952 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 15:55:32.99 ID:cUtRilZ8
>>951 状態の変化は、縁起から導かれた三つの結論のうちのひとつだよね。
諸行無常という。
諸行無常、諸法無我、一切行苦という三法印は、どれも縁起から
導かれた論理的帰結のはず。
水の分子構造が云々てのは、諸行無常なことは変わらないじゃんて
いう、よくあるアレと同じ質問かや?
なんか議論スレでやってるのよく見かけるけど、難しい専門用語は
わかんない。
953 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 15:58:32.65 ID:cUtRilZ8
龍樹が中論のなかでやったことって、要するに
縁起と三法印の論証だよね。
日本仏教って、どうも空を神秘的に捕らえようとする癖があるけど
そんな難しいこと言ってないはずなんだがな。
>>952 涅槃寂静も縁起から導かれた論理的帰結かな?
955 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 16:00:31.94 ID:cUtRilZ8
論理的には無理だろね。
956 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 16:01:22.35 ID:cUtRilZ8
縁起から飛び出しちゃったのが涅槃(なんでしょ?)なわけで。
知らんけど。
涅槃も、仏道による縁起だと思うが…
縁によりおこる故に空ですよ。
内だけでは何も起こりえず、外だけでは何も起こりえず
ただ縁により生ずるものがある。
もう、じゅうぶん(十分・充分)だと悟る。
外側の縁と、内側の縁が一如となり、螺旋となることが、DNAモデルにも示されています。
その仕組みを暴けば、龍神さまの力を授かり、新しい境地の世界となると言い伝えられています。
それにはまず、岩戸ひらきが必要です。
無関心の由来だが、なんとなく見当がついてきた。
人間は、愛と憎との円が重なった部分、愛かつ憎という矛盾を生きている。
この矛盾は、縁起であり空であり虚無である。どういうことかと言えば、
人間の精神は虚無そのものを背景にして成立しているようなのだ。
命(神)と物質(大地)などの縁起で考えても同様である。
ではなぜ虚無に落ち込まないのか。たぶん時間のベクトルが
<虚無→愛かつ憎>なのであって、虚無に落ち込まないようなストッパーが
精神の中に仕込まれているのだろう。愛かつ憎は虚無なのだが、
その虚無は時間を逆行することでしか成立しない。つまり人間の精神は、
時間の不可逆性によって不可能を可能にしているわけだ。
965 :
神も仏も名無しさん:2012/05/03(木) 22:39:37.74 ID:XrgOPRdO
過去の体験はできないが、過去を思い出すことはできる。
その過去は、人間の中に「愛かつ憎」という矛盾として痕跡を残している。
それに由来する精神的態度が「無関心」ではないだろうか。
虚無(空)は、もはや体験不可能な、宇宙の記憶のようなものかもしれない。
・・・愛と憎は、時間の不可逆性によって成立し、区別されている。
視点を変えれば、ものごとが縁起し、運動し、時間が流れていないと、
虚無に落ち込んでしまうと言うことだろうか。
竜樹は運動も時間も否定するから、かれがイメージしたのは虚無だよね。
968 :
安堂:2012/05/04(金) 02:21:39.94 ID:uGXngOuZ
オナニーやセックスして絶頂を迎えるときに
「宇宙と1つになる」というイメージを膨らますのも
イメージトレーニングとして修行になります・・・・。
どの段階の悟りですか?
