907 :
473:2012/04/15(日) 22:04:25.20 ID:/aQxZIu1
私の存在が、対人関係や、性の問題や、お金の問題、さまざまな決定に関する問題を作り出す。
しかし、これらの問題は私の在り方が作り出すものなので本質的に解決不可能に思う。
対人や性の問題は存在そのものが希薄なので消えうるが、金銭上の決定に関することは避けられない。
この避けられない問題に直面して、かつそれをどうともしようとせず、全ての問題の中心である私にむかう。
問題は基本的に解決が不可能か、困難。しかも解決すると私という苦しみがより鮮明になる。
金銭的に将来が不安だったり、かといって仕事がうまくいっても自分に合わず苦しみだったり、
仕事は楽しいようでも、お金に不安が無いことがむしろ私である苦しみを鮮明にしたり。
どうやっても私という唯一の問題が残る。
よって勇気がいる。枝葉を無視して中心に向かう勇気が。
908 :
ろん:2012/04/15(日) 22:08:02.61 ID:bAMpcy01
自由とか不自由ってどこにあるんだろう?
あるがままってどこにあるんだろう?
悟りとか迷いってどこにあるんだろう?
それらを認める認識があるだけってことに気づかないんだろうか?
909 :
ろん:2012/04/15(日) 22:12:54.16 ID:bAMpcy01
英語話者は、ノー・プロブレムってよく使うけどさ、問題あっても、それをどうとるかの方が大事なんだよ。。
針小棒大に悩む人まったく気にしに無い人、解決しようと考えて行動するが悩まない人、いろいろだね。。
悟ったら解決するなんてのは嘘よ。。
問題は実際の在り方や行動によってしか解決しない。。
>悟ったら解決するなんてのは嘘よ。。
実社会生活だと逆に問題を大きくする可能性があるね
仕事なんかで忙しい時に悟った人がのろのろ仕事していたとする
心は悩みがなく幸福なんだけど
他の人ができない分の仕事を押し付けられて火の車になる
だから悟った人は社会から離れた人がほとんど
できる人ほど、悟った人の「不完全が完全である」などの言動にかちんときたりするw
911 :
ろん:2012/04/15(日) 23:38:25.99 ID:bAMpcy01
いや、かえってよく働くのが見性した人だろう。。
僕はまだそうなりきれてないね〜、、なりきれてるところとなりきれてないところがある。。
仕事場では、張り切ってやってるけど、家に帰ると怠けちまうとか、好きなことやってることが多いわけだから。。
仕事は内容次第だろ
かけ離れてりゃ
>>910になる
農業とかでギリじゃね
悟った人が得意な仕事:ブルーカラー系、農業、力仕事、事務、宗教
不得意な仕事:営業、政治、サービス業
わからない:研究職
まあ、悟ったら仕事をできるできない以前に仕事をやらないな
914 :
473:2012/04/16(月) 00:02:53.95 ID:blyE5QV6
それらを認める認識があり、それらがある。
認識があるからだと、その認識から生まれた思考が解説しても、一時的な痛み止めにしかならない。
認識が無くなりそれらが無くなることにはつながらない。
現状維持か余計混乱するかです。
915 :
473:2012/04/16(月) 00:04:22.82 ID:RnyVDTOL
ろんさんの公案の解釈はまさにろんさん自身を表している。
正しいとか間違いとかではなく。
自己を通り抜けた光明を得た師や弟子が公案そのものを破壊することは時々ありますが、
それはいつも前例が無く美しく、生気にあふれており、いい意味でめちゃくちゃで笑わせてくれる。
自分から逃げ出している人がこの公案に取り組んだら一見似たような回答を出すことでしょう。
サトッたら衣1枚に托鉢一つで
世界中どこまでも布教の旅に出るんじゃないの?
>>913 する必要がないもんな
>>916 布教の旅っていうか人間とは極力離れると思うよ
托鉢は悟ってからも悟る前にも必要だな
>>913 完全に悟ると普通の人と一緒だから
普通にいろんな仕事をするよ。
仕事が出来ないのは中途半端に悟った人だよ。
お釈迦さまは悟った後
衣1枚の姿で歩き回ってたじゃないの?
しかも御年80を過ぎても過酷な布教の旅へ出て布教してた
人間社会は捨てたもんじゃない
って状態だったらそうするのかもな
仕事もね
菩薩の姿はまだ装飾品をつけてるが
仏になると布1枚になってる
>>918 それは理想論だと思うな
実際にそういう悟っても普通の仕事をしてる人を上げてよ?
逆はいっぱいいるよ
>>922 完全に悟った人は自分から悟ってるって言わないから
普通の人に紛れて生活してる。
ここで言っても誰も知らない本当に普通のオジサンやオバサン。
数は少ないけど間違いなく存在してる。
ここで名前を出して皆知ってる覚者で完全に悟った人は殆どいない。
>>923 それは完全な推測でしょ
自分がそうだとか
身近にそういう人がいたと言うなら信ぴょう性があるんだが・・
悟った人なら
とっくに龍樹みたいに教範を大量に書き始めて多くの菩薩に支持され
それを布教して歴史に名を刻んでると思う
空海の行った偉業は、仕事ではないんかね?
