悟りを開いたことあるけど何か質問ある?8

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二元論に散々傾倒してうんざりしていたがゆえに、非2元論はとてつもなく新鮮に見えた。
それゆえにそれに転向したが、過去からの二元論を好むという(というか思考も言葉も二元性そのものなのだから当たり前のことです)
傾向が消えたわけではない。二元論は自分の内部で生きている。
両者は相容れないので葛藤するのだがそれは一見何の理由も見当たらないとてつもない混乱と苦しみであり、それに醒めている事は大変なことである。
それに対して二元論を他者に投影してそれに反対し、批判し、諭したり、救ってあげたりするのはなんとも楽しいことなのだ。
その誘惑たるやすごいものがあります。
かくして、他者の提示する二元論に対して、もしくは投影がひどいと他者が言っていることを捻じ曲げてまでそれに反論します。
が、それは実際には自分自身の古くからある2元性に対して反論しているだけなのです。
(自分の中にある過去、無意識の二元論に反対しての非二元論は、本来非指し示された二元と真逆で、2元論の2乗ともいえる最強の二元論ではないでしょうか)
というような人がいる。
また
非二元論に傾倒したがそれに携わる人々と自分に絶望したので、反非二元論に転向した。
(そもそもその非2元論は、二元性を作る前への回帰ではなく、二元性からさらに作り上げた非2元性という2重の夢なのでしょうけど)
しかし、非2元論を好む過去が消滅したわけではないのでそれは抑圧しているに過ぎない。
他者にその非2元論を投影してそれに反論して内部葛藤を回避する。
投影の度合いが平均より重い場合は、他者は自分がいってもいないことに対してその人が反論するのに驚くことになります。
投影がそんなに重くない場合、一見相手が言っていることに反論しているように見える。
しかし実際は自分が表層意識で嫌い無意識で好んでいるものを投影している。
というような人もいました。

そして473はその両者に突っ込みを入れて、その両者がはまっている罠に自分もはまっているということを忘れようとしているのか、
それともそのかかわりを通じてその両方を自分のうちに見ようとしているのか。(そのときの目覚め次第でしょう)