970 :
安堂:2012/05/04(金) 02:39:29.63 ID:uGXngOuZ
>>969 初めて御意を得ます。当板耶蘇教の重鎮
サロメ殿であらせられますな。
某の悟りの段階など預流果かそれにも及ばぬ程度でござる・・・。
>>970 ヨーガや上座部でサマディ突入しなよ^^
972 :
安堂:2012/05/04(金) 02:50:36.71 ID:uGXngOuZ
>>971 サロメ猊下、そう簡単には往かぬもの故でござります。
時節というのもあります。
時の風が吹かねばサマーディへの突入も為し難しかと。
天主教だとバクティとおなじだからねー
献愛しぬいて浮かび上がったり空中に^^
ロムさせてもらうわ^^
974 :
安堂:2012/05/04(金) 02:59:53.07 ID:uGXngOuZ
>>973 そのように願います。
万軍の主は正義のゆえに高くされ
聖なる神は恵みの御業のゆえにあがめられる。
聖なる、聖なる、聖なる万軍の主。主の栄光は、地をすべて覆う。
万軍の主をのみ、聖なる方とせよ。
あなたたちが畏るべき方は主。御前におののくべき方は主。
万軍の主によってお前は顧みられる。
雷鳴、地震、大音響と共につむじ風、嵐、焼き尽くす炎のうちに。
>>925 とても美しいお話ですね
前々から感じていたのですが
悟りの為のお話とゆうのは悟りを抜きにしても
ユーモアとウイットに富んでいて純粋にお話として面白い話が多いと感じます
こういった法話が今の小説などの源流になったのかもしれませんね
>>929 >ただ演技っぽさを感じた時もあります(^^)
悟り子はあるとき犬と二人で一つの部屋にいるとゆう体験をしました
最初は「部屋に犬がいる」
とゆう感覚だったのですが、しばらくすると完全に「貴方と私」
とゆう感じになってました(笑)
>>949 >誰もが自分における外界における事実を恐れ、それを攻撃してるのであって私との出会いはありません
人は他者が何を考えているか不安に思ってたりしますが
その他者も他者が何を考えているか不安に思ってたりするのですね(笑)
>>949 >人は全く分かり合っておらず独りであるということを受け入れるより
>理解を期待してあい争うほうを選びがちではあります
対話>議論>論戦>口論>罵りあい>肉弾戦
こんな感じでしょうか?
>>949 >基本的に私は悟り子さんが反論されたことを述べておりません
あっ、そうでしたかf^_^;悟り子のフィルターを通して473さんを見ていたのですね
>>949 >悟り子さんが読解した意味で私がそれを述べたのだとしたら私はとんだ馬鹿な事をいったもので、ひどい役を押し付けられたものです
大変申し訳ありませんでしたm(_ _)m
あえてそうゆう役を引き受けてくださったのかと思い込んでました
失礼いたしました
>>949 >例えば文脈を受け取れば、自身の愛というのは私は愛があるという自意識をもつという意味です
了解しました
>私は愛があるという自意識をもつという意味です
その愛を認めない他者に反感を感じたりするのですね?
>>949 >自己と世界が分かたれたものだというあり方が根本にあれば、自己は自然と対立し、死と対立し、他者と対立するでしょう
多分これが自我意識の最大の幻想であり、あらゆる葛藤の本質なのでしょうね
>>949 >あらゆるものを生む自我の本質が恐れと敵意であると述べただけなのです
そうゆう意味合いでしたか、了解しました
まあ根本は不安なのかもしれません
不安は人間が死を予測できる生物である以上は無理からぬところもあるのでしょうね多分
>>949 >自分の憎しみに気づこうとすること(責めるのではない)は愛の態度ではないでしょうか
はい、自分を価値判断せずに見つめるのは誠実さへつながる姿勢であり、誠実さは愛の確かな特質でしょう
>>949 >逆に、自己と世界が分かたれたものでなければ、自然は征服するものではなく共に育つものであり、生死はあるがままであり意識されず、
また他者も意識されず、全体性の統一の中で与え受け取るでしょう
黄金時代の人類ですね
>>949 >彼らの怒りは慈悲と呼ばれる。自我にあって怒りであったものが慈悲に変容されているのでしょうか。共に他者と関わるエネルギーなので元は同じかもしれません
そうでしょうね
「それ」に怒りとか慈悲とか名前をつけるからややこしくなるのであって
ただ、その場の状況に感応して、エネルギーが適切に動いているだけなのかもしれません
987 :
神も仏も名無しさん:2012/05/04(金) 14:55:39.25 ID:p6K6nUaL
>>悟り子さん
伝わったようでとても嬉しく思います。
未熟な自分でもこういったことが伝えられたのかと思うと心が軽くなります。
これはとてもとても深い話です。自分自身それを手探りの中旅をしています。
