悟りを開いたことあるけど何か質問ある?8

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「自らの過ちを見よ。他人の過ちを見逃せ」-ダンマパダ

今表層の意識があり、またそれに抑圧されている膨大な過去があります。
今好んでいるものが表層に上り、今好ましくないとしているものは無意識に抑圧されています。

私はあるものが好きで、かつそれが嫌いでもあります。
その両方に気づくと混乱します。(混乱に抵抗しなければ覚醒といわれたり受容といわれたりすることがあります)
その混乱を避けるため人間には表層意識と無意識があるのではないでしょうか。
あるときは私はそれが好きだし、表層と無意識が入れ替わって今度はそれが嫌いになります。

今自分が嫌っているもの、「かつ無意識ではそれを愛しているもの」は私たちにとって葛藤の種です。
私たちはその嫌っているものを他者に投影して、それを攻撃したり、「ああそれはいけないことなのです。何とか救って差し上げなくては」
と助けようとすることで、自分が無意識に抱えているものとその混乱を他者に背負ってもらおうとするのではないでしょうか。
そして、この重荷を背負ってもらいやすい相手とは、過ちをもつ相手ではないでしょうか。
過ちにある他者を見ると、この投影への欲望が起きてきます。
意識で何かが好きで、無意識でそれを憎んでいるという混乱と向き合っていたのに、
いつのまにか論戦や他者を助けるという使命感の高揚感に摩り替わっています。
そうやって人々は葛藤を避け、自己の矛盾を放置どころか強化します。
それをブッダは戒めました。自らの過ちから眼を背ける機会はいくらでもあります。
その誘惑に気をつけなさいと。他者の過ちは誘惑です。それを見逃せと。