状態を一言で表現すると、何なのでしょうか?
どうぞ、等の本人も含めてお答え頂ければ嬉しいです。
>>942 もう見苦しいからもがくな、正当性の欠片なく自己保身の権化だよ
>>943 病気と思ってましたが訂正します
「クレイジー」です
おそらく一致した意見になると思います
危険な状態です
945 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 16:16:23.41 ID:y2W4gCrp
>>943 途中で読むのやめたよヾ(´○` )一言でいえば自己陶酔かな
継続的に長文連投するなら自分のスレたてりゃいいのにね
>>943 本音を書けば、極度のナルシズムです
それだけのことです
周りは大変でしょうが…
947 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 16:37:01.14 ID:gxwk7fvz
>>944 クレイジー
>>945 自己陶酔
>>946 極度のナルシズム
ありがとうございました。
上の3つは私もそう感じます。
473が何をどう信じてようと勝手だけど
どうやら、外界とのズレは発生してそうだ。
>>831を読み直したらいいのに
周囲の愛情が足りてなかったんでしょうね
適切なアメとムチを与えられなかった
アメで幸福感を受けられなかった
愛のムチで耐えることを教わらなかった
結果がナルシズムの神です
ろんさんは嘘でもいいから内面をえぐり出そうと努力されてます
私は外に向けさせるために、内面を忘れさせようとしました
でも、なんせ相手が神になってるのでムチは無効化されてます
アメを与えれば助長させてしまう
本人に修正する意思がない限り難攻不落です
ナルシズム最強ですw
950 :
473:2012/06/30(土) 18:31:40.89 ID:32gSC97o
価値基準という思考の形態があります。
この基準を満たせばよい、満たさなければ悪い。
その価値基準に照らせば、他者は神にも悪魔にも見えるでしょう。
それは不思議な不思議な魔法です。
>>943 ニーチェみたいとか、真剣に複雑な自我の解明に取り組んでいるとか、そういう方向で見ると美しく見えます。
473が見ると、「書いたときはあることが見えているのにすぐ忘れてしまって混乱している」という感じです。
その基準が客観的に認知可能なものか、そしてその基準を自分にも適応させているかどうか。
この2点がクリアされないといよいよありもしない他者の欠点や長所を夢想する事になります。
aさんがαの妄想をもち、bさんはβの妄想を持っている。
aさんはありもしないbさんの長所をでっちあげ褒め称える。人を賞賛したい、誰かに頼りたい気分なのだ。
bさんには美点はあるけどaさんが褒めたものではない。
aさんはありもしないbさんの短所をでっち上げ批判する。非難して自分が人から非難された記憶を忘れたいのだ。
bさんには欠点があり妄想もあるけど、aさんが指摘したのは全く別のものになる。
イエスが言うには盲目な人間が盲目な人間を導くとより暗闇い落ちるという事です。
ありもしない長所をほめあい、ありもしない欠点を指摘しあったらそうなるでしょう。
自分自身が見出すきっかけを与え合えばそれでいいのだと思います。
さすが神w認めるのは神々のみですねw
自己愛性異常人格者の道を極めつつありますねw
952 :
473:2012/06/30(土) 18:41:02.43 ID:32gSC97o
>>943 他人のことがわからないのは自分自身を理解していないからではないでしょうか。
他人のふるまいに疑問を感じてしまう、その疑問を感じるメカニズムとは一体なんでしょうか。
473をネタに、きっかけに自分自身の外界とのずれを模索なさればよいのではないでしょうか。
473はいつも自我と外界とのずれについて語っています。
自分はずれていないが他人はずれているとは述べていません。
あの人はずれていないと頼れば、自分自身がずれている現実を見失います。
あの人はずれていると哀れんだり批判したりしても、自分自身がずれている現実を見失います。