現代と偉大な先輩たちの時代ではあまりにも状況が違いすぎる
人間の欲望はすげーな
>>924 本当に悟った人は自分が悟ってるって言わないものなのよ・・・
929 :
473:2012/04/16(月) 00:37:10.68 ID:QE7X3/i8
二サルタガッタマハラジ(近代インドの覚者) タバコ屋さん
ムジッド(スーフィー) 商人
カビール(インドの聖者) 機織り
グルジェフ(近代のスーフィー継承者) トルコ絨毯売りと何でも
ヴィルマルキルティ(仏陀の時代の伝説の在家の人) 一族の切り盛りをしてたとか
仕事に問題がない人はむしろ私という問題に直面するのでそれがいやで逆に新しく問題を作りたがるとか。
私がなければ問題という認識が生まれませんし、私という逃れられぬ欲求不満と葛藤と恐怖の土壌も無いんでしょうね。
目立ちたがらないブッダは人知れず普通に世の中に溶け込んでいたのではないでしょうか。仕事ができないということはないと思うので。
教えようとしたブッダは変わった行動をとりますし、中には教える気もないのにマイペースで目立ってしまった人もいるかもしれません。
どちらにせよ生涯仕事を捨てないようなブッダはあまり教えることを重視しなかったのではないでしょうか。結果そもそも知られることがない。
>>928 なら本当に悟った人と
釈迦みたいに布教している偽の悟った人の違いを教えて
おそらく、悟ったなら「仕事」という定義が余り無意味になるかもしれません。
仕事=奉仕なら、正しい教えを解く事も仕事となるし、仕事=お金なら、お金を手に入れる方法を考えるでしょうし、実際には、困らないでしょう〜
要するに、仕事=人生とは、捉えなくなる可能性があります。
ま、人は自分の都合で考えるので、それが抜けると、仕事=仕事となるんですね。
偽物は時間とともにメッキが剥がれる
>>923 質問
現代文明の中での普通の生活と悟り(特に実践)
これは矛盾しないんですか?
>>930 悟りに本物も偽物もないよ。
悟ればみんな「悟った人」だよ。
ただ、悟った後に「自分は悟っている」って感覚が残っているのが中途半端に悟った人で、
「自分は悟っている」って感覚が抜け落ちた人が完全に悟った人。
釈迦は「自分は悟っている」って感覚が抜け落ちてるみたいだから完全に悟った人だね。
>>933 完全に悟ってしまえば自分と悟りは同じもので
普通の生活そのものが実践になるね。
936 :
神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 00:47:50.60 ID:/uVuGLkq
この間知り合った人に、観術をやれば悟れるよ、人生楽になるよってセミナーに誘われたけど、怪しい宗教っぽいなと・・・
誰か観術知ってる人いません?
セミナー行って大丈夫かな?
>>934 >感覚が抜け落ちてるみたいだから
ちょっとあやふやだねw
「自分は悟っている」という感覚があるから
慈悲が生じて布教するんじゃね
悟れば真理・法を知ったと言う認識が生じるはず
>>935 いや、あの…理論屋さんならともかく、実践したら
文明の中で普通の生活は出来ないんじゃないですか?
その人たち何食べて生きてるの?
お釈迦様の悟りはもはや解脱状態であり
声聞れべるのちっこい悟りと比較したらいかんのだろ
>>936 セミナーかあ〜
観術ってなんなんでしょ〜ねw
止観とかなんかな〜
瞑想セミナーかなんかかな?
坐るんだったら、お寺とかのがいいんじゃね?
おれも、行ったことないけどw
原始仏典には最終解脱をすると
過去世や未来の世を見渡せることができるなどなど
さまざまな神通力などが生じるとある
>>937 自分が悟っているというのは、語弊があるんですよ。
自分がない。
諸法無我ですからねw
>>937 >悟れば真理・法を知ったと言う認識が生じるはず
この真理・法を知ったと言う認識から執着が生まれるんで、
手放したほうがイイって話。
>>942 諸法無我の「我」って「私」って意味じゃないよね? 確か。
>>938 う〜ん、悟りの実践ってどんな事想像してる?
縁起でなりたつもの
以外のものが
実体で永久不変のもので我でありつまりダンマ
もうちょっと、現実を想像したほうが良い
風俗の勧誘の仕事をしている人が悟ったとする
諸法無我、涅槃寂静、如実知見を得て
風俗の勧誘の仕事を普通にするとは思えんな・・
>>945 どんなことーってその前に答えてくれよww
何食ってんの?
