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自分が喜んでいる、苦しんでいると思い、それを言葉にします。
しかし、実際私は言葉によってその状態になったわけではありません。
私のすべての記憶と欲望とその分裂、そのときどの欲望が活性化していてどの欲望が疲れて休んでいるか、
それとその時点での覚醒、これらのバランスでその時点での私の現状が生まれています。
これを苦しい、くつろいでいるなど、一言で表すというのは無謀です。
長い文章を書けば自分のそれらの総合的な状態が現れてはきますが。
また、増して自分以外の人間は自分とは別のそれらがあり、そのときのバランスがあります。
それを、他者の主観を加味した上で伝えるのでなければ、伝えようとしたこととは別のことを他者は受け取るでしょう。
他者が私に賛成するとき、それはその人の経験が私の言葉を解釈して得たものに賛成しているのであって、
互いの共通認識というものは生まれていません。
自分の意識、無意識、記憶、欲望のサイクル全てに覚醒することは困難です。
まして他者のものにまで覚醒し、2つの異なった夢を橋渡しするのは正に至難であり、
光明を得た人の中でもできるのはごくわずかと聞きます。
人との関わりの中で私は私の主観に気づかされます。
他者の主観はわかりません。他者の欺瞞を暴くのはそこまで難しくないですが、
他者の主観を自分のことのように感じて本当に他者を客観的に把握するのは、
自分の主観がわからないぐらいなのでありえないことです。