他人がわからないのに自分自身は関係ないのです
領域外なんです。未体験なんです。初見なんです
見たことない動物にみんな興味深深です
ツンツンしたくなっちゃいます
自分を標準化するのは勘弁願います
954 :
473:2012/06/30(土) 18:55:05.64 ID:32gSC97o
>>951 価値基準をつかさどる思考というのは、現実を捻じ曲げます。
価値基準と、それを利用する自我に無自覚なので私たちは固定した価値基準で人を良く見たり悪く見たりしますが、
いしきして別枠の価値基準を使うと人は本当にどうとでも見えますね。
そしてどうとでも見られる。どう見られるかにえり好みしてしまうのが自我のようです。
さて、美化は仮定であり、473による473観は
「書いたときはあることが見えているのにすぐ忘れてしまって混乱している」
ただこれだけ。特に美化も卑下もいたしません。
>>952 一言で表現すると、長文連投は
>473はいつも自我と外界とのずれについて語っています。
なんですね。
なるほど、私の問いに対するあなたの答えはずれています。
問いを発したのは私なので、私はそれを言う権利があります。
自己完結していて、外からの働きかけを活かせない。
せっかく人として生きてるのにもったいない。
956 :
473:2012/06/30(土) 19:12:24.14 ID:32gSC97o
>ろんさん
>>943 952 補足
基本的に全員眠っていて、全員ずれていて、全員混乱している。
それに気づいていれば目覚め始めているし、それに気づいていなければ深い眠りである。
これは経典で言われている事ですし、自分の周りにいるかもしれない悟った人を眠っている人扱いする事は特に問題ないかと思います。普通いないですから。
おそらく99.999パーセントは悟っていない人なので、無意識である事に気づいてもいないか、無意識である事に気づき始めているか
どっちかの人間だと当たりをつけても特に問題はないかと思います。
そうやって当たりをつけたところ、いや、わたしは悟っているよという人がわらわら出てきたらこのパターンは考え直します。
周りにいる人は多分悟ってない。悟ってない事を前提として話しても、悟ってるという人はでてこない。
これは473の前提、ひとつの仕掛けです。
ある宗教はこういう前提、仕掛けで取り掛かります。
この仕掛けはひとつの仕掛けであり、ひとつの仕組みです。
この仕組み、この宗教の技法に付き合う気の無い人には意味の無いものです。
だから、わたしは他人を直接当てはめるのではなく、人間心理一般という形で提示しています。
人によっては憑依されてると判断されます
多重人格が混乱からみてとれます
周囲に迷惑をかけてないなら問題ないです
一過性のものです
もし家族などに迷惑をかけている心当たりがあるなら
全力で直してください
959 :
473:2012/06/30(土) 19:21:27.97 ID:32gSC97o
ただ、仕掛けを強要しちゃいけないし、
とりあえず同じ仕掛けで会話するという同意が取れないなら、
議論の前提が合致しないという事であり、
そういうことで流すのがいいのかもしれませんね。
イヤな事を思い出します
人に対しての恨みと向き合うにはどうしたら良いでしょうか
961 :
473:2012/06/30(土) 19:25:26.02 ID:32gSC97o
>>955 表面的にあなたのリクエストにあわそうとすればその方向で話して、あなたの温情も受けられるでしょう。
しかし、それは私と外界のずれという根本的な問題を解決しないのです。
その場しのぎの表面的なものです。
自分自身を理解しない限り解放も、抵抗の無い他者との融和もありえないでしょう。
自分を殺して無理に外界とあわせてもそれは心労です。浮けいらられる喜びと、自分を殺す苦しみと差し引きはどうでしょう。
それゆえに、わたしはあなたのリクエストを受けないで、
わたしは私自身を見出し、あなたはあなたじしんをみいだすという旅を提案したのです。
あなたに傍観者で留まらせず、あなた自身もともに自分自身のずれを探すように誘ったのです。
>>961 もっとシンプルに言えば?