あと、悟ったのが真理なら捨てられるわけないよ
真理はただそこにあるものだから、俺らにはどうすることもできない
捨てるというなら見て見ぬふりを始めるのと同じだよ
悟りの実践って言った時に俺が食えるのは多分ひとつだけ
949 :
神も仏も名無しさん:2012/04/16(月) 01:12:30.23 ID:/uVuGLkq
>>340 レスありがとう
なんかパンフレットには観術で悟って世界をひとつにしますとか、政治的なことも書いてあって、瞑想とかじゃないみたい
悟りとかのお手軽セミナー他に知らないから気になってるけど、変な宗教団体だったら怖くて
やっぱり、京都のお寺に行くことにします
>>944 言葉の定義は難しいのですが、ぼくの観じるところを書きます。
諸行は無常ですので、固定された自分というものはありません。
「わたしは悟った」と言っても、悟ったわたしは、通り過ぎ、今のわたしとは違うのです。
そして、そのわたしにも、自性がなく、縁によって生じている。
それが、無我であると、思うんですが。
くしゃ論によると
ダルマによって行いが生まれそれが方向性となるので
過去の自分と今の自分が生滅を繰り返し転々バラバラになって生まれ変わるということはないとか
953 :
バカ女:2012/04/16(月) 01:21:11.49 ID:HUNwRJ58
>>868 ろん、能書きばかり言わないでね。
>飛躍しまくりで、自分の推測と、思い込みと、まともな論理、理解の区別もできていません。
ろんの発言は、感想なの。もしろんが自分が言っていることを証明しようとしたら
きっちりと反論してみせるしかないわけ。それが唯一の証明の仕方なのね。
ろんは、いつも逃げてばかり、能書きたれてね。詐欺師のパーフォマンスと変わらない。
ろんが言っていることが正しいかどうかは、議論のなかでのみ証明されるのです。
ろんは、捨て台詞を残して逃げてばかり、それが事実です。もうすべてが証明されています。
>(僕も大学の講師ですが・・)
聞いてないよ。(苦笑) 私はろんの話の内容と行動しか見ていません。
>読書量も知識も足りないと思います。。
>偏りがあるし、哲学研究者なら知っていて当然な知識があなたには欠けています。。
繰り返すけど、それはろんが自分の知識でもって私に反論して見せなければ証明できません。
>主観と客観のアポリアと言うか、哲学上の大問題も、ぜんぜんまともに理解できていないので、
繰り返すけど、ろんが私に反論できなければ、私が理解できていないことを証明できません。
ハッタリ打って逃げてばかりじゃ単なる悪口にすぎません。
>こっちからすると、まったく議論することがバカらしいんですよ。。
ちっとも変わらないから、もしかしたら自覚がないのかもしれません。
ろんが言っているのは、議論から逃げる人の常套句です。
>>952 それは、悟ったあとかもしれませんね。
自分が抜け落ちれば、世界だけが残る。
如来クラスになると、その世界をコントロールできる様になるらしい…
ま、わたしは、流されてるぐらいかw
でも、不思議と上手く流れるんですよね〜w
>>951 答えてくれてありがとね。
でも、俺は農業も否定したいんだ。
あれって、必要以上に食うために自然の摂理から外して
人間の食う物を選んで作ってるでそ。つまりこれは欲の始まり。
だから俺が食えるのは自然に生えてる植物(の一部)だけになる。
こんなこと言ってたら人間社会と折り合う場所がないのよね。
だから、別の考え方があるなら具体的な話を聞きたかったんだー。
956 :
バカ女:
>>869 >最初は大学のイクステンション(夏休みとかの公開講座)でも行ってさ、
> 〜〜〜 丁寧にどこが間違ってるか教えてもらえるはずですよ。。
言ってて恥ずかしくなりませんか? 自分をよく見つめなさい。
>>870 >還元による現象が純粋経験?
>そんなことどこで言ってんの?
はぁ? 知りもしないでフッサールの名前出したわけ? アホくさ、死ね!
ウィキにすら書いてある! ろんの得意なノエシス/ノエマの項を読めよ!
>西田とごっちゃにしてるだけちゃうか?
西田も知らないんだから、名前を出すな。名前を並べるだけなら猿でもできるわ。
>還元しても、ノエマとノエシスを分ければ、主客の問題は残る。
ろんの「主客を乗り越える」は、まさか主客の消滅か? ← アホの境地ここにあり。
未だ主もなく客もない純粋経験でも、フッサールの純粋体験でも、無我でも忘我でも、
それが経験であり、体験であるかぎり、主客の消滅はありえないの。
経験が成立するための形式なの。
悟りでもひとつになる境地でも、それが成立するなら経験なの、経験は生の出来事なの。
経験が成立しないと無なの、無は経験できないの、無は不可能なの。
>金取るぞ、コラーw
ふざけるな! ろんの低レベルには、小学生の頃の私でもあきれるわ。