祖師達はいつも我々の根本的な変革だけを求めました。表面的な変化は根本が変わっていなければ結局元に戻って無意味だからでしょうか。
しかし、根本的な変化が必要だと悟るまで自分のいろいろな面と付き合い、そして発見してゆかなければならない気もします。
お互い自分にとっての自然なリズムで自分を掘り進めて行きましょう。
誠実さは愛の土壌となり、愛も誠実さの土壌となります。
また他者との問題についてはたぶん殆ど全てが、前述の表層意識と潜在意識の対立を原因としているようです。
ある価値基準だったり、ある自己中心的な思考を理解するのではなく押し込んでいた場合、
第一にそれを気づかぬうちに直接婉曲にやっていてしまいますし、第2にそれを他者に投影してしまいます。
もともと内戦があるので、それと本来はかかわりの無い他者が自分自身が抱えている敵に見えてしまいます。戦いは内にあるのです。
その敵も時にはそれが主人になり先ほど表層意識を構成していた価値基準が敵になってしまうので、その構造全体が問題で道徳と自己中心性は2つでひとつのものであり、
そうでないものとして覚醒、愛があるようです。
988 :
神も仏も名無しさん:2012/05/04(金) 14:56:13.55 ID:p6K6nUaL
>>820 バカ女さんへ
≫潜在意識が表層意識を作っているのでなければ、支配することはできないということです。
このあたり自分もあいまいで分かっていなかったようです。
生の各場面、各人間に対応するための価値基準の群れ、社会的なそれと個人的な価値基準の群れ、
それらで私は構成されていますが、それらは相矛盾するので混乱します。
その混乱ゆえに、その混乱を統括して全体の方向性を定めるための表層意識が作られ、その表層意識は
それらの価値基準とそれに伴う感情や欲望を抑圧します。
この時点で表層意識―潜在意識という「意識の構造」がはじめて出来上がります。潜在と表層は2つで1つの構造です。
また、平常時はこの表層意識は私の全ての価値基準と、勘定的記憶と欲望をコントロールすべく思索し人生の指針を研究しますが、
外部から何か刺激があった際は押さえつけている価値基準や感情にあっさりのっとられます。
表層意識での怒らないとか何々はもうしないという決断は、より深い現実であり広大である潜在意識にあっさり覆されてしまうのです。
また平常時においても表層意識は考えることは自由ですが、肉体的エネルギー、感情のエネルギーは潜在意識が大きな部分を握っています。
表層意識はそれらを自由に動かすことはできません。表層意識が何を考えようとそのとおり行動することは困難です。
表層意識で無理に行動した場合確実にその反動があります。
敬虔な聖職者が教会の外では実にずるがしこかったり、疑い深い科学者は研究室の外では実に純朴だったり。
それゆえに、表層意識ー潜在意識という意識の構造全体を見て、意識同士価値基準同士の主導権争いではなく、
各意識が主人ではなく召使となるような目覚めが必要とされます。
そしてそれは表層意識に頼らず、表装ー潜在意識全体を見守ることで自然と現れてきます。
>>924 > 海の中で海を探す魚の話がありましたね
でも、その喩は・・・
まるで、悟りを求めている姿
悟りたい、悟るにはどうしたらいいか、どうしたら悟れるか
悟りを求めて彷徨う姿
のようです
>>940 > スーパーで買えますか?
お前、子供じゃなかったのか
> 縁起とは何ですか?
・・・自分で考えろ
>>952 > 諸行無常、諸法無我、一切行苦という三法印は、どれも縁起から
> 導かれた論理的帰結のはず。
帰納法ではなく演繹法だろうね
その前に
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静 じゃなかったっけ
>>976 > 悟り子はあるとき犬と二人で一つの部屋にいるとゆう体験をしました
どういう意味なんでしょう?
まさか犬と・・・
Operationは、ちょっと考えてから書き込むとイイぞ。
>>992 > Operationは、ちょっと考えてから書き込むとイイぞ。
なんだ?
やっぱり子供だったか
>>993 Operationは大人だって言うなら次スレ立てろよ!!
俺は子供だから次スレ立てれない!!
子供パワーしか出せない
ERROR!
ERROR:新このホストでは、しばらくスレッドが立てられません。
またの機会にどうぞ。。。
まあ、次スレがなくとも子は育つというし
スレがなくとも2ちゃんねるはあるし
2ちゃんねるなくとも、なんでもあるし
続けたければ、いずれ立つ
なかったら無かったでそれもよし
そんときゃそんとき
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。