「私はあなたのルールには乗らない。私のルールを作ったからあなたが私のルールに乗りなさい。これは誘いです。」
不安定な足場の中で外の世界が誤りを教えてくれることはありがたいけど、それをどう受け取るか、は個人次第だなぁ。
>>960 相手を赦して忘れる。自分をそうできるよう矯正する
恨みを持っている限り相手は矯正できません
964 :
473:2012/06/30(土) 19:55:03.12 ID:32gSC97o
>>961 うん。いいですね。
それで乗るも乗らぬも互いの自由なのです。
互いに自分の求める方法で誘い、そして合わなければ分かれればいいのです。
問題は互いが互いのルールに乗る事を求めているという事の全容を忘れがちだという事だと思います。
私の話題の提示に対してその話題のルールを無視して自分のルールで先に誘ったのはあなたですが、
長文の連投と、おそらく付き合う人の少ないルールを提示した私は騒がしい存在である事は間違いないです。
一応、話題のルールで話を膨れ上がらす事のできるレスを待ってはいるのです。
965 :
473:2012/06/30(土) 20:02:17.81 ID:32gSC97o
>>961 ただ、私はあなたの好意をわかって踏みにじったのではなく、
わからないで踏みにじっていました。
その無知をお詫びします。
>>905 >慈悲を簡単に表現すると「あなたの弱さは私の弱さです」
簡潔で美しい表現だと感じます
「真に真にあなた方に言う
あなた方の兄弟達の中で一番小さな者にしたことは全て私にしたことなのだ」
とか言った人もいましたね
967 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 21:34:39.88 ID:y2W4gCrp
>>956 仕掛けかなにかよく分からないけどやりたければ自分のスレ作ってやったらいいんじゃないの?
このスレって悟りを開いたことあるけど何か質問ある?なんでしょ
>>964 私は騒がしい存在である事は間違いないって分かってるんなら長文の連投やめなよ
スレのテーマからずれてんだから
すっごい混乱状態だね
とりあえず「先人の言葉」っていうフィルター外して
イチから世界を眺めてみるとイイと思うよ。
969 :
473:2012/06/30(土) 22:28:03.42 ID:32gSC97o
スレ主自体が悟ったということは訂正していてですね、、。
実際には、だれも悟ってはいないけどそれを目指してゆきましょう見たいな流れになってます。
そういう事情をご存じないでしょうか。
確かにスレッド名だけみればスレ違いなのでそう思うのも無理なからぬことです。
そしてそれを考慮できていない自分も未熟でありました。
古参と、スレッド名を見て中身を予想する新参には認識の差がある。
そして古参は自分たちが古参、新参者にはわかりようの無い特殊な事情が蓄積している事を自覚していなければいけなかった。
そういう思い違い、すれ違いがおきやすい環境なのです。ここは。
それが好きなのです。
970 :
473:2012/06/30(土) 22:38:59.67 ID:32gSC97o
>>968 うん。そうな感じです。
今混乱してるのは、物事を基準によってどうとでも判断できる事、
そしてどうとでも判断されてどれが自分かわからない事って感じです。
正直抽象概念はどうでもいいんですよ。
先人の言葉は道具立てなんですよ。
あくまで同じルールに一時的に付き合ってもらうか、相手のルールにあわせて語るかしないと、
言葉と対象概念の定義が統一しないので話しがつながらんのですね。
会話というゲームのことなので、それそのものは混乱の中核じゃないかな。
感情や、意識や、認識においては厳格な言語体系の共通認識か、完全に相手に合わせることが必要なんです。
どっちかしないと日本語と英語の会話みたいになります。
これは覚醒してないと相当混乱しますよ。
相手のルールというのが客観的に認知可能なものならいいけど、明確化された無い自分でいつでも変えられるものなら、
話が進むたびに物事の定義やルールが捻じ曲げられてそれまでの展開はおじゃん。
基本的に思考はお互いの誤解と作る働きをする。
瞑想の助けがあれば誤謬ではなく正知の働きも徐々におきるようですが。
971 :
神も仏も名無しさん:2012/06/30(土) 22:43:15.13 ID:y2W4gCrp
>>969 それは存じ上げなかったです。申し訳ない。
スレッド名だけみればというか普通はスレッド名と1スレを見るんじゃない?
スレ主がそのへんの説明書いとかないとなんだこれ?って思うよ。
amaさんという方に質問するスレだと思ったらなんかののしり合ってるし。。。
そういう事情で思い違い、すれ違いがおきやすくそれがお好きなら存分にどうぞ。
スマソでした。
972 :
473:2012/06/30(土) 23:00:39.33 ID:32gSC97o
>>971 はい、おっしゃるとおりです。
しかしこんなスレッド名のほうが人も集まるし、そこで行われている事を見ればどんなスレかはわかるという思惑がありました。
スレ主の振る舞いも前述の通りなので、スレ主がいれば誤解も少ないのですが、、。
でも、私はあまりいないすれぬしが好きです。
沈黙から帰って来る度に、、。
結果誤解の巣窟です。こちらこそ思い至らないで失礼いたしました。
>>473 そんなに2chばっかやってたら精神衛生上良くないのでは?
1ヶ月ぐらい離れるか、接触時間をコントロールしてみたら。
固定観念に縛られるようでは目は永久に開かんよ
カオス(自然の流れ)を認め、対応できんようではね
今日は楽しませてもらったよ
いい息抜きができた
975 :
473:2012/06/30(土) 23:08:00.65 ID:32gSC97o
>>968 一から世界を眺てみるといいと思う。
おお、それはそうです。
世界は、無数に重なった、互いに対立する因習があります。
そしてそれに影響を受け、また独自の主観的、客観的な基準持つ無数の人々がいます。
社会も、人々も、無数の要求を私に突きつけてきます。
私は、それに知らず知らず影響されるという事が無く一切に目覚めていなければ、それと同化し自分を失ってしまうでしょう。
社会的価値、そして無数の人々による無数の矛盾する私への要求、愛、憎しみ、どれにも影響を受けず覚めていなければ己を失うでしょう。
そして自分自身の経験からくる、自己保身や、またユートピア、他者への期待など、
そういった自分自身の無数の価値判断に目覚めていなければ世界を見る事も、
受け入れる事もできないでしょう。
世界は想像以上に複雑で要求が多く、直視しがたいほどです。
そして自分自身の身勝手な要求は、それ自身の理解にではなく、世界との対立に意識を向け延命しようとします。
世界と自分の主観、混じって、影響を受けて、判断を下して、、うん。
そんな感じです。機会を下さってありがとう。
>>974 >固定観念に縛られるようでは目は永久に開かんよ
目が開かない・・・・・???
>カオス(自然の流れ)を認め、対応できんようではね
カオス(自然の流れ)・・・・・・???
対応する・・・・・・・????
あと人間には本音と建前
嘘をつくってもの憶えておいた方がいい
全部信じるとかアホすぎる
978 :
473:2012/07/01(日) 00:06:50.16 ID:gIGdiUIO
>>968 外界からの要求と、私の持つ外界への要求。
いつもどちらかの側について、
自分を屈服させようとしたり、外界を変えようとしていました。
どちらの側にもつかないと、この2つの群れはほぼ必然的に対立するので理由の見えない葛藤がつきまといます。
しかし、この対立しないでいられない2つの欲求の群れを対立させずに、
そしてどちらの側にもつかずに、その全容を意識する事ができれば、あるいは。
>>977 人は、業務上の利益確保においてあえて嘘をつくという事はあります。
しかし、その場合ですら自分の正当性を完全に信じきれる組織風土というものがあります。
また、人は個人的なレベルであえてうそをつくということはほとんどありません。
みな正直者のつもりなのです。
だからかみ合わない。
しかし二辺から離れることができない人間がいるとは
正直驚いた
あと、アイデンティティつつくのはもう止めとくよ
書き込みの多さは迷いと弱さの表れ
気をつけたほうがいい
窒息するなら無理にとはいわんw
>>979 あなたも、「二辺から離れることができる」っていう
1辺から離れられずにいるみたいだから同じじやない?
離れた方がいい2辺だけ潰しときゃいいのよ
なんもかんも潰しとったら悟ってしまうじゃろw
>>980 都合が悪くなると「それは言葉遊びだ!!」って言う人多いね。
でも、本当に2辺から離れることが出来てるんなら
「2辺から離れることが出来る」っていう思いからも離れてるはずだよね。
>>983 いや、全部言葉遊びみたいなもんだ
2辺から離れるのもコツだから言葉じゃない
>>984 困った時に斬り取るから特に意識してない
瞬間的には比較そのものを斬り取ることもできるよ
>>986 2辺の発生が元々無いって感じじゃないのか?
>>988 だったら、困った時に斬り取る必要ないんじゃないの?
もともと発生してないんだし・・・・・
>>989 いや、発生することがあるから斬り取るんだよ
過去を切り取ればいいんだけどね
まだそこまではいってない
そういや、ろんさんは過去を捨ててるっぽいよ
捨てる→身軽になるの繰り返しだから難しいことじゃない
過去を捨てれないのは、しがみつきたい何かが、たぶんあるんだよ
その辺の弱さは俺も認めるよ
悟りやその段階の説明については、体験的には上座部仏教が整理して
いる、四沙門果が最も近いように思えます。
悟りの階梯
http://www.j-theravada.net/sakhi/pali_sutta2.html このスレでは最初の悟りの預流果まで行っている方はチラホラいる気が
しますし、amaさんに至ってはもう少し先の悟りを得ていると思うのです。
>>969 amaさんが悟ったことを訂正した流れは、あのときは悟りは0か1かの
流れになっていて、そこで
自分は悟りの最終段階まで達しているわけではないから、
悟っているとは言わない。だから一緒にそれを目指して行きましょう
という方向であり、自らの体験を否定されたわけではないと思うのです。
もしろん、真意はamaさんに聞いてみないと分からないですが、私は
そんなふうに受け取っていました。
>>966 イエスの言葉ですね、生きたイエスを描写したところは輝いてますね。
>>993 基本的な質問だけど
悟っている、悟ってないってそんなに大事なこと?
996 :
無しよ:2012/07/01(日) 01:22:27.58 ID:fDy/RDc+
>>993 やっぱりそうなんですね…
そうだと思ったですよ
あと、このスレには「さとり=こころ」っていう共通認識があるって先日聞いたんですが
そういうの皆さんはあるんですか?
>>993 滅茶苦茶ありがとう。熟読します
欲が消える段階は私だけかもですが
まず性欲が壊滅しますw
次に味覚にくると思います
他の自覚は、まだないです
998 :
473:2012/07/01(日) 01:28:20.35 ID:gIGdiUIO
悟りの階梯といえば第2の悟りの
一来果では、有身見、疑、戒禁取の三結は当然消えていますが、その他に、欲、怒り、無知の三煩悩が、いずれも弱くなります。
「え〜っ、たったそれだけ?」はい、それだけです。
ここが好きです。弱くなるだけ。抑圧するのでなく逃避するのでもなく、それに目覚め始めれば、ようやく少しずつ。
>>993 段階が進めば進むほど、自分が達した段階を意識するより、達していないという事実を大事にするかとは思います。
本当に達しているのならそれはただ身についておりそれを意識しません。
>>983 意識するものは身についたものではなく信条や希望、借り物の知識です。
それゆえに未達成のもの、段階だけが気にかかります。
だから、amaさんのこれまでを否定するというわけではありません。
>>996 俺もこのスレ長いけど「さとり=こころ」って初めて聞いた。
1000 :
無しよ:2012/07/01(日) 01:50:27.30 ID:fDy/RDc+
>>999 ご返答ありがとうございます
結構ROMってましたが、ついぞその認識でみなさんがお話ししているところには出会えませんで…
もしかして…釣